政治と誠意

宮崎の民間種牛17日にも殺処分、薦田さん「県民に迷惑をかけたくない」(IBTimes)

宮崎の口蹄疫問題をめぐり、民間で種牛6頭を所有している薦田長久さんに、東国原知事が殺処分の受け入れを要請した。

 薦田さんは16日午前、県庁を訪ね、東国原知事に受け入れる意向を直接伝えた。薦田さんは東国原知事と面会後、記者団に「県民に迷惑をかけたくない」と語った。
 
 東国原英夫知事は同日の記者会見で「県全体のために決断していただき、心から感謝します」と述べた。

宮崎県の民間種牛の殺処分が所有される方の同意を最終的には一応得られた形で、明日7月17日にも殺処分が行われるようです。この種牛6頭の殺処分は先月施行された「口蹄疫対策特別措置法」によって行われるものです。優秀な種牛を作るには月日もお金も、そして労力もかかることを一連の口蹄疫報道で学びましたが、また一方で口蹄疫対策は現状では患畜、擬似患畜も含めての殺処分の必要が唱えられています。また指定区域内の患畜、擬似患畜以外の家畜も「口蹄疫対策特別措置法」によって殺処分の対象になりました。

(参照)DIGポッドキャスト:5月12日(水)「口蹄疫を理解しよう」(TBSラジオ)

テレビ報道を見る限り、東国原知事や種牛の所有者の薦田さんの怒りを見れば普段であれば、野党から批判が上がってもおかしくないような状況に思われるのですが(前農林水産大臣の赤松さんの初動に関しては野党から批判が噴出しました)、今回は与野党含めてこの国による種牛の殺処分勧告に対する批判は聞かれません。今回の騒動は東国原知事と薦田さんの感情論が先に立ってしまったこと、と山田農林水産大臣の対応ではなく姿勢に問題があったのではないかと思います。

本来であれば、今回の問題は問題に成りようはずの無いことです。現状の防疫体制や口蹄疫に対する考え方では、解決方法はワクチンではなく殺処分でしかありえない。前回、特例として扱われた宮崎家畜改良事業団のスーパー種牛の場合はあくまで例外的な、超法規的措置であったわけです。これ以上、特例を認めることには上記のラジオ番組にも出演されていた白石教授もニュース番組内で反対の立場を示されていました。当然です。感染症を封じ込めるための殺処分に度々特例を認めていたらどうなるか。

であるにもかかわらず、東国原知事や薦田さんは特例を求めたわけです。優秀な種牛を作るには優秀な種牛を作るには月日もお金も、そして労力もかかることは知識としては理解していますし、気持ちは分かります。ただ”気持ち”は分かるなのです。要はこれは経済的な問題のようでいて、実際には感情論だった。それこそがこれを問題にした齟齬なのです。そしてその齟齬に拍車をかけたのが山田大臣の対応でした。殺処分以外にありえないから、袖にしたような態度を取られたのでしょうが、相手は感情論でやってきているのです。

結局、報じられているような”問題”になってしまいました。戦略という風には見たくはないですが、どうしても東国原知事の行動や発言に関しては納得がいかない部分があります。

「結局」東国原英夫オフィシャルブログ「そのまんま日記」)

結果、薦田氏の種雄牛が残っていれば、いつまでも移動制限並びに非常事態宣言の解除は出来ず、県民の皆様の生活や地域経済等に深刻な被害・影響が及ぶことになる。加えて、これらを拒否すれば、今後の国の復興対策支援や交付税等にも影響が懸念された。いわば移動制限解除や復興支援を人質とした農水相のやり方は姑息で卑劣だと言わざるを得ないが、「法」や「権力」を振りかざされるとやはり我々は屈せざるを得なかった。

本当に悔しい。この国はこのままでは絶対に駄目になる。
(上記記事より一部引用)

山田大臣に致命的に誠意が足りなかったのは明らかだが(そして加えて言えば山田大臣は元牧場経営者でもある。現場にいたかはともかく)、「移動制限解除や復興支援を人質とした農水相のやり方は姑息で卑劣だと言わざるを得ない」とは防疫や法律、その他もろもろを横に置いたまた明らかな暴論です。また薦田さんが殺処分を了解した直後の会見では東国原知事は「謝罪なり感謝なりを示すべき」との言を山田大臣に向けて居られましたが、薦田さんが直接の謝罪に向かおうとする山田大臣についてマスコミに問われた際に不快感を示した後は、「どの面下げて宮崎に来るというのか。KYだ」との発言をまた向けていた。
 


山田大臣にしろ、東国原知事にしろどうにも気分の悪い”問題”でした。


ほどほどの努力では、ほどほどの幸せもつかめない
一生懸命がんばって、一生懸命はたらいて
豊かな「いちばん!」の国を創りましょう

政治家頼みでは、今までと何も変わらない
今、必要なのは、みなさん一人ひとりの参加です
みなさんの力です

私たちもがんばります
一緒に進んで行きましょう

日本の政党、自民党

小泉進次郎wikipedia

小泉 進次郎(こいずみ しんじろう、1981年(昭和56年)4月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。

父は第87・88・89代内閣総理大臣小泉純一郎、兄は俳優・タレントの小泉孝太郎。曾祖父・又次郎、祖父・純也、父・純一郎と4代続く世襲政治家である。

出生・国政出馬まで

1981年(昭和56年)、神奈川県横須賀市で生まれる。1988年(昭和63年)、関東学院六浦小学校に入学し、その後同中学校・同高校を経て、同大学に進み、一貫して関東学院で過ごした。中学高校ではスポーツ(野球)に熱中した。2004 年(平成16年)に関東学院大学経済学部を卒業後、アメリカ合衆国コロンビア大学大学院に留学した。同大学院では、ジェラルド・カーティス教授の指導の下で政治学を専攻し、2006年(平成18年)に政治学修士号を取得した、歴としたアイビー・リーガー[1]である。その後、同国の戦略国際問題研究所で非常勤研究員を務め、翌2007年(平成19年)に帰国した後は父・純一郎の私設秘書となった。


ほどほどの努力ねぇ…ぼくは努力は前提条件でしかなく絶対条件ではないと思っている。努力を人一倍したからといって、必ずしも報われるわけではない。自分よりももっと努力をした人が居るかもしれないし、自分の努力は効率的ではなかったかもしれないし、無駄な努力かもしれない。

努力が報われる社会は望ましい。けれどもほどほどの努力ではほどほどの幸せも得られない社会って幸せな社会なんだろうか。朝から晩まで働いて、下手をすれば社会保険もなかったりサービス残業だったり、快適な労働環境とは言えない職場かもしれない。労働基準法すれすれの職場環境かもしれない。


この社会ではほどほどの努力では何も得られないのか。そんな社会のままで果たして世界一の幸せな社会なんてものは手に入るんだろうか。ぼくはほどほどの努力でほどほどの幸せが得られる社会が良いなぁ。それくらいの幸せで十分です。それすらも望めないけど。

腹のたつこと

なぜか東京を去る理由(映画監督入江悠 日記)

2008年の終わりから「SRサイタマノラッパー」の宣伝・配給、および「SRサイタマノラッパー2」の制作に関わり続けた無理がついにたたって、賃貸&生活費などの現状維持が厳しくなったためです。
<中略>
「え?評価されたのなら裕福になるんじゃないの?」と思われた方は至極真っ当で、おそらくいま自主映画を作ってる方も意外とこの事実は知らないはずです。
<中略>
結論から言うと、
映画を見せようと努力すればするほど貧乏になる。
それは映画自体や作り手の評価とはまったく別ものだ、ということになります。


詳細はリンクを見ていただくとして、制作費200万円しかかからなかった映画を撮った入江監督は高い評価を受けたことにより金銭的に疲弊し、東京を去らねばならなくなったことが記されています。


五輪招致の5億円映像は「妥当」 都議会で電通(47news)

 東京都が敗れた2016年夏季五輪の招致活動を検証するため、都議会特別委員会は24日、招致経費149億円のうち67億円を受託した電通の幹部や日本オリンピック委員会(JOC)会長ら計3人を参考人として招き、意見聴取した。

 国際オリンピック委員会(IOC)総会用の約10分間の映像制作費が5億円かかった問題について、電通の稲垣豊前スポーツ事業局長は「制作費は品質によって大きく異なり、長さで論じられない。IOC委員や海外メディアからも高く評価された」と妥当性を強調。

 さらに「7カ国で40時間にわたって撮影したものを10分間に凝縮し、高品質な作品になった」と説明した。


まったくぜんぜん違う話です。一概に比べられることではないことは百も承知で暴論を吐きますが、5億もあれば『SRサイタマノラッパー』が250本も撮れます、作れます。何も言わずにまず先に5億円ありきで電通に丸投げした東京都もその5億円を丸々使って10分のVTRを作った電通。何か釈然としません。


何で結果を残した人が疲弊して、結果を残せなかった人たちがデカイ面をしているのか。彼らは彼らで職を全うしただけなのかもしれませんが、それにしても瑕疵があるようにも思えなくも無く、オリンピック招致と文化行政はまったく違うもののこういう金の使い方をする行政に意義のある文化行政などというものは望むべきも無いのかと暗澹たる気持ちになりました。。。。

口蹄疫について

口蹄疫をめぐる問題がネットを中心に話題になっていますが、大手メディアではあまり報じられていません。そんな中でTBSラジオ「DIG」で口蹄疫特集がありました。その中で東京農工大学農学部獣医学科の白井淳資教授と宮崎県児湯郡市畜産農業協同組合連合会の奥野福見参事が電話出演されていたので以下に要旨を書き起こします。



DIGポッドキャスト:5月12日(水)「口蹄疫を理解しよう」(TBSラジオ)
○白井教授の話
口蹄疫の症状
・40度以上の熱が出る。
・偶蹄類の動物(牛、豚、ヤギ、羊等)の病気。それ以外の動物(例えば犬・猫)には感染しない
口蹄疫では死なないが、乳牛は乳が出なくなり、蹄の間や口の中などが水ぶくれになり歩けなくなったり、食欲が減退する。
・2週間で口蹄疫は直るが、牛の場合2年間ほどウイルスが残る。症状が出なくても家畜にストレスが係る。
・ワクチンを何度も打たないと中々抗体が付かず効果が持続しない。
・何故殺処分するのか、感染力が強いため商売にならなくなるので殺処分する必要がある。


口蹄疫ウイルスについて
・強い伝播力で、空気感染する。
口蹄疫のウイルスは日常には無い。
・鳥や人がウイルスを運ぶ?
・10年前の宮崎の口蹄疫は700頭程度で収束したが、今回は7万頭なのは10年前の口蹄疫ウイルスは微弱なものだったため。10年前は和牛のみ感染で、和牛以外の乳牛、ホルスタインや豚、羊等他の偶蹄目には感染しなかった。2002年の韓国での口蹄疫は豚のみだった。ただし限定的な感染は例外的で標準的な口蹄疫は全ての偶蹄目が感染するタイプ。
口蹄疫に感染した動物の肉を食べても人には感染しない。人間の胃酸でウイルスは死滅する。特に牛肉はと殺後に熟成させる段階で酸性値を上げるため、口蹄疫ウイルスは死滅する。
・700万頭を殺処分した2001年のイギリスの口蹄疫の大流行は発見の遅れと多くの偶蹄目がかかる今回の偶蹄目と同じウイルスだったため。


口蹄疫への対策について
・現在宮崎県は早期発見囲い込みで殺処分という対策をしている。
・2002年の韓国の口蹄疫は発生源から3キロ以内の豚を検査なしで全て殺処分。
・日本は発病した農家と10キロ以内の農家の家畜が移動禁止という形。家畜は農家個人の財産なので勝手に殺せない。
・殺処分出来る頭数は法律で決まっている。また保障できる頭数分の予算が決まっている。
・今回の口蹄疫の流行はかなり大きい規模。まだ収束は難しい。
・効果的な方法は大規模に殺処分を行うほか無いかも知れない。
・オーストラリアで口蹄疫が発生していないのは検疫体制が発達しているから?農場への一般人の立ち入りが国土的な事情から制限されるから?


その他
口蹄疫の発症を理由に発症国からの肉の輸入を拒否できていたが、発症国になるとそういった拒否理由が通らなくなる。



○奥野参事の話
現状
・感染は収まっていない。今日も発見。
児湯郡管内、豚23万頭、和牛農家1000戸、繁殖農家頭数1万6000頭。
児湯郡管内で7万7000頭くらいが感染。今回の感染のほとんどが児湯郡
畜産農家は疲れきっている。国の早期対策を望んでいる。
・農家に出来ることは消毒の徹底他無い。
・可愛がっていた牛・豚を殺すのは忍びない。


問題
・殺処分してもウイルスは媒介するので、埋める土地が必要。
・殺処分した家畜を埋める為の土地が確保されていないので、殺処分されていない家畜が3万頭ほど残っている。
・自分の土地に埋めるが、和牛農家は土地を確保していたが、養豚農家は土地を確保できていない。
・自分で土地を買って、埋めなければならない。土地を確保しても距離があると移動もさせられない。
・行政や国に対策を要請はしているが、頭数が頭数なので現状では対応が追いついていない。
・感染しているとしても、殺処分が出来ない現状では殺せないので餌をあげ続けなければならない。
・現在は個々に畑などに自力で埋めて石灰をまくなどの対策しか取れない。重労働。
・農協としても手伝いに行きたいが、ウイルス拡大の可能性が高いためそれも出来ない。
・全額保障は法律で決まっている。最高限度額で牛1頭、49万円。今回はその5分の4の支払いなので最高で39万5千円にしかならない。
・子牛1頭、45万位。肥育費用に40万ほどで合計80万かかるので、全額保障といっても最高でも半分以下にしかならない。豚の最高限度額は3万5千円。
畜舎も建て直さないといけない。


国の対応
・前回は国の対応が早かった。今回は遅いというより全くなっていない。
・国からの消毒などが遅かった。前回は消毒などが早かった。
・県の規模では対応が間に合わなかった。
・前回、国会議員に頼んだらすぐ対応してくれた気がする。
政権交代したために対応が違うかなと思った。
・選挙区の議員は江藤議員(自民党)。野党になってから声が政府に届きにくくなったかもしれない。


原因?
・宮崎で口蹄疫が続けて起こる原因は肥育の飼料かも知れない。
・飼料の輸入先はオーストラリア、中国、韓国。
・一戸で飼っている頭数が多く、農家も偏在して集中している。


その他
・もっと報道して欲しい。もう少し政府も畜産を大事にして欲しい。
・宮崎産というだけで拒否されているなど、風評被害が起こっている。
・感染していない牛ももちろん安全だが、今現在宮崎県産の畜産品は出荷停止中。




聞き漏らし、聞き間違いなどあるやも知れませんが一応まとめ。また上記のリンクにポッドキャストがありますの気になった方はぜひ。両者のお話を聞いた限りで理解できたことは、

・10年前よりウイルスは強力。
・10年前より政府の対応が遅い。

この2点が今回被害が拡大した原因なのかもしれません。報道の問題に関してはツイッター上の地元メディアの方などのつぶやきまとめが一番有力なのかもしれません。



(16日追記)
口蹄疫感染の家畜の処分方法には焼却処分もあるようですが、焼却用の燃料や生焼けの可能性など難しい部分も多いようです。
http://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/eisei/usibuta/01/pdf/data9.pdf

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26F00601000035.html

他称ツイッタードラマ

「素直になれなくて」(フジテレビ)


ツイッタードラマということで放送前から一部で話題になっていた、「素直になれなくて」。ところが蓋を開けてみると、ツイッターメーリングリストmixi、出会い系でもすぐに代入できるような脚本であったために、ツイッターユーザーを中心に批判にさらされています。これに輪をかけた、火に油を注いだのが同作の脚本家、北川悦吏子さんのツイッター上の呟き。炎上マーケティングと揶揄されるほどに芳しくなかったドラマの評判をさらに悪くしてしまう結果になってしまいました。

一方でこういった批判、ツイッタードラマと言う割りにツイッターが全く活かされていないと言う批判に対しては、「別にツイッターのドラマではないのだから、あくまで一要素にそこまで批判すべきではない」という反論があげられました。実際、脚本の北川さんも後日ツイッター上で同様の反論を展開しています。加えて言うとここで北川さんは”ツイッタードラマ”というのは営業サイドの判断で脚本家の本意ではないとします。確かにその通りかもしれません。

ツイッター社がツイッターを普及させるために製作したドラマではないのでツイッターは所詮、脚本の中のツールでしかありません。進研ゼミのマンガではないのですから、ツイッターが話の中心になりようにもありません。しかし一方で視聴者としてこのドラマを観ると、ツイッターが全くといって良いほどドラマの中で機能していないことが逆に気になります。一要素でしか過ぎないと言っても一要素ではあるわけです。そこには必然が無ければ、ドラマの中でいびつな存在感を生み出してしまいます。

まさにこのドラマがそうでした。劇中、登場人物たちは会話の中でこれでもかと言うほど、「ツイッター」という単語を日常会話で交わします。「ツイッター上では…」、「この前ツイッターで…」と。「リツイート」という言葉まで飛び交います。「メール」のような一般動詞、名詞として「ツイッター」と言う単語が頻発されています。けれどもその「ツイッター」は登場人物の内なる声で語られたり、吹き出し的に表現されるばかりでその内実はドラマには存在しません。単語だけなのです。

一要素といいつつも、一要素として提示されているのに一要素にすらなりきれていない。これが一番の問題だと思います。一要素でしかないのに内実が伴っておらず、脚本上のアクセサリーにしかなっていません。別に脚本的なアクセサリーはこの作品に限ったことではありません。例えば「Mr.BRAIN」の一要素である”脳科学”もお世辞にも機能しているとはいえませんでした。ここで問題になるのが脳科学ツイッターの一般性です。脳科学ツイッターほど一般的でないため可笑しかろうがみなスルーしました。

ところが、ツイッターは違います。現在日本では500万人近いユーザーがツイッターを利用していると言われています。数量化は出来ませんが脳科学について何かしらの考えを持っている人よりも、はるかに多くの人たちがツイッターに対して何らかの考えを抱いていることは想像に難くありません。そんな人たちが何かしらの考えを持っているものを一要素にもなっていない、アクセサリー的な使い方をされたらどうなるのか。いわんやネットと親和性が高いモノであったら。



と言うのは傍論で本筋はドラマとしてみて面白くないことです。ちょっと前の韓国ドラマが少女マンガの焼き直しのようなベタなソープオペラだったり、援助交際、レイプ、妊娠、不治の病、恋人の死というキーワードで構成されうるような携帯小説ドラマ的なありえないくらいベタベタの内容だったからです。主人公は処女と刺青とEDとメンヘラと韓国人。そして彼らにはパワハラやセクハラ、リストカットに妊娠、堕胎、万引き、ドラッグとこれでもかと言うほどにさまざまな要素が並びます。しかもありえないくらい描写がステレオタイプです。

パーティーなどで使うクラッカーに人を驚かすこと以外に用途が無いように、このドラマの上記に挙げた要素も第1話を見る限り視聴者の注意を引く程度にしか機能が無いように感じられるからです。現代社会のさまざまな人々のさまざまな苦悩を描写したいということでもあるのかも知れませんが、昨今ニュースに頻出する児童虐待を扱った日本テレビ「Mother」児童虐待の描写と比べてしまうとそこの意味性や重さはあまり感じられません。「Mother」と違いこのドラマで描かれる要素はツイッターと同じくらいお飾り的です。

「Mother」日本テレビ

面白い科白はいくつもありましたが全体で見ればツイッターを初めとして一要素にもなりえない中途半端な要素に満たない要素が集積して、非常に気持ちの悪いドラマに成り果てています。しかもこれから家庭内暴力や恐喝、不倫などが出てくる気配濃厚です。これらの描写はツイッター以上にもっと酷そうですが、ツイッターよりも脳科学に近く批判は少ないでしょう。ただ明確に分からなくても漠然に浅薄さは伝わってくる。かといってパワーも無い。だからツイッター以上にそれらの描写に説得力が感じられなくなっています。

別に取材をしない脚本が悪い脚本だとは一概に言えません。取材をした悪い脚本もあるでしょうし、反対に取材をしなくても良い脚本はごまんとあるはずです。面白い嘘もあれば、つまらない真実もあります。でも「素直になれなくて」に限って言えば、取材をしない脚本に説得力が無く、問題の上辺だけをなぞっているように感じられて上記の問題の不快さだけが残る印象です。おそらくこれらもツイッターと同じく恋愛を描くためだけの要素、クラッカーでしかないように思います。だから恋愛以上を期待すると楽しめないドラマだと思います。


結論として「素直になれなくて」はツイッタードラマにも何にもなりきれない単なる恋愛ドラマだということです。実際に上野樹里瑛太の恋愛部分だけを見れば、科白も女性脚本家らしく切れがあり、面白く恋愛モノとして楽しく観られると思います。要は装飾が邪魔すぎるのです。このドラマを作る人たちにとってツイッター東方神起パワハラもセクハラも単なる装飾に過ぎないのでしょう。

報道

ジャーナリストの常岡浩介さんがアフガニスタンで拉致されたというニュースがテレビで報じられていた。



アフガン北東部で取材中の日本人ジャーナリストが消息不明に 外務省などが情報収集(FNN)

アフガニスタン北東部で取材中の日本人ジャーナリストが連絡が取れず、消息不明となっていることがわかり、外務省などが情報収集にあたっている。
消息不明になっているのは、長崎県出身のジャーナリスト・常岡浩介さん(40)。
現地で連絡を取り合っていたジャーナリスト・久保田 弘信さんによると、常岡さんは、現地で旧タリバン幹部のインタビュー取材をしていて、久保田さんは、現地の友人から、「常岡さんが何者かに拉致された」との一報を受けたという。
久保田さんは「アフガニスタンの友人からメールをもらって、『残念なことに、常岡氏が誘拐されてしまいました。この件に関しては、われわれの方で一生懸命解放に向け努力する』と」と話した。
常岡さんは3月18日、アフガニスタン入りし、首都カブールやジャララバードを取材したあと、4月1日に現地ガイドとともに、北東部の町クンドゥズで、反政府勢力タリバンの幹部に会って以降、消息不明となっている。
(上記リンクより全文引用)


アフガンで日本人ジャーナリスト連絡絶つ(TBS)

アフガニスタンで取材中の日本人ジャーナリストが知人との連絡を絶っていることがわかりました。

 連絡が取れなくなっているのは、フリージャーナリストの常岡浩介さんです。これまで現地で連絡を取り合っていたジャーナリスト・久保田弘信さんによると、常岡さんは先月18日にアフガニスタン入りし、カブールやジャララバードで取材していたということです。

 その後、常岡さんはタリバンの支配地域に入ったあと、一昨日からメールによる連絡を絶ったということです。

 関係者によると、現地で一緒に行動していたガイドが「常岡さんが何者かに拉致された」と話しているということです。(02日09:29)
(上記リンクより全文引用)

興味深いのは”常岡浩介”とグーグルのニュース検索をすると、4月2日午後12時の時点では上記のフジテレビとTBSのソースしかなかったということ。


そんでtwitterを漁っていると、こんな呟きが。



HASSANKONAKATA(中田考) on twitter

ツイッターを発信する暇がない。マスコミには伏せておくように、とのことだったのに流れてしまった。しかもタリバンに誘拐された模様、という大誤報でだ。取り急ぎ、以下のことだけ伝えておかなくては。(続く
(上記リンクより全文引用)

――HASSANKONAKATA(中田考) on twitter

常岡氏がタリバン支配地に入る前に、タリバン側から、「我々の方では貴兄が来ることに問題はないが、我々と接触したことが分ると、アメリカとアフガニスタン政府の諜報員にタリバンの犯行に見せかけて殺害されることが心配だ」との連絡があり、それでも敢えて行く、ということで彼は出発しました。
(上記リンクより全文引用)

この呟きを真実としてみて見ると、何でフジテレビとTBSだけがこの邦人誘拐?事件を報じているのか、何故新聞社や通信社が後追い記事を書かないのかがなんとなく分かる。これ、大丈夫なんだろうか。

(追記)
と思ったら、通信社や常岡さんの地元紙が後追い。

非実在青年

非実在少年」というキャッチーな単語が登場してからというものネットでは、非常にヒートアップしていた東京都の青少年健全育成条例の改正案への反対意見がネットのサブカル的言論空間の部分を埋め尽くしていました。ところが既存のマスメディアでは漫画家の反対声明記者会見がストレートニュース、ベタ記事で紹介されたほどで、TBSラジオの「アクセス」を除いては青少年健全育成条例改正案を問題や議論の遡上に挙げるようなことはありませんでした。


【主張】漫画児童ポルノ 子供に見せないのは当然産経新聞
そんな状況の中で保守を自認する産経新聞らしく都議会の「青少年健全育成条例」の改正案について肯定的な主張を展開し、ネットを中心にして巻き起こっている同条例改正案に反対する人々を非難する社説を掲載しました。意図的に有害図書との混同を狙っていたりと何とも香ばしい酷い記事ですが、そこはスルーして主だったものを抜粋すると以下のようになります。

対象となるのは教室での少女強姦(ごうかん)や恋愛と称して近親相姦を描くなど、社会規範に著しく反した内容の漫画やゲームソフトだ。18歳未満の小中高校生らに見せないようにするのは当然ではないのか。改正案は妥当である。

表現の自由」を持ち出した批判は論点をすり替えていないか。改正案は「子供に見せない」という常識的な内容だ。反社会的な行為の助長は許されない。(上記リンクより一部引用)

要するにじゃんじゃん児童ポルノを規制すべきだというのが自称保守、産経の主張です。保守とすれば当然といえば当然の反応といえるのかもしれません。ただ別にネットユーザーも漫画家も出版社も未成年を題材としたエロ漫画、エロゲーを読みたいから、遊びたいからこの条例改正案に反対しているわけではありません。分かりやすかったので以下に出版倫理協議会の「東京都青少年条例改正案」に対する緊急反対表明の一部を引用します。(追記)対象が不明瞭なことが問題であり、産経が対象と言っている「教室での少女強姦(ごうかん)や恋愛と称して近親相姦を描くなど、社会規範に著しく反した内容の漫画やゲームソフト」というのは根拠が無い言いがかりです。


「非実在青少年」にマンガ業界からリアクション続々(コミックナタリー)

1.18歳未満と判断される架空の人物の性を描いたコミック等を規制しようとしていること。(コミックにおける登場人物は設定年齢よりも幼くみえたり、年齢不詳の場合も多く、当局の恣意的な判断によって、著作者や発行者への検閲や弾圧につながる怖れがある)

2.現行の児童ポルノ法において、「児童ポルノとは何か」の定義が曖昧とされているにも拘わらず、それを踏襲しようとしていること。(国会において定義の見直し論議を行っている)

3.児童ポルノの「単純所持」について規制しようとしているのは、権力の乱用につながりかねない。(国も論議中で未だ規定していない)
(上記リンクより一部引用)

これまた要するにこの改正案では曖昧過ぎて権力者の恣意性に左右される危険性が強いというのが出版社や関係団体、漫画家さんまでもが条例案に反対する理由です。まぁエロ漫画やエロゲーを享受したい、売りたいというのも少しはあるかもしれませんが。好きに創作物が作れなくなるのはもちろん、反権力の人が少しでも18歳未満に見えるキャラクターの性行為が写った漫画やらゲームやらを持っていたら、それを理由に別件逮捕される可能性が生まれてしまいます。産経は常に保守権力寄りなので関係ないのでしょうが、他の新聞が沈黙することには違和感を覚えます。マスメディアが大好きなはずの恣意的な規制、公権力の乱用なのに。またこれが端緒となってより大きな規制に広がる可能性も高まります。


恣意的な規制の例:―MPAAwikipedia

2006年に制作されたアメリカの「This Film Is Not Yet Rated」というドキュメンタリー映画の中で、MPAAの極端な秘密主義が批判された。映画の中で、レーティングを行う審査員に関する一切の情報が秘匿されている点、レーティングの基準が不明瞭である点、そしてレーティングされる予定の映画と過去にレーティングされた映画との比較自体が禁止されている点などが指摘がなされた。この映画の公開後、MPAAはレーティングの審査員の情報公開を行い、過去の作品との比較を認めるようになった。なお、この映画はMPAAからNC-17(18禁)としてレーティングされたため、この映画の監督を勤めたカービー・ディックはレーティングを拒否した。その結果、この映画はアメリカにある多くの映画館の中で放映されなかった。これは、アメリカの多くの映画館は劇場連盟に加盟しており、そこの規定で、MPAAがレーティングして映画しか放映できないからである。
(上記リンクより一部引用)


ただ主張としては産経の方が反対派の主張よりもネットやサブカルから離れた一般人の世論に受け入れられる可能性は高いです。

「成人漫画」「18禁」などと表示し、販売コーナーを一般書と分けるなど出版社や書店の自主規制が進んではいるが、販売時に年齢を確認しない例が多い。都小学校PTA協議会の会長によると「子供が持っていたかわいい表紙の漫画を開いてみたら児童ポルノだった」などの保護者からの苦情が後を絶たないという。

大阪府橋下徹知事も、実態を把握した上で規制を検討する意向を示し、「表現の自由は絶対的ではない。子供たちを守るのが大人の責務」と述べた。東京都とともに工夫して取り組んでほしい。

 インターネットなどを通じた児童ポルノの氾濫(はんらん)に対し、児童ポルノの単純所持を規制する国の法改正も滞っている。子供を性的対象とする目に余る実態を認識し、論議を深めてもらいたい。
(同上)

児童ポルノを規制しろ」という主張に抗うことは非常に難しいです。ネットならともかく現実の世界で児童ポルノ規制に反対だなんて言えばどう見られるのか。少し想像すればわかります。例えそれが表現規制に繋がると訴えたところで所詮はキモオタの遠吠え、キモい主張としか解されないでしょう。神経を疑われ奇異の目で見られかねない。というか見られてしまうでしょう。だからこそエロ漫画やエロゲーは日陰の趣味だったはずでした。


※安直な図

良識派(規制派)       キモオタ(反対派)


というかネットの声は恣意的運用云々よりもエロ漫画やエロゲーが規制されたら嫌だというのが本音でしょう。ライトノベルも18歳以上が対象のエロ漫画やエロゲーも登場人物の多くは何故かティーンエージャーなので。けれどそういったユーザーが声を上げるのはなかなか戦略的に厳しい部分があり、オタクが単純に声を上げることは、児童ポルノを制限する良識派児童ポルノに反対する犯罪者予備軍の単純化された物語に押し込まれてしまいます。

ならばこちらも非実在青年をでっち上げるべきです。サッカーで国立に立ち、慶応大学卒業の俳優としましょう。奥さんは歌手な20代の人気若手俳優。そんな人が矢面に立って「東京都青少年条例改正案」に反対する。こういう設定の非実在青年をでっち上げて、東京都青少年条例改正案に反対させるべきなのです。これであれば直接的な利益を害される漫画家や出版社よりも、表現規制の危惧や恣意的運用の危惧がストレートに世論に訴えかけるんではないでしょうか。



※実在しません


世論なんて所詮そんなものです。いつあるか分からない権力による恣意的な運用やその先にある新たなる表現の規制の危機よりも自分の子供が心配です。当たり前です。規制よりも隣のロリコンキモオタの方が恐ろしいのです。そうならば規制しなければなりません。次はエロ漫画、エロ雑誌、グラビアも規制されるかもしれません。将来は人体ではないものに性的興奮を向けざるを得なくなるでしょう。



※たいへんキワドイ写真です。卑猥です。規制しましょう。


自身が児童ポルノだった栗山千明さんなんかの実在する被害者でありつつキモオタな女優さんに見解を聴いてみたいなぁ。



非実在少年が必要な理由)
穂花『籠(かご)』出版記念サイン会をレポート!(新刊JPニュース)
AV女優の穂花さんの自伝が発表され、その内容の衝撃ぐあいにぼくは穂花さんのAVが観られなくなってしまいました。リアルの犯罪被害者がAVに出演し、そのAV出演ですら騙されて出演するはめになったと。こういう時に被害者が居ない、絵描きさんが絵を描いて、声優さんがお芝居をするエロ漫画やエロゲーって必要なのではと思わされます。Mなので別に強姦モノとかは見ないですが、それにしても被害者が居るとAVも楽しみにくいです。そういう時にエロ漫画やエロアニメだとそのキャラクターのバックグラウンドを想像しなくて済みますし。