MileStone

路傍に黒い石を置いています。

私が『リズと青い鳥』を面白く感じるのはなぜなのか。

 今年公開された映画の中で一番面白いものは『リズと青い鳥』だと思う。しかし、何で面白いのかと聞かれると少し考えてしまう。

 今回はそんな思いついたことをログとして文章で残したものです

リズと青い鳥』の概要

 本作は武田綾乃による小説『響け!ユーフォニアム』シリーズを原作とした、京都府宇治市の高校吹奏楽部を舞台にした作品であり、テレビシリーズの続編として鎧塚みぞれ(以下みぞれ)と傘木希美(以下希美)の二人の関係性を主題に描いています。

 

リズと青い鳥』のプロット


 『リズと青い鳥』のプロットは、

[A]三年生の二人が、童話を元につくられたコンクールの自由曲『リズと青い鳥』第三楽章のソロを努めることになるが、演奏が噛み合わない。

[B]童話『リズと青い鳥』は、独りぼっちのリズの所に、仲良しの青い鳥が人間の姿となって一緒に住むようになる。しかし、青い鳥はリズが寝ている間に空を飛んでいて、リズはそのことに気付いてしまう。そして、リズは最愛の青い鳥を空に返すことを決意する。この決意のシーンを第三楽章はモチーフにしている。童話を読む二人は、互いにリズがみぞれ、希美が青い鳥と、童話と自分たちを重ね合わせる。

[C]みぞれは外部指導者の新山聡美(以下新山)に音大に行くことを勧められる。そのことを知った希美は音大を受けようかなと呟くが、その言葉を聞いたみぞれは希美と同じ大学を受けると言う。その後、二人はすれ違うばかりで、互いに本心が分からなくなる。

[D]一向に噛み合わない二人をみる新山は、リズの決断に感情移入できず、再び希美がいなくなるのを怖がるみぞれに対し、青い鳥の視点で見たらどうかと助言し、みぞれは大切な相手の望みなら、受け入れるしかないことに思い至る。同じ頃、希美は、みぞれが音大受験の準備をする傍ら、本当は行く気もなく何もしていない自分の本心を見直していた。そこにはみぞれに対する嫉妬や羨望を持ち、そんな本心を隠して、みぞれが自分の近くにいて欲しいことに気付く。

[E]直後の合奏で、みぞれは今までにない素晴らしい演奏をするが、一方、希美はみぞれの才能あふれる音に圧倒され、自分の才能のなさから泣いてしまう。合奏が終えた後、互いに自分の本心を伝え合い、それぞれの道を歩むことを決意する。

 となります。(因みにwikipediaの方では小説の流れで書かれていて、ここで書いたプロットと若干違う部分があります)

 

リズと青い鳥』の演出で気付く特徴


 

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 作品としては大騒動を引き起こすわけでもなければ、人間関係の徹底的な決裂があるわけでもない。希美とみぞれには大きな出来事だが、二人以外には大きな出来事とは気付かれない(小説では久美子視点なので、どうしても黄前久美子(以下久美子)から見た視点が入り込んでしまいますが、映画では久美子も1部員として扱われています)。むしろ、私が本作品を面白いと感じる理由は、このプロットの必然性とそれを表現する演出の一致にあると感じます。

 前作『響け!ユーフォニアム』と比べるとキャラクターのデザインが消え入りそうな細い線と、全体的に落ち着いた淡い色彩に変更され、作品全体を儚いガラス細工かのような、繊細な雰囲気を観客に印象付けます。更に、現実シーンと童話シーンを交錯させながら、みぞれと希美の心理を観客に暴き出していきますが、この交差は画風を変えることで、一目でその繋がりを理解させるアニメならではの表現が使われています。

 かと思えば、二人がそれぞれの道を歩むことを象徴的させる二羽の青い鳥が飛びたつショットは、デカルコマニーという画法を使っており、前後のショットとの画とシナリオの断続を生み出しながら、くっついては離れる二羽の動きを観ながら、観客は二人のこれからを予兆させるのです。

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 音楽・音響にも山田尚子監督は拘りを持っている。みぞれが校門で待つところから二人で音楽室に入るまでの一連のシーンの間、効果音とBGMが一つの音楽として聞こえるように設計されているように、音楽と映像はこの映画では、他のアニメーション映画よりも繋がりを持っています。*1

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 また、人がカメラを横切るショットでは、実際にBGMを流しながら人がスピーカの前を横切ったときの音を収録して使うなど、実写的な音の聞こえ方を演出手法として取り入れhttps://twitter.com/wakax365/status/994918444205203456ていおり、手が物に触れた音や髪を触る音など、実写ではノイズと扱われる音などは、リアルを感じさせるためにわざと使われています。

 こうした一端に見えるのは、アニメーションの虚構とリアリズムの追求のように感じます。

 その最たるものがカメラワークで、1ショットの撮したいものにピントを合わせたり(関心のないものは全てぼかしている)、フォーカスインがキャラクターの心理を視覚的に、実写的に表現しているのです。その一方で、身体の一部の強調や歩きだけといった日常芝居のみのロングショットや、楽器のみを映し出すショット、実写では中々見かけない真上からのショットや物理的には不可能なカメラ位置からの構図を用いることで、相容れず浮かび上がるものにピントを注視させ、感情かき立たせる一瞬を切り取っていることが、ままあります。

演出の特徴から読み取る、作品の面白さ

  こうして画風・画法、音楽・音響、カメラワークの三つの点だけからも、本作は「何も変わらなかったこと」を静謐に描き出しながら、作品における二人の繊細な感情の揺らぎを成り立たせるために、実写のような感情芝居(声や表情など)とシンボリックな表現(手首を握る、つま先に力を込めるなど相手からは見えないところで行われる行動)を混ぜながら行うことで、観客に二人の心情をリアリスティックに読み取らせる。そして二人の些細な、しかし決定的な分岐を経たことを知る観客は、二人が肩を並べて歩く姿で終わることで、この後の未来の二人の関係性を開かれた結末として、カタルシスを与えます*2*3

 他にも色々と語り足りない部分もありますが、私個人の意見では『リズと青い鳥』の面白さは、二人の関係性を「これでもか!」と様々な所から語っていることを初めはあの世界に圧倒され、骨子を確かめるために再見し、心情を正確に理解するために三度観る事で気付き、又観に行く。その都度に新鮮さを持って観られるところだと思っています。

 そして、この作品を自分の青春と重ね合わせながら、失われた時を求めるように語りたいと思わせる所に、私は面白さがあるのだと思います。