『坂の上の雲 五』 by 司馬遼太郎

坂の上の雲 五
司馬遼太郎
文藝春秋
2004年6月15日 新装版第一刷発行
2010年12月25日 新装版第五刷発行
*本書は、昭和47(1972)年6月に刊行された『坂の上の雲五』の新装版です。

 

坂の上の雲 四』の続き。まだ、バルチック艦隊はやってこない。マダガスカル島のノシべで投錨したままのロジェストヴェンスキーたち。そして、旅順の戦いの後に一旦日本へもどった東郷ひきいる海軍たち。その間も、北へ北へとすすむ乃木率いる陸軍たち。五巻は、主に日露戦争当時のロシアの国内の状況や、旅順のあとの奉天の戦いまで。諜報員として活躍した明石元二郎についても詳しい。

 

目次
黄色い煙突
大諜報
乃木軍の北進
鎮海湾
印度洋
奉天

 

感想。
そうか、、、血の日曜日」事件は、このころのことだったか。。
日露戦争についての司馬解釈が、私の中では勉強になった。あくまでも、司馬さんの歴史観、ロシア観ではあろうけれど。佐藤優さんは、『坂の上の雲』でロシアを知った気になってはいけない、っていっているので、一応、そのつもりで読んだ。

megureca.hatenablog.com

 

日露戦争で日本が勝ったのは、ロシアが腐敗していたから。ロシアが自滅した、ということ。バルチック艦隊は、数か月に及ぶ航海で、みんなへとへとだった。兵士たちのモラルもボロボロだった。また、ロシア国内の情勢について無知に等しかった日本は、自分たちが強かったと勘違いしたのが、もう一つの悲劇を生んだ。新聞社をはじめメディアが国際情勢を理解してなかったこと、正しい報道をできなかったことも、国民を無知にした罪として語られている。

新聞の水準は、その国の民度と国力の反映であろう。”って。

 

旅順が児玉源太郎が指揮する乃木軍によって落とされたのは、1905年1月2日。その数日後、1905年1月9日に、ロシア帝国の当時の首都サンクトペテルブルク血の日曜日事件」はおきた。ガボン率いる労働者の平和的な請願デモに、軍が発砲。1000人が負傷し、200人が殺された。唯の平和的デモだったのに。そして、この事件はロシア革命のきっかけの一つとなる。そのころ、明石はロシア国内の革命派と近しい関係になっていた活躍の様子が描かれている。ただ、司馬さんは、明石がすごかったというより、時代の流れだったのだろう、、、と。

 

「大諜報」は、明石元二郎についての章。明石は、その風貌も性質も、かなり変な人として説明されている。差別的だろ?と思われるのは「まるでダッタン人のような」、、、って。明石は、福岡藩出身の軍人で、ロシアに着任すると、ドイツ語、フランス語、ロシア語を次々とマスターしていく。そして、「露国史」という長文エッセイにして、ロシア観察を参謀本部へ報告する。各国を転々としながら、地下組織ともつながって情報を得ていく。ポーランドフィンランドなどのロシア周辺国は、ロシアから侵攻されてきたので、日本も自分たちと同じ運命に陥ることに共感してくれていた。だから、それらの国の活動家たちにとって明石は同志だったのだ。そして、明石は彼らの活動に協力しつつ、彼らからロシアの情報を得ていく。それは、日本にとっては大きな意味があった。ただ、、、明石の実力ではなく、時代の流れだった、、、って。たまたま明石だった。でも、語学堪能とか、見た目はスパイらしくないとか、、それはそれで明石の実力だろう。

ちなみに、明石がまなんだロシア語として「Valdivostok ウラジオストックが出てくる。日本からすぐそばのロシアの地名だ。それは、「東(vostock)を征服せよ」という意味だそうだ・・・。

 

また、
ロシアとポーランドの関係は、歴史時代における日本と朝鮮の関係にやや似ている”という一文がでてくる。日本が朝鮮を通じて大陸の文化を学んでいったように、ロシアはポーランドを通じてヨーロッパの文化を取り入れていった。だのに、、、近代化した日本は朝鮮を併合しようとし、ロシアはポーランドを併合しようとした・・・。そして、両国間に悲惨な歴史をつくってしまった・・・。
おっと、、、これは、、まさに今なお続く、日本と韓国との歴史問題、ロシアと周辺国、ウクライナでつづく戦争、、、。


当時のロシアは、皇帝ニコライ2世帝政ロシア最後の皇帝)による専制国家。独裁体制であり、アメリカのルーズヴェルトは「専制国家がかつはずがない」という見方で、日露戦争はロシアが自滅するとよんでいた。

ロシア皇帝のような絶対的独裁権力者のもとでは、軍隊ですら「敵をつぶす」ことより、「皇帝にきらわれない」ことを重視した。そういう、くさりきった組織になっていたのが当時のロシアだったのだ。

 

当時の日本の戦争に対する姿勢は、「江戸期」という長期の平和時代の影響を受けていて、軍事についての感覚の鋭敏さを失っていた。それでも、ロシアの独裁体制とはちがって、国内での評判をきにすることなく、「敵をつぶす」に専念することができた。

戦力は、軍人の数も、武器の数もロシアが上回っていた。日本軍、乃木軍も好古も、ずっと兵力不足、武器不足に悩まされながら戦ったのだ。実際、死者は日本の方が多い。武器で日本がロシアを上回っていたのは、機関銃の数くらいで、でもそれが威力を発揮した。

 

鎮海湾では、東郷平八郎らが再び西の海へ出発していく。船には真之も乗っている。出発の際の「軍楽隊」の演奏の話が。なんでも、軍隊で楽隊をつくるというのは、薩英戦争のときに、イギリス軍が音楽で士気を高めているのをみた薩摩藩が「あれはよかもんじゃった」といって、真似をしたのが最初らしい。そして、戦艦三笠でも、呉をでて江田島佐世保と海を回った船で「軍楽隊」が演奏をしたらしい。

 

印度洋では、ふたたび、マダガスカル島で足止めを食っているバルチック艦隊。2か月も投錨していたので、船のそこには海藻やら貝殻やらがくっつく。それは、船の推進力を疎外するので、こまめな掃除が必須だった、と。そういえば、今どきの船は、それらがくっつかないように、なんらかの薬剤入り塗料がぬられる。

 

北上した日本陸軍だったけれど、日本はこのままでは財政的滅亡に追い込まれかねないくらい、財政的にひっ迫していた。戦いが長引くほど、財政の危機的状況は悪化する。クロパトキン率いるロシアの30万人の兵に対して、日本軍は20万人。しかも、すでに多くの兵士を失っており、補充されてくる兵士は年寄りばかり、、、。すでに日本軍の質は、開戦当時から大きく下がってしまっていた。お金はなくなる。春になると陸はぬかるんで移動も困難になる。はやく、はやく、戦いを始めなくては!!という状況にあった日本は、クロパトキンよりわずか数日早く進撃を開始。兵力不足の中、好古も、乃木軍も日本軍全体の囮となってロシア軍を惹きつける。クロパトキンは、日本の作戦に翻弄させられる。児玉源太郎は、クロパトキンの「恐怖性質」つまりは怖がりで、日本軍を実際より大軍と思い込んで右往左往するであろうことを見込んで、奉天の作戦を展開した。クロパトキンは、まんまと、、、翻弄される。ほんの3万しかいない乃木軍を、クロパトキンは10万の兵を思い込んで恐れた。

好古は、進んでは止まり、進んでは止まり、深追いせずに騎兵隊を少しずつすすめていく。クロパトキンには、これも恐怖だった。

ロシア軍から逃げてきた兵士と好古がばったり出くわすシーンがある。好古の「ああ、あいつはマツヤマか」というセリフ。当時、「松山」に、ロシア人捕虜の収容所があった。その当時の日本政府は、日本が未開国ではないことを世界にしってもらいたいという外交上の理由で戦時捕虜の取り扱いについて国際法の優等生だった、のだそうだ。

松山に収容所とは、、、。しらなかった。

 

第五巻は、奉天の戦い途中まで。
好古は、やっぱり、戦地でも「シナ酒」を飲んでいる。

戦争と好古の大胆不敵な行動とが、、、おもしろい。 

 

またちょっと、時代の出来事が頭の中でつながってきた。

読書は、楽しい。

 

 

『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』 by 藤永茂

ロバート・オッペンハイマー
愚者としての科学者
藤永茂
ちくま学芸文庫
2021年8月10日、第1刷発行

 

映画を観た後、オッペンハイマーについて、もっと知りたくなって、図書館で検索して出てきた本。

megureca.hatenablog.com

いくつか予約が入っていて、借りられるまでに時間がかかった。2021年と比較的新しい。単行本は、もっと前の様だけれど。


著者の藤永さんは、1926年、中国長春生まれ。九州帝国大学理学部物理学科卒業、京都大学で理学博士の学位を取得。九州大学教授を経てカナダ・アルバータ大学教授就任。現在同大学名誉教授。これは、戦争を経験した物理学者が書いた、オッペンハイマーの本。藤永さんのお兄さんは、長崎で被爆している。

 

裏の説明には、
理論物理学者のロバート・オッペンハイマーは、ロス・アラモス研究所初代所長としてマンハッタン計画を主導し、広島、長崎に災厄をもたらした原子爆弾を生み出した。その結果、「原爆の父」と呼ばれるようになるが、彼自身は名声の陰で原爆のもたらした被害、さらに強力な兵器「水爆」の誕生につながる可能性があることに罪の意識を抱き、その開発に反対の意思を表明していた。本書は、これまでに数多く書かれたオッペンハイマー伝をつぶさに再検討し、その多くに異を唱える。豊富な史料をもとに、彼の足跡を丹念に辿り、政治に翻弄され、欺かれた科学者の実像に迫る。”
とある。

 

目次
序 オッペンハイマーを知っているか?
1 優等生
2 救いと物理学
3 美しき日々
4 核分裂連鎖反応
5 ロスアラモス
6 トリニティ、広島、長崎
7 プルーデンスに欠けた男
8 核国際管理の夢
9 戦略爆撃反対
10 オッペンハイマー聴聞
11 物理学者の罪
12 晩年
おわりに

 

感想。
う~ん、すごい!
最初に、これを読めばよかった。

 

たしかに、これまでに読んだオッペンハイマーの本とは、ちょっと違う。本当に、つぶさに資料を確認しているところ、そして、オッペンハイマーを語る上で欠かせない当時の物理学の発展と原子爆弾開発にいたった経緯。そして、その後。。。

これは、一番、参考になったかもしれない。映画を観る前に読んでおくべきだった。

 

中沢志保の『オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆に反対したか』よりも、
アブラハム・ パイスの『物理学者たちの20世紀 ボーア、アインシュタインオッペンハイマーの思い出』よりも、、、ダントツに、しっかり、オッペンハイマーを客観的に評価している、ような気がする。

megureca.hatenablog.com

megureca.hatenablog.com

 

著者の藤永さん自身が、物理学者として、科学者の運命というのか政治的関わりというのか、「物理学は悪くない」と言っていいのか??と疑問を持ちつつ、だからこそオッペンハイマーを擁護するのでもなく、悪魔にしたてるのでもなく、冷静に歴史的事実を見つめている。

 

文庫本で、447ページ。決して薄い本ではない。でも、序をよんで、この本はしっかり読もう、って思った。

 

序で、映画『ジュラシックパーク』でいやな野郎としてでてくるネドリーという男が、オッペンハイマーの肖像写真を飾っているシーンがあるという話から始まる。

そして、

オッペンハイマーの科学者の社会的責任が問われるときには、ほとんど必ず引き出される。必ずネガティブな意味で、つまり悪しき科学者のシンボルとして登場する。オッペンハイマーに対置される名前はレオ・シラードである。シラードは、科学者の良心の権化、「あるべき科学者の理想像」として登場する。このお決まりの明快な構図に、あるうさん臭さをかぎつけた時から、私の視野の中で原水爆問題を必要に積み込んできた霧が少しずつ始めたのであった。”

と、あるのを読んで、おぉぉ、なるほど!と思った。


そして、誰かひとりを悪者に仕立てて、貶める必要はどこから生じるのか、という問いに対して、

私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そして犯し続けている犯罪をそっくり押し付けることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。”、と。

まさに!!膝を打った。私の中のモヤモヤを明文化してくれている!!

 

私自身、何か事が起きた時に、誰かを犯人にしようとする執拗な人間の本性というのか、犯人捜しを楽しむ人に嫌悪感のようなモノを感じている。もちろん、悪は悪として裁かれる必要はあるかもしれないけれど、誰かを悪者に仕立てる時、私たちは「自分は悪ではない」という認識の甘美に溺れていないだろうか、と思うのだ。だれにでも、嫉妬心や妬みのこころはあるだろうし、他者から見れば「悪」の側面だってあるかもしれない。でも、「〇〇さんは悪い人です」ということで、自分は悪い人ではないということとすり替えて「善き人」である自分で酔っているというのか、、、、しかも、社会的に「〇〇さんは悪い人です」といわれれば、、、そういわれていな自分に、社会的安全を思ったり、、、してないだろうか。

と、読み進めていくと、まさに!という著者の言葉に出会った。

 

”「人は人に対して狼なり」と言う西洋の古い格言がある。人間が人間に対して非情残忍であることを意味する。しかし狼は非情残忍な動物ではない。狼に対して失礼と言うものである。「人は人に対して人なり」と言うべきであろうと、私は思う。人間ほど同類に対して、残酷非情であり得る動物はない。人間が人間に対して加えてきた筆舌に尽くしがたい暴虐の数々は、歴史に記録されている。それは不動の事実であり、人間についての失うことのできない確かな知識である。
 オッペンハイマーの生涯に長い間こだわり続けることによって、私は、広島、長崎をもたらしたのは、私たち人間であると言う簡単な答えに到達しました。私にとってこれは不毛な答え、責任の所在を曖昧にする答えでけしてなかった。むしろ私はこの答えから私の責任を明確に把握することができた。”

とある。

う~~ん、この序を読んだだけでも、読んでよかったと思った。

 

そして、1から12まで、オッペンハイマーの生涯のはなしと、当時の物理学、量子力学の発展のはなしが続く。

 

量子力学の話の中では、どのようにして核分裂の現象が確認されたのか、原子爆弾はどのような仕組みなのか、といった科学の専門的話も含まれる。原爆は核分裂連鎖反応」によって、巨大なパワーを生み出すのだが、その仕組みについても詳しく解説されている。わりと、わかりやすいと思う。爆弾としての構造についても、イラスト付きで説明されている。

 

そして、オッペンハイマーの生涯にわたって友だった人たちの様子や、友から敵に変わっていった人、あるいは、敵になるつもりはなかったのだろうけれど保身に走ったために敵になったひと。まっすぐで素直で、頭脳明晰で、出会った人を虜にしてしまう魅力がオッペンハイマーにはあったこと。本書を通じて感じられるのは、オッペンハイマーは、やはり、1人の優秀な物理学者だったのだということ。それに対して、テラー(水爆推進に走った)やシラードについてはかなり批判的な事が書かれている。世間では、良心の権化といわれるシラードが、自己保身に走っただけ、という表現をされている。たしかに、シラードは、原爆が落とされる前に「原爆反対」を訴えた。「フランク報告」に連盟をつらねた。でも、軍に無視されると、あとは保身に走った。かれがやりたかったのは「物理学者とし原爆使用に反対した」という記録を残すことだけだった、と。それに比べて、フランクは、拒絶されても拒絶されても、様々な形で政府、軍へ原爆反対を訴えた。地道な活動は、多くは知られていない。だから、ひとは、シラードを良心の権化と信じてしまう。。。。

うわぁ、、、、、と、考えさせられることがいっぱいあった。

 

そして、高校生からハーバード大学への進学過程で、一年病気で療養していたこと、ヨーロッパに渡って、ニールス・ボーア、ラザフェード、パウリ、ハイゼンベルクと共に、物理を語り合った日々のことなど、オッペンハイマ―の青春と当時の物理学の発展が語られる。

オッペンハイマーゲッチンゲン大学で学んでいた頃、同大学の哲学はフッサールに続いてハイデッガーの時代に入ったころ。1920年代、世の中は大きく動いていたということ。

1929年アメリカに帰国、1936年、オッペンハイマーは32歳でバークレーとパサディなの正教授の地位となる。

1939年フリッシュは、核分裂を物理学的実験でたしかめ、はじめて分裂(fission)
という用語が使われた。だれもが、不可能だと思っていた核分裂が可能なものと認識された。

そして、原爆開発が始まる。1941年10月9日、アメリカが原爆を製造する運命が決定された。実は、日本でも、1941年、航空技術研究所長安田武雄中将が理化学研究所に「原爆の研究」を正式に依頼している。

 

しらなかった、、、。幸か不幸か、、、、。

 

そして、ロスアラモスの話へ。そこで、広島に投下された「リトルボーイ」(ウラン原爆)も長崎に投下された「ファットマン」(プルトニウム原爆)も開発されることとなる。ロスアラモスの有刺鉄線の中で働いた人の数だけでも、6000人。

 

著者は、ハンア・アレントの「悪の陳腐さ」が、ここにもあるという。そして、有刺鉄線の中で働いた人間たちには原爆地獄への想像力が欠けていた、と。

 

人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターになる。このことが他人事ではないという自覚から、私はオッペンハイマーという「モンスター」について書き続けているのである。”と。

 

うむ。

人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターになる。

まさに・・・。

 

そして、実際には「原爆開発中止」とならなかったのは、だれもが心のなかに「原爆が果たしてうまくいくかどうか見届けたい」というファウスト的な焦がれる想いがあった、という証言もでてくる。それを愚者という、、、のか。

 

実は、ナチス・ドイツが敗北したとき、ロスアラモスからさった科学者が一人だけいた。ジョセフ・ロートブラット。ポーランド出身の科学者は、戦争には加担したくないと、退所を申し出た。最初は、ソ連スパイと接触する恐れありとして、退所させてもらえなかったが、条件付きでアメリカを去っていった。その後、ロンドン大学の物理学教授となり、核兵器と戦争の廃絶をめざす科学者たちのパグウォッシュ会議の書記長を17年にわたって務め、1995年ノーベル平和賞を受けた。

しらなかった。そういう人もいたんだ。

 

でも、多くは、ドイツ降伏後も、原爆開発を続けた。最初は、ナチスより先に開発することが目的だったはずなのに、そのナチスがなきものになったのに・・・。科学者のエゴ。悪魔。想像力の欠如。でも、それは、本当に、誰にでも起こりえる。

 

オッペンハイマーが最終的には、社会から排除されてしまう理由について、「彼は徹底的に正直だった」と表現している。ロスアラモスで一緒に研究した人の多くは、オッペンハイマーに感謝している。オッペンハイマーは、決して保身に走るような人間ではなかった。最後まで、負け戦と分かっている裁判も、正直に戦った。愚直なまでに正直だったのだ、、、。

 

また、色々いわれている妻のキャシーについても、「彼女に身に備わった魅力とその率直さを愛し、彼女の数々の長所を愛でた人も多かった」との話も。

 

戦後のアメリカの原子力政策を支配した原子力委員会の成立にまつわるメイージョンソン法案オッペンハイマーフェルミ、ローレンスなどが賛成)とマクマホン法案(レオ・シラードなどが賛成)の対立では、軍管理なのか民間管理かということで意見がわれた。この時、オッペンハイマーは、軍管理に賛成をしているのは、管理法がさだまらないよりはましだから、という理由だったらしい。本当は、開かれた開発を望んでいた。それは、ニールス・ボーアの思想と同じだった。

 

ニールス・ボーアは、コペンハーゲンの研究所を拠点として、世界中の物理学者が分け隔てなく開かれた国際的コミュニティ―をつくることをに意識的な努力を傾けてきた。それは、核開発とて同じこと。国家権力の政治理論が要求する「秘密の壁」を受容することはできない、と考えた。オッペンハイマーは、ボーアと同じ路線で国際的な核の管理をめざしたのだ。しかし、ことは、そう簡単にはすすまなかった。

 

そして、現在に至る、核の脅威。。。

愚かさ。

それもまた、想像力の欠如によるのだろう。。

 

読み応えのある良い本だった。

 

人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターになる。

 

戦争の話だけではない。

いじめも、パワハラも、あるいは毒親も、虐待も、、、 

 

う~ん、良い本だ。

物理学を学ぶ若者に、科学者をめざす若者に、読んでほしい。

 

 

『おおきなかぶ』  ロシア民話

おおきなかぶ

ロシア民話
A・トルストイ 再話
内田莉莎子 訳
佐藤忠良 画
福音館書店
1962年5月1日 こどものとも発行
2004年3月10日 第116刷

 

これも、『世界を開く 60冊の絵本』(中川素子、平凡社新書)から。

megureca.hatenablog.com

 

手にした瞬間、なつかしぃぃぃぃ~~~。
そうそう、この横に長い形だよね。

第116刷って、すごい。

 

おじいさんが かぶを うえました。
あまい げんきのよい とてつもなくおおきい かぶができました。

おじいさんが抜こうとしても、抜けない!
そして、次々に助っ人が。

おじいさん、おばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみ、

やっと、かぶはぬけました。

 

ただ、それだけ、、、、。


おじいさんは、おばあさんを呼び、
おばあさんは、まごを呼び、
まごは、犬を呼び
犬は、猫を呼び
猫は、ねずみを呼び。

 

みんなが数珠つなぎになってかぶを引っ張っている姿、細かく見ると楽しい。最後がねずみっていうのもいい。いちばん、みんなの中では、ちびっこのねずみだけれど、そのひと力が加わって、みごとにかぶは抜ける。

 

『おおきなかぶ』は、何度も読んだことがある。しかも、やっぱり、この絵本だ。絵は佐藤忠良だから、日本人がかいたロシア人?!のおじいさん、おばあさん、まご。

最後に、かぶがぬけたことを喜んで肩を組んでおどっているおじいさんとおばあさんは、ほんと、ロシア人っぽい。。。しかも、はしゃいでいるロシア人。って、私が直接知っているロシア人はモスクワの科学者たちだけど、かれらも、嬉しい時は踊る・・・。

 

かぶの姿形は、日本のかぶといっしょかな?!

かぶの葉っぱの付け根のあたりの描き方は、すばらしく写実的でもある。美味しそうでもある。この絵のすばらしさに、佐藤忠良って、だれだ??っておもって調べてみたら、なんだ!あの彫刻家の佐藤忠良じゃないか!!!

 

2023年に神奈川県立近代美術館で開催された「生誕110年 傑作誕生・佐藤忠良」企画展のHPに、次のような説明があった。

”戦後日本彫刻史に大きな足跡を残した彫刻家・佐藤忠良(1912−2011)。東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫刻を学び、従軍とシベリア抑留を経て復員したのちは、新制作派協会(現・新制作協会)を基点に一貫して具象彫刻の道を歩みました。また、力強く現実感をたたえた素描力を生かし、絵本や挿絵でも広く活躍しています。”

だって!!そして、『おおきなかぶ』についても言及されていた。

彫刻作品の『帽子・夏』は、きっと教科書でもでていたのではないか、と思う。

 

そうか、、、シベリア抑留を経験しているから、ロシア人をよく知っていたのか・・・。

 

うん。

すばらしい絵本だ。

 

ちいさなねずみのひと助けが加わって、みごとにかぶはぬける。

もう一声、もう踏ん張り、もう少し、もう少し。

 

あらゆることの達成には、最後の一歩がある。

最後の頑張り。

 

まぁ、、、がんばっても、がんばっても、、、ってこともあるけどね。

 

下世話な話だと、ゴルフだってドライバーで250ヤード飛ばしても、最後の1パットなくしてそのホールは終わらない。10cmでも外せば、終わらない。。。250ヤードも、10cmも、1打は、1打。

 

スタートダッシュがどんなに良くても、最後の一歩がないと、ね。

 

「ラスト1マイル」という言葉もある。どんなに素晴らしい配送網があっても、お客さんの手に届くまでのラスト1マイル。

 

仕上げの一歩、大事だね。

それが、小さな一歩でも。

 

 

 

 

ウクライナ民話 『てぶくろ』

ウクライナ民話 てぶくろ
エウゲーニ・M・ラチョフ え
うちだりさこ やく
福音館書店発行
1965年11月1日 発行
1979年12月15日 第39刷

 

谷川俊太郎の『かないくん』を読んでから、結局購入した『世界を開く 60冊の絵本』(中川素子、平凡社新書) の最初のページで紹介されていた絵本。

megureca.hatenablog.com

 

その「まえがき」で、

”2022年2月24日 ロシアが ウクライナへ軍事侵攻を始めた。世界戦争を呼び起こすかもしれない恐れのある侵攻が、いくつかのメディアで取り上げられていた。
 その中で、人間が落とした手袋の中に、次々と動物が入り、狭いながらも仲良く過ごすウクライナ民話『てぶくろ』(エウゲーニー・M・ラチョフ絵、うちだりさこ訳、福音館書店、1965年)と、巨大なかぶがなかなか抜けず、家族や動物みんなで力を合わせ、かぶ抜くことができた『おおきなかぶ』(A・トルストイ(再話)、内田莉莎子訳、佐藤忠良画、福音館書店、1962年)の2冊が引き合いに出されていた。この二つの物語は、他の画家による絵本も何種類かあるが、取り上げられていたのは、ラチョフと佐藤忠良の絵による絵本が多かったように思う。”と。

 

どっちも、お話は知っている。でも、この機会にもう一度、、、と思って図書館で借りて読み直してみた。

手にした瞬間、懐かしい・・・・。ざっくりとは覚えていたけれど、でてくる動物の種類、名前、順番なんて、覚えていなかった。

 

ざっくりとした内容は、次のとおり。

おじいさんが子犬をつれて、森をあるいている途中、手袋を片方おとす。

ねずみがその手袋みつけると、もぐりこんでいいました。
「ここで暮らすことにするわ」

そこにかえるがぴょんぴょん。
「わたしもいれて」

うさぎがはしってきました。
「ぼくもいれてよ」

きつねがやってきました。
「わたしもいれて」

おおかみがきました。
「おれもいれてくれ」

もう、これで五ひき。

いのししがやってきました。
「わたしもいれてくれ」

もう、これで六ひき。

くまがやってきました。
「わしもいれてくれ」

てぶくろはいまにもはじけそう。

 

手袋を落としたことに気がついたおじいさんは子犬を連れて戻ることに。
子犬は、先にかけていきました。
どんどんかけていくと、てぶくろがありました。
てぶくろは、むくむく、うごいています。
子犬は「わん、わん、わん」とほえたてました。
みんなは、びっくりして、手袋から這い出すと、森のあちこちへ、にげていきました。
そこへ、おじいさんがやってきて、手袋をひろいました。

THE END.

 

くいしんぼうねずみ、ぴょんぴょんがえる、はやあしうさぎ、おしゃれぎつね、はいいろおおかみ、きばもちのいのしし、のっそりぐま、、、。みんな仲良く手袋におさまっている。いやいや、じつは、くまがいれてくれと交渉している場面まで。パツパツの手袋は、お家に仕立てられて、窓までつくっちゃって、、、なかなか、壮観である。

おじいさん、どんだけおっきな手してたのか。。。

みんな仲良く、、、ね。

 

そして、最後は、普通の手袋の絵で終わる。雪の上に片手のミトン手袋。そこには、動物たちの気配はない。雪の静けさだけが描かれる。

 

そうか、これはウクライナ民話なんだね。子犬のわんわんわん、で離散してしまった手袋の中の動物たち、、、。
寒い・・・。

 

表紙の明るいイメージ、お話の楽し気な内容、そして、最後に雪の中に落ちているミトンの寒々しさ。メディアが、どう取り上げていたのかは知らないけれど、ウクライナ、ロシア、東欧のすべての街に、平穏な日々が早く戻りますように・・・・。

 

この絵本も、ロシアのウクライナ侵攻という出来事がなければ、読み直すことはなかったかもしれない。。。

 

読み継がれる本は、やっぱり、何かを語ってくれる。

絵本は、深い。

 

 

『 高校生のための現代思想 ベーシック 』  筑摩書房

ちくま評論入門【二訂版】
高校生のための現代思想 ベーシック
岩間輝生: 元東京都立高等学校教諭
太田瑞穂 :東京都立西高等学校
坂口浩一 : 東京都立小山台高等学校
関口隆一 :筑波大学附属駒場高等学校
筑摩書房
2021年11月20日 初版 第1刷発行

 

現代思想を勉強しようと思ったわけではなく、 丸山眞男に関する本を図書館で検索していたら出てきた本。とある勉強会のテーマで、丸山眞男が話題になったので。しかし、書架を探しても見つからず、係りの人と一緒になって探してみた。検索で出てきたのとはちょっと違うかも?でも、きっとこれです、といわれて手にしたのが本書。

高校の教科書というか、副読本なんだろうか?
「高校生のための、、、、」となっている。

 

はじめにでは、
” この本は自分の頭で考えようとする若い人々のために、その思考を豊かで確かな場所に導くことを願って編んだものである。(中略)人間は自己と世界を深く考えることで自由になる。この本が若い人々の思考が目覚める場となれば 弊者たちの喜びはそこに尽きる。”と。

ほほぉぉぉ。。。高校生の時に出会ってみたかった一冊かもしれない。

 

そして、
” 評論とは何だろうか。 およそ言葉というものは、対象を、描くか、 歌うか、 論じるか、に大別できる。 小説は描く、詩は歌う、 評論は論じるのである。評論は、 その主題を分析することによって読者にそれを我がものとして考えさせる文章である。 評論は耳に訴えるのではなく、目に訴える。 目を通して頭に訴え、そして初めて心に働く 文章である。 頭とは、理非曲直を見分ける判断力、あるいは理性である。評論は理解に関わらない雄弁や美的な装飾を嫌う。 評論は感情ではなく、理性に訴えるから読者を考える人間に返す。 この世界で必要とされる資質は自分の頭で考えようとする意欲と、自由な人間であることを恐れない勇気である。”

ほほぉぉぉ・・・・
高校生の時に出会ったら、どう感じたかな。
今こうして目にすると、まさに、目に訴えられ、頭に響き、うんうん、と頷きたくなる。

そして、はじめには、
”最後に、評論は、 人の置かれた様々な制約を超えて理性による合意を深め、友情を求める声であることを強調しよう。 世界はその現実が危機的であるほど、友情と共感を求めている。この本は 友情を求める様々な声でできているのである。”

へぇ、、、、。

 

目次
はじめに
この本の構成と使い方
第一部 評論への招待
第二部
 第一章 〈私〉の中の〈世界〉 問いかける言葉
 第二章 〈他者〉と向き合う 呼びかける言葉
 第三章 AIと人間 究める言葉
 第四章 都市という現象  広がる 言葉
 第五章 〈世界〉の中の〈私〉 関わる言葉
 第六章 芸術の創造力 形づくる言葉
 第七章 ことば、この人間的なもの ことばの言葉
 第八章 問いとしての現代 考える言葉
 第九章 明日の世界を構想する みちびく言葉

 

感想。
面白い。
そうか、そんな風に解析しながら読んだことなかった。こういうスキルというか技というか、、、高校生の時に学んでいたら、もっと新書などを理解するのに役に立ったかもしれない。私は、高校のときに何を学んだんだろう?しかも、これは、現代語の授業にあたるのか?哲学とか倫理の授業はあったけど、そこで論じられていることをどのように「読む」のかのスキルを習った記憶はない。
一方で、習わなくても、自然と身についてきたことのようにも思う。。。

 

第一部では、評論文を読むためのスキル。第二部では、具体的にどう読むのか、注釈や問題と解答の形で実際の評論文を題材に解説がされている。取り上げられている評論文そのものも面白いし、その解説も面白い。

 

第二部は、ほとんど読み飛ばし。丸山眞男のところだけはしっかり読んでみた。解説を読まずしても、自然とそう読んでいる。一応、我流でも評論文を読めているらしい。

 

第一部のスキルについてちょっと覚書。

・表論文の読解に必要なこと。
 what:筆者の主張を理解する。
 How:論の構造を理解する。

 

・表論文構造のいろいろ
 ① 序論 本論 結論 型
 ② 起承転結 型:序論 本論 結論、演繹型と帰納

 

・構造を示す言葉、記号
 指示語:あれ、それ、これ、、、、が何を指すのか
 接続詞:そして、しかし、だが、、、
 形式段落

 

・結論につながる言葉
  つまり~
  まとめて言えば、~
 ~ に違いない
 ~と言える

 

・構造をなすもの
 ①  段落相互の関係
 ② 対比
 ③ 具体と抽象
 ④  レトリック (比喩)

 

レトリックの色々(修辞法)
 隠喩:例「人間は考える葦である」
 直喩:例「 彼はドンキホーテのようだ」
 換喩:連想させる。赤い頭巾をかぶった少女を「赤ずきんちゃん」とよぶ
 擬人法: 抽象、無生物に人間としての性質を与える。例「 社会は病んでいる」
 提喩:類と種の比喩。「花見に行く」の花=桜

 

表論文を読んでいると、矛盾する主張にでくわすことがあるけれど、より高いレベルでは活用されていることがある。それをアウフヘーベンという。

 

” ドイツの哲学者ヘーゲルは矛盾する概念をより高い段階で統一し、生かすことを止揚アウフヘーベン」と呼んだ。”

 

アウフヘーベンって、普段の会話では使わないと思うのだが、勉強会で時々耳にする。

「それをどうアウフヘーベンするかってことですよね」とか。。。

こんな風にきくと、私は赤面してしまう・・・・。日本語使えよ!!って。難しい言葉をつかうって、恥ずかしいこと、、、って感じる私がおかしいのだろうか。まぁ、他に置き換えようのない言葉が無ければしかたがないし、そこにいる全員が共有している専門用語なら、、、ね。 Jargonってやつ。

 

ちなみに、本書の中で、小林秀雄の『無常ということ』、丸山眞男の『 現代における人間と政治』が取り上げられていた。他には、伊藤亜紗福岡伸一、ブレディみかこ、加藤周一上野千鶴子内田樹、、、、、たくさんの人の評論が教材として取り上げられている。気になるものだけ読んでも楽しいかも。私は、読み飛ばしたけど、、ね。

 

加藤周一の『日本文化における時間と空間』からの抜粋も、なかなか面白い。
” 文化は外部のどこかにあるのではない。 立ち居振る舞いから無意識の考えに至るまで浸透している。 だから、死んだものが生きているものを支配することにもなるだろう。私たちが 文化への明察を書くならば。”
日本の文化は、 行為が社会にどういう結果を及ぼしたか(結果責任)よりも、当事者がどういう意図を持って行動したか(意図の善悪)が話の中心になる。” 

 

なるほど、これは、どちらかというとWEIRDな人達と近い。

megureca.hatenablog.com

 

なかなか、楽しめる一冊。じっくりは読まなかったけれど、手元に置いておいてもいいかも、と思った。しかも、教科書だからなのか、なんと1000円(税抜き)!かなりお得感がある。

 

 



『やまなし』 作:宮沢賢治、画:小林敏也

画本 宮沢賢治 やまなし

作 宮沢賢治
画 小林敏也
山猫通信社制作
好学社刊
2013年10月2日 第一刷発行

 

先日、理論社の『やまなし』(原作:宮沢賢治、絵と構成:武田美穂 2024年2月)を読んだ。ポップで、現代的な作品だな、って感じがした。

megureca.hatenablog.com

 

コメントで、小林敏也さんの絵の本を紹介いただいたので、図書館で借りてみた。

(ご紹介、ありがとうございます!)

こうも違うのか、、、、。

こっちは、かわいいというより、素敵。

 

もちろん、お話は同じ。でも、本作品は、縦書きであり、絵もシンプルな細い線と、一定の彩度で一つ一つの線が描かれているので、モノトーンをおもわせるような静けさを感じる。

かつ、黒い紙面に、白抜きの文字。
文字は文字、画は画と、かき分けられているので、それぞれ独立している。

 

これは、、、、大人だ。

黒い紙面であるぶん、川の水の中の静けさ、穏やかさを感じる。そして、そこに突然空からやってくる鳥や花びらややまなし。

 

絵本も、構成や絵によって、これほどまでに印象が変わるのか、、、という気がした。

理論社の『やまなし』は、おにいちゃんカニに負けじと大きな泡をだそうとする弟カニが主役のような気がしたのだけれど、好学社の本作は、川そのものが主役で、助演男優賞カニのお父さん、って感じ。

 

絵本って、面白いなぁ。
深いなぁ。。。

編集の仕事と一言で言っても、ほんとに幅広いのだね。。。。写真集や図録っていうのもまたちょっと違うし、仕事として興味を持ったことはなかったけれど、面白い。

 

以前読んだ、『本を味方につける本』で、本の物理的な構成も面白いと思ったけれど、編集もまた、面白い。

megureca.hatenablog.com

 

イエローサブマリーンのヨットパーカーの少年のように、一日に何冊も本が読めたらいいけど、私にはそんなことはできない。だからこそ、読む一冊を大事にしよう。。。

megureca.hatenablog.com

 

そんなことを思った。

 

絵本も、いいね。

 

本も絵本も、旅でもなんでもそうかもしれないけれど、同じものでも繰り返し経験していると、気が付かなかったものがみえてくることがある。

 

前に、同じ本を数十回以上読んでいると、自分で書いた本のような気がしてくる、と言っていた人がいた。(それは、ビジネススクールで教本としていた『信念に生きる ネルソン・マンデラの行動哲学』という本だった)。そこまでの境地に至ったことはないけれど、読み直し、学び直しは、遊び直し、習い直し、、、それが楽しめるのは、中年以降の特権かもしれない。

 

本なら気軽に何度でも読める。

やっぱり、読書は楽しい。

 

 

『物理学者たちの20世紀』by  アブラハム・ パイス

物理学者たちの20世紀
ボーア、アインシュタインオッペンハイマーの思い出
アブラハム・ パイス 
杉山滋郎・伊藤伸子 訳

朝日新聞社
2004年1月30日 第一刷発行
A Tale of Two Continents (1997)

 

映画『オッペンハイマー』を観た後、図書館でオッペンハイマーについての本を検索していたら出てきた本。

megureca.hatenablog.com

 

すごい分厚い・・・。一瞬、どうしようか迷ったけれど、パラパラ読みしてみるか、と借りてみた。

 

751ページプラス索引の単行本。厚さ4㎝。表紙には、さまざまな物理学者たちの写真が並ぶ。裏にも。

 

著者のアブラハム ・パイスは、1918年、アムステルダム 生まれのユダヤユトレヒト大学で物理学の学位を得る。 ゲシュタポ に逮捕されるが、九死に一生を得る 。戦後、コペンハーゲンニールス・ボーアのもとで研究したあとアメリカのプリンストン高等研究所に移り、アインシュタインとも親交を持つ。その後、ロックフェラー大学教授を経て、 1970年代から科学史家として活躍。2000年没。

 

物理学者というのは、こういう自伝記をかきたくなるものなのだろうか、、、、。本書は、日本語のタイトルは『物理学者たちの20世紀』となっているけれど、元タイトルの通り、パイスの2大陸での経験自伝物語である。最初は自伝のようなモノは書く気が無かったけれど、奥さんに薦められたこと、物語を自分中心ではなく自分が経験した出来事に主軸をおいて書くというアイディアが浮かび、取り掛かることにしたのだと、プロローグで説明している。

 

本書は、借りてはみたものの、全部は読むつもりがなかった。オッペンハイマーのところだけ読もうと思った。でも、読みだしたら意外と面白かった。。。1918年生まれのユダヤ人、つまり、ナチスの迫害を受けた経験をもつ物理学者の自伝。ちょっと、歴史の勉強をしているような感じだった。ただ、戦争の前後は読むに堪えないくらい、、、。

 

オランダにいるユダヤ人の由来は16世紀にまでさかのぼる。さらには、スペイン在住のユダヤ人やアラブ人の黄金時代であった13~14世紀にまで言及がある。ユダヤの歴史は深すぎて、、、まだまだ、理解が追い付かない。

 

戦争の話では、仲間のユダヤ人にはガス室行きになった人も。家族も・・・・。Two Continentsというのは、生まれ育ったヨーロッパと、戦後に移動したアメリカ、ということ。アインシュタインオッペンハイマーとの話は、アメリカでのこと。そういう、ざっくりとした時代の流れを掴める程度に、さーーっと読み飛ばした。話は、実に多岐にわたる。パイス自身についても興味があれば、ちゃんと読んだかもしれないけど、、、今回は、パス。さらさらっと。。。。

 

目次
第一部 ヨーローッパ
1 家系
2 幼少時代
3 アムステルダムで学士に
4  音楽、映画、その他の娯楽
5 シオニズムと最初の接触
6  ユトレヒト 科学修士と博士
7 戦争
8  占領下のオランダ
9 ショア
10 家族と私の戦時下の経験
11  戦争の余波 オランダ史の最終章
12  オランダでの最後の数ヶ月
13  ニールス・ボーアと知り合いに

第二部 アメリ
14 アメリカについて語るとき
15 アメリカ、1946年
16 アインシュタイン や 新しい友人たちが登場
17 オペンハイマーが研究所長に、私は長期研究員に
18 オッペンハイマー  複雑な人となりを垣間見る
19 私の仕事がはっきりとしてくる
20 予想外の新しい物理学、旧友達、大旅行
21 理論素粒子物理学の始まり、 野球の歴史を少し、二度の長い夏旅行について
22 対称性と生涯最長の旅について
23 グリニチヴィレッジ、アメリカ市民権、そしてオペンハイマー 事件
24 最良の仕事と一年におよぶ休暇  アインシュタインの死
25  ロシアへの初旅行、 そして最初の結婚
26 ジョシュア登場  1950年代の結末
27 大変化の時期 1960年代初め
28  仕事場所を プリンストンからニューヨークへ移す
29 1960年代後半に 私の身に起きたこと
30 1970年代
31 転業
32 最後の日々 きょうまでのところ
33 近づく新世紀


感想。
っていうほど、、、読み込んではいない。が、長い・・・・。これは、どんな人が通読するのかなぁ、、、なんておもいつつ。

ただ、ボーア、アインシュタインオッペンハイマーと同じ時代を生きた人であり、科学史家に転身したというのだから、歴史をまとめてくれている感はある。
時に、詩的な表現もあるけれど、人に対する表現は結構、辛辣。

 

オッペンハイマーについても、扱いにくい人だったように読み取れる。それでいって、まっすぐでもあった、と。

オッペンハイマーと幾度となくはなしをしてただただ関心したのは、英語を巧みにつかいこなして言葉でうまく表現する才能にあふれていたことだ、と。新しい言い回しは、オッペンハイマーから学んだのだそうだ。例えば、

「inspiriting」と「inspiring」の使い分けについては、オッペンハイマーが巧みに使い分けるので、自分もそれに習うようになった、と。

 

私には、違いがよくわからなかったので、辞書で引いてみた。

inspiringは、形容詞で、鼓舞する、奮起させる、活気づける、霊感を与える。もとの inspire(他動詞)は、創作上の着想やインスピレーションを与える、触発する、という意味になる。

それに対して、inspiritingは、inspirit=他動詞=活気づける、人の気をひきたたせる。鼓舞する。

似ているけど、ちょっと違う。インスパイア―とインスピリット。実際にどう使い分けていたのか?どう使い分けるのだろうか?

こんど、Englishネイティブの人に訊いてみよう。。。

 

奥さんのキティについては、あんなひどい女はいないし、オッペンハイマーの結婚生活は悲惨だったに違いない、、、と。。そういう一面もあったのかもしれない。実際、キティはアルコール中毒だったというのも事実のようだ。映画の中でもキッチンドランカーになっているシーンがある。

”私のような部外者から見ると、オッペンハイマーの家庭生活はこの世の地獄の様だった。”って、書いている。余計なお世話じゃ!と、、、ちょっと思う。でも事実として、息子のピーターは10代後半に家を出て、キティとの連絡を一切たってしまった。娘のトニは、自ら命をたって人生をおえた・・・。そうか、、そんな悲しい話は、これまでのオッペンハイマーの資料では、気が付かなかった。。。

 

核分裂が実験で確認された時のあっけなさは、なんとも、、、科学者だ。アメリカとヨーロッパとでの研究。物理学者たちに国境はなかったけれど、戦争によって高い壁が立ちはだかる。

 

物理科学の歴史を学びたいなら、おすすめの一冊。
でも、だいぶ、修飾が多いので、、、これが新書サイズだったらいいのに、なぁんて思ってしまった。

 

前半の方で、自身の学位論文を書く際に、

いかに君が賢いかは示さなくていい。簡潔な言葉で説明せよ!”と言われたことを生涯の学びとした、とあるけれど、結構、、、、簡潔な言葉ではないものも、、、。まぁ、賢さをひけらかす感じはない。ただ、あの人も知ってる、この人も知っている、、、なので、なんというか騒々しい文章に感じる。。。あるいは、戦争に焦点をあてた章だけを切り取ったら、なかなかの大作になると思う。オランダでのユダヤ人の立場は、戦争によって大きく変わっていったこと、、、普通に世界史の勉強をしてもなかなか触れることのない歴史だと思う。

 

本人も、物理や数学の数式の話を一般の人にしてもわかってもらえないとしても、物理学者たちはそこに感動しているから、伝えるのだ、、って。
中国語のわからない人に、中国語の詩の美しさを語ってもわかってもらえないようなものであり、それでも、伝えるべきものがある、って。

オッペンハイマーのパートだけでもしっかり読んでみようと思ったのだけれど、全体のトーンがちょっととげとげしく、、、結局、さらっと読み。

ま。世の中には色々な本がある。 

 

物理を専攻する学生なら、一読しておくと諸先輩方の交流関係が垣間見えて面白いかも、ね。