「傷つかない技術」またの名を覚悟

「傷つかない技術」を体験した授業
http://s-style-arts.com/blog/article/entry-234.html
アート&ビジネスクラスの講師の言

「はい。みんな課題持って来ましたか?では、机の上に出して、紙の人はそのまま破り捨てなさい。立体物の人は壊してゴミ箱へ捨てなさい。」
(中略)
「みんなプロのデザイナーとしてこの先の人生食っていこうと思っているなら、こんなことは日々起こること。
これでショックを受けてやる気をなくしているなら、クリエイティブな職種に向かないから違う道に進んだほうがいい。
クライアントの中にはアイデアや作品を見ることもなく破り捨てる人もいる。
わたしもそんなこと毎日のように経験してるぞ。」

20年以上も前の話との事で、細かいディティールなんかは失われているでしょうしブログ主の記憶以上の事実はわかりませんが、学校の授業でこれが行われたというならアート思考の生徒たちにはショッキングでしょうし、プロ前にものすごい挫折を味わうのかもしれない。授業料返してと泣いて頼むレベル。

アート的なご職業ってなにかと難しいよね

なに言っても負け犬の遠吠えなのは承知
デザインではありませんが私も写真で飯食おうと、デジタル化の荒波吹き荒れる2001年に広告業界へ出航いたしました。*1
こんなところで説教臭い事を書こうとしている時点でお気づきでしょう。「おっす!おらカイゾクオウになる」って出航した帆もないイカダのぽんこつ丸は出航一年で海の藻屑となりました。*2

といっても、その一年間何もしていないわけではありません。カメラマン3人にアシ2人という過酷なスタジオ事務所ではありましたが、スタジオにある機材や消耗品は自由に使ってかまわないと言われていました。
「アシスタントやりたいんじゃない、写真家になりたいんだ!」某青島ばりに血気盛んな若者であった私は、朝から深夜までアシスタントで走り回り、撮影の終った深夜からは自分の作品の撮影を行い、スタジオで寝て起きたらまたアシスタント業で走り回る。*3
そしてお師さんのカットの納品と一緒に、行った先々の編集室で会心の数枚が入った茶封筒を「見てください!お願いします!」と配っていく。
中には後で「こないだの写真みたよ、今から時間あるなら飯行こう」と声をかけてくれて、ちゃんと駄目出ししてくれる方もいた。でも大半は「もうちょっとだね」とか「ああ、うんよかったよ」とか「お、おう」とかそんな反応。

先生は生徒たちに酷い事をやったよね、だけど先生は酷い事は言ってはいないと思うよ

言い方は酷いけど。
米国と日本の文化風土の違いもあると思うけど、「もうちょっとだね」とか「ああ、うんよかったよ」というのは傷つけないで御免こうむる技術の結晶です。御免こうむるって要するに「イラね」って事な訳で、私の茶封筒の行き先なんて大抵はゴミ箱でしょう。その事実に思い当たったとき、私の心は折れました。
会心の一枚を持ち込んでいて絶対に評価される、きっと誰かの目に留まると信じて疑っていなかった若き自信の塊は、覚悟という外装が無ければボウリングのレーンに立つポッキーに等しいのでした。
前述の先生の言葉を見るに油の乗ったデザイナーなのでしょう、それもストイックな。破り捨てる件の真偽は別として、ビジネスアートとしてデザインを捉えた場合、そうそう外している事を言っているとは思えません。
ただ生徒たちには、そういった事実に気付き、ぶち当たる前に覚悟を持ってもらいたかったのではないでしょうか。

アートとビジネスアート

アートって何だろう?
そもそもアートの価値・評価ってなにで決まるの?ってな話になると、ピカソに代表されるような奇抜で前衛的なものかといえば、ラッセンのようにそれはもう美しい美しいリアルな描写もアートだよね。
共通項としては自身の美意識を表現し、今いる人に(あるいは未来の)訴えかけ多くの支持を得たものがアートとして残っていく
歴史上に残らなくても、誰か一人がアートと認定すればそれはアートなのだと思う。*4

じゃぁビジネスアートって?
美意識を具現化し人々の心をつかみ、客に変換するためのアート。もちろん異論は認める。が、そうそう外してはいないと思う。ことビジネスアート上の美意識の主体はクライアント(販売元、広告主、プロデューサー、編集者)であり、デザイナーやカメラマンなどの表現者は出力機でしかない場合が多い*5
前段で私が所属していたスタジオのカメラマン(お師さん)は女性誌上でブランド品のタイアップ写真を撮ることが多かった。ブランド品である。既に世界に名だたるデザイナー達が表現した服やバッグ、アクセサリーがすでにあるわけです。
そのデザイナーが意図する表現方法を汲み取り(参考)、クライアントの意図する美意識(企画)にそって広告写真を撮る。そしてその中に必ず自分の美意識に従って、表現者の自負を持って撮ったカットを納品物にいれる。
しかし、紙面に載るのはクライアントの美意識に適合したものが常なのです。*6
では、紙面に載らなかったカットはどこへいくのか?
クライアントの倉庫?
編集部の倉庫?
なんにせよ使われなかったカットがカメラマンの元に戻ることはないし、
それらのカットが日の目を見ることはまずありません。

同期で唯一、表現者としてのカメラマンで飯食ってる男が言ったこと

「フイルムの中のカットなんざ存在すらしてねぇんだよ」

ゴミ以下である。


ちょっと違った視点で読み解いた記事

「ゴミだね」と言われて本当に「傷つかない技術」

作ったモノがゴミなだけで、作った人のことまではゴミと言っていない

こう考えられる程タフだったら良かったのかなぁ。でも子供がゴミ箱に捨てられるのって親には耐え難いことなものなのも事実なのだよなぁ。んーむ。

*1:今なら言えるPhotoshopやっとけと!

*2:今なら言える早い時期に挫折してよかったと!

*3:でもまぁフイルム、現像代も持ってくれるって恵まれていたんだなぁ

*4:個人的な意見、異論は認める

*5:もちろんおまかせされる人達はいるし、プリンタとしてしか機能しない人は評価されない。難しいね!

*6:一度、紙面を見て「うっし、勝った」と呟いた事があったのは印象深い出来事でした。ザギンの超高級クラブに連れて行ってくれたぐらいの事が起こったようです。

【自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ】を読んで忘れないうちに心境を書いておく。

自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ

 7、8年前だったかに親が目を離した隙に死亡するという事故が東京であったのを思い出した。ネットでも、死亡の原因となった装置と、目を離した親の責任について取沙汰されていたと記憶している。
「なぜ、親は目を離したか」という疑問を職場でぽろっと出した時、決まって”親”は「そんなの無理」と言った。その言葉に無責任を感じ憤りさえ覚えた。今思うと「若かったなぁ」と恥かしさを隠したくなる。

事故当時と違う、事件を知った後の自分

 いまだ独身でも、甥と姪が産まれ、季節ごとに成長していく子供らの相手をするにつれ、「そんなの無理」の理由を理解できるようなった。確かに無理だ。だけど「そんなの無理」な子供たちが4人も狭い実家で暴れまわっても、転んですりむいた以上の怪我をした事がない。なぜだろう。月並みな理由だけれど、目の数が多い。実家では声を掛けずとも必ず誰かが気に掛けている、見ている状態。親族という小さいコミュニティでは当たり前だけれど、その当たり前を持ち歩いているだろうか?俺。

なんでこんな事書いてるか

 今朝、通勤途中であった事を忘れないように。
駅近くの幼稚園に一人で雪の降る中歩いていた男児がいた。声は掛けられなかったけど、幼稚園手前の大きな通りの信号を、水溜りを蹴り上げ遊びながら歩く男児が渡りきるまで見送った。正直、見送ったのはニュースで事件を見たからだろう?忘れないように。

一人きりの幼稚園児の後、自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ とかブクマを読んで考えさせられ気づいた事

  • ブクマにも書いたが、もし、その場に自分がいたら気にかけてあげられたのだろうか?
  • 正月に義姉が言った「そろそろ甥っ子には自分の守り方を教えなきゃなー」の意味は、甥が目の届かない範囲で生き始めるという事。今日まで気付かなかったな。
  • 「なぜ目を離すの?」と聞かれたら「そんなの無理」の後に「だから一人の子が居たらちょっと気に掛けてあげて」って臆面も無く言える親になろう。
  • その前に相手探せ。
  • はてな記法くらい理解しろ。
  • 明日、会社行きたくない。
  • そろそろ寝ろ。

新しいパソコンについているシールを綺麗に剥がそう

パソコンについている WindowsIntel入ってる 的なシールを綺麗に剥がすのに挑戦。
こんなの
用意するもの

  • セロテープ
  • ヘラ (硬くて平らなもの、定規みたいなの)
  • ペン的なもの
  • カッター

  1. シールの上にセロテープを貼っちゃう。

    シールの上にセロテープを貼る
    シールの上にかるーく乗せるだけ。

  2. セロテープをこすっちゃう。

    シールとセロテープを密着させる
    乗せたセロテープと剥がしたいシールを密着させる為、ヘラや定規で擦ります。シールとセロテープの間に空気が残らないように。このとき、セロテープが本体に張り付かないようにしてください。あくまでシールにセロテープを貼ります。

  3. シールの端っこをもっとこすっちゃう。

    シールの角を念入りに擦る
    シールの角部分とセロテープを念入りに擦ります。剥がす起点がここになります。今回は画像のシールの青い部分。

  4. シールを綺麗に剥がしちゃう。

    シールを剥がす時の力の入れ方
    シールを剥がす作業に入りますが、このときセロテープを剥がす方向と逆方向にテンションをかけます。
    剥がす方向にテンションをかけるとシールとセロテープが分離してしまい、うまくいかないことがあります。
    先ほどの念入りに擦った角がセロテープと一緒に持ち上がったら、後は普通にぴろーんと引っ張ってください。



    角っこが持ち上がんねーよと言う時は、セロテープを引っ張りながら、カッターやヘラでシールの側面をつついて上げると押してあげると浮いてきます。
    ※ カッターのような硬い物でやる時は、本体とシールの間に刃を入れると傷になるので注意してください。



シールを再度貼る時は、シールとセロテープを剥がさずに移設先に貼ってシール部分を良く擦ってください。あとはセロテープを剥がす方向にテンションを掛けてシールと分離させてください(4の画像で×が付いているやりかた)

追記:

沸いたお湯をタオルの一部に湿らせて、シールの上からしばらく当てておく方法を思い出しました。

表面にビニールコーティングがされていない紙のシールや、木などの表面がざらざらした場所に張られたシールに効きます。ドラえもんシールをタンスに貼りまくって、泣きながら一枚一枚剥がした思い出(母にゲンコツもらった)
※熱や水分で変形変色するもの、火傷に注意。

LOOX U が届きました

今月はじめに頼んでいたLOOX Uが19日に届きました。
お恥ずかしながら始めてのモバイル機器の購入です。
簡単ながら感想を。


  • 大きさ、重さ

    本当にポケットに入るポケットサイズというように内ポケになんなく入りますが、入れるには重いっす。まぁ、普通内ポケにはペットボトル(500ml)入れませんしね。申し分なく小さいので普段小さいバックしか持たない人にもお勧め。
    使った後、内ポケットにいれるとほんのり暖かくこの時期は思わぬ恩恵があります。

  • キーボード

    打キー感もあり打ち心地は良い。個人的にはキーの横幅をもう少し狭くしてくれると、片手でも打てるし指の移動が少なくて打ちやすい。これは個人差ですけど。
    キーがつるつるの黒(外装ブラック)なので油っぽいおいらみたいのは汚れが目立ちます。つめの長い方も滑って押しにくいかもしれません。

  • タッチパネル

    付属のペンは短くて使いづらかったのでDS用のを購入。Palm用が欲しかったりしますが高いなぁ。
    パネルの端にタッチが行かなく、閉じたいのにー!という事が多々あります。GoogleChrome は画面端にタブが来るのでタッチで操作する人は最大化しないで使うことになりそう。
    付属のポインティングデバイスのスティックと左右クリックボタンは、両手で持った際に使うよう配置されているので電車の中なんかで重宝しそうです。ただ両手持ちでキーボードを打つのは無理。個人的にはクリックボタンは半分の大きさで縦に配置されていたほうが両手持ちの時には使いやすかった。

  • そのほか(LOOX以外も含め)

    Chromeはフリックできなかったので、今はFirefoxを使っています。ただ、二重にスクロールがでるページなどでフリックすると、結構な確立でFirefoxが落ちます。WiMAXは良好(都内)15日お試しが切れたらそのまま定額で契約する予定。
    1440x810 H.264ビットレート2250kbpsのmp4動画も再生できました。ただ、他にビデオコンテンツ(flashコンテンツ)なんかを表示していると、映像が崩れます。


    再生は期待していなかったのですが、意外といけそうです。
    ただ、YouTube、ニコ動、のHDコンテンツを表示するとカクつきます。
    おおむね良好なので仲良く付き合っていけそうです。

    P.S.
    Ctrl + Alt + 矢印キー(画面回転)の反応が以外にはやいのと、キーボードは隙間があるので埃が入り込むかも。

  • なんだろうね、この違和感。

    [雑記]日本にもポル・ポトが結構たくさんいる件についてを読んだ。
    ですよねー、と思ったよというエントリ。


     国保選手の服装とかさ、まぁ確かに見てくれの良いものじゃないけど、
    殺すメールとか応援中止とかまでになっちゃうって、これってナニ症候群の症状なんだろ。ヒステリー?
    服装の乱れなんてせいぜい怒鳴りつける or ゲンコツ程度じゃないの。
    高校生で服装の乱れで退学になった奴を寡聞にも私は知らない。


     横綱の件も、悪者にしたくてしょうがないよね、ナレーションとか記事のキャプションとか。
    引退後にゴルフしようが羽伸ばそうがどうでも良くない?もう横綱じゃないんだから。
    横綱の品格」という格調高き神聖な品格を示し続けなくても良いと思うけど。
    そりゃ、横綱時は「ちょっとは自重しろよ」とは思ったけどさ。


     twitterの山手ラーの件も、撮ってアップロードした人はちゃんと注意してあげたのかな?
    こっそり撮って「みんな見て見てー馬鹿がいるー」というのなら下衆でしかないよね。
    というか、明日がわが身とか考えると本気で怖い。引きこもって安全圏からキャッキャするほうに回りたい。


     リンク先の「オオカムのカミソリ負け」の新しいエントリ:[事件]犠牲者非難はやめてくれも読んだ。
    なるほどな、と思った。
    リンク先の事件でなくても最近は被害者の過去のナニヤラを暴くとか、
    「常識的に考えて」の”常識的”という保険をかけて、間違いをdisるというのがHOTなのかしら。


     なんかワイドショーの辛口コメンテーターの真似して物事の隅つついてたらよく解からなくなっちゃったのかな。
    とかどうでも良い事を帰り支度中にうすーく考えてたら
    「強きを挫き、弱きを嗤う」が最近の品格というものなのかな? と思った次第


    P.S.
    Blogというか、文章打つのって難しいですね。読みにくいし。読んでいる方が楽だ。
    ただでさえ人に伝えるというのはエネルギー使うのに、知らない方が読むとか考えると、もうこれは駄目だね、俺。
    「強きを挫き、弱きを嗤う」がうろ覚えだから、家帰ってパトレイバー(ワイド版)読もっと。