さわのひとりごと。

ひよっこナースが、自分と向き合う場所です。

卒業・別れ、そしてはじまり。

10年間使った駅にいて、
これまでの10年間を思い出す。



中高の6年間は、初恋の人も同じ駅から同じ学校に通っていたから、今立っている噴水の所からいつもこっそり彼を見てた。
告白したのも、振られたのもこの駅。
最初で最後の一緒に帰った日も、この駅にいた。
友達と一緒にたくさん話したのも、
喧嘩したのも仲直りしたのもこの駅。
この駅と学校の最寄り駅と、学校が私の行動の中心だった。


大学に入ってからのこの駅は、
ただの通過点に変化してしまった。
世界が大きく広がって、視野も広がり、私が活発になったからだ。
恋人ができ、自分に自信がつき、よく笑うようになり、外の世界に憧れた。
この駅は私と外の世界を繋ぐ玄関だった。
毎朝毎晩この駅を通った。
電車に間に合わず必死で走った時もあった。
疲れた顔で憂鬱な気持ちを抱いて歩いた時も、嬉しくて満面の笑顔だった時も、こっそり彼とキスした時もあった。



明日の朝、私はもう一度この駅を通る。
それが最後。
10年分の思い出や記憶を残してこの玄関を出て、私はもう帰らない。
今度は新しい駅で思い出を作るよ。
10年間、私の成長とともにあった駅。
ありがとう、またいつか。



私は、東京で看護師になります。

災害がおきるとき

南海トラフ地震、首都直下地震が起きる、ともう何年も言われています。
医療の現場でもいつ見舞われるか分からない災害に対し、訓練を行っています。対策も練られています。
私は医療従事者になる身として、そうした災害の現場や救急の現場で、医療従事者として人々に希望を与えられる存在でありたい。

そのために、飛び込もうとしている世界があります。私自身の力をつけるために。

看護の世界も厳しいです。リアリティショック、バーンアウト、ハラスメント、責任の重さ、不規則な勤務形態にライフイベント。いつまで看護師として働けるか分かりません。

でも。きっと、私が看護師として働いているうちに、1度は災害に出会うと思います。そう思って覚悟を決めています。

いつ起きるか分からない災害。もしかしたら明日、起きるかもしれません。例え明日起きたとしても、私は看護学生です、と声をあげられるように、今日も精一杯学びます。
これからも、精一杯学んでいきたい。

死と向き合う

久々ですが、重たい話題です。



先日、友人が亡くなりました。
自殺でした。



人の死と向き合うきっかけは、これで3度目です。


最初は、バイト先の店長・リーダーでした。
病気だったと聞いています。
3年前。私はまだ大学1年生で、たくさんのことを教えていただいていました。プレゼンの練習にも付き合ってくださっていて、決起集会の場では『きっと上手くなる』と伝えてくださいました。その数日後、突然倒れ、そのまま亡くなりました。
周囲に認められ、自信を持てるようになったプレゼンターとしての私を、その人に見てもらうことはできませんでした。


2度目は、大学の友人・同級生でした。
部活で起きた事故によるものだったそうです。
2年前の冬。7人で集まってたこ焼きパーティーをしました。一緒に笑って一緒に騒いで、たくさん食べて。今でも鮮明に思い出せる思い出のひとつです。その数日後、部活中に倒れ、そのまま亡くなりました。倒れてしまう数時間前。私は彼と言葉を交わしていました。私はバイト前の、彼は部活前の腹ごしらえをして、じゃあね、と手を振って別れました。それが最後になりました。


そして、3度目。
たこ焼きパーティーをした7人の中のもう一人の友人が、亡くなりました。たこ焼きを焼いて、たくさん騒いで笑ったあの部屋で。
以前に友人が亡くなった後も、たくさん言葉を交わし、実習を乗り越え、あと数ヶ月で卒業でした。
亡くなる2、3日前まで学校に来ていて、言葉を交わして笑いあって、、、。何が引き金だったのか。何に苦しんでいたのか。今となっては知る術はありません。


3人とも、人望のある素敵な人でした。優しい人でした。
良い人ほど早く失われる、というのは事実なのでしょうか。


人の死と向き合う度に、痛みと、悲しみと、命の重みを感じてきました。
しかし、今回はそれだけではなかった。
私は楽しかったのに、彼は楽しくなかったのか。なぜ彼は何も言わずに一人で逝ったのか。私は、私たちは、何かできたんじゃないだろうか。なぜ止められなかったのか。なぜ彼は死ななければならなかったのか。深い喪失感と、無力感と、やりきれない気持ちでつぶれそうでした。
優しかった彼は、優しすぎたが故に、一人で抱えてしまったのだと思います。
共に学び、共に笑った友人が突然、生きるのを諦める……。どれほどのショックを与えるのかを実感しました。1つの命がどれほど重いかを実感しました。


私自身、本気で死を選ぼうとしたことがあります。
相談できない気持ちも、生きていくのが辛い気持ちも分かるつもりです。
死にたいなら死んでもいいんじゃない、という考えも持っていました。
でも、そうではないと思います。人の死は重い。事故であれ病気であれ、なくなっていい命なんてない。自ら死を選ぶことなんて、もってのほか。
彼の死をうけて、心に誓いました。
どんなに辛くても、決して生きることを諦めないと。


優しかった彼は、亡くなるとき、残される私たちを、恋人を、家族を思って涙を流したでしょう。
私は、笑って死にたい。
誰もが笑って死ねる世の中であってほしい。



私は、この先も生きていきます。
看護師になって、目の前で命が消える瞬間にも出会うでしょう。人の死に慣れてしまうのかもしれません。それでも、彼が教えてくれた命の重みは決して忘れません。この痛みも。悲しみも。
そして、できる限り、悩める人、苦しむ人が生きるのを助けたい。


どうか、もう誰も、死を選ばないで。
命は重い。
優しさ故に死んでしまうのなら、優しくなんてなくていい。自分勝手でいい。生きているだけで十分、誰かを救っている。その命はとても尊い

看護師になるということ。

今、最後の実習、統合実習をしています。
今回は受け持ちの患者を持たず、記録もほぼない。
今まではやりきるだけで精一杯だったけれど、今回は悩む時間がある。
ちょうどコードブルーがやっているということもあり、自分の看護師としてのあり方を考える機会になっていました。

悲しく辛い現実と向き合うとき。
看護師はどういう関わりができるのか。
どう関われば患者は救われるのか。
私たちにできること、求められていることはなんなのか。
患者に関わりすぎても自分が潰されてしまう。だからといって、感情をなくしてはいけない。難しいと思います。看護師として生きていく以上は自分に問い続けたい。

私に足りないもの。いつか身に付けたいもの。

私はどんな大人になりたいのか。

考え出すといろいろなことが浮かんでくる。キャリアとか、看護師として、とかひとりの人間として……とかとか。
でも今、就活が終わり、残りわずかなモラトリアム期間にある段階で考えなければならないのは、人間としてのあり方なんだと思う。何かをするにはもう遅いかもしれないけど。

正解なんてない。答えなんて見つからない。
ただあるのは漠然としたイメージだけ。

人とまっすぐに向き合うこと。
周りの状況を見ることができること。

今の私にはどちらかしかできない。片方に集中しすぎて、もう片方をないがしろにしてしまう。
目の前のことに時間を使いすぎて、要領が悪い。自分のことにすら目がいかなくなる。

何を経験し、何を乗り越えれば近づけるのか。
頑張ってきたはずの時間は私の糧になったのか。私の何を形づくったんだろう。
……自分が見えなくなる。

学生生活は残りわずか。忙しいけれど、なにか新しいことを始めてみたい。
何一つ無駄なんてないことを、信じていたい。

はじめまして。

人生で2度目にしてブログを書いてみようと立ち上がりました。
さわです。
現在は名古屋の大学生。
順調に卒業できれば、来年から東京で看護師になります。

最近、自分と向き合うことが減っていたから、これを機に自分としっかり見つめ合いたい。

大人と子供の狭間にいる今、どんな大人になりたいのかを考えてみたいと思います。