敷地面積の半分が庭という家に引っ越して半年が経ちました。庭はLDKに面していて、リノベ前は縁側があったところなので日当たりがよく出入りもしやすい上に公道に面していないので、これは芝生を敷くしかないと思った庭、なかなか手を入れられず、温かくなるにつれて容赦なく雑草が生い茂り半ば林と化していたのですが、やっと踏み込み始めました。

 

今年の目標は、庭の半分に芝生を敷くこと。それにはまず整地をしなくてはならない。

元々は砂利敷だったこともあり、地面を掘り返すとほとんどが石です。そんな土地に芝生を敷いても定着しないし元気に育たないので、石を取り除いて芝生が育ちやすい土に作り変えなければいけない。全部手掘りでいくのは辛い面積なので耕運機を入れたいのだが、庭の真ん中に切り株が残っているので、その根が邪魔をして耕運機を入れられない。庭木屋さんに頼んで抜根してもらおう、日程は5月中でいけそう、というところまで進みました。

 

植木の剪定もあったので、既に6人くらいのプロに庭をみてもらっているのですが、芝生についてはほんと諸説、みんな言うことが違う。人工芝にしとけという人も天然芝がいいという人もいるし、敷く時期もバラバラ。とりあえず私が敷きたいのは天然芝で、梅雨時までに敷いた方がいいこと、土に課題があるっぽいことは確か。まずは掘り返して石をどけてふかふかの地面にする必要がある。
掘り返した土をふるいにかけて石を取り除いて、残った土に川砂とか目土を混ぜるという重労働を6月にやることになりそう。熱中症ってご存知ですか?

 

庭を囲んでいる植木をどうするかについても自分の考えが定まらず、せっかく何本か伐採したのにまた植えようかな? という気になってきたり。世話が大変そうなので高さは抑えたい、と思っていたのですが、せっかくなら庭でバーベキューしたくなってきて、それなら煙よけに植木は高い方がいいじゃん、じゃあ伸ばすか、ということになっているのが今。虫がつきやすそうな広葉樹の面倒は見たくないが、金木犀だということが判明したので、広葉樹を伐採したとて絶対に農薬は撒く(絶対に毛虫にあいたくない)なら自分の庭でいい香りがするの素敵じゃん……となってしまい面倒見ることにしたなう。

 

これを書いている現在は抜根作業待ち、庭の片隅で堆肥づくりに勤しんでいます。除草剤と殺虫剤は撒いた。元々DIYが好きなので、毛虫が怖いだけで作業は楽しいです。
毛虫が怖いだけでその他の虫はわりと平気なので、テントウムシとかバッタとかミツバチを見つけて普通に感動しています。テントウムシってめちゃくちゃたくさんいるね。窓にとまったテントウムシを窓の内側から見た子どもが若干引いていました。概念的には裏側は「てんとう虫」じゃないよね……わかるよ。

 

とにかく芝生の作業が重労働。お礼はします、内容は要相談、で手伝ってくれる方がいらっしゃったらご連絡ください……

人生の主役

『子どもが生まれたときに「これからの人生の主役は子どもだね」と言われて、私の人生の主役は永遠に私だ』
という主旨のツイートを見て、ほんとそれな~! と思いました。私の人生の主役は私だし、子どもの人生の主役は子ども。そして同時に私は子どもの人生の脇役にもなる。

 

24歳のときに、2歳下の大学生とグループディスカッションを重ねる機会があって、女子たちはみんな結婚・妊娠・出産を踏まえてしっかりとキャリアを考えていて感心したのですが、一方で男子はほんわかしている子が圧倒的に多かったです。考えていても主語が「女性は~」で自分ごととしては考えていなかったり。(「女性の意見も聞いてあげるべき」と素で発言した強者もいた笑)
高卒で就職した18歳ですら結婚妊娠出産とキャリアについての意識は高かった。
どこかでキャリアがストップするかも……ということを常に考えているんですよね。むしろ考えたことがない女子はあんまりいないのでは?

 

産前、どこか遊びに行くとなったときの選択の基準の一つが「子どもが生まれたら行けなさそうなところ」でした。あらゆる行動や選択の主軸にそれがありました。結局産後には「子どもと行けるところに行きたい」になったのであんまり気にする必要もなかったなという感じでもあるのですが、結果としてはやっぱり先にやっといて良かったなと思うことがいくつもある。

 

うちはほぼ完全にツーオペなので、長時間または夜の外出にもわりと融通がきくのでそんなに我慢はせずに済んでいますが、ワンオペだったらこうはいかない。もっと言うと、パートナーにほぼ丸投げして自分は好きなことを好きなだけやることも可能ですが、それはイコール子どもと関わる時間が減るということで、それは不本意なので積極的な選択として子どもと関わることを優先させています。色々天秤にかけて自分の人生のバランスを計算して、子どもと過ごしたりパートナーに任せたりしています。

 

そこのところ、子どもと過ごす方に振っていると「(母)親の人生の主役は子ども」っていう解釈をされがちなのではないか。でも私は上記の行動指針で動いているので「自分が主役の人生に子どもという重要人物が新登場」という感覚です。その上で外から「いや子どもの脇役でしょ」ってジャッジされるならもう好きに解釈してくれという感じです。

 

要するに私は今の人生のバランスに満足しているというだけの話なんですが、女子が妊娠・出産して人生の選択肢が減るかどうかはやり方次第、減るというより変わるという感じでむしろ増える場合もあるので何かの参考になれば幸いです。一方を選べば一方を諦めることになるのは全ての選択肢に言えることで、子どもが生まれたら一律これを諦めないといけないというものはない。

でも私は産後の入院中に子どもがかわいすぎて毎日泣いていた人間なので、子どもをどの程度かわいいと思えるかにも依存してくるかと思いますのでやっぱり慎重にならざるを得ないよねー。私が、たとえ子どもがかわいいと思えなくても責任を持って育てるぞと思って出産したらめちゃくちゃかわいかったのはラッキーとしか言いようがないです。

 

とはいえ、何か一つのことをやるために産前よりもパワーが必要になったのは確かで、色んな意味での体力が向上した感はあります。色んなチャンスがものすごいスピードで来ては去り来ては去りするのでいちいち走って追いついて走り続けなくてはいけない。でもこれ子どもいなくても一緒なんだよね、生き方次第で。私は子どもが生まれたことをきっかけにこのルートに来たというだけで。

 

というわけで私の人生の主役は私なのですが、子どもが主人公である子どもの人生を素晴らしいものにする立役者になりたいしならなくてはいけないと思うので、選択肢をしっかり見極めていきたい。子どもに限らず、誰かの人生の何かしらの立役者になることって恐ろしいながらも貴重なことではありませんか?

おやつ代かな200円

大垣市立図書館の料金システムは若干独特で、 初めての利用時に駐車料金200円を支払い、 図書館で本を借りると発行される券と引き換えに1時間分の無料駐車券がもらえる、以下繰り返し、という仕組みです。

その駐車券を失くしてしまうと振り出しに戻るので、読書記録ノートに封筒を貼り付けてわりとしっかり保管していたのですが、ノートごと失くしました。

それ以来、駐車場に停めるのがなんとなく損な気がして(何となくではなく明確に損)バスで行ってます。 それなら時間制限もないし。

そう、無料駐車券には60分という制限もあって、さらに時間貸ではなく一律(一回)200円なので 入庫〜出庫が1時間を超えると1時間無料券を持っていても結局200円かかる……1時間以内に図書館を利用し終わるのって普通に無理なので、書架を眺めるのは最低限にとどめて、事前にWeb予約したりして時短をはかっていました。

 

なんか大垣市への文句ばっかり言ってるな。なんやかんや言っても住みやすい街だと思ってますよ……ただ図書館のような文化施設とか公園とかの勝手はあんまり、良くないんだよな〜

大垣公園に専用駐車場がなくて路駐されてるとか。それでもにぎわっているので、公園自体は良いところなんですよね。行政は人気にあぐらをかかずに市民の声を大切にしてほしいナ☆と思っています。

 

大垣公園でイベントがあった時に一歳二ヶ月児を連れて遊びに行ったのですが、帰りたがらないくらいエンジョイ していました。目の高さに置いてあるスピーカーから音が出てるのが楽しかったっぽい。スピーカーの前で 踊ってました。

絵本交換コーナー(持ってきた絵本を置いて、そこに置いてある中から好きな絵本を持って帰って良いコーナー)からごく自然に絵本を持ち去ろうとして、私に止められた時が一番ゴネていました。交換用の絵本は持っていなかったので、置いてある絵本を一通り立ち読みさせてもらい、本人が満足したところでその場をあとにしました。比較的切り替えが早いタイプで助かったよ……

 

そろそろ道路に飛び出す脚力と、カバンを持ちたい心が育ってきたようなので、いい感じのリュック型ハーネスを買ったのですが、背負わせてみたら号泣拒否。慣らすしかないか……

映画のミカタ

愛のコリーダ」最後まで見ましたが、阿部定事件wikiから来た私にはちょっと物足りないラストでした。「雪山の絆」で発覚後を描いてほしかったと思った自分にはモラルの欠如を感じて自省しましたが、愛のコリーダは 事件部分までやってもいいじゃんと思ってはばかりません。でも映画として描きたい部分が違うんだろうな。エマニュエル夫人3のラストシーンを見ながら「エマニュエル夫人、旅立つんだ!?」と 思ったときのことを思い出しました。愛ってわからん。

「旅立つんだ!?」と思ったってことは私って愛よりお金なのかな……

 

一番最近でワハハと難しいこと考えずに楽しんだ映画って何だろう。ヘヴィ・トリップかな。それって4年前なんですけど!?

まあ難しいこと考えずに楽しみたいと思うこと自体があまりないので、そういう映画を必要としているわけでもないのだが「わぁー」と思っているうちに終わるような、考える間もなく進んでいくインパクトとスピード感のある映画は楽しい。マッドマックス 怒りのデスロードとか 「ワァー」と思っているうちに終わるけどめちゃくちゃ考えることあるじゃん。ある意味そういう映画が一番楽しいのかもしれない。

 

何も考えずに見れる作品は無いと思っている派。というか考えるのが醍醐味。考えるほどの中身がなくても、なぜそう感じたのかを考えるのが好き。むしろ駄作の方が長々と感想書いちゃったりすること、あるよね。

私は「ジュラシック・パーク」のファンで、「ジュラシック・ワールド」の2と3がめちゃくちゃ嫌いなのですが、後者の方が 色んな感情を引き出してくれる感はあるよね。

 

新たなる支配者(ジュラシックワールドシリーズの3)はブログに感想書いてました。

https://suisanshikenjou.hatenadiary.com/entry/2022/09/07/194200

恐竜との原体験にも触れてます。映倫の必要性。お父さん悪くないよ。

 

でも、映画の中で起こっていることをそのまま受け止めながら観るということも大事だと思う。意図や意味を探りながら見ていては得られないものがある気がする……ちょっと寝かせてから言語化しないと出てこない感想がある気がする。子どもの頃に観た映画とか読んだ本の感想を 大人になってから書くとか? みた瞬間の感想と変わってしまうことの良し悪しは分からない……そこまでいくと寝かせすぎなのかな。

 

探りすぎて感想が考察になってしまうくらいなら「何も考えずに」観た方がいいとは思う。そう、私は アンチ考察ブーム……「正解の見方」みたいなのが嫌でした。感想に正解も不正解もない。

それってあなたの感想ですよね? 大切にしてくださいね。あなただけの感想。

おおがきマラソン

都会の人ってよく散歩してるな。田舎の人もしてるけど、年齢の分布が違うのと、散歩が目的で散歩してる人は少ない気がする。私は外をうろうろするのは好きだけど、歩いていることに飽きて走り出したくなってしまうので、あんまり散歩は向いてないです。

 

新型コロナウイルスの影響で何年か中止になってしまっていましたが、毎年12月におおがきマラソンがあります。

2019年にランニングにハマッて、おおがきマラソン10kmの部に出場して1kmあたり5分という初心者にしてはまあまあの記録で完走しました。

産後に復活して10km完走するぞ! と息巻いていたのに10kmの部がなくなってしまった。ハーフマラソンと2.5kmだけになってしまった。ハーフマラソンを走るフィジカルと根性はないが 2.5km、短いなあ〜「体を動かす」ということについて2年のブランクがあるので余裕とまではいきませんが、復活するんだという モチベーションを保つにはちょっと短い。まあ10kmって10000メートルだから長距離ではなく中距離? 本格的に走ってる人はハーフに行っちゃうだろうし微妙な距離だったのかもな。ハーフを走ってみれば走れなくはないでしょうが必要なトレーニングの量は10kmの比ではないだろうなーフルになると単純な走力だけではなくテクニックも必要になるというし。

2019-2020の年越しで、宮島で初日の出を見るランをしたのですが、復路の途中で足がやばい痛さになって電車で帰りました。 軽い登山(下山は走り)を含んだというのもあるけど、自己流でなんとなく好きに走るトレーニングで余裕もてるのは10kmくらいまでなんだなと思いました。

10kmの部、復活させてくださいよ〜

ピアノ

子どもがピアノ大好きだそうで、保育園にピアノがあり弾いてくれる先生がいて好きなだけピアノに触っていても見守ってくれている状況に感謝する日々。自宅にアップライトピアノなんて置けないことを考えると、保育園でピアノに触れられるのはとてもありがたい環境です。

そういえば、大垣駅で駅ピアノを弾いていたときに「うるさw」って聞こえてきたときのことを時々考える。大垣駅の駅ピアノはどういう主旨で置かれているんだろう、公共の場所における音の感じ方やそれに対する態度ってどういうものなんだろう。直接ではなく後ろでぼそっと「うるさw」って言うのはちょっと意地悪じゃないですかというのはちょっと思うwwんだけど、その時は私も上手に弾こうとかではなくただ楽しくピアノを触っていただけだったので、耳障りだと言われてもまあしょうがないかなという気持ちでもあった。
じゃあ、どれくらいのレベルからなら弾いていいのか? 小さな子どもが「ピアノ触りたい!」って言って適当に鍵盤を叩くのもだめ? それは子どもだから許される? ちなみに私は適当に楽しく触っていただけとはいえ、私は片手で簡単な曲を弾きつつ膝の上の子どもは好きな鍵盤を触りつつ、という感じだった。
なぜうるさいと思ったのかな? そしてなぜ遠くでぼそっと「うるさい」と言ったのかな? もしかしたら、大きな音を苦手とする人が思わず口に出したのかもしれない。そうだとしたらただの不幸な偶然だ。
もしこうだったら一番残念だな、と思うのは、駅ピアノや空港ピアノのような公共の場所に置いてあるピアノは、上手に弾ける人だけが弾くべきという気持ちが多くの人にうっすらとあるのではないかということ。正直なところ、かつて私もそんな気持ちを抱いていて、駅ピアノに触るのはハードルが高かった。ところがある日ツイッターを見ていたら「普段からピアノに触れられる人は少ない。駅ピアノや空港ピアノは、そういった人がピアノに触れられる機会を作るための存在でもあるべき」という意見を見て、駅ピアノに触る勇気が湧いた。とはいっても、ピアノの練習ができるところ(地域センターの電子ピアノが置いてある部屋とか)を探して、ある程度弾けるようになってから弾きに行った。はじめは広い場所でピアノが弾けて清々しい気分になったのだが、何度か弾いているうちにもやもやした気持ちを覚えるようになった。結局自分も自分で設定した、このレベル以上弾ければ駅ピアノを弾いてもいいというハードルを越えただけではないか? 私が駅ピアノを触る勇気を持つきっかけとなったツイートの主旨には達していないのではないか?
自分の心に対して恥ずかしい振る舞いをしていると思った。そこで、それまでは必ず確実に弾ける曲だけを弾いていたのをやめて、適当に耳コピしたRushEをものすごく簡単にして弾いてみたりした。「おっインターネットで流行っている曲を弾いている人がいる」と思ってくれる人がいてくれたら面白いなと思って。知名度が低いけどちゃんと弾ける曲よりも、ピアノやクラシックに馴染みがない人にも知名度がある曲を弾いた方が、みんなが駅ピアノに触れるハードルが下がるかなと思って。一本指でしか弾けないけど、猫ふんじゃったしか弾けないけど、という人に、ピアノに触れてほしいなと思って。そうだ、私は駅ピアノに触れるハードルがもっと下がってほしかったんだ!

少し話は変わるけど、自分の子どもにはダンスか音楽は一度習ってみてほしいと思っている。ダンスと音楽は世界共通の言語だと信じているから。言葉が分からなくても一緒に踊れる。演奏できる。もっと言うと、色んな文化があることを知ることができれば、自分と違う人を尊重する心を育むことができる。そう信じているから。

だからね、tiktokで踊ってる人がたくさんいるのはとてもいいことだなと思っているんですよ! ダンスへのハードルが下がっているよね。たぶん「かわいい子しか動画上げちゃダメ」みたいなルッキズムとかエイジズムとかはまだ払拭されてないかもしれないけど(いや、私が知らないだけで若者の間ではそんなことないのかも?)
上手いとか下手とか気にせず、踊ったり歌ったり演奏したりしてほしい、みんな。それは平和への第一歩だ!