六畳間のアパート

手荷物は嘘以外の気持ちと少々の自信過剰

月80時間残業していた鬱病フルタイムワーカーが自転車復帰した話

黒糖です。

今年もロードバイクアドベントカレンダーに参加させていただきました

adventar.org

 

昨年の記事

rem1eye.hateblo.jp

 

今年は社会人3年目ということですが、結局社会人生活と自転車競技の両立の話になってしまいました。

やっぱり社会人生活と競技・趣味の両立は永遠の課題ですね....。

 

目次

 

はじめに

筆者の話を少しだけさせてください。
私は黒糖いろうというハンドルネームでTwitter拠点(?)に活動をさせていただいている
ホビーレーサーでございます。
年齢は本日で25歳、社会人でいうと3年目です。
ホビーレーサーといっても、怪我と過労でなかなか自転車に乗ることができず、という状況が続いておりました。


今回は、この「過労」と、その中で自転車を続けようとする葛藤についてお話できればと思います。

ものすごい自分語りになってしまいますが、同じく環境にいる方の胸に届いてほしい一心でこの記事を書いていきます。

 


過酷な労働環境って、どんな感じ?

また筆者の話を少しさせていただきます。
私の労働環境ですが、定時8時~17時で、デフォルトで時間外労働が45時間、多いときだと70時間が3ヶ月続くこともございました。

ついでにいうと怒鳴る、ミスした場合晒し上げされる、人格を否定されるような暴言を吐かれる等々パワハラもすごく、おおよそこの世の地獄に近い環境でした。


その中でも1日の流れをタイムテーブルに起こすと、

 

 

1日2時間残業の場合
7:00 起床
7:20 出発
8:00 始業開始
19:15 退勤
19:50 帰宅

 

1日3時間の場合
7:00 起床
7:20 出発
8:00 始業開始
20:20 退勤
20:50 帰宅

 

1日4時間の場合
7:00 起床
7:20 出発
8:00 始業開始
21:20 退勤
21:50 帰宅

 

 

このようなスケジュールになります。

正直いうと、ここから自転車やるのは結構骨が折れるというか、
練習方法は考えないといけないなぁという感じでした。

 

もちろんこれ以上過酷な環境で労働されていて、その中で自転車を続けていられる方も多数いらっしゃいますが、僕はそこで頑張りすぎて心が潰れてしまいました。

心身ボロボロな現状から立ち直って今、どのように練習しているのかお話したいと思います。

 

 

1.転職をした

まずはこれが大きいです。(いきなり?)(身も蓋もない)

日々2~4時間残業をしており、これをしながら自転車競技を行うのは非常に難しかったです。

 

最初からホワイトな会社に入れたのならここまで苦しむこともなかったのに、と思うのですがそうもいかなかった...。

これは持論ですが、最初のキャリアがブラックな環境であれば社内配転を祈るか、諦めてキャリアアップ全振りするのが吉であると思います。

(まぁ、それを両立をするすごすぎる男たちもいるのですが...少なくとも僕には無理でした)

(そもそもキャリアアップはできたが、精神の大きな負傷を負ってしまったが)

 

2.転職先はライフワークバランス最優先

ありがたいことにキャリアアップはできましたが、会社選びの軸はOpenworkによる残業時間を基準として選択いたしました。

多少給料が安くてもライフワークバランス、特にアフター5の時間の捻出にすべてをかけました。

自転車競技で大切なのは、やはりアフター5だと思います。

17時以降の時間をなんとか取ることさえできれば、どうとでもなると思います。

休日出勤が多少あれど振替休日さえあればトレーニングの調整をするだけですし、平日は基本的に早く帰ることさえできれば練習はできます。

 

「すべては定時に上がること」

 

この一心でやっております。

 

 

3.転職後の生活について

1.現職と前職の間に死ぬほど休む

もう、24時間寝ていたといっても過言ではないくらい寝ておりました。

たくさん寝て、とにかく回復最優先でいきました。

たくさん寝て、気が向いたときに食べる。を続けていたら気持ちは少し楽になり、1ヶ月もしたら自転車に乗れるようになりました。

ただ、いきなり乗るのはどうしても厳しいものがあり、最初は2kmくらいから始めました。しかもクロスバイク

少しずつ距離を増やし、寝て、その日できたことを指折り数える日々。

苦しくご飯も取れない時はプロテインとレンチンのうどんで凌ぐ、みたいな感じでした。

それでも心の中にあるのは「やっぱり自転車乗りたい」という気持ちでした。

その気持ちだけが、細い灯火になって支えになっていました。

 

 

2.車に自転車とバナナを積む

転職先はライフワークバランスを最優先で選んだため、基本的に定時であります。

ただ、帰って飯食べて着替えて...ということをしていると退勤時間が17時であっても19時スタートになることが常です。

とにかく練習ボリュームを確保するために行ったのは、車に自転車を積んでの通勤です。

常に後部座席に自転車とバナナを積んでいる状態です。

もちろんウェアやシューズ、心拍計も。

そのまま練習コースまで車で行き、練習して帰って飯食って風呂入って気絶、という黄金ルートを構築しております。

 

また、ウエイトトレーニングも取り入れているので、常にウェア関係は車に積んであります。

 

モチベーションに左右されない、「やらない日を作らない」こと最優先でやっております。

もちろん突発の残業もありますが、そういう日は仕方ないとして1ヶ月の練習予定はだいたいクリアできております。

これは車通勤である人、皆さんにおすすめできるので是非取り入れていただきたいものです。

 

3.Google Calendarに練習内容を登録する

Google Calendarに日々の練習予定をつけ、基本的にそのように従うように続けてきました。

これ、結構バカにならなくて予定が入ってると「やろう」という気持ちになれます。

仕事の都合や体調が悪いときは仕方ありませんが、その時は適宜リスケジュールしてカレンダー通りしたがって練習を続けております。

 

 

4.もう若くないので「続ける」ことを最優先

続けること、これに付きます。

練習も自分が続けられる強度、頻度での練習を意識しております。

例えば、練習も1週間でみるのではなく3日1休のペースを続けております。

初日:高強度

2日目:中強度

3日目:低強度

みたいなイメージで組んで、これをひたすら回すイメージです。

 

怪我をすることで遠回りすることが一番ダメなので、節々が痛い場合などは必ず休むことを意識しております。

 

5.睡眠と整体について

睡眠はとにかく1日7時間は下回らないように意識しております。

たくさん寝る、睡眠は質よりも量であると思っております。

マットレスもじぶんまくら製の16万以上するマットレスにし、まくらも5万円するものに変更。

整体は毎週4千円するが通う、できることはとにかくする所存でございます。

 

6.で、結局戻ってきているのか?

戻ってきてはいます。

全盛期のFTP290Wには遠く及ばないものの、9月時点でFTP180Wだったが12月の今では250Wまで戻り、L5インターバルトレーニングを積めるほどになっております。

やっぱり怪我なく、ライフワークバランス最重視で、ライフワークバランスが取れない時は全力でやらない・やれない理由を排除するに限ると思います。

 

根性論というか、気持ちの部分がメインになって申し訳ませんが、やっぱりこれに尽きると思います。

ない時間は捻出して、絞り出して、戦って、それでダメならゆっくり休む。

これが3年目にして行き着いた答えでした。

 

同じく社会人という立場ながら全力で自転車という素晴らしい趣味に打ち込む同士たちに幸あれ。

 

【リタイア】掛川→静岡 100kmさんぽ【ウルトラ徒歩会】

黒糖です。

 

今回は2023年11月3日に行った自主企画「掛川→沼津 100kmウルトラ徒歩会」についてまとめていきます。

 

事の発端はTwitterのオタクと100km歩くか、という話をしていたところから。

企画自体は2022年4月に立ち上がっていた。

気温の関係上、春か秋に絞っており、2022年6月に行う予定だったが生憎の豪雨。

続く2022年9月は台風、2023年3月も豪雨。

もう雨が降っても歩けるようにレインウェアを準備して挑もう、と誓い備えた2023年9月は黒糖が休日出勤。

 

もう開催は永遠に訪れないかと思われていたが2023年11月、最高のカンカン照りの元開催することができた。

 

徒歩の神に感謝、精一杯歩くことを誓う。

 

いざ、尋常に勝負。

 

目次

 

1.ウルトラ徒歩会について

ブログのタイトルにあるウルトラ徒歩会という名前の由来についてお話したいと思う。

まず、徒歩会について。

今回一緒に歩いた友人や僕を含む6人組DJサークル「レムりん萌え萌え同盟」で不定期開催される旅行イベントのことを徒歩会と呼んでいる。

徒歩会は2021年7月に発足し、当初は皆、歩く気持ちをギラつかせ燃えていたのだが100km/hで移動する文明に触れてしまい以降缶チューハイ片手に10km程度の距離を5時間くらいかけて歩く団体となった。

ただ、その徒歩会の中でも屈指の武闘派である黒糖と、歩くのが好きすぎて1人で70km以上歩いてしまうオタクが「そろそろ本気で徒歩会したくね?」となり発足したのがウルトラ徒歩会だ。

 

ウルトラについては、当時黒糖はトレイルランニングにハマっており、トレイルランニング協会から定期的にメールで参加募集が送られてくる100kmウォーク、通称ウルトラウォーキングになぞらえたもの。

 

ちなみに、目標設定した100kmという数字はキリがいいからだったと思う。

単純に人力だけで100km歩いたらすげーおもしろだもんね。

 

2.目標設定

今回、僕が愛知県住み、後述する友人が千葉県住みということでおおよそ中間とされる静岡を舞台にすることにした。

その中でも、以前徒歩会で行って非常に楽しかった思い出のある沼津をゴールにしたら楽しそうだ、ということで沼津ゴールで100km逆算したところ掛川駅が該当した。

掛川駅スタート、沼津港ゴールの100kmを目標とした。

ゴール地点で死ぬほど海鮮丼を食べることだけを楽しみに歩く我々だ。

3.登場人物について

今回のウルトラ徒歩会、2人で行った。

順に紹介。

黒糖

御年24歳 趣味:ロードレース、ウェイトトレーニング

深夜0時に後輩を呼びつけ、120km先の長野県阿智村まで運転させて足湯に浸かることをライフワークとしている。

過去、トレイルランニングをやっており2年離れているが、まぁ100km歩くくらいいけるっしょの気持ちで臨んでいるため、前日もロードレースのトレーニングを積んだ。

また、前日にコスメティック田中の100kmを24時間以内に歩く動画を視聴し、100km完歩を確信していた。

 

かふぇくん

御年24歳 趣味:歩くこと

DJサークル「レムりん萌え萌え同盟」の立ち上げメンバー。

かれこれ4年の付き合いがあり、その昔は上野公園でヲタ芸を伝授した。

最近「エロ画像 おっぱい」で検索して1日が終わったらしい。

とてつもなく歩くことが得意。あと、顔からわかるとおり理系。

 

以上、この2人で歩いていく。

 

4.準備編

ウルトラ徒歩会に向けて以下の準備を行った。

1.SST(スウィートスポットトレーニング)

2.ウェイトトレーニング(スクワット、レッグプレス、レッグエクステンション、レッグカール)

3.カーボローディング

 

1つずつ説明していく。

1.SSTについてだが、色々と訳があり2年ほど自転車に乗れていなかった。

5月時点での体重も65kgほどであった。

乗れていなかった理由は主に持病のヘルニアと長時間労働にあったが、共に解決したためSSTを開始。

SSTは自分が出せる1時間のパワー(FTP)の88%~95%を一定時間維持することで心肺機能を向上させるロードレースの王道トレーニングである。

心肺ゾーンでいうと、最大心拍数の80%~90%を目安にするといいと言われている。

ロードレースの基礎はSSTであると4年前から信じてやまない。

 

2.ウェイトトレーニングについては、24hジムを契約し、週に1度トレーニングに励んでいた。

フリーウェイト→マシンという流れで、はじめはスクワットも20kgのバーでキツかったのが2ヶ月で60kgでセットを組んでもフォームが崩れないくらいにはなった。

また、スプリントの瞬発を意識してレッグプレスは高重量(200kgほど)を強く蹴り上げるようにした。

 

おかげで2ヶ月で体重は68kgほどになった。

 

3.カーボローディングは、マラソンや長距離サイクリングの前に行われる炭水化物の接種コントロール行為だ。

炭水化物をたくさん接種し、体内に大量のグリコーゲンを蓄えさせ、長時間動いても体内のエネルギーが切れにくくなるみたい。

実際のところ、1日米0.7合ほど食べているので今更カーボもクソもない。

 

と、いうように徒歩の対策は全くしておらず、普通に12月に控えるレースに向けたトレーニングしかしていなかった。

阿智村に連行している後輩からも「歩いてる場合じゃないですよ」と言われるほどにはいいトレーニングを積めていた。

もちろん徒歩をする上で最大心拍数の80%を出すことも、200kgのレッグプレスをあげることもない。

これらの筋肉が非常に重く、歩くのが大変だったことを覚えている。

 

ちなみに、12月のレースはこのブログを書いている日に休日出勤が入って出られないことが確定した。

 

5.掛川→静岡 50km

前置きが非常に長くなってしまったが、実際に歩いた記録を記憶を頼りにまとめていく。

決戦の日、2023年11月3日 金曜日。

1年半前より我々をスタート地点にすら立たせなかった豪雨なんてこの世のどこにも存在しないかのような、嘘みたいな快晴だった。

かふぇくんは前日楽しみすぎて眠ることができず、睡眠時間3時間とかで来ていた。

しかも往路の新幹線ではアニメを見ている。

そうか、強い人間ってこういうことなんだろうな、と。

 

一方で僕は準備万端。

前日はSSTをしっかり積み、そこそこの疲労感はあるものの7時間睡眠を取ることができた。

 

10時、ようやく合流。

我々はほどよく仲が良いため、定期的に2人で通話したり7月にも2人で岐阜・奥飛騨旅行に行ったりもしているため、久々に会う割にテンションがめっちゃ上がるわけでもなく、サラッと歩きはじめる。

 

出発時のツイート。ありがたいことに多くの人に応援していただけました。

この場を借りて改めてお礼申し上げます!

 

 

今更だが、今回の正確なコースとプロフィール。

遠征の際、グーグルマップの移動手段で徒歩のボタンを押してアホみたいな数字を見るたびに「誰がこんな距離歩くねん」と思っていたが、今、まさに自分が歩こうとしていることが面白くて仕方なかった。

 

このコースは高校生のころより行っている名古屋→東京1Dayライド 通称「キャノンボール初級」のルートと概ね同じであり、懐かしい気持ちと「自転車で登っていた峠を歩くのか...」みたいな気持ちが芽生えて鬱々としていた。

 

歩きはじめて1時間ほど経過。股関節部分(腸腰筋)に違和感を感じる。

歩く際、股関節主体になってこの68kgのワガママボディを動かしていたからだろうか、幸先が悪すぎるし24時間歩くのが軽く絶望的であった。

また、シンプルに暑くてワロタ。11月なのに25度近くあったと思う。

 

これは1時間ほど歩いた場所で見つけた「お子様連れが苦手」な飲食店。

ゆっくり動くからこそこういった街の細部まで見渡せるのは非常に楽しい。

自転車もロングライドであれば、こういうものに気づいて楽しめるが徒歩より気軽に止まれないし「おもしろいけど、止まるの面倒だからいいや」となることもしばしばある。

 

ちなみに、時速5km/hほどで歩いているため1時間経過しても残98kmとかで絶望感がすごかった。

自分の中の距離感覚は自転車のままなので「1時間20km」の定規で測ってしまい、98kmと聞くとあっちゅーまやなみたいな感じであったが、冷静に考えて徒歩である現状に絶望する。

 

しかも100kmと言いながら正確には102kmであったため全然進んでいないように見える。

このときから残りの距離を見ることをやめた。

 

いや、徒歩における1kmは12分ほど、今後時速4km/hほどまで落ちることを考えると30分以上のビハインドになる。

目標設定はしっかりしたほうがいいと思った。(あたりまえだね)

 

 

歩き続けること約3時間。

掛川市島田市の間にある金谷峠の頂上に差し掛かる。

峠の頂上に待ち構えるのが、最高の眺望ではなくラブホテルというのが味があっていい。

高校の頃より「いつかこのホテル来てみたいな」と思っているのだが10年経過しても縁がない、結構ほんとに行きたいホテルなのだが...。

 

ラブホテルを眺めるかふぇくん

金谷峠を下ったところにあった大井川大橋
全長1kmで歩くには長すぎた

画像

4時間半ほど歩き平均速度は4.6km/h。

結構歩いたな、というところ。臀部の筋肉はかなり張っており、いい感じの疲労感。

自転車でいうところの2時間レース後みたいな筋肉の疲労感。

その割に心拍は常に100bpmを下回っているため変な気持ちである。

 

ちなみに、この時点での残距離は81km(結局残り距離見てるやないかい!)

 

 

 

画像

6時間経過時点の距離。

場所でいうと藤枝の中心街に差し掛かったところ。

 

もうこの時点で結構疲労しており、残り18時間あることに比喩ではなく絶望し涙を流していた。

ドカっと休憩するほどの余裕もないため、精神的にも肉体的にもキツかったのを覚えている。

 

当たり前の話だが、100km歩くのって口でいうより遥かにキツい。

おそらく自分が生半可に体重が重いのもあるだろう。自転車競技でいうヒルクライム(山を登るレース)と同じで体重1kgあたりのパワーが高いほうが有利なのがマラソンや徒歩であり、68kgのワガママボディを振り乱しながら歩くのは困難極める。

 

このあたりで口数が減り、話す内容も覚えていなかった。

気が狂いそうになり、ずっとファミリーマート店内に流れる「合宿免許WAO!」のえなこverのモノマネをして爆笑していた。

この際、反対側から歩いてきた夫婦がぎょっとしていたのを鮮明に覚えている。

気が触れていて、すみません。

 

ちなみにかふぇくんはずっと「いや~楽しくなってきましたわ!」「まだまだ"アップ"と言ったところですな」みたいなことを口にしている。

自分より遥かに格上のプロレベルの選手と練習している時に近い絶望感を覚える。

彼は徒歩におけるプロレベルの男だよ、間違えなくね。

 

藤枝名物「東京 200km」青看板 
何故か東京の文字が消されていた...。



 

 

約7時間歩き、ようやくドカ休憩に入る。

7時間で30km、そうか、いつも自転車で走っている30kmって歩くとこんなキツいんだ...みたいな顔つきになっていた。

 

ちなみにここまできて食べているのはなか卯のチーズ親子丼。

これがうまいんだ。

昔、笹塚でクソほど飲んで意識がなくなった状態で朝を迎え、そこで食べたなか卯の味が忘れられない。黒糖のソウルフードである。(正しい用法か?)

 

ウルトラ徒歩やタイムを意識したロングライドあるあるだが、どうしてもコンビニ休憩やファストフードになりがちである。

いや、ファストフードならいいほうだ。座って美味しいごはんを食べられることは幸せである。

 

ちなみにこの時点であたりは真っ暗になり本当の勝負がはじまった感があった。

 

 

画像

約9時間経過。辛すぎて語ることなんてない。

もう休ませてください、殺してください。といったところ。

 

実際にその時の動画を見てもつらく話すことがない様子。

自分でもこのあたりのことは特に覚えていない、もう無心で歩いていた。

 

丸子宿の公園
東海道の宿場町は雰囲気があっていいね!

 

 

その後は特筆すべきこともなくボロボロの状態であるき続ける。

11時間の時点で体は比喩なしでボロボロ、痛くない箇所がない。

立ってるのがやっとで、一度座ってしまうともう立ち上がれなくなる。

実際、コンビニで座り込んでしまい立ち上がろうとした時に120kgのスクワットしている時みたいな声が出た。

そう、11時間歩くのは120kgのスクワットに相当する。

 

 

一度座り込むと、もう立ち上がれない
気持ちではなく体が追いつかない

 

 

 

流石にこれは無理だ、あと12時間も歩けない...となる。

時間も時間だし、距離も距離。残り50kmもある。

自分が遅いことによってかふぇくんという猛者の足を引っ張っている自覚もあったし、静岡駅というちょうど区切りが良いところで撤退するほうがいいと思った。

まだギリギリゴール地点の沼津まで電車あるしね。

 

 

12時間経過し、52km地点の静岡駅でリタイア。

100km歩くのって実はものすごく難しい。

当たり前だが自転車に乗っているだけの人間には到底無理である。

 

最終リザルト キツかった...

 

かふぇくんは残りの50kmも歩くとのことで、翌朝沼津港で合流することを約束し一足先に沼津駅までワープする。

 

この際も電車に座り込んでしまうともう立つことはできず、歩くことなんて以ての外、みたいな状態となり時速1km/hみたいな歩き方になっていた。

 

沼津駅の駅員さん、ありがとうございます....。

 

 

ちなみに、翌朝なぜか遠回りして24時間で合計110kmほど歩いたかふぇくんと沼津港で合流。

もうすごいよ、言葉が出ません。

本当にお疲れ様でした。

 

敗北の味がする

 

 

感想・まとめ

とにかくキツかったの一言に尽きる。

それ以外の感想はない。

 

ただ、この歳になってもスポーツをやっている者として今回のリタイアは非常に悔しいものだった。

悔しいけどそれ以上に歩くことが無理なところまできていた、あれ以上歩いたら競技に支障出ます!みたいなところまできていた。

 

24時間テレビなどで「100km走ってます!」みたいなのを見るたびに「すげ~」と思っていたが、より一層その気持ちは強まる。

 

そして、やっぱりもう一度リベンジしたい気持ちも芽生えてきた。

レースもそうだが、狙っていたものを一発で落とせなかった時は非常に悔しい気持ちになるし、もう一度そのターゲットを落とさないといけなくなる。

留年というか、足踏みしている感じがして悔しいよな。

 

来年、自転車のシーズンが終わったら2ヶ月ほど本気でトレイルランニングに取り組み100kmウルトラ徒歩にもう一度挑みたいと思った。

 

ちなみにゴール時点の写真は角度と顔の疲れから太っているように見えるし、めちゃブサイクということで3日間擦られ続けた。

 

新卒入社した会社、2年勤めて退職した

黒糖です。お久しぶりです。

 

随分久しぶりに投稿させていただきます。

内容は、僕が新卒で入社し2年間勤めた会社をパワーハラスメントが原因でやめた話です。

人によっては見苦しいと思われる内容であるかもしれません。

また、特定を避けるためある程度ぼやかしている点があります。

ご了承ください。

 

 

------------------------------------

 

 

結構な文量になってしまったが、伝えたいことは特にない。

 

本当に、ただ1人の男がパワハラを耐えきれなかっただけの話をつらつらと書く。

 

目次

 

 

0.時系列について

2021年 4月 入社
2021年 5月 配属
2021年 8月 OJT退職
2021年 9月 課長がOJTになる
2021年 10月 パワハラが本格化
2022年 2月 設備、システム導入完了
2022年 3月 1年目 終了
2022年 10月 転職を決意
2022年 12月 休職
2023年 3月 退職

 

基本的にこの年表ベースで話す。

 

1.入社経緯

まず、筆者である僕のプロフィールをまとめる。

中堅地方私立文系出身。

就職先は地元ではそれなりに有名なメーカーで、区分上は大企業にあたるが「大手企業」かと問われると怪しい。

(実際業界では大手なのだが、とても大手を振って大手だとは言えない。大手だけに。)

 

新卒就活当初、営業職でなおかつ東証一部、名がしれているメーカーを中心に受けていた。


年収よりもWLB(ワークライフバランス)を重視し、就活を進めていた。
メーカーを中心に受けていた理由は、休みが多くそれなりにボーナスもあるからだ。

 

今思うと薄っぺらである。

 

また、仕事内容をイメージしやすいから受けていた、という理由もあった。


当初営業を中心に受けていき、3月中旬に国内でも有名な大手メーカーから営業職で内定をいただく。
ただ、全国転勤や営業職への不安もあり(内定もらってからそれ考えるの?)、職種を変えて生産管理職で就活を進めることに。

 

進める上で4年の7月ごろに前社から内定をいただく。

口コミサイト見た感じ、自分が入るであろう部署の口コミは悪くなく、大丈夫と踏切って内定承諾、入社へ。


2.入社~配属について

入社式。

全職種をみた感じ僕より高い学歴の人間が多かった印象だ。

僕含め5人いる同職に限っては全員僕より学歴が高い人間のみで構成されていた。
彼らに負けないよう頑張ろう、と意気込みながら研修を受け、配属先も決定した。


研修期間は当初3ヶ月で7月1日から本配属という話を聞いていたが、なんらかの理由があり1ヶ月半後の5月中旬から本配属に。


また、就活の際には生産管理の職種内容で説明されて内定を承諾したが、研修を経て工場付けの生産技術職に就業することになった。


業務内容は、工場全体の工程改善、設備導入、システム導入改善などがメインであった。

 

 

3.配属後について

配属初日、まず部署の人間が僕を含め5人しかいなかった。
社員構成は、年齢が1つ上であるが高卒の先輩、OJT担当である7歳上の先輩、定年再雇用のおじいちゃん、8歳上の大卒課長であった。

大卒の年齢が近い先輩もいなく不安だった。


ただ、直属の上司も8歳上と若く、やりやすい雰囲気なのかと思いっていた。

が、当たり前のように全員2-4時間残業していく。
初日の印象として「え、俺もこんな働くことになるの?」という感情を抱く。


職種の変更、イメージの違いは別に良いが、WLBを重視して入社しただけに震え上がっていた。

その心配通り、配属からすぐ残業祭りがはじまった。

 

具体的には1日2時間残業がスタンダードといったところだ。

 

 

4. 3ヶ月でOJTトレーナーの転職、悪夢の始まり

前述した7歳上の先輩がOJTトレーナーを務めてくださっていたが、自分が配属されて3ヶ月後に他メーカーに転職されることに。


非常に優秀な方で、この会社で唯一憧れていた先輩であっただけに非常に悲しかったのを覚えている。

また、唯一の良心であり、この人がやめたら誰を頼ればいいんだよ...という心境でもあった。
というのも、この人たち以外は長時間労働のせいなのか、常にトゲトゲしていてとても新卒が質問をしていいような雰囲気ではなかった。


部署は4人になり、OJTは課長が務めることになったが、ここから本格的な悪夢のはじまりとなる。

 

 

5.えげつないパワーハラスメント


「1年目だからしょうがない、なんて思ってんじゃねえよなあ!!!!!!」


1年目の僕が最も浴びせられた罵倒である。

30を超える大の大人に怒鳴られるといぅものは、かなり怖い。

仕事は分からない、どう進めていいかわからない状態で行き詰まって質問をしにいった際によく浴びせられた。

 

また、「納期遅れる直前まで仕事を溜めれば課長がフォローしてくれるだろう」と思ってあえて放置したこともある。

その際には、冒頭の1年目だから~に加え

詐欺師(おそらく納期まで間に合わせます、といって間に合わなかったことに対する罵倒)」


給料泥棒(おそらく、何も仕事ができてないことに対して)」

と強く怒鳴られる。
もちろん他の社員がいるところで。

 

会社から「頼りにするべきだ」と充てられたOJTがこれである。

 

また、社員構成と作業環境も課長がパワーハラスメントをする上で最適化されていた。
介入しようものなら僕の代わりに怒鳴られるということがあるからだ。

就業から1年半、同部署の人間から一切のフォローはなかった。


誰も彼も「無能なお前が悪い」というような感じである。

 

当時は「僕が無能だから仕方ないんだ」と自らを責めていたが、離れて分かる。

普通に1年目に対してOJTの務めを果たさず怒鳴り散らかすのは「終わっている」と思う。


昨今、アンガーマネジメントというものが流行っている。

(この概念については、今の会社に入って存在を知った。

前職は遅れているので、このような存在は無論認知されていない。)


そんな中で、仮に僕が間違っていたとしても間違いを「怒鳴りつける」というのはあまりにナンセンスであると考える。

寄り添えよ、流石に。

1年目に、寄り添えよ。


また、この課長はプレイヤーとしては非常に優秀であったため、誰も彼を止めることができないという背景がより「怒鳴りつける」という行為を加速させる。


一説によると怒鳴りつけている時、人はセックス以上に気持ちよくなっているそうだ。そりゃあ、やめれんでしょうね。

 

 

業務量もエゲつなかった。

大きなシステムの導入、設備の導入を2件任されていた。
これに関しては、非常にやりがいのある仕事を任せていただけて「頑張ろう」という気持ち一心で取り組めた。


生産技術特有の「現場が協力してくれない」や「新人の話を聞いてくれない」ということは勿論あったが、これは別にこの会社だからというわけではなく、どの企業でもあることだから許そう。


ただ、一切の助言もなく進捗が遅れていると怒鳴りつけ詐欺師、給料泥棒呼ばわりされていたのだ。


部署内で自分と同じ業務をしている人間もおらず、2件とも全社初の試みであったため誰に聞いても分からないとなる。

新卒1年目の自分の思う最適を選び、その度に怒鳴りつけられ、否定される。
正解を教えてもらえるわけでもなく。
一切のフォローもなく。


ぱないの!(忍野忍

 

そんな中、さすがに見かねたのか別部署の若い係長(4歳上 若く役職を持つ非常に優秀な方だった)、現場のお局さんが裏でフォローをしてくださった。


別部署のヤング係長は、直接的に僕の業務を見ていたわけではないため、実務のアドバイスはいただけなかったが、いつも僕の背中を叩き慰めてくださった。


お局さんは直接的に仕事をしていたため、社内メールにて

「いろうくんは1年目とは思えないほど働いているよ、みんな陰ながら応援しているから負けないでね」

というメールを定期的に送ってくださり、僕を支えてくれた。

 

仕事をやめた今でも、彼らとは連絡を取りあっている。

 

 

それでも、あまりの辛さに家で泣くこともあった。

マジで死にそうだと思われていたのか当時付き合っていた彼女が片道1時間半かけて僕の家に来てくれたり、地元の友人たちも遠いところから駆けつけて慰めてくれた。


本当、支えてくれる人がこれだけいた事に関しては恵まれすぎていたと思う。

 

同期は、労働時間が短く人間関係も非常に恵まれていたため誰一人として相談内容を理解してくれなかったが...。

 


結果、業務は分からないなりに何とか進めて2件とも導入することができた。

途中、スケジュールから大幅に遅れ、ここでもありえないほど怒鳴られた、机を蹴り飛ばされた後に始末書まで書かされた。

 

1年目で始末書て。今思うと笑ってしまう。

 

導入後、細かい調整など粗が目立ちとても大成功とは言えないけれど、今思うとようやったと思う。
本当、計画から検討導入現場との交渉現場教育など一切を僕が主体で仕切って導入できたことが誇りである。

 

 

6.転職を決意


1年目の話から飛躍してしまうが、2年目の秋頃に転職を決意した。


理由としては、業務量の増加と理不尽なパワハラの加速、若手の大量退職である。


2年目も1500万円に及ぶシステムの導入を一任されていた。
もちろん僕1人である。
システムのマスターデータの作成と導入のための設計書作成、仕様書作成、業者との打ち合わせ、スケジュール管理、その他わからないことに関しては現場に出て質問...。

 

これを繰り返すこと、毎月の残業は三六協定を切りまくり、月60-70時間の残業をしていた。


この主業務を抱えながら、新卒入社して同じ部署に入ってきた後輩のOJTも担当していた。
他にも、全社のくだらない会議への出席であったり、工場長が行う業務の肩代わりもして..、業績分析もして、部署で必要な発注業務も行って…。

 

キャパオーバーである。

 

これらの業務量の増加に加え、パワハラも増えていった。
後輩の面倒を見きれないときは自分が怒鳴られる、業務が遅れていると怒鳴られる、引き続き会社では給料泥棒、盗人と呼ばれる日々が続いた。


「明日は怒鳴られないといいな」と思いながら眠る毎日である。
毎日の残業は4時間に及び、朝7時に家を出て、22時に家に帰る生活を続けていた。
自炊をする余裕もなく、NASHのヘビーユーザーとなった。

生命力は弱っていく一方。
判断力も浅くなり、ストレスから金遣いが荒くなる。

生きてるのか死んでるのか分からない毎日で、大好きだった自転車にも乗れなくなっていった。
こんな日々が続くだけなんだなぁ、と思うと比喩ではなく涙が止まらなかった。

 

 


極めつけは、面倒を見ていた後輩が配属から3ヶ月で退職をしたことである。


「いろうさん、すみません。もう僕いっぱいいっぱいです。」


涙ながらそう後輩が告白してきた9月は残暑に見舞われていたことを覚えている。

仕事終わり、2人で近所の橋の下でタバコを吸いながら慰めあった。

後輩が泣いているのをみて僕も泣きそうになっていた。


「2人でこの理不尽な環境を乗り越えて、この会社の悪い雰囲気を変えていこうぜ」
そういった矢先であった。

 

そりゃ1歳上の先輩が自分の代わりにボロカス怒鳴られて、始末書書かされたり給料泥棒呼ばわりされたり、机蹴り飛ばされたり、死んだ顔して働いていたら「自分の1年後が、これか」とも思うよな、と。

やめたくもなる。


最後、後輩が「いろうさんを1人にして、本当に申し訳ございません」と深々頭を下げていたのを覚えている。

 

彼の仕事は全部僕に降り掛かってきて、ただでさえキャパオーバーだったものがキャパオーバーオーバーになった。


元々仕事が間に合っていない給料泥棒――――――僕の進捗は悪化の一途を辿る一方であった。

 


「てめぇは何もできねぇな、何ならできるんだよ!!!」


「はよしろバカ!!!」


「いいな、ただ座ってるだけで給料もらえて。給料泥棒が」

 

 

それだけでなく、課長の陰口もエグかった。
俺に対してでなく、他の部署や本社の人間に対してである。

 

「4ね」

 


これが課長の陰口を言う歳の常套句である。


今日日、コンプライアンスが厳しい中で、しかも管理職という役職を持ちながらも「4ね」という言葉を発する30歳超えが果たして日本にどれだけいるだろうか。

その悪口の中には、業務の都合上僕がお世話になっていた他部署の課長の名前が出てくる時もある。


シンプルに不快である。


小学生しか使わんだろ、4ねは。

詐欺師と呼ばれてる僕でも使わないよ。

10年は使ってないね。

 

また、他部署でもパワハラは横行しており、僕の部署ほどでないにしろネチネチやられているのを見たことがある。

残業時間も長い。


その結果か、下半期に突入する10月初旬には26歳未満の若手が10人やめていた。
当工場は全体で150人しか正社員がいないのに、そのうちの6.6%の人材がやめていくというのは異常である。


「まぁ、無理かもなぁ」


夜長は過ぎ去り、虫も鳴かなくなった初冬、適応障害の認定をいただき休職に入った。
休職前日、毎日4時間残業している課長が珍しく定時で上がった。

先輩も同時に上がった。


絶妙だ。


急いで今までお世話になった現場の人数人、他部署のヤング係長やお局さんに挨拶を済ませる。


DV彼氏、旦那から夜逃げする時ってこんな気持ちなんだろうなぁ。

 

 

「いろうは頑張ったよ。悪いのは間違えなく会社だ。俺もいつまでいるか分からんしなぁ」
頑張ったよ、お前は。間違えなく、と僕の背中を叩き、ヤング係長は言う。
泣くのをずっと堪えていたが、さすがに泣くものだ。


学生時代、居酒屋のバイトで客にビールかけられてもケラケラ笑っていた僕が、まさか社会人になってからこんなに泣くとは。


言葉に詰まり、ただ頭を下げるだけだった。ありがとうございます。絞り出した声でそう言うのみである。

 

「いろうくんは、どこでもやっていけるよ。次は、もっとあったかい場所で働けるといいね」
私のこと忘れないでね、と微笑む初老が言う。また泣きそうになる。

そして、3ヶ月でやめていったOJTにも電話でやめることと適応障害について報告をする。

 

1年半で3人、僕の味方がいたんだと思うと十分お釣りが出るな。
この会社に来てよかったとは思わないが、この人達に出会えて本当によかった。

 

 

7.その後


パワハラがエグい、労働時間が長いという話をすると同期たちによく言われるのは「労基に行こう」「総務に訴えよう」である。

いかにもぬるい環境で働いてきた人間が言いそうなことである。そんな簡単なものではない。
ボイスレコーダーごときでは動かないし、総務も会社のイメージを下げたくないので隠蔽をする。


総務に後日「課長になにか処罰ってありましたか?」と聞くと

「工場長から注意をしていただいた」とのこと。


おい!その工場長は俺が怒鳴られて給料泥棒と呼ばれているのを見て見ぬ振りをして一切のフォローをしなかった張本人だぞ!

 

 

ただ、フォローをするわけではないがこの課長も新卒時代は同じように上司からパワハラを受けていたようだ。

 

そして、それを耐えきり成果を出した。課長の成功体験は「パワハラを受けて、耐えて、成果を出す」だったのだ。
団塊世代が水を飲まず野球の練習に勤しんでいた頃を成功体験と捉えてしまうのと似ている。
あるいはDVを受けた子が親になった時、同じようにしてしまうことと似ているというべきか。
それしか知らなかったんだろうな。


可哀想ではあるが、それは正当化する理由じゃないよな。

 

また、「辛かったら逃げよう」「労基に行こう」が口癖の日和見主義者どもは
なにかしてくれるわけではない。
自分の身を守れるのは自分だけだ。

 

休職期間、何をしていたかは別の機会に話そうと思う。
これはこれで地獄が待っていた......。

 

その地獄のような休職期間中に先輩やエージェントの力を借りて、現職の面接を受け、資本金でいうと当時務めていた会社の200倍に相当する会社に転職。
結果として、キャリアアップをすることができた。

よかった。

 

 

8. 2年間で学べたこと


学べたという程ではないが、2年間このような環境に身を置いて思ったことを簡単にまとめたい。


配属ガチャという概念は非常に大きい
同期がほとんど残業をしていない、怒鳴られることもないホワイト環境(それが普通だね)で働いている同期もいる。
会社全体で見たら、そんなに悪い会社ではなかったと思うが、どんな会社であっても僻地の工場はこの有様でガチャ要素は強い。

 

・終わってる組織は、終わっているループに突入して手がつけられなくなり、より終わっていく
文字通り。終わっている組織はどんどん終わっていくので、根本的な改善がない限りやめていくでしょう。

やめていった、僕がOJT担当した後輩が辞めていったように、明るくない未来に失望もするよな。

でも上は気持ちいいからやめられないんだよな。

なら、力をつけて逃げる若手が大量に出て、逃げられて、後継が見つからなくなっても上は文句は言っちゃダメだよ。

 

・「辛かったら逃げろ」という助言をくれる人は、こっちが逃げた時は助けてくれない
同期がこれだった。所詮は口だけで逃げた時助けてくれるわけじゃないんだよな。
窮地で頼りになるのは自分だけであることを念頭に置いたほうがいいね。

 

・基本的に逃げないほうがいい、逃げずにある程度戦うことが大事で、「もう無理かもな」の一歩手前で逃げれたら最良
逃げずにある程度戦うことによって得られるものはある。と、言うと「お前はキャリアアップできたからそういうんだろ」と言われるかもしれない。
そう、やっぱり僕も弱者であるため経験論ベースでしか話すことができない。
僕が思う最良の方法は、力をつけてキャリアアップすることだ。

 

・周りは助けてくれないけど、頑張っているのは見ていてくれる
ヤング係長やお局さんがそうだったように、どんな状況であっても見てくれている人はいる。
その人たちは、直接助けてくれたり業務を手伝ってくれるわけではないかもしれないが、見ていてくれる。

 

・綺麗事でも何でもなく、支えてくれる人たちには本当に感謝をすることを忘れない
前職から離れた今なお、感謝の気持ちは一切忘れていない。
もう少し落ち着いたら、ぜひご飯に行きたいと思う。

 

まぁ他にも、12月まで在籍していたのに3月末に貰える決算賞与が一銭も貰えないこと(前職は決算賞与が1番大きなウエイトを占めていた)、僕の1/10くらいの難易度の目標を与えられていた同職同期が僕よりいい評価を貰っていたこと、総務が傷病手当の申請を忘れており手当金が入ったのが4月になってからだったことなど色々と突っ込みたいことはあるが、現職の待遇がいいから許すとする。

 

 

ただの覚書で、自分が読み返す用途メインで書いたものだが、同じように苦しむ若手社員に響いてくれたら僕の2年間の地獄も浮かばれると思う。

 

 

 

 

自戒も込めてこの言葉で締めようと思う。
パワハラは撲滅できない、なぜなら人間は弱いから。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと自分が、管理職になった際にこのようなことをしないためにも。

社畜とロードレースの葛藤について

黒糖です。

今年もpayaneco氏(@payaneco)のロードバイクアドベントカレンダー
参加させていただくことになりました。

2018年からの参加で、かれこれ5年目になります。
はじめて参加したときが20歳だったことを思うと感慨深いものがございます。

また、それだけ歴史のある行事に毎年参加できていることが非常に光栄でございます!

 

 

 


はじめに

筆者の話を少しだけさせてください。
私は黒糖いろうというハンドルネームでTwitter拠点(?)に活動をさせていただいている
ホビーレーサーでございます。
年齢は昨日で24歳、社会人でいうと2年目です。
ホビーレーサーといっても、怪我と過労でなかなか自転車に乗ることができず、
今年は1度もレースに出ることができませんでした。(悲しいね)


今回は、この「過労」と、その中で自転車を続けようとする葛藤についてお話できればと思います。

ものすごい自分語りになってしまいますが、同じくブラック企業に従事する方に届けば幸いでございます。


過酷な労働環境って、どんな感じ?

また筆者の話を少しさせていただきます。
私の労働環境ですが、定時8時~17時で、デフォルトで時間外労働が45時間、多いときだと70時間が3ヶ月続くこともございました。

ついでにいうと怒鳴る、ミスした場合晒し上げされる、人格を否定されるような暴言を吐かれる等々パワハラもすごく、おおよそこの世の地獄に近い環境でした。


その中でも1日の流れをタイムテーブルに起こすと、

 

 

1日2時間残業の場合
7:00 起床
7:20 出発
8:00 始業開始
19:15 退勤
19:50 帰宅

 

1日3時間の場合
7:00 起床
7:20 出発
8:00 始業開始
20:20 退勤
20:50 帰宅

 

1日4時間の場合
7:00 起床
7:20 出発
8:00 始業開始
21:20 退勤
21:50 帰宅

 

 

このようなスケジュールになります。

正直いうと、ここから自転車やるのは結構骨が折れるというか、
練習方法は考えないといけないなぁという感じでした。

 

もちろんこれ以上過酷な環境で労働されていて、その中で自転車を続けていられる方も多数いらっしゃると思います。

 

ただ、僕はこの環境下で続けることは非常に苦しかったなぁというのが素直な感想です。


この労働環境の中で自転車を続けた具体的な方法

1.帰宅即練習できる環境を作る


社会人当初は、早朝トレーニングを行っておりましたが、これはめちゃくちゃキツかったです。
自分は夜型人間のようなので、残業が続いても夜練習を主としていました。

ただ、どれだけ強い意志をもってしても折れてしまうことは多々あるので、
言い訳できない環境を作るために通勤車の中に練習ウェアを入れておき着替えたから帰宅→そのままローラーという流れを作っておりました。

帰宅したらあとはシューズを履くだけ、これで練習開始です。

スーツを着たら仕事モードに入るように、ピチピチウェアに袖を通せば
たちまち戦闘モードに入るわけです。

この方法でなんとか練習を継続しておりました。

 


2.ご飯は冷凍食品→nash で統一

基本的にセブンイレブンの冷凍惣菜にお米だけ自分で炊いて、供え物としてちぎったキャベツを添えておりました。

これは食事のレパートリーが本当に貧しく、タンパク質も足りず脂質過多になるケースが多いです。

そのため、最近巷で話題の冷凍食品サブスクのnashを多用しておりました。
正直なお話をすると、あまり美味しくはありません。
ただ、最低限の栄養バランスも取れており、時間がない中でのトレーニングをする上では非常に助かりました。

 

だいたいこのトレーニングを1月~6月ごろまで続けておりましたが、無理も祟り持病の椎間板ヘルニアが悪化して自転車に乗れなくなってしまいました。


私生活、仕事との葛藤

起きる→仕事をする→自転車乗る→寝る
このサイクルの中で生きていると、色々な葛藤が起こります。
「このままこの生活でいいのか」

「結婚とか、出来んかもしれん!!」

「普通に友人と遊んでいた方がいいかもしれん!!」

などなど。本当に様々な葛藤が起こります。

 

この生活をずっと続けていると生きている心地がしないというか、自分がどこに向かっているかもわからない感覚に陥ります。

それに加え、怪我も悪化して唯一の心の拠り所であった練習に打ち込むという行為もできなくなりました。

 

30になってとき、このままで何が手元に残るのか...なども考えてしまいます。

 

一方で周りには色々なものを捨てて自転車に打ち込んでいる人たちも多数見受けられます。

この人達は本当にすごい、自分はここまではできんかもしれんなぁ、と思い始めました。

 

当時付き合っていた彼女からも「そこまで無理しなくてよくない?」「もう普通に遊ぼうよ」みたいに諭されることもありました。

 

確かに自転車やめて彼女と遊んだり、普通に友人と遊んでちょっと大変な仕事を頑張るくらいのほうが一般的な幸せとされるものに近づけるのではないかなぁと考えておりました。

 

それでもやっぱ自転車やりたいなぁ

色々考えた結果、怪我してでも自転車やりたいなぁ...と。

まだ自転車諦めたくないなぁ、満足するまでやりきりたいなぁと、強く思いました。

 

ホビーレースだけでなく、根気詰めたロングライドやその他力を入れて取り組む趣味は、楽しいことよりも辛いことのほうが多いものです。

やめてしまいたい、最初からこんなの知らなければよかったのになぁ、と思うときもあるかと思います。(僕はちょくちょくありました)

ただ、目標としたものを達成したときに快感を知ってしまっているからやめるにやめれない。またあの快感を味わいたくて仕方ない。

 

このまま怪我治らんかもしれん、30になったとき何も残っていないかもしれん、それでもやっぱ引き返したくないなぁ、これからの生活のほとんどを自転車に捧げてでも目指している場所まで行きたいな、と。

 

 

転職へ

劣悪な職場環境から抜け出すべく11月ごろから転職活動を開始。

幸い、まだ若いので多くの会社から内定をいただくことができました。

 

エージェントとの面談で、軸は「アフター5の充実」を再重視しました。

 

しっかり平日も練習できる環境にいって、これまでの無理な練習をせず済む環境に行くことを軸として転職活動をいたしました。

 

これはブラック企業あるある(僕の場合、正確にはブラック部署ですが)だと思うのですが、趣味より仕事を最優先、有給とって遊んでいることに価値などない、みたいなことを刷り込まれ続けていたので本当にやめてよかったです(;_;)

 

結局、仕事なんてどこまでいっても人生の自己実現のための手段でしかないし、僕の自己実現は目指しているレースに出て優秀な成績を収めることですので、そのためには環境を変えるということは必要不可欠だなと。

 

最後に

人生、すべて総取りは難しく、なにかを成すにはなにかを捨てる覚悟も必要になってくると思っております。

もちろん、それをなくして全部取れる人もいるかもしれませんが、自分は難しかったです。

 

自転車という趣味は非常に素晴らしいものですが、これに打ち込むがあまり捨てるものがでること、それを許容できるかどうか。

 

自分はもう少しだけ生活を自転車に振り気味で過ごしてみようと思います。

 

 

本当は今年のロードバイクアドベントカレンダーではレースの優勝記事とか書けたら!と思っていたのですがこのような社畜の自分語りで終わってしまい大変申し訳ございませんでした。

 

来年こそは、ここに皆さんのように役立つ情報を載せることができればと思います。

 

 

最後になりますが、毎年このような楽しい企画を運営してくださっているpayaneco氏、ありがとうございます。

また来年も参加することができればと思います。

 

これを読んでいる社畜の皆さんの自転車ライフが少しでも明るくなることを心より祈っております。

 

 

 

 

 

2022年 抱負

黒糖です。

 

新年あけましておめでとうございます。

 

 

今年の抱負もここにまとめていきたいと思います。

正直、この目標の記事を書いたところでもっと詳細を書き連ねたWordファイルが手元にあるのだから、これを公開する意味とは...。とならんこともないけど、ずっと続けていることだから続けたいな、の気持ちで更新しております。

 

今年は年末年始が非常にバタついていたので1/1/に投稿できなかったことが本当に悔しくて仕方ないですね。

 

昨年の

rem1eye.hateblo.jp

 

rem1eye.hateblo.jp

 

総括記事

 

 

 

1.トレイルランニングがんばりたい

画像

 

昨年、ヘルニアの治療の際にはじめたトレイルランニングですが、ガッツリハマってしまいました。

トレイルランニング、通称トレランは自分のライフスタイルに非常にマッチしており気づけば自転車よりも今はこっちをやっていたいな、という気持ちが強くなりました。

 

休日はスポーツ以外にもやりたいことがたくさんあります。

自転車の場合、朝くっそ早くに起きて14時くらいに帰ってクタクタ、みたいなことが往々にしてあります。

 

トレランに関しては家から10分のところに標高629mの猿投山があるためやらない理由がないんですよね。

毎週走りにいけて、15kmの距離を2時間かからず走り切れる。

アップダウン込みで3時間以内で終わるという時間コストパフォーマンスの良さ。

 

色々とやりたいことが多い今の自分とぴったりなんですよね。

 

何より、労働で疲弊している心に青い空と木々が刺さって癒やしてくれるんです。

 

もちろん自転車をやめるつもりはないですが、今年1年はトレイルランニングに挑んでみたいな、と。

使う筋肉の部位は似ているので全く無駄ではないはずですし、回り回って自転車にも還元されることがあると考えます。

 

オタクなので漫画の修行パートで全く関係ないことをやらされるも、気づけば自分の本筋にも還元されて強くなっていた、みたいな展開が大好き。

 

 

では、具体的にどんな目標を掲げて目指していくか。

レース目標と習慣目標を掲げました。

 

a.ITJ70k完走

年末に行われる伊豆トレイルジャーニー(通称:ITJ)、この70km部門に出場して完走することです。

 

元々30km部門は出場してみたいな~と思っていたのですが、先日一緒にトレイルランニングをしたアイアンマンより「せっかくなら70kmに出なよ」と言われ、それも面白そうだな~みたいな軽い気持ちで出場を決意。

 

70kmなんてチャリで走る距離だし、それを身体1つで走り切る、しかも山あり谷ありでなだらかではない。

考えただけでもわけがわからん、自分が70km走り切れるビジョンが一切見えない。

 

今は見えないけど、少しずつ積み上げていきたいですね。

達成したときの景色が見てみたい、絶対気持ちいいだろうなぁ。

 

b.残業時間が多い中でもトレーニングのやりくりをする

常に繁忙期みたいな部署にぶち込まれました。

今も3.5h残です。(自分で書いてて辛くなります)

 

その中でもトレーニングをする環境を作ること、これをやっていきたいです。

2h残とかであれば帰宅後トレーニングもできるのですが、さすがに3.5hになるとかなり難しくなります。

 

そのため、現在は通勤でトレーニングするのがいいかなぁみたいな気持ちでいます。

 

このようにどんな形であれ通勤時間でトレーニングをする環境を構築したいなと思います。

 

2.怪我をしない

本来1と逆転する目標設定であると思います。

 

ほんと、なんだかんだ毎年怪我をしています。学ばないね~。

 

今年こそは怪我をしない。

オーバーワークには慎重すぎるくらい気をつける。

しっかり寝る。よく食べる。

当たり前のことをずっと続けていきます。

 

 

これも掘り下げるとくっそ長くなるので端折ります。

 

 

 

今年はロードレースの1年ではなくトレイルランニングの1年にしていきたいですね。

1年後どうなっているのか、全く想像はできませんが笑顔でこの記事を読み返せるように毎日積み重ねていきたいです。

 

 

今年もよろしくお願いいたします。

2021年 総括

黒糖です、

 

毎年やっているこの総括、今年もやっていきたいと思います。
(すでに2021年は過ぎていますが!)

 

rem1eye.hateblo.jp

 

 

 

 

1.社会に適合する

これはなんとかボロボロになりながらもギリギリで耐えきっていると思います。

なかなか難しいですが、本当にギリギリなんとかなっています。

 

1つ、会社に遅刻しないですがすでに3回しております。

そのあたりはフレックス制度でどうにでもなるのですが、気を引き締めていきたいです。

 

2つ、練習環境の構築ですが、こちらは曖昧になりつつあります。

かなり過酷な残業時間になってくるとこちらが難しくなるので、しっかりと練習できる環境を構築するためにも仕事にトレーニングウェアを持っていく、ロードバイクで通勤する、トレランできる装備をもっていくなどの対策をすることが重要になると考えます。

 

 

2.怪我しない身体づくり

結局怪我をしてしまいました。

椎間板ヘルニアですが、こちらは現在快方に向かって練習も再開できている状況にあります。

 

自分の体力以上の追い込みができる自分自身のメンタルは好きですが、それでは潰れてしまいますね。

自分の身の丈にあった、長く続けられるトレーニングを行っていきたいです。

 

3.レースで優勝する

そもそも怪我の影響で3月のリトルワールドしか出場できませんでした。

こちらも結果パンクで終わってしまい、本当に結果だけで見たら残念すぎる1年でした。

 

 

4.目標以外で変わったこと

トレイルランニングをはじめた

ロードバイクの怪我の期間、散歩にハマっていてその延長で山登りも行うようになりました。

その山登りも、登っていると案外いけるなぁ、ということでトレランにつながって今でも週に1度必ず15km900m↑を続けております。

 

腰へのダメージも少ないですが、膝のダメージは大きそうなのでそこだけ注意して楽しみたいですね。

今年の3月には近隣でレースが行われるそうなので、ぜひ参加して楽しみたいなと考えています。

 

 

 

本当にこんな1年。

今年はもっと具体的な目標をたててしっかりと計画していきたいですね。

新社会人がトレーニングを維持・継続するために意識していること

いつもお世話になっております。

黒糖いろうです。

 

今年もロードバイク Advent Calendar 2021 - Adventarの季節がやってまいりました。

かれこれ4年連続で執筆させていただいております。

 

adventar.org

毎年誕生日である12月23日にブログ投稿することを目指しているのですが、今年は色々と都合が合わず21日。

 

それはそうと毎年思いますがばるさんの執筆量がエゲつない。

 

 

今年は長い学生生活を終えて新社会人として働くという大きな節目の年です。

大好きな生まれ故郷岐阜県各務原市を飛び出し、練習メンバーとも遠く離れ、今は山と川に囲まれている愛知県の小さな街で暮らしております。

 

すべての環境が変わってしまったため、学生時代のトレーニングルーティンを取ることができなくなりました。

 

 

rem1eye.hateblo.jp

上記ブログ記事でも書かせていただいた通り、かなりハードな部署に入ってしまい、現在は毎日4時間近く残業を続けております。

 

 

そんな中でも決して競技をすることをあきらめたくない。

 

そんな自分の新しいトレーニングルーティンについてお話できればと思います。

これを読んだ同じく新社会人、新たに生活環境が変わった方に「わかる」と思っていただけたり参考にしていただけると幸いです。

 

 

 

 

1.トレーニング時間の確保・モチベ維持について

新社会人に限らず社会人はこれが非常に困難であると考えます。

自分の会社は8時17時であるため、だいたい7時に起きて21時ごろに帰宅しております。

 

一見してトレーニングは難しそうに見えますが、実はそんなことはありません!!

 

ここでよくある「早朝、帰宅後にローラー」「ターゲットゾーンはL5で」などという話をしてもあまり意味がないと思うので、考え方についてお話させていただきます。

 

 

a.トレーニングを全力で楽しむ

自分はトレーニングがあまり好きではありません。

ストイックにトレーニングを積むことでレースの最終局面で根性を発揮することができる、という観点からトレーニングメニューを無理やり押し通すタイプの人間です。

 

が、社会人になってからトレーニングが楽しくて仕方ありません。

 

それはレーニングを全力で楽しむ心構えを常に持ち続けているからとだと自負しております。

 

レーニングを楽しむ、競技の過程で忘れがちというか忘れてしまう人が多いと勝手に思っております。

そもそも自転車なんて趣味でしかないんだからストイックに詰め込みすぎて潰れるならやめるクソ楽しむかの2択だと思います。

 

社会人になると上司に説教されることや、バトルすることもあります。

そういったストレスをすべてペダルに込めて踏み倒し、普段なら眠る前までへばりついて残り続けるその日の嫌な出来事も汗と高心拍ですべて掻き消してなかったことにしてしまえば問題ありません。

 

 

レーニングは、競技は超面白い遊びであることを再認識し、心拍が上がり苦しくなることを維持することすら楽しく思える社会人って素晴らしいですね。

 

こう思い込む考えることでトレーニングが楽しくなり、残業後にトレーニングしたくてたまらなくなります。

考え方次第ですべて変わるので、まずはトレーニングがマンネリ、どうも時間がないことを言い訳にしてしまうときは「たのしい」ことを思い出してください。

 

 

b.やらない言い訳を作らない

自分はトレーニングはだいたい帰宅後に行います。

最近は繁忙期であるため早くても20時半、遅いと22時に帰宅します。

そんな中でも続けられるのは朝、オフィスについたときからマインドをセットしまう。

 

 

「今日は絶対にこの強度のトレーニングをこれくらいの時間やる」

 

 

こう思うだけで本当に変わってきます。

「まぁいいや」という自分への甘えや妥協を後ろめたく思う自分に負けないよう、必ず帰宅後も何かしらのトレーニングをします。

 

また、かえってすぐトレーニングできるように自分は着替え一式を玄関においてから会社に向かっています。

 

とにかくやらない言い訳を作らない、帰ってすぐトレーニングできる環境を作る。

会社によっては自転車通勤も可能だと思いますので、そういう場合はそれも一手だと思います。(自分は自転車が盗まれるのが嫌なので絶対にしません)

 

 

c.他人と比較しない

競技をする人間が他人と比べないって、なに?と思われても致し方ないと思いますが他人と比べないことってめちゃくちゃ効果あると思いました。

 

ある程度1年目は諦めてフィジカルの維持、トレーニングの継続という割り切りをして、その過程で周りと比べて遅れをとっても仕方ない。

とにかく周りと比較しない、パワーメーターの数値は他人に対してマウントをとるためのものではなく自分と自分の比較のためのものという割り切り方をするようになってから本当に気持ちが楽になり、aであげたレーニングを楽しむことができるようになりました。

 

それに伴い、ストラバも見なくなったしすべてのログをあげることがなくなりました。

基本的にガーミンコネクトとにらめっこという毎日。

 

自分の中で自分と比べるトレーニングはとにかく楽しい、あまり理不尽もないし。

 

改めて自転車競技って超おもしろいなって思ういい機会になりました。

 

 

2.ご飯について

これ、めちゃくちゃ難しいですよね。

社会人、一人暮らしだと特にあるかと思われます。

 

夜遅くまで残業が続くとコンビニ飯やスーパーの揚げ物に手を出しがち。

この時期は鍋があるのでまだ耐えている、みたいなところはあるかもしれませんが、それでも栄養バランスを取るのが難しい。

 

タンパク質もプロテインで終えがち....。

 

 

 

そんなあなたに最強のご飯をお教えいたします。

 

 

f:id:Rem1eye:20211220231924p:plain

鶏むね肉のぶつ切り焼き

 

 

調理方法は複雑ではありませんが、慣れが必要です。

 

 

①鶏むね肉を切ってフライパンに入れ強火で焼く

f:id:Rem1eye:20211220231852p:plain

 

 

②お好みのスパイスをかける

www.amazon.co.jp

 

個人的には上記の黒瀬のスパイスがおすすめです。

(自分はアマゾンアソシエイト登録をしておりませんのでこちらから購入しなくても構いません。ぜひどこかしらで購入してみてください、ガチで美味しいです)

 

③タッパーに入れ会社に持っていき間食として食べる

f:id:Rem1eye:20211220232339p:plain

 

 

これを繰り返すだけでしっかり屈強な筋肉が維持されます。

タンパク質は正義です。鶏むね肉を食べてライバルと差をつけ、さらに強い明日の自分に会いに行きましょう!

 

 

ちなみにこちらのメニューですが、ルーティン化すると脳死で作れる上に朝もしくは夜にまとめて1日分作れてしまうので非常に良いです。

全人類におすすめできます。

 

(普通に自分はこれ以外まともに料理できないので、なにかいいメニューがあれば教えて下さい;;)

 

 

3.「なにも自転車だけがすべてじゃない」ということを常に忘れない

ここまでいかにしてトレーニングをするかを語っておきながら、こう思いました。

 

社会に出てから「何も自転車だけが全てじゃないな」と思うようになりました。

これは諦めではなく「そういう道もあるんだな」という視野の広がりです。

 

 

 

常に自分が走っている競技の道の隣に別の人生・別のレールがあるということ。

 

 

 

だから惰性で競技を行うこともないし、苦しい思いをしながらする必要もない。

 

 

画像

実際に社会人になってから新たに始めたトレイルランニング(山を走って登る行為です)も毎週続いている。

だいたい一回15km900mほどを駆け上がる。

自転車競技とは違う楽しさと辛さ、達成感。

そして中毒性がある。

 

 

忙しいからこそ、自転車に乗る時間が減ってしまったからこそ視野が広がって自転車以外にもあるんだなと思うことができました。

 

どんなにやっても練習時間を確保できないとき、どうしても心が折れそうなときはこういったマインドで生きていくと楽しいこと、なんだかんだ自転車に還元されることが見つかるかもしれないな、と思いました。

 

 

4.結局自転車が好き

結局ここまで書いておいてなんですが、自転車が好きなのでやめることはないと思っています。

忙しくなったからこそ見えた別のレールややりたいこと、それらもいいなって思うけれども自転車が好き。

 

やっぱりくっそキツイレースで死にものぐるいになってもがいて楽しみたい。

 

 

結局どこまでいっても趣味、だからこそ楽しくあることがトレーニング維持に必要な意識であると思います。

 

 

これからも超楽しい自転車をやっていきます。

皆さんもお仕事・勉学とご多忙かと思われますが、各々されていることを超楽しんでやっていきましょう。

 

 

 

 

最後になりますが、毎年このロードバイクアドベントカレンダーが楽しみです。

「あ~、今年も終わるなぁ」という実感がふつふつと湧いてきます。

また来年も参加できればと思います。

メリークリスマス、良いお年を。