ぽろぽろ

しょせんたわごと

あの頃

活動休止発表からの2年間、ずっと泣きそうな顔して笑ってるじゃんって、櫻井くんを見ながら思っていて。久しぶりに観たあの頃の櫻井くんは、あの頃のわたしが思ってたよりずっとちゃんと笑ってて、ちゃんと楽しそうで、ちゃんと嬉しそうで、強い目をしてて。でもふとした瞬間、これ以上ないぐらい愛おしいものを見るような、それを失ってしまったら消えてしまうんじゃないかって顔をするから、その顔をわたしは「表で出したらダメな顔」と言っていたんだけど。あの2年間の櫻井くんを、嵐を見るのはずっとずっと怖かったんだけど、あの頃の櫻井くんがちゃんと幸せそうだったから、あの頃の映像を、活動休止からもうすぐで1年になりそうな今見られるのは、本当によかったと思うよ。

2020年6月、思うこと

6月の嵐とわたしについて書こうと思う。

なにかを語りたいと思って書いているわけではない。なぜこんな自分で自分の首を絞めるようなことをしているのかもわからない。けど、なにか形にして残しておかないと、消えてしまう気がする。嫌な記憶というのは、人間はすぐ蓋をしてしまうから。

残り半年。

 

6月14日現在。とにかくわたしはわからなくなってしまった。嵐のこと、櫻井くんのこと、自分のこと。なにがわからないのかもわからないけれど、櫻井くんの顔をみて、嵐をみて、大好きな人だと思うと同時に知らない人だと思ってしまう。

たぶん、voyageを見ていないのが大きいのだと思う。いやみろよという話ではあるのだが、どうしても見ることができない。そのくせ自分以外の人に櫻井くんを語られるのがどうしてもいやで、5月下旬から6月頭まではTwitterすらログアウトしていた。久しぶりに戻ってきたらなんか知らんがみんな病んでいて、ちょっと安心した。マイホームくさいな、と思った。

わたしは「知らない」ことに対しての恐怖心が人より少し大きいというか、「知らない」のなら語ってはいけない、話してはいけないと考えてしまいがちみたいなところがあって。調べても調べても知らない櫻井くんがたくさん出てくることに絶望したのはたしか高校2年の頃だったか。そこからわたしは、わたしだけしか知らない、わたしのためだけの、櫻井翔くんという虚像を作り上げました。情報や感情をパッチワークみたいにつなぎ合わせて、都合の悪いところはねじ曲げて、だれにも理解できない、わたしだけの、大事な大事な、つぎはぎだらけの櫻井翔くん。

わたしは、好きでいることに対してもそれ相当の努力が必要だと思っている。努力しなきゃ好きでいられないなんて本当に好きなの?と思うかもしれないけど、すべてが好きなんてそんなのちゃんと見れば見るほど無理じゃない?思ってしまう。それこそ顔しか見てないとか、歌声しか好きじゃないとかだったら、まあ可能ではあるけれども。彼の考え方に触れて、彼の感情に、信条に、美学に触れて、それまでひっくるめてもっと知りたいと思ってしまったのなら、わたしがわたしのままで1人の人をずっとずっと文句一つ言わずに好きでいるなんてむりな話。でも彼を変えることはできないから、わたしを変えるか、わたしの中の櫻井くんを少し変えるか、どちらかしかできない。それをわたしは努力と言っているだけで、別にたいしたことはしてないんだ。そうまでして「好きでいたい」と思えることこそが愛なのではないかとわたしは思うんだけど、そう思わない人とはめっきり話が合わない。まあ、話し合ったこともないけれど。

櫻井くんから得た情報をつなぎ合わせるのが上手かったのか、文脈を汲み取るのがうまかったのか、わたしが使った表現と同じような表現を櫻井くんも使っていたり、根拠となるエピソードが同じだったりで、なんか、とても櫻井翔に近い櫻井翔(虚像)がわたしの中で出来上がった、と思っていた。わたし、櫻井くんのこと超わかってるじゃんと思っていた。思い込んで、完全なる勘違いオタクになっていた。から、ぜんぜんわからなくなってしまった時、なにを信じればいいの?となる、なっている。最近の櫻井翔、全然わからない。わたしが作り上げた櫻井くんはうんともすんとも言わなくなっちゃった。あーあ。守りすぎたのかな。腫れ物に触れるみたいな扱いしてたから?怒っちゃった?

それでもやっぱりカイトのリリースが決まり、ファンクラブ限定で特別盤を出してくれることに対して愛しか感じない。知らない人と思ってるくせに、この愛は知ってる、わたしがずっと欲しいと思ってるものだってなる。わたしはたぶんちょっと、混乱しているのだと思う、6月14日。

 

カイトが手元に残る、円盤として手元に残る、想像以上に嬉しい、想像以上に楽しみにしている。

デジタルシングルがリリースされるたび、円盤化しろ😡と言っていたけど、はあ、手元に残るってこんなに嬉しいんだ。わたし、嵐のシングルとか、アルバムとか、DVDとか、当たり前のように買っていたけど、もはや条件反射のように買っていたけど、単純に純粋に欲しいから買っていたんだなあと改めて実感した6月15日。

思い出すなあ、とりあえずAmazonで予約して、近所のGEOで予約してAmazonは予約取り消し、GEOでフラゲがお決まりパターンだったなあ。部活中とかにリリース発表されると絶望で、あ〜初限買えないかも、、、って泣きそうになったり。パパに他の市まで取り寄せしに行ってもらったり。テスト終わるまで開かないぞって心に決めて、テスト終わった瞬間激チャで帰って何回も何回もMVみたり。

出来るだけ早く届けたいからっていう理由でデジタルというツールを選んでくれたこと、それは本当にありがたいし、その想いは伝わってるんだけど、やっぱり実際に手元に残るものは特別で。

ジャケ写のビジュがいい!って騒ぐのも、メイキングとMV何回めだよって家族に呆れられるぐらい見るのも、カップリング曲にときめくのも、フォトブックを1ページ1ページじっくり読むのも、全部含めて楽しみだったから、やっぱりこの楽しみは特別だなあって改めて実感しました。また味わえて嬉しい、とても楽しみ。

2020年1月25日

37歳の櫻井翔くん

1年間お疲れ様でした。発表を2日後に控えた1年前の今日、あなたはどのように思っていたのかな。

いつもたくさんたくさん「ありがとう」って言っているのに、37歳の櫻井くんに向けては、「ごめんね」ばかり言っていたような気がします。

わたしは本当に面倒なファンで、嫉妬はするし、悲しくなるし、怒らないけど苦しくはなるし、いくらあなたが言葉をくれても満たされることはなく、それでもやっぱりあなたに縋っていたいと思ってしまう、わがままで不出来なファンです。あなたはたくさんの人に愛されているから、物分かりの良いファンにだけ向けて言葉を紡いだっていいのに、わたしみたいなファンにも「内野」だなんて名前をくれて、掬ってくれるのあなたが大好きです。あなたしかいないと思ってしまうのです。

甘い人を好きになったわけではないと、そんなに綺麗事ばかりではないと、心のどこかではずっと思っていました。けれども37歳のあなたはいつもより優しかった。「内野」に対してずっと甘やかしてくれていました。綺麗な世界で包んでくれました。その優しさに甘えてばかりでごめんね。かけてくれた言葉は嘘じゃないともう少しだけ、信じさせてね。

わたしはあなたをたくさん定義づけて、嵐を定義づけて、アイドルを定義づけて、そうすることでわたしの中に生きるあなたを守ってきました。そうでもしなければ、同じ人を10年も好きでいることなんて、わたしにはできなかった。

でもそれって、全部全部あなたが嵐でいることが前提の話で。活動休止を伝えられたあの日から、わたしはあなたのことがわからなくなってしまいました。これからも嵐でいることには変わりない、でもあなたは嵐として活動しない日が来る。がちがちに作り上げたあなたから、一つでも不正解をもらうのが怖くて。なにを信じたらいいのかもわからなくなってしまいました。

でも、全てわからなくなったからこそ、「好き」という純粋な感情だけが浮かび上がったことも事実です。わたしのあなたに対する感情は、そんなに綺麗なものではないけど、そんなに醜いものではなかったね。自己満足で塗り固められたものの真ん中にはきちんとあなたに対する愛がありました。10年前、小学生だったわたしが抱いたものです。愛なんて、そんな簡単に使う言葉じゃないとあなたに笑われそうだけど、本当に好きだよ。

 

嵐から手を離されるぐらいであれば、いっそこちらの方から手を離してしまいたいと思ったこともあったけど、どうすればいいかわからなかったわたしに、「ついてきてください」と道標を示してくれたのは、嵐に対するあなたの執着なのかもしれないけれど、わたしにとってはあなたの優しさでしかありませんでした。優しさを受け入れるには、弱いままじゃいられないから、もう少し強くなるね。いつまでも手を引かれて後ろを歩くのではなく、しっかりと自分の足でついていくからね。

 

37歳の櫻井くん。いっぱいいっぱいすくってくれてありがとう。見捨てずにいてくれてありがとう。「わたしに」向けて、言葉をくれてありがとう。いっぱいお仕事してくれてありがとう。忙しい中でも、オトノハをサボらずにいてくれてありがとう。優しくしてくれてありがとう。変わらずにいてくれてありがとう。大好きでいさせてくれてありがとう。

 

38歳の櫻井くん

お誕生日おめでとう。わたしが好きになった時、あなたは27歳だったんだよ。それから毎年、いろいろな方法でお祝いしてきました。毎年1月25日はわたしにとって特別な日になりました。

もしかしたら、これが「嵐の櫻井翔」として迎える最後の誕生日かもしれないと思うたび、苦しくて苦しくてたまりません。

嵐は嵐を永遠にして、だからあなたはこれからも嵐の櫻井翔くんなのに、まだ活動休止という言葉を消化できずにいるわたしは、一個一個に対して終わりを感じてしまうのです。変なこと考えてばかりでごめんね。

櫻井くんはいま幸せですか?

少し前までのわたしはあなたに幸せになってほしいのではなく、あなたに幸せにしてほしいのだと言っていました。それがアイドルとファンの関係だと思っていました。あなたはまるでそれに答えるかのように、自分の幸せについて語ろうとしなかったし、いつだってわたしの幸せを優先してくれました。そしたら少し、苦しくなっちゃって。わがままにも程があるなあと自分でも思います。わたしが幸せだと、櫻井くんは苦しいのかもしれないと、そう考えるとわたしも苦しくなりました。

笑顔が寂しそうに見えるのは、あの日嵐を抱きしめるように歌っていたのは、すべてわたしの思い過ごしかな。あなたの純粋な笑顔をみたいと思ってしまったんだよ。

これからの未来、わたしがあなたを幸せにすることはできないから、どんな形であれ、あなたが「幸せだ」と笑うのであれば、心底から「よかった」と言いたいな。言えるようになるからね。

汚いエゴの塊を、愛だなんだとほざいてぶつけ続けてきただけなのに、「いつもありがとう」と言ってくれるあなたに、いつまでも甘え続けるわけにはいかないと、そう思いました。

櫻井翔くん、大好きです。本当に大好きです。大好きだから、幸せになってね。

ファンに守られることも、甘やかされることも全く求めていないあなたに、わたしがせめて恩を返すのだとしたら、あなたを信じ続けることしかないんだと思います。

 

大好きな櫻井翔くん。信じているよ。どんなときでも「進む」という選択をするあなたに、ついていくからね。これからも、よろしくね。

 

こんな日くらい、もっと綺麗な言葉で書ければいいのだろうけれど、これがわたしの精一杯です。わたしの言葉なんて届きもしないだろうけど、ここであなたの幸せを祈らせてください。

 

38歳のお誕生日おめでとう。あなたの未来に幸あれ。

 

 

 

 

二宮和也くんが結婚した話。

こんにちは。久しぶりにはてなブログを書くなあと思っていたら、活動休止発表後に書いていたんですね。過去のブログは文章があまりにも拙いので恥ずかしくなって非公開にしました。今も成長は特に見られませんが。

もう書くことはないと思っていたはてなブログですが嵐に何かあったときの自分の思いや考えはどこかに残しておきたいなあと思ったので書いてみようと思います。わたしの気持ちをまとめただけです。

 

二宮和也くんが結婚した話。』

 

まず、今回の結婚そのものについてのわたしの立場ですが、反対はしていません。が、別に「おめでとう!」とも「幸せになってね!」とも思いません。結婚発表を受けて、1番初めにしたツイートは「ほう」でした。(たぶん)リアルに口に出した、口から出た言葉も「ほう」(たぶん)でした。驚くことに二宮和也が結婚したことに興味がなくて、1人の人間が結婚した、ただそれだけ、みたいな。わたしのなかではそれ以上でもそれ以下でもなくて。でもTwitterでは嵐の二宮くんが、わたしの好きなにのが凄い勢いで叩かれていて。そこで初めて悲しくなりました。

 

ここで注目すべき点は、「驚くことに」興味がなかったというところにあります。そう、驚いたんです、自分自身に。

 

わたしはもともと「アイドルに結婚して欲しくない」派でした。圧倒的に右翼ですね。何が右で何が左かはわかりませんけど。結婚反対派って世間一般から見たら右派っぽい、どうでもいいですね。

過去にアイドルの結婚について話していたツイートやお題箱の質問があったので、引用します。櫻井くんを主語にした質問やつぶやきですが、まあ基本は誰についてでも同じです。

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1枚目は結婚否定派ではない方から結婚について質問されたお題箱です。2枚ともだいたい同じようなことを言っているので1枚目を読むのが面倒だなという方は2枚目だけ見てください。

 

わたしのファンとしてのスタンスは、基本的には〈全肯定型〉なんですけど、わたしみたいなファンにとってフィルターというものはなくてはならないものなんですね。

きっとこれまでに、嵐に対してアレ?と思うことは多少なりともあったのかもしれませんけど、すべての事柄に対してフィルターをかけて見ているので無理やり都合の良い解釈をして消化してきました。

ちなみにスタンスの根底にあるのは「自分さえよけりゃそれで良い」という自己中心的な考えので、全肯定オタクをやっているのもそれが一番自分にとって楽だからです。

話を戻しまして、だから些細な疑問についてはフィルターをかけてしまえば解消できるんですけど、結婚とか、熱愛とか、人間にとっては当たり前でも、アイドルにとって大きな変化だと言える物事に関しては、かけるフィルターがあまりに厚すぎてピントが合わなくなってしまうんですよ。ピントが合わないと辻褄が合わなくなってしまう、となると「あれ自分はなんで好きだったんだっけ」となってしまうんですよね。

じゃあその変化って私たちにとって必要ではなくて、むしろいらないもので、結婚しなくて良いじゃんとなるわけです。

彼らのために「アイドルだから結婚しないで」と言っているわけではなく、自分のために、自分が嵐を嫌いになりたくないから、自分が疲れちゃうから、「わたしはあなたというアイドル好きだから、結婚しないで」と言っているわけです。正確には言っていたわけです。

 

とまあ、こんなにとうだうだと結婚して欲しくない理由を語っていたわたしですが、いざ二宮和也くんが結婚したときにはなんっっっとも思わなくて、びっくりしました。

そこで色々考えてみた結果、二宮くんが結婚しても、わたしが特に何も思わなかった理由として3つがあったんですね。

 

1つは、もはや結婚ごときでは悲しまないと思うほど活動休止がショックすぎたということ。もう嵐の変化で悲しむのはきっと解散と脱退だ死しかないと思ったから。でもわたしがここで書きたいのは自身のアイドル観についてなので割愛します。

 

2つめはアイドル以外の二宮和也にそもそも興味がなかった、ということ。

わたしはアイドルである二宮くんが好きであって、人間自体には興味がないんだと思います。嵐ファンである前にアイドルオタクなので。

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こんなこと言ってますけど、アイドルである二宮くんと二宮和也という人間を別として考えているので、二宮和也さんという人間が結婚したとてなんとも思わないんですよね。

 

でも、いくら結婚したのがプライベートの二宮和也だったとしても、ファンが悲しむ選択をしたのはアイドルとしてどうなのかというところなんですけど。ここからは理由の3つめに入りますね。

 

3つめは、アイドルである二宮くんに対する絶対的な信頼。これ、まさしくこれ。「これまでの経験から蓄積された二宮和也というアイドルへの信頼感」に尽きるんだと思います。

 

ここでまず論点にしたいのは「結婚しないのはアイドルの条件なのか」ということです。

結婚否定派の中にはきっと条件と捉えている人もいると思います。愚痴垢を見回ったところ。

わたしは条件だとは思いません。要素のひとつに過ぎないと思っています。それもアイドルの要素というより、「ファンを悲しませないこと」の要素。そしてこの「ファンを悲しませないこと」がアイドルの唯一の条件だと思います。

 

そこで本題、二宮和也くんというアイドルに対する信頼感の話になるんですけど、嵐はファンを悲しませないアイドルとして頂点に上り詰めたと言っても過言ではないくらい、福利厚生バッチリ、安心安全、信頼と実績のアイドルです。そしてその嵐のメンバーである二宮和也くんももれなく、ファンを悲しませないアイドルだと思います。思っています。総合的に見れば。

発表があった日、こんなことを言っていて。

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初めて?今の結婚相手と熱愛報道が出たときにはこんなことを言っています。

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なにが言いたいかというと、「アイドルとしてお仕事している時の二宮くんってファンのことしか考えてないしたぶんそれってこれからも変わらなくない?」ということで、これこそが、結婚否定派だったわたしの考えをひっくり返した「二宮和也というアイドルに対する信頼感」だったわけです。

不安定になるのがいやだったんですよ、結婚によって、「わたしが」。

でもいざ結婚という変化が生じたところで、不安定にはならないだろうと思った、だから結婚に対してはなんとも思わなかった。エゴ!エゴの極み!!!

わたし自身は櫻井担なんですけど、二宮くんからもたくさん幸せをもらって、愛をもらって。

嵐の活動休止を告げられたとき、わたしを救ってくれたのはたぶん二宮くんです。今まで全肯定で生きてきたのにこればかりは肯定どころか受け入れることすらできずに、「前に進んでいきたい」という嵐に置いていかれそうになって、これじゃダメだと思うのにどうしようもできなくて、泣くしか出来なかったわたしに、「前を向かれてもつらい部分があると思うので、あまり前を向きすぎず」って口に出して、救ってくれたのは二宮くんで。

「ファンを悲しませないこと」について一つ一つの要素をしっかりと持ち合わせているから、その要素のひとつである「結婚しない」が消えたとしても、このアイドルは大丈夫だって、わたしのことを幸せにしてくれるんだって思えるんだろうなあと。

つまり「結婚しない」という要素以外の要素が大きすぎたので結婚したことに対する「悲しみ」よりも二宮和也というアイドルへの「蓄積された信頼」が勝ちましたというお話です。

まあその信頼を蓄積するためにはわたしのフィルターが欠かせないんですけど。わたしの二宮くんの愛の結晶みたいじゃん、素敵。

結局結婚したからアイドル失格みたいに主張する人達って、嵐や二宮くんをそれまでのアイドルとしかみていなくて、まあそれが条件だと考えているのかもしれないですけど、嵐に対しても二宮くんに対してもすごく失礼な考え方をぺらぺらと主張してるなあとは思います。そんなことわたしが言っても個人の価値観なのでどうしようもないですけど。

嵐は結婚ごときで価値が落ちるようなアイドルではないと思います、わたしはね。

正の意見って集合すればものすごく強いパワーになりますけど、負の意見って一つしかなくてもパワーが強いから。

なんの考えもなしに負の意見に流されて、信じてきた嵐を、二宮くんを見失わないで欲しいなあと思います。批判するなら、「嵐は4人でいい」と口に出すのであれば、よく考えてからにしてくださいね。このブログで何かを伝えるとしたらこれだけです。

 

以上、3つの理由からわたしは結婚発表を受けてもなんとも思わなかったし、悲しくないし、嫌いにならなかったんだろうなあと思います。

ま〜まだ1人の結婚報告しか経験していないのでなんとも言えないんですけどね。

だからラジオという個人の仕事で言ったのは正解だと思うし、コンサートでアイドルやってる最中に言う必要は全くないし、今後アイドルとしてでているテレビや雑誌などで結婚生活について言わないでほしいなあとは思います。

 

ちなみに結婚肯定派になったわけでもなくて、結婚はなるべくしないで欲しいと思っています、今でも。特に櫻井くんには。すごく自己中心的ですが、まあオタクなんてそんなもんでしょう。

 

 

 

「結婚が嫌なんじゃなくて相手が嫌なの!」「なんでこのタイミングなの!」という正当防衛の言い訳にされがちな問題ですが、相手に関してどうこう言っている人はもはや二宮くんではなく相手に興味が向いてしまっているので、それは二宮くんがかわいそうだなあと思わなくもないです。が、わたしとしては誰と結婚しようが相手に興味は向かないし、誰と結婚して欲しいも誰と結婚するのは嫌も特にないです。櫻井くんが小川さんと熱愛報道出たとき、「小川さんならいい」「むしろ結婚してくれ」という意見がすごく多くてまじかよお前らと思いました。相手が誰であっても嫌なものは嫌です、わたしじゃなきゃ嫌。結婚してよ櫻井くん、左手の薬指空けて待ってるよ。じゃなくて、そういう人はアイドルが結婚することについてあれこれ考えているわたしとは違うタイプなんだなあと思いました。

 

問題なのはタイミング、ここが争点になるんだと思います結局は。わたしも「今?」とは思いました、でも本人の口から何も言われないので気にしないことにしました、気にしようがないので。芸能人だからって1から100まで説明する義務があるわけではないし、説明できないこともあると思う。弁明、説明というのは彼らに課された義務ではなく、与えられた権利なのでね。二宮くんが権利を行使しないのは、きっとしないもしくはできない理由があるんだと思います。プライベートなことなので、なおさら。あまり悪者にしすぎるのもよくないなあと思いつつ、国立の倍率が下がってラッキーとも思ってます。激ヤバ。

というか休止後に結婚される方がわたしは嫌。そんな、嵐を失っている時に「普通に」結婚なんてしないでよってなります。喪失感でいっぱいになって欲しい。普通の生活すら送ることができないくらいに。ご飯も喉を通らなくて、夜も眠れなくて、何をしていても楽しくなくて、それぐらいなって欲しい。彼らにとって嵐はそういう存在であって欲しいと思ってます、わたしは。だから今の方がマシ。これは全肯定オタクの弊害でしょうか。わかりません。

本人の口から出されたもの以外はあまり信用しないタイプのオタクなので、タイミングについても考えてたってしょうがないなという感じ、都合のいいオタクでよかったなあと思います。

 

す〜ごい尻切れトンボですが終わります。

関係ないんですけど、最近愚痴垢をよく見るんですが、一度「お花畑を馬鹿にする愚痴垢に腹が立ちます」というようなお題箱をもらったことがありまして、それに対する答えがちょっと面白かったので最後に乗せておきます。

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例に漏れず長いですけど、暇な人は読んでください。

では。

 

書き殴り

「泡のように嘘だったと 消えたりしないでね」なんて歌うaikoは、本当に愛おしい人が泡のように消えてしまうと思って、この歌詞を作ったんだろうか。

嵐がいなくなったらどうしようなんて泣いていたあの頃のわたしは、本当に彼らがいなくなる未来を予想して泣いていたのだろうか。

 

永遠に、甘えていただけだと思う。

 

 

物心ついたときからアイドルが好きだった。20年間生きた中で、そのほとんどはアイドルに夢を見てきた。そしてあるときから疑問に思い始めた。

アイドルがみせてくれる夢って何だろう。

ずっとわからなかった。ここぞとばかりに「夢を見せてくれてありがとう」なんて語ってたのに。わからないまま感謝して、涙流して、語ってた。

大事なものは失って初めて気付くとは、よく言ったもので。

大事な、大好きな嵐が活動休止を発表して、初めてわかった。

 

夢ってきっと、永遠のことだ。

 

わたしは、嵐というアイドルに、「永遠」を求めていたんだ。

 

永遠なんてこの世には存在しない。20年も生きてれば、そんなことわかる。

でも彼らは、当たり前のように「ずっと」なんて言葉を使う。

 

それが悪いことだとは思わない。それが仕事だ。わたしたちはそれを、信じて疑わなかった。

 

永遠なんてないと、涙を流すオタクを、ここ数年だけでも嫌というほど見てきたのに。

 

それでも嵐だけは、もしかしたら、なんて心のどこかで思っていたわたしたちは、どうしようもないくらいに浅はかで、どうしようもないくらいに愚かで、どうしようもないくらいに愛に溢れている。

 

永遠が、壊された。本人たちの手で。壊された。

 

どうすればいいんだろうねって、あの日電話で話を聞いてくれた友達にひたすら問いかけていたのを覚えている。

 

どうすることもできないのに、ただひたすら正解を求めたのは、単にわたしが弱いオタクだからだと思う。

 

正解を誰かが示して、それに縋って生きた方が楽だ。自分で答えを見つけるのなんて苦しい。辛い。考えたくない。

 

どうすればいいのかわからない。

 

これまでずっと、「アイドルオタクなんて所詮自己満でしょ」だなんて開き直って、自分が幸せになるためだけに嵐を応援してきた。

 

でも、今は、どうすれば自己を満足させられるのかがまるでわからない。どうすればわたしは幸せなのかがわからない。

 

ああ、永遠だと思っていたしあわせは、もう永遠じゃないんだ。

 

そう思うと涙が止まらなかった。

嵐から徹底的に距離を置くことで、ようやく自分を保っていられた。このやっとの状態で、わたしは幸せになることなんてできるのだろうか。

 

わたしは、あなたたちに幸せになってほしいわけじゃない。あなたたちに幸せにしてほしいんだよ。

 

解散じゃないからいいなんて、そういう問題ではないんだ。

 

わたしが彼らにみた夢は、有限性が与えられた時点で、もうとっくに醒めている。

 

でも、それでも、やっぱり結局は嵐が好きだなんて馬鹿みたいな思いが1番強くて。

 

性懲りも無く、まだ彼らに夢をみていたいと思ってしまう。「永遠」を期待してしまう。

 

それでいいんだと思う。

発表の日から1週間とちょっと。ずっとどうすればいいかわからなかったけど、ようやく、道が少し見えた。メソメソするのはもうやめよう。逃げるのはもうやめよう。

 

2年しかない。でもあと2年も、彼らに夢をみていられる。

 

発表以来初めて聴けた嵐の曲。シャッフルで流れてきたのは「君への想い」。ドラマみたいでちょっと笑ってしまった。

 

受け入れることなんでできないから、しようとしないよ。

でも、あなたたちにも幸せになってほしい。

 

ずっと、自分が幸せにしてもらうことだけを考えてきたけど、

 

今そっと あなたたちの幸せも願うから。

 

幸せになろうね。

 

 

書き殴ったこのポエムみたいな自己満足ブログは、きっと彼らに届くことはないだろう。

届かなくてもいい。

綺麗に清書された、だれかの文だけ届けばいい。