【妄想和訳】Motion Picture Soundtrack

ファンには言うまでもないだろうが、少し前とある"お宝"が陽の目を見た。

事情をご存じない方に説明すると、RADIOHEADがハッキングを受け、Thomが保管していたとされる(主に)「OK COMPUTER」製作時の音源データを盗み出された。
(盗み出した人物と同一かは分からないが、)それを入手した人間が、バンドに「音源を返す代わりに15万ドル(約1630万円)か、スタジオ音源1曲につき800ドル(約8万7000円)、ライヴ音源1曲につき50ドル(約5400円)」を要求するという事件があった。

バンドはそれを拒否し、自らオンラインでその音源を公開し、その売り上げを気候変動への大規模な運動「Extinction Rebellion(絶滅への反逆)」の支援に使われるようにしている。

そして、その音源の中に、後の「KID A」に収録されることになる「Motion Picture Soundtrack(full band ver.)」が数種類含まれており、これがなかなかに良い味だったのでハマってしまい、今回和訳(というか、妄想)してみた。

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"赤ワインと睡眠剤があなたの元へ連れて行ってくれる"
"安っぽい体の関係と悲しい映画だけがわたしに居場所をくれる"

あんたおかしいよ、たぶんね

手紙を送るのはやめてくれ
どうせ燃やしてしまうから
映画みたいなことは起こらないよ
あれは罪のないつくりものなんだ

あんたおかしいよ、たぶん

"来世で会いましょう"なんてさ

"あなたはこの世に堕ちてきた天使なのよ"
"翼をもがれてしまって可哀想な"

僕はあんたがどこの誰かさえ知らないのに
あんたおかしいよ、たぶん

"来世で会いましょう"なんてさ

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この訳を読んで理解してもらえたか心許ないので、解説をさせてもらうと、これは"厄介なファンレターへのアンサーソング"だ。

おそらく、おそらくだけれど、自殺を思わせる行為や「来世で会おう」という文言を、一人称で捉えている人が多いと思う。
リリースされた音源では、"Beautiful Angel"以降の部分が割愛されてしまったので、さらに解釈の幅が広くなってしまったのだろう。

RADIOHEADのファンには、そういったネガティブな感情を魅力的に感じる人が多くいて、Thomがそういう人間であることを望んでいる人も少なからずいると思う。
世間に胸を張れるようなことではないが、自分はそうだ。

実際、Thomにはそういう面もあるし、そういう時期もあった。
けれど、その思い込みに引っ張られず、自分の中で整合性を取れるように解釈し直してみると、先のような意外にシンプルな内容になった。

あくまで、私の妄想だけれど。

しかし、今回の件は、ファンにとってなんとも棚ぼたな騒動だった。
おおっぴらには喜びを表現できないのが、歯がゆいところだが、音源を聴きながら笑みを抑えられない今である。笑

House Of Cards 【和訳】 / RADIOHEAD


内容に対する個人的な賛否は黙秘するとして…

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僕はきみの友達になりたいわけじゃない
恋人になりたいんだ
どんな始まりや終わりが待っていようと

カードの家のことは忘れて
僕もそうするから

崩れ落ちたカードは
テーブルの下にでも掃きいれておいてさ

きみはウンとは言わないだろうけど


瞬間的な過電圧が
基盤を崩壊させる

鍵をキーボウルに投げ入れて
旦那におやすみのキスをすればいい

そして
そんな脆いもののことは忘れて
僕もそうするから

崩れ去ったものは
目に入らないところに追いやってしまえばいい

「ダメだよ」ってきみは言うだろうけど
きっと耳まで赤く染まってるはずだ

「そんなこと出来ない」ってきみは言うだろうけど
そのことが頭から離れないはずだよ

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カードの家というのは、個人的にはこういうものを思い浮かべている。

おそらく、トランプタワーという呼び名が一般的だとは思うが、脆いもの=壊れやすい家庭の隠喩だろうと感じたので、直訳した。
トランプ=カードというのは日本独自の感覚でもあるようだし。

この詩を訳してみたいと思ったのは、「denial」という単語の捉え方に、かなりの幅があると感じたからだ。

登場する男女は、おそらくお互いに家庭持ちで、それにも関わらず惹かれあっている状態のように思える。
語り手である男性の家庭の様子は、この中では描かれていないのでわからないが、女性の家庭は少なくとも崩壊の兆しがあるのだろう。
ひょっとしたら、それはこの二人の関係に因るものなのかもしれない。
そして、その兆しに付け入るように、男性は女性に家庭のことを忘れるように告げる。
ここで「denial」が登場する。
そこで、これは女性側からの返答だと解釈した。
それを男性側の主観で訳すると、かなり意味が通りやすくなったように感じる。

Verse2
スパイクとは、落雷などにより瞬間的に高電圧の電流が流れることらしい。
そして、それにより基盤が損傷してしまう。
瞬間的な高圧電流が表すのは、男女間における何かしら勢いのついてしまった行いだろう。
知らんけど。
そして、基盤とはもちろん家庭のことである。

しかし、そんな崩壊した基盤の上でいつも通り過ごす女性に、男性はそのことを頭から追い出すように言う。
そして、女性も自らの「denial」に揺らぎを感じるようになっているのだろう。
言葉とは裏腹に…あとは語りたくもない内容なので割愛する。

「失望」と題された曲



"失望"と題されたこの曲は、セント・キャサリンズ・コートの舞踏室で、午前3時にライブ録音されました。




1997年にリリースされたRADIOHEADの3rd Album 「OK COMPUTER」の5曲目にあたるこの曲は、4曲目「Exit Music (For A Film)」のアウトロである雑踏のような音から、切れ目なく立ち上がってくる。
絡み合うそのギターの音は、青色のライトが煌めく万華鏡のようだな、といつも思う。
ベースは音数こそ多くないが、そっと勇気付けられるような優しさを感じる。
Thom Yorke(トム・ヨーク)の声は最初こそ、感情を欠いているように聴こえるが、途中から焦燥や葛藤、悲愴感を滲ませてくる。
そして、最後の1分。
重なるすべての音に心を揺さぶられる。
それは、先に挙げた負の感情への共振だったり、素晴らしい音に対する純粋な感動だったりする。

歌詞

以前、インタビュー記事で読んだのだが、Thomはこの曲を含めた2曲を「あまりにもパーソナル過ぎる」という理由から、「OK COMPUTER」に収録するか躊躇したそうだ。
けれど、Thomのそんな苦悩とは裏腹に、自分にとって、この詩は間違いなく大きな魅力の一つだ。
自分なりに以下の様に解釈している。

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移動
高速道路に鉄道
動いては停まり
離陸して着陸する

心が空っぽになって打ちひしがれた人たちは
酒に溺れ 何もかも忘れようとするけど
それはかえって失望を深めるだけ

落ち込み 無為に過ごす
踏み潰された虫ケラみたいに

殻が砕けて 体液が溢れ
翅が痙攣し 足の感覚がなくなっていく

感傷的になるなよ
どうせいつも戯れ言におわる

でも、いつか翼をはやす

失望なんて
ヒステリックで役に立たない
単なる化学反応に過ぎないのに

落ち込み 何も出来なくなる
踏みつけられた虫けらみたいに

そして、何度も何度も繰り返す

けど、自分の居場所くらい分かるだろう
足下が揺らぐようなことがあったとしても
誰と一緒に居るべきなのかは分かるだろう
そして、いつか翼をはやす

失望なんて
ヒステリックで役に立たない
単なる化学反応に過ぎないのに

失望して 無為に過ごす
踏み潰された虫ケラみたいに

落ち込み 何も出来なくなる

**********

おそらくThomは、2nd Album 「The Bends」tourで世界中を移動した際に、心が疲弊したのではないかと思う。
国内旅行すらしない自分にとっては、母国を離れ、飛行機のトランジットを繰り返したり、車や電車での移動を数ヶ月間に渡って続けるという事を想像するのは難しい。
けれど、馴染みのない土地で、馴染みのない食事を摂り、馴染みのないベッドで眠り、愛する家族や友人とも会えない日々が続く辛さは、想像できる。
そして、そんな想いを吐露したこの曲を携えて出立した「OK COMPUTER」tourでも、待ち受けていたのは、前回の時と同じかそれ以上の疲弊だったのではないだろうか。
その様子は、彼らのドキュメンタリー「Meeting People Is Easy」で見ることが出来る。

神経質なThomはもちろん、普段温厚なColin Greenwood(コリン・グリーンウッド)の憔悴ぶりが、tourの過酷さを物語っている。
しかし、自分たちのそんな様子をあえて映像作品にして残そうというのは、彼らのジョークだと思うのだが、あまり理解されないのかもしれない。


本題に戻る。
Verse1では、移動で憔悴した人たちの姿が、第三者からの視点で描写される。

Verse2の冒頭は、『踏み潰された虫ケラ』の描写である。
もちろん本当の虫の事ではなく、『打ちひしがれた人たち』の比喩だろう。
死を連想させるほど深刻な状態にあるにも関わらず、『感傷的になるなよ』 『戯れ言に終わる』と誰かを慰めるかのような、第三者視点に思える描写が続く。
しかし、その後に来るのは、『いつか翼を生やす』という主観表現である。(日本語訳では好みの問題で省略したが、英詩では"I am going to grow wings"となっている。)
その振り幅が、より感情の昂りを感じさせる。

そして、その昂りを滲ませたThomが歌うのは、感情をコントロール出来ない自分自身への苛立ちである。
感情とは、体内物質の『化学反応』に過ぎないのに、それに支配されて何も出来なくなる自分が、愚かに思えて仕方ない。
なのに、結局『何度も何度も繰り返』してしまう。
それがまた失望を生む。

そんな終わりの見えない苦しみから抜け出すために、『自分の居場所』の事を考える。
具体的に言及はしていないが、"You know where you are with"となっているので、ここで言う『居場所』は「どこにいるか」ではなく「誰といるか」だろう。

そして、『翼』はその居場所への移動手段であり、同時に『失望』に屈しない精神の象徴のように思える。
しかし、それは実在しないもので、実際の距離を埋める事は出来ないし、『失望』に屈する日々は続いていく。

最後にchorusが来るのは、音楽的な判断からだろうが、そう解釈する事で、この苦しみが普遍的であると感じられ、不思議と勇気付けられているような気分になる。
それもまた、この曲が多くのファンに愛されている理由だと思っている。

【リズと青い鳥 感想】これが本当の2.5次元である


さて、2018年もいよいよ今日を残すのみとなってしまった。

この土壇場になって、人生で一番の映画になってしまった『リズと青い鳥 』の感想を書いている。

劇場での公開が終了した数ヶ月前から筆を取りながら、悩みに悩み、遅々として書き進まなかった感想も、結局は、匙を投げた。笑

書きたいことが多過ぎるし、たくさんの方がブログやSNSで、自分の言いたいことや、あるいは気づきもしなかった事までも、的確に表現した感想を読んでしまったからだ。

けれど、やはりこの1年を振り返るにあたって、リズと青い鳥に言及せずに終わることは、消化不良というか我慢できなかったので、再挑戦している。

とは言っても、繰り返しになるが、たくさんの方が的確な感想を書かれているので、ギュッとシェイプアップした形でお届けしたい。笑

この映画の魅力は…

登場人物の実在感。
これに尽きる。

とは言っても、たくさんの要素の中で、これが特出しているという意味ではなく、映画の中の全てのものが集約され、登場人物の存在を濃厚にしているということだ。

靴の音
呼吸の音
髪の毛のほつれ具合
瞬きの速度
揺れ動く瞳
弄ぶ足
後ろに組む手
髪の毛を触る癖

そういったものが、自分のうちに彼女たちの存在の欠片を堆積させていった。

自分にとって『リズと青い鳥』とは

そして今も、自分の中に、彼女たちは存在し続けている。

だから、自分にとってリズと青い鳥を観るということは、彼女たちの過去の一点を思い出すことであり、それによって同時に、彼女たちの現在と未来に想いを馳せるということなのだ。

だから、遠くにいる友人を想うように、一生観続けていくだろうと思っている

ゴジラの日

本日、11月3日はゴジラの日です。
1954年のこの日に、シリーズ第1作「ゴジラ」が公開されました。

特撮好きの私ですが、ゴジラは少し好みの範囲外にある作品でした。
というのも、物心ついた時には、すでにウルトラマンの虜になっていた私にとって、「ゴジラシリーズ」は怪獣しか出ない退屈な作品だったのです。
ヒーローは人間に友好的で、意思疎通ができますが、多くの怪獣はそうではありませんでした。(と言いつつ、漫画の吹き出し形式で、ゴジラアンギラスが会話をすると言うユーモラスな場面もある作品も…)
ゴジラも新作の製作が進むにつれ、次第に"人間の味方" "正義のヒーロー"という立場に変遷しては行きましたが、『可愛い大きな動物』止まりでした。

私は1984年生まれの90年代育ちです。
90年代の特撮界はどうなっていたかと言うと、
・戦隊ヒーロー
メタルヒーロー
この2シリーズは続いていましたが、ウルトラシリーズは81年に「ウルトラマン80」の放送終了以来、新たなTVシリーズは「ウルトラマンティガ」が製作される96年まで待たねばならず、巨大ヒーロー贔屓だった私にすれば、特撮不遇の時代でした。

そんな中、ゴジラはといえば、それらの作品よりいち早い1975年の作品を最後に、動員数不振により製作は終了していました。
が、まさに私が生まれた1984年、「ゴジラ」にて、シリーズ第1作に立ち返ったかのような"圧倒的な脅威"として復活します。
そして、5年後の「ゴジラvsビオランテ」を皮切りに平成vsシリーズと呼ばれる映画群が製作されていきます。

しかし、私にとっては相変わらず、怪獣しか出ないつまらない映画であり、劇場へ足を運ぶことはありませんでした。(そもそも、映画館は暗くて怖かったので、映画自体あまり見ていませんでした。笑)

ところが、最近(といっても、ずいぶん前になりますが)、平成ガメラシリーズの監督をつとめた金子修介氏による「ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃」や、庵野秀明氏が監督をつとめた「シン・ゴジラ」などエンタメ性と古き良き特撮を、見事に兼ね備えた作品が製作され、それに触発されるように、自分が育った時代に製作されたゴジラを今一度見返したくなったのです。

すると、子供の自分には退屈で仕方なかった人間ドラマの面白いこと面白いこと。
そこには特撮という枠を超えた、映画としての楽しさが詰まっているのでした。

「映画は好きだけど、特撮作品って子供向けでしょ?」と思う方々も、騙されたと思って一度ご鑑賞していただければと思います。

34歳での転職活動

この度、幸いなことに、地元で新たな就職先を見つけることが出来ました。
しかも、案外あっさり。
まあ、初出社はまだなので、案外あっさりクビになる可能性も無きにしもあらず、といったところですが。

転職のきっかけ

私が転職を考えたのは、以下の4点が理由でした。
①会社の業績が悪化している
②回復の見込みがない
③田舎に住んでいる両親が高齢になってきている
④自分自身の年齢が34歳で、転職活動においてギリギリのラインである

転職サイトの利用

まず、仕事を探すに当たって転職サイトを利用しました。
スマホ一つあれば、時間帯に関係なく簡単に使えますし、求人の豊富さ、書類や面接のHow toなどのサポート体制も手厚く、手が出しやすいからです。
ところが、使って行くうちにどうも居心地が悪くなってきました。
なぜか。
それは、対象者が、より良い待遇やり甲斐のある仕事自分を成長させてくれる環境などを求める『ポジティブな理由で転職活動をしている人』に限られているからです。
ですので、私のような理由で転職を考えている人間には、転職サイトの熱量は大きすぎました。

そして、ハローワーク

そこで、次に使ったのが、ハローワークです。
大阪にいる間に、一度だけ利用した事がありました。
前職や前々職の詳しい在職期間を調べてもらったり、端末で求人を閲覧したりしたのですが、その時に「履歴書作成に関する相談」や「面接指導」といったものがあることも知りました。
私は高卒で、就職活動の経験が殆どないため、それに関してコンプレックスのようなものを抱えていました。
あまり大きな声では言えませんが、前職の面接も結構いい加減な感じでしたし。笑
なので、ハローワークにそういった支援体制(正確には有料だそうですが)があることは、心強く感じました。
驚いたのは、希望する求人を持っていくと、職員さんがその企業に電話をして、書類選考や面接の段取りをしてくれるということです。
企業への電話って、結構プレッシャーだったりするので、ありがたかったです。

志望動機と自己PR

応募を済ませた後に待っているのは、履歴書や職務経歴書の作成です。
これに関しても、ハローワークからそれぞれの手引書ともいえる冊子が貰えます。
かなり丁寧に解説されていて、大変参考になります。
ところが、ピタッと筆が止まってしまう項目が二つありました。
それが、「志望動機」と「自己PR」です。
前職と同じ職種であれば、まだ「その経験を活かし」とか適当に書けるのですが、全くの異業種だと途端に書けなくなるんです。
何故なら、企業を選んだ主な理由が「待遇」や「安定性」だからです。
しかし、それは通じない世の中なんですよね。
なので、必死にそれっぽい事を考えなくてはいけない。
でも、それっておかしくないですか?
本心ではない志望動機を聞いたところで、それがなんの判断材料になるんだ、と。
もし、私が面接官を務めるなら、それっぽく作られたものよりも、「志望動機は待遇の良さと安定性です。給料を頂く以上は、真面目に働きます」と言ってくれる方が、圧倒的に評価できます。
今回は、幸いなことに基本方針に共感できて、望む条件の企業が見つけられたので、一応嘘偽りのない志望動機と自己PRを書けましたが、やっぱりどこか仰々しい文章を書いた自分に対して後ろめたい部分がありました。

とは言え…

自己PRを書くにあたって、過去の自分の仕事ぶりを振り返ってみることは、有意義だったと実感しています
これまでは、「誰でもできる事をしているだけ」と思っていましたが、それは自分の能力を買いかぶり過ぎだったと理解しました。
消極的理由の転職でしたが、自分に対する評価を正す良い機会になったと思っています。

くもハウス

10年住んだ大阪を離れ、実家に帰ってきました。
絶賛、転職活動中のニート予備軍です。

ところで、その実家っていうのが、一軒家なんですが、両親は住み込みで働いてるのでほぼ無人でした。
たまに、両親が風を通したり掃除をしにくる程度。
まあ、中はすぐに住めるほど綺麗なんですが、外はさすがに手が回らないので、ゆっくりと自然に侵食されてまして。

そこに私が住み始めたわけですが、田舎なんで野生の王国です。
動物で言えば、たぬき・きつね・いたち位は当たり前、少しレア度があがってキジ・いのしし・猿・うさぎ・鹿なんかがいます。

でも、それらより身近なのがなんと言っても虫。
圧倒的な種類と個体数だけに、寝てる時以外視界に必ず何かしらの虫が入るレベル。

そして、何を隠そう、私が苦手な虫Top3のうち2種類の出現頻度が異常に高い。
3種類全て発表しておくと

1.ゴキブリ
理由:なんかわかんないけど、生理的に無理。あと動きが予想できない上に速い。飛ばれたら泣く。

2.蜘蛛
理由:足が全方位にいっぱい付いてるとか、マジ無理。軍曹とか足音するし、超怖い。昔、服越しとは言え、ふくらはぎにくっつかれて以来トラウマ。

3.蜂
理由:毒怖い。羽音超怖い。山の中なので、巣が作ってあっても分かりづらい。

大阪で悩まされたゴキブリは、あまりいないんです。
で、蜂はまあ外に出なければ遭遇しない。

問題は蜘蛛。
上にも書いた軍曹は、基本家の中にいる。
でも、彼らはゴキブリなんかを食べてくれる、いわば益虫なんですが、生理的にどうしても無理で。
そして、家の周囲の至る所に蜘蛛の巣が張られて、夥しい種類が生息しているわけです。

雨戸を開け閉めしてもいる。
物干しスペースにもいる。
玄関にもいる。
物置にもいる。
ほうきで取っ払っても、翌日には元どおり芸術的な巣が構築されている。

最初は、「家を壊すなんて少し可哀想だな」なんて思ってましたが、一度張ったところにはとことん再構築するので、しまいにこちらも「オラァッ!やったろやないかい!!」となります。
まあ、なんども繰り返せば、彼らも「ここは住みにくいな」と離れていってくれるんですが、それまではガチンコ対決です。
我らもただのしゃべる猿なので、縄張りを守るために他の存在と戦うのは自然の摂理ですよね。
無益な殺生はしないと心に誓いつつ、今日も奴らと攻防を繰り広げています。

果たして、職は見つかるのか…!(全く関係ない不安の吐露)