久しぶりのお題は読書

ブログを書く習慣というのは見事に三日坊主になってしまった。
急に思いだしたのは、「知的ストレッチ入門」という本を読んだから。
日垣隆氏の著作。
以前に単行本で出ていたけれども、今回文庫で追加、増補版として出たので読みました。

 不思議に「これ読んだことあるな」というところが多かったのだが、いつ読んだのだろう?
 立ち読み?

で、内容は知的生産性向上のためのヒントが満載。
とってもお得でした。
まさに「使える本」。

先週の週末のこと。

小学3年生の試合でレフェリーを。
15分ハーフのなかで致命的なミスを二回。

一つはラインを割ったように見えたので笛を吹いてスローインにしたが、副審は出てないと判断していたらしい。
自分が見ても確かに微妙だったので、その場合は副審に確認したあとに笛を吹くべきだった。

もうひとつは、ペナルティエリアで攻撃側が守備側の足に躓いたように見えたので、笛を口に持っていった。
しかし、持っていくまでの間に、お互いがボールを蹴ったことによる躓きだったと判断し、笛は吹かなかった。
この場合も口に笛を持っていってはいけなかったと思う。
ホンの一瞬、呼吸をすれば判断できたはず。
口に笛を持っていったらペナルティと判断したことを表現しているので、攻撃側としてはPKにならなかったことについて不満だろう。

今回は練習試合だったことと、選手が小学3年生でまだ素直だったことから、
どちらも事が荒立てられずにすんだが、次の試合では修整しないといけない。

子供とアニメを見ていて思ったことがあります。

それは、

 「アニメでよく出てくる対決場面は戦力の逐次投入ばっかり。
  戦略としては間違ったものを幼いころから刷り込んでいるが、
  これで日本は大丈夫なのだろうか」

ということ。

たとえば、ウルトラマン
怪獣(ターゲット)は非常に分かりやすい存在。どこからでも見える位置にいる。
ウルトラマンは、まず巨大化して怪獣と正対して、真正面から致命的な打撃を与えることのない攻撃を加える。
色々やってなかなか倒せないとわかったころにようやく光線(最大の武器)で決定的な打撃を与える。

他にもいろいろありますが、「こうなったらしょうがない、最終兵器を出そう」というシーンはよくあります。
その前に順番に色々出しては役に立たなかったのですが。

日本陸軍の失敗に限らず大きな敵に対して「戦力の逐次投入」が禁じ手なのはほぼ常識。
にも関わらず、子供向けの番組で表現される対決は逐次投入してばっかり。

ウルトラマンでいううと、
怪獣の死角に突如現れて、いきなり光線で致命傷を与えてしまう、という戦いが、
戦略的にはもっとも美しい勝利ではなかろうか。

ストーリー的には盛り上がらないけど。

「自己コントロールの檻」 森真一著

http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AA%BB-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E6%A3%AE-%E7%9C%9F%E4%B8%80/dp/4062581779

という本を読みました。久しぶりにマジ読み。

2000年に出版されていますので10年前ですね。
2010年に読むと、この本に書かれていることがよく理解できます。

10年前と言うと、派遣社員がどんどん増えていって、雇用が流動化した時代。
ITバブルがはじける前でした。

その時代に出たこの本ですが、

社会が心理主義化している、といいます。
それは自助マニュアルの氾濫を見てのことです。
そして、
「社会の心理主義化は、現代人の高度な自己コントロールの実践を反映している」
と。
さらに、
「なぜ高度な自己コントロールが必要とされるのだろうか。それは『人格崇拝』と『合理化』〜」

とつながります。
人格崇拝と社会の合理化の力により高度な自己コントロールが必要とされ、自助マニュアルがはやり、社会が心理主義化しているのだ、と。


もう少し詳しくなると、二つの仮説として提示された以下のようになるようです。

現代社会は高度で厳格な人格崇拝に基づいて構成される。
人々が高度に厳格に人格崇拝すればするほど心理主義は進行し、
心理主義化が進行するほど人格崇拝はますます高度に厳格になる」

「現代人は『マクドナルド化』している。つまり(略)生活のあらゆる面で合理的に振る舞い、
スムーズに予想したとおりに物事を進行させようとする人々である。『マクドナルド化』した人々は、
フレキシブルで合理的な社会編成を促進しており、それによって社会の心理主義化を推し進めている」


心理主義化」「人格崇拝」「マクドナルド化(合理化)」あたりがキーワードであります。

社会が心理主義化している、ということを著者は自助マニュアル本の流行という現象から検証ししていきます。
みんな社会で少しでもうまくやっていこう、適応しよう、困った人扱いされないようにしよう、として、心理学をベースにした自助マニュアルに頼ります。
心理学の知識や物の見方が社会に深く浸透している状態をさして、心理主義化と言っています。

「人格崇拝」は、まあ想像がつくでしょう。
人格崇拝の高度化が、「キレる人」を生み出しているわけですね。


マクドナルド化」とは、社会の合理化が進んだ状態だと思えばとりあえずいいでしょう。
そして個人が「マクドナルド化」する、とはマクドナルド化した社会に進んで適応することです。
要するに社会、組織、システムの期待に添うように行動しようとする人々です。
ファーストフードにおとなしく並ぶ人のことが例に挙げられます。
私なんかは地下鉄の駅で自分の行き先にあわせて階段に並ぶ人、エスカレータに並ぶ人、
エスカレータも歩くかどうかで右と左で並び分ける、何て言うのはマクドナルド化現象だと思います。



で、ほんの中で色々論証していくわけですが、結論として著者は

「現代の特徴は合理化であり、社会の合理化は自己コントロールを要求する」

と言います。
そして、自己コントロールは社会の心理主義化に反映されている、と。

仮説通り。
でもこの結論は、自分としては、こう言い換えた方がしっくりきます。

 フレキシブルな編成を求める社会状況が、現代人の「マクドナルド化」を要求するので、
 高度な自己コントロールを実践せざるを得ない。
 そのために人々が自助マニュアルを求める。
 そして社会は心理主義化し、すると人格崇拝がさらに高度化していく。

感情マネジメントが流行ってますが、その裏にある潮流をこう見ると決して一時の流行に終わらない予感。
それどころか、本当にSFチックな管理社会の序章を予感させます。