晴れるまで雨やどり。

雨音は好きだけど、ずっと雨はやだ。

突然

 

2週間ほど熱っぽさや頭痛、体の怠さを感じていた。ちょうど生活が変わったところでもあり単純に風邪かと思っていたが、毎日体のほてりが引かない。

熱を測ってみると、時に37度を超えている。

どうもこれはおかしいな、と思って色々な日にちを確認してみると、符合するところがある。まさか、とも思う。そんなわけが、とも。でも、その日にちが示す内容は「可能性はゼロではない」という事だった。

 

検査薬を使ってみた結果は、ごく薄い陽性反応。

私は未婚。

恋人とはいつか籍を、なんて話はしていたものの、具体的な事なんてまだ先の話だった。彼に本当に、現実感をもってその気持ちがあるのかもわからない。

そのうえ私は転職したばかりで今は試用期間。経済的にも不安定で、専業主婦という選択肢はない。就いた仕事にもやりがいを感じている。今この仕事を失って、次の仕事に就ける保証もない。

 

感情だけの話でいえば、順番が逆になるなんてことは避けたいと思っていたし、彼と一緒に暮らすなら1、2年は二人だけでいたいと思っていた。周りにもなんていえばいいのか。責任を取らされたんだね、彼は、なんていう目で周りは彼を見るだろうか。

ひとなみにプロポーズなんてされたかったし、写真くらいはとりたかった。指輪を送り合って、ささやかに幸せな時間を少しだけでも過ごしたかった。

彼と一緒にいた期間は長いけれど、そのなかでのすれ違いやお互いの変化もあったから、今のまま突然二人が3人になるなんていうことも不安で想像が出来ない。

繊細で気難しく仕事に夢中の彼が、思い通りになるはずのない年齢の子どもとの生活に耐えられるかもわからない。

けれど、選択肢はひとつしかない。絶対にもうひとつの道は選びたくない。

 

今日の昼に少しの出血があった。

本来なら検査薬をつかうにも1週はやく、このまま化学流産という事も考えられる。

検査薬をつかっていなければ、ただの生理現象として気づかなかったかもしれないタイミングだ。

 

薄く存在をしめした胎内に呼びかける。

出直してきてはくれないかと。とうさんも、かあさんも、まだきみを大切にできる準備が整っていないんだと。これは酷い事だろう。恵まれない人もいる。身勝手な呼びかけだ。あの人のいのちだと思えば繋ぎたい。けれど今の自分に、その力があると思えない。出来ていないことが山ほどある。乗り越えてそれから迎えられたら。

この考えはエゴだ。

 

1週間後にはいろいろな事が分かっているはずだ。

もしかしたら、今日の出血が示すまま、なにもなくなるかもしれない。

もしかしたら、すくすくと育っていくかもしれない。

 

彼はなんというだろうか。

しばらくの間とても忙しいはずの彼に今すぐは伝えられない。ただ、先延ばしにするのも無責任だ。来週、再来週、タイミングを見て、言わなければいけない事だ。

 

彼がなんというかは分からないけれど、もしかしたら、私はひとりで覚悟を決めるのかもしれない。そんな可能性も視野に入れてはいる。

 

 

ブリジット・ジョーンズの日記

最近登録したhuluという動画アプリでは月額980円で各国の映画、ドラマ、アニメ等が見放題。PCでもスマホでも見られる上、今月末までは休暇で時間があるので、ちょっとずつ消化しようと思ってます。

で、タイトルの作品。
上映当時にとても話題になった覚えがありますが…
ほぼ興味を持たず、気づけば14年もたっていたなんて、びっくり。


今風に言うと、アラサー女の奮闘記って感じかな?
30過ぎの女が職場の上司と恋をし、存在も忘れていたくらい久しぶりに再会した幼馴染にも言い寄られる。紆余曲折の末…という話なのだけれども。


「ありのままの君が好きだ」 とか

「君なしではいられない」 とか

二人の男性から甘い言葉を貰うブリジットさんなのですが…
彼女がなかなかどうしようもない人で、内面的な良さがアピールされている場面というのもあまりありません。
そのため、見始めて1時間くらいはどうしてこんなにも言い寄られているのか、と不思議に思ってしまいます。


でも、彼女のまっすぐで馬鹿らしい愚かなところは嫌いじゃなかったな。
人の事言えないくらい、私も愚か者だからかもしれないけど。


そして、教訓。
「わかるだろ」なんて言う男の人は、多分信じちゃいけないね。

『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』

久し振りに邦画を見てみました。

2008年、塚本連平監督、福田雄一脚本。
福田雄一さんは「勇者ヨシヒコと魔王の城」で知って、愉快な物を作る方だなーと興味を持っていました。「ヨシヒコ」2作の後に「大洗にも星はふるなり」など幾つかの監督作品見ていて、脚本を担当されているこの作品もいつか見てみようとぼんやりと思いながら、気づくと2年程経っていました。

 

昭和の時代を背景に、やんちゃな高校生たちvs町の駐在さんの戦いを描いた作品。元々はWEB小説だったようです。
年上のお姉さんへの憧れあり、恋愛的ときめきあり、仲間同士の固い友情あり。
夏の空気の中に、「こんな青春送ってみたかったなー」と羨ましくも感じる懐かしい思い出が再生されていく、そんな感覚の映画でした。

まっすぐでばからしい高校生立もなんだかんだで可愛らしくかっこいいし、大人たちも、ああこんな大人になら叱られたい!と思わせる心憎い人々。
大人と若者の、こういう人間関係って現代にはなかなかなさそうで、羨ましい。


冒頭のくだらない戦いから始まり、愉快なシーンが続きますが、物語後半、主人公ママチャリが友人西条君の本心を知ってしまった後の二人の会話シーンは、いかにも男の人同士だなと思わされました。

男の人って、無暗に本音をぶつけたり、話を掘り下げたりしないですよね。
女性はたまにそれが歯がゆく、苛立たしく感じられたりもしてしまうけれど、男同士、無暗に立ち入らない間合いって素敵だなと思います。

 

もし今記憶をなくしたら

もし突然記憶をなくして、思い出もしがらみもなくなったら、私は何を選ぶだろう?

 

いったい何を選ぶだろう。

何を好むだろう。

今ぜんぶをなくしても、私はお芝居を好きだろうか。

どんな仕事を選ぶだろうか。

新しい事を始めようとするのだろうか。

 

今日選ぼうとすることは、昨日までの記憶や選択に縛られている。

何もかもなくしてしまったら楽なのかもしれない。

何もかもなくしてしまえば、寂しいとも思わないのかもしれない。

 

ただ新しいわくわくとした選択だけがそこにあるのかもしれない。

それとも、何にも縛られていないことを不安に感じるのだろうか。

 

もし今全てをなくしたとき、私は恋をするだろうか。

どんな人と恋をしたいと思うのだろうか。

 

窓の外で街を洗うような強い雨が降ってる。

記憶が洗われた後、空はどんな風にみえるだろうか。

何に幸せを感じるだろうか。

 

 

文字を書いちゃう理由

子どものころから文字を書くのが好きだった。

手書きの時代は「字を書く事」そのものが好きだったし、テキストタイプをするようになってからは「考えるのと同じ速度で書く事が出来る」ため、書くそばから考えていることを取りこぼすようなことがなくなって爽快感が増した。

 文章を書く事が無駄に思えて、数年ブログから離れてしまったのに、やはりこうして戻ってきてしまった理由は何だろう?と考えて思い当たる事をまとめる。

 

感情や考えを形に出来る。

一番大きいのはこれ。twitterも、長文の際はどちらかというと書きながら感情や考えを整理しているときが多い。整理するのが目的なので、呟いた後に消してしまう事も。
メモ帖と違うのは、呟いた後にTLにその言葉が流れているのを見ることで、客観的に言葉の内容を見る事が出来ることだ。

 

ただ、(のちに消してしまうとしても)人の目があるところに書く事を前提にするため、書いているうちに言葉が「いい子ちゃん」な方向に歪む場合があるという事は自覚している。まっすぐになりたい。

 

悩んでいても少し冷静になる。

 頭の中で考えていると、特に悪い事や悩み事に関してはマイナスな方向に突き抜けがちになる。けれど、文字を打ちながらだとそこに「悩んでる主体の自分」「客観的に冷たく評する自分」「第三者としてフォローを入れる自分」などが湧いてくるので気持ちを落ち着けやすい。稀に「なぐりがき」が発生して、後で振り返るとすぐさま消去したくなる感情暴走列車がテキストを駆け抜ける事もあるけど。

 

どこかにつながたい。

ちょっとした事を書いておくことで、同じ事考えてる人と繋がったり、もしくは全く別の事を考えていることに叱ってもらえる機会があるかもしれない。
継続していく事でそういう機会が増えればいいなと思う。
寂しがりというわけではないはず。

 

文字を見るのが好き。

結局これなんじゃないか、と今思ってしまった。
文字をカタカタ打つのが好き。言葉がそこに生まれていくのが好き。
言葉をぽつぽつ組み合わせて知らない風景になったり、自分が見たものを言葉に置き換えるとどうなるのか、を探って詩のようなものをかくのも好きだった。

 

だからとりあえず文字を書く。

理由をかきだそうとするとこんな感じなのかな。
理由なんて付けようと思えばいくらでも出て来るでしょうけど、とりあえず文字をカタカタ打つことが好きなので、なるべく一目は気にせず好きに書こうと思います。
せっかく書くなら、そのうち上達すればいいなとは思うので、多少は考えつつ。

ひとまず今回は、はてなブログでよく見られる「見出しをつけて書く」に挑戦しました。ちなみに前回の挑戦は「リンクを張ってみる」だったりします。

幾つか書いたものも、見出し付けてもう少しまとめてみようかなぁ。

今は不慣れを楽しもう。

 

 

SPI3

転職試験の為に、本を買ってきました。

こういうの。

www.amazon.co.jp

 

SPIについては5.6種類くらい店頭に並んでいたのですが、色遣いや文字の太さ、解説のシンプルさなどが一番しっくりきたものを選択。

 

小説でも、知らない作家の本を買う時には、パラっと開いて文字の選び方、漢字とひらがなのバランス、行間の空きなどを見て選んでいます。

 

さっそく問題を幾つか解いていますが、脳みそを更新している感覚でとても楽しい。

問題と答えが明確なのがいいんでしょうね。

 

連立方程式なんて何年も解いてないのに、意外と覚えていたりとか。

精油のクラフトでも必要な濃度計算の仕方をやっぱりすぐに思い出せないこととか。

憶えている事と忘れている事にばらつきがある事を見直すのも楽しい。

 

しっかり復習して、試験頑張ります。

 

 

 

 

愛情表現の男女差

愛情の示し方の男女差。

男性は行動で示す。

女性は言葉で示す。

 

だから女性はメールに言葉を尽くし、会っては「好き」と囁き、相手からも言葉による表現を求めて、それがないと「本当に好かれているのか」と不安になってしまう。

 

けれど男性は「言わなくても分かるはず。行動で示しているから」「言葉を軽々しく使いたくない」と思う人が大多数だそうです。

 

ある本で行った「愛情表現」についてのアンケート結果にもこのような男女差がはっきり表れていて、男性にとって女性への一番の愛情表現は

「相手の為に、仕事をしっかりする事」

それに対して女性にとって、男性からされてもっとも愛情を感じるのは

「こまめに好き、愛してるなど言葉にしてくれること」

「記念日などを覚えていて、贈り物をくれること」

だったそうです。

 完全にすれ違ってますね。

 

もちろん女性も「言葉にしてくれないから、もう好きじゃないのかも」なんて心の底からは思っていません。仕事を必死でやっている姿を見て尊敬もしますし、そこに自分への誠実さを感じたりもします、が「なーんて自惚れちゃったりして恥ずかしい」と自戒しつつの思いです。まあ、言われてもいないのに「私の為に働いてるのね」と恋人に対して思える女性は少ないのではないでしょうか。結婚してたら違うでしょうけど。

 

とはいえ、男性に言葉を求めることや、自分が不安になって愛情表現を求める事自体が男性にプレッシャーを与えたり、こんなに頑張ってるのに伝わっていないのか、というい徒労感を与えてがっかりさせてしまうであろう事もわかっているんですよ。

 

けれども言葉がなければ、何かのきっかけ一つで、つい不安になってしまいます。

その理由のひとつは、「言葉がなければ不安になる」くらい、そこまで関係性を構築してくる間に「言葉が少なかった」からです。まだ、言葉がない状態では、相手の心理をはかりかねてしまう段階なのです。

だからこそ、不安がきっかけであっても、話し合ったり、向かい合う事が出来ればいいんですけどね。相手が忙しいと思えば、たまに会ったときくらいニコニコしていてあげたい、安らいで欲しい。そうして、気づくと数か月単位で気がかりを溜め込んでしまってる事だって、あるんです。それでも、もし会うたびにひとつ言葉を貰えていたら、そのたび少しずつ不安は減っていくんですよ、というのは男の人には知っておいて欲しいです。

 

ところで先ほどのアンケート、逆の結果はどうなんでしょう。

男性がされて愛情を感じること「放っておいてくれる。一人の時間をくれる」

女性が相手に行う愛情表現「相手に甲斐甲斐しく尽くす事」

 

なーんて結果ではないかと予想しますが、どうかな。

男性から女性への愛情表現がすれちがうように、女性から男性への愛情表現もすれちがっている結果ではないかと思います。

 

男性と女性は本当にまるっきり正反対の生物なのに、どうしてそばにいたくなるんでしょうね。そばにいると愛おしいんでしょうね。ほんとに不思議なものです。