水鏡文庫

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きみのにじいろと目が合った

 

 

下り坂を猛スピードで走っていく自転車を坂の上から神様みたいに見つめながら、それがぶっ壊れるのを眺めていた。はじめはゆっくり下っていたはずだったのに、いつだかふたつの足は縺れてバランスを崩していく。その自転車に乗っているのはぼくだ。そして、それを見つめているのもぼくだった。そうだろう、ぼくの人生はいつもそうだった。急ブレーキのかけ方がよく分からずにここまで来てしまった。籠の中に入れられたおおきなストロベリー・ショートケーキはぐしゃりと音を立てるように潰れ、几帳面な白い箱から飛び出していた。周囲の人間は影のように見て見ぬふりをして雑踏のなかへと消えてゆく。そのなかで差し伸べられたあたたかくてすこしつめたいおおきな手が、ぼくの痩せこけた骨みたいな指を握った。ぼくは、おおきなストロベリー・ショートケーキのほうがぼくなんかよりよっぽど大事だったので、自暴自棄になっていた。もう、ここまで壊れてしまったら、清々しいものである。何もかもを失ったぼくに、価値はないのである。そんな言葉をもごもごと口のなかで咀嚼していると、さっきのおおきな手の指が、さらにつよく、それでいてやさしく、ぼくの手の指を繋いだ。あたたかくてすこしつめたかった。おそるおそる顔をあげてみたら、きみのみどり色のTシャツが眩しくて、海に溺れそうになった。視界がぼやけても、いっしょうけんめいきみを見る。きみは切れ長のちいさい瞳をいっそう細くして微笑みながら、指を絡めた。そのときのぼくたちはきっと、世界一きれいなこいびと同士だった。

 

あの娘は、にじいろのきれいな水晶玉を持っていた。だれよりもかがやくそのにじいろは、あの娘のうつくしさをさらに際立てた。にじいろが反射しているのかきらきらと輝いたおおきな瞳、つんと立った小さな鼻と、さくら色の小さな唇はいつだって私の憧れで、そして憎悪だった。どうやってもあの娘になれないから、あの娘に合うと惨めな気持になる。いつだっておおきな瞳が私をみつめる。私は、その瞳に気が付いているのに気が付かないふりをして、窓の外をみた。流れる雲が、夏を連想させた。夢をみた。うたたねの夢だ。陽だまりのなかの病室で、あの娘の夢をみた。あの娘には、あの娘にとっての、あの娘がいたのだった。あの娘はにじいろのきれいな水晶玉を買った。あの娘がそうしたように、にじいろのきれいな水晶玉を買ったのだ。はじめから、にじいろの水晶玉を持っていたわけではなかった。土砂降りの通り雨が上がって、白いカーテンを開けた。きみのにじいろと目が合った。

 

こんばんは。なんだか久しぶりに小説というものを読む時間を得たので、たくさん買いました。入院中で、寝てばかりも飽きましたので、すこしベッドの頭をあげて本ばかり読んでいます。そのままうたたねをして、だいすきな夢をみたりしては、ひとりで嬉しくなっているような日々です。やっぱり小説は素敵です。意味がわかるとかわからないとか、そういう理論的な生活からは離れているような言葉が粒みたいにきらきらと瞬いて、身体に吸収されていくような気持です。突然ですが、つぶつぶの果汁が入ったオレンジジュースは好きですか。私はちいさいころからなぜだかそれがいっとう好きで、病院の売店に売っているのをねだっては、買ってもらってご満悦でした。たんなるオレンジジュースはそこまで欲しくないのに、なぜだかつぶつぶが入っているだけで、ちがうもののような気がしていたからです。小説はそれに似ているな、と思いました。会社のパソコンから流れてくるえらいひとのメールの文面は、そこまで私の心を震わせるようなものではないですが、純文学というような小説の文面は、まるでいきもののように私のなかでくるくると踊り、そしてすとんと落ちるのです。やわく咀嚼して飲み下すような感覚で言葉を味わうと、自分のなかで蠢いている言葉がくっついて、はやくここからだしてくれと強請るのです。そういうわけで、急に文章が書きたくなっただけの支離滅裂なものですが、思っていたより気に入っています。また、気まぐれになにか書くかも知れませんが、そのときまでまた。なんとなく、海月が漂うように生きていけたなら、それで満足です。

 

 

可哀想

 

通勤ラッシュの人混みに揉まれながらみんな死ねとか考えてそのみんなにはもちろん自分も含まれているわけだけれども殺意があらゆる方向に向きまくっていても結局なんも変わらなくてささいな変化さえ全部自分のせいだとしか思えなくなるとかいう最低最悪のループにハマっている。

 

あなたが思っているよりも、ぼくはできた人間ではない。ぼくは、けっこうどうでもいい人間だし、この先のこともあんまり考えていない。親孝行だって、別にしようとか思っていないけど、親孝行するそぶりや発言だけでも親は勝手に喜んでるから、そのままほんとのぼくの気持ちを知らずに生きていってくれたらそれでいい。ぼくは、いまは幸せでありたいけど、この先ずっと幸せでいようとも思っていない。

 

生きてることがたまにどうしようもなくいやになるときがある。いなかったら、こんないやな感情とかつらい気持ちとかそんなのなくてよかったし、いなくなれないならせめて、普通のひとみたいな生活ができる身体と精神が欲しかった。羨ましくて仕方なくなる。病院に毎月毎月いかなくて良くて、山ほどの薬を毎日毎日飲まなくてもよくて、たまに凹むくらいで、眠ったら次の日は元気に会社に行けて、それが羨ましい。私もそうなりたかった。

 

病気を理由に様々なことから逃げているんだね、という友人の言葉が刺さって抜けない。その後なんて返したかも覚えていない。何も覚えていない。その言葉だけがひたすらフラッシュバックして、息が吸えなくなる。彼女は強かった。たしかに、私は病気を理由に様々なことから逃げている。自分を庇っている。でも、事実として病気が原因で入院して、手術して、薬を飲んで、彼女とは違う経験をしている。彼女は私にひとり暮らしや海外留学をすすめたけど、私は医者の指示からどちらも出来ない。多分、彼女にとって私のこういう事実が、言い訳にしか聞こえなかったのだろう。

 

ぼくはときたま、ぼくのぼくだけの「渚カヲル」が欲しくなるときがある。そもそも「渚カヲル」ははじめからぼくだけのものだ。「渚カヲル」はぼくを否定しない。「渚カヲル」はぼくを嫌わない。「渚カヲル」はぼくを好きだと言ってくれる。「渚カヲル」はぼくを肯定してくれる。「渚カヲル」はぼくを叱らない。「渚カヲル」はぼくを怒らない。でも、つまらない。他者なのに、ただひたすらぼくの話を聞いている。「渚カヲル」がどんな人物なのか、よく分からない。「渚カヲル」とぼくの境界があいまいになって溶けてしまう。「渚カヲル」と友人や恋人にはなれない。なぜなら、「渚カヲル」は他者のかたちをした、ぼく自身だから。

 

勝手に気持ちよくなってんじゃねえよ、可哀想って思えるお前自身が好きなんだろ、ぼくをオカズにシコってんじゃねえ!ぼくは可哀想じゃない、ぼくのこと可哀想って思っていいのは世界の中でぼくだけだし、お前に何がわかるんだ?舐められるのは嫌いだし、見下されるのも惨めだ。惨めがさらに惨めになるから、その目でぼくを見るな。惨めだ、差し伸べられたその手も振り払って逃げたら、誰もぼくを見なくなった。まるでいないかのように、まるで私はとうめいになってしまったかのように。それは、それは嫌だ、ぼくを愛して、だれか、誰でもいいから私に価値があるんだって思わせて、そこのおっさん、昔みたいに私をオカズにして、可哀想って頭を撫でてくれ、ねえ、だれか。

 

ずっと周囲から “ 雰囲気が ” 似ているねって言われていたひとつ歳上の職場の先輩が結婚した。同じ大学を出ているから大学の先輩でもあって、キャビンアテンダントの内定を蹴ってまで、うちの会社に就職したという憧れの先輩だった。私は、その先輩が異動する代わりに今の部署に配属になって、今でも間違われて先輩の名前で呼ばれてしまうほどに、先輩は今の部署で重宝がられていた。でも、私は先輩にはなれない。先輩のようにスタイルもよくなく、可愛らしいお人形さんみたいな顔も持っていないし、電話や依頼部の対応だって上手くない。明るく周囲をまとめる力も、面白くないひとの話をさも楽しそうに聞く力も、なにもかも私がのどから手が出るほどに、欲しくて、欲しくて、手に入らなかったような、きらきらしたものを、ぜんぶ持っているようなひとだった。マイナスな感情を一切表に出さない、人間のプロフェッショナルだった。人間何年目なんだろう、っていうくらい、ひとつ上とはとても思えない、素敵な女性だった。先輩のような社会人になりたいと思いつつ、ぜったいになれないことがうすうす分かりはじめていた。先輩の結婚という出来事で、私は先輩のような人間にぜったいになれないという事実をいやでも受け止めざるを得なくなった。先輩のような社会人、いや、人間になれたなら人生もっと楽しかっただろうなとか、先輩のようなしあわせな人生をちょっとでも分けてほしかったなとか、もちろん先輩にだってつらいこといやなことはあるだろうけれど、私が先輩のような素敵な女性だったなら、そんなこと乗り越えていけるくらいの自己肯定感はあるだろうな、とか。先輩の結婚を素直にお祝い出来ない自分のことも、すごく嫌いで、なにもかも嫌いだった。結婚おめでとうございます、というたったひとことが、喉につかえて上手く出てこない。真っ白い便器に向き合い胃液を吐きながら、どうして私はこんなに惨めなんだろうかと、生まれてきたことを後悔した。羨望と憧憬がぐちゃぐちゃになって、私の首を絞める。私は、先輩にはなれなかった。周囲から期待されているような、先輩の後釜にはなれなかった。そんなあたりまえの事実が、どうしようもなくつらくて、涙が止まらなくなって、その日は仕事ができませんでした。

 

私はなぜだか自分はこんなところで終われないんだという謎の自信がある。いつも努力しているのが伝わってくるところが好きですって言ってくれた後輩も、あなたらしさを大切にしてくださいって言ってくれた主治医も、ひゃくちゃん大好きって言ってくれたともだちも、みんな私に言ってくれた。先輩にはなれなかった私のことを、好きだと言ってくれた。私が先輩になれないように、先輩もまた、私にはなれない。何度も壊して直して作り上げてきた私のこの惨めな人生を、私以外の誰も生きることができない。だから、この惨めさはぜんぶ私のものだ。誰にも渡さない。いつかこの塊を肯定できるときがきたら、きっと。私は、可哀想じゃないよって、胸を張って言えるはずだ。

 

生きていてくれてありがとう。可哀想だけど、可哀想で片付けたらもったいないこともある。たぶん。わからないけれど。それがわかるときがくるまでは、きみも、一緒に生きていてくれませんか。

 

 

 

 

ラストノート

 

自分を見失ったとき、生きてる価値が分からないとき、辛いとき、自信を取り戻すための何かが欲しかった。自分だけ透明な箱に入れられて、周囲から隔離されているかのように感じてしまうとき、私はこんなことができる人間なんです、って誇れることが、なにかあれば、すこしはマシになるはずだと信じていた。

 

私にとって、水鏡文庫のブログはたしかにそのひとつで、ずっと続けてきたし、文章も自分なりに気に入っていたから、私の趣味だった。だけど、私が何かを生み出すときには、かならず何らかの精神的な苦悩とともにあった。水鏡文庫を書くためだけに、暗い気持ちに浸っていたことさえあった。でも、私はいま精神的な病気を本気で治したいと思っている。なるべくハッピーなことを考えたり、気持ちをプラスに持っていくことを心がけているうちに、何も書けなくなった。

 

趣味、がなかった。努力する才能さえなかったバイオリンは、社会人とともに辞めたし、茶道も書道も、社会人になるまでには辞めた。本を読むことも、ある程度のエネルギーが必要で、最近はまっているアニメのキャラクターのコスプレも、気分にムラがあった。そもそも自分の容姿が綺麗でないのに、コスプレをしても辛いだけだった。コンプレックスばかり意識させられてしまうから。

 

持病の影響で、同じ歳の周りのひとより早く身体が弱くなってきて、先のことが分からないけれど、いつ死んでも後悔のないように生きたいと最近は考えている。

 

いまはなにもしたくない。無気力なくせして、気分がころころ変わって、自分でもついていけない。こんな弱音を吐くために、このブログを使いたくなかった。ごめんなさい。

 

ラストノート。香水の匂い。そのひとらしい匂い。私にはあるのだろうか。私らしさがわからない。ノートを閉じる。最後のページ。新しいノート、買わなくちゃ。

 

 

夏のせい

 

すきなひとに絶望するなんて、こっちが勝手に理想を押し付けて気持ち良くなっていただけだって、ありありと思い知らさせる。ぼくの絶望を歌にしてくれていた、ぼくの代わりに叫んで暴れて、こんな世界おかしいよって、そういってくれたあのひとはもう、いない。きっとあのひとも、ほんとうはぼくの大嫌いな世界のなかのひとだったのかもしれないし、大嫌いな世界に育てられたから、大嫌いな世界のなかのひとに知らないうちになってしまったのかも、しれなかった。

 

扇風機が壊れていた。汗が身体から染み出てくるのがわかるくらいには、暑かった。きみの裸はつめたくて、いくら愛撫しても、声ひとつ出さない。きみのつめたい身体に舌を這わせ、くちびるを合わせる。ずっとすきだったあの娘は、いまぼくのまえで裸になっているのに、ずっとすきだったあの娘は、もういない。あの娘の、水色のセーラー服も、白い水着も。

 

なにもかも、何かのせいにできたらよかったのにね。誰かのせいにしたら、その誰かが傷付くことになるから。それは嫌だ。人間は人間を傷付けながら、生きているのかもしれないけれど、意図的に傷付けたくはなかった。生まれてきたのも、いじめられたのも、仕事でうまくいかないのも、病気が治んないのも、ぜんぶ、ぜんぶ、なんかのせいにできたら、ちょっとは楽になれるのかな。生きてると、知らないうちに必ず誰かを傷付ける。それが嫌だった。

 

私は認められたのだ!社会にとって価値ある人間で会社にとって価値ある人間で生きていても良い人間で尊敬されるような人間で素晴らしい人間でこの会社の一部であることが誇り高くて仕方がない。私の自己肯定感は就職に成功したことで格段に上がった。たとえ雇用形態が障害者枠であろうとお給料が安かろうと仕事が辛かろうとそれは何の問題でもなかった。その会社に勤めていることがその事実が私を人間にしてくれた。けれど、私は今それを失うか失わないかの瀬戸際に立たされている。なにかひとつに固執してはいけないのだろうが、私の価値は会社にしかない。もし失うことがあれば、私に価値はないので、死ぬしかない。いよいよ、本当に死ぬしかない。

 

リアルすぎてつまんねーな、水鏡文庫。最近、どうしちまったんだよ。水鏡、調子乗ってんの?自分の人生だけで、文章を書いた気になってんじゃねえよ。初期の文学的(笑)な感じ、今はほぼないよな。自分語りマジ痛いわ。水鏡、死ぬなら死ねよ。嫌いだし、気持ち悪いよな。

 

ぜんぶ、ぼくのせいにしていいよ。ぼくのせいで、それでいいよ。ぼくは、人間じゃないから、傷付かないから。

 

あ、いままでのこれ、ぜんぶ夏のせいだからな。夏のせいにしちゃえ!来月も生きて会うしかないな、生きてやるぞ、ばーか!

 

めちゃくちゃ生きると疲れるから、ほどほどに生きてこうね。あとおしらせ。これまでの「水鏡文庫」と、これまでの私の創作文章と、新作書き下ろし小説「人魚を飼う」をまとめた全210ページの文庫本『水鏡短編集』が2021年8月20日に出ます!やったね〜!無料で配布するので、欲しいよって方がもしもいたら、こっそり声掛けてくれると嬉しいです。

 

それじゃ生きて会いましょう。

 

 

 

 

 

 

やるせなさ

 

さいきん、あまりにもやるせないことが多くて、もはや笑うしか方法なくて、へらへらいきてたら、ふつうにおかしくなっちゃってるのに、気付けてなかったみたいだ。耳鳴りが酷くて耳鼻科に行って、でも耳に異常ないから、精神的なものらしくて、あああってなる。

 

ずっとすごいひとなんだと、思い込もうとしていただけで、そのフィルムが剥がれたら、とたんにずっと辛かったことを思い出して、ぼろぼろになるのが、もう無理だった。ずっと尊敬していると思い込もうとしていただけで、ほんとうは。嫌なことに蓋をして見ないふりをしていたみたいだ。かなしい。それがわかってしまったのが、とてつもなくやるせなくて、かなしい。

 

恥ずかしくないように生きたい。恥をかきたくない。恥をかくと、どこでも構わず、涙が出そうになってしまうから。社会はクソだ。社会なんて、社会なんて大嫌い。今も昔も、ずっと大嫌いだった。悪いものを悪いといえない社会が嫌いだ。ひとのこころを傷付けることを、なくしたくて、がんばっても、知らん振りされて揉み消される社会。私のことなど、見つけてくれない社会。私は永遠に社会のなかに取り残されたまま、ずっとひとりで自分の影と戦って、ばかみたいだった。私だけだった。

 

友人が、日常的に人格否定発言をする上司のことを、話してくれたから、私はどうにかでも友人の力になりたくって、そういうとき、私は自分の正義みたいなものに、取り憑かれてるのか分からないけど、今後の対策を考えて長文のLINEを送ったら、仕方ないよねってあっさり返ってきたから、ああ、こんなに熱くなっていたのは、私だけだったんだ、ってなんとなく、周囲と自分の考えの違いみたいなものを、まざまざと見せつけられたような、気持ちがした。

 

いろんな人間がいるけど、それは分かるけど、ほかのひとのことを、すくなくとも意図的に傷付けることは、本当になくなってほしいなと思ってしまう。だけど、私は私で知らないうちに知らない誰かを傷付けてしまっているのだから、どうしようもなかった。でも、意図的に傷付けようと思ったことは、ないつもりなんだ。でも、不思議なことに、意図的に傷付けられたことよりも、無意識に傷付けられたことのほうが、ずっとずっと辛かったりもする。でも、人間の心を傷付けることは、なるべくなくしていきたいから、私ができることは、意図的にひとを傷付けないようにすることだけ。

 

というような、あからさまな正義感みたいなヒロイズムを振りかざしてみたって、たいして変わりはしないのだけど、でも、それでも、諦めたくないことがある。傷付けたくないから、何も話さないほうがいいとか、傷付けられたくないから、みんないらないとか。でも、それってものすごく寂しい。だから、私は人間を諦めたくないし、人間のことが好きなのだ。世界に舌出しても、人間のことだけは、抱きしめていたいから。

 

自分はこうあるべき、人間はこうあるべき、社会はこうあるべき、みたいな規範がめちゃくちゃ自分のなかにあることに、気付いた。それを振りかざして、他者を気付けているかもしれないことにも、気付いた。規範に首を絞められて、身動きが取れないのに、それが気持ちよくて仕方ない。才能ないから、努力でカバーしようとして、ぼろぼろになるのも忘れて努力することが、気持ちよかった。

 

あ〜あ、毎日毎日雨ばっかりで嫌になっちゃうね。小雨は好き。傘をささずに歩けるから。最近は、普通に傘ささんとびしょ濡れになるくらいは降ってるから嫌だな。

 

たのしいことたくさんみつけて、すこしずつ縫い合わせてでっかい人生つくろうね。それで、世界にあっかんべーしながら、でっかい人生で包み込んじゃえばいい。

 

最近、病んでも立ち直りはやくなったな。

 

 

嫌い

 

 

身体より大きいものを抱えて、へらへら笑って生きるしか方法がわからなかった。いつもそうだった。ひとより抱えてるものが、デカければデカいほど、すごいのだと思い続けていた。逃げ出さないことが、何よりもいちばん正しいのだと、いまでもすこし思ってしまう。処世術っていえばきこえはいいだろうが、たんにそれしか生きていく方法がわからなかったからだとしか思えない。嫌なことから逃げること、それはすなわち努力を怠っていることなのだと、逃げずにいたら、どういうわけか、死んでしまっていた。

 

壊れた旧型レコーダーのイヤホンが脚にまとわりついたから。蹴飛ばして寝場所さえない床を睨む。不快な音楽がいつまでも脳味噌にこびりついてしまって、不協和音をかなでつづけている。死んでしまえばよかったはずなのにもうぼくを殺せないくらいのゴミ屑になっていたのをいつまでも知らんぷりして歩き続けていたね。きみのために死ねるなんてそんな嘘はいらないんだ。ぼくはきみのために生きているのだからその逆があろうともきみだけは。きみだけは護らなくちゃ意味がないんだから。ぼくはぼくのためにいきていけない。きみのために死ねるのはぼくだけなんだから、ぜったいにぼくだけなんだから。ゆるさないゆるさないゆるさない。

 

病んでるほうが、ぜったいいい文章が書けるんだよな。文章書くために病んでたほうがいいような気がしてきたし、私に光が似合わなすぎて、逆に目が眩んでしまって、屋根の下の寒いとこを選んで歩くぐらいしか為す術なくって、自分のこと騙し騙しあやして生きてみたけど、つらさとかくるしみとかそんなん埋め込まれたトラウマは、なかったことにできないんだと急に我に還ったりする。たんに頭が良くないんだと思う。ペンチで歪められた釘はにどとまっすぐにはなれず、何処か歪みが残っている。私は人間の気持ち悪いところが大好きで、そしてとても怖い。怖いから、だから大好きになろうとした。それもまた、きみの処世術なのかもしれないし、私にみせているそれがほんものなのかもわからないけれど、私にみせているそれと私以外のほかのひとにみせているそれが、あまりに乖離しているのを、まざまざと見せつけられてしまうと、人間の怖さを思い出してしまう。でも、私だってはじめは、私以外のほかのひとだったのだ。きっとこういうひとなんだろうな、って勝手に想像して好きになって、でも蓋を開けたら違って、それを怖いからと拒否するなんて、我ながらなんて傲慢な人間なのだろうかと思ってしまう。嫌いなひとのことを、完全に嫌いになるなんてできない。好きなとこが残っているぶん、手を振りほどくほどの、勇気もない。

 

私は使われてるのかもしれない。ひとりでいるのがいやだから、私と一緒にいるのかもしれない。かわいい服を着てるのを、際立たせるために、私はいるのかもしれない。そもそも私に、意味などないのかもしれない。よくわからない。だいすきなひとたちのことも、急に信じられなくなって、ひとりでうずくまるしかできない。眠い。寝たい。疲れてしまった。すこしだけ、休ませてほしいよ、人生のすべてから。

 

朝のひかりがカーテンから漏れだして、ほかの高層マンションに囲まれた私の部屋には、それは陰になって夕方からしか陽の光を浴びられない。きっとまた戻るから。もとの私にはきっと戻れるのだから。死ななければ、戻れるのだから。だから、なんとなく流れに身を任せてだろうと生きていくしかないんだ。人間が怖い。きみのことがとても怖い。嫌いなのかもしれない。ごめんね。

 

 

 

 

 

 

うそつき

 

気が付いたら、私がどこにもいなくなっていた。

 

愛されたかった。嫌われたくなかった。そのくせ、ひとから好意を向けられることが怖くて、それはほんとの私じゃないから、きみの見ている私は、たんなる幻想のなかの女の子でしかないのだと知ってほしくてたまらなくなる。私にはなにもないから、本当の私のことを見たらきっとみんな嫌いになるだろう。嘘をつくのは得意だった。好きになってほしかった。人間らしくいろんな人間に好かれたかった。愛される人間になりたかった。でも、私が人間に好かれるはずなどないから、私が好きな人間になろうとした。私は私が好きだと思う人間を創り上げた。それを、あたかも私の人格であるかのように、だましだまし生きている。私は、息を吸うように嘘をつき、周囲を騙しながら生きている。人間に嫌われたくなかったから、人間が言われたら嬉しい言葉をたくさん言ってきた。生きれば生きるほど、仮だったはずの人格が私を飲み込んでいく。ある日境い目が分からなくなった。自分がどこにもいなくなっていた。ただひとつ、自分がまだ存在するのだと実感できる瞬間があった。人間をだますときだ。人間ににせものの好意を撒き散らすときだ。人間に嫌われたくはないから。そのとき、一縷の罪悪感が身を貫くのだ。その痛み、その苦しみが、ほんものの私なのだと、まだ私はくたばってはなかったのだと実感することができる。そんな最低なやり方で、自己の存在を確認しているのだ。

私は、許されないほどの多くの罪を背負ってしまっている。どうせ逝くのは地獄だろう。けれど、許されたくて愛されたくて本当は弱くて狡い私のことをみてほしくて、けれど、そんな私は愛されるわけがないから、自分の脚本をつくってそれ通りに演じて生きていくしか、私に人権はない。なにに愛してほしくて、なにに許されたいのかも、なんにもわからないままで、ただ感情だけがそこにあり続けている。何重にも重なって、いくつ蓋を開けようと、中身にはいっこうに触れられず、見つけたと思いきや、砂の城のように脆弱なのだ。私という存在そのものが虚構にすぎず、きみが好きになってくれた私もたぶん虚構なのである。さいきんは、それに気付いてしまって、どれがほんとうの私の気持ちなのかが、まったくわからず、でもともかく思ったことをそのまま、なるべくそのままで表現したいと思っている。そうしたら、どこかに私がみつかるかもしれないから。みんな私に優しかったらいいのに。私はみんなに優しいのに。どうしてなのだろう。いつも私ばかり与えているような気がして、私のすくない持ちものをすり減らして分け与えて回っているうちに、私にはなにもなくなってしまったんだよ。

 

というのが、私のはなしだ。けれど、人間ってわりかしいろんな私をもってるものじゃないかな?私だけじゃない気がしてきた。生きてくうえでなんとなく言っておいたほうが人生うまく回るんじゃね?みたいな褒め言葉とか、こっち間違ってないけど自分より立場上の人間のツラを潰さないようにするとか、そういうのあるじゃん。それでいちいち嘘とか思ってたら、普通に無理だから、嘘も方便ってよくいうでしょ。きみのことが好きだけど、好きっていいすぎないように駆け引きするのだって、ある意味では嘘なんだから。べつに、人間は嘘つく生き物だよ。それも含めて私なんだよ。私が何人いようとも、その全部は私なんですってわかってさえいれば、きっと大丈夫なんだよ。たぶん。きっと。私も分からないけれど。だって人生1回しか体験してねえんだし分かるわけねえ!でも、こんなに最悪な私のこと知っても、狡くて脆弱な私のこと知っても、それになんとなくでも私の知らないところで救われて生きてくれたら、なによりしあわせだし、私は地獄にいくけれど、どうせ死んだら私はいなくなるんだし、なんとなくでも生きてたほうがいくらかマシなのかもなんて、ちょっと思ってしまうから、まだこの世への未練が残ってるんだな。わからないことも、許されたいのも、愛されたいのも、なにもわからないけれど、なんでもわからないけれど、それでも。