興味がわかないんじゃなくて、萎える感じ。

話が上手いって。

ノリで軽快に話せても、相手の言葉1つ、表現を理解していないと意味がない。

不器用でも、理解しようとしてくれる人にはナチュラルに話が出来るのに。

苦手なタイプが、歳を重ねるごとに分かってくる。

仕事上では仕方なく付き合っているけど、プライベートでは絶対無理だと、

心で感じている自分。

頭で分かっているんじゃなくて、心が感じてると今日思った。

久しぶりに書く日記がこれって嫌だな、笑。

最近、プライベートでは人と会うようにしてるから、楽しい事も多くて

充実してます。

プライベートで会う人って、合う人やから楽しいんやと思うけど、

仕事上の人って何でこんなにも、合わないんやろうと思ってる、、、。

そんな自分が嫌だ。

全く別ものみたいに分けて考える事は、自分の幅が狭くなる気がして嫌や。

でも、理解し合う事をこっちが頑張ってしないとダメな人ってめんどくさい。

否定から入る意味が、分からない。

ある程度、容姿がいいとか、

メリットがあればモチベーション上がるんやけどな、笑。。。

中身も見た目もかっこよくないし、私には無理だ!

オフ

クリエイターの部屋は、散らかっている。

雑然として。

物が溢れていて。

自分の好きに囲まれて、頭の中が垣間みれる感覚。

 

元同期の家に集まって、ご飯。

皆、なんか素敵だった。

40オーバーの人達と過ごすお酒の時間とも、

一人で趣味に没頭する時間とも違う、素直になれる感じがした。

自分に負けないように。

何となくな、強迫観念。

理想と、目標。

同年代で頑張っている仲間の存在は、大きい。

 

 

 

写真集

今日は六時前に退社しました。

自宅近所のスタバで本でも読むか!と思っていたのですが、

外に出た瞬間、かすかに肌寒かったですが空気が心地よかったので、

2駅ぶんぐらい歩いて帰ろうと思い立ち、歩き始めました。

私は春になると、何だかワクワクして歩きたくなります。

途中、アート本を多く扱っている古本屋さんに立寄り、

本を物色していました。

 

オーナーさん『何かお探しですか?』

『モノクロの写真が好きなんです。マンレイみたいな

構図が面白いやつとか、コントラストが強い作品が好きです。』

次から次へと本を出してくれるオーナーさん。

会話しているうちに、風景には興味なくて、静物写真、人物写真が好きな事や、

マンレイの実験的な手法が好きな事、森山大道はモチーフが嫌いだとか、

自分の好きが、整理されていく感じが新鮮で楽しかった。

今日はralph gibsonていう、かっこいいアーティストに出逢えた。

少し値段が高めだったから買わなかったけど、今ネットで

見てたら鼻血出るぐらい高い事に驚く。

次に店に行く時までに、おすすめを倉庫から出しといてくれるとの事。

楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目がガビガビでも語りたくなったらとまらない

こんな時間なのに、

もう既に、ドライアイで目がガビガビなのにネットしてる自分。

月曜からお疲れモードになってしまう。

でも気合いで、乗り切ります。

眠くなっても、炭酸水があれば大丈夫だから、笑。

 

今日は、朝からアンディーウォーホールの番組見たり、

京都にチェコのポスター展見に行ったり、充実した一日でした。

思う事。

『何かに対しての解釈って、多種多様に如何様にも出来てしまうからオクブカイ。』

アンディーウォーホールの番組見てて、改めてそう思いました。

ウォーホルの有名な作品に、キャンベルスープの缶をシルクスクリーンで描いた

ものがあり、

「あるものをそのまま描く事がアートとして認められるか」という事が、

発表された当時は論争になったらしい。

この作品は、キャンベルスープを作っている会社の封筒に描かれていたモチーフを、

何と、丸写しで使用したものらしい。

裁判好きのアメリカで、商標問題に引っかからなかったの?と不思議なとこやけど。

ウォーホールは、それに対し「なぜ、オリジナルでなきゃいけないのか。」

と語っていたようです。

ありふれた物、一定のイメージがついている物を、

額に入れて作品として発表する事で、見る側に今までと違う解釈を

与える行為。

今でいう、アートディレクターみたいな仕事の仕方やったんかな。

同じモチーフを使用しながらも、色を変える事で印象が変わる点は

新しい発見に気づかせてくれます。

色彩感覚の素晴らしさは、ウォーホール人気の一つの要素。

私も、そこにはとても惹かれるけれど、最も彼に惹かれる要素としては、

商業的に成功してアートを大衆に広めたところです。

彼は、アーティストになる以前は、ファッション誌などで引っ張りだこの

イラストレーターでした。

商業デザイナーとして培った、クライアントの意向を上手く汲みこむ能力が、

アーティストに転身してからも大きく役立った点だと思います。

 

時代の流れに乗り、認められて、成功する事が第一。

 

彼は自分のお墓には、何も書かないで欲しいと言い、

もし何か書くとすれば、『全部うそ』と書いて欲しいと言ったようです。

商業的に、スピード感を持って、大量生産するような物つくり。

彼の奥深くにある『何か』を、見つめて一から生み出す作品ではなく、

『時代に認められるか』を、重視していた作品だから、そんな言葉が出たのかと

勝手に想像してしまいました。

あるものを、そのまま描く事がアートなのか。

物の価値は誰が決めるのか。

オリジナル=自分とは。

 

ウォーホール自身、常に考えあぐねていたんじゃないかな。

 

チェコのポスター展でも、社会主義という枠の中で、

認められる作品もあれば、NOを突きつけられる作品があったりと、

時代や、国や、政治や、人種、、、何だか色んな要素が混ざり合ってててててて、

よく分からなくなってしまいました、笑。

『何かに対しての解釈って、多種多様に如何様にも出来てしまうからオクブカイ。』

この一言で、とりあえず片付けたフリして寝ます。

おやすみなさい!

 

 

悲しいとか、辛いとかそんな気持ち。

良い仕事をしたい。

給料に見合う以上の仕事をしたい。

問題解決の為に、全力を尽くしたい。

問題に託つけて、逃げたくはない。

お客様の為に、仕入れ先様の為に、自分自身の為にも、仕事をしていきたい。

 

主体的に動いていかないと、評価は上げられない。

上司の言葉。

一人では仕事なんて出来ない。

周りを巻き込んで目標達成をしていきたいけど、

意識の違いを埋めるのが難しい。

出来なかった理由を、言い訳を考えながら仕事するなんて時間がもったいない。

もっと前向きに、良い方向に進んでいくように1歩ずつ進んでいきたい。

こういう話を前の部署の先輩とは、飲みに行っていっぱい出来たのにな。

一緒に働く同僚と、仕事に対する考え方が違ってて辛い。

とりあえず、問題解決のために調べ物をして、

明日提案してみよう。

また、今日みたいにそれに対して、しらっとした対応をされても、

自分自身が最前を尽くさないと仕事している意味がない。

 

問題に託つけて、逃げない事。

 

自分自身の考え方が、凝り固まっているのかもしれないから、

1度、他部署の先輩に相談にのってもらおうかな。

でも本当に、そろそろしんどいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

意味のない日記

先輩の愚痴を言うブログになっていますが。。

先輩が作品のコンセプトのなさを、社内のプロモーション的な

事を管理する部署の人に指摘されていた。

「そうそう」と、一人うなづきまくっていたけど、

今まで思ってても、先輩に言わなかった自分は腐っているなと思った。

先輩の作品で、良いと思った物は一つもないのに。

 

言われた本人は、縛りが多すぎてデザイン出来ない、とか色々言っていて、

他の先輩も、それに頷いていたり。

うあーーーーーーーーーー、耐えられない。

マジでくそだ!

後で日記読みかえして、後悔する言葉使いが止まらない。

今日、言われていた内容も、低レベルな内容だったというか、物作りの基本。

モヤモヤするポイントは、

・私は1番下っ端で1度意見したがイラっとされ、聞いはくれるが何も変えない事

・作品がダサいものだと感じていない(これが1番問題。ホンマに怖くなる。)

・コンセプトを立てる時間が無駄だという考えかた

今まで制作物に関して、社内デザイナーが作成していたけど、

これから、こんな状態のままだと外部に依頼するようになるだろうな。

いやでもホント意識低すぎる。

 

 

 

 

 

 

リアル感

まだ、寒さは残っていますが大阪は比較的過ごしやすい気温でした。

部屋の暖房を、帰ってすぐ入れないで、ベランダの戸を開けて空気替えしたぐらい!

ちょっと、体が冷えてきたのでさっき、暖房を入れたところです。

 

私には、リアル感ないなと帰宅途中の電車内でふと、思いました。

電車内って以外と、素の状態になっている事が多い。

悩んでいる時は、眉間に皺を寄せて床を見ている自分に気づきます。

ポジティブな時は、気持ち悪いですが一人で笑っている事もあります。

何だか不思議な空間。

 

リアル感。

同い年の子達は、半分ぐらいはもう結婚していて、子供もいて、

毎日自分の事よりも誰かのため生活しています。

私は、毎日、常に自分の事だけ。

アートや、読んだ本や、人の行動を理論的に分析してみたり。

毎日誰かの為に生活してる人と、私は理解し合えないツールを持ち合わせている。

そう、ただの暇人、カッコつけたがりや、理想ばかり求めて寂しい奴。

人と違うと、理解されないと感じる瞬間って(思い込みか、、)言い表せないような、

不安感と寂しい気持ちの波に襲われます。

でも、人と違う事が自分の好きな所でもある。

自分以外の他者は誰だって、理解し合えない部分があるし、異端でもある。

変わっているねと、他者に発言するパターンは2種類ある。

 

もう、あなたの事は理解しようとも思わないってパターンと、

自分にはない部分に気づいて、興味を抱いた時の好意的、前向きなパターン。

後者ならいいけど、前者の思考からくる発言をする人は

雑な思考の人だなと感じてしまう。

私はポジティブを心がけないと、本当にマイナス思考過ぎる。

でも、それに気づいて意識的にそうしている自分は偉いと思うし、繊細なんだ。

ダークゾーンに落っこちた時に、誰かがそっと声をかけてくれると、

温かい気持ちになれるのに。

何かひとりでこういう事ばかり考えていて、

最近、本当にマスターベーションみたいな生活をしているなと思って しまう。