そらと読むか からと読むか

なぜこの2つが同じ漢字で表されるのだろう?

そらと言っても青空なのか曇天なのか、それとも赤く燃えるような夕焼けなのか?

突き抜ける様に大きくて、どこまでも開けてるから空っぽと表現するのだろうか?

空っぽの頭と心で大きな空を眺めてみても、多彩な表情を魅せるその様はとても空っぽには思えなかった。

ビルの灯りの向こうには夕焼けと富士の稜線が映し出されてる

きっと明日は晴れるかもしれない

夕焼け

夏の終わりの夕暮れ時 空を見上げると見事な夕焼け空が広がっていた

西の地平線には紅色の地平線からオレンジのグラデーションが広がり、頭上にはまだ青い空に赤みがかったグラデーションの雲がかかる

澄んだ青と強烈な雲のグラデーションの空を眺めているとなんだか現世とは思えない様な幻想的な世界に来たような気持ちになる

そんな気持ちを大型のトラックが目の前を横切ると一気に現実に引き戻す 排ガスのむせかえる様な匂いと共に

記憶

言ってみれば一種のプログラミングなのかもしれない。

五感に記憶した事から人は学び学習する

経験をする事でそれを記憶しプログラムをアップデートする

ただ厄介な事はパソコンと違い一度インプットした記憶を削除するのは容易では無い。 いやきっと不可能なのかもしれない。

時に記憶は人を動かし時に縛り付ける 人とは厄介な生き物だ

巨岩と砂

例えばエアーズロックの様な大きな一枚岩 その大きさはとても1つの岩とは思えないほど大きく多くの人を魅了する

そこから大きく1部が剥がれ落ちればそれは異なる岩となり、更に小さくなれば石と呼ばれ、砂利と呼ばれ更に小さくなれば砂となる

元は同じ1つでも小さくなるとその存在も小さくなり目立たなくなる

更に小さく砕けければ、チリとなりその存在はまるで消滅したかのよう

でもどんなに小さくなったとしてもそれはちゃんと存在して大きさこそ違えど元は同じ1つの巨岩

チリならばチリだとてその役割はきっとある

太陽

その明るさは世界を照らし その暖かさは命を育む

1億5千万km彼方から

しかし太陽は孤独だ 近づくほどにその力は強大で 全てを引き寄せ焼き尽くす

だからじっとその場に佇んで はるか遠くからただただ見守っている

46億年の孤独な太陽

クリスマス

どこもかしこもクリスマスイルミネーションで飾られて 日本中がクリスマス一色に染まってる

子供達はサンタクロースにプレゼントをねだり 恋人達はロマンチックなムードに溺れてる

ところでクリスマスって何? なんてどれくらいの人が考えるのだろう

クリスマスはキリストが産まれた事をお祝いする日 決して誕生日ではない

日本人の9割の宗教は仏教もしくは神道と言われてる キリスト教徒はおよそ200万人

本来は家族や親戚が一同に集い、ミサで祈りを捧げ、団欒の元に食卓を囲む

そんな日だ

決して恋人とイチャイチャする為の日ではない

しかしこれがきっと日本人なのだなーと思う日でもある

太古の昔から日本人は、外からの文化や風習を学び取り込み、自分たちでアレンジして独自のものを創ってきた

そもそも今こうして文章を書いている文字でさえ遥か昔に大陸から伝えられたものをアレンジして創られたらもの

良くも悪くも偏見に囚われず、良きものは良き、悪しきものは悪しきとして受け入れる文化

それが日本人の国民性なのかもしれない

正義と悪

これは持論だが、世の中には100%と0%はないと思っている。

しかし世の中には絶対的な正義はない! なのに恐らく絶対的な悪はあると思う。

例えば

「怨恨などで人を殺める人」 「戦争など戦場で人を殺める人」 彼らにはきっと彼らなりの理由があり、彼らなりには正義があるかも知れない。それが大多数の人達に認められないかも知れないが、極々少数の人達には共感出来る正義かも知れない。

正義とは立場や環境、視点が変われば変わるものである。

しかし

「何の理由もなくただ人を殺める事、苦痛を与える事が快楽な人がいたとする」

そこには自己の快楽と言う欲求だけしか存在しない。 これはまさに絶対的な悪では無いか。

しかも恐らく自然界の中において、 不必要に人を殺めたり傷付けるのは人間だけだと思う。

だとすれば、人間界の中には絶対的な正義はなく、一方で絶対的な悪は存在する

いわゆる悪魔がいるとすれば、恐らくそれは人間の事である

もし神様が居るとして、彼はなぜ絶対的な正義は創らず、絶対的な悪は創り上げたのだろう。