【生き方・人生・価値観・趣味】本ブログについて 〜ご訪問、ありがとうございます〜
お初にお目にかかります。
本ブログを綴っております、白兎(はくと)と申します。
この度はご訪問いただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログについて
本ブログでは、主に人生や生き方というものについて綴っております。
世間一般で言われているようなことを綴ることは、あまりありません。
私の元来持った性格や性質。経験や価値観といった視点から、私が疑問に感じたり違和感を抱いたことについて、少しでも多くの皆様と共有や共感をしたい。
そんな思いから、このブログを開設するに至りました。
【やさぐれ紳士】白兎について
簡単に、私という人間についてご紹介させていただきます。
私は、「HSS型HSP」自認・「Aセクシャル(性嫌悪持ち)」自認・性自認は「中性または無性」です。
その為か、幼少期から現在に至るまで、人と少しズレた感覚を抱いたまま生きて参りました。
世間一般が、「普通」だとか「当たり前」というようなことでさえ、私には「そうなのかな?」と思い続けてきました。
一方で、「自分がおかしいのか?」と違和感を抱くことも数多くありました。
独り思い悩むこともありました。
ですが私は、自分自身に、嘘を付き通して。
私という存在を、自分で歪めるかのように、ひたすら歩き続けて来ました。
その先で待っていたものは。
中学生時代のイジメ。人格を否定され、存在を拒絶されて、一度私は壊れました。
そこから更に歪み続けた私は、自分を嘘で塗りつぶしました。
そして、嘘の塊と化した私が社会へ飛び出た時。
様々な人々の思いや社会的価値観を無理やり取り込み過ぎた私は、精神を病むこととなりました。
この手で一度自らの命を絶とうとすら試みたこともありました。
そこで、ようやく。
私は「自分は、本当はどう考えているのだろう?」「本当の自分って、何だろう」と、十数年に渡り隠し、騙し続けた自分自身と向かい合うようになりました。
自身に問い、答えを求めるようになってから、ようやく私は他人と再び向き合うことができるようになりました。
始まりは、クルマという共通の趣味を持つ人たちとの交流でした。
元々クルマに興味のなかった私がすっかり魅了され、今では趣味と自信を持って言えるものとなっています。
そこから人間関係やその人それぞれの考え方、価値観の違いを学んでいくにつれ。
どれが正しいか、間違いか、そういう杓子定規では決して計れないという考えを持つようになりました。
同時に、私という人間が考えていることも、正解不正解もない。
一人のヒトの答えを持っている、と自覚しました。
以来、心療内科やカウンセリングに通い、自分というものを取り戻しながら。
押し付けられてきた考え方や世間体というシガラミを少しずつ解き放って。
身内にさえ言えずにいた、私の昏い過去を受け止めてくれた親友と出会って。
今、こうして文章を綴るに至っています。
あまりにも、遠回りだったかもしれません。
真っ直ぐ、ここに立てていたら、どれだけ楽だったことだろうか……そう思うこともあります。
でも。
紆余曲折を経て、迷いに迷って、生きることを諦めようとした時さえあったからこそ、今の私があると思っています。
奢りではなく、ただ純粋に、そう思います。
同情ではなく、共感したいこと
簡単に、と申し上げながら長くなってしまいましたが。
そんな私が、生きるという「当たり前」なことの中から感じること。疑問に思うこと。
正否という天秤には掛けられないと思うことなどを、私なりの言葉で、文章で、綴って参ります。
私がこのブログを通して、願わくは叶えたいことがあります。
それは、共感。
同情ではなく、共感。
答えのない答えを求めがちな私は、ご覧になる方によっては「そうじゃないだろう」とか「それ、思い過ごしなのでは」と思われることもあるかと思います。
それでも、構いません。物事や考えに対する見方や価値観は千差万別です。
故に、強要するようなことはいたしません。他ならぬ、私がそうされるのが一番苦痛であり、辛いからです。
一つだけ、申し上げさせてただけるのなら。
このブログを通して、私という一個人が述べることに対し「そういう考えもあるのか」や「そういう人もいるんだ」と、少しでも思ってくださる瞬間があれば、それだけで幸いです。
ご訪問いただき、重ねて御礼申し上げます
長々と綴って参りましたが、改めまして、本ブログをご訪問くださいまして、ありがとうございます。
私は文章を書くのが大好きですが、纏めることがとてつもなく下手くそです。それ故、一記事がとてつもなく長くなってしまうことも多々あります。
このような私、白兎でございますが、少しでも興味や共感を抱いてくださる方がいらっしゃれば、幸いです。
何卒、よろしくお願い申し上げます。
気持ちの衰えが、物事を悪い方向へ導く
※注記※
愚痴や罵詈雑言満載です。気分を損ねる可能性が大いにありますので、閲覧される際はご注意ください。
※注記終了※
今年は私にとって、本当に酷い一年として終わる予感しかしない。
休職、プライベートでの仲違いからの絶縁、身内内のすれ違い。
良くなったかと思ってもすぐに悪い方へとすぐに戻ってしまう。
全て人間関係の悪化が顕著になった結末なのだと思っている。
しかし本当のところはどうなのだろう、と考えると答えが変わって見えてくる。
気持ちが、気分が萎えに萎えて衰えて、物事が全て良くない結果へ引き摺り込んでいるのだと思う。
一度壊れた気持ちや心は、簡単には戻らない。戻ったとしてもところどころ歪になり、絶対に完全に元の形には戻らない。
今の状況が、まさにその通り過ぎて笑えない冗談のようにさえ思える。
復職まで何とか漕ぎ着けたが、居心地の悪さは相変わらず。当然のことかもしれないが。
身内は、まあ最早触れるまでもない。
プライベートも良い兆しが見えてきたと勝手に信じてきたが、ここ数日で気持ちが冷え切っていた感覚を拭えずにいる。
周りが楽しむことは良いことだと、純粋に思う。それを妬む気持ちは持ち合わせていないつもりだ。
しかし、だ。
言い方が悪くなることを予め謝罪させていただくが、身勝手とは言え死活問題に首を突っ込んだ私が除け者にされたことは別に構わない。私が悪い者とされ排除されても、その後の活動に支障がなく楽しみが継続されるのなら。
ただ助けた(と勝手に思いこんでいるだけかもしれないが)人物たちがお咎めもなく楽しんでいる様子を窺うと、遣る瀬無さと虚無で馬鹿馬鹿しくなってくる。金が絡んでいることもあり余計に質が悪い。
理不尽さ。私が一番嫌いで看過できないことだ。
問題は時間が解決してくれると良く言われるが、私の場合は諦観が先に来る。正直言ってどうでもよくなってくる。
いっその事、消えても良いかとさえ思えてならない。私一人が消えたところで、何も変わらないだろうし気に留める人もいないだろうし。
こんな思いも、気持ちの衰えと疲弊が生み出している、と信じたい。
同時にそうやってやり過ごそうとする日々にも、いい加減飽きたし疲れた。
一度は回帰を願ったあの地には、もう戻れないし戻らないかもしれない。地名を聞いたり風景写真を見るだけで気分が悪くなり、酷く抉られる感覚に陥り目を背け耳を塞いでしまう。それも未だ治る兆しは皆無だ。色々憶測しては溜息が出る、その繰り返し。
深く考えずにいられればどれだけ楽なのだろうか。少なからず今の私は、受け入れることを自ら拒絶するどうしようもない状態のようだ。
まあ、いいや。
それが最近の口癖になりつつある。
何より。
何もかも中途半端な自分が、一番気に入らず許せずにいる。
心の欠片を拾い集めて-中- ~抱えた気持ちを吐いて、感情を吐露して~
暦は七月、暑さがどうなるか懸念していましたが、今のところ蒸してはいますが気温は若干控えめな日が続いております。
引き続き、熱中症には気を付けて参りたいですね。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
今回は前記事の続きを綴って参ります。
硝子の如く砕け散り、へし折れた心。
数ヶ月に渡る心理療法と、親友と過ごした時間によって、私という存在を再び見つけ出し再構築できた、そんなお話しです。
親友への連絡はしかし、またしても私の身勝手で
想いを言葉にし会話するという行動を苦手とする私にとって、独特とも言えるカウンセリングは確実な効果を齎しました。
それが功を奏し、復職も近い内に可能というお墨付きも頂戴することができました。
そんな折でした。
唐突に、ある方に久方振りにお会いしお話ししたいという思いが込み上げ、私を支配しました。
人間関係が長続きしない私に、出会って以来飾らず優しい声色と言葉で兄のように接してくださった親友、たーぼぅさんに。
しかし、私はまたやらかしました。互いの事情で疎遠になりつつあった相手にアポ無しで、唐突に「お会いしたい」と連絡を取るという愚行を犯しました。
当然、突然の連絡は彼を不満にさせ怒りを買うこととなりました。
結局、私は何も変わっていない。思考や理性を無視した思い付きでの行為。幾ら想いが膨らみ人恋しさを覚えても、失礼極まりない行動は許されるはずがない。
親しき仲にも礼儀あり。自分自身が掲げている理念に反することを、自ら破る私は。
最低でクズだ。
最終的にたーぼぅさんの器の広さと寛大さに救われる形で再会を約束してくださいました。
にも拘わらず、これが切っ掛けで縁が切れても……などと勝手な思いが脳裏を過っていました。
話の発端たる、最悪でクズな私の中には申し訳無さと後悔だけが残って。
当日を迎えることになりました。
凍り付いた心が溶けていく瞬間を、この身で感じて
久しく訪れた伊豆の地。私の胸中は懐かしさを感じながら、複雑な思いに支配されていました。
出会いを約束していただいたものの、どんな言葉を受けるかもそうでしたが。
プライベートにおける人間関係に大きなヒビを入れ軋轢を生むこととなった地に近いその場は、見慣れたはずだった景色一つ一つが呼吸を止めることになっていました。
それに。
人と対峙し幾度となく縁を切り切られを繰り返した私が、大切だと勝手に思っている相手に、本当に会って良いのだろうか。
焦燥と悔恨を携えながら、それでもたーぼぅさんは来てくださいました。
しかしながら出会って早々、視線を合わせることも叶わず、掠れた私の声は彼に伝わりませんでした。
経緯については、たーぼぅさんの記事にて。
申し訳無さの塊となり文鎮化した私は、たーぼぅさんの御母様と共に下田公園へ向かいます。
この記事を投稿する頃、地元でようやく咲き始めた紫陽花が、そこでは満開で景色を彩っていました。
紫陽花は根を張る土俵のphで色が変わる、という話は何となく知っているつもりでしたが、ワインレッドの如き色の紫陽花を見るのは初めてのことでした。
それだけでなく、棚田の如き起伏の大きい大地に力強く花を咲かせる、色取り取りの紫陽花たち。中には人の背丈を優に超えるものも数多くありました。
一時は人間関係の破綻に起因し、一眼レフカメラも持つことにさえ恐怖し触ることもできなくなっていましたが。
同じ紫陽花、然れどそれぞれの色を誇らしげに咲き乱れさせる姿と。
降雨予報が幸運にも外れ、直前まで降り注いだ雨粒を陽光が反射させより華麗さを増して。
シャッターを共に切るたーぼぅさんと、その先で朗らかに笑う御母様と行動を共にすることで、私の中で蔓延っていた負の思いはすっかり消え去っていました。
視界の隅々まで咲き乱れる花々だけではなかった、と今は言うことができます。
彼には、別の意味で色々とお叱りを受けるかもしれません、が。
抱えた気持ちを、積もり積もった想いと感情を吐き出して
休職ですっかり足腰が弱った私ではありましたが、紫陽花の花々を見届け昼食を挟み、御母様と別れたーぼぅさんとドライブすることとなりました。
柔らかな曲調流れる車内。久しさを感じながら、始めは他愛もない雑談が包み込みます。
然れど、時間が経つに連れ。
何時の間にか、私はそれまで抱えていた気持ちと、感情を吐露していました。
詳細は、お話しできないことをお許しください。
起こった事柄の詳細、その時の思い。当時周りにいた誰にも話さなかったことで発展した、決裂と絶縁。
特段聴いてほしい、という思いはなかったのは本当です。でも、一度口に出した想いも感情も、止まらなくなって。
決壊したかのように、誰にも言うまいと決意し理解されなくても構わないと心の奥底に無理やり押し込んで鍵を掛けてまで仕舞い込んでいた全てが。
止まらなくなって、止めたくても言葉は止むことはありませんでした。
私一人の責任とされても良い。そのことで他の人が今まで通り、楽しめる状況が壊れないのなら。
私が罪を被って、消えれば良い。本気でそう信じて、実行したのだから。
正直なところ、件の界隈には戻れないし戻りたくないと諦めていました。
私の話が全てではありませんし、脚色づけていると言われても何も言えない。
弁明と捉えられたくないという身勝手な思いもありました。
何より。
話したところで信頼や関係の回復は出来ないし無理だし、したくないと意固地になっていた自分もいました。
加えて家庭環境が崩壊している私には、譬え仕事でもプライベートでも身内に話をするという選択肢は端からありませんでした。
誰だって同じ、皆そうだから。そうやって片付けられて過ごし続けた私は、話すことも諦めていました。
だって、無駄だから。
一般論を翳して諭されたところで、私の気持ちなんて理解しようとも汲もうともしなかったから。
血の繋がりがあったところで、家族と括られることを忌み嫌って憎んですらいたから。
でも。
そんな馬鹿で不器用でどうしようもない私に、たーぼぅさんは嘆きつつも共感してくださいました。
最初こそ自嘲気味に話し、言葉を悪くすれば笑いたければ笑えよと自暴自棄になっていた私に。
それでも寄り添ってくださった、たーぼぅさん。
いつしか止めどなくなった心が、感情も思いも。
寂しさも憤りも切なさも虚しさも、全て抑えが効かなくなり止まらなくなっていました。
私のその様は彼曰く、千と千尋の神隠しのワンシーンと表現していました。
その頃だった、かな。私もすっかり緊張も負い目もなくなって、自然と笑っていました。
尚止まらない思いは、カラオケで発散する流れとなり、予定時間を延長し歌い終えた頃には宿泊先で寝床に倒れ込んでいました。
抑え込んでいた全てを吐露して、すっかり安心し切った私は、何時の間にか眠りについているのでした。
今回のお話し、上下二編で綴るとさせていただきましたが、三部構成へ更に変更させていただきたく思います。
今回も最後までご閲覧いただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
心の欠片を拾い集めて-上- ~砕け散った心は、子供時代から続いていた~
不安定な天候だった6月。早い時期での梅雨入りでしたが、妙に肌寒かったり唐突の雷雨に見舞われたりと、例年とはまた異なる荒れた天候が続きました。
7月を前にした今、真夏日をすっ飛ばして猛暑日が連続していますね。家の中だけでなく、最近活発に動かすようになった愛車の中も灼熱地獄。
ようやく関心が外へ向かい始め、動けるようになって参りました。
然れど暑さによる疲労、熱中症にはこれからも気を付けていきたい所存です。皆さんも、お気をつけをと願うと共に、どうか御自愛ください。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
今更ですが、人間に嫌気が差してホッキョクオオカミになった私です。
さて、休職から4ヶ月が経とうとしている私ではありますが、ここに来て一気に進展がありました。
早ければ7月の半ばには復帰できる見通しが立ちました。
長いようで短かった、仕事から切り離された休暇期間。身体と精神を休ませる、という表向きな目的以外に、これまでの中でもある意味、充実しつつも私自身の考え方や価値観を見直す時間でもありました。
今回はそれらを掻い摘みながら、綴って参ります。よろしくお願いいたします。
心が折れ、憔悴し切った私とカウンセリング
これは以前の記事で投稿した内容の振り返りとなります。
昨年異動となり、職務内容だけでなく人間関係にも慣れないまま半年が過ぎようとしていたある時。
一つの切っ掛けで、張り詰めていた糸がプツッと切れる感覚と。折れないようしなりにしなって、これ以上曲がることもしなることもできなくなっていた心が音を立ててへし折れた感覚が重なり、咄嗟に現職から離れることを決意いたしました。
会社や職場に行けなくなる -例えば、身体症状を伴う等- の前に、自分から職場を切り捨てにいったという点では、端から見て唐突で意図不明と思われたのは至極当然でした。
休職を届け出た上司からの連絡が止まらず、当時チームを組んでいたメンバーから疑念と僅かな心配を向けられていたとのこと。
ですが、正直私には全てどうでも良いことでした。
元々本音を言うどころか隠す性分があり、しかし詰問されるとひた隠した思いを理論武装して迎撃に走るという、とてつもなく面倒臭くて厄介な性質を持っていたことも災いしたのだと思います。
今思い返せば、ということが後々重要になってくることなど知る由もなく。
そしていざ休暇に入った途端、追い打ちをかけるように人間関係でトラブルを引き起こすこととなりました。
仕事だけでなくプライベートも崩壊し拠り所を失い、自傷行為にさえ走るまでに憔悴し切った私はカウンセラーの手を借りることを勧められました。
それまでは取捨選択するのは得意と勝手に自負しておりましたが、当時は判断どころか何もかもがどうでも良い、もうどうにでもなれと自棄し感情も思いも彼方へと消え去っていました。
ですがこの、半強制的に受けることになったカウンセリングが、私という存在を再分析と再構築を促し再興の道を照らし出してくれることとなりました。
それを知り、落とし込むに至るのが数カ月後になるなんて、想像もできないまま。
行動と湧き立つ想いは、失った子ども時代から始まっていた
それまで精神を安定させ情緒を制御する為の薬を処方して貰うだけに通っていた心療内科に、同じ施設内にカウンセリングを行っていたことを初めて知った。そこから始まりました。
元々別のカウンセラーによるカウンセリングを受けていた時期もありましたが、すっかりご無沙汰であったことと。
唯でさえ人間不信だった私が休職に至り、より不信感の塊となった状態から始まりました。
そのカウンセラーさんは、ご自身で認知行動療法や傾聴が良しとされる界隈において、寧ろ賛成せず独自の方法で接する、と仰っていたことが今も耳に残っています。
語弊があるかもしれませんが、私個人も型に嵌まらない、嵌めようとするやり方に抵抗と違和感……時には不信や敵対心を覚えてきたやさぐれ者。
カウンセラーさんの言葉と柔和な対応に、「この人なら隠すことなく話ができる」と直感し、休職に至った経緯から始まり今日まで生きてきたことに対する考え方・思い・価値観・過去を全てお話しいたしました。
結果は、機能不全家族が齎したアダルトチルドレン。その中でも複数のタイプを内包するとのことでした。
それを聞いて、不思議と悲観することも憤りのようなものも感じることはありませんでした。
自分だけが、特別ではないから。
誰しも事情がある。それぞれ苦しんで辛い思いをしている。
そう、私だけが苦しくて辛い訳ではないのだから。
しかしながら、カウンセラーの言葉の一つ一つが身に沁みて、言葉を失った感覚が今でも覚えています。
比べることじゃない。
貴方は貴方として、その時々で演じることをしなければ生き抜けなかったのだから。
比べることじゃない。
でも、貴方はそうしてでも「生き抜いて」。辛かったことも苦しかったこともあったと思う、でも「ちゃんと今、ここにいる」んだよ。
カウンセリングを受け、言葉を掛けていただきながらも、私は苦笑いしかできませんでした。
実際はその程度の余裕しかなかったのだと思います。
そんなこと、考えたこともなかったから。
どうすれば良いのか、どう受け取ればいいのかわからなかったから。
その場は複合型のアダルトチルドレン(珍しいことではないそうです)であることを理解し、次回のカウンセリングに向けて内省することを約束してその日を終えることとなりました。
その後、実に四ヶ月に渡って私自身を顧みて客観的に見て、様々な面で変わったと言われるようになるまで。
当初は通しで連ねようと思っておりましたが、上下二編という形で綴らせていただきますこと、御容赦ください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
親友に撮って頂いた一枚です。
温もりと優しさ ~ありがとうと、ごめんねを繰り返して~
いつの間にか梅雨入りしたようですね。一時は夏日を通り越し真夏日に迫る暑さに辟易していたと思えば、朝夕の気温差がより激しくなりましたね。
加えて湿度の高さも相俟って、暫く具合の悪い期間が続きそうですね。
ひとまず、ショッピングモールやお店の冷房をもう少し弱めていただけませんでしょうか……。
はい皆さん、こんばんは。着重ねの量で寒暖調整して早幾星霜、衣替えの概念を遠い昔に置いてきた【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
これまで、当ブログでは生きてきた中で、私自身が感じてきた違和感や葛藤を中心とした話題を綴って参りました。
飽く迄、私の経験や思ったことについて「同情」を求めるものではなく。
同じような、似たようなものを感じた。それで嫌な思いをした、辛かった、苦しかった。
そのような方々に、少しでも「共感」していただける文章を書きたい。
独りよがりと思えるような決心の元、不定期になりながらも記事を書き連ねて参りました。
しかしながら、休職を経て四ヶ月目となる今、少しずつ変化しつつあります。
これまでは知識を持つ方々のお話しを元に、或いはインターネットを通して、独学と敬称するには烏滸がましいところではあります。
私なりに目の当たりにし、受け止めながら咀嚼して解釈することで知識として蓄えて参りました。
然れど、ここに来て頭では理解できても納得できないこと。
或いは純粋に、理解することを拒むかのように避けてきたことが、あまりにも増えております。
今回はそれについて綴って参りたく思っています。
何か。それは。
温もり。
そして優しさです。
疎外され、嫌われることには慣れていた
今から、遠い遠い昔の話。楽しかったり嬉しかったり、そういった思い出はすぐに薄れていくのに、いつまでも残り続ける記憶です。
幼少期から小学校卒業位までは小さい規模の集団だったこともあり、私は比較的平穏な時期を過ごしておりました。運動こそ苦手で恥ずかしがり屋であったものの、周囲に溶け込み目立つことなく日々を送っていました。
周りからは優しい、と言われることが多かった記憶がございます。今となっては自分自身、その言葉の意味を無意味に思案する時間こそあれど、疎まれ仲間外れとは程遠い日々でございました。
成長と共に、周りの趣向……流行とでも言えばいいのでしょうか、そういったものには興味関心を一切持たず、寧ろ流されることを嫌った私は好きなことを貫いていました。
或いは、ませていた、とも言い換えられるでしょうか。
それでも周囲は私のことを毛嫌いすることがなかったことは、幸いだったのかもしれません。
「このゲーム面白いからやってみて!」と強要することはせず、只管自分が興味のあることのみを追求していたことも良い方向に導いてくれたと言っても過言ではないと思っております。
変わっているところはあるが、自分を曲げない存在。クラスメイトから見た私はそのような感じだったのかな、などと思い返しています。
然れど中学校、思春期に入ってから状況は変わりました。
このことは過去にも綴っておりますので詳細は省かせていただきますが、各々の自我が芽生え始め、一人の人間として確たる価値観や性質が固まっていく中。
既に流行りに対する興味のない、しかし譲歩や馴れ合いを好まない私を害悪と思ったのでしょうか。
暴力のような身体的な攻撃はありませんでしたが、言葉や態度による否定、精神的に傷付け孤立させる動きが目立ち始め、日に日に明らかな個人攻撃が顕著になっていきました。
今思えば相手にも何かしろの思想や価値観が合わなかったからなのだろうな、と思うことはできます。が、証拠にならない嫌がらせや否定は私を益々疑心暗鬼にさせていきました。
実害を被った、その事実は変わらない。
それから暫く、疎外され嫌われるだけの学校という閉鎖空間など行きたくない、行く価値もないと思うようになり、ある時、一人の童ながら一つの結論に至りました。
人なんて、幾ら仲が良くても豹変するんだな。
寄って集る連中なんて、一人の意思もクソもないんだな、馬鹿馬鹿しい。
そう思ってしまってから、周りを見る目はすっかり変わってしまいました。
本音で言われているかもしれない、気遣いや優しさも。
からかいかもしれない、でも仲を深める為の婉曲した言葉も。
学生生活を謳歌する学園祭で盛り上がる周囲のテンションも。
疎まれ嫌われることに慣れてしまった私には、全て嘘と建前にしか見えなくなっておりました。
これらの経験が、人生に対し斜に構え人をわざと遠ざける腐った態度として身に付き、以降の私を形成していくこととなります。
人との触れ合いなんて、いらない。
馴れ合いなんてくだらない。
時を経て、社会人になっても相変わらず冷めた姿勢。快く思わない方々から様々な言葉も投げられました。
ですが、もう慣れ切った私にはどうでも良い言葉ばかり。このまま誰とも親しく過ごせなくても構わない、逆に変に近づかないでくれ。
独りでも、私は構わない。大丈夫。
私は自分で作り上げた鎧を纏って、人を遠ざけていました。
その時が訪れるまでは。
傷付くことに慣れたはず。だけど出会いと共に齎される、温もりと優しさは
いつの間にか本心を隠すことに慣れ切って、湧き上がる感情さえも無視した私は「冷静だがやさぐれた浮世人」を演じるようになっていました。
同時に人を信じることを止めた……否、諦めた私は誰にも本音をぶつけることだけでなく、鬱憤や思いを話すこともなく全て飲み込んでいました。
消化などされないことなど、わかっていたつもりでした。ですがそのような暴挙は遂に身体と精神を蝕むこととなりました。
これが報いか、と自分を呪ったことさえありました。
それから薬という補助を受けながら、人生なんてクソ喰らえと腐敗した時間を無駄に費やしていました。
しかしある時から、思ってもいなかった出来事と出会いに邂逅することとなりました。
学生時代に想像などできなかったことは、指摘されるまでもありませんでした。
共通の趣味を持つ人との出会い。それも直接的な出会いではなく、SNSを通してのもの。
当初こそ、人との出会いを通しての広がりといった希望よりも。
裏切りや「どうせいつか有耶無耶になって離れていく」と疑いが、圧倒的に私を支配していました。
ですが、現実は違いました。
初めて相対する私に、掛けてくださる心地好い声音と言葉、柔和なで朗らかな顔。
傷付くことも、嫌われることも慣れていた私には、余りにも温かくて。
十数年以上、自分とはとてつもなく離れ切って、実感も持てなかった。
戸惑いを通り越して、言葉では言い表せない事柄を無理やり理論や理屈として受け取ることが恒常化していた私は、素直に受け取ることが途方もない程困難で困惑しました。
言葉をちらつかせて、裏では何か企んでいるはず。騙す気か、利用するつもりか。
そのようなもの、慣れた私には無駄なこと。証拠を掴んだらすぐにでも切ってやる。
懐疑心の塊と化していた私、しかし出会いを切っ掛けに出会った人たちは私の疑いなど矮小で愚かとさえ思わせる程の想いに満ち溢れるものばかりでした。
運が良かったと言われればそうかもしれません。
ですが人を信じることを、優しさと温もりを捨てるように忘れた私には。
全てが温か過ぎました。一度のみならず何度も人を信じて頼ることを捨て去った私には。
言葉で表せない、安心感と言えば良いのか、心地好さと表現すればいいのか。
とにかく、こんな私と接してくださる人がいることの嬉しさ、喜び。そのようなものを噛み締める時間が増えていきました。
然れど一方で、「人を裏切り裏切られた私などが、そのような感情を感じていいのか」と思い悩む時間があったことも、また確かでした。
傷付いて独りになることは慣れ切った、だけど優しさや温もりは、信じきれない。
身勝手な想いが錯綜し、だがしかし享受し思い切り甘えたいという想い。
相反する想いは葛藤となり、やがてそれまで抑え込んでいた感情が暴走する結果を招きました。
ありがとうと、ごめんねを繰り返して
時が経ち、獣人を模した着ぐるみ界隈と出会いました。元々人間という存在が不信そのもので生理的に嫌悪するようになっていた私には、元来持ち合わせる自分を切り離すことで「羨望を叶え成り切る」という世界に飛び込んでいました。
元々好きだった、孤高ながら崇高な狼。それを高校時代から執筆していた物語の主人公と重ね合わていました。
しかし。
表面的には獣人であっても、中身は人間。当然ながら人それぞれの着ぐるみに対する考えにみならず、考え方そのものや価値観、譲れない想いは出て参ります。
結果的に、私も反りが合わず喧嘩別れするという事態に出くわすことととなりました。
正直な思いを綴らせていただくと、またか、という感情が強かった印象です。
所詮、着ぐるみと言えど中身が人間なら排他されることもあると。
同じ趣味を持つ者同士、和気藹々と言わずとも仲良くできれば、私はそれで良いのに。
理想郷を語るように思案を巡らせる自分が馬鹿馬鹿しくなり、一時は界隈を去ることも考えました。
もう、喧嘩も裏切りも沢山だから。
そうして無気力な日々を送っていたある日、とあるメッセージが届きました。
それはMr.Childrenの「Sign」の歌詞の一部でした。
『ありがとうとごめんねを繰り返して』
『人恋しさを積み木みたいに乗せていく』
謝罪の意味の「ごめん」。感謝の意の「ありがとう」。
喧嘩別れし絶縁した事実は変わらない、それでもそうやって頑張ってきたんだよね。
そう言われた瞬間、情けない位ボロ泣きしていました。感情を押し殺さなければ生き抜けなかった私は、込み上げる様々な思いを抑えることは最早できませんでした。
そこまでして、ようやく気がつけたような感覚に包まれました。
価値観の違いがあるから、いざこざは起こり。時として見限ることも見限られることもあることを。
でもありがとうと、ごめんねを繰り返しながら、生きているということを。
過去は誰にでもある。幸か不幸かなんて、わからない。
それでも直ぐ様拒絶するようなら、私にそうしてきた人たちと同じになる。
まずは、受け入れること。頭で理解できなくても、ひとまず発せられた言葉を受け止める。
脚色づけることなく。
今はまだ、私も上手く噛み砕いて自分のものにできずにいます。
ですが少しずつで良い。全部理解しようとしなくても良い。
拒絶された過去は過去。今は、新しい出会いをまず受け入れたい。
拒否することなく。時には謝ることはあっても、感謝を必ず添えながら。
感情なんて、無ければ良いのに
前回の投稿から大分時間が空いてしまいました。その間、唯只管に葛藤と嫌悪を続けておりました。
休職して早三ヶ月が経ちますが、未だ復帰に対する気持ちが全く浮上して参りません。寧ろ自身への吐き気を催す嫌悪感と他人との関係や距離感に諦観に似た思いすら抱きつつあります。
世間では精神的に追い詰められたり苦しい時は、一人で抱え込まずに相談できる人を見つけていきましょう。貴方は一人ではない、必ず理解してくれる人がいる。十人いて一人二人は合わなくても、優しい人はきっといる。
そんな言葉が流布するかのように流れ、書き連ねています。
私はそういったものを、叶わないとわかっていながらも消えることのない、期待感に近い想いを重ねて見過ぎてしまったのかもしれません。
相談することも、自分の胸中を聞いてほしいという願望は、無いと言ったら嘘になります。
ですがそれ以上に、これまで心を、感情を殺して「存在しないもの」として振る舞うことでしか生き抜いてこれなかった私の心は、喉まで出掛かる胸の内を強制的に遮断するようになって久しい。
本音を口にできない。優しく接してくださる人の声を聞いて泣きそうになるのに、涙が出てこない。一時的に湧き出てくる悲しさや嬉しさを始めとする感情も、引っ込むようにして霧散してしまう。
自分が思っていることを口にする、自分のことで人に迷惑を掛けたら。
今度こそ、本当に見捨てられて誰もいなくなるぞ。
記憶朧気な幼少期から「手間の掛からない」「我儘を言わない」「自分の意思を伝えない」ことで波風を立てぬようにし、やっとの思いで平静な日を辛うじて保ってきた、小さい頃の私が警告する防衛本能。
実際にそうすることで放って置かれる方が楽だったし、人の輪に入り込んで一悶着ある位なら、独り離れ傍観している自分が心地好かった。
然れど時には「意思がない」と言われ自分の思いを伝えると、周囲との感覚や価値観のズレが露呈し嫌な目で見られて来たことは今でも覚えています。
歳だけ取って社会人になってからもそれは変わることなく、得られたことは良いものよりも悪いものの方が遥かに多い。多過ぎました。
元々独りで過ごすことには慣れていました。
ですがいつの日からか、慣れ切った感覚が周囲との齟齬を生じさせ、人と関わる度に弊害を生むことばかりの日々が続きました。
ではずっと独りの方が良かったのかと聞かれれば、嘘になります。出会えて良かった方々とも沢山知り合えましたし、その方々と過ごした時間は私の中で、大切な思い出となってしっかりと残っています。
が、今もずっと、思い出と自己防衛が衝突し合って。
言葉に言い表せない辛さや苦しみと化して、抱え続けるばかり。
生き残る為に必要だった、子供ながら考え行動や言動を形成した、アダルトチルドレン。
本ブログでは初めて述べる事柄ですが、私は傾向の強い順に「ロストワン(ロストチャイルド)」「スケープゴート」「ピエロ(道化師)」の3タイプが混在しているようです。
これは精神疾患を患い十年が経とうとしている現在においても回復傾向が見られないことへの焦燥感と、苛立ち……に似た感情があったのだと思います。
早く脱却したい。楽に生きたい。
その思いで受けたカウンセリングで判明したことです。
アダルトチルドレンについては他のサイト様でより詳しく解説されておりますので詳細は省かせていただきますが、複合タイプについて明記されていることは、私が知る限り見覚えがありません。
しかしながら、特別珍しいものでもないようです。
複数あるタイプのアダルトチルドレン、それを複合する理由。
その時々でタイプを変える、演じ方を変えることで生き永らえたとのことでした。
聞いた瞬間腑に落ちたものの、それで終わりという訳にはいきません。
性格を直すのではなく、幼少期の考え方や物事の捉え方の「癖」を矯正すること。
今まで確かに感じていたはずなのに、なかったものとして見ぬ振りをし捨ててきた感情を、脚色加えることなく噛み締めること。
ロストワンが強い私に一番必要なことだと、カウンセラーの方は仰っていました。
正直、人によっては簡単を通り越して当たり前にこなしていることなのかもしれません。
ですが感情を、無意識的に殺してきた私には、とても苦しい。
人の優しさも、それを受けた自分の嬉しさや有り難さですら、心が拒絶する。
褒められたり称賛されるようなことも、常に目立たないようにして生きてきた私は、どう受け取ればいいのかわからないし戸惑いすら感じてしまう。
では逆に非難されるようなことがあったすると、今度はスケープゴートが顔を出して「私が全部悪いのだから、元凶の私が消えれば治まるんだろ?では、さようなら」を繰り返した人生。
そうすることで、一体何人の心を傷付け、心を殺してしまったのだろう。今となってはそれもわかりません。何より、贖罪したところでもう戻りはしない。
そんな風に自他共にあやふやにしてしまう、自分が醜くて仕方がない。
中途半端に思いやる気持ちも、罰する気持ちも。全部含めて。
感情なんて、最初からなければ良かったのに。
それだけで、どんなに楽だったことか。
でも、このままでは何も変わらない。ずっと同じ苦しさと辛さを味わい続けることになると、頭ではわかっている、つもりではあります。
そこに、心が付いてこない。
人を巻き込む位なら、感情をこれまで通り殺し続ける方が誰も傷付かない。なら、一層このまま……。
私は、どうしたいのだろう。それすらわからずにいます。
ましてこんな私が、人の痛みや切なさを受け止められるはずがない。
このような思いを、いつか断ち切るとは言わずとも変えていけるのか。
自信も活力も、未来へ向かおうとする意志も……今は、持てない。
自分を押し殺す必要性は ~心の声に、耳を傾けて~
気温の落差に身体が中々追いつかないところを、暑さと冷え込みが交互に押し寄せる日が続いていますね。
状況の変化で心もお疲れの方も多いことと存じます。
せめて、このまま夏に真っ直ぐ行くことなく、穏やかな春の温もりを肌で感じられる日が続くことを願うばかりです。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか
私はと言いますと、あまりにも沢山の出来事を一気に目の当たりにしたことで、これまでの人生の中で最も自分自身を省みる時間を過ごしておりました。
ここからは独白に近いものになりますが、どうかご容赦ください。
学生生活。就職活動を経て社会人として働き十数年。
カウセリングの力を借りながら、私はいつの間にか「自分というもの」をすっかり忘れ果て。
我儘も自分の思いも、「本当はどうしたいのか」ということも投げ捨てて、人に尽くすかのように合わせることを続けていたことに気が付くのでした。
このような書き方をすると如何にも被害者面をしているかのように見えるかもしれませんが、事実は異なります。
私という人間が、無意識的に行ってきた結果の積み重ね。
より極端な言い方をすれば。
人に嫌われない、捨てられないようにする為。
子供ながら必死に考え、生き永らえる為の処世術のようなものでした。
私は機能不全家族に起因するアダルトチルドレンのようです。
カウンセラーによる、アダルトチルドレンや機能不全家族診断の結果、どうやら複数のタイプを包括しているとのことでした。
薄々そうなのではないかと勘付いていましたが、この結果は、私の想像を上回るものでした。
詳細はより落ち着き、冷静になった際にお話しさせていただければ幸いですが、複数数タイプのアダルトチルドレンを抱えるということ。
驚く私に、カウンセラーは珍しいことではないと、優しくそっと伝えてくれました。
思い返せば、これまで過ごしてきた私の生き方に抱き続けていた違和感。
そのほとんどが腑に落ちました。
どうせ私なんて。私なんかが幸せになれる訳がない。そもそも幸せって、何?
私のことなんて気にしないで。独りで平気だから。私なんかより、他の人と楽しんで。私がこの場所にいなくても、別に問題ないだろう。
おちゃらけてバカ言って、少しでもみんなが笑えたり和めば良いな。難しい顔して黙り込む周りが、耐えられない。場違いであったとしても、空気が読めないと思われても、みんな笑顔でいられるのならそれで良い。
この記事を綴る合間に浮かんだものでは、このようなものが挙げられます。
諄いようではありますが、これらは全て。
意識的、無意識的に拘わらず、全て私自身が感じ行動に反映させてきたことです。
そして、自分が「本当はどうしたいのか」という意志はなく、只々「自我を創り出せなかった結果」人に全てを委ねていたこと。
仮初であったとしても、人が喜んでくれることで、捨てられないようにするのなら。
私自身を偽り、押し殺す。
色々考えて模索するよりも、私という一人の人間を犠牲にして済むのなら、その方がずっと簡単だったから。
自分を押し殺して物事が円滑に進むのなら、私はそれで構わないと信じてやまなかった。
このような思いは、休職に至ったことを切っ掛けに限界と疑念となって噴出することとなりました。
そう、休職は飽く迄切っ掛けでしかありませんでした。
然れど、記憶のない頃からの行いはカサブタと成り続けるだけに留まらず、種々の感情や想いを殺すことで膿んでいきます。
膿んでも尚、身体は大きくなり歳だけは取っても、積もる想いは悲鳴を上げ続けます。
見て見ぬ振りをしても、腫れ上がっていきます。
それがいつの日か、許容できる範囲を。耐えられると「思い込んでいた」領域を超えて、制御など受け付けず暴れ回ることとなります。
これが、言葉として表せる私です。
アダルトチルドレンは、タイプによってHSPに関わるとのことでした。
が、今の私が言えることは。
本当の自分を、幼い頃に抱いていた願望は。
家族に求められることではありません。
かと言って人に、赤の他人に求められるかと問われれば、哀しいかな、それも難しいと思っています。
そう申し上げると、では結局八方塞がりで苦しみや辛さを抱えるしかないのか……と考える方もいらっしゃるかもしれません。
でも、私はそうではないと確信を持っています。
自分を押し殺してまで、人に尽くす必要なんてどこにもありません。
ならば、「本当はどうしたいのか」「どうしたかったのか」。
「安心する為に、どう生きたかったのか」。
悲鳴を上げ続ける自分の声を。心の叫びに耳を傾けること。それが最初の一歩なのだと私は思っています。
綺麗事に聞こえると思います。それは十分承知しています。
逆に考えれば、そのような思いを抱えながら知人や友人、身内に話をして通用するか……ということです。
私は、それが叶いませんでした。
身内は論外としても。
知人友人にいきなりこのような話をしても、「互いに」理解し合い安息を得ることは難しいと思っています。
何故なら、と思うよりも答えは簡単なことだと私は思います。
主観的には「こんなに苦しいのに!なんでわかってくれないの!?」となったとしても。
余程のことがなければ、「えっ……?」と困惑されると同時に。
何言ってんだこいつ。
そう思われるのが関の山と、私は思います。
当然といえば当然、その人にも悩みや葛藤は大小問わずあるはずです。
それだけで手一杯のところに、救いを求める一心であったとしても。
直接言われることは稀にせよ、重過ぎる、と距離を置かれる可能性は大いにあります。場合によってはそれで縁の切れ目になることもあり得ます。
何より、「半端な優しさ」によって、互いを破滅しかねません。
なら、どうするか。
辛い、苦しいだけでなく。
自分が行っていることを、純粋に「楽しい」「嬉しい」と思えているかどうか、それを聴くことなのではないかと思うのが、私の答えです。
勿論仕事上では、そう考えることは難しいと思います。仕事を純粋に楽しめる方もらっしゃる他方で、仕事は「生きる為の金を得るもの」と考えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ちなみに私は後者です。
生きる為の金であり、逆ではない、というのが私の信念です。
長くなってしまいましたが、もう一度だけ言わせてください。
自分を押し殺してまで、人に合わせる必要など、どこにもありません。趣味やプライベートのみならず、譬え生活の為の仕事であったとしても。
当事者である自分が、身体的にも精神的にも、死んでしまっては何も残りません。
人の悲鳴……愚痴や不満、滅入ってどうしようもなくなった声に応えることはできても。
存外、自分が発する声なき思いを感じ取って、聴くことは難しいかもしれません。
かく言う、私がそのそうです。
そうだとしても、どうか自身が訴える声にだけは、どうか応えてください。救ってください。
自分の想いをわかってあげられれるのは、他ならぬ自分だけなのだから。
またもや纏まりのない文章となってしまいましたが、程々に切り上げさせていただきたく思います。
今は少しずつではありますが、私という人間を理解しながら。
願わくは、私の経験がお読みになる皆さんの足しになれれば、幸いです。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
自分を曝け出した、結果と成れの果て
気付けば、もう新年度ですね。
季節の移ろいは知らぬ間に、然れど身と心は衰退の一途を辿るばかり。
私怨も酷いので、ここで詳しくお話しすることはご容赦願いたく思いますが、先月は本当に惨事ばかりでした。ある意味、イジメがあった数十年前に匹敵する程だったかもしれません。
一つ言えることがあるなら、人は誰しも正しい者はいないということでしょうか。
私も、自分が正しいなどと思っておりません。寧ろ間違いだらけの人間です。
では他者が全てか、と問われれば……そうではない、と思ってもいます。
その違いが価値観であったり相性の問題であると考えておりますし、それを侵害することは唯の押し付けになる。
そう信じて、自分を、感情を殺すという姑息な手段を使って生きて参りました。
それが緩んで、私なりの考えを出した途端に非難されるまでは。
先に申し上げた通り、私にも非がありました。相手の立場や考えを考慮しなかったは謝らなければならないことです。
しかしそれでも、否定され拒絶されることは、やはり辛い。
撮影で用いてきたカメラを握ることも、直前まで記録した写真を見ることも、今はできなくなりました。
私怨同士の衝突など関係ないはずなのに、怖くて触れられません。楽しい「はずだった」思い出も、怖くて仕方がない。
いや、寧ろ他者を拒絶しようとする「感情を抑え切れない私」がそうさせているのかもしれません。
どうしてこんなことになったのかな。
いつから、こんな自分になったのかな。
後悔よりも、自己嫌悪と人間不信だけが募るばかり。
そう言いながら、時間を重ねることで。
本当は、見捨てられることが怖い。
訴える本能に従って放つ言葉が、見せる仕草が、無意識に人を傷付けているかもしれない。
考え出すと、もう誰にも何も言えなくなる。どんな思いを込めようが気持ちを注ごうが、そんな利己的な思いがある以上は。
人のことを考え、共に歩んでいこうなど身勝手にも程がある。
そんな思いを忘れようと、SNSを奔走してきました。少しでも、私を捨てないでいてくれる人を探す為に、必死に。
でも、本当の想いに気付いてしまった途端、自分がただの寄生虫で害悪な存在なんだと自覚してしまいました。
迷惑を掛けたくない、なんて対外的なのに。本当は捨てられることがとてつもなく怖い。
発言したくても躊躇う。それでも恐怖に負けて何か言って、すぐに後悔して。その繰り返し。
もう、そんなことをするのに疲れた。
うーん、駄目だ。まともに文章の体裁を考えることも言葉も滅茶苦茶だ。
ああ、本当に。
いつからこんな馬鹿になったんだろ、私。
【うつ病・人間不信】募る人間不信の行き先 ~頼れる場所を求めた、私が馬鹿だった~
※注記※
本記事は私の口汚い罵り、遣る瀬無い思いから来る負の言葉。そして不快を催す表現が数多く出て参ります。
掃き溜めの場と化してしまいますので、ご閲覧くださる際はどうかご留意願えれば幸いです。
※注記終了※
すっかり寒さも落ち着き、いざ出会いと別れの春へ……と申すには、あまりに短絡的ですね。
現実は真冬に戻る寒さに加え、場所によっては雪が積もり、銀世界へと戻る寸での気候となりました。
三寒四温とはよく言ったもので、そう心地好く春を迎えさせてはくれぬようで。私が住む地域も、すっかり雪化粧に覆われております。
今思えば当然と言えば当然の言葉だったのかもしれません。
ただ、それを聞いた私は閉口以外に取れるものはありませんでした。
続けざまに放たれた言葉が、ただでさえ折れた私の心が真っ二つになりました。
「そもそもこれまでお話しされてきたことと今のお話しは、全く噛み合わないので診断書を書こうにも病名をどうすれば良いのか判断しかねています。診断も1からやり直さないと、処方も困っている程です」
心なんて、存在しない想像上のものです。
ですが、私は確実に感じました。
曲がり切って、これ以上曲げられない程までに倒し尽くされた心。
音を立てて粉々になって、破片と塵と化していく様が。
同時に支配してきたのは、これまで抱いたことのない負の言葉と思いでした。
そうだよね、精神科医だから薬を出したり事務的処理をするのが仕事だよな。
患者の声を聴いたり、励ましと行かずとも生易しい言葉なんて掛けないよな。
そうだよな。
半端な優しさは、人を殺すもんな。
そこで、人は突き詰めれば自己保身か、などと思った私は相当参っていたのか、元々腐っていたのか。
とにかく、このことが引き金となり人を信じることが馬鹿馬鹿しいものとなり、どこかで誰かに縋ろうとしていた私が愚かにも程があると自分を責め立てることとなりました。
休職で、部屋に籠もっていても、沸き立つものは自己嫌悪を含めた人という全存在への拒絶反応。
然れど、行き場のない思いを吐き出し、誰かに受け入れて欲しいと足掻く自分もいる。
矛盾と、募る葛藤。
行く末に、私はついにやりました。
利き手ではない掌を、刃物で何度も撫でながら切り刻む行為を。
自傷行為。世間ではリストカットとして認識されていますが、実際はそうとは限らない行い。
生命の危機に陥らない箇所を、自らの意志で傷を付ける。生きるという本能とは相反する行動は、端から見れば異常行為です。
恐らく私の「家族ごっこ」をしている身内に見られた日には、それこそ言い争いで済まなくなるでしょうね。笑える話です。
しかし、一つだけ。
自傷行為をすることで注目を集めようとしたり、自殺を仄めかすサインだと論じたり考えたりする方がいらっしゃいますが、それは違います。
誰にも見られない所で、行き場のない感情を。もしくは心の痛みを身体の痛みに変えることで、少しでも自身を安らがせるものなのです。
実際、私も痛みと共に血が流れる様子を見ている瞬間は、形容し難い安息感を覚えていました。
逆に言えば、そこまで崖っぷちになっていたことを思い知ることとなるのでした。
私のことは、ひとまずここまでとさせていただきます。
最後に。
言葉で言わなければわからない、それが人間という種族です。
ですが、それができない程に追い込まれている人もいるということを、身勝手ながらどうか覚えておいていただきたいのです。
苦しいのは誰も一緒。
辛い時は遠慮せず頼ってくれ。
そのような言葉程、信用できないものはありません。
少しでもいつもと違う、何か変だと感じる方がいらっしゃるのでしたら。
話ができそうなら、ただ聴いてあげてください。同情はいりません、聴いてくださるだけで救われることは多分にあります。
そして、物理的でもそうでなくても。
そっと抱き締めて、頭を撫でてあげてください。
少なくともこれは、私が今一番求めていることでもあります。
纏められずに、すみません。今回はここらで仕舞いとさせていただきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
休職を決意した直後、被り物をした私です。友人曰く、「あんなにはしゃぐ姿、初めて見ました」とのことでした。
実際、大人気なくキャーキャー言っておりました。
種族はホッキョクオオカミ、名はレイス=レナード=フォーマルハウトと申します。
どこかでお会いした際には、どうか気味悪がらずにお願いいたします(汗)
【近況】休職という選択肢 ~ダメだと思い始めたら、自分を守る英断を~
皆様、ご無沙汰しております。【やさぐれ紳士】白兎でございます。
前回の記事から、早一ヶ月以上が経とうとしているまさに今、重大な決断をするに至り、この文章を綴っております。
周り諄くする必要もありませんので、結論から申し上げます。
十数年勤続している会社を、休職することに致しました。
詳細については、気持ちの整理がついてからお話できればと思います。ご容赦ください。
さて。
今日に至るまで、異変と変調を来しのは、昨年の異動が全て。そこから連鎖するかの如く、プライベートも、そして私自身も壊れていきました。
私の場合ですが、今回異動となった先での仕事はこれまで全く携わってこなかった、即応性と果てしないまでの知識と経験がものを言う場所です。
そのような暗黙の了解、否……居る者なら知っていて当然という、ある種の秩序のようなものとでも定義すれば良いのでしょうか。
物事に対し一瞬で判断し、必要な処置をする。判断材料は微小ながらもあると言われる中で、兎にも角にもまずは「行動する」ことが求められました。
ですが、しかし。
ただでさえ物事の判断に時間を要する -しかも、自分の中で「納得ないしは理解」をしなければ前へ進めない -私には、とてつもない葛藤と焦燥、そして不満を齎すこととなりました。
理解するのも大事だし、すぐに対応しないと。
呪詛の如く、周りから毎日繰り返される言葉。
正直な所、私には頭で理解はできても身体も心も付いていかない状況に陥ることとなりました。
出来て当たり前。失敗など許されない。
会社は生きる為の金を得る為のもの、と考える私には、洗練された洗脳のような信念?は理解不能なことでした。
同時に脅迫にも似たその信条?は、黙って従う道理に適っていませんでした。
少なくとも、私には。
同時並行処理が唯でさえ苦手で混乱を来す、その上で即応できなければ話にならない。
少し誇張表現するのなら……適応できなければ、存在価値すらない、ゴミと同じ。そう脅されるも同然でした。
それでも、人に迷惑をかけたくない。最低限やっていけるのであればまだ大丈夫。
そう思った私が、どうやら異質であり異常と見られてしまったようです。
というのも。
先日、直属である上司に呼び出されたことが始まりであり、終わりでもありました。
素の状態で不調を抱え、数少ない精神の安定を求めるべく有給を申請したことが、どうやら目に留まったとのことでした。
有給は、労働者にとって権利です。どのような状況であっても、業務という責務を果たしていれば、権利を侵害されることは許されない……というのが私の考えです。
被害者意識はひとまず抜きとして、私は私なりに業務を遂行してきた自負はあります。……譬え、周りから能無しの処理遅延が当たり前のゴミであったとしても。
その上で直に話されたことは、簡単に纏めると。
・有給は権利。でも、どうしてこのタイミングで休むのか、理由を教えて。(言いたくないなら良い、と言われましたが)
・今の白兎君、見てきたけど即応性が求められるここではこの先通用しないよ?
・(精神を病んでいること。かつすぐに対応しなければならない+同時並行はほぼできないと前もって話していた)ふーん。でも4月には新しい社員も来ることはわかっていることだから、その前に「最低限」をこなせるようにならないとね
それを聞いた途端、折れる寸前だった心が音を立ててへし折れました。
ここには来られない。行きたくもない。会社の連中とは、もう一切関わりたくない。
ブログにおいても数々の空白の期間がありましたが、その間も、気持ちを紛らわせ趣味に没頭することで仕事を忘れようと奔走していました。
でも、それももう限界。
お金よりも、迷惑をかけることよりも。
自分を守らないと、今度こそ自害しかねない。廃人になる。
この時点で既に離人症と解離性健忘(仕事でやってきたことや立ち振舞を思い出せない)、食欲不振にアルコール依存症の嫌いが出ていたこともあり。
形振り構わず、休職に走ったというのが、事の成り行きです。
その後は直属の上司とは話したくもなくなっていたので、別の上司に間に入っていただく形で休職の手続きを進めております。
が、休職にあたり診断書が必要になってくるのですが、ここではここで通っている心療内科でも一悶着ありまして。主治医と私で軽く喧嘩腰になりながらも、何とか診断書を貰えたので良かったものの。
私の中で何十年も影を潜めながらも時折顕在化する、人間不信と他者への攻撃性を助長することとなりましたが、それはまた別の機会にお話しできればと思います。
長くなりましたが、ひとまず二ヶ月という療養期間を得ることとなりました。
このような私から、一言だけ。
時には、身体に鞭打ってでも働きに出なければならないことはあると思います。
然れど心も身体もボロボロにして、心さえ無くしてしまっては、生きる意味もなくなります。
ですから、どうか。
どんな状況であっても、少しでもご自身の中で「なにかおかしい」と感じた瞬間に、お休みを取ったり休職なさってください。
所詮、他人は他人。特にこの御時世自己保身に走る者があまりにも多い。
誰も守ってくれません。
そうなる前に、どうか、自身を守ってください。事があってからでは、遅すぎます。
休職の身となった今でも、先日より身内でトラブルが続出している私ですが。
もうどうにでもなれ、と開き直り、諦めも抱いて過ごしています。
でないと、やっていられないので。
久方ぶりとなる記事がこのような内容となり、申し訳なさすら覚えておりますが、ひとまず近況報告とさせていただきます。
最後に、だいぶ心が軽くなった出来事の写真を添えて、締めとさせていただきます。
それでは、また。
右下でベンチに腰を降ろしている白いオオカミ。
これ、実は私です。
【お知らせ】暫く休止いたします。 ~向き合える時が来たら、この記事は削除します~
皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。
唐突ではございますが、誠に勝手ながら、暫くブログの投稿を休止させていただきます。
理由は、思いつく限りでも幾つかあります。
然れどモチベーション云々以上に、諸所の事柄から文章を書く以前の問題で、私生活が壊れかけていることにあります。
職場や個人的なことも含め、一気に押し寄せたことで。
処理し切れなくなり、精神が擦り切れるまでに摩耗し、心も今のままでは塞げない程の穴が空いてしまっているような状態になってしまいました。
つくづく自らの脆さを痛感する他方で。
自分から首を突っ込んでおいて自滅したこともありました。
異動先の職場のメンバーが、苛立ちを抑えながらも胸に刺さる言葉を投げ飛ばし始めてきています。
私の能力不足で、特に一つのことしか集中できず、それなのに注意散漫 -デスクにじっと座っていることができない- ことも災いしていることは、自負しているつもりでした。
しかしながら、仕事という以上、会社の為ではなく生きる為に働く。賃金以上に、自分をすり減らすような働き方はしない、という私の思考が周囲に伝播してしまった。
ありもしない事実が現実に起こってしまっている、そんな思いすら抱える状況と化しています。
それらが瀑布の如く押し寄せた結果、精神を病んでしまった時と似通った状態に成り果てています。
何もしたくないと、寝床に横たわる日々を何日も過ごしました。
気分転換にと、たまに誘われ出掛けた先では、その瞬間は楽しむことができました。
が、終われば襲ってくるのは虚無感と空虚さ。自分で行っておきながら、それこそ様のない醜態を晒してばかりでした。
ここ最近、出てくるのは溜め息ばかり。
泣きたいと思っても、涙はおろか哀しいと思う感情も滲み出すことはありません。
人間不思議なもので、泣きたい時に限って涙は出ないのですね。満たされない胸ばかりが苦しくて、でもそれだけで。
何の為に生きているのか、という永遠の問題は良く見かけることです。
それよりも、どうして生きているのかと。息をして、味すら感じられなくなった食事を無理に押し込んで、身なりを整える最低限のことすら疎かになって久しくあります。
死も、幾度も思い浮かべました。
悲しむ人がいなければ、だけでなく。
死ぬことで迷惑を掛ける人さえいなければ、さっさと消え去ろうとすら考えることも、何日もありました。
生気を失ったこんな私の話を、数少ない友は最後まで聴いてくれました。
途中、叱られました。見窄らしい私の軟弱な意思と言葉に、苛立ったのだと思います。
そこで、やっと気付きました。いえ、気付かせてくれたのだと信じています。
いつも温厚なのに、叱られるなんて……。
余程マズイ状態に立っていることを、気付かせてくれた。
今の私には、喩端から見れば小さなことであっても、全てが重過ぎることを。
人のことを気にかけても、まして心配している場合ではない程にまで、弱り切っていることを。
もっと自分を大切にしろ、ということを。
結局長くなってしまいましたが、気持ちの整理と精神の状態が快復するまで、ブログを休止いたします。
現状、碌な文章も書けない自負もありますが、それ以上に……省みることのなかったことを反省しつつ。
今は、自分というものを少しでも大事にしたい、というのが本音です。
時間は掛かるかもしれません。
ですが、必ず戻って参ります。
その時が来たら、この記事は自戒という意味も込めて削除いたします。
情けない限りではありますが、喩えお一人でもこのブログを閲覧してくださる方の為に。
此度は、現状と暫くの運営についてのご案内とさせていただき、締めとさせていただきます。
それでは、また。
【生きること・生き辛さ・価値観】自分は自分を、大切に ~悩みを聴いても、自我を忘れぬように~
新たな年を迎え、少し時間が経ってしまいました。
今回ばかりは、時間の流れは歳と共に早くなる、と簡単に片付けられそうにない自分がいます。
昨年から受けた、それも、自ら望んで受けた心の痛みが。
ブログはおろか、私生活も仕事も潰しかけていたことに、今更気が付けたのだから。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
昨年はお世話になりました。本年もまた、よろしくお願いいたします。
年始の挨拶を差し置いて私情を吐露したこと、失礼いたしました。
しかしながら、やっと、少しは気が楽になれた気がしています。
決して軽やかではありませんが、こうして酔いや感情に任せず文章に、自分に向き合うことができたのが久しいと思えてなりません。
去年は一年の合間に、大きなことが起き続けました。
私なりに捌いてきたつもりでしたが、現実はやはり簡単ではなかったことを今になって痛感しています。
人間関係、と一言で片付けられないようなこと。
人の悩みを、その気もないのに打ち明けられること。
相談されて浮かれて、調子に乗って悩んでいる人へ相談役を務めるような真似事をして。
結果的に我が事のように感じて、勝手に苦しむなどという愚行も犯しました。
そして、時には親身になっていたつもりが。相手が唯の構ってちゃんだったということがわかった際は、込み上げる自己嫌悪に陥る日もありました。
年明け早々ではありますが、今回は戒めの意も込めて、記事を綴ります。
悩みを聴くことは、悪いことではない。然れど、決して全部が良いことではない。
最後は自分というものを、自我を侵食されるようなことがあれば、もうそれは悩み相談ではなく、単に利用されていることもあり得ることを。
自分は自分を大切に、と今年の目標宣言にする為にも、記事を書き連ねて参ります。
長くなりそうですので、前後編に分けていければと思っております。よろしくお願いいたします。
人間、悩みは尽きない
仕事をする上での悩み。
家族間での悩み。
他人との付き合いに対する悩み。
自分自身への悩み。
人は常に悩みを抱えていることを、個人的ながらもそのように感じて今宵を過ごしています。
のみならず、悩みの大小だけでなく、人に相談できるものか否か、生きる上での障害になり得るか。
自分自身のことでも理解できないのに、人の悩みを得て知ることは、当然容易なことではありません。
まして、対象が赤の他人なのか。会社関係なのか。その人にとって、大切な人に対してなのか。
考えれば考える程。深く読もうとすればする程、一個人の想像など容易に超えてしまいます。
私は基本、悩みを抱えたとしても人に吐露することは多くありません。仮に吐き捨てる時は、勝手ながら私が信用できる人にしか決していたしません。
理由は、簡単です。
悩みを打ち明けた所で、解決し救われるような道へ導いてくれることなど、この世界ではあり得ないことを知っているから。
喩え相談することで、束の間の安泰を得られるとしても、やはり私はダンマリを決め込む方を選びます。
根本解決できないのなら、ただ、自分の弱みを相手に見せるような行為。それが如何に無駄で無意味で情けないことであることを、知っているつもりだから。
なら、泣き寝入りするしかないのか。
そんなことはありません。
世の中はどうしようもないものだと割り切って、開き直って生きる。
私が数十年生きてきた中で到達した結論です。
こんな結論に至ることがなかった方も、大勢いらっしゃるかと思っています。
上手い解決法が見つかった方も、そうで無い方も。
人の生き方は、とても数え切れるようなものでは無いほど、無限です。
仮に私の意見が寂しいだとか、悲しい人と言われることがあったとしても、覆ることは決してありません。
私はそれしか知りませんし、他の人の生き方や悩みの捌け口を知り得ません。
良し悪しで判断などできないもの、それが生きることであり。
悩みとどう向き合うかの考え方の差異のようなものなのかな、と思っています。
誰もが闇を抱えて生きている
そう言いつつも、可能な限り足掻いてでも解決したいのが、ある意味人間の性なのかもしれません。
私も達観したような物言いをしておきながら……本音は、また別です。
過去に戻ってやり直したい、という気は更々ありません。でも、あの時違う行動を、言動をしていたら……と思うことは沢山あります。
それができないからこそ至った結論が前述したものであり、結局はどこかで思い悩む気持ちや感情を抑え込んでいるに過ぎないのかもしれません。
そういった方法が自分としては楽なことに変わりはなく、苛まれる位なら毒を飲むように飲み下して諦めて開き直る。
その方が、見たくない現実から逃避でき、だからこそ生きてこられたというのが本当のところです。
私の話は、この位にさせていただきます。
では実際はどうか、と焦点を変えると。
三種三用、千差万別。
人の数だけ、否、それ以上の悩みが点在しています。
昨今ではSNSの発展もあり、打ち明けられない悩みの欠片を散らすかのように世界中に発信する方も少なくありません。
直球で悩みを吐く方もいらっしゃいますが、多くは悩みの片鱗を見せるような文言を書き連ねる方の方が圧倒的であると感じるのが、私個人の思いです。
それだけでなく、面向かって神妙な趣で悩みの相談を受けることも多々あります。
勿論全てを知られたくないという防衛本能から、真に解決したい事柄が霞がかったやり取りが多くなりがちです。
どういう訳かは、私もわかりませんが。
どうも私という人間は、人から見ると「話をしやすい」と認識される嫌いがあります。
それも単に盛り上げ易いだとか、ノリが良いという訳ではないそうです。
悩みを聴いてほしい、話を聴いてほしい。
自慢でも傲慢でもなく、ただ真実として、そう言われることが沢山ありました。
先のSNSは、短い書き込みを見ては考察し、思いを巡らせて。
顔を合わせての悩み相談では、声色と顔色、そして言葉選びに悩む仕草を鑑みていく内に。
人の悩みは、抱える時間が長ければ長い程、解決への道は遠のくことを。
未消化に終わった悩みは、やはて精神と心を蝕むような闇へと変化していくこと。
そして、一度抱えてしまった悩みと言うなの心の闇は、悩み相談程度では晴らすことはとてもではないができないこと。
自分では、それを知っているつもりでした。
しかしいざ、人のそれを目の当たりにすると。
どうすることもできない無力さ。寄り添えない私の冷酷さ。人間という生き物の脆さ。
そういった思いが瀑布と化して押し寄せ、あたかも私事のように錯覚させて、結果自分を苦しませること。
昨年のいつ頃だったか……そんなことを思い知って以来、深読みと没入感のようなものが入り混じっておりました。
その末路が、ブログもまともに書けずに独り塞ぎ込むという、この様でした。
本記事では抽象的で個人的主観が強くなってしまいましたが、次回はどのような悩みがあったかを、底知れぬ闇に触れてきたかを具体的にお話しできればと思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【生き方・HSP】優しさって、何だろう ~表面だけ合わせてきた罪~
今年を漢字一文字で表すと、という記事が少し前にニュースになっていました。
「金」。
成程と納得する前に、短絡的・直感的に五輪・パラが開催されたことに対する一言なのだろうな、と断定するのは容易なことです。
それよりも、もっとお金欲しいですね。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
恐らく、この記事が今年最後のものになります。
今年に入ってから掲載ペースが大幅に落ちた私ではありますが、ここ数ヶ月は特に顕著でした。
私の2021年を表すなら、多分これになります。
人間関係と自己分析。
全てお話しするととんでもない長文になりそうなので、特に印象に残ったことを抜粋する形で綴って参ります。
まずは、人間関係。これは私にとって、永遠の悩みとも呼べるものです。
過去の記事でも何度か触れましたが、基本的に他人と関わりたくない、という思いが根源にあります。許されるのなら、独りで部屋に籠もって眠りに就き続きたいとさえ思うこともあります。
元々連絡を取り合うことも癖にさえなっていないことも相俟って、休日は独りの時間を過ごすことに苦痛を感じることはあまりありません。
と思いながら、公私問わず。
実際は幸いにも優しく声を掛けてくださり、車という共通の趣味を持つ方とも巡り合うことができました。
実務においてもわからないことだらけで、初動すら取れない私に仕事を振りながら一緒に一から遂行まで指導していただく毎日が続いております。
自分でやった方が早い。
その言葉が、不意に頭を過るのでした。
異動前、慣れ切った仕事に対してそんな思いを抱いていた私は。
自分がどれだけ傲慢であったか。
仕事を降る「フリ」をしているだけで、現実は人に聞かれ答えることに面倒臭さでいい加減な態度を取る、仕事を「投げ捨てる」仕方でしかなかった。
天狗になっていたあの時、前の職場の人々に不快感を、人知れず与えたいたことに気付かされれました。
だって。
わからない仕事を、前触れ無く与えられることが苦痛であったり、嫌気が差したり、時には「もういいよ」なんて勝手に苛立っているクソみたいな私にも。
親身にしてくださればされる程、温かくて、兎に角温かくて。
放っておこうと思えばできるのに、二ヶ月経とうとしても尚物覚えの悪い私に、何度でも同じことを。
怒ることもなく、変わらない優しい声音で導いてくださる。
なんで、そんなに人に優しくできるんだ。
私なんて、一つのことしかできない、不器用で馬鹿でどうしようもない奴なのに。
どうして。
人に優しくするって、何なんだよ。
こんな記事を過去に書いて、読み返せば読み返す程自分を正当化している私が、惨めに思えて仕方がない。
共感したい、わかり合いたいなんて綺麗事をほざいておきながら。
わかっていないのは、私の方じゃないか。
何が共感だよ、馬鹿馬鹿しい。
自分自身に悔しさと苛立ちと、嫌悪感が付き纏う。
自分が、醜い。穢らわしい。
自身を咒うかのような言葉が、思いが、感覚が押し寄せて。
休みの日はまともに動くこともできず、押し留めようととも溢れ出る負の思いに反論すること行動も思考も取れぬまま。
情けなく独り床に就く日が、果たして何時間、何日と流れたことか。
寝床に身体を横にしながら、同時に思うことが胸裏を引き裂いていることを自覚するまでに、時間はかかりませんでした。
性根は腐敗仕切っている、なのに。
何で、私なんかに。
悩みを話し易い。
そう言われるだけは、職場、プライベート問うことなく変わりありません。
自分なりに「近寄らないで」と見せているはずなのですが、時には人生相談クラスの重い話や凄惨な話を聴くことも珍しくあります。
現職場も後輩の子が、様々な悩みを話しに私の元を訪れています。
一度だけ「私って、そんなに話しやすい?」と無粋ながらも聞いてしまいましたが、数瞬の間もなく「めっちゃ話しやすいです」と笑顔を見せられて、私はますます困惑しています。
話を聴くことは、私も苦ではありません。寧ろ好きな位です。
然れど、いつまで経っても「こんな私が、聴いてもいいのですか」という気持ちはどうやっても拭うことができません。
私の数少ない友人、たーぼぅさんも。
私は記事として上げることはできませんでしたが、お会いした当時は相当参っていることがひと目みてわかって。
話す口調や声も疲れ果てていることを瞬時に理解いたしました。
その時は愚痴大会+αで終えました。
でも。
あの時、私は友人の心に本当に寄り添えたのか?
そう思う自分がいます。
前述した後輩さんも、同じ感覚を抱きました。
聞いてくれるだけで良い、彼女はそう言いました。
そう言ってくれるのは、純粋に嬉しい。
嬉しい、でも、本当にそれで君は良いのか?
もっと話したいことが、あるんじゃないのか?大丈夫というけれども、何を以て大丈夫と言うんだい?
これは、私が思っていた以上に冷徹なのに深入りしようとする嫌いがある、ということに起因する結果が齎したものだと考えています。
元々、人とは何かが違うと感じ生きてきました。
原因を突き止めるべく死物狂いで……それこそ、簡単に同意など得られないとわかっていながらも……調べに調べを重ね、私なりに噛み砕いて咀嚼して。
得られた結果が、HSPやHSS型HSPでした。
病気でない以上、診断そのものは当人でしかできません。喩え一時の感情や考え方に巻かれる形でHSPという結果に行き着くことも十分あり得ることだと思います。
しかしながら、少なくとも、という前置きを置かせていただけるのなら。
HSPを決定付けるとされる「DOSE」をほぼ満たしています。
興味があることには積極的に話していくのに、そうでないものには「うんうん」と曖昧な相槌を打つことが最早私の中では当たり前になって参りました。
両極端な事象を受け、結局捌き切ることができなかった私は、所詮その程度で中途半端な奴なんだなと思い今に至ります。
表面だけ良く見せて、裏では「興味のないことなどどうでもいい」。
相反する姿勢を見せ続けていく内に、私のような人間は一番タチが悪い半端者であることを自覚して、この記事を綴っています。
数年前に耳にし、今も耳を離れず独り聞く曲があります。
転載すること自体ご法度ながらも、承知の上で載せさせていただきました。
歌詞の中で、特に印象的だったものは。
「生きる意味なんて見出だせず、無駄を自覚して息をする」
「「寂しい」なんて言葉で この傷を表せていいものか」
「そんな意地ばかり抱え 今日も一人ベッドに眠る」
続けます。もう、今の私には止められません。
「自分が死んでもどうでもよくて」
「それでも周りに生きて欲しくて」
「矛盾を抱えて生きてくなんて 怒られてしまう」
……そう思って、何が悪い。
「「正しいものは正しくいなさい」」
「「死にたくないなら生きていなさい」」
……善を被った、脅し文句。よく言われました、中学時代に荒んでいた私は。
「悲しくなるなら それでもいいなら」
「ずっと一人で笑えよ」
悲しいと思った、虚しいと思った。
それでも良い、もしくはどうしようもない時は。
喩え励まされる言葉であったとしても。
そう言ったてめぇが、一人笑って過ごせよ。
年末を前にした言葉が、私の仕舞いになることは変わりません。
幾ら汚かろうが、下衆だろうが。
優しさを、最後まで理解できなかった、私の思いの全てです。
今回も。
今年も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
皆様、どうか。
良いお年を。
【車・趣味】曇りなき霊峰に想いを馳せて ~限りなく広がる空と、見下ろす街並みが心を洗い流す~
今シーズンの冬は例年以上に冷え込む、と予想されていました。
予報通り風が5m以上と強く吹く日も少なくなく、日が暮れ数時間後に帰った自室が10℃を下回ることがざらになってきております。
一方で晴天率の高い地に住む身とは言え、雪が積もるどころか被った程度で済んでいるのは、今日まででたったの一度きり。それよりも怖い路面凍結は、今の所ありません。
今年はもしかすれば、寒害や雪害は多くないかもしれない。胸を撫で下ろしながら、他方で地震や他国での噴火といった災害が顕在化している現実があります。
かつて体験してきた大地震、水害、大雪。
そういったものが単なる杞憂であることを胸のどこかで思いつつ、雨降る音を背景音にしながら静かな夜を堪能しております。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
前日研修が夜勤に重なってしまったことで、急遽お休みが増えました。
研修そのものは言及するまでもない内容でしたが、連休となったことで伊豆の地を訪れ、この記事を書き連ねています。
時系列的には前後するだけでなく、本来なら続く内容になりますが、一旦旅行記を締める意味も込めて富士を巡る旅行記を終えたいと思います。
前回の翌日、新たに加わった方との交流を経ながら富士を拝み。
そこから見下ろす街並みのこと、相も変わらず威厳を誇る富士。
そして、旅を終えてから愛車に関わる衝撃的な事実を知ったことを、綴って参ります。
新たな出会いと共に向かう、伊豆スカイライン
明くる翌日、この日も雲は多めながらも晴天に恵まれました。
秋らしくも冬らしい、生物の終わりを遂げる匂いを感じながら。
乾き切った空気が、煙草を吹かす喉に染みて、思わず噎せ返る陽気。
この日はたーぼぅさんと共に、伊豆の地を出、熱海にて初めてお会いする方と共に伊豆スカイラインへと向かうことになっておりました。
その方はケモノの着包みを纏う一方で、熱海の地がこの上なく好きで堪らないと仰る方でした。
たーぼぅさんは何度かお会いする機会があったようですが、初めてお会いするというプレッシャーの中、その方を迎えることとなりました。
この出会いが、後に大きな発展を遂げることになるなど、知る由もなく。
しかしながら、当時の私は相変わらず、内向的で警戒心の強さを捨て切ることはできず。
何度体験しても慣れない緊張を抱えながら。
会った瞬間にでも仲良く接することができる人を羨ましく、一方で妬ましささえ抱えながら、合流を果たしました。
道中楽しめたか、と言われれば嘘になります。
然れど向かった先に広がる景観は、私の詰まらない嫉妬心が如何に小さいことであるかを知らしめることとなるのでした。
伊豆スカイラインから見下ろす街並み
地理に疎く、未だに見知らぬ地で方向感覚が狂い居場所すらわからなくなってしまう私に、たーぼぅさんと初見の方に案内されるがまま車を走らせていました。
実は同乗した方は熱海の地がこの上なく好きと仰っていました。
山と海、島。それが凝縮された熱海の地が大好きで仕方ないそうです。
何度も熱海の地のみならず、伊豆スカイラインから伊豆の地まで熟知されていらっしゃいました。
運転している最中は警戒と嫉妬で一杯一杯な私でした。
終始無言のまま、車内には親しんだ会話が響きます。私は、それを聞き流すのに精一杯。
初対面の相手に対し、敵意に似た無言を貫く自分の姿勢は、本当に無粋ですし大人げないな、と自ら嫌悪することしかできずにいました。
しかし、そんなことは。
熱海の街並みを背景に駆け上がり、伊豆スカイラインに入り混んだ後のことでした。
とある場所から見開かれた風景と、見下ろす街並みを見た途端に。いつまでも私を掴んで離さない思いや行動指針が、如何に詰まらなく矮小なものであるかを思い知らされることとなりました。
否、そんなことさえ考えることも忘れ去ってくれる、寛大さとも偉大さとも呼べる景観が、そこには広がっているのでした。
辿り着いたそこは、熱海日金山霊園。
霊園の名の通り、亡くなった方のお墓が並ぶ、神聖な地。
一方で車で乗り込む反対側からにはロープウェイが走っており、更に敷地内はドッグランもあることから、公式でも「行楽での利用にも最適な場所」と謳っている程です。
内勤族である私にはキツい、両足が悲鳴を上げる上り坂の先には。
草木の緑と青空、遠方の山々が溶け込み合う、厳かでありながら柔和な空気が流れていました。
晴れ渡り日差しの厳しさもありましたが、季節に似合う涼しげで静寂な雰囲気に包まれておりました。
更に歩を進めた私たちは、ロープウェイの最終地点であり展望台になっている場所に行き着きました。
四方はおろか、八方が開け、方角ごとに見下ろす先には人々が住み行き交う街並みの景観を拝むことができました。
ここは旧地名が書かれたプレートが埋め込まれており、条件が揃えば各地を見下ろすことも可能のようです。
伊豆・駿河・遠江。現在の静岡県。
甲斐。山梨県。
武蔵。東京都、神奈川県、埼玉県の一部分ずつを総称していた地。
相模。神奈川県。
安房・上総・下総。千葉県。
信濃。長野県。
旧地名の数から十国峠と呼ばれています。
現代においても場所によってどの地名が取り上げられるかで違いはありますが、旧地名が語源になっていることを示していることがわかります。
歴史に疎い私ですが、江戸時代から明治黎明期に渡って語られた各地の古称。個人的には、現代の県名よりも惹かれる不可思議さを持っていると信じて止まない自分がいます。
その実は幼少期の頃。ファミコンの「くにおくん」シリーズの「時代劇だよ!全員集合」というゲームを夢中で遊んでいた時期があったことに起因します。
小さい頃では理解していなくても、(ここではゲーム内容に準じた表記をいたします)「するが」「こうづけ」「りくちゅう」「えっちゅう」といった日本の旧地名を巡りながら敵を倒していくという内容でした。
それぞれの地名に沿ったマップ、その地に愛される盆踊りや民謡音楽をアレンジしたBGMは、何十年過ぎた今も耳に残っています。
そんな些細でありしょうもない記憶が、まさかこのような地で彷彿することなど想像することもなかった私は、先程までの緊張を忘れ思わず舞い上がっておりました。
今回初めてご一緒した方(以下、隊長殿)との会話も自然と弾むこととなりました。
話を少しずつ、然れど確実に広げながら、見下ろす街並みをカメラに収めていきます。
確かこちらが、熱海方面だったはず。
……方向音痴+地理苦手で泣けてきます。ココドコー?
HDRを効かせて、もう一枚。少しシャープになり過ぎたかもしれませぬ。
風景を楽しむ暫しの時間の後、場所を移します。
この日の最終目標である、富士山を収められる場所へと。
唯只管、鎮座し日本を見下ろす霊峰
霊園を後にし、車で十数分走らせた場所。
入り口が少々入り組んではいましたが、広い駐車場と開けた草原が広がる地に、私たちは降り立ちました。
先程の霊園よりも海側により近く、熱海はおろか伊豆半島さえも垣間見ることも叶いそうな地。
まずは、海岸に向かって何枚か。
初秋ということもあり、大地に茂る草木は青々しさと土の匂いを残していました。
その先に見える海も霞むことなく、蒼穹の空とは違う青を魅せています。
登った距離で言えば大したことはないのに、標高では700mを超えているそうです。
普段山間部で暮らす私には、目の当たりにする景色そのものが不思議でならない造形であることを覚えています。
それでは、反対側へとカメラを向けます。
天辺は流れ雲に覆われているのか、それでも雄大な富士山は微動だするこなく鎮座していました。
ここから数ヶ月もしない内に、雪を被り白く染まる直前。地元の方や見慣れた方からすれば珍しくないものなのかもしれません。
しかし、私には。
富士という霊峰は、地元の山と同じ。
否、一層深い思い入れがあります。
以前も紹介したかもしれませんが、既に数年前のこと。
車を持つことは地元事情として仕方がなかった、という強制感がある中で、外に出ることを嫌い人と出会うことを格段嫌っていた私という存在そのものを変える出来事があったからです。
まともに県外に出ることもなかった私が車のオフ会に参加したことを契機に、初めて伊豆のちを訪れた際に撮影した相棒と富士。
この時もまだ、私は親しくなったと思える……いや、違う。
親しくなりたいと願った人でさえ、疑って。疑いの奥に裏切られることへの怖さと。
もう一度裏切られるようなことがあれば、もう世の中とさようならしても良いよな、という独善的な考えが支配する中。
たーぼぅさんが紹介してくださった伊豆の西の地で、相棒と富士を撮影できた、私の中では奇跡の一枚。
今でも、この写真を超えるものは私の中では存在しません。
相棒は人間不信だった私を、様々な人との縁を結びつける縁結びのような存在になってもいました。
言葉では書き切れない程の、裏切り裏切られを繰り返してきた私にとって、許されるのだろうかと思える程の縁を、この子は齎してくれました。
必ずしも楽しくて幸せだけではありませんでしたが、苦くて後味の悪い思い出も含めて。
もう一度、相棒であるこの子と富士を収めたいという思いに刈られて、何枚かシャッターを切りました。
まずは手軽に、相棒を数枚。
晴れ渡る空にも、曇り空にも、チタニウムフラッシュという地味で渋いと評価される色合いが似合います。
最後に。
本当は愛車だけを入れたかったのですが、他の来訪者もいらしたので、そこは妥協。
遠目ながらも、富士の元に停まる相棒を収めることができました。
しかしながら、どうしてでしょうか。
楽しい旅行が、ストレスを発散する旅だったはずなのに。
人を撮ることは元々嫌う私が、それでも景色を撮って満足しているはずなのに。
なのに。
いつもどうして、文章にできない想いを抱えてしまうのだろう。
穢れ切った世の中や社会、会社で積もり積もったものを洗い流して。
それで満足すれば良いのに。
私は、何でいつまでも、想いを馳せるだけで留まらないんだ。
虚しさにも似た感情を抱えるんだ。寂しさなんてわからないのに、もどかしさのようなものが胸に詰まるんだ。
感情なんて、ない方が楽だってわかているのに、どうしてなんだよ。
カメラと共に視線を下げ、勝手な思いに浸る私に、友人の声が掛かり我に返っていました。
声の方向を向いて、最後に一瞥するように霊峰へと振り返りながら。
また会った時、私をどう迎えてくださるのかな……?
微妙に湿って歪んだ視界で富士を見、その後私たちは旅を終え街へと降りていくのでした。
この旅は、ちょうど職場も変わり精神的に不安定な時期でありました。
たーぼぅさんのお誘いの元、安定を求めて向かった先で、全景と言えずとも邂逅した富士。
今回の旅でも、新たな出会いがあり。
一ヶ月もしない間に、大きな出会いを齎すこととなりました。
それはまた、別のお話。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】初秋を味わう旅・芒と富士編 ~秋風に吹かれ、靡く景色~
師走ですね。毎日寒い日が続いておりますね。
新型コロナに始まり、終息に向かいつつあると思い始めた矢先に新たな変異株の出現。一年の終わりまでまだ一ヶ月あるとは言えど、2021年もコロナに始まりコロナに終わる、そんな予感がしてなりません。
とは言え、秋以降から人流が活発になり始めたということは、パッと見て良い傾向にあると思います。
が。
新幹線、旅行バッグを持った年配者多くありません?
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
世間ではネット上でもブラックフライデーという名目で商業作戦を展開し、消費者にお金を落としてもらうことが、すっかり常套となったようです。
皆さんも、何かお買い求めされましたでしょうか。
私は少し借金気味になる程度に買い過ぎました。買い物依存症かも……
さて、今回は次回の続きを綴って参ります。
既に12月に入ってしまいましたが、初秋を味わう旅路。
芒野と晴れ渡る空の元聳える富士山を拝んだこと。
新型コロナの蔓延ですっかり忘れ果ててしまいかけていた、自然の美しさに触れた旅路を、書き連ねていければと思います。
忘れかけていた、旅への想いと熱望
朝を迎え、私は久しく深く眠れた満足感に覚えながら目を覚ましました。
日を遮るカーテンを開けると、広がるは雲ひとつ無い伊豆の朝が広がります。
肌寒いことはわかっていながら、私は徐に窓を開け、そして煙草に火を点けました。
煙草の煙と共に、程よく冷えた朝の空気が肺を満たしていく。
地元では窓を開けて寝れば風邪を引くこと待ったなしという季節に差し掛かっていたこともありましたが、それでも湿気もなく澄み切った空気は見に染みていきます。
何故か、久し振りという名が付く思い出の数々のようなものが脳裏を掠めていく中、深く吸った息を紫煙と共に吐き出しました。
二口、三口目立ったでしょうか。
遠出して、出社にも身内にも縛られない自由な朝。
当たり前に漂う大気でさえ、どこか、懐かしさを抱く感覚。
人を嫌い恐れる余りに、殻に閉じ籠もっていた私が。
車と出会い、同じ趣味を通して仲間というものをもう一度知って。旅することが好きに魅了された、この数年間。
新型コロナが、それまで当たり前だったものを全て壊して壊死させ、良い意味でも悪い意味でも全てが新鮮に思わせるようになった世の中が過ぎ去る中。
たった2年であったコロナ禍は、大きな傷跡と影響を残し、今も尚災禍を振りまきつつあります。
それでも私は、また帰ってこられた。
会社での飲み会が中止され、人との交流が強制的に隔絶される世間体。私はそれを歓迎さえしていました。
然れど、一方で。身勝手な理由でも、やりたいことを。
自分がしたいと思える時間に、また戻ってくることができたことを、心のどこかで喜んでいる自分がいたことは事実以外の何ものでもありませんでした。
思わず口元を緩めた私は、寒気を帯びる外気に向かって、再び紫煙を吐くのでした。
揺れる芒、動かぬ富士
この日はたーぼぅさんと共に、芒と富士を撮りに行こうと車を走らせることになりました。
夏場はともかく、伊豆や熱海は地理的に雲が発生しやすく全景を撮るには真逆の方面から撮影を試みた方が良いという話を、これまで何度か耳にしておりました。
言い換えれば、何時間も掛けての移動を伴うことを意味し、更に天候が良好という条件が重ならなければ無駄に終わる可能性すらあるということでした。
ならば、ということで。
構わず、雲隠れし易い近場から富士を拝めることに賭け、たーぼぅさんの愛車と共に出立しました。
悪天候に見舞われた例とし、過去の記事に載せてあります。宜しければご覧いただければ幸いです。
互いの、日頃から募る疲れから出発をギリギリまで遅く調整し、時間を掛け、伊豆スカイラインを目指し登っていきます。
天高く登る陽の光が肌に刺さる感覚が、友人の愛車の中で他愛も無い話しで盛り上がることが。
つい先日であったかのようにも、何年も昔であったかのようにも感じられる不思議な思いに駆られながら、私たちは撮影場所にピッタリという場に到着しました。
夏至から三ヶ月経とうとしているこの時は、夕暮れまでの時間を自ずと早めていました。標高も軽井沢並に高いことも相俟って、吹き付ける風が体温を否応なく奪っていきます。
そんな条件だったからでしょうか。
芒を下に、木々の合間から見える富士は雲を被ることなく、その威厳を漂わせる姿に巡り合うことができました。
少し引き目にし、もう一枚。富士山は霞んでしまいましたが、日を受け朱に染まる芒を収めることができました。
花札にもある芒は、秋の代名詞。人を惹き付けるような花を付けることもなければ、色彩は地味な植物です。
ですが、これから冬へと向かっていくことを象徴するかのように真っ直ぐ立つ芒は、個人的にはとても惹かれます。
喜劇よりも、悲劇。冬から春へ、春から夏へ向かう緑陽のような勢いはありません。
元気付けられる印象は希薄で、哀愁を思わせる雰囲気。
もう数ヶ月もすれば、今年も終わりか。
そう思った時、風が吹きました。
風を受け靡く芒の音だけが、静かに辺りを支配していました。
乾いた音。余りにも無味で、然れど同じく乾燥し切った心に、いつまでも残響が木霊するような感覚は、今でも覚えています。
人がいない場で、初秋を堪能する時間。
内心燻ることが多かった精神に、妙に染みるものがありました。
そして好例の愛車撮影。たーぼぅさんの愛車こと「Camino de Esperanza(希望の道、の意)」は夕日を受け、純白のボディが一層輝きを放っていました。
私の相棒と、ほぼ真逆の色と名を持つこの車。パワートレイン(主動力)からボディ形状も違うのに、車内は違和感なく快適で力強さと靭やかさが光る走行性能を持っています。
この車に、オーナーであり友人たるたーぼぅさんに、私は果たして何度救われたことか。
その恩返しにもなりませんが、翌日は我が相棒を出すことを約束し、この日は別れることとなりました。
まだ見ぬ富士の絶景地がある。
その言葉を耳に残し、移動先のホテルの床に着くのでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】初秋を味わう・熱海の夜景編 ~新型コロナが蔓延しても、変わらぬものを求めて~
自室や愛車の窓に、朝露に濡れる日が増えて参りました。見ているだけならば寒さの訪れ、四季の移り変わりを感じる一場面です。
少し前まで、愛車のフロントガラスにサンシェードを装着することが必須だと思っていた矢先、今では結露を拭う為にワイパーを動かすとガラスが一気に凍り付いてしまいます。
雪の心配はないとは言え、路面凍結の可能性が否定できなくなったことを鑑みて、一気に所有する三台の車をスタッドレスに換装いたしました。
空気圧も各々にやってもらい、これで一安心。
安心と引き換えに、腰と背中がとにかく痛ぇ。
いつの日か、身体のガタを言い訳にタイヤ交換も億劫になる日もあるかもしれない。
でも今は、私の生き様そのものを変えてくれた。
否、もっと単純で純粋な思い。
車を通して、様々な人と出会ったことで人生が変わったと言っても過言ではない。
何よりも、純粋に、車がというものが好きになったから。
余程身体が言うことを聞かなくなってしまわない限り、車に尽くせることは尽くしたい。
愛車は勿論。
身内の脚になる限りは。
それでも、ァラフィー前の腰は今も引かないながらも、職場と実家を行き来する毎日を過ごしております。
頑張れ私。
はい皆さん、こんばんは。
話は全く変わりますが、銀軸のメカニカルキーボードを買ったはいいものの感度が良すぎて誤字脱字の嵐に飲まれ勝手に泣いている【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
タイピングの軽さを最も重視してきた私ではありますが、パンタ式のものがどうしても軽過ぎる。そして贅沢ながらもタッチ音が安っぽいと思うようになって以来、思い切って初となるメカニカルキーボードに手を出してみました。
感度が良すぎるものの、一昔前の業務用ワークステーションを思い出させるかのような、カチャカチャと喧しい程のタッチ音が部屋中に響きます。
人によっては五月蝿いと感じるかもしれません。しかしながら個人的に、打ち応えの感覚といかにもメカメカしい音、惹かれるものがあります。
音に敏感ながらも、好意的な音と申し上げれば良いのでしょうか。
妙な表現にはなりますが、どうやら私は、機械的な音にフェティシズムがあるようです。
下記のものが、試しに購入し使わいつつ使われている品です。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07GP7JXQY/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o09_s00?ie=UTF8&psc=1
さて、前回の記事では旅行記について久しく綴りました。
実はその約一ヶ月前に、伊豆と熱海を目指し愛車を走らせておりました。
その時は緊急事態宣言真っ只中、新型コロナウイルスのワクチンも一度目の接種を終えた頃のこともあり、公にすることを躊躇い記事にすることはやめようと考えていたものでした。
しかしながら。
旅に出た事実は事実。
隠すことはできても、なかったことにはできないこと。非難されようとも、弁明の言葉などはございません。
前置きが長くなりましたが、今回は前記事の前日談となった、初秋を味わった旅路について綴って参ります。
これまで何気なく見てきた風景や情景などが、また違った視点で、角度で見えたことも、併せながら。
積もりに積もった欲望のままに車を走らせた
一時は新型コロナウイルスワクチンについて、先進国中でも接種効率の悪さを指摘され「後進国も同然」と皮肉られた時期もありました。
ですがここに来て、地域差はあるももの、それでも現在の日本は二回目接種完了値が大方七割を超えた、とのこと。これは世界中の国々の中でも上位に位置してきている、というのがマスコミ各社からの情報のようです。
相変わらず報道機関は掌返しが巧み、流石マスゴミと揶揄されるだけある。
然れど事実、公表される情報を見る限りでは「少なからず」これまでの日常が取り戻りつつあります。
人によっては、一応の指標となる感染者数や重症患者数を見て楽観的になるのが、或いは普通なのかもしれません。
これまでの状況が、目も当てられない程だったことを踏まえれば。
現に公共交通機関は日に日に利用者が増え、新幹線も満員御礼に近い状況を目の当たりにしております。
私はと言えば、そのような世間の評価は然程気にすることなくここまで過ごして参りました。
出掛けたいと思えば出掛けていましたし、お誘いがあれば便乗してきました。それが善悪で判断されても、気が向けば車を走らせて。
逆に気が滅入って身動きが取れなくなっていた時は、部屋に籠もって充電する。
飽く迄、私の行動指標と意志に。
もっと端的に申し上げれば、生きる上での自分の正直な思いに沿って過ごして来ました。
それが、いつの日か少なからない変化を齎していることに気が付いたのは、本当につい最近のことです。私も自分に問うても理解できない、理屈では説明できない衝動が根付いて発芽していたのでした。
十数年、いつも自分の中に閉じ籠もって、自分と向き合うことで安らげればそれで良いと信じて疑わなかったのに。
独りでも構わない。とにかく、他人に塗れた世界から離れたいと信念の如く抱いていたのに。
外の世界に向かって自ら進んでいくこと。出会いを通して親しい人との時間を、もっと過ごしたい。大切な思い出として残したいし、浸りたい。
度し難い想いが膨れ上がって、無理やり破裂させることなく従うようになっておりました。
度し難いと言いながら、本当は脳裏に、胸裏に浮かんだ……欲望と表現すれば良いのでしょうか。
そのようなものを時々抱きながら、他人と会い合わせなければならない嫌気を言い訳にして見て見ぬフリをしてここまで来てしまったことは、恥ずかしながら事実です。
然れど、本当にここ数年で、私は抑圧に似た感情と正直さを抑え切れなくなくなっておりました。
新型コロナの蔓延という事実を突き付けられ、私の想いはより顕在化し反抗心すら覚えるようになっていきました。
喩え世間体で非難されようが。
身内に被害がでなければ、それで良い。身内に感染者が出た時は、何とかならかろうと全力を尽くす。
それが論理的でない、論理で言葉を並べても説明がいかない、純粋な我儘であっても。
我儘を振り切った欲望を抑え切れぬまま、私は愛車を走らせました。
愛車と共に旅を続けたいと心に刻んだ、伊豆の地を目指して。
写真は数年前。車に疎く、今も浅い関係を嫌う私のような者を認めてくださったたーぼぅさんの前相棒と共に撮影したものです。
一度は夜景に魅了されて、揺らいだ意志
この日は伊豆を拠点にしながら、車で一時間で訪れることができる熱海を満喫しようという趣旨の元行動いたしました。
一足先にホテルに着き、久方振りの旅路を部屋の中で振り返るかのように堪能する私。
道中の疲れから、ベッドに横になりながら。
友と会えることに破顔していました。
本当に共感云々を記載するような人間か?と下らない心情の元。
すっかりお世話になりっぱなしの「たーぼぅ」さんが迎えてくださいました。
お仕事ですっかりお疲れの所を、毎回頼ってばかりの私を拾い上げていただきながら、目指すは熱海の夜景。
記事にすることはしなかったものの、以前載せたもの中に熱海を訪れた際の写真を載せたものがあります。
上記の記事、最後に載せた写真が熱海市街近くを通る遠ろを収めたものです。
たーぼぅさん指導の元、通り過ぎる車を加味しながら夜の市街地撮影に挑みものにした一枚です。
この写真を撮った当時、生き方だけでなくブログの運営方針にも悩んでいました。
いいのか?
人と、しかも誘われて計画も禄にしない人間が。
しれっと旅行記と名付けて綴って。
満足か?お前は、それでいいのか?
葛藤。己に対する疑念。そして雑念。
この頃から、本気でブログをどうしていこうかを悩んでおりました。
一方で。
正直、似たような旅行記を書く位なら、無理して書く必要もないのかな、なんて思って。
かと言ってこれまで軸としてきた精神的、心理的なものも書き続けたとして。
果たして誰が興味を持ってくれるのか。
自分よがりの文章なんて、所詮自己満で終わる。
なら……。
自問自答を通り越して、憶測を超えた自己疑心に囚われていた時期でもありました。
言い訳がましいことは、素直に謝罪いたします。更新が滞り始めたのは、ちょうどこの頃です。
元々熱しやすく冷めやすい性格も相まって、本当にこの時期から思いを言葉にすることがすっかり億劫になっていました。
それでいながら、筆置きかけている自分が、自分で許せなく遣る瀬無さまで感じ始める体たらく。
他のブロガーさんたちが記事を着実に積み重ねているのに、私は、何をしているんだろう。
顕在化していなかったとしても、今思えば相当のフラストレーションを抱えていました。
それを変えてくれたのが、たーぼぅさんの何気ない気遣いと計画でした。
塞ぎ込んでいた私を迎えた、熱海の夜
迎えた夜は、風もなく穏やかな陽気でした。
夕飯を軽く摂った私たちは、熱海の街を見下ろせる場所へと向かいました。
過去一度、混雑と誘導員の態度に嫌気が刺し早々に後を去った、熱海城です。
熱海の夜景を見下ろせる場として、若気有り余る若者たちがいる中、私たちはひたすら夜景撮りに勤しむこととなりました。
ちなみに上の写真は熱海城と月を写そうと試みて見事に失敗した良い例です。月小さすぎるよ。
さておき、振り返ると。
建物の灯りと車道を走る車たちが魅せる風景が広がっていました。
雰囲気を変える為、色を調整してもう一枚。
以前も書いたかと思いますが、本来夜景を撮影するにはカメラを固定しなければ上手く撮ることができません。
この日は三脚を持ち忘れていたため、手すりの支持柱にカメラを置き、半ば強引な形で夜景に適した設定を施した上で撮影を強行しました。
熱海は、山・海・島が凝縮された土地であると聞いたことがあります。このような地形が集結する場所はそう多くなく、魅了される人も少なくないとのことです。
山国育ちの私には、そのような見方から見れば新鮮以外の何物でもありませんでした。まして、青春真っ盛りなカップルがいたことを差し引いても、カメラのシャッターを切り取り終えた一枚一枚を見ることは快感そのものでした。
どうやら私も、固定概念のようなものにすっかり纏わり付かれ、そこから脱することができなくなっていたことにようやく気付くことができました。
写真でご飯を食べている訳じゃないのだから、せめて、自分が満足できる写真を。
これ良いな、と思える一枚を撮れれば、儲けものだろ。
全てを新型コロナの蔓延にも、それに惑わされ困惑した世間に押し付けるつもりは毛頭ありません。
しかしながら。
熱海市街、そして秋の空気漂う夜空に浮かんだ月を見て思いました。
仕事でも何でもない、趣味の域すら出ない。
なら、どんな写真を撮っても良いじゃないか。
それが、旅の思い出になるのなら。
ここに来て、やっと義務感のようなものから開放されたような気分に浸り、愉悦できるようになれた気がしています。
世の中の人々がどう見ようが、変わらないものはある。
私が求めたいものは、人々との批評などではない。
自分が良いと思った写真を撮ること。それ以前に、その場に赴き気の知れた友と語らいながら過ごすこと。
それが、私が本当に求めるそのものなんだ。
余りにも久しぶり過ぎて、一般論や固定概念に塗り潰されそうになっていた、私自身の考えや思い。
やはり、私は屁理屈や同調論で縛るような考え方には賛同できない、面倒で曲者のようです。
然れど、私は満足することができました。
自分の生き方を、価値観を、趣味趣向を曲げない大切さを思い出すことができたこと。
そしてこれまで馴染みが薄かった熱海の地を巡り、最後は夜景撮影に至ることができたこと。
世間一般的な考えに、或いは歯向かうような姿勢を見せる生き方も、必ずしも悪ではないと確かめられたのだから。
熱海城を後にし、来る次の日に向け、私たちは別れ眠りに就くのでした。
続きは、また新たな記事として纏めたいと思います。
ここに来て交代勤務に就くことが決まり、更新が更に滞るかもしれません。
しかし私の意志としては、ご閲覧してくださる方がいること。私なりの考えに共感していただける方が一人でもいらっしゃるのであれば、一番の幸いなことと思う次第です。
今回も最後までお付き合い、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
P.S MAN WITH A MISSIONのような狼の被り物が欲しい