サイコヤンキー エクスカリバー篇


スパゲッティを食べる時、いや麺を啜る時、女性の利き手と反対の手は机をチョップしている。
それもかなりの確率で。

というような事を15年くらい前のテレビがドヤ顔で報じていた記憶があるのだが、誰か知らないですか?

あれから色々あって、こんな私でも様々な女性と食事をする機会があるのだが、未だに「チョップ食い」してる人に出会った事がない。

相手方が麺類をオーダーした時は特に注意深く、悟られないようにチョップチェックをしているのだが、それを見越してか、焦らすように手の平を丸め、机と垂直の角度で固定したままなのだ。

「その手を開いてくれたら長年のもやもやが融けるんです!お願いします‼︎」
と念じたところで、相手方は食べるのに必死。
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そんな食い意地張らんでも横取りするかいな。

俺ニュウメン嫌いやねん。

九十九神の誘惑

九月に入って涼しくなった。
季節の変わり目というのは、街を歩いているだけで、風変わりな人物に出会う確率が高い。
四月とか六月、十二月あたり。

昨晩、気持ちがざわついて寝付けなかったので、近所の公園へ行った。
公園というのはいい。
人工的に作られた空間のくせに、虫がいて木や土や石がある。
趣味の悪い配色の遊具が二、三並んでいるとなお良い。

ベンチに座って煙草を吸っていたら、前方にある、緑色の座面のブランコが歪な音を立てて揺れている。

子どもがこんな時間(23:00くらい)に遊んでいるのかと、目を凝らしてみる。

ブランコの運転手は背広を着た初老の男だった。
草臥れた感じの一切しない、パリッとしたスーツを綺麗に着こなしてらっしゃる。
新橋の酒場でグダリーマンの香りが一切しない、サラリーマン紳士だ。

どんな顔をしてブランコに乗っているのか?
どうしてもブランコを操る男の表情を確認したくなった私は、今座っているベンチが濡れているフリをして、ブランコの近くのベンチへと移動した。

そして恐る恐る顔をみる。

泣き笑っている。
満面の笑みをたたえ、無数に刻み込まれた頬の皺の溝には涙が溜まっている。
涙は公園の街路灯に照らし出され光っている。

しかも立ち漕ぎだ。

紳士は10分ばかし笑みを絶やさず、また涙を流し続け、ひたすら膝を折り曲げ緩急をつけてはブランコを漕いでいた。

クライマックスが近づいた瞬間、さらに深く膝を曲げ110度くらいの角度をつけたままブランコの鎖から手を離した。

そのまま地面へストンと、体操選手の競技の決めポーズのような直立不動のスタイルで着地する。

口をあんぐりと開けて一連の動作を見届けていた私を真顔で一瞥し、地面に放っていた本革っぽい鞄を拾いあげ、颯爽と駆けて行った。
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公園は良いものだ。
子どもだけでなく大人も公園で沢山遊ぶような時代になればいい。

公園で絵を描いている時に、ホームレスと飯を食いに行った話はまた書こう。


生臭キリシタンの草鞋

電話が苦手だ。

商売上避けては通れないので、仕方なく未知語やコバイア星人と対峙しなければいけないわけだが。

受ける電話の大抵は話がとっ散らかっているため、こちらで解読しなければいけない。

解読作業を円滑に進めるための潤滑油として、相手方に「こういうことでっか?」と、

要約がてらヒントをくれくれするわけだが、向こうは自分の発した第一声で、

「物事は全て伝わった!愚問をよこすでない。」

というような態度であらせられるので、話が全く進まない。

先月の話。

ヒステリックババアが開口一番に単語を連発。

もうこの時点でまともに会話をする気があるのかと疑ってしまう。

早速始めた要約作業が気に障ったのか、物凄い剣幕で私の人格否定を始めたのでしばし耳を傾けることにする。

よくわからないところに生えている髭を一本一本抜きながら20分ばかし話を聞いて、そろそろ終わるかなーというところでヒスバアが瘴気を放った。

「電話代!高くなった!払え!こんなんだからあんたはいつまでもこんな商売しないといけないのよ!!!」

瘴気を全身に受けた瞬間、私はおもむろに壁に固定してあった電話機を電話線ごと引っこ抜いて床に叩きつけた。

「こんな」とはなんだ。

商売を馬鹿にされてボイルドタコになるようではまだまだ駄目だ。

なんというかまあ、あんまり「アタシがメートル原器」なんて思わないほうがいい。

エネルギーは限られている。

無駄遣いはよそう。

 

 

 

老和尚の車

朝起きて、開眼一番に目の前に広がる光景。

決まっていつも同じ光景。

ハコバン車内、右前方、運転席からの視点。

日本海沿いを北上。

どこか遠い見たこともない寂れた港町を流している。(カッコよく言うとこうなる。)

窓を開けると潮風と焚き火の香り。

時間は夕刻。

生活の気配はあるのに人の気配が全く無い。

「あっこにある山の向こうへゆこう。」

指差す先にある、陽が沈んだ後の逆光大山脈。

駈けても駈けても一向に近づかない黒光りの山の野郎。

距離を縮めようとアクセルを踏み込んだところで我に返る。

朝起きれば必ずこの一連の流れで物語が進行する。

小学生の頃から。

最近、この現象に「侘び寂び妄想」と名付けた。

由来はどことなく寂しい感じだから。

睡眠時に夢をみることはサボりがちのくせに、朝起きれば毎日欠かさず「侘び寂び妄想」。

寒中水泳の日だろうと高校入試の日だろうとそんなことは関係ない。

あれよあれよという間に20年の歳月が経った。

その間も「侘び寂び妄想」は毎日欠かさず発動し、内容に変化の兆しは無い。

この一連の現象について、知人に「悩み相談」と称し、相談の真似事をしたこともあるが、

「よくも飽きずに毎日同じことが出来るな。暇なのか。」と相手にもされなかった。

相談する相手を間違えた。

意識的に妄想をやめることは出来ないし、シチュエーションを変えることなど不可能なのだ。

あたりまえのことであって、これが起きない一日など到底考えられないのだ。

起床時の生理現象である。

もはや私にとって朝勃ちとなんら変わらないのであろう。

そうは言ってもこれは普通の状態ではないのだろう。

何をもって普通というかはこの際置いておく。

異常なのかな?

現状死守で楽しんでいる自分と、謎を解き明かしたい自分が脳内大戦を繰り広げている。

日本海側を北上する旅に出れば何か手がかりがつかめそうだ。