七色日記~らくちん子育てで幸せになろう~

チャイルドコーチングアドバイザー。4歳児の母。製菓衛生師。

感情のクセ

今日は子育てコーチング。
自分の感情について、どう対応するかってことに焦点を当ててみたいと思います。

私は特に「怒り」という感情に傾くクセがあるんだけれども、
人それぞれ、悲しむとか、不安になるとか、ある感情に傾いてしまう傾向があるんですね。
それはいい悪いではもちろん無くて、ただ、気質的にそういう傾向がある、というだけのことです。
いつものおなじみのその感情に傾くのが、幼い頃からの習慣になってしまっているので、怒りやすい人はよく怒りに傾くし、悲観的になりやすい人はいろんな状況で悲観的になる、ということが起こるようです。

そして、一度その感情に支配されると、なかなかそこから抜け出せずつらい、ってなりがちなんですが、

…子どもって、そのめんどくさーい感情をわしゃわしゃかき乱しますよね(笑)

何が起こっても動じないってのはむーりー!
です。そんなやつはもう仏やろ!呼び捨てしてすいません、仏さん。

それでまぁ、子育てしてて一日に何度もそういう感じだと、それはやっぱりそうとうしんどいです。

たいてい子どもの問題行動(と思えること)やパートナーとのいざこざ(らしきもの)などの身近な対人関係で、その感情が引き出されたりするのですが、

その感情に支配されたとき、自分の固定観念に気づくチャンス、そしてその感情を感じきるチャンスです。

私の場合。

あるお店で息子と一緒におもちゃを買いました。
そのあと、息子が私に、
「もう1つおもちゃがほしい」と言ってきて、

さっき別のおもちゃを買ったばかりだし、ほしいのはわかるけど、それは聞き入れられない、
と私が言うと、

私をバシバシ叩いてくる、という場合。うーん、書いてて思い出し怒りしそう。

息子は叩くのはいけないことだと、頭ではわかっています。
でも、それを抑えきれない。息子はわりと衝動的に行動するタイプ、
ということと、
息子も無意識ですが、怒りを使って自分の思い通りに物事を進めようとしている、とも言えます。

私は、叩かれると怒りがこみ上げてきます。けっこう痛いし。
冷静ではいられないようなざわついた気持ちになります。

このとき、
「ああ、私は怒りを感じているな」
「叩かれて嫌だと思っているんだな」
「私、叩かれたら悲しいし、悔しいよね」
と、
感情を感じきってみる。
自分の中の子どもが怒っているのをきちんと感じてあげる。

それで、それをちゃんと口に出す。

「ママ、叩かれたら嫌だ」
「叩かれたら悲しいし、悔しい」

相手がわかってもわからなくてもいい、と思ってそれでもちゃんと口に出す。

なるべく、素直な気持ちを言うということ。

これ、いつだったか前にも書いたんですが、

「怒り」をぶつける、というのと、
「怒り」の奥にある感情を素直に口に出す、

というのとでは全然ちがいます。

まず、私は、私の感情をいちばん大事にする、と決めるのです。

そして、「怒り」は二次的な感情で、「相手や物事をコントロールするためにわく感情」

その奥の「悲しい」「悔しい」「嫌だった」
が、最初の素直な感情です。

プラスもマイナスもどっちの感情もきちんと感じきって、それを出す、

その習慣を普段から意識してみると、だいぶ楽になります。

誰かに何かを言われて不安になったときは、

「そう言われると不安になるんだけど」

ときちんと言うとか、そういうことをなるべくやってみるといいです。

たとえそれで、怒りをぶつけたからといって、罪悪感を持つ必要はありません。

どれも自分の大事な感情です。

どんな自分でもスバラシイ!もしくは、

どんな自分でもアリっちゃアリ。ぐらいの軽いノリでいきましょう。

まぁこれが、なかなか腑に落ちないんすけどね。

そこはがんばって腑に落とすしかないです(笑)
だって、誰に言われなくても、あなたはスバラシイのだから。これは決定事項です。

それと、固定観念について少しだけ。

子どもの問題行動とかパートナーとのいざこざは、
「私が問題だと思っていることは何か」
「私がこうしなくてはならない、と思っていることは何か」

を改めて考えるチャンスです。

それは、本当に問題なのか。ってことです。

例えば、大人は

スムーズに物事が運ばなくてはならない、

と思っていたりしますが、

それは固定観念です。

スムーズにいかないことをむしろ楽しんだり、その中で、子どもはいっぱい学ぶし、それを見届ける親も、いろんなことを学んだりしてます。

幼い子どもにはそもそも時間の概念がなかったり曖昧だったりするので、子どもにとってスムーズにやることはあまり重要ではないのかもしれないですね。

さっさと物事が運ぶ、というのは、大人にとっては楽ですが、そのかわりいろんなことが雑になったり、適当にすませたり、子どもがあまり学ぶべきことがなかったりする、という側面もあるかと思います。


ただ、そのように考えたからといってスムーズにいかせることを優先しない方がいい、というわけではなく、

あくまでも、このような自分の中の固定観念に気づく、ということが大事だと思います。


気づいた上でどう対応するかは、自分の心と相談して決めればいいのです。


で、基本的なところは、

「何が起きても大丈夫」

だと思うということです。

子どもも、自分も一瞬一瞬成長しています。

「私だから大丈夫」

「この子だから大丈夫」

と無条件で自分も相手も信じてみると決めるだけどす。あ、どすになってもうた。

そうは思えない、ではなく、
そう思うと決める、だけで、目の前の出来事がまるで違って見えます。

問題は問題ではなくなるんです。

ただの現象、出来事になります。

ジャッジせず、目の前の現実をただ受け入れる、

ということができるようになると、

その後の対応も楽しめるようになったりします。
ああ、そうなのか。と。

どんな対応をしたとしても大丈夫。

そう信じることは、自分を信じることです。

何があっても自分も子どもも大丈夫なら、私はどんな子育てをしていきたいだろう?

どんな風に、子どもと、パートナーと、いろんな人と、接していきたいだろう?

それが、本来の自分が望む子育て、そして生き方だと思います。

うわー、長かった!おつかれさまです!


そんで、全く関係ないけど、なんだか凄そうな金運封入画像をUPしてるブログをご紹介します!

金運上がる人は上がるらしいっす!

潜在意識ってやーつー♪ですね。


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神戸の万葉の湯にて、平清盛隊のイケメンと息子。イケメンに緊張して固まるヤツ。

らーめんつけめんボクいけめん!

ふっるー!

















カフェとか理不尽な怒りについての内観(当社比)


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ずいぶんひさびさの更新となってしまいました。6月からカフェを始めて、バタバタと忙しくしております。おかげさまでお店の方はとても順調で、イベントや予約が続々と入り、ありがたい限りです!

こんなお店です↓

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カフェについては、この辺にしといて(なんでやねん、宣伝いらんのか)

自分を内観して気づいたことがあったので、
その話しをします。すみません。

 店を始めてみて、息子と向き合う時間が減ったのかな?と思いきや、

まったくそうでもなく(笑)

むしろ、幼稚園から店に連れて帰ってきて、そのまま息子と一緒にカフェでうだうだお話する時間が増えているような気がします。
カフェでお話なんて優雅っぽく聞こえるかもしれませんが、お察しのとおりバタバタしながら
「え?え?なんて?」とか、言いながら
テキトーな息子の話をテキトーに聞いているだけです。
掃除とか片付けとかしながら。
ときにお客様のお話し相手とかしながら。


…そして、今朝はひさびさにがっぷり4つでむちゃくちゃ怒り散らかしました。

私、そもそもまるで大人気ありません。だいにんき、ではなくておとなげ、の方です。念のため。

だってだって!あの人理不尽すぎるんですよ!奥さん!

朝のクソ忙しい時間に勝手にジュースを冷蔵庫にぶちまけて、失敗したという怒りを私にぶつけてわーわー言い出され、挙げ句の果てに拭くのも手伝わないで、幼稚園行かない、と言い出した‼

これ、私にとって理不尽以外の何者でもありません。

で、私、この出来事が起こる前の日に、

「理不尽な怒りをぶつけてくる人」

について考えていたんです。

なぜ、息子や旦那はたまに「理不尽な怒り」を私にぶつけてくるのか。
私は、いつも「きちんと話し合おうとしているのに」。

内観した結果、実はこれ、たまたまじゃないんです。

「私がそうさせている」んです。

なぜなら、

私自身が、理不尽な人に対していつも感じているはずの自分の「怒り」を

あまり出してこなかったから。


無意識に自分の感情を抑えこんでいたから。

小さい頃、理不尽に怒ってきた親や教師やいろんな人に対して、


「なんで理不尽に怒られなきゃいけないんだ!このやろう!もっと大人になれよ!クソ!私はそうはならない!もっと大人になってやる!」

って、めちゃくちゃ怒って。



そして怒りをまるで感じなかったように押さえこんで、


「理路整然と」

「話して解決」する「べき」

と思うようになりました。

でも、

「理不尽に怒ってはいけない」

と思っているから、


その「べき」を壊すような、蓋をしたい自分の感情をあぶり出すような出来事が起こるのです。そして、その度に心がざわざわします。

このとき、善悪や常識は関係ありません。

目の前の出来事は、

自分の心の中を映しだします。

「理不尽に怒ってはいけない」

というのもまた、偏った思い込みなのでごわす。あ、ごわすになってもた。

物事を、「善悪」でジャッジするばかりになると、

たちまちそのジャッジによって自分の心の声や感情を

抑えこんでしまうことになります。

この場合、

「理不尽に怒ってもいい」

と、自分の前提を上書きすると、その感情を解放することができるようになります。

そうすると、もしまた同じことが起こっても、それが気にならなくなるのです。


で、前日にそこまで思い至りまして、

翌日の朝の出来事が起き、

ここぞとばかりに

怒り散らかした、というわけどす。あ、どすになってもた。

息子に怒る大チャーンス!

「こらええかげんにせぃよわれ」

的な。

「お前がこぼしたらわしが後始末せなあかんのかなんでやねん冷蔵庫むちゃくちゃやんけこらぼけいてもうたろか」

的な。
そこまで関西弁バリバリのおっさんぽくは言ってませんが、ニュアンスは近いです。

親がむちゃくちゃに怒ると子どもが萎縮してしまうと思い、自分の感情を我慢する、というのは、

まったく意味がないんです。(当社比)

特に

「自分の感情を我慢する」のは

悪影響のほうが大きいです。

「不自然」なんです。

子どもも周囲の人もそれを感じとっています。

なので、子どもは余計に駄々こねがひどくなったりします。

周囲の人が、こちらを困らせたり不安にばかりさせてくるように感じられたりします。

それは、

「自分の心が映した鏡」

です。

どこか偏っている前提があると、

人はとても苦しくなります。

苦しいことばかり起こるように思えます。

なので、今回の私の場合、

「理不尽に怒ってもいいし、怒らなくてもいい」

という、「どっちもアリ理論」を採用すれば

私は解放されます。

で。

はい、解放された~!


すると、さきほどまでの駄々こね息子が、

ぐずるでもなく、
淡々と

自分で制服とカバンを持ってきて、自分で着て、忘れ物チェックまでして、

しれっと、

「幼稚園早く行こっか」

とか言ったりします。


「怒るべき」と言ってるわけではなく、

私が感情を不自然に我慢しないだけ。

そうするとどうやら息子が安心するようなのです。

で、私も安心します。

そこで、私もいちおうチャイルドコーチングアドバイザーなので(ほんまかいな?)

「こぼしたときは今度から一緒に拭いて欲しい」

と伝え、

「うん、拭く~」

と言ってもらい、

「ありがとう!さっきめちゃめちゃ怒ってごめん。でも、ママあんなんされるのめっちゃ嫌やってん」

「いいよー」

「じゃあ仲直りしよ」

って、ハグアンドキスアンドクライ。クライはうそです。笑てます。

 子どもは、作られた優しいお母さんよりも、

「自然体のお母さん」

が好きなんです。(当社比)

罪悪感や常識や世間体でがんじからめのお母さんよりも

「自分の感情を大事にするありのままのお母さん」

でいてほしいのです。(ほんまやで)




そんなオチ!

長々とありがとうございました。

私のセルフカウンセリングのお話でした。


































子育ても人間関係

子育てについて。今回も真面目です♪

答えはいつも、自分の中にある。
答えはいつも、その人の中にある。

私は、人にアドバイスをさせてもらう機会がけっこうあるのですが、
ついつい忘れがちなのは、アドバイスをするときに、「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」
というスタンス。

同じことを経験しても、その人と私の結論や選択は違う、ということ。

こちらのブログにコーチングの大事なスタンスが書かれています。

子育てにおいても、
「子どもが自分で導きだした結論」
を大事にする、
「どうすればいいのか」
考える過程を大事にする、

それは子どもを自分と対等の一人の人間として扱う、

ということだと思います。

「親の」理想通りにはいかないでしょうし、失敗もするでしょうが、

失敗すらも、子どもにとっては大事な経験となります。

あ、命の危険があるとき、あまりにも社会的なルールに反したときは別です。そういうときは、毅然とした態度で止めればいいです。

それ以外の日常の場面での話です。

 大人も、他人に自分の行動を決められるのは不快なように、

子どもも親といえども他人に口出しされたくはないのです。

一人の人間だからです。

「まだ考えることはできないだろう」

と思って子どもにアドバイスし続け、ヘルプし続けていると、

本当に自分で考えることをやめてしまう子もいます。あるいはやめたフリをするか。

反発しまくる子もいます。



だから、自分で考えようとしているときには、アドバイスではなく、
ただ、事実を伝えることと、

「あなたはどう思う?」
「あなたはどうしたい?」

と考えるサポートをすることで、充分だと思うのです。

これは、こうして文章にすることで、自分への戒めとしても、今一度、確認しておこうと思います。

 もちろん、親の方に時間や精神的な余裕がなければ、こちらの考えを押し通すことも
あっていいと思います。
 精神的にしんどい人は、子どもの前に、自分に「どうしたい?どう思う?」とまず問うことを繰り返すといいと思います。


ただ、子育てに限らず、人の話を聞くときに
「アドバイスしてあげよう」
「答えを見つけてあげよう」
ではなく、
「この人にとっての答えは何だろう」
という視点で話を聞くと、
たいていの人間関係はうまくいくのだろう、ということ。
それは、子育てにおいても全く同じだということ。

アドバイスする、というのは、求められないかぎり、

無断で他人の領域に足を踏み込むことになり、

そうするとトラブルの元になりかねないんだと
思っておいた方がいいかもです。

よかれと思ってアドバイスしたがゆえに

どちらが正解でどちらが不正解か、という不毛な権力争いになる。

そんなことをしなくても、

「私はこう思うけど、あなたはそうなんだね」

で、充分なのです。

本当の信頼関係というのは、

「お互いの違いを認めあう」

からこそできるのだ、と思います。価値観が同じでなくても信頼関係は築けます。

子育ても、人間関係です。

自分の答えは、それぞれが自分で導きだせばいいのです。

親と子どもの価値観が違っても、

「それはただの違い」

であって、問題ではないのです。

アドバイスし続ける、ということに慣れすぎてしまわないように。

求められていないアドバイスは、子どもを「支配」することと、変わりないからです。

よく、子どもの摂食障害が問題になることがありますが、

親によくアドバイスされ、行動や考えをコントロールされた(と、思いこんだ)子どもが、親の価値観にすべてを支配されまいとして、過食や拒食に走ることが知られています。

それは、「食べること」や「自分の体重」だけは親にさえもコントロールできないだろうと見せつけることで、無意識的に親に復讐しているのだ、

アドラー心理学の岸見先生がおっしゃっていました。

「アドバイス」と「ヘルプ」は、求められたときに限り、
あとは「サポート」や「共感」ぐらいにしていれば、充分。

ほっておいても子どもは、自分らしい生き方を選択するでしょう。

子どもと良好な人間関係を築くには、

「親と子どもは違う」

ということをまず受け入れることからはじまります。

そして、親自身も自分がどうしたいか?を自分で問うことができていればいいのではないかと思います。

























スポットライト。悩みをなくすには。

 今日は真面目なかんじです。

 アドラー心理学の本の紹介をたびたびさせてもらっているのですが、
先日も、アドラー心理学のベストセラー本
「嫌われる勇気」を書いた、岸見一郎さんの講演会が近くであったので行ってきました。
 
 そこで、「メールをいただけたら、個別に詳しくお話しますよ」と、おっしゃっていたので、ちょっと勇気を出してFacebookでお友だち申請&メッセージを送ったところ、
快くお返事していただき、お友だち登録させていただけました。ちょっと自慢です、いやかなり。わはは。

 岸見さんのこういう気軽さ、隔たりのなさが、好きです。有名な方にも関わらず、どんな人に対しても「対等」だというアドラー心理学を完全に体現されていて、本当に素敵な方だなぁと思います。普通にそこら辺にいる、気の優しいおじいちゃんのようです(笑)失礼かな?
 
 それ以来、かなりお忙しい方にも関わらず、メッセージで主に子育てについて、質問をさせてもらったりしています。アドラー心理学コーチングの基礎となる考え方なので、聞けるものならいろいろ聞きたいと思いまして。ちゃんと答えてくれるのがスゴいです。ちょっとした勇気って大事です。まさに嫌われる勇気。

 というわけで、前置きが長くなりました。

アドラー心理学は、というか、
「嫌われる勇気」は本当にわかりやすく、今までの固定観念を完全にひっくり返してくれる素晴らしい本です。

 自分に自信が持てないとか、ネガティブ思考とか、そういったものをとても理論的に根本からくつがえしてしまえる、というのが
この本の持つ力だなぁと、思います。

 そして、タイトルのスポットライトについて。
ある意味、とても厳しいことだけど、悩みというものは、

「今、ここ」を生きないための逃げ場でしかないのです。

 どうせ「今」という瞬間にしか、人は生きられないのに。

一瞬先がどうなるかすらわからないのに。

 「過去」や「未来」に何かを求めて悩み、安心を得たいと思い続けるのは不毛なことだと、私は思います。

 そこに安心を求めたところで、結局は、不安や恐れしか得られないという結果にもなりかねません。
一瞬先がどうなるかなんて何の保証もないわけですから。

「安心」も「今ここ」においてしか、感じられないものです。


だからこそ、「今」という瞬間に強烈なスポットライトを当ててしまえばいい、
そうすれば「過去」も「未来」も暗闇で、「今」しか見えなくなります。

 「悩む」ということは、過去や未来にうすぼんやりとした光りを当てて
「今この瞬間」を生きようとしていない、
ということの証拠でもあるのです。
 
 だから、どうすればいいのか、というと、
ありきたりだけど、
「今この瞬間を精一杯生きる」しかない。

 とりあえず、
このブログを書いている今この瞬間、
私は命を奪われることもなく、とりあえず居場所があって、間違いなく生きている。家族もいる。これはどう考えても幸せなこと。

 人生を悩みながら、退屈しのぎのように生きるのか、
平凡で、凡庸で、不完全な自分であっても、
「今ここ」を一瞬一瞬楽しみながら生きるのか、
人はそれを自由に選んでいるし、これからも選ぶことができるのです。

そこには、環境や性格はなんの関係もない。

一瞬一瞬を、ただ選択し続けているだけ。

 これが、腑におちると、
「悩み」は、ただの逃げ場なのだな、
ということが、よくわかるのです。

 「今ここの自分」から逃げて、

「過去」や「未来」に逃げ込んだところで、

そこに「幸せ」はないし、

どんな答えも存在しないのです。幻のようなもの。

 そして、この考えを採用するかしないかを選ぶのも自由です。

 自由である、ということも、また幸せ。

人が「幸せかどうか」という基準は、

結局のところ、「すでに幸せである」ということに
気づくか、気づかないか、

それだけなのです。

 すごいお金持ちでも幸せじゃないと思っている人はいるし、

 家族にとても愛されていても、それだけでは幸せじゃないと思っている人もいるし、

 何も持ってなくて、独りぼっちでも幸せだと思っている人もいる。

 「幸せ」になりたかったら、本を買ってきて読むだけで、または誰かのブログを読むだけで、本当は簡単に、幸せになれます。
 自分の腑におちさえすれば。

 アドラー心理学でもいいし、心屋仁之助さんでもいいし、引き寄せでも、スピリチュアルでも、NLPでも、コーチングでも、斉藤一人さんでも、さとうみつろうさんでも、ワタナベ薫さんでも、いろんな自己啓発本でも、

いろいろな人が、「楽に幸せに生きる方法」をちゃんとおしみなく書いてくれていますし、講演会やカウンセリング、セッションもしておられます。

 心屋仁之助さんに至っては、オープンカウンセリング、といって、無料で、というか料金はお気持ち制(自分で値段を決めて払える)で、
心屋式カウンセラーの方のカウンセリングが全国のあちこちで受けられます。
 宗教と勘違いしておられる方もいますが、それはそれで面白いからいいらしいです(笑)心屋式の心意気はんぱねぇです。

 行動するか、しないかも自由ですが、
しんどいのであれば、何でも手当たり次第やってみる価値はあると思います。

 「幸せ」か「不幸せ」を決めているのは、
自分でしかありません。

 他人がどう言おうと、どう思おうと、その人自身が「幸せ」と思えるならば、それは
「幸せ」です。

 他人の人生や、過去や未来を生きようとせず、
本来の自分を今ここを意識して生きる、

と、決めれば、即「幸せ」になれます。

心がしんどい人は、本を読んだり、心理学とかそういうことを勉強したりして自分に落としこんだ方が、病院行って薬もらうよりも、たぶん効果的だと思います。

 せっかくの人生ですからね。
不安や恐れだけで生きるのはもったいない!

 楽しく、好きなように生きると決めちゃえば、本当に楽です。

 ありきたりだけど、ありきたりって不変のことです。
そして、悩みがあっても幸せです。
安全で、退屈だから、悩むんですから。

生きるか死ぬか、やるかやられるか、みたいな切羽つまった状況の時は、とにかく生きることに精一杯で、悩むことすらできませんからね。

 「嫌われる勇気」の紹介は3回目。どんだけ好きやねん。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え


 
 
 

 







 

カフェの告知でーす!

 この度、6月1日から
兵庫県の神戸市垂水区にて
カフェを営業することになりました!

 お店の名前はPUPA

と書いてプパと読みます。

ここのお店は、現在オーナーさんがbarとして主に夜に営業しているのですが、

3月までは、オーナーのお母さんがお昼にカフェ営業もされていました。
それを後を引き継ぐかたちで、私が営業させていただけることになった、という経緯です。

 1階はカフェとして、2階はイベントスペースがあるので、そこでライブをしたり、いろいろなアーティストさんの作品展や、ワークショップをしたり、
また、1階で、時々1日カフェのような形で料理家の方やケータリングの方などに場所を提供してカフェを運営してもらったりもしています。

 こじんまりしたお店ですので、基本は私が一人で営業というかたちになります。

 メニューは今、

野菜を使ったプレートランチ
おばんざい盛り合わせランチ
や、
神戸牛が入ったときは
神戸牛のハヤシライスかカレー
提供しようと考えています。

デザートも考え中ですが(笑)

豆乳ぷりんや野菜を使ったマフィンなど、

体に優しいものが中心になると思います。


また、詳細が決まり次第、ブログにUPしていきますので、よろしくお願いします。

 イベントなどのご相談はよろしければ
アメブロの方にメッセージをいただけるとありがたいです。

ちょっと堅苦しくなったので、息子にチューしようとして嫌がられるの画像。でしめくくりたいと思います。

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私が、カフェをするという夢を引き寄せた!
参考書はこちらです。いやマジで。

自分を受け入れた瞬間、何かが起こる!  「引き寄せスパイラル」の法則

自分を受け入れた瞬間、何かが起こる! 「引き寄せスパイラル」の法則

心を開くのは怖い、のクセ

この前、母と話していたら、母の昔の話になりまして。

うちの家族もいろいろ葛藤がありましたが、

基本的に母はわりと素直な人で(昔は怖かったけど今は丸くなりました)、私が心理学の話をしていくうちに、プチカウンセリングみたいな感じになってきまして、それをすんなり受けとめてもらえるようになりました。

 で、母が高校生の頃の面白エピソード?が出てきたのでその話をしてみます。


私の祖母、つまり、母の母は
母が子どもの頃に寝たきりになり、ずっと病院に入院していました。それで、高校生だった母がちょくちょくお世話しに行っていたんですが、

相部屋だったので

同じ部屋に他にも患者さんがいてて、

その人のお世話も母がしていたそうなんです。何となーく手伝ってしまったりしたのがきっかけのようなんですが。

で、母はそれが実はすごいめんどくさかった!(笑)

んですが、何となくやりはじめてしまったし、やめるにやめられない。
 で、その人にも、ものすごい感謝されて、「いい子」だと誉められて気に入られていたそうで、余計にお世話を続けないわけにいかなくなったんだそう。

 ある時、祖母にそれを愚痴ったところ、

うちの祖母は、寝たきりのくせに、超毒舌で、言いたい放題の人だったらしくて、

それを、その方にバラしちゃったんだそう。

「うちの子がこんな愚痴言ってたよ」

って!しかも母の前であっけらかんと(笑)

 そしたらまぁその人は傷つきますよね。完全に善意で世話してくれてて、なんていい子だろう!って思ってたのが、
陰でそんなこと言ってやがったのか!

って。

すごい険悪になって、母はそれから病院に行くのがものすごい苦痛だし、

「なんでそんなことバラすねん!裏切られた!」

という祖母に対する怒りが沸き~の。

そして

「自分の本当の気持ちは言ったらダメなんだ」

「こんなこと(愚痴とか)思う自分はダメなんだ」

と、「いい子」でいられない自分を責める気持ちになり~の。


このようにして

思春期だった

母の心は閉じられた、バタン。

まぁ、閉じられたかどうかわかりませんが、

母曰く、「教訓」になったんだそうな。

「本音は言っちゃダメなんだ」

という教訓。


で、それを聞いていて、私はニヤニヤしながら、

「それは、おかんがイヤイヤお世話してるから、
イヤイヤだったらやらなくていいんだよ、って言ってくれただけやね」

「逆に本音を言っちゃえ、ってことだったんじゃないの?おばあちゃん、さすがやな!」

と、言うと、

「ええ~!そうなんや!

…そ、そうか((( ;゚Д゚)))」

母、笑う。私はニヤニヤが止まらず。

私のおばあちゃん、正直者!

空気読まないねぇー!ヒューヒュー!

と私は思い、

母は思い込みをひっくり返してびっくりしました、という話です。



とまあ、こんな感じで

本音を言うと、ダメなんだ!と、思いこんでしまうと、

自分の気持ちを置いといて、

まず、世間体やら、他の人にどう思われるか、

また、善か悪か

が、行動の基準になります。よく言う

「思いぐせ」ってやつです。

「いい子」に思われたいから、

自分の気持ちにバツをつけて、なかったことにして、行動すると、

一見うまくいったように見える。

でも、後でモヤモヤしたり、怒りがめばえたり、

ものすごい自己嫌悪に陥ったり。

たまに裏切られたり(笑)

あ、笑ったらアカンか。まあいいか。



それは、

「自分の本当の気持ち」が

「ココニイルヨー‼」

と、叫んでいるのです。

「置いていかないで」
「フタしないで」
「寂しい」
「苦しい」

と、自分自身に訴えかけてきている。

全然人ごとじゃなくて、

私も、モチロンまだまだあります。


不安になることも、怒りが沸くことも、

自分を責めたくなることも。


そういう時には、

「それは嫌やったねー」
「そりゃ悲しいわー」
「寂しかったよねー」

と、自分の感情の味方をするんですね、先に。現状をどうこうしようとしない。

これが、

感情にフタをせず、感じきる

ということだと思うんです。

まるで、お母さんによしよしされているかのように。自分の感情に向き合ってあげるのです。

思い出すのも、考えるのもイヤでフタをしていた感情にいちど向き合って感じきってみると、

自分は自分の味方なんだな、と気づいて、

いつか、その辛かった気持ちも、いとおしいぐらいに思えるかもしれない。
感情が浄化されると、心が軽くなります。

 ありのままの自分を受け入れる、というのは、

自分の感情や思いをそのまま、自分が認めてあげるということだけでも、けっこうOKなんじゃないかな、と思います。

思いぐせが出てきたら、

「あ、また出てきたなー」

ぐらいに思ってれば良くて、現状をどうこうしようとせず、

そういう自分を責めないようにするだけで、

とても楽になります。

「別にそれでもいいんだ」

と、自分に自分で安心する。

どんな気持ちを持ってもいいし、感情を持ってもいい。

イヤなことはやめればいいし、

やりたいことはやったらいい。

それでまた、安心のフィールドを広ければいいし、別に狭いまんまだっていい。

人の心は、本当に自由で、

誰もそれをコントロールできないから。

心は、あなただけのもの。私だけのもの。

生きてるだけで、本当にオールOK。

だから、ほんまにやりたいことしかやらない

子どもとか、うちのばあちゃん、

神やな!って思います。
ばあちゃんはほんまに天に召されましたから、まぁ仏ですね♪
るん♪っておかしいやろ。


私も、神に近づけるよう頑張ります!

いやいや、頑張らん!

とりあえず、ヘラヘラしながら生きます!


ヘラヘラとアメブロもやってます~♡
イベントなどの告知は主にそちらで
やってます。

6月から、神戸市垂水区で、カフェをやる
予定です。

また、詳細が決まりましたら、

このブログでもお知らせします!
























 


カウンセリングは勘違いを見つける感じ

先日、初めてカウンセリングのイベントを行いました。子連れで飲み会しながらカウンセリング。まぁまぁふざけているね、うん。

 私は料理とまったり担当でした。まったりって何や。それ必要?やっぱりふざけています、すみません。
でも、ちゃんとお友だちの心屋流カウンセラー&セラピストMIKIさん
☆THIS IS MY LIFE☆~私の人生で出会った人たちを何か知らんけど幸せにしちゃう心屋リセットカウンセラーMIKI☆のブログ~に、心ゆくまでぶった切られて、泣いて笑って、皆さんすっきりして大満足で帰っていかれました。

面白かったのは、

人ってみんななにかしら勘違いして生きているのですが(私もあなたもエブリバデイ)、苦悩する人にとってその勘違い度合いが激しければ激しいほど、当然ながら苦悩の度合いも深くなる。けれど、カウンセリングによってそれが「完全に勘違い」だと気づいたとき、ただの大爆笑になるってことでした。

今までの苦悩も、その人にとって、ただのおいしいネタになってしまうのです。これ言っといたらとりあえず笑いとれる、よっしゃ!すべらない話。的な。

 悩みって、

「本当はこうしたいけど、これをすると大変なことになる」

「本当はこう思っているけど、これを言うとあの人が傷つく」

「本当は私そんな人じゃないから、これがバレるとみんなに嫌われる」

と、

その人だけが勝手に

勘違いしているだけだったりするんです。

ただの自意識過剰。

「私は特別な人間」と思って生きているんですよね。みんなに注目されてると思っているんです。どんだけー。

ほっとくと大変なことになる。とか。

「大変なこと」って何ですか?
そうなると、どう困るんですか?
そもそも、それを困ったことだと思っているのはなぜですか?

と、勘違いの糸を辿っていくと、

実は

「何も起こっていない」

ことを、その人だけが、

「問題視している」

だけだったりして。

で、先日のカウンセリングで、一人の参加者さんは、

「幸せなことがあると、次は不幸になる」

と勘違いしていました。

昔は親とか大人たちが

「苦労は買ってでもしろ」

と言ってたし。何の理由か、その人

「私は苦労しないと幸せになれない」

と思いこんじゃったようでした。

妄想癖がすごくて、

「今日、カウンセリングを受けて幸せになってしまったら、私は生きて帰れないんじゃないか」

と思ってました(笑)
それ聞いてみんなで、
「ちゃうちゃうー!」
とツッコむ。
面白すぎます。ほい、これからはそのおいしいネタでいろんな人を笑わせて生きていってくださいね♡愛され妻がカウンセリングする貴族の飲み会に参加しました|私はお姫様
てか、もうすでに笑わせにかかってきてます。

何だっけ?電車が事故ってしまうんじゃないか、とか、爆弾魔が襲ってくるんじゃないかとか、そんなんだったかな?あ、ケイナちゃん?適当か。
そうそう実はイベント一緒にやったケイナちゃんも、
以前は病んでいたので(今もじゃっかん面白い 笑)、電車に乗ると、前に座る男の人のリュックサックに爆弾が入っていて、爆発すると思って電車に乗るのが恐くなってたそうです。わ~。変態。あ、失礼。
すごい意気投合してらっしゃいました。親友になれそうやな。ってくらい。

ケイナちゃんも今ではネタですが、悩んでいるときは、それはもう辛くて苦しくて、死にたくなったり、病院通いもして、本当に大変だったようです。
今ではすごい楽しそうです。しんどい時もあるけど、「それもアリ」にしているから、大丈夫。


 人生はただの勘違い。

 だからやっぱり、悩むのが好きな人は悩んでいればいいし、

もうしんどくてやめたければ、

今この瞬間からでも、楽に生きることができるようになるわけです。

あなたの常識は他人の非常識。

世間体という名の、私を苦しめるその他大勢はただのマボロシ

親と私は違う人。誰も人の心をコントロールできない。

そんなことはどうでもいいのだ。

幸せに生きても、誰もナイフで刺しにこないよ。

誰に嫌われたって、自分が楽しめればそれでいいよ。

腹黒くて卑怯でいい人しいの自分を恥じなくてもいいよ。

そんなことのために、

生きてる今を無駄にしないでいいんじゃないの。

と、私は思う。

あなたは違うかもしれないけど。

それでもいいんです。

ほっといたって、実はみんな幸せだから。

これも私の勘違い。

勘違いも突き抜けると面白い。

でも、そうやって生きると楽だと気づいた人からどんどん楽になっていく。

楽になるために、必要なものはたったひとつ。

勘違いする勇気。

勘違いを勘違いと認める勇気。

あれ?二つかよ。


 また、近々イベントやります。

 あ、カフェももうすぐやります。

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