小話「かわいそうなソクラテス」
本を読んでいて面白いことを知ったので小話にしてみた。
高校倫理で対話法を習ったけれど、当時はなにがすごいのかわからなかった。今になってやっとわかった。んで、その歴史背景が興味をそそるものでした。とても皮肉なお話だと思います。
ザッと書いたのでダメなところはごめんなさいw
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ソクラテスは許せなかったのだ。"書く"という行為を。
それは老人の凝り固まった脳が新進の文明に追いつかないが故の批判という、歴史上に幾度も語られた過ちではない。ソクラテスは多くのギリシア文字支持者よりもギリシア文字を能く書いた。
それどころではない。遠いフェニキアの地より伝わったフェニキア文字を解読し、古来より伝わるギリシア語を分析し、"ギリシア文字"を作った学者達の一人として名を連ねたのがこのソクラテスであった。
しかし、当時彼の胸に燃えていた情熱の炎は、今の彼から見れば天地を焼くラグナロクの業火に過ぎなかったのだ。
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"書く"という文化は、400年の長きに渡るギリシアの口承文化を否定し、消し去りつつあるのだ。それがソクラテスには許せぬのだ。
かつてのギリシア人は、物語を聞き、語ることで言葉を覚え、訓戒を得、能弁者となり、人格を養ってきた。
それが最近の若者はどうだ!「ホメロス」さえ唱えられぬ。それもその筈、奴らめ口承会に足を運ばぬ。
成る程"書く"という文化は、他國の学者の思考を伝えよう。既に亡き過去の学者の思考も伝えよう。
だが、それらの思考を知り、己の思考が優れたものであると過信するのは許せぬ。無知な己の思考を"書く"ことで、愉悦に浸る愚かさは許せぬ。
だが皮肉にも、その原因のひとつはこのソクラテス自身にあるのだ。
それならば、歴史あるギリシアの口承文化の素晴らしさを改めて世に認めさせる、それこそが唯一の償いではないか。
people in the box "Citizen Soul"
people in the boxってつかみどころがない。彼らの個性は確立されているのだけど、「どのアルバムが彼ららしいか?」と言われるとどれとも言えない。かといって、みんな似たような作品というわけではない。どれもそれぞれ個性的なアルバムだ。
そんなわけで、このミニアルバムがどんなものかをレビューするにはpeople in the boxの作品の変化を、順を追っていくのが良いかと思います。
あくまで私の印象で、何枚かずつまとめて印象を語っていきます。
Rabbit Hole、Frog Queenの初期の作品は、影をもちながら激しい。全体的に疾走感があり、変拍子や残響レコード的な曲展開をしても、いかにも邦ロックであるという印象。
Bird Hotel、Ghost Apple、Sky Mouseは曲の傾向はそのままに、ポップとロックの間での振れ幅が大きくなる。また、歌、ギター、ベース、ドラムそれぞれの楽器の主張が強くなり、統一感のない一体感をもち始める。
Family Record、Lovely Taboosはイノセント。日常音のコラージュが使われ、間の抜けた歌や音づくりが増える。また、曲の振れ幅はさらに大きくなり、テンポのゆっくりとした哀愁のある曲、轟音ギターの曲も増えている。テーマも変化し、童謡の世界観とともに、社会問題や経済のことばを使った歌詞が多め。
このような変化のなかで、本作もFamily Recordのカテゴリに含まれるイノセントな作品のうちといえそうです。
その中での個性として、ややアメリカン・ロック的なエッセンスを取り入れている印象です。ギターのカッティングや転がるドラムはpeopleらしさをはみ出さないものの、黒人音楽的。新鮮な響きです。
彼らはいったいどれだけの引き出しを持っているのか・・・次作も期待できそうです。
ステマとか、食の美学とか。
ステマが妙に盛り上がっている(半年ROMれ、とか嘘を嘘と見抜けない人は・・・、という昔のことばがありましたね)。
で、ステログなんてものができたみたい。
http://crazyworks.jp/stlg/
ここで、ステマ率上位にとんかつあさくらが入っていた。
ここ、普通に美味しかったなだけどな。
そう思っていたら、友人から「自分の舌を信じるんだ」というお言葉をいただいた。
その前段階として口コミを利用するのでは、というのもあるけれど、
そこで、いいお店、いい食事ってなんだろうなということを考えました。
食って、たとえば芸術と同じで、2つの側面を持っていると思うから。
ひとつは単純に「美味しい!」っていう感覚的な側面。絶対的な序列をもつ、程度比較の側面。
もうひとつは、素材とか、手間とか、演出に思いを馳せる知的な側面。序列をもたない、ロマン的な側面。
この2つ、どちらが上の概念ともいえない。
ところが面白いことに、料理では前者の感覚的な側面が圧倒的に重視されている。(最近の芸術では後者の知的な側面が重視される傾向がある。)
もちろんまったく偏ってるわけじゃなくて、後者の知的なほうにも、有機野菜や産地のように大切にされている部分はある。
それでも、「美味しい!」と言ったときには、知的な側面からくるロマンチシズムみたいなものはすごく軽視されてる。
ぼくは、食べログを見ていてそこがすごく不満。
同時に、ステマ騒動っていうこと自体が、そこを軽視しすぎてるから起こることなんじゃないかと思う。
ぼくの例を出すなら、コスモノートのすごく優しい店作りなのに、フランスの情緒が流れてるところが好き。
タボラカルダミヤケの家庭的なのに野趣溢れる料理が好き。
それは、美味しさの話じゃない。店の内装であり、BGMであり、素材選びのバランス。そういうものの総合的な体験が自分の好みに合っているということが、感動であり、お店選びの肝要なトコロじゃないのか。
少なくともぼくは、そういうところに魅了される。
食べログだと嫌でも点数をつけるから仕方ないのかもしれない。
だけど、もっとそういう知的なところの感動を伝えてくれるレビューが欲しいと思うんだよなぁ。今はどこに行っても美味しいことは間違いないんだから。
Mark Guiliana
http://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Guiliana
Avishai Cohenと
http://youtu.be/wQ2UnOVRFgE
Avishai Cohen - bass, Shai Maestro - piano, Mark Guiliana - percution
Phronesisで
http://youtu.be/ly8KniNgkXo
Jasper Høiby - bass Ivo Neame - piano Mark Guiliana - drums
Daniel Zamirと
http://youtu.be/689JQ3eVbrM
Daniel Zamir, Mark Guiliana, Omri Mor and Gilad Abro
変り種的にDhafer Youssefと
http://youtu.be/TDCQG9ZDSRU
Tigran Hamasyan - p, Chris Jennings - bass, Mark Guiliana - dr
コスプレと宗教画
コスプレ画像をまとめたサイトを見ていて
「もしかして重度のオタクなら、ポーズみただけでどの場面かわかるんじゃないか?」
と思った。
シャアのコスプレ画像を見つけた。
あぁ。。。わかるわ、自分。。。
そこで妄想したのだけど、コスプレの過熱の一つの方向性として、それってありなんじゃないかと思う。
マイナーなキャラ、マイナーな場面。それをコスプレで再現して「お前ら、わかるか?」という見栄の張り合い。
と、妄想したところで。
これって中世ヨーロッパの王侯貴族に似てるな、と思った。
彼らも神話や聖書の場面を抜き出し、数少ないヒントから場面を特定したりしていた。「ああ、マリア様の隣に白百合があるのが、処女受胎を表してるのね」と。教養を試しあっていたのだ。
宗教改革期のネーデルランドなど、カトリックからは宗教画を求められ、プロテスタントから素朴な風俗画を求められていたから、国からの弾圧を逃れるために一方を他方に偽装する技術がずいぶん発展していた。絵画の依頼者は、そんな中からも意味を読み解いてきた。
そういう、教養とエスプリに満ちた芸術を、コスプレはやってくれないものか。
そんなことを思ってたら、こんなものを見つけた。
http://bit.ly/A5V6zr:冬コミ・コスプレ広場における原子力安全・保安院の緊急会見
ぼくは、最近の現代アートに共感できない。
「歴史の中の文脈を読むのでなく、作家の人生の文脈を読み取れ」というスタンスが気に入らないからだ。自分の作家人生を切り売りする生き方を美しいとは感じない。
だけど、こういうアートはアリだと思う。
少なくとも、これで路面に立っていたら投げ銭をするなぁ、とおもう。
こういう目的が明確でエスプリのある表現は美しい方法だと思うし、そこに作家の個性をどう上乗せして表現するのか気になる。
社会的なテーマなので、パトロンも集まりやすいだろう。
使った衣装も、美術商や美術館が買い取ってくれるかもしれない。
面白そうだと思うのだけど、どうだろうか。
iPhoneアプリの「MFplayer」がすごい!
普通の音楽プレーヤーアプリなんですが、すごいです。
今まで聞こえなかった音が聴こえるようになる!
どのくらいすごいかって?
Miles Davisの「At Newport 1958」というライブ盤があります。
この音源で、ビル・エバンスのピアノが聴けます!!!
もうちょっと詳しく解説を。
このアルバムは、カインド・オブ・ブルーを録音したメンバーでの、ニューポート・ジャズフェスティバルでのライブ録音。
チック・コリアの愛聴盤としても知られ、
Straight, No ChaserやBye Bye Blackbirdなどのスタンダード・ナンバーの多いハードバップ演奏です。
前述したように、カインド・オブ・ブルーのメンバーなので、当然ビル・エバンスも参加しています。
が、ここでのエバンスはずいぶん元気がない。
ほとんどピアノの音が聴こえないのです。
彼の音楽性がハードバップに合わないというのもあるでしょう。それゆえに、プロデューサーの意図として、エバンスの音を意図的に抜いているのではないかという憶測もされている。それほどに聴こえない。
彼のソロなんて、「無音か?」と思うほどです。
が、このプレーヤーを使うと聴こえます。
手数は少ないですが、なかなか勘所を抑えた粋な演奏で悪くない。エバンスの情熱の片鱗を垣間見ることができます。
すばらしい。