ガチぼっち迷走録

迷走中です。

一週間のうち49時間バイトに費やすと…

家庭研修期間を利用して週6バイトするぼっちです。

九時間×五日、四時間×一日

こんな生活を続けると…

 

 

 

 

 

 

 

 

御覧のように見切り発車のストックZEROで始めたブログの記事は文字数が百文字弱になります。

 

無茶なシフトは厳禁ですね…

自分を責める人は淘汰される

こんばんは、ぼっちです。

自戒をこめておひとつ。

「自分はダメなやつだ」と自分を責める人がいます。

こういった人はダメだーとか、こういう性質でもいいじゃないかーとか、そういうことはこの記事では触れません。

この記事では現実としてこういった人は淘汰されていくという話をしていきます。

失敗をしてしまったあとは失敗を取り戻したり、被害を最小限に抑えることが必要になってきますが、自責する人はそこに思考を割くことができません。

求められるのは自責でも後悔でもなく、反省でありそれに準じた行動です。

例えばサッカー、自分のミスでPKを与え点を決められたとしましょう。

その後のプレー中に「なんであんなミスを…」「僕はダメなやつだ…」なんて考えるよりも、仲間や相手の動きを見たり、自分の動きを考えたほうが有益です。

失敗してもいつもどうりでいられる人間の強みはここにあります。

何もせず自分を責めるのはお手軽で殺傷力が高い最悪手です。

自責は可能な限り回避していきたいです。

「貴方の為に言っている」っていう言ったらアウトな言葉

 

 

こんばんは、ぼっちです。

 

 

みなさんは「貴方の為に言っている」という言葉を耳にしたことがありますか?

 

 

実際に誰かに言われた人や誰かに言った人…体感的に割といるんじゃないかなー、なんて思っています。

 

 

僕は両親によく言われていますね。

 

 

さて、この記事では

 

 

「貴方の為に言っている」ってアウトな言葉じゃないですかね?

 

 

ということをお話していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

言葉の意味がアウト

 

 

そもそもこの言葉は発言者の心情を伝えるだけのものにすぎません。

 

 

「貴方の為を思って言っている。(なのに貴方は私の思い、労力を無視するんですね)

 

 

話重ねてもお互いの気持ちや要求が平行線だとイラッと来るのもわかりますが、意識すらすることなく自分の善意を盾にして人格非難をするって凄く残酷な行為です。

 

 

無意識にこの言葉を言ってしまった人は、もう一度言葉の意味を考えてみて下さい。

 

十中八九言っちゃマズイ類いの言葉ですから

 

 

発言される状況がアウト

 

 

そもそもこの言葉を発言するのは、話が平行線になった時です。

 

 

最初からその人の為になる話が出来ていたらこの言葉の役目はないんですよね。

 

 

 

 

 

相手の為になることがほぼないからアウト

 

 

仮に発言者の言葉に従い、成功したとしても自分から何かを狙って、何かをして、何かを得たり失ったりした方が、遥かにその人の為になります。

 

 

経験量が違うので当たり前ですね。

 

 

強いて、為になることがあるとすれば、放って置けば死ぬ人間を救う「貴方の為に言った」言葉だと思うのですが、こんなものは日常的にゴロゴロと転がっているものではありません。

 

 

最後に

 

 

いかがでしたでしょうか

 

 

この記事では、一つの言葉をピックアップしましたが、どんな言葉も人を傷つける言葉になりえます。

 

 

だからこそ自分が嫌だと思ったり、傷つけられた言葉の使い方には注意して、お互いに気分よく過ごせればいいですね。

 

ぼっちのメリット

 

こんにちは、ぼっちです

 

ぼっちもなかなか悪くありません

 

この記事では、現役のぼっちである僕が感じた人間関係に関してぼっちで良かったと思ったことをいくつか紹介していきたいと思います。

 

 

やっとアイデンティティを活かせた…

 

 

 

人間関係がノルマじゃ無くなる

 

僕は誰かといると物凄く気を使います。

 

話の話題、ワードチョイス、相手の反応、自分の表情、声音…

 

みなさんが無意識下で行っていることを脳で演算し続けないと僕は会話することが出来ないわけです。

 

聞いているだけで面倒くさいですよね

(僕も自分で自分をそう思います笑)

 

僕がそんな感じなので、僕のなかで、基本的に人間関係はノルマのようなものでしかありません。(もちろん例外もありますが)

 

義務感を感じながら取るコミュニケーションは楽しむというステージにもあがっていませんから自分が楽しめませんし、相手もよほど鈍感じゃない限り、それに気づいて微妙な空気になります。

 

こんな状態になるくらいだったら自分のためにも、自分とコミュニケーションをとる人のためにも義務感を取り除いたほうがいいですよね。

 

僕はぼっちになってからコミュニケーションを楽しむことが少しずつ出来ています。

 

人間関係を強制しなくなったことでノルマじゃなくなったんだと思います。

 

アベコベですね笑

 

 

 

会話の顔をした同調圧力にも付き合わなくていい

 

「○○君が△△ちゃんのこと嫌いなんだって」「私、○○のこと嫌い」なんて言われた。

 

この手会話、相手にしたくなくないですか?

 

ぼっちになればこのような会話の同調圧力には絶対に遭いません。

 

この点は大きな利点です。

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

 

ぼっちというだけで楽しくないなんてイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、ぼっちになることで今までよりも楽しく過ごせる人もいるはずです。

 

人間関係でお悩みの方には、人間関係がほぼ無くなっても気楽にやってる人がいることを忘れないで下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死にたいと思ってもいいんですよ

 

こんばんは、ぼっちです。

 

皆さんは死にたいと思ったことはありますか?。

 

僕はあります。

 

それも、結構な頻度で思っています。

 

これが僕の欲求なんでしょうがないですね。

 

最近読んだ精神医学の本のなかに「死にたい」といった欲求を持っていない人が大多数、といった主旨の言葉が書いてあってびっくりしました。

 

 

 さて、この記事を書こうと思ったのは死んだら駄目といったような言葉に苦しさを覚えたからです。

 

 

では、何故この言葉は苦しいのか

 

理由は一つです

 

 

死んだら駄目という考え方をしていると死にたいと思う自分を駄目と考えてしまうからです。

 

なので僕は貴方たちに死んでもいいよと言いたいのです。

 

無責任だと思うでしょうか?

 

ですがずっと、死にたくなるくらいずっと、ずっと頑張って来た人が自分を認められずに苦しむのも、その人が最期の時まで自分を責めながら自分を認められずに死んで行くなんてことだけは絶対に在って欲しくないのです。

 

死んじゃ駄目だと思いながら自分を否定して自分の欲求一つ満たすことが出来ずにいるのなら、まずは貴方の気持ちを受け入れてあげてみて下さい。

 

 

貴方は死んでも、死にたいと思いながら生きていても駄目な人なんかじゃありません。

 

 

それは死にたいと思ってしまうまで頑張ってしまうことで証明されています。

 

死にたいなんて思ったことすらない大多数の幸せな人間よりも何倍も貴方は頑張ってきた人なんです。

 
そんな貴方のことを他の誰でもない貴方には汚して欲しくない。

 

だから、僕は言います。

 

 「死にたいと思ってもいいんですよ」と

 

 

 

 

 

 

 

 

筆が進まない日は、記憶喪失したくなったりするよねっていう記事

 

 

 

 ブログを書くとタイトルを決め、文字を2~3行埋めた瞬間、ついついこう考えてしまう。

 

 

 

 

このブログつまんねえんじゃね?

 

 

 

この文章人に見せる価値なくね?

 

 

 

そういった思考をしていると知らないうちに文章を作るのをやめてしまう。

 

今日もいつものように更新日当日にブログを書き始めるが、どんなタイトルにしても2~3行書くとその考えが頭に浮かぶ。

 

 

 

この記事誰が興味持つんだ?

 

 

俺は楽しんで出来ていないな

 

 

 

ここまで考えると、もう文章に、自分に自信が無くなってきてだんだんと筆が進まなくなってゆく。

 

 

段々考えてるのが、億劫になってくる。

 

 

 

 

 あーーもう。

 

 

 

 

 

 記憶喪失してしまいたい。

 

 

 

 

 

記憶が無くなったら、今より何もかもが大きく見えたあの頃の自分だったら、もっと楽しげに、もっと意のままに表現出来ているはずなのだ。

 

 

 

 それに比べて今の自分ときたら、もう、もぅ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてやってたら永遠に記事が出来ないので、そんな気持ちを記事してみたという記事でした。