ココ会長とはあちゃまのこと
雑感です。情報価値は皆無です。
先週、Vtuber桐生ココさん(ココ会長と呼ばれている)の卒業発表があり、ファンを含めた界隈がざわついている。
ココ会長は、ホロライブを現在のVtuber最大手にのしあげた立役者で、Vtuber配信を英語圏に再発信した人物(ドラゴン)だ。業界に与えた功績は計り知れない。
デビューから1年半、まだまだこれからと思われる時期に、急な卒業発表。理由についても多くは語られず、憶測やソースの曖昧な情報ばかりが増えている。…誰かの憶測が、あたかも真実のように語られるネット伝言ゲームが始まりそうだけど、周囲のVtuberや心あるファンが火消しに回っているようなので、今のところは大丈夫かなぁ?
ファンの一人としては、静かに見送るしかないのかと思いつつ、ホロの配信を見ると、ココ会長が出ていてもいなくても、不思議な心苦しさがあって、まともに見れなくなっている。…あぁ、自分で思ってる以上にココ会長のことが好きだったんだなぁ…と、びっくりする日々である。
と同時に、最推しのはあちゃまの事が心配だった。
まぁ、すぐにはあちゃま当人の口から無期限休止が告げられたのだけど。
何となく、ココ会長の卒業発表で覚悟はできていた。というか、覚悟しなくちゃいけないと理解できてしまった。
これまで誰もが見ないようにしていた「ホロライブから卒業する」という選択肢の存在を、ココ会長に突き付けられたと思った。
とはいえ、「はあちゃまのお知らせ」の配信サムネイルを見た時は、手足の先が冷える感触を久々に味わったけど。
ファンとしては、ずっと見ていたいと思うけど、それでその人の将来を縛りたくはないとも思う。
ココ会長もはあちゃまも、まだ若くて才能ある人である事に疑いはない。
Vtuberだけではない。たくさんの選択肢がある人だ。
ココ会長の卒業は、その新たな選択の一つだったように感じられる。(分からんけど)
はあちゃまが、これからどんな選択をするのか、見守りたい。(そもそも見守るしかない)
そして、出来る範囲で応援していこうと思う。
しかし以前から感じていた事だけど、Vtuberはこの先、どこに行くのだろうか?
2年くらい前、DWU嬢を契機にVtuberを見始めて、色々見る範囲を広げていくうちに、特に犬山たまきさんの配信で強く感じたのだけど、Vtuber業界は「バーチャルキャラクターの芸能界」を目指しているし、そうなっていくんだろうな、と思った。
実際、多様なキャラクターが交流し、関係性を育てて、現実のタレントと同じようにコマーシャルに使われたり、楽曲をリリースしたり、芸能界化は着実に進んでいるように思う。
できれば、生身の芸能人とは違う何かを生み出せる、新しい世界であると嬉しいんだけどなぁ…
はあちゃま帰って来るってよ
昼前に「おはよ」とツイートして、たった3文字で全世界のはあとんを熱狂させたはあちゃま、今晩久々の配信をする様子。
他人がやらない事をやる、唯一無二の存在であるところが好きだし、チャレンジする姿勢が大好きだけど。
実は、毎回そうでなくてもいいとも思ってるのです。
若いうちは分からないかもしれないけど、
力を抜いて、楽をする事は別にズルじゃないので。
人生、意外と長いんだよなぁ……
誰だって生きていかないといけない
目が離せないと書いた直後に、はあちゃまは休止状態に入ってしまった。特に情報もなく…休止に至る理由はいくつも思いつくけれど、憶測で何か書いてもしょうがないし、待つしかないのが辛いところではある。
ところで、この件に限らないんだけど、ネットって取材力も無いのに憶測で語る人、多すぎない?
ネット記事なんか、電話取材すらせず、TwitterやYoutubeだけをソースに書かれたものもよく見るし…「これが事実だとすれば」「私が考えるに」で始まるような、仮定の話に価値があるとは思えないんだけど。
情報発信するなら、せめて取材して一定の裏付けを元に語って欲しい。
一部の評論家気取りの、お気持ちで物申すYoutuber、ホント嫌い。
嫌いを語ってもしょうがないので、最近面白かったアメコミの話でも。
「スーペリア・フォーズ・オブ・スパイダーマン」
タイトルにでっかくスパイダーマンと書いてあるのに、スパイダーマンは(ほぼ)出てこない。マーベルの悪役がメインのコミックなのだけど…
主にスパイダーマンの悪役として有名なヴィラン集団、シニスター・シックスが、より凶悪な顔ぶれになって新しく集結!
そのメンバーは、ブーメラン! ショッカー! スピードデーモン! ビートル! オーバードライブ!
5人合わせて、シニスター・シックス!!!
「5人しかいないって? 知ってるよ。ありがとな」(ブーメラン談)
……
一応言っとくけど、この5人のうち誰一人として、マーベルの映画には出てません。コミックの中でも、悪事を働いているところに、(本来別の件で忙しい)スパイダーマンに見つかって、アクションシーンは端折られて、ウェブで吊るされてるシーンになってる事が多いような連中です。働いてる悪事も、適当に計画性のない銀行強盗な事が多いです。
まぁ、そんな程度の、人気も認知度も無い連中の集まりなのです。
(…今、なぜかカーレンジャーの「暴走戦隊ゾクレンジャー」思い出した。そんなに共通点もないのに)
新生シニスター・シックスは、そんなうだつの上がらない、しかし成り上がりたいという欲だけは人一倍あり、今さら更生して真っ当な生き方もできないという、愛せないクズ達による烏合の衆。
そんな彼らだって生きていかねばならない。稼いで食って飲んで寝て、時には贅沢もしたい。
なので、能力を生かして強盗したりカツアゲしたり強盗したり強盗したりする。
…本当に、救いようのないクズだわ。こいつら。
ちなみにシニスター・シックスなのに5人しかいないのは、リーダーのブーメランいわく、見えない6人目を想像させ恐怖させるのが目的との事だが、多分、誰も入ってくれなかったんじゃないかと思われる。この辺りの姑息な間抜けさも…
どうにも地味なメンバーによる、宇宙を救うような派手さも、正義を問うようなテーマ性も無い話だったが、これがとても面白かった。
うだつの上がらない人生を送っているという意味じゃ、読んでるこっちも同じだしな!wwwwwwww
という一点で謎の共感もあったりして。
実際、巨大企業の社長や国家機関のエージェントよりも、安アパートで飲んだくれてる悪党の方が、生活感は近く感じるわけで…そういった、「ヒーローのいる世界」で、尊敬されない小物ヴィランをメインに据えた話は、なかなか斬新だった。
シニスター・シックスの面々(特にリーダーのブーメラン)は人としてもクズで、簡単に嘘をつくし裏切るし、仲間を仲間とも思っていない、どうしようもない奴らだ。それでも、どこか嫌いになりきれないし、想定外のトラブルに慌てふためく様は滑稽で面白い。
ストーリーは完結しておらず、続刊も予定されているようなので、期待したい。
…1、2冊出して続刊が邦訳されない事多いのよ。アメコミって…
3/30のはあちゃまの帰還時に書くはずだった何か
およそ3週間以上の『自分探しの旅』を経て、はあちゃまが帰って来た。
どういう形での復帰になるのか、はあとんならずとも気になるところだったが、まさかの「Haachama × Akaihaato」ストーリーの完結編。
3/3時点で、完結させるのが難しくなったと語り、非公開にされていたアーカイブも、直前にかなりの数が再公開されていた。
ホロライブの中でどんな話があったのかは分からないけど、若者の挑戦をやり切らせる方に舵を切った事は評価したい。(年寄並感)…あと、ローションRFAのような、明らかにダメな物をきちんと事前に止めてくれるところも評価したいw
時々見ていて「怒られろ」と思うような企画をぶち上げるけれど、若いうちはそれでいいと思う。安全に出来る表現の限界を知って、その中で模索していく「大人のやり方」を覚える前に、今の感性でしかできないことをやって欲しい。
ネット時代はそれが炎上という形で、生命の危険もある事態になりかねないけれど、そこをうまく運営にコントロールしてほしいところだけど。
個人的に、僕がはあちゃまを好きなのは、挑戦し続けて、変化し続けるところだ。
一定のスタイルで続ける配信者もいて、続ける事の凄さという物も当然あるけれど、はあちゃまは勢い任せで、熟考するよりも行動するスタイル。それが、僕のようなオッサンにはとても眩しい。
失敗して、配信をグダらせてしまう事も少なくないけれど、「自分はまだ未熟! 成長途中! また頑張る!」と切り替えて、次のチャレンジに取り組んでいく。
この子はホントに若いんだなぁ…と感心するし、自分が同年代だった頃を思い出させられる。
根拠のない自信に溢れて、上手くいかなくても、挑戦し続ければ何とかなると思ってたあの頃…………Fire Bomberの「Remember16」とかカラオケで歌いたくなってきた。
閑話休題。話がズレた。
ほぼ一月ぶりのはあちゃまの配信は「Haachama × Akaihaato」ストーリーに決着を付けるものであった。
配信開始直後からしばらくは無言。虚無いはあと以降(50万人虚無耐久が初かも?)、時々やっている静止画とタイピングで進んでいく独特の演出が、はあちゃまの帰還を強く感じさせる。
そして、ファンアートを元に作られた動画で「はあちゃま」と「はあとちゃん」の過去が新しく設定される語られる。
仲良しだった双子の姉妹の片方が、事故で命を落とし…その後は???
既に語られた過去の断片が、ピースの欠片を埋めるようにはまって……あれ? 若干形が悪いな? ピタリとははまらないぞ、これw
まぁ、そんな感じで、全てを語り切るのではなく「ひょっとしたら夢オチ? よかった。首を斬り合う双子の姉妹はいなかったんだ」みたいな捉え方も可能な、含みを持たせた収まり方だった。
ホラー映画テイストの物語としては、正統派エンドかもしれん。
最後に、はあちゃまが画面に現れて、種明かしというか、裏話を始める。
この辺りから、急激に同時視聴者数が減って、最大7万人から4万人くらいまで落ちていたのも印象的だった。作者自ら物語のネタバラシをする事を嫌うタイプの人も一定以上いるという事なんだろうか?
裏話として語られる製作過程もまた、一つのエンターテインメントとして楽しいものだと思うので、自分はむしろ好きなんだけど。特に今回のような、特殊な作られ方をした物は、どういった経緯で生み出されたのか興味がある…
と、思ったら、どうもこちらの想像以上に行き当たりばったりだったみたい。
「はあちゃま」とは明らかに違うパーソナリティを持つ「赤井はあと」の帰還も、思い付きでやったとの事で…まぁ、この時点での「赤井はあと」の発言は、後々矛盾もしていくし、途中で旧衣装に着替えたあたりも、その場の思い付きっぽかったし、全体像が練られていない印象はあった。
深夜12時の入れ替わりとかも、最終的にあまり意味を持たなくなったし。
ただ、これをきっかけにどんどんアイデアが出てきたそうだ。それを惜しみなく、スピード感最優先で配信に投入していく行動力は、素直に凄いと思う。
物語の設定は考えていたようだが、それを敢えて詳しく語らなかったとも言った。
語らない事により、リスナーが余白を考え、考察をして、ファンアートやMMD動画、音楽、ゲーム、文章…様々な形で表現した。
それをはあちゃまは尋常でないスピードで取り込んでいく。
はあちゃまの配信数時間前にネットにアップされたファンアートが、動画に取り込まれていたりもしたらしい。
自分の力が及ばない範囲の事に対しては、リスナーの力を借りて、また、リスナー発のアイデアも、いいと思ったものはどんどん組み込んでいく。(その過程でプロットすら変更してたんじゃないかなぁ?)
このような形で、発信者と受け手との相乗効果で、何かが作られていくのは、過去にもラジオなどではあったと思うけど、ネットはスピードが段違いだ。リスナー発の素材のクオリティも段違いに高い。
ネットアイドルというより、クリエイター、ディレクターの仕事ではあるが、スピーディーに直感的にYoutube配信で物語を編み上げていく様は圧巻だった。
(後日行われたメンバー限定配信では、もう少し詳しい裏話が聞けます)
さて。そんなこんなで一応落ち着いた「はあちゃま劇場」
4月になると大学進学とも言ってたし、頻度は減りそうだけど、ちょっとは落ち着くのかと思っていたら…
今度は、過去にタイムスリップしてる…
歌配信の途中でいきなり昨年8月9日に戻ってしまい、最近の歌を「知らない。今流行ってるの?」などと言い、更に「5期生のデビューが楽しみ」「ENって何? 何の略?」「明日は誕生日」と畳みかける。
翌日の記念凸待ちでは、来てくれたすいちゃんとわためちゃんを巻き込んで、本当にきわどい展開に…! (昨年8月の記念凸待ちがそもそも、最初にもう一人「はあちゃま」が出てくる滅茶苦茶なものだったのだけど…あれ?もう一人のはあちゃま? 実は 何かの伏線だった⁉)
「次のアイデアは思いついた」とも言ってたけど、まさかこんなに早く行動に移すとは思ってなかった。
ホント、目が離せない…
終末まで残り100秒(2021年1月時点)
※ネタバレあります
そんなわけで久々にアメコミの感想。
「ドゥームズデイクロック」をようやく読んだので。
かの名作「ウォッチメン」の正統続編であり、DCユニバースとのクロスオーバー作品でもある。バットマンやスーパーマン、ジョーカー、レックス・ルーサーなどをはじめとして、DCの有名キャラクターが大挙して出演している。
多くのキャラクターが絡み合って、最初にいくつも「ひっかかる」部分を準備した上で、読み進めるにつれ謎が少しずつ明らかになっていく様は、確かに「ウォッチメン」と似た読書感で、正統続編に相応しいと思う。
分量もかなりのもので、読み終えた時の満腹感も凄い…のだけれど…
基本的に物語の発端が、オジマンディアスの「計画に邪魔だったからDr.マンハッタン排除したけど、計画が破綻したからDr.マンハッタン連れ戻して何とかしてもらおう」というのが何とも…
本当に世界で一番頭がいいのこの人?
「ウォッチメン」での計画は「あくまでもコミックだから」と思って飲み込んだけれど(ハリウッドは飲み込めなかったようで、映画版では改変されてた)、さすがに2度目は苦しい…プランBとしては、あまりにも適当すぎる。…まぁ、これじゃないと話が始まらなかったとは思うけどさぁ。
バットマンの行動もなかなか頭が固くて、読んでいて釈然としない…頭のいい人が急に頭の悪い事をやり始めるのは、クロスオーバーあるあるだけど…というかそもそもDCユニバースとウォッチメン世界とのつながりを描いた「ザ・ボタン」が全然伏線として機能しておらず、後半に入るまでバットマンが全然状況を把握していない。
というか、フラッシュはどこ行ったの?
ウォッチメン世界との繋がりを見せた「ザ・ボタン」では、物語に大きく絡んできそうな立ち位置だったのに、全く出てこない。フラッシュ本編で語られたサブストーリーがあったのかもしれないけれど、「ドゥームズデイクロック」を読んだだけでは投げっぱなしに見えて納得できない。
ロールシャッハについても不満が残る。
…彼がロールシャッハである必然性、あった?
それこそメタ的なところにしか理由が無いような気がする。読者は確かにロールシャッハを見たい。それは確かだけど、ロールシャッハらしさの足りない2代目でいいかというと、それは違う。
今回のロールシャッハの設定は、どちらかというと、バットウィングやハントレスのようなバットマンファミリーの新キャラのようだ。
人気キャラクターのロールシャッハを復活させたいという、宇宙の意思なのだろうけど、もっとやりようはなかったのかなあ?
物語の核は、Dr.マンハッタンが知ることになる真実で、我々が読んでいるコミックブックの世界の真実そのもの。この解釈を成立させたのはかなり斬新だと思う。
時代によって、ただ一つの「世界の核」は形を変えるのだけれど、変わらない部分もある。そのことに意味がある事をDr.マンハッタンは知り、我々読者も再認識する。
よくあるメタ視点の物語ではよく、作り物の世界を無価値と捉えたり、作り手や受け手の意思を敵視したり茶化したりするのだが、それとは全く違う。
「今後、どのような変化があっても『スーパーマン』を起点としてDCユニバースは広がっていく」という事の意味を物語世界の中でも明らかにした。それは、我々『読者』が誰でも知っているものだが、物語世界/DCユニバース内においても、同じ価値を持って世界に影響を与えていた事が、世界を俯瞰するDr.マンハッタンの視点で確認された。
DCユニバースは、第4の壁を飛び越えるのではなく、第4の壁の先と価値観を共有した。
…凄いと思うのだけど…
上に挙げたようなところが気になりすぎて、素直な感動を邪魔している感じは何だろう…
微妙に、素直に感動できないこの感覚は何だろう…
気になるので、もう1回読んでみるか…
「はあちゃま」は、また旅に出たようです。
前回ブログ書いた後も、はあちゃまの一連のストーリーはまだ終わっていなかった。
ちょっと一息ついて、自分の想いを表明しておきたかった…というところだったみたい。
物語の続きが語られ始めたので、面白半分に考察した文章を作っていたのだけど、それが完成する前「TRUE END」が語られるはずの昨日、「はあちゃま×赤井はあと」の物語に関する動画のほとんどは非公開にされ「物語を最後まで続ける事ができなくなった」として、代わりにエピローグ風の動画「#NEVERENDINGSTORY」がアップされた。(当初の動画タイトルは「∞」)
物語が未完に終わった理由については、憶測しかできないので、ここでは置いておくけど、「未完」であると言明した事で、価値はいささかも損なわれない。
はあちゃまが、この物語の語り口にチャレンジした事には、物凄い価値があったと思う。
Vtuberを、配信者アバターでありながら物語の登場人物に仕立てて、ライブストリームを、物語のワンシーンとしても見れるものに変化させた。
リスナーも、今見ている配信者が「はあちゃま」なのか「赤井はあと」なのか、目が離せなくなっていく。これまで見てきた「はあちゃま」は、いつの間にか「赤井はあと」から入れ替わっていた別人格だったという架空の物語のリアリティが、どんどん強固になっていく様は本当に刺激的だった。
その刺激を受けたリスナーが製作したファンアートや動画、ゲームも物語にどんどん取り込まれていく。
Vtuberの利点だと思う。幼い2人を描いたファンアートは、「はあちゃま」と「はあと」が別に存在していた証のように示され、違和感なく受け入れられた。ファンアートにインスピレーションを受けて、物語にアレンジが加えられた部分もあったように感じる。
この、リスナーとの相互作用も、視聴者参加型企画を数多くやってきたはあちゃまの真骨頂だ。
これまで、はあちゃまを形作ってきた様々な要素、ミームも全編にまぶされていた。
若さと情熱に任せて突き進む物語は、本当に魅力的だった。
残念なのは、未完である事より、アーカイブが非公開になっている事の方だなぁ…
ちょっと話は変わって、はあちゃまが久々にコラボ参加した2/23の大神ミオさんの配信「冬のユニーク俳句王決定戦」での一幕。
大空スバルさんが詠んだ俳句「君の手に 届けと願う バレンタイン」に対して、「手渡しじゃないの?」「届かない可能性があるのか?」「郵送か?」との感想が上がる中、はあちゃまは「私たちは『バーチャル』だから、『リアル』に届けるのが難しい。それでも届けたいという想いを詠んだ句」という、超解釈をして、凡庸な句(失礼)にエモい意味を見出していた。
もはや『バーチャルYoutuber』という存在の意味を誰もが忘れかけているこの時に、はあちゃまは『バーチャルYoutuber』に真面目に向き合い続けている事を感じさせてくれた。
あと、こうやって人の発言やなんかを余りに真面目に受け止めるところも、はあちゃまらしい。…人狼系のゲームで狂人ムーブを頻発するのもこのせいだと思う。明らかにおかしな言い分でも、筋の通った部分を見出そうとするし…すいちゃんに「チョロい」と心配された部分でもある。
はあちゃまは現在Twitterで「自分探しの旅に出ます」と呟いたのを最後に、何の動きも見せていない。
…昨年も6月あたりに、旅に出ると言ってしばらく不在だった時期があったけど、戻ってきたら撮ってきた旅動画で配信してたし、あんまり心配はしてない。
…ほんと言うと、心配してないわけじゃないけど、何もできないしね。ひょっこりかなココハウスにいてくれたりすると、安心だけどさぁ…
なんにせよ、我々『はあとん』は、固定観念に囚われずに、時についていけないくらいのチャレンジで振り回してくれるはあちゃまが大好きなので、戻ってきたらまた、全力で応援するだけだ。
「はあちゃま」が恐ろしい
Vtuberというものは、メタ要素を含んだフィクションという、面白い世界をYoutube内に構築している。…と、僕は認識している。
配信内容も、ゲーム実況が圧倒的に多いのだけれど、それぞれが独自の設定を持っていたりする。AIだったりモンスターだったり、騎士だったり、精霊だったりメイドだったり人生2回目だったり…
最初期は、(ほぼ)ゲーム配信者がゲームと隔絶した設定を持っている事に違和感があった。そこに何の意味付けもないまま配信をしている事が、凄く疑問だった。…最近では慣れ切って、いつの間にか気にならなくなっていたけど。
(ホロライブの4期生あたりだと、その辺りの設定を活かした部分も見受けられた。ドラゴンであるココ会長なんかは、ホロライブ事務所に落下して事務所を破壊してしまった事を機にアイドルをやる事になったというオリジンを作っている)
視聴者が配信者の存在をイメージするための動くアイコン…というと、ちょっと言い過ぎかな。
(個人的には名作SFマンガの「MAPS」を引き合いに出したい。宇宙船「リプミラ号」と頭脳体「リプミラ・グァイス」の関係。Vtuberのガワ(と呼ばれる部分)が、宇宙船で魂(と呼ばれる部分)が頭脳体だ。どちらもリプミラであるが、十全の力を発揮するためには両者が一つでなくてはいけない。そういう存在だと思う)
この2月上旬にVtuberファンの注目を集めたものの一つに、Vtuber赤井はあとの一連の配信がある。
赤井はあとはVtuberとしては、ベテランの部類に入る。ホロライブ1期生で、配信歴は3年近い。とはいえ、キャラクター付けは薄味だ。公式HPの紹介分も「生意気な後輩。普段はツンツンしているが仲良くなった相手には甘えたりする。赤いリボンとハートが好きで、髪や服によくつけている」という程度。いわゆるツンデレで生意気なキャラクターで、ずっと、そういうキャラとして振る舞っていた。(時々はっちゃけてたけど)
そんな「赤井はあと」が、昨年物凄い変化を遂げた。
ツンデレで生意気な後輩キャラクターから脱皮し、自ら考案した「はあちゃま」という愛称を定着させ、配信内容も試行錯誤を繰り返し、汚れキャラ、ネタキャラ的な自分を受け入れ、自虐的な自己プロデュースも平然と敢行した。賛否ある事を理解した上で挑戦的な企画配信をいくつもやった。
いつしか「はあちゃま」は、頭のおかしいキャラクターとして認知され、「赤井はあとは死に、はあちゃまという怪物に乗っ取られたのだ」というネタが定着するくらいになっていた。
という、前提を踏まえて…2月に「はあちゃま」は配信の中で、突如「赤井はあと」を復活させた。
「何か気取ってるようで好きじゃなかった」という「おはるーじゅ」という挨拶を使い、しばらく使っていなかった以前の髪形とコスチュームでゲーム実況配信を行ったのだ。
可愛く清楚な「赤井はあと」の帰還に、ファンは盛り上がった。
この時点では、どうせすぐに「はあちゃま」に戻るだろうと皆思っていて、気まぐれの視聴者サービスとして、ネタとして盛り上がっていた。
しかし、翌日も「赤井はあと」が配信を行った。
更にその翌日も。
加えて、深夜12時に「はあちゃま」が眠りに入り「赤井はあと」が現れるという状況が提示される。
ここから急激に展開はホラーになっていく。
「赤井はあと」と「はあちゃま」は、通常の配信を行いながら、凄絶な肉体の主導権争いを開始するのだ。
肉体の主導権? いや。そもそも肉体は元々別だったのかもしれない。
「はあちゃま」は「赤井はあと」を認識しているが、「赤井はあと」は「はあちゃま」を知らない? 忘れている?
どちらかが相手を「打ち首」にして、自分の身体とつなぎ合わせた?
謎とともに大量生産されるファンアートを、迅速に物語に取り入れながら、狂気の物語はヒートアップしていく。
Youtubeのチャンネル名は「Haachama Ch. はあちゃま」から「Akaihaato Ch. 赤井はあと」に変更され、Twitterの登録名も「はあちゃま」から「Akaihaato」に変更された。更にTwitterでは「sister」として自分自身のアカウントを載せ「はあちゃま」と「赤井はあと」の関係を示唆した。
この突然の展開に、後輩達も明らかな困惑を見せた。ゲーム内で接触した大空スバルさんなど明確に困惑して「手が震えて何て(チャットを)打てばいいか分からない」と言っていたほどだ。
狂気に満ちたショート動画も連日アップされ、視聴者もくぎ付けにされた。
最後に勝つのは「赤井はあと」なのか「はあちゃま」なのか。提示された「共存」というキーワードで、本当に平和に終わるのか?
この物語、現時点では一応の区切りは付けられたように見えている。
チャンネル名も「HAACHAMA Ch. 赤井はあと」に再変更された。
様々な考察が見られるが、これは、バーチャルな物語という側面と、メタな視点を両立させなければ成立しない、特異な物語として語られるべきだと思う。
明確な答えはなかったが、「はあちゃま」の中に「赤井はあと」がいるという認識は、間違っていないハズだ。
何よりも我々は「赤井はあと/はあちゃま」というキャラクターを強烈に刻み込まれてしまった。
彼女が配信を行っている時、「赤井はあと」と共存する「はあちゃま」の物語を意識せずにおれなくなってしまった。
我々視聴者は、彼女の事を「姉妹の魂を内包し、愛し合い争い合って、今ここにいる少女」として認識させられてしまった。
それは概要欄にそういう設定が書かれていたからではなく、配信を通じてそれを見せられたからだ。
これこそVtuberだからこそ可能な事だ。
今回の件は、今後の配信に多大な影響を及ぼす事で、だいぶやり難くなる事も増えるだろう。他の配信者との関係も、これまで通りにはいかないかもしれない。
それでも、自分で考えて変化を恐れず挑戦を繰り返す彼女は、本当に魅力的だ。
魅力的で、恐ろしくて、本当に目が離せない。(気が向いたらもう1回書きます)