ボクの母さん4

ある日ボクが学校から家に帰ると母さんが座敷で 雛飾りを鬼の

形相でぶっ壊していた

ボクは母さんに「何やってんだ!」 と怒鳴った

母さんは

「これは悪魔の化身よ!こんなものは壊さないといけないのよ」

と喚きながら壊し続けていた

立派な鯉幟や雛飾りは祖父母がボク達孫のために買ってくれたも

のだ 幼い頃 祝い事の時だけ祖父母が押入れから出してくれた 

その頃は母さんも一緒に飾りつけをしていた

祖母に「あんな事してるよ いいの?」と尋ねにいったが

祖母は「なんであんな事をするかねぇ」とやめなさいと言っても

聞かない母さんにゲンナリするしかない様子だった

ボクは再び母さんにやめろと促しにいったが やめる事はなかっ

た 母さんのその時の形相にボクは 

お前のその行為の方が悪魔の化身なんだよ!と思いながら

「このキチガイ女が!」と怒鳴りつけボクは自分の部屋に戻った

そんな事もあった

 

その頃にはボクも上の子も反抗期と呼ばれる時期になっていた

ボク達がオヤジと喧嘩になる原因の多くが 母さんが仕事で疲れ

て帰宅したオヤジにネチネチグダグダ言い始めオヤジが怒り出す

事が多かった

オヤジが怒ると最終的に手がでるのは母さん自身が一番よく知っ

ていただろうが そうなる事は解った上でオヤジに告げ口をする

母さんにも腹が立った 母さんがオヤジによく口にしてたのは

「私だけの子供じゃないのよ!あなたの子でもあるんだから叱ってよ」だ

 

こんな荒んだ家庭でも二人は親という権利だけは主張しつづけた

幼い頃はこの二人の親の権利に憤りを感じながらも逆らう事は出

来ず振り回されてきたが

中学の半ば頃には僕らも少しずつ体格も出来上がり自我も強くな

り歪んだこの二人の主張に抵抗する事もできだした

ボクは中学に入り数回家出を繰り返した

世間で悪い奴らといわれる人とも沢山出会った

悪い奴らといわれても彼等の家の中は綺麗だった その事が何

故か羨ましく思えた

当時のボクの行動は祖父母には更に辛い思いをさせすまなかった

と思う

何週間か家を空け帰った時はオヤジに殴られる覚悟で戻ったがオ

ヤジはその時はボクを殴らなかった

ただボクがそんな事をしても母さんは何一つ変わらなかった

ボクはこんな家を早くでたかったので中学卒業後は高校に行くよ

りも専門学校に行く事を望んだ だけどオヤジはそれを許さず願

書もとらせてくれなかった

オヤジが最も 何よりも最優先にしていた 世間体 や 体裁 

がそれを許さなかった

そしてボクは何がどうやって行けたかもよく解らないまま高校に

行きだした

その高校で嫌だったのは朝 黙祷 をさせられる事だった 

宗教高校という感じはしなかったけどその頃のボクは特に

宗教やゴミ部屋に対して過剰反応していたので反抗した  

 

そんな頃 もう外は真っ暗になっていた中

ボクはまたもや強烈な場面を目にしてしまった

いつもの様にこそこそと集会場に行こうとする母さんを

オヤジが見つけ 行くのを止めようとして喧嘩がはじまった

どうしてそうなったかは分からないがオヤジは包丁を手にしそれ

を振り回しながら母さんを家の回りで追い回していた

喧嘩は日常茶飯事の事だったけどこれにはまたもや衝撃を受けた

母さんはそれでも「わたしはいくのよ いかないといけないのよ

~」と叫びながら逃げていた

悪夢を見るとき その光景も 幼い頃に体験したあの出来事と

重なり今でもボクの夢の一部として出てくる

夢は自分でコントロールする事が出来ないのか? 

 

そういうボクもオヤジと喧嘩になった時 一度オヤジに刃物をむ

けた事がある ボクが「お前も母さんにそうしてただろ!」 と

いうとオヤジは「おう やれや やってみろ!」と言われたもの

の やることは出来なかった

その頃のボクはこの環境から逃げる事ばかりを考えていた

そしてボクは高校を辞め家を出たんだ

 

その数年後 ボクが家に荷物を取りに行った時

オヤジと母さんが下の子を連れ祖父母の家を引っ越す事を知った

引っ越しの為少しずつ荷物を運び出す母さんを祖母と二人で見な

がら話を聞いていると 祖母がポツリとボクにこう呟いた

 

「こんな年老いた私達をおいて今更出ていくかねぇ」

 

それが聞こえたのか 荷物を運び出す母さんが階段の所で食い気

味にこちらに向かって叫んできた

 

「私が部屋を綺麗に出来なかったのは、2人と住んでいたからよ!!!」

 

なんて言い草だ!!!

と思ったがボクも家を出た身で関わり合いになりたくなかった

ので口出しする事は控えた引越しに至るまでの経緯すら知らない

しかしあんな状況でも二人は離婚もせず しかも三人で暮らす

などとよく決めたものだなという事に驚いた

ボクより前に家を出ていた上の子は「オヤジはよくあんな所に住

む気になったな」と言ってたのは引っ越した場所がいつも喧嘩の

要因の一つとなっていたあのM教の集会所の近所で その信者達

が沢山いた事も一つあったと思う ボクも同じように思った

こうして一人暮らしもした事のない母さんが 年老いた実の両親

を捨て 親子三人で暮らす事になったのだが 

果たして母さんは 幸せな家庭 を築けていくのだろうか?

 

 

 

 

 

 

ボクの母さん 執着心

ボクの母さんが凄い所は 何に措いてもやりたい事を貫き通す精

神だ

飯を作る事も洗濯も掃除も日に日に疎かにしても自分がやりたい

事だけは成し遂げようとする

信販売の類が大好きで密かに購入していた

使いかけの商品や中には未開封のまま買ったことすら忘れている

物もある それらはどんどん範囲を広げていくゴミ部屋の中に埋

もれて母さんは家族に見つからないようにこっそり隠していた

そしてM教の布教活動も日に日に勢いを増していく

更に凄いなと思う所は 周囲が嫌がり何度断るも執拗に異常な程 

M教を押し付ける行為だ 

ノートやチラシの裏に母さんが聖書の一部を書き記したもの 

それと一緒にM教の冊子を添え配布するのだ

オヤジの部屋にもそれを置き続けた それが又喧嘩になり殴られ

る要因になると判っていても母さんはめげずにオヤジの布団の下

などに忍ばせて置く

そんな作業を数年間 母さんはボクが家を出るまで続けていた

案の定最初はその行為に対し怒鳴り散らしていたオヤジも途中か

らは怒鳴る回数が減り 母さんがオヤジの部屋の至る所に忍ばせ

て置いていたM教関連の物をオヤジが見つけるとビリビリに破い

ていた そしてそれをゴミが積みあげられた母さんの部屋や台所

に投げ捨て返していた 

 

祖父母も最初は「やめなさい」と言っていたが 一人娘という可

愛さからなのか はたまた彼女の執念に折れたのかは解らないが

ボクが家を出る頃には

「やりたいならあんただけやりなさい私たちは まんまんさん(仏

教)だからやらないのよ!!!」

と母さんが手渡ししてくるM教の冊子を返しながらそう言ってい

た祖父母の姿を何度も目にした

祖母はお経も習っていて ボクは小さい頃からよくお寺の法事や

葬式に連れて行ってもらったりした

又、祖父母のリビングに置いてあった仏壇の参り方等をいつも教

えてくれていた 

祖父母がする仏教は母さんのような異常なのめり込み方ではない

一般的にみかけるごく普通の信仰心だった


ボクの知る限り親戚も母さんがすすめるM教に賛同する者は一人

もいなかった  

オヤジの父が亡くなった時 母さんは葬儀に参列しなかった

母さんにとっては義理の父だ

母さんは葬儀が終るとひょっこり顔を出し「炊事を手伝いましょ

うか」と声をかけていたが「もうする事はないからゆっくりして

ていいわよ」と叔母さんから言われていた

すると今度は集まった親戚達にこっそり声をかけはじめていた

M教の話をし始め やはり冊子や書き記したメモを渡す行為をし

ていたのをボクは見てしまった

だけど親戚も やめてと口にするだけで母さんのあの執着心を止

めれる者はいなかった

 

ボクがまだ義務教育を受けていた頃 友達ではない同級生に

「お前の家の人うちに来たよ」と言われ嫌な思いをした事もある

 

母さんの執着心は凄いというか 怖い という表現の方がボクに

はしっくりくる様な気がする

ボクの母さん3

赤ちゃんが産まれてもなお 母さんはM教にのめりこんでいた

今度は赤ちゃんとボクを連れてM教に行きだした

ボクは小学校の高学年になっていた

そんな中 ボクが強烈に母さんに対し怒りを抱きはじめた時の事

まだ首がすわってからどれ位経ったか解らない赤ちゃんとボクを

母さんはB女の車に連れて行き母さんはその場からいなくなった

B女は M教 を母さんににすすめたM教の信者だ

B女は車を路駐させ ボクは助手席に座らされた 

運転席にはB女が座り大泣きしている赤ちゃんを押さえ込みなが

ら聖書なるものを手にし読み聞かせようとするB女の姿はボクに

は鬼のように映った

B女の車は2ドアで子供の自分にも狭く感じた

豆腐屋の下に車を止め エンジンはつけたままだった

当時から車酔いをしていたボクにとってあのエンジンの揺れには

耐えがたいものがあった

またB女が車に置いていた芳香剤の匂いがより酔いを増した

その揺れと匂いに吐き気を催し頭痛がしだしたボクは

B女に「気分が悪いからもうやめて」と訴えた

それでもB女は「もう少し頑張って聞きなさい」

と色んな色の聖書を手にしそれを読み聞かせてきた

B女の事は 赤ちゃんが生まれる前から何度か母さんに連れてい

かれていたB女の家や集会所などで会った事があったので知って

いた その時は勿論母さんも一緒にいた

だけどこの時は違った しかも大泣きしている赤ちゃんを押さえ

込みながら訳の解らない聖書をこんな環境で聞かされないといけ

ないんだ と

ボクはB女に対して怒りを覚えた

そしてこんな環境に放り込んだ母さんにもM教にも憎しみを抱き

はじめた

そのあと ボクは母さんが連れて行こうとしてもM教を拒絶しは

じめた

時に母さんは母親という親の権利を楯にしてきて行かざるを得な

かった事もあったけど

ボクは拒否をする事が出来る年齢になっていた

だから母さんはボクを諦め 赤ちゃんを道連れに M教 中心の

生活を送るようになっていった

ボクの母さん2


あんなに周りから反対され購入した高額の 幸せになる壷 を

「こんなのじゃ幸せになれない!」と叩き割っていたのは

いつの事だっただろう?

ボクの家の中はTV番組でよくお目見えする位のゴミ部屋が仕上

がりつつあった

母さんは何かと言い訳をしながら家事をしなくなっていった

ボクが「明日着ていく体操服がない」と言うと

「そんなの知らないわよ!私はねあんた達の世話をする為にいる

んじゃないわよ それくらい自分でしなさい」と言われた時はそ

の言葉に驚いた

かといってその頃はまだ 家事全てを放棄していた訳じゃない

母さんは徐々に 徐々にと家事をおざなりにしていった

母さんの部屋や台所にゴミが溜まりだすと 怒鳴りながらも

オヤジがゴミを捨てていた光景を何度か目にした

オヤジの片付け方は 選り分けながらという訳ではなかったので

母さんは逆上しながらオヤジが片付けて捨てたゴミを又拾いに行

くという行為が繰り返された

母さんにとっては新聞のチラシや食品の包み紙ですら必要なもの

だった

母さんは誰が片付けようと最後に必ずこう言う

「要る物だったのに!」と

台所のテーブルの下はゴミで足の置き場がなくなり

テーブルの上も食べる場所もなくなりはじめた頃に一度

ボクもそれを見兼ね ボクなりに片づけをした事がある

母さんに「ほら、こうやって整理すると綺麗になるよ」と言うと

「あんたは片付け上手ね」と褒められ嬉しかったものだ

だが結局 数日経つと又同じ環境に戻る

 
そんな母さんに より一層拍車をかけた物は次にはじめた宗教だ

母さんはその宗教に今までの何よりもずっぷりはまっていった

又ボクも学校から帰ると 昔別の宗教のような所に連れて行かれ

た時と同じようにその集会所等に連れて行かれた

ここではその宗教を M教 と呼び それを勧誘してきた女を 

B女と呼ぶ

M教に関しては母さんは周囲の人間(祖父母や親戚)のみならず 

赤の他人にも嫌がる周囲をよそにそれをゴリ押ししすすめた 

やはりその時も「皆が幸せになる為にしているのよ」と壷や印鑑

のときと同じように繰り返し言っていた

このM教によりオヤジや親戚との関係性は更に悪化した

オヤジと母さんの喧嘩も更に悪化したのは言うまでもない

 

オヤジは「仕事の事も考えてくれ」「やめろ!」「そんな暇があるなら家の事をしろ」

と数年間いい続けている事を繰り返し怒鳴りながら言っていた

祖母も「いい加減やめなさい」と言った

だが母さんはやめる事無くそれどころか仏教の祖父母にもM教を

すすめ断られると「私は皆の幸せのためにやっているのに」

と癇癪をおこした

母さんのM教に対する執念は尋常ではなかった

その頃にはもう母さんの部屋は立派なゴミ部屋になっていた

台所も酷い状況になっていた

 
そんな中 ボクがいくつの時だろう? 祖父母や上の子が

「えっ?」と驚いていた事があった

オヤジと母さんは口を開けば喧嘩 当時から寝室も別で

会話も殆どしてなかった 

祖母も上の子もボクも もう別れてお願い と言っていた最中の

ことだ  母さんに子供ができたというんだ

喜びながらも祖母がボクにこう漏らした

「あの2人になんで子供ができるかね・・・」

何故そんな事を言うのか・・・当時のボクには意味がわからな

かった

オヤジは産む事に猛反対していた

上の子は「いつも口も聞かなかったり喧嘩ばかりしてるのに気持

ち悪いんだよお前ら」と叫んでいたのを覚えている

上がそう叫んでいた意味も当時のボクには解らなかった

もしその当時その意味を知っていたならボクもそう言っていたの

かもしれない

だけどボクにとってこの劣悪な環境の中で 赤ちゃんができる事

は楽しみで仕方なかった

だから産むなと言っているオヤジに腹が立った

ボクは出産で入院していた母さんの所へ学校が終ってからよく

通った

部屋はゴミで赤ちゃんを受け入れ育てるスペースがなかったので

祖母と祖母の妹が来てくれ片付けをしてくれているのを見か

けた

退院後 その綺麗になった部屋に母さんと赤ちゃんは戻ってきた

だけど 母さん達が家に戻り一年経たず位でゴミは又増え

赤ちゃんはゴミ部屋の中で育てられていた

漫画サザエさんのような家族構成 なのに中身は全く違う


ボクが住んでいた家は 祖父母の持ち家で二世帯住宅だった

祖父母は 母さんの両親だ 

母さんは一人っ子で 祖父母に可愛がられ育ったという

オヤジとは見合いで結婚し マスオ形式で同世帯になったという

話を婆ちゃんがしてくれた


そして上の子ができボクが産まれ6人家族になった

祖父母は2人とも家族思いの優しい人達だった 

無口な祖父だったが

「家族なんだからみんな仲良くせにゃいかん」と言う事は口癖の

ように言っていた

祖父の楽しみはタバコと たまに飲みすぎて冗舌になる酒だ

祖母も穏やかな人で お喋り好きで趣味も多彩な人だった 

2人とも自然を親しみ 庭仕事等をしている姿をよく見かけた

そんな祖父母でも 母さんが 幸せになる壺 や 幸せになる

印鑑を購入すると言い出した時には猛反対していた
          
オヤジは勿論 大激怒した

それでも母さんは

「これは私の為じゃない みんなが幸せになる為に買うのよ」

と押し切り最後には購入していた ボクが小学校にあがった頃の

事だ


日常 祖父母とボクの家族の食生活は別だった 

だけど誕生日やこどもの日とか祝い事がある時は 居間で6人で

ご馳走を食べていた頃もあった

一度 その行事の最中にまたオヤジが怒り出し上の子が叩かれた

事があった それは上の子の誕生日のお祝いをしていた時の事だ

誕生日にかわいそうと思ったが ボクは上の子にたまに叩かれ

たりしてたので 少しいい気味だとも思った それよりもオヤジ

の怒りの矛先がボクに向いてこないかという事を心配した

上の子はボクより数倍オヤジに叩かれている事が多かった

祖父母はオヤジの暴力に対し 叩いたら駄目だ とは言ってくれ

ていたが 娘婿という立場を配慮している気配は子供のボクでも

感じ取れた

ボクは小学校位までは2人の喧嘩がはじまるとよく祖父母の所に

逃げ込んでいた

「また母さんがオヤジと喧嘩しだしてオヤジが叩きだした」と泣

きつくと時々止めに入ってくれた 

今考えると祖父母も一人娘と娘婿の喧嘩をしょっちゅう見るのは

辛かったのだろう

ある時いつものようにボクが祖父母に泣きついた時 祖母から

言われた事はボクにとっては衝撃的だった

「こっちの家とあっちの家は違うのよ 喧嘩しててもこっちに来

たらだめよ 戻りなさい あなたはあっちの家の子供なんだから

そっちはそっちの家族で解決しなさい」

と言われ 逃げ場を失った事も祖母からそんな事を言われた事も

当時のボクにとっては大ショックだった

それから大分後の話になるが 一度だけあの温厚な祖父がキレそ

れを見てスッキリした事がある

その時は玄関先で いつもの様に家事もせず夜でかけようとする

のをやめない母さんを怒鳴りながらオヤジが殴っていた時の事だ 

祖父母が共通の玄関先に出てきて祖父が怒鳴りあげた

 

   「うちの娘になにするか!!!!!!!」

 

ボクが知る限りでは 祖父があんな剣幕でオヤジの暴力に対して

怒ってくれたのを見たのは それが最初で最後だった 

胸がすっとした思いもしたけど

(こんなやり取りをいつも目の当りで見せられる気持ちがわかったか!)

(やっと言ってくれたなぁ)と祖父母に対して思った

ボクは家を出るまでは父の暴力が嫌で嫌で仕方なかった

だけど家を出てオヤジの気持ちが少しだけわかる様になった

母さんにはそれくらいしたくなる要素があまりにもあるからだ

ボクの母親 1

ボクが幼いころはまだ優しい母さんだった

家の中は綺麗じゃなかったけど部屋で遊べるスペースもあった

母さんが変わっていったのは宗教のような所へ行きだしてからだ

ボクがまだ幼稚園に行くか行かないか それ位の時期の事

当時 まだ夜も明けない時間帯に起こされて 時にはパジャマの

まま上着を着せられそこに連れていかれていた

ボクがその頃住んでいた家の付近には 街灯も少なくて 大通り

に出るまでには舗装されていない階段があって 薄気味悪い場所

を通らなければいけなかった 

そしてその集会場に行くまでには1時間以上歩いていたのかボク

は母さんに「もう歩きたくない」と拗ねて言った事もあった 

眠いのに起こされて まだ夜も明ける前 わけの解らない所に連

れて行かれるのも嫌だったという記憶が残っている

集会場の中の記憶はぼんやりで 体育館のような所に10人以上位

の人がポツポツと座っていて そんな中 壇上で知らない人が

喋っていた という様な記憶だ

そんな事がはじまり何度目の事か? 家を出てすぐ、道なりの悪

い階段を下りている時の事(MTさんの家付近で)暗闇の中 凄

い形相でオヤジが怒鳴りながら駆け下りてきた

 

「こんな時間にどこに行くんだ!こんな小さい子を連て!!!」


母さんは 何かオヤジに言い返しながらも逃げるようにボクの手

をひきながら階段を下り(SKさんの家)の手前で言い争いを

していた

その時はオヤジと母さんとでボクの手を引っ張り合いになった末

母さんは一人で行ってしまい ボクは家に戻った

その頃のボクは泣き虫でよく泣いていたが その時は特に大泣き

した事は覚えてるけど そのあと家に戻ってどうしたのかという

記憶が全くない

だけど あの暗闇の中でのオヤジと母さんのやりとりは ボクの

中で恐怖の一つとして植え付けられた 

あの時の光景は ボクの中で悪夢の一つとして夢に出てくる場所

になった いつも悪夢を見ているわけじゃないけど 夢見が悪い

時にはうなされて目が覚めるくらいの時もある

その後も母さんはそこにたまに行ってたようだが ボクが小学校

に行きだした頃は連れていかれる事は少なくなった

 

 

 

 

すぐ怒鳴る すぐ殴るオヤジ

電気ショックをあびせらせたり鞭で叩かれたりした事はない

でも殴られるのは嫌だ オヤジは虫の居所が悪いと怒られるような事をしていなくても怒り出す時がある

オヤジの怒鳴り声は張り裂けそうな声を出すので全身身震いする

母親が殴られるのは家事もしないで宗教や買い物にのめり込むからだ

オヤジと母親はぼくが幼少期の頃から喧嘩ばかりしていた

部屋も別で口を聞かない事も多い

何度か仲良くなっているのを見たことがあるがそれを見ても嬉しいというより気持ち悪さを感じた

 

でもオヤジは家族の為に一生懸命仕事をしてくれている