Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護149:今日の面会・・一瞬の笑み!

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し12日目の状況です。

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母のいる4階には、
こんな綺麗な本棚もあるのですが・・

2024年6月5日(水)、今日も女房といつも通りホスピスのF病院に、14時に面会に行きました。昨日の母の様子からして、重苦しい気持で母の個室に入ると、母は、昨日はほとんど薄くしか目を開けていなかったのですが、今日は少しだけ、昨日よりは目を開けているようでした。まああまり表情はないのですが、見た感じは昨日よりはましです。痛み止め(モルヒネ)の影響もあるのでしょうね、日によって結構違うのは仕方がないのかもしれませんが、ほんの少しの差でも気が楽になりますね。まず、私のスマホに入れた母の好きな曲(2曲)をかけるのですが、これもあまり反応がありません。私はとにかく、大声で何やかやと話をしてみるのですが、母の耳元で「こうるさい息子が大きな声でいろいろ言いよるから腹立つやろな」と言ったときでした、「にやっ」と一瞬ですが笑みがでました。まだ意識はしっかりしているようです。その後、写真を見せるのですが、どうも見えないようなので、私が近くに置いてあった母の眼鏡をかけてやり、また写真を見せて、「これ誰かわかる?」をやるのですが、顎をかすかに動かすのです。一応はわかっているようですが、もう頭を動かしたり、腕を動かしたりはできません。

今日は看護師さんが一度も、この部屋に来なかったので、母が昨日からどの程度食べれたのかも聞けず仕舞いでした。それとも、私の顔を覚えられていて、いろいろ聞かれることがわかっているので、この部屋に来ないのかもと思ったり。(邪推ですが)

そうこうするうちに1時間が来たので、駐車料金もあるので帰るのですが、母にあいさつ代わりに手を持つと、手はしっかりとぬくもりはありました。でも、母は、もう手を振ってさよならはできません。帰り間際に。家から持ってきた「コーヒーゼリー」と「桃ゼリー」を女房が、たまたまエレベターの前にいた看護師さんに渡しておいてくれました。

実は、明日、東京から看護師で従妹のCちゃん(母の姪)が面会に来ることになっていて、昨日の状態では、ちょっと無理かなとも思ったのです。でも今日は、何とか大丈夫そうなので、家に帰ってから母の状況をLINEしておきました。明日は、もっと意識がありますように・・・

介護148:毎日の面会・・今日は小さく頷くだけ!

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し11日目の状況です。

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母のいる4階で見つけた日当たりの良いバルコニーですが・・

2024年6月4日(火)、今日も車で女房と14時に面会に行きました。

昨日は風呂のあとの熟睡で、一言も話しができませんでしたので、今日は期待をして行きました。部屋に入ると母の左側に角度のついたスポンジが置いてあり、右に少し体を傾けています。床ずれ防止なのでしょうね。目を少しだけ開けていたので、「R(私)や来たで」と言うとわかったようなのですが、かすかに顎が動いたかに見えるだけで、反応が少ないのです。あれって思いました。つい2日前は、手も動かせていたし、頷く動作もはっきりしていたのですが、今日は、まあ別人のようです。このホスピスのF病院へ転院して以降は、毎日の面会での一喜一憂は慣れてきたと思っていたのですが、少しショックです。

頭も動かさず、目とほんの小さく頷くときの顎の動きだけなのです。スマホに入れてきた母の好きな曲「母なる海」と「オンリーユー神戸」を聞かせても目だけです。でも、その後に私が、この前、たまたま同窓会で小学校の友人に会ったことを言い、その友人のお母さんを覚えているか聞くと、反応するのですね。かすかに頷くのです。何と半世紀以上も前の私が小学校の時のことで、大阪の南の方で古墳だらけの町で「白鳥」という町に住んでいたのですが、皆、家が近所で、母親同士も年もほぼ同じで、母はいろいろと世話役的なことをやっていたので覚えているのですね。「あの布団屋さんのNちゃんのお母さん」とか、「あの自転車屋さんの隣のSちゃんのお母さん」とか言うと、しっかり小さく頷くのです。私は何か共通の話題を探して、会話を続けるのですが、母と息子である私との共通の話題って、この状況でとっさにすぐ思いつくのは、そんなもんくらいです。母には申し訳ないと思いますが。

その後、看護師さんが来たので、食事のことを聞くと、「フルーツを少しだけ食べられたようですね」とのことでした。昨日持ってきたひと切れのメロンのことでしょうね。あずき味の高カロリーの「アイソカルゼリー」も養命酒もダメだったのでしょうね。

昨日の看護師さんは、養命酒のことを満面の笑みで言ってくれましたが、今日の看護師さんは、それ以上のことは言わずでした。ちょっと寂しいですね。

母の様態は、多分にモルヒネの投与量にもよりますが、今日の感じでは、もうそんなに時間は残されていないと思いますね・・・

その後、また持ってきたメロンひと切れを看護師さんに渡し、母の手をとって「ほな、帰るで、明日また来る」と言いました。母の手は思いのほか暖かいのでびっくりしました。

 

介護147:面会も母は風呂に入り熟睡・・養命酒のこと?

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し11日目の状況です。

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看護師さんの書いたメモ:
養命酒を眠前に飲まれていたそうです
むせるのでとろみをつけてください」

2024年6月3日(月)、今日も女房と14時に面会に行くと、母は眠っていました。看護師さんが来たので聞いてみると、「10時にお風呂に入られて、その後、疲れたのかずうっと眠られています」とのことです。また、昨日に持ってきたメロンは全部食べたとのことでした。母の顔は風呂上りでもあり、肌の艶もあります。でも食べれないので徐々に骨が目立ちますし、腕はだんだんと細くなり、血管も見えて少し痛々しい感じの痩せ方になってきました。

今日は、またメロンと昨日の帰りに買ったあずき味の高カロリーの「アイソカルゼリー」2つを持ってきたので、看護師さんに渡しました。その時に、看護師さんから、「昨日持って来てもらった養命酒にとろみをつけて、少し口に含ませて味見をしてもらったんですが、喜んでおられましたよ。味はわかりはりますよ」と言われました。母は養命酒を毎日寝る前に飲んでいて、Cグループホームでも出してもらっていたのですが、先日、母に聞いてみたら「欲しい」と言ってましたので、持って来たのです。まあ、ここのホスピスではアルコールもOKとは最初に聞きましたが、まさか!ほんの少しとは言え、母が口で味わったとは驚きでした。私はついでに雑談で、看護師さんに「実は母の好きなものですが、月に1回、母はひとりで長い間、大阪市立大学病院に喘息で通院していたのですが、その帰りに阿倍野近鉄デパートの地下で100グラム4桁もする高級牛肉を少しですがいつも買ってきていて、それが楽しみだったんです。」と言うと、「牛肉のたれとかでしたら、味わってもらえますが、牛肉ですかあ・・」と、この話をなかば真面目に考えてくれていましたね!有難いことです。

それと今日、気づいたんですが、ベッドの横のソファーの上に、ラジオカセみたいなものが置いてあって、これも看護師さんにどうしたのか聞くと、「美空ひばりの歌が好きだと言われたので、聞いてもらったんです」と言われました。母はそんなことまで言ってたのですね。看護師さんは、よく母の言葉が理解できたなあと思いましたね。このホスピスでは、私が予想したよりも、母は快適に過ごせていると思いますね。

今日は、結局母は一度も眠りから覚める様子もなく、すやすやと眠ったままでしたので起こさず、我々はベッドの隣のソファに座っているだけでした。まあ、こんな時間もあって良いのです。これから、どうなるのでしょうね。

介護146:母が完食!・・あずき味の高カロリーゼリーって?

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し10日目の状況です。

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母が完食?

2024年6月2日(日)、いつも通り14時に面会に行きました。今日は日曜日なので、女房と長女と3人です。

母の個室に入ると母は起きていて、虚空を眺めているような感じです。私に気づくと、何か言いたそうです。3人で母が何を言おうとしているのか頭をひねるのですが、3回に1回位しかわかりません。今日はたまたま母の使っていた昔の「ICレコーダー」が家に残っていて、母の好きな曲も入っているのを見つけたので持ってきたのです。それで音を出して母に聞かせたのですが、どうも気に入らないようです。「オンリーユー神戸」という曲なのですが、歌手が違うようでそれを指摘したいようです。まあ細かいことですが、そこまで頭が回っていることの証拠ですね。せっかくICレコーダーを探して、これはと思って持って来たのに、その後、長女に「その音がうるさいから、(ばあちゃんが)何言うてるのかわかれへんねん」とか言われる始末です。トホホです。

その後、また母が喋り続け、昨日と同じように喉が渇いている様子なので「水飲みたいの?」と聞くと頷くのです。私がナースステーションに行って看護師さんを呼んで、昨日と同じように氷水にスポンジを浸して母の口に入れてもらうのですが、2回飲みました。その時に看護師さんから、「以前持って来てもらった2種類の食品の内、あずき味のゼリーが気に入られたようで、全部食べられました。飲むタイプのものは吸えないのでダメで、ゼリータイプの方がいいですね。」とのことを聞きました。後で調べたら、これは従妹の看護師のCちゃんが東京から送ってくれたものですが、その内の「アイソカルゼリーのあずき味」でした。

 

まさか、完食するとは予想だにしませんでした。まあ、母もいよいよ体内の栄養分の余分がなくなってきているのでしょうね。食べれるのはいいことです。

母は痛みもないようです。まあゆったりした時間でした。約1時間いて、最後に「ほな、帰るで」というと、母は手を振ろうとしてしていましたね。

帰りにドラッグストアに行き、このあずき味のアイソカルゼリーを買いました。

介護145:母の意識レベルが?・・施設の頃よりわかっているような!

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し8日目と9日目の状況です。

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毎日、面会に行く

2024年5月31日、今日も14時に女房と面会に行きました。母の様子は、何だか少し落ち着いているような印象を受けました。たまたま看護師さんがいたので、食事の摂取状況を聞くと、「今日は、桃のジュレを食べてもらったのですが、ほしいと言われて半分くらい食べられました。それにガリガリくんも半分くらい食べられましたね。」ということで、またびっくり。もう食べれないと聞いていたのですが、まあ少しとは言え自分から欲しがると言うのですね。また、驚いたのは、母がしきりに喋ろうとするのですね。でも、喉が渇いているのか、声が小さい上に、なかなか私が母の言いたいことを理解できないのです。そんな中で、私が母の好きなカラオケの十八番の「母なる海」と「オンリーユー神戸」のユーチューブの音を耳にあてていると、一部で声を合わせるようなことをするのでね。女房は、「Cグループホームにいた頃よりよくわかっているような」と言います。

何か母の中に変化があるのでしょうかね?

実は私は、明日の6月1日に、半年前から幹事で準備をしていた同窓会があり、司会とギター演奏の分担もあって、一旦欠席でその対応をお願いしていたのですが、今日の母の様子を見ていると、短時間だし何かあればすぐ駆けつけるなら出席できるかと思い、多少の後ろめたさがあるものの、家に帰り出席を伝えました。私は仕事を完全リタイヤしていますが、現役の人は本当に大変だと思います。常にいつでも呼び出しがある前提で働くのですから。

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2024年6月1日、月が変わりました。私は朝から1時間半かけて大阪での同窓会に参加しましたが、電話があるかと気が気でなかったですね。無事に同窓会が終わり、すぐに電車でそのまま母のいるホスピスのF病院に16時頃に行きました。母のいる個室に行くと、母は昨日と同じくらいに落ち着いている感じです。たまたま電車内で埼玉にいる母の妹(私の叔母)からの電話の着信記録があり、母の個室から電話しました。叔母には、今、母の病室にいることを伝え、母に「今、Yちゃん(叔母)と電話してんねん」と言って、母の耳にスマホを当て、叔母の声を聞かせ、口元にスマホを持って行くと、「Yちゃん」と言うのですね。昨日よりも意識がしっかりしています。その後、何か喋るのですが、喉が渇いているのか喋れなくて、私が「水いるんか?」と言うと、「うん」と頷くのです。そこで私は個室の外へでて看護師さんに「母が水がほしいようです」と言うと、母の所に再度戻って確かめ、「水ほしいんやろ?」と私が言うと、母が看護師さんにも頷きます。そこで初めて看護師さんが紙コップに氷と水を入れ、楊枝にスポンジのついたようなものに水を含ませ、口に入れるのですね。母は、そんなやり方で、スポンジの水を3回分飲みました。「もう水もほとんど飲めない」と聞いていましたが、結構な速さで飲んでいたのでびっくりです。それと、今回気づいたことは、足の浮腫が取れてきていることです。

私は、言わばスタンバイ状態が続いているので、少し私の緊張もほぐしてもいいかなと思えるレベルかと思うのですが、足の浮腫が取れていることを考えると、母に残っている最後のエネルギーを使っているのではとも思います。まだ油断はできませんね。

介護144:重たい気持ちの今日の面会・・「ひ孫マジック」が!

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し7日目の状況です。

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重たい気持ちで面会へ

2024年5月30日、昨日の状況からして、今日も女房と重たい気持ちでの面会です。14時に母の個室に行くと、ちょうど看護師さんらが3人でシーツの取替え中でしたが、「あとは面会後にします」とのことで席をはずされました。母はそのおかげで昨日と違い、しっかり起きていました。呼びかけるとすぐに私とわかったようです。一方的に私が大きな声で話をすると、昨日よりは反応がありますし、「わかる?」と聞いても、大きく頷くし、少し古い話をしてもわかっているようなのです。どういうことなのでしょうか? 昨日は風呂のあとで疲れていて、あんな無反応な状態になっていたのでしょうかね。あるいは、モルヒネが効きすぎていたのでしょうか?

26日の次女と孫(母のひ孫のKくん)の面会では、私は「一喜」し、その翌日と翌々日の面会では「二憂」があり、今日は「半喜」ぐらいでしょうか。これからもこんな浮き沈みがあるのでしょうかね、今日は、少し気が楽になって大きな声で、ひたすら母に喋りました。

その時、私はそうだと思いついて、東京の次女にLINEのビデオ通話を繋いだのです。次女はちょうど小学校のお迎えの時間で、電話を取ってくれ、すぐに家に帰ってまた掛けなおしてもらったら、母があまり開いていなかった目を少し大きく開けて、私のスマホの画面のひ孫の顔をじっと見ているのですね。そして、Kくんとわかったようで、Kくんが喋ると、声は小さいながらも「はい」って言ってるんですよ。びっくりしました。短い時間ですが、何度か頷く母をみて、「Kくん、今見たか?、ばあちゃんわかってるで!」と言いました。Kくんも「わかってる!」って言ってます。ひ孫マジックです。まあ、あまり長い時間で話すと疲れるので、少しだけで貴重な時間を終えました。

お陰で今日来た時の重い気持ちが楽になりました。次女とKくんに感謝です。有難うね。

介護143:毎日の面会で・・母の様態の変化にがっくり!

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し6日目の状況です。

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ベッドの横のこれが母の痛みをコントロールしている

2024年5月29日、今日も私と女房とで面会に行きますが、母のいたCグループホームのHケアマネが一緒に面会したいと申し出がありましたので、ホスピスのF病院のフロントで14時に待ち合わせしました。

14時きっかりにHケアマネに会うと、この急な展開ですので心配されているのがよくわかります。3人で4階の母のいる部屋に行くと、母は、喉から少し音を出して眠っているのでしょう、目を開けません。少し3人で話していると、看護師さんが来て、今日もお風呂に入ったことを言われたので、その疲れもあるのかなとも思ったのですが。その後に、眠っているように見える母を見ながら「お母さんは聞こえているはずです」ってはっきり言うのです。そうは思えませんが、暫くしてHケアマネが母の耳元で、「〇〇さーん、わかりますか、C(グループホーム)のHです。」と少し大きな声でいうと、喉の音はなくなり、母が少しだけですが頷くのです。でも、目を開けることができませんし、少し目が曇っている感じです。

私と女房は、それよりも昨日の状態より格段に反応が悪くなっていることにショックを受けました。一昨日27日の次女と孫(母のひ孫)の面会の時のあの動きと小さいながらの母の声が嘘のように思えるのですね。こんなことってあるのでしょうか?

私から看護師さんに母が食べたかどうか聞くと、「もうガリガリくんを、ほんの少し口に入れても飲み込めないですね。それに昨日は、口腔ケアも嫌がられましたが、初めてでしたね。」と言われました。私は今日も一口サイズのスイカを持って来ていましたので、それを言うと、「もう食べることはできないです」と言われたので、諦めるしかありません。

Hケアマネが「点滴はできないんですか?」と聞くと、看護師さんが「先生から言われたと思いますが、点滴で栄養を補給しても浮腫になったり、もう体が受け付けない時は逆に負担になります(正確な表現でないかも)」とのことでした。確かに母の足をみると手術の時のテーピングがなくなり、以前よりも浮腫が大きくなっていて、痛々しい感じです。それに尿のカテーテルもとれて紙おむつですので、そもそもINとOUTを考慮するとそうなるのでしょう。

そんな状況でも、Hケアマネがいくつか母に少し大きな声で質問をすると、頷くこともあるので、まだまだわかっているようではあるのです。

今思うと、東京から次女と孫が来た時がピークでだったと思います。看護師さんにその話をして動画を見せると「すばらしいです。すごいことですね」と言ってくれるのですが、私としては、次女と孫の面会時がある意味「奇跡」が如くで、逆に今の状態が普通である「悪い」状態ということでもあり、落ち込みました。昨日といい、今日といい、どんどん悪い方に向いています。

Hケアマネは、仕事柄、今までも多くの看取りを経験しているのでしょうね、口では言いませんが、今の状態での母の予後がある程度わかっていると思います。最後にお別れなのでしょう、母の手を握ってから、挨拶をして先に帰られました。

私は、ここのホスピスのF病院での説明と、もらったパンフレットに、喉元でゴロゴロという音がしたら、「唾液をうまく飲み込めなくなるためで、苦しさは少ない」とあります。このパンフレットに書いてあるこの現象が母にあるということは、もう1日単位もしくは時間単位の時間しか残されていないということになってしまいますね。

私は、この2日間で、母の様態が上向くと甘い考えだったので、それが外れて、急な崖から転がり落ちるような感じで、その落差に頭がついていけない状況です。