サイコヤンキー エクスカリバー篇
九十九神の誘惑
生臭キリシタンの草鞋
電話が苦手だ。
商売上避けては通れないので、仕方なく未知語やコバイア星人と対峙しなければいけないわけだが。
受ける電話の大抵は話がとっ散らかっているため、こちらで解読しなければいけない。
解読作業を円滑に進めるための潤滑油として、相手方に「こういうことでっか?」と、
要約がてらヒントをくれくれするわけだが、向こうは自分の発した第一声で、
「物事は全て伝わった!愚問をよこすでない。」
というような態度であらせられるので、話が全く進まない。
先月の話。
ヒステリックババアが開口一番に単語を連発。
もうこの時点でまともに会話をする気があるのかと疑ってしまう。
早速始めた要約作業が気に障ったのか、物凄い剣幕で私の人格否定を始めたのでしばし耳を傾けることにする。
よくわからないところに生えている髭を一本一本抜きながら20分ばかし話を聞いて、そろそろ終わるかなーというところでヒスバアが瘴気を放った。
「電話代!高くなった!払え!こんなんだからあんたはいつまでもこんな商売しないといけないのよ!!!」
瘴気を全身に受けた瞬間、私はおもむろに壁に固定してあった電話機を電話線ごと引っこ抜いて床に叩きつけた。
「こんな」とはなんだ。
商売を馬鹿にされてボイルドタコになるようではまだまだ駄目だ。
なんというかまあ、あんまり「アタシがメートル原器」なんて思わないほうがいい。
エネルギーは限られている。
無駄遣いはよそう。
老和尚の車
朝起きて、開眼一番に目の前に広がる光景。
決まっていつも同じ光景。
ハコバン車内、右前方、運転席からの視点。
日本海沿いを北上。
どこか遠い見たこともない寂れた港町を流している。(カッコよく言うとこうなる。)
窓を開けると潮風と焚き火の香り。
時間は夕刻。
生活の気配はあるのに人の気配が全く無い。
「あっこにある山の向こうへゆこう。」
指差す先にある、陽が沈んだ後の逆光大山脈。
駈けても駈けても一向に近づかない黒光りの山の野郎。
距離を縮めようとアクセルを踏み込んだところで我に返る。
朝起きれば必ずこの一連の流れで物語が進行する。
小学生の頃から。
最近、この現象に「侘び寂び妄想」と名付けた。
由来はどことなく寂しい感じだから。
睡眠時に夢をみることはサボりがちのくせに、朝起きれば毎日欠かさず「侘び寂び妄想」。
寒中水泳の日だろうと高校入試の日だろうとそんなことは関係ない。
あれよあれよという間に20年の歳月が経った。
その間も「侘び寂び妄想」は毎日欠かさず発動し、内容に変化の兆しは無い。
この一連の現象について、知人に「悩み相談」と称し、相談の真似事をしたこともあるが、
「よくも飽きずに毎日同じことが出来るな。暇なのか。」と相手にもされなかった。
相談する相手を間違えた。
意識的に妄想をやめることは出来ないし、シチュエーションを変えることなど不可能なのだ。
あたりまえのことであって、これが起きない一日など到底考えられないのだ。
起床時の生理現象である。
もはや私にとって朝勃ちとなんら変わらないのであろう。
そうは言ってもこれは普通の状態ではないのだろう。
何をもって普通というかはこの際置いておく。
異常なのかな?
現状死守で楽しんでいる自分と、謎を解き明かしたい自分が脳内大戦を繰り広げている。
日本海側を北上する旅に出れば何か手がかりがつかめそうだ。