Dreaming Is Living

LA在住の音楽ライターが夢実現のヒントを綴ります

「死にたい」が夢になってしまったあなたへ

 明日20日チェスター・ベニントンの命日だ。辛い一年だった。クリス・コーネルの命日から数えると、14ヶ月になる。本当に辛い14ヶ月だった。5月17日、クリスの命日の前日に、私は彼のお墓参りに行った。一人でお墓を眺めている男の人がいて、彼に声をかけたら、彼もウツを患っていたから、クリスの音楽には本当に大きな影響を受けたと教えてくれた。知らない人だけれど、その瞬間に誰よりも心が通った気がして、嬉しかった。その翌日あたりから、私の頭上を覆っていた重苦しい黒い雲が、段々と晴れていった。「ああ、やっと喪に服す期間が終るんだ」。そんな気がして、前向きになれていた。


 6月9日の夜。親友が電話をかけてきた。彼女は泣いていた。彼女が泣いている声など聞いたことがなかったから、一大事だと思った。話を聞く覚悟をした。その後に出て来た言葉は、私の覚悟では受け取りきれないものだった。
「Hが自殺した」
 Hは親友の高校時代からの友達で、その親友を介して、私も8年位前に友人になった。親友のパーティでは必ず顔を会わせる仲だった。チェスターのようにいつも明るくて、うるさくて、優しくて、彼女がいるとそれだけで周囲が太陽に照らされたように明るくなるような、特別な人だった。数週間前に、携帯メールで話をしたばかりだった。数ヶ月前にパートナーと別れて、それ以来、彼女はずっと落ち込んでいた。「時々ウツになるけど、大丈夫」。そんな話を聞いたばかりだった。私は、「大丈夫」の方を聞き入れてしまって、「時々ウツになる」を深刻に捉えなかった。
 そして、Hはこの世からいなくなった。


 このブログを読んでくれている方は覚えているかもしれないけれど、私は、チェスターが死んだのは、私が彼に直接会った時に何もしなかったせいだと自分を責めた。何度も何度も何度も自分を責めた。その時の後悔を、実の友達が苦しんでいる時に、生かすことができなかった。やっとウツが終りかけて、毎日を心から楽しんで生きていけるような気分になっていた時に、私が深層心理で一番怖れていたことが現実になった。助けられる距離にいた友達が、死んだ。私はどんな宗教も信じていないけれど、天が私を殺しにかかっているような気がした。

 結婚してからHとそれほど頻繁に連絡を取る仲ではなくなっていた親友は、Hがウツだったことを知らなかった。でも彼女自身もウツを経験していたので、「知っていたら、専門の医者に行くように薦めたのに。私にはそれが効果的だったから。それが唯一の解決法だから」と言った。Hはウツの治療は受けていなかった。でも、私はそうは思わなかった。私はただ、Hの話を聞く時間を作らなかったことを、ひたすら後悔した。私が彼女を助けられなかったからではない。私は彼女を助けられたとは思わない。ただ彼女が死にたいと思っている時に、「辛いね、私もこの1年ずっと辛かったし、また話したい時はいつでも話してね」と直接会って言えなかったことを、後悔した。この後悔は、一生消えないと思う。


 彼女が亡くなる少し前に、デザイナーのケイト・スペードと、シェフのアンソニー・ボーディンの自殺がニュースになった。クリスとチェスターの死後もそうだったように、誰かが亡くなると、「自殺を考えている人は、ホットラインに電話を」とニュースが言う。そのニュースを受けて、好きな人が亡くなった悲しみのやり場をどこに向けたらいいか分からない人達が、同じことをSNSで拡散する。ホットラインは命綱かもしれない。でも、ホットラインは自殺したい人のその瞬間を救うだけで、その人を救うことはない、と私は思う。カウンセリングも専門医も向精神薬も同じだ。


 20年以上前の、私が毎日死ぬことばかりを考えていた時。ウツがそのレベルに達すると、考えるのは「どう死ぬか」だけだ。「どの方法でやれば、確実に、でも楽に死ねるか」。私は毎日そのことばかりを考えていた。ホットラインに電話をする気など全くなかったし、カウンセラーにそのことを話す気にもならなかった。私の頭は、真っすぐに、「死ぬこと」に向かっていた。その思いだけが、私を生かしていたと言ってもいい。そのレベルに達する前は、親身になって話を聞いてくれるカウンセラーに会うことで、助けられている時期もあった。そのカウンセラーの仕事ぶりに感銘を受け、元気になったらカウンセラーになりたい、と希望を持つ日もあった。自分に会ういいカウンセラーに出会うことがまず必要になるけれど、一過性のウツであれば、それで完治することもあるだろう。でも、私のウツは10歳の時に始まった筋金入りのウツだ。幼い頃に親の暴力の連続によって負った一生消えないトラウマが原因のウツだ。カウンセラーの言葉や薬などでは、決して治るものではなかった。チェスターのウツも、そのレベルだったと思う。だから私は彼のことがずっと気になっていたし、彼に元気でいて欲しかった。彼が元気で生きているという事実は、私も元気で生き続けられるという希望を与えてくれるものだったからだ。だからチェスターは、私のヒーローだった。


 誰かが自殺した時、「なぜ私に相談してくれなかったのだろう」と心を痛める人がいる。その理由は人によって違うだろうけれど、私個人の考えでは、相談しないのは、おそらくあなたがウツを知らないからだ。あるいは、知らないだろうと思われているからだ。ウツを知らない人にウツのことを話しても、共感は得られない。共感が得られない話は、自分の辛さと孤独感を増幅することになるだけで、助けにならない。もう一つ、ウツの人は「こんな自分はもう生きてる価値がない、消えてしまいたい」と本気で思っているので、それ以上に人に迷惑をかける(と思う)行為に出られない。相談したらしたで、「生きてる価値のない自分が、生きてる価値のある人を困らせている」と、さらに自分を追いつめる。

 チェスターの死後、彼の死を悼む周囲の人達が、ウツと闘い始めた。ウツだったらホットラインに電話を、ウツだったら専門医に相談を、そう訴える人の多くが「ウツを知らない」人達だ。彼らの気持ちはとても有り難いし、ウツという病があることを世間に広めて理解を促すことは大事なのかもしれない。でも、それで私達が救われるかといったら、そうではないことが多い。彼らはウツを知らないからだ。ウツを知らない人達にできることは、ウツ病で大事な人を失う辛さ、あるいはウツ病の人と生きて行くことの辛さを語ること。ウツ病の人を大事に思っていて、彼らに生きていて欲しいと伝えること、それだけだと私は思う。その思いに助けられる人はきっといる。でも、ウツを知らない人がウツと闘おうとするのは色々な意味でとても危険だと思う。


 私が自殺に失敗して、死ねないのならせめて社会から身を消そう、ひきこもるか病院に入ろうと決めた時、偶然その決断を話した相手が、長年精神を患っている人だった。友達でもなければ、仲がいい人でもなかった。でも私を変えたのは、その人の言葉だった。「また大変なことにならないように、気をつけてみてるから」。本当に私を見ていられるほど近い距離にはいない人だったのに、私は変わった。私に必要だったのは、真の共感だった。
 クリスのファンや、チェスターのファンの中には、私のように長年のウツを抱えている人達が大勢いる。家族も友人も医者も誰も共感してくれないものを抱えている時に、彼らの歌が「俺もそうだから。俺がお前を見てるから」と言ってくれたような気がした。それだけで、私達は救われた。クリスも取材で同じことを言っていた。「憂鬱な曲を聞いた時、こんな風に感じているのは俺だけじゃない、俺は一人じゃないんだって思った」と。


 この記事が、どこかで同じ気持ちを抱えているあなたに届いたらいいなと思う。健康な精神状態の人達にとっても、現実社会で生きて行くのは楽じゃない。私達は、とても生きづらい人生を生きていて、私達の人生は酷く困難で辛くて険しい道だと思う。なんでこんな思いをしてまで生きていなけりゃならないんだと、何度も思うと思う。でも、そう思ってるのは、あなただけじゃない。同じように死にたいと思ってる人達が、世界中に大勢いる。そして、死にたいと思いながらも、なんとか毎日を生きている。
 大事な真実を一つ、覚えていて欲しい。あなたのその夢は、あなたがそんなに何度も何度も何度も繰り返し願わなくても、いつか確実に叶う。「死ぬ」ということは、全ての人に平等に訪れる真実だ。死なない人はいない。人はいつか、必ず死ぬ。なんて平等で公平なんだろう。わざわざ自分で自分を殺さなくたって、その夢は確実に叶うんだよ。絶対に叶うことが決まっている夢って、もはや夢じゃないよね。だから、絶対に叶う夢を、わざわざお願いするようなことは止めてしまおう。「死にたい」と思った瞬間に、その願いを「もっと楽に生きたい」に変換する力を持とうよ。「生きたい」が無理なら、「逃げたい」でも「止めたい」でもいい。願いの言葉を変えよう。そんなことは考えられないよ、私は今すぐにでも死にたいんだよ、って思うかもしれない。その気持ちは、痛いほど分かる。本当に分かるよ。でも、その思いを抱えながら、私は生きて行く。そして生きている限り、文章を書き続ける。

あなたは、一人じゃないよ。

 

I am Alive, because Dreaming Is LIVING.

チェスター・ベニントン(of リンキン・パーク) 

2017年の「私は大丈夫です」の記事以来です。
大丈夫ですと自分にいいきかせつつ、まあ、大丈夫じゃなかったんですね。
ヒーローって大抵、作り話では一生しなないから。
2人も連続で先に逝かれてしまっては、彼らのストーリーの一部で生きていた私、
生きる土台を根底から揺るがされるよね。大丈夫なわけない。

時間が経てば楽になるとかも、人によるんだろうけど、私には時間とか関係ない。むしろ、時間を重ねると、「あれから何ヶ月だ」「あれからもう1年だ」とか、1年前のこの時期はまだ生きてたとか、余計なことを考える。

3月。

昨年の3月8日、スペースシャワーTVの取材の通訳で、チェスターとフェニックスに取材をした。チェスターはいつものように満面の笑顔で挨拶してくれて、
取材では「今の僕は最高に気分がいいんだよ」と最高の笑顔を見せてくれた。
スペースシャワーTVさんに許可をいただいて
『ワン・モア・ライト・ライヴ』のライナーノーツの最後に引用したことだけれど、
私が最後に会ったチェスターの、最後のメッセージを載せておく。この後に、11月の来日公演もすごく楽しみにしているよと言っていた。


震災後、リンキン・パークはB'zと組んでロサンゼルスでチャリティ・コンサートを行った後、宮城県石巻市を訪問して応援をしてくれた。チェスターがどんなに優しくてどんなに思いやりがあるヒーローだったか、良く分かるメッセージだと思う。

 

ーー今日は3月7日で、間もなく日本人が忘れることのできない3月11日を迎えます。震災の際のメンバーの活動、日本人は本当に勇気をもらいました。ありがとうございます。初めて日本に来たのはおそらく2001年だと思うのですが、改めて日本の印象を聞かせて下さい。
チェスター「僕達は本当に沢山日本に行っていて、それぐらい沢山の時間を過ごしている国は他にもあるんだけど、そこに行って、そこで過す時間が増えるほど、外国にいるっていうよりも、故郷にいるような気分になってくるんだよね。これは他のメンバーも感じていることだと思うけど、その国の文化に触れて、その文化に慣れ親しむと、自分の人生の中に、その文化の一部を取り入れるようになるんだよ。だから、僕達は本当に、日本と日本の人たちとの親しいつながりを感じているんだ。長年の間に日本で色々な経験をしたよ。最初に日本に行ってプレイした時は、ちょっとカルチャーショックを受けたし、恐ろしい震災が起こった時は、日本に行って、僕達の友人達を助けたいって気持ちになった。日本に行って、プレイするっていうよりも重大なことだったんだ。僕達は、被災地の人達のことが心配で、大丈夫かどうかを確認したかった。どんな小さなことでも、僕達にできることがあったらやりたかったんだ。僕達は、これだけ長年の間、活動を続けていられて、本当に恵まれてる。もう20年になるからね。そして僕達は、世界中の人達に親しい結びつきを感じてるんだよ。僕達は「アメリカ国民」や「カリフォルニア人」というのを超えて、「世界の民」だっていう気持ちでいるんだ。世界的なコミュニティの一員だって感じてる。だから、僕達の友人達、時には実際に僕達の遠い親戚だったりする人達に起こることは、僕達にとっても大事なことなんだ」

 

3日20日は、チェスターの誕生日だ。
お酒をやめた後からなのか、その前からなのかは分からないのだけれど彼は甘いお菓子が好きで、取材時に日本のお菓子をお土産でもらう度に、少年のようなキュートな笑顔で喜んでくれた。ステージで圧倒的なロックスターのオーラを放っている時とは対照的だった。
政治的なコメントを避けるスターが主流のアメリカで、「暴力で解決しようとしているから戦争は大嫌いだ」とはっきり言う人だった。他の人の痛みのために本気の涙を流して、実際に助けに行くような人だった。

 


Happy Birthday
and
Rest In Peace
チェスター・ベニントン

 

いい写真が見つからないので、見つけたらアップしますね。

 

私は大丈夫です、ありがとう

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前回の記事でクリス・コーネルのことを書いた時に、

クリスが亡くなった悲しみを少し和らげてくれたのは

リンキン・パークチェスター・ベニントンだったことに触れました。

チェスターの悲しみは、私の悲しみの何百倍も大きかったはずだけれど、

「悲しいのは、ショックを受けてるのは自分だけじゃない」

それを感じさせてくれたのが、クリスと同じ位、私に影響を与えてくれた

チェスターだった。

そして私は、「大丈夫、私達にはチェスターがいてくれる。私はチェスターと一緒に

年を取って行ける」。そう思うことで、大分救われたんです。

 

まさかチェスターが、2ヶ月後にこの世を去ってしまうなんて、微塵も思うことなく。

親友があんな去り方をしたら、普通の生活を続けて行くことなんて

ほぼ無理じゃないかと思うのに、毎日プロモーションして、

ヨーロッパ・ツアーにも出て、元気そうにしているチェスターの姿を見ながら

その安心を積み重ねて、自分にも「大丈夫、私は大丈夫」と言い聞かせていたんです。

それには私なりの根拠もあって、

今年3月にチェスターとフェニックスのスペースシャワーさんの取材で通訳をした時に、

チェスターが「過去数年、人生で一番落ち込んでいたんだけど、このアルバムの制作中に、自分の中にあったものを皆に全部吐き出して、今の僕は最高の気分なんだよ。

僕はもう、何も重いものを背負っていないんだ」と、満面の笑顔で語ってくれたからでした。

チェスターは大丈夫。今のチェスターなら大丈夫。

私はそう思って、疑わなかった。

彼は、元気すぎるぐらい元気だったから。

私は自分の取材だけでなくて、通訳としても何度も彼に取材していたので

気づいたのだけれど、チェスターは誰に対しても、全く同じように、

完全にオープンになって正直に話す人で、話に全くフィルターをかけない素直な人でした。

だから、あの時言っていた言葉も、本当に本心だった。

クリスが生きていたら、彼は生きていたと思う。

直接会っていた私は、何か出来たんじゃないか。

ファンレターとか、渡しておいたら何か違ったんじゃないだろうか。

そんな馬鹿げたことを何度も何度も考えて、

リンキンパークの新曲「ヘヴィ」と全く同じ状態が続く夏でした。

でも、私は大丈夫です。

親友がすごく心配してくれた。

気を使って旅行にも誘ってくれた。

みんなにすごく感謝しています。

そして、私のブログの数少ない読者さん達も、

私がクリスの記事を最後にまた沈黙してしまったので

もしかしたら気になってしまっているかもと思って、

今日これを書いています。

私のブログを読んでくれて、ありがとう。

友達や家族でなくても、自分にとってものすごく大切な人はいるものです。

音楽ファンだったら、この気持ち分ると思う。

親も友達も自分のこと全く分ってくれないと思っていた時に、

一つの曲が、自分の親友になってくれることって、あると思う。

だから私は音楽が好きだし、

もうやめちゃいたいなとちょっと思ったけれど、

この仕事をおばあちゃんになるまで、続けて行きたいなと思う。

 

本当に、ありがとう♡

写真は、8月にロサンゼルスのダウンタウンの市庁舎前で行われた

ファン主宰の追悼会の模様です。プリンスと同じ場所でした。

なぜ2年続けて、同じ場所でヒーローを見送らなきゃいけないんだろうって思った。

なぜ、なぜ、なぜ……

そこに答えなんかないんだよね。

明らかなのは、わたしたちはそれでも、今日を生きているということ。

そしてまだ、夢を見続けていられるということ。

辛くてたまらない時に、あなたのことを気にしてくれている誰かがいるということ。

 

それはとても、有り難いことだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリス・コーネル


Saturday Sessions: Chris Cornell performs "The Promise"

 

3ヶ月もブログをさぼっていたのに明るい話題じゃなくて

申し訳ないのだけれど、自分のためにこの記事を書きます。

アメリカ時間17日夜、

私がずっと世界一の男性ヴォーカルだと崇めていた人が亡くなった。

サウンドガーデン、テンプル・オブ・ザ・ドッグ、オーディオ・スレイヴと、

90年代、2000年代を代表するロックバンドのフロントマンをつとめ、

素晴らしいソロ・アルバムも4枚残したクリス・コーネル

昨日は目が腫れるまで泣いていた。

一番悲しかったのは、20年近くファンなのに

クリス・コーネルを私と同じぐらいの熱量で愛している友達がいなくて

(いつも一人でコンサートに行っていた)

ものすごい孤独感を感じたことだったかもしれない。

プリンスの時は、一緒に悲しむ人がいた。

それでもブログを書く気になれなかったので、辛さでいうと

プリンスの時の方がショックだったのかもしれないけれど、

プリンスを天に奪われて、その1年後にこれなので、

「もう耐えられない」という気分になった。今でもそんな気持ちでいる。

こんな風にアーティストに友人と同じ位の思い入れを感じるのは

私が音楽ライターという仕事をしているからかもしれないけれど、

彼に2度取材して、

自分がヒーローと崇めている人が理想よりもいい人だったことに有頂天になった

思い出があるばかりに、より辛い。

今でも取材の時に、彼が冗談を言って笑わせてくれた時の声が蘇る。

昨日は一日中、ネットでファンのコメントを読みあさって、夜寝る前に

リンキン・パーク(ヴォーカルのチェスターはクリスの友人だった)がJimmy Kimmel Liveという深夜のトーク番組で、

ニューアルバムからの名曲「ワン・モア・ライト」をクリスへの追悼として

パフォーマンスしたのを見て、チェスターが泣くのを堪えながら熱唱している姿に

「私も悲しい、チェスター、ありがとう」と大分救われて眠りについた。

 

サウンドガーデンは、90年代にグランジ・ブームを牽引したバンドの一つだが

パール・ジャムニルヴァーナに比べると

日本ではそれほど大きなヒットをしなかった。

だからクリスの名前も、アメリカほど知られていない。

けれど、彼の歌声は本当に世界遺産級で、

ソングライターとしても、ビートルズに影響を受けているだけあって

ジョン・レノンの「イマジン」に通じるような、

大方の人にはナイーヴに思われるかもしれないけれど、

人生の真理を鋭く突いた、理想や夢を綴った美しい曲をいくつも残している。

その夢や理想は、彼自身が深い闇を抱えて生きた経験から出てくる

すごくリアルなものだった。

クリスはアルコールと処方箋薬にはまっていた時期があり、

10年以上前にそれを乗り越えてクリーンになった。

私もほぼアル中だった時期があるので、

クリーンになってから、ソロで思いきりやりたい作品をつくり、

2010年代に入ってからは、ありえないと思われていたサウンドガーデン

再結成も果たし、美しい妻子に囲まれて幸せに暮らしている彼の姿は、

私の希望の星でもあった。

その星の光が、いとも簡単に、突然消えた。

人って、ほんとうに、簡単に、死んじゃうんだね。

 

2007年2月、彼の2枚目のソロ『キャリー・オン』が出る直前に

オフィシャル用の取材をした。

私のキャリアの中でも、一番心に残っている取材の一つだ。

ここに全文を掲載する。

この記事には入っていないが、「私もかなりアルコールで問題を抱えてて、

あなたがクリーンになって活動しているのは心から尊敬しています」

と伝えたら、笑顔になって「そうなんだ! じゃあこの取材の後も飲むのかい?(笑)」と冗談で返してくれた。

 

声だけでなく、ルックスもハリウッド男優になった方がいいんじゃないかと思うぐらい

美しい人だった。ハスキー犬のような、整っているけれど愛らしい顔だった。

そんな人でも、死ぬ時は来るんだよね。

でもそれは、今じゃなかったはずだった。

 

私みたいに泣いている人が、この記事を見つけてくれたらいいなと思う。

 


ーー今日はお時間とっていただき、ありがとうございます。
「どういたしまして」
ーーそして、新たなマスターピースを作ってくださってありがとうございます。
本当に素晴らしいアルバムですね。『ユーフォリア・モーニング』も大好きなアルバムですが、新作はもっと気に入りました。
「本当に? ありがとう! カメラに向かってどれだけ気に入ったか言ってやってよ。何て言ったんだっけ、マスターピース?」
ーーマスターピースです。
「日本語で言ってみてよ。もう俺が話す必要ないね」
ーーご自分でもそう感じませんか?
「いや、自分のレコードとなると、一体何がマスターピースになるのかさっぱりだね。彼(壁にかかっているシド・バレットの写真を指差して)はピンク・フロイドのファーストでそういうアルバムを作ったと思う。でも自分のレコードに関してはそういうコメントをするのは不可能に近いね。客観的に見られないし。でも今作に収録された曲は、全曲すごく気に入ってる。それにこれまでになく特別なアルバムが作れたと実感する瞬間もあった。その一方で、すごく批評的な耳で聞いて、次のアルバムでは何をしようかってことで頭が一杯になったりもしてね。だけど常に次のことに目を向けるってヘルシーだと思う。レコードを作る人間には典型的なことじゃないかな。大体、既に起こってしまった過去にこだわってばかりの人間は、将来あまり多くを生み出せないものだからね(苦笑)。でも本当に今作には満足してるよ。このアルバムで一番重要だったのは、その過程を楽しむことで、実際俺は楽しんだんだ。曲を書きながら一緒に歌っ
て、その日の終わりに満足感を得られて、他の人達がどう感じるか、どう解釈するかを心配することもなく、自分の歌いたいことを歌えたからね。スタジオに
入ってプロデューサーや他のミュージシャンと作業を始めたところで、これはうまくいくっていう感触を得られたんだ。長年の経験から、分かるようになった
ことなんだけどさ。俺は本当に沢山のレコード(今作が13枚目)を様々な形で発表してきて、どういうものになるかっていうのは大体分かる。俺はレコードを作り直したり、不可解なパズルを組み合わせたり、みたいな事はしたことがないからね。いい曲のはずなのに、なんでいい曲に聞こえないんだろうとか、楽器の弾き方やプロデュースの仕方が分からないとか、俺はもうそんなことは心配しなくなった。それに、大してミステリーでもないんだよ。本当に気に入った曲が書ければ、その先は達成できるものなんだ。マイクを用意して、楽器を演奏して歌えばいい、それだけだからね」
ーーでも、ソロとしての曲作りと、バンドとしての曲作り、またはレコーディングはどのように違うものなのでしょうか?
「歌詞に関しては、さほど違いはないね。最も違いが出るのは、音楽の作り上げる環境が、歌詞の内容やテーマを形成することになる場合だろうな。だから歌詞のテーマには違いが出るかもしれない。でも楽曲に関しては、完全に別物だよ。全てが俺の頭の中で起こっているからね。試しにコードを変えてみるのも、
正しいキーを見つけようとするのも、コードに重ねる正しいメロディにしても、全て俺の頭の中で、突然テンポがおかしいと気づいて調整したりして、その間全くコミュニケーションが含まれないからね。俺だけでやってるから、他の人の意見も介入しない。これまでに、他の人の意見が役に立った時は多々あったけど、でも今の俺にはもう必要ないんだ。自分がやることに自信を持てるようになったからね。それで直感的になって意識を全開にして、今まで俺が思いつかなかったようなアイディアに辿り着けるかどうか試したかった。俺の脳は常に忙しくて、休むことがないんだよ。それって必ずしもいいことじゃない。あまり考えすぎるといい音楽はできないと思う。画家にしても、頭で考えすぎるといい絵が描けないんじゃないかと思うし」
ーー楽器は全部ご自分で演奏したんですか?
「いや、キーボードを少しとギターだけ。全部自分でやってみたい気持ちはあるんだ。デモでそれをやって、好きだと思える面もあったんだけど、結局それを創り直した。デモで他の人では表現できないだろうと思ったギター・パートは俺が弾いたけど、ちゃんとミュージシャンの音が聞こえるアルバムにしたかったんだ。一人のミュージシャンで全部創ったアルバムって多いけど、いつもどういう訳か、冷たい感じに聞こえるんだ。俺は上手くやれる自信もあるんだよ。デモにはある種のエネルギーがあったしね。ただ問題はリズム感覚で、一人の人間がドラムと、ベースと、リズム・ギターを弾いていたら、全てがそのリズム感覚に基づくことになる。もう息をする生き物みたいな曲じゃなくて、機械的な動きになってしまうんだ。常にドラムの上にギターとベースを重ねた、同じようなものになってしまうんだよ。それによって冷たさや距離感が生まれてしまう。このレコードはそれとは反対のやり方でレコーディングされたんだ。最初の12曲の基礎は全部、アコースティックで作った。マイルズ・モウズリーがアコースティック・ベース、大半はアップライトを弾いて、キャメロン・グライアーがアコースティック・ギターを弾いて、ドラムはニア・ジーが叩いて、俺が歌ったんだ。その後エレクトリックのもの、エレクトリック・ギターやキーボードを重ねた。最初アコースティックで始めて、その後色々と楽器を入れ替えたりもしたけど、ドラムとアコースティック・ベース、アコースティック・ギターだけの時点で多くの曲が最高の形に仕上がっていたんだ」
ーーゲイリー・ルーカスがゲスト・ギタリストと聞いたんですが、どの曲で参加しているんですか?
「アルバム全部だよ。どの曲にも少しづつ参加してる。ただ、最後にレコーディングした4曲は一緒にできなかったんだけど、それ以外の10曲は全部」
ーーなるほど。今作には素晴らしいギター・ソロが沢山収められてますよね。
「ああ、ゲイリーのおかげだよ。でも彼の他にディミトリ・コーツというギタリストが、参加してくれてて、“ユア・ソウル・トゥデイ”の最後のソロとか、“ポイズン・アイ
ズ”のメロディックなパートとか、“ノー・サッチ・シング”、“キリング・バーズ”でね。それからブライアン・レイっていう、今ポール・マッカートニーのツアーでプレイしてるギタリストも何曲かで参加してくれて、彼が“キリング・バード”のソロを弾いてくれたんだ。すごく気に入ってる。俺もソロを弾いたけど、俺はそういうタイプのギタリストじゃないから、やったのは3曲ぐらいかな。その他は、ゲイリー・ルーカスだよ。彼のソロの解釈は本当に素晴らしいんだ。少しサウンド・ガーデンのキム・セイルを思わせるところがあった。制御できないギター・パフォーマンスっていうかね。とにかく曲を弾き始めて、時には4回、5回、6回と繰り返す時もあったけど、確実にこれだっていうものが出る瞬間があって、それが驚異的なんだ」
ーープロデューサーのスティーヴ・リリーホワイトを起用した理由は?
「彼は様々な作品を手がけているけど、どれもヘヴィ・ロック、リフ・ロック主体ではないところが良かったんだ。例え俺がそういうヘヴィ調の曲を作りたいと思ったとしても、そういう音楽のレコーディング方法に関して既に考えが固まっている人とは一緒にやりたくなかった。そういうプロデューサーが作った曲で納得できるものってあまりなかったからね。俺はプロデューサーにそれほど重きを置いたことはないんだけど、でも彼はこれまでに優れたアーティスト達と多くの優れた曲を生み出してきてるから、それも様々な形でね。プロデューサーと仕事をする上で魅力なのは、常に学ぶ可能性があることで、だから何か学べればいいなと思って……今思うと、彼から何を学んだか良く分からないんだけどね(笑)。卓球のうまいプレイ方法は教えてくれようとしてたな」
ーー(笑)それは面白いエピソードですね。
「でも、彼は多くのものを加えてくれたよ。特にミキシングの段階でね。彼は曲を彫刻して形を整えるのが好きで、それにすごく時間をかけて、それによって
最初から最後までパフォーマンスのように曲が流れるようになった。それから彼は忍耐強くて、それを集中してやれるんだ。俺は根気がないからさ。かなりせっかちなんだ。だからその点で彼との作業はすごく上手く行ったんだよ。俺は自分が好きなものに関しては徹底してるからね、彼の調整は見事だったよ」
(パトカーのサイレンの音)
「じゃ、俺はこれから刑務所に行かなきゃならないんで」
ーー何の罪で(笑)?
「覚えてないけど」
ーー今作が素晴らしい点は、前作よりもより幅広く、そして深くなっているところだと思うのですが、その理由って分かりますか?
「いや(笑)」
ーー特にそれぞれの曲に非常に多様性があって、曲毎に全く違うテイスト、雰囲気がありますよね?
「多分その理由の一つは、最初にスタジオで曲を全部作り終えた後で、また曲を作れたことじゃないかな。12曲レコーディングして、それと“ユー・ノウ・マイ・ネイム”があったから、もうこれでアルバムが完成したって感じたんだ。それでもう作曲する気がなくなった。でもスタジオでスティーヴがミキシングしている間、俺はずっとその部屋にいるわけじゃなかったから、いや、やってもいいなって思ってさ。ミキシングの間に俺は家に戻ってまた数曲書いたんだよ。1週間ほどあったから、その6、7日の間に家で“ポイズン・アイ”と、“ユア・ソウル・トゥデイ”を書いたんだ。よりロック調の曲だけど、広範囲の領域を包含したから、また違うものもやってみたくてね。特に何も気にせずにこれらの曲も書いた。そしてレコーディングして、ミックスして、終わったん
だ。スティーヴはNYに戻って、その後俺はヴァケーションを取って、その間にレコードのリリース予定日がちょっと先に延びて、また時間ができた。それで、やらなきゃいけない理由はなかったんだけど、また楽しみで何曲か作りたくなってさ。“ノー・サッチ・シング”を書いたんだ。これでもう何も言いたいこともないし曲も作ることないなって思ったんだけど、そんなことを考えるんだから、じゃあ完全に異なる曲でもやってみようかって思って、それで“キリング・バーズ”が生まれたんだ。ドラム・マシーンを使って、これといった考えもないままに作った曲なんだけど、お気に入りの一曲になったよ」
ーーこの作品の中には昔書かれた曲もあるんですか? あなたがオーディオスレイヴに加入する前に、セカンド・アルバムの制作にとりかかろうとしていた覚えがあるんですが。
「いや、あの時はまだ何も書いていなかったんだ。だから全曲、去年作った曲だよ」
ーーなるほど。私が今作で一番気に入った曲の一つが、“ホヴァー”なのですが、あまりの美しさに涙が出そうになりました。
「本当に?(カメラマンに)彼女、泣きそうになったってさ」
ーーええ。この曲のメロディを思いついた瞬間って覚えてますか?
「ある程度段階を踏んでるから、その瞬間がいつだったのか思い出せないな。歌詞を書いた時のことは覚えてるよ。この歌詞は何回も書き直したんだけど、最
初は妻に詩のような歌だったんだ。メロディを頭に思い浮かべながら、妻にメールを送って、それがこの曲になったんだ」
ーーそれは素敵ですね。奥さんだけでなく、お子さんもいらっしゃるんですよね?
「ああ、今の妻との間には2人子供がいて、2歳半の娘トニと、14ヶ月の息子クリストフがいるよ。それから前の妻との間に、6歳の子供がいるんだ」
ーーお子さん達にインスパイアされて書かれた曲はありましたか?
「娘がまだ生まれる時から、それが歌詞に反映された瞬間が多少あったと思う。でも子供達に向けて曲を書いたり、子供達についての曲を書いたりしたわけじゃなくて、ただ子供達のおかげで人生観が変わったんだ。それで、よりポリティカルというか、世間に対して抗議するような曲が生まれた。今作の“サイレンス”は、世界の現状の懸念から書いた曲なんだけど、この不安感は昔の俺にはなかったものなんだよ。俺は子供達にクレイジーな世界や恐ろしい世界で生きて欲しくない。昔はそんなこと考えもしなかったからね。“セイフ・アンド・サウンド”にしても、似たような曲で、俺達がものを知らないっていうか、全ては完璧で何も問題ないと思っているんじゃないかっていう不安があってさ。俺が不安になった時に考えたことなんだけど、それはただ子供達のことが心配だからなんだ。子供ができる前は、こんな風に考えたことはなかった。道を歩いていてバスにはねられても、世界が爆発しても、それがどうした、って感じだったからね。でも子供が出来ると変わるんだ」
ーー素晴らしいことですね。その意味で“セイフ・アンド・サウンド”は歌詞も印象的ですが、音楽的にもすごく印象に残った曲で、おそらくあなたが今までに作った曲の中で最もソウルフルな曲に仕上がっていますよね?
「この曲は最初にメロディを思いついて、歌詞を書く前にギターに合わせてこのメロディをハミングしててたんだ。その時の俺はメロディックで、ムーディなピンク・フロイド風の曲を想像してたんだけど、レコーディングで歌詞を歌い始めたら、どういうわけかソウル・バラード風になってさ。その方が心地よく感じられる気がしたんだ。それでこういう曲になった。リード・ヴォーカルを送った後で、バック・ヴォーカルを加えたら、よりソウル風になった。でも俺は昔のソウル・レコードも大好きなんだ。特にこういうタイプのプロダクションがね。曲の頭でドライなヴォーカル・パフォーマンスが聴こえてきて、他はちょっとギターが入るぐらいで、そこからサウンドが大きくなっても、オーガニックなままでさ」
ーーこのアルバムのタイトルは『キャリー・オン』に決まったんですか?
「ああ」
ーー“キャリー・オン”という曲があったからですよね。
「“キャリー・オン”って曲を書いたんだ。このアルバムのために2番目に書いた曲だった。皆がこの曲名をアルバム・タイトルとして気に入ってくれててさ。俺にとっても納得できるものだったたんだ。タイトルにすごく頭を使って、音楽を描写するようなタイトルを考えたりする人もいるけど、俺はそういうのが好きじゃなくて、だから俺はタイトルをつけるのが苦手でね。何かクールで覚えやすいものにしたいと思ってたんだけど、“キャリー・オン”は今作の音楽を説明する言葉ではないけど、今作中のテーマとつながる部分があって、それで気に入った。“前に進む”っていうね。この曲はアルバムには収録されなかったけど、タイトルは気に入ったからさ」
ーー“キャリー・オン”は収録されないんですね。
「ああ、でもすごく気に入ってる曲だから、何かの形で発表するよ」
ーーええ、すごくいい曲ですよね。
「聴いちゃったの? ずるいね」
ーーなぜか視聴会で流れました(笑)。すごくいい曲でした。
「ありがとう」
ーー今作には“ビリー・ジーン”のカヴァーが収録されています。これまでマイケル・ジャクソンの曲は様々なアーティストが様々な曲でカヴァーをしていま
すが、“ビリー・ジーン”を選んだ理由は?
「これをロック・ソングにしたらすごくクールになるんじゃないかと思ったんだ。曲の最初に、タン、タン、タン、タンっていうキーボードのパートがあって、それをエレクトリック・ギターに変えたら、AC/DCの曲みたいになるんじゃないかって想像したんだ。かっこいい対照曲になるんじゃないかってね。でもやってみたら、バカっぽくなって。駄目だった。それでテンポを落として、曲を生かそうとしてみた。上手くいくかどうかは分からなかったんだけど、歌詞を口ずさんでさ。俺は時々曲を遅くし過ぎたり早くし過ぎたりしちゃうからね。でもスロー・ダウンしてみたら、うまくはまった。それからビートを取り除いて。それによって、歌詞がものすごく開かれたんだ。曲の焦点が、グルーヴ重視でフックのあるメロディのダンス・ソングから、歌詞が際立つバラードに移行したんだよ。歌詞が、強烈に感情に訴えかけるものになった。それをやってからは、もうこの曲をやるのが楽しくなってさ。俺は他の人の曲を変わった視点から見て、皆が驚くようなことをするのが好きなんだ。この曲をライヴでやったら皆も気に入ってくれてさ。ストックホルムのラジオ・ショウでやったヴァージョンを、マイスペースに載せて皆の意見を聞いてみたんだ。皆がすごく気に入ってくれた。だから他のミュージシャンとレコーディングしている間に、試しにこの曲もやろうと思って、最初はB面曲か何かにする予定だったんだけど、レコーディングしたらアルバムに入ることになるって確信した。すごくいい曲になったからね」
ーーそうですね。個人的にマイケル・ジャクソンの曲の中でもお気に入りの曲だったんですが、今はあなたの曲としてお気に入りの曲になりました。
「ありがとう」
ーーあなたは偉大なシンガーというだけでなく、優れたシンガーソングライターでもあります。あなたの歌詞は本当に美しいし、知性を感じます。例えば今作
の“ユア・ソウル・トゥデイ”に「君にソウル・フレンド(魂の友=運命の人)が要らないなら、今日俺は君のソウル(魂)になろう」という一節があります
が、こういう詞を書くために、日々の暮らしの中で常に美しい言葉や文を捜し求めているのでしょうか?
「ああ、全て覚えておくようにしているよ。その曲は空港で書いた曲なんだ。メロディが頭に浮かんできてて、ヴォーカルのメロディを考えている時って、そ
れに合わせて言葉も出て来るんだ。メロディと一緒に思い浮かぶ時も、そうでない時もある。言葉が浮かんでも意味を成さない時もあって、そういう時は後から考えなきゃいけない。でもこの時は、メロディと一緒にこの一節が浮かんだんだ。そこから曲のテーマも得たんだ。これは書き留めずに、記憶に留めておいた。記憶することは多いね。それと、これは多少認めるのが恥ずかしいんだけど、言葉や歌詞をブラックベリーに書き留めてるんだ。ここにメモ帳が入ってる
からね。常に持ち歩いてるし、わざわざ鉛筆を取り出す必要もない。ここにまだ書いていない曲の曲名がある。思いついて入れたんだ。“ノー・サッチ・シン
グ”や“キリング・バーズ”もここに入ってる。ここにタイトルを書いて、その下に歌詞が書かれてるんだ。だから飛行機で旅行中とか、これを持ち歩いてる
時はここに歌詞を書くようにしてるよ。小さいタイプライターみたいで便利だからね。こうして歌詞は覚えておくようにしてる。メロディはもっと生もので、
頭の中に出て来たものを、あ、これは曲にしよう、とかそんな感じなんだ。“ノー・サッチ・シング”の最初のメロディは、休暇中に家を出る直前に思いつい
て、二階に行ってテープレコーダーに歌を録音したんだ。それで休暇から戻って、そのメロディを基に曲を完成させたんだ」
ーー今日あなたがオーディオスレイヴを脱退したと知ったのですが、これは事実ですよね?
「そうだよ」
ーーその理由として音楽性の違いがあがっていましたが、最も食い違いを感じた部分はどこだったんですか?
「常にアグレッシヴな音楽に向かおうとする傾向があったことだろうね。あるいは、それとは別の方向性を試して、更に遠くへ進もうとする気がなかったこと
とも言えるかもしれない。俺にとってこの二つは同義だからね。どのバンドに関しても言えることだと思うけど、バンドには他のメンバーの音楽的な趣味や感覚が存在していて、それによって自分に制限が課されるものなんだ。でもそれがバンドのバンドたる由縁で、それでいいんだよ。ただ俺は人生でこの時期にあって、音楽的にどんな制限もいらないし、他の人と意見のバランスをとる必要もないし、自分の曲を完成させるために、他の人のアイディアは要らないんだ。だから、この先を見据えて制限がないところで一人でやる方が幸せに感じられると思ったんだ」
ーーオーディオスレイヴで学んだことは何でしたか?
オーディオスレイヴは何かを学ぶ経験というよりは、ロックのリセット・ボタンを押す経験だった。ガレージで曲作りをする若いバンドみたいに、メンバー全員で集まって、アルバム作りをしてさ。3枚ともずっとそんな風だったんだ。おかげで俺は生気を取り戻した感じだった。それまでずっと籠っていた地下室から俺を連れ出してくれたんだ。今の俺がある理由の大きな部分を担っているんじゃないかと思うよ。長年、俺一人で曲を書き続けていた俺のパレットを新しくしてくれたんだ。サウンドガーデンも同じ部屋で皆で一緒に曲を作ってはいたけど、それは最初の数年だけだったんだ。残りの11、12年は皆バラバラで曲を作ってた。だから、それがオーディオスレイヴが俺にしてくれたことだよ」

アレッシア・カーラ

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本日、私の超、超、超一押しのカナダの女性シンガーが、
日本でデビュー・アルバムを発表します。
彼女の名前は、アレッシア・カーラ。
アルバムのタイトルは『ノウ・イット・オール』(全米アルバム・チャート9位記録)。
もし今まで洋楽を一度も聞いたことがない人に、
「今おすすめのアルバムを一枚だけ教えて」と言われたら、これです。

これ、ものすっごいデビュー盤です。
私はジャンルを問わず音楽を聞いていますが、
一番好きなのは生のヴォーカル。人の声です。
だからヴォーカルが入っていないクラシックとかEDMは自分からは好んで聞かない。
そして、どんなジャンルでも、
「声」とその声が歌っている(あるいはラップする)「ストーリー」に惹かれます。

アレッシアは現在20歳ですが、約2年前にデビュー曲「ヒア」を聞いた時、
20代後半の黒人ジャズ・シンガーがやっとデビューしたのかと思うほど
声に成熟した深みと厚みと重みを感じました。
それがある日、TV番組に生出演して歌う姿を見たら、
まだ18歳の女の子。しかも見るからにスッピンでかわいい!!
そんな少女がもの凄い声でパフォーマンスしていて、完全にやられました。

好きな女性アーティストは正直数えきれないぐらいいるけれど、
声とパフォーマンスに度肝を抜かれたアーティストは、クリスティーナ・アギレラ以来でした。
信じられないほど歌が上手いだけじゃなくて、彼女が持つ強さと弱さが、声からほとばしってる。
だからリアルで、すごく生々しくて、ハートを直撃する。
彼女はもともとすごくシャイで、お母さんの前で歌うことすら恥ずかしかったのに勇気を出してyoutubeに曲をアップし始めたのだそう。

「ヒア」がヒットしたのは
その歌声の素晴らしさだけでなく、歌詞に込められたストーリーに共感する
地味な女の子達が沢山いたからだと思います。
アメリカでもリア充ってやっぱりあって、
特にネット世代の若者達にとって、
キラキラしてない人気者じゃない子たちって生きづらいんじゃないかと思ってたんだけど、
そんな時にリア充系のキッズが集まるホームパーティで
「私、マジでここ(ヒア)に用はないわ
友達がいるから会いにきただけ
でも正直、家でひとりでいる方がマシ」
とぶちまけた「ヒア」は、すごくリアルだった。
ティーンじゃないけど
アメリカのパーティーでいつも居心地悪くて隅に立っているシャイな私にも、
すごく共感できる曲だった。

「すごく好き!」と思っていた矢先、2015年の12月に
ロサンゼルスのエルレイ・シアターでライヴがあって
観に行った時の写真が上の写真です。ライヴがこれまたすごかった。
CDで聞ける声よりも上手くて、鳥肌ものでした。

そして、彼女をもっと好きにならずにいられなくなったのが、
セカンド・シングルの「スカーズ・トゥー・ユア・ビューティフル」。
これは「ヒア」よりもメッセージ性が強い曲なんだけど、
いつもスッピンで自然体でいる彼女の想いが詰まった曲。

綺麗になりたくて、皆に羨ましがられたくて、
自分を変えようと必至になっている女の子に、
アレッシアはこう歌うんです。

あなたはありのままで美しいんだって分かって
どこも変える必要なんかないんだって
この世界が心を入れ替えればいいの
あなたの美しさに傷は一つもない、私達は輝く星で、誰もが美しい
(意訳です)

訳してるだけで泣けてくるよ……。

この曲がラジオで流れ始めたのは昨年の7月末だったのですが
長い間ずーっと息の長いヒットを続けて、
遂に今年の2月3日、KISS FMのアメリカン・トップ40で1位を達成しました!
全米シングル・チャートでも10位を記録しています。
じわじわと人気が上昇していったのは、歌の力ももちろんだけれど
彼女の歌う「ストーリー」の力が、他の人には出せない魅力を持っているからだと思う。

最近では最新ディズニー・アニメ映画「モアナと伝説の海」のエンディング曲、
「ハウ・ファー・アイル・ゴー」を歌っていることが話題で、
この曲は第89回アカデミー賞で「主題歌賞」にノミネートされています。

『ノウ・イット・オール』はアメリカでは2015年に11月に出ているので、
それから1年以上かけての日本デビュー。
これからは日本でもビッグになって欲しい。
彼女の声が、一人でも多くの女の子達に届いて欲しい。もちろん、男の子達にも。
ぜひ、アルバムを通して聞いてみて下さいね。全曲すごいから。

 

Dreaming is Living!

Never stop dreaming if you are lucky enough to have one

 

ブルーノ・マーズ

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貴重な読者のみなさま、ごめんなさい。
何ヶ月もさぼりまくってとうとう年末になってしまいましたが、元気です!


実はブリトニーのブログ記事を書いた後、
なんとブリトニーのラスベガス公演のレポートのお仕事をいただき
ミート&グリートで一瞬でしたがブリちゃんに会うことができました。


そこで「今年の運は全部使い果たしたな」と思ったのですが
その後もブルーノ・マーズ、ペンタトニックスなどなど
大好きなアーティスト達の新作の取材をさせていただいて、最高の一年でした。

冬休み中にさぼっちゃった分を少しずつアップしていきますね。

今年最後の記事は、現在最新作『24K・マジック』がバカ売れ中の
ブルーノ・マーズです。
この新作、来年1月7日付のビルボード・アルバムチャートでペンタトニックスのクリスマス・アルバムに次いで2位。
来週は確実に1位になる気がします。

アルバム・タイトルにもなったファースト・シングル「24K・マジック」が
マーク・ロンソンと組んだメガヒット曲「アップタウン・ファンク」に匹敵する名曲であることが、アルバムの成功にも繋がったのだと思いますが、
9曲入りで、全曲名曲です。
間違いなくブルーノの最高傑作で、かつ音楽史に残る一枚。
特に90年代のブラック・ミュージックのファンだったら、泣いちゃうぐらいのアルバムだと思います。

9月末、この新作が完成する直前に上の写真の『INROCK』12月号用の独占取材を
アルバムがレコーディングされたスタジオでさせていただきました。
スタジオで8曲聞いたのですが、あまりの素晴らしさと、
プリンスの全盛期のような最高のファンクが織り交ぜられていることで
プリンスのことを思い出したのとで、聞きながら涙を堪えるのが大変でした。

ブルーノのコンサートを観たことがある人は知っていると思いますが
彼は本当に面白くて、頭が良くて、歌も踊りも世界トップレベルのエンターテイナー。
洋楽ファンでなくても、あるいは音楽のファンでなくても、
彼のショウは人生で一度は見ておく価値があると私は思います。それぐらい凄いです。

取材中もアカペラで「上を向いて歩こう」を歌ってくれたり、ジョークを飛ばしてくれたりとサービス精神旺盛だったのですが、成功について、とても大事なことを教えてくれました。

「何をやるにしても、忍耐は必要だよ。近道なんてない。
宝くじでも当てない限りね。でも、宝くじに当選するなんて、10億人に一人とかだよ。
どんな職業にも近道はないんだ。それを上手くこなすためには、努力しなきゃならない。だから、苦労はつきものなんだよ。

もし君が苦労をしていないとしたら、どこにも辿り着くことはないよ」

この新作の制作時、彼は自分が本当にいいと思える出来になるまで
1曲につき50回は書き直したそうです。
これまでの「ロックド・アウト・オブ・ヘヴン」や「アップタウン・ファンク」といったヒット曲も、同じようにものすごく時間をかけたと言っていました。


「あれほど沢山の人達に届く曲を作るのは、難しいことなんだ。作るのが楽だったら、
あれだけの反響は得られなかったよ」

大成功している人達を見ると、人は「その成功を収めた術」を見習って自分もそれぐらい成功したい、と思ってしまいがちではないでしょうか。

でも、本当に成功する法則は、「努力と苦労があってのもの」。

こんなブログをやっているぐらいなんで、私は苦労とかど根性とか努力とかがあまり好きな言葉ではないのであえて「行動」という言葉に置き換えますが、
本当に成功している人は、

その裏で他の人達の何倍も何十倍も何百倍も「行動」している。


夢を思い描いた後は、とにかく行動。


これは揺るぎのない事実だろうと思うし、
その好例がブルーノ・マーズの『24K・マジック』だと思います。

ホリデーシーズンにぴったりのゴージャスなアルバムなので、
今年一年頑張った自分へのご褒美に、聞いてみて下さいね。

Dreaming is Living!
I hope you all have a Happy New Year

ブリトニー・スピアーズ完全復活! 最新作『グローリー』発売

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みなさま、お久しぶりです。ブログをさぼって夏休みを満喫していたのですが、気づいたら8月最終日ですー!

さぼってる間にアメリカでは先日、ブリちゃんの3年ぶりの新作『グローリー』が

発表になりました(日本盤は9月14日発売)。

「栄華」、「栄光」という意味のキラメキのタイトルがついてますが、ブリトニーの完全復活を告げる大傑作になってます。

 

前作『ブリトニー・ジーン』を発表後、ブリトニーは3年間に渡ってラスベガスのプラネット・ハリウッド・ホテルの劇場を自分のものにしてコンサートを行ってきたのですが、ツアーという形ではなく一ヶ所に留まってショウを続けて来ただけあって、

今のブリちゃんはものすごく自分を磨き上げてて、進化してる。

ブリトニー・スピアーズ - 彼女が夢を叶えた理由

 

G-Eazyをフィーチャーした「メイク・ミー……」が発表になった後、

毎週土曜日にオンエアされているKISS FMの“アメリカン・トップ40”の

電話取材に応じたブリちゃんは、

「前からやりたかったことなんだけど、今回のアルバムではよりアーバン(ブラック

・ミュージックのこと)な音楽にもトライしたの」と嬉しそうに語ってました。

 

昨晩行われた「MTVヴィデオ・ミュージック・アウォード」では

見事に引き締まったボディと、3年前よりもキレのあるダンスをみせてくれました。

 


Britney Spears - Make Me... / Me, Myself & I (Live from the 2016 MTV VMAs) ft. G-Eazy

ブリトニー、まだアルバム出してるの!?とか思った人もいるかもしれませんが

ブリトニーの第二の黄金期は、今だと私は確信してます。

しかも若い頃の若さゆえの輝きやカリスマ性じゃなくて

彼女がここまで頑張って生き抜いて来たからこその輝きがこのアルバムにはある。

 

だから、ぜひ聞いてね☆

 

 

Dreaming is Living!