告解12 仮説

愛情がいつか人間を終わらせるのかもしれない。みたいなことをぼんやり考えました。自分の子を幸せにしたいという気持ちが強くなって、でも世界の状況が苦しくなっていった時、この世界の中で子供を生きさせるのはかわいそうと思って、ちっとも子供を産もうとしなくなるかもしれない。すべて私の気持ちからでた私についてのぼんやりとした考えです。

そうじゃない、それは間違いと否定されたいです。

私は、変なことを色々と考えすぎた結果、最近では自分のことを遺伝子だとか、種だと捉えて思考をストップさせる癖がついています。とにかく、種として遺伝子として生き残るために・・・!!!という強迫観念にとらわれています。

子供がどんな風に育とうとも、どんな子供であろうとも、人間が生き延びればそれでいい、人間に生き残って欲しい、だから育てられるぞ、みたいな・・・ちょっと極端に行きすぎてると思います。多分子供を産むのが怖くて、うまく育てられるか不安で、でも産みたい気持ちも育てたい気持ちも強くあり、結果的にその極端にすがってるような気もします。

誰か笑ってくれ。

あ、ちゃんと笑ってくれる友達がいて、その人たちのおかげで、現実世界に戻ってきています。考えすぎると極端に走って、もうそれは現実でもなんでもない妄想の世界なんですよね。まずは足を治して、子供を産める体にして、話はそれからだ、今の私の現実はそれで、その先のことはまだ保留でいい。

 

2017/1/29の罪

今日も罪について詳細を書くことをサボった。

母に甘いお菓子を買ってきてと頼まれて買ったことはいいことのような、母の健康を考えた時にトータルではよくないことのような悩んでます。そして悩むこと自体しゃらくせえ、かわいくねえ、罪深い娘だ、みたいに感じたりします。

猫が相手をして欲しい時にしなかった。ただしこの罪は猫がおしっこをすることで既に精算は済んでるはず。

告解11 成り立たない会話

私は日常のすべての会話を録音しています。嘘です。でも録音する準備はしています。それも嘘です。あと一歩、準備が完了するまでは行っていません。録音することはいけないような気がして、そこで止まっています。でも録音する方が何かあった時に証拠として使えて身を守れるし、自分を律することができるし、何よりも自分の会話や日常を音で確認することは今までにない経験となるでしょう。しかも、どこかの知らない人にではなく、自分で録音するのですから。だけど、まだ実行にうつせていません。友人に、大人なんだからレコーダーを常に携帯しておけと言われて、納得したのに、ずっと葛藤しています。録音をし始めたらそれに慣れて、特に恥ずかしくもなく、罪悪感もなく、過ぎていきそうな気もします。だから、覚悟が決まるまではしなくていいかと甘えています。

録音をするかどうかについて考えていると、少しは会話というものへの集中度が変わりまして、その結果、自分の会話の下手さ加減に気づきました。それは結構辛い発見でした。親との会話の成り立ちにくさにずっと苦しんできたのに、原因は私にあるかもしれないのです。最悪だ〜・・・。

 

 

◆◆「あ〜○○さん、今いいですか」

○○「▲▲のことですよね、すみません!あれなんですけど実は」

◆◆「いやそれについてはいいんだ大丈夫、でね」

○○「あ、■■なら僕は関係ないっていうか、多分××が知ってると思うんですけど、××さんに聞きます(電話をかけようとする)」

◆◆「いいよいいよ、それはこっちがかけるからさ。■■のこといつから知ってたかな」

○○「ほんと、知ってたらやめとけって絶対言ったんですけどね。ほんと××最近あれですよね、この前もこういうことあって。それなのに注意してなくてすみません。」

◆◆「そんなに困ってないし、××にも事情があったかもしれないし、いいんだ。ただ、時系列を知りたくてね。いつ知ったかな?」

○○「調査みたいなのになったんですね、それって課長が言ってきたんですか?」

 

上の例だと、○○が先に先に行っていて、◆◆は目的がはっきりとした対応をしていますよね。私の職場、分野というか、でも、いくつか職場や環境を見たり聞いたりしたけれど、だいたいそんな感じかもって気がしている会話の特徴があって、それは、会話をしている時に、両方とも○○みたいに、常に先に先に話を進めていく会話が多かったです。ぱっぱぱっぱ進んでいって、結論を急いでいる割には最終的に聞きたいことを結局聞けなかったり、事実がどれか掴みにくい感じの会話。で、この先に先にの会話合戦がめっちゃきつかったし得意じゃなかったのに、プライベートで親やらに向かって使ってしまっているという・・・。

他にも、説得やマウンティングのような会話も多くて、それにも辟易としていたのに、プライベートでは私がやってしまってるんです。

もう・・・つらい・・・。

 

 

辻褄のあった楽しい会話もできるんですよ。ちゃんとできてる時もあるの。でも、今日は、ダメな会話の自分を感じる日だったので凹んでます。

 

2017/1/28の罪

トイレのドアを閉め忘れて怒られた。

自分勝手な会話をした。

 

告解10 終わらない物語と終わる物語

終わらない物語と終わる物語があります。今の私は終わる物語はあんまり好きじゃないみたい。本が終わっても、本の世界がずっと勝手にどこかで進み続けていくような話が好きです。その本の世界が、今私の生きている現実世界の中でのリアリティがあるかどうかより、パラレルワールドに存在していそうかどうかのリアリティが欲しいんです。

わかりやすく問題提起を含むように見える話も、大抵その本が終われば物語の世界が終わっちゃう感じがします。最悪な比喩だし、なんでこれを選ぶかについて全然説明できないけどAVみたい。AVのサンプルみたいに思える本もあります。私の受け取り方に問題があるだろうけど、どこかネタにする感じがあるの。でも、会話やディベートのネタにしたくて読むわけじゃないし、ネタにするならニュースの方がヤバい話がゴロゴロ転がってる。

自分の人生が私にとっては今問題だらけだし、自分の見える環境もめちゃくちゃトチ狂ってるように感じているからかもしれません。

 

とか言ってるけど、この意見もすぐ変わりそうだわ。すごくいい加減なんだよなあ・・・。いい加減なんだよなあって書くからいつか嘘になっても許してください。

 

今日歯医者に行きました。BGMでback numberのアルバムがかけられていました。アルバムだから、ずっとbuck numberの曲が流れます。クリスマスソングとハッピーエンド以外の曲も聞きました。歯科衛生士さんと歯科医の先生が、クリスマスソングとハッピーエンドのどっちがいいかを言い合っていて、言い合うっても、おふざけですよ。「えー絶対ハッピーエンドですよ」「クリスマスソングのがいいだろう」「映画見ました?あれ見ると絶対こっちになりますって」みたいな。みたいなと書いてるけど、ほぼこのまんまです。セリフのような会話だけどとても自然で楽しそうだったから、いいなあその会話とぼんやり思いながら私は奥歯に苦い薬を塗られました。いきなりズキズキしてきて、これはやばい虫歯があるに違いないと、慌てて電話して当日いきなり駆け込ませてもらったのに、結果は「ちらほら虫歯はあるけど全然大したことないよ、知覚過敏が酷くなってるだけだね」でした。お恥ずかしい。でも笑いもせずに、叱りもせずに、治療していただいた。なんて優しい人たちなんだろう。ありがとうございます。

なんでback numberについて書いたかというと、私が大好きなスピッツを初めて聞いたのは歯医者さんだからです。後に小学校の先輩に絶対に聞けと強制されてスピッツを知るのだけど、あの歯医者さんで聞いた曲だ!!というびっくりがあることで、どんどん好きになっていったんです。

 

そうだ!絶対書こうと思ってたニュースがあります。

訂正でんでん!!!!!!

意地悪な気持ちは全然ないです。これでね、言っちゃった首相はその地位にふさわしくないとか、あんな文章にもわざわざ原稿があるのかとか、意味もわからずに話してるのかとか、これでは日本危ないとかね、何一つ思わない。云々という言葉について真面目に考える気もない。

ただ、とにかく面白いです。それだけです。

「訂正でんでん」という言葉の響きと、スピーチの文脈の中での訂正でんでんの現れ方、言っている声のトーンと表情、首相の状況、全てが面白くって、こんなに面白いのになんでもっとニュースにならないんだろうって不思議です。思い出すだけで笑えてきます。明るいニュースだと思うんだけどな。一つも嫌味じゃなく思ってます。

ニュースで放送されないけど、どうしても共有したくて、家族全員に訂正でんでんの動画を見せたし、恋人にも教えました。

私は小渕首相のしょうもないギャグとかが好きで、政策のことなんか何一つ知らないけど、キャラとして好きでした。こういうのはよくないかもしれないけど、でも、首相もアイドルみたいな面があると思ってます。みんなが認識している有名な人がいて、その人について話すことで、同じ時代を一緒に過ごしたってことを実感できる。

みんな「訂正でんでん」を見れば笑うと思うし、みんなが笑わなくても、怒りの感情であっても、結構拡散されて浸透しそう。2017年ってこういう年だったねの一つになりうる言葉だと思うから、ニュースで放送されて話題になって欲しかった。放送されないみたいだから、誰も見てないブログだけど、2017年の言葉としてここに書き残します。

 

2017/1/26の罪

ブログも書かなかったし、罪についても付け加えてない

2017/1/27の罪

ドーナツをたくさん食べた。ダイエットするって決めてたのに。

告解9 やっと書いた

嘘800の話を書きます。伝えたいことは何もありません。

 

 

郵便局に行くと決めた。午後3時10分を少し過ぎている。シャワーを浴びれば出るのは4時を過ぎる。入らずに帽子をかぶれば3時半に出られる。6時前に帰らないと、夕食の準備が間に合わない可能性も出てきて、その時は印象が悪くなる。郵便局に行くだけなら4時でも大丈夫だ。今日は帽子をかぶって出ることにする。顔を洗って髪を櫛で梳かし、フリースのルームウェアから灰色のセーターとジーンズに着替えて赤い靴下を履く。無印良品のリキッドファンデーションを顔に広げて、白くなった顔にシュウウエムラのチークとアイシャドウを塗り、唇にRMKの赤いグロスを塗る。体臭はしなかったが香水を手首につける。天気予報にアプリを確認し、気温が5度であるのを見て、ダウンコートを羽織り、ファスナーを閉める。黒のベレー帽をかぶる。イヤホンを耳にはめる。裏紙で作ったメモに外出の目的を万年筆で箇条書きにする。ハガキを出す、切手をみる、住民税を払う。机の上に置いてあったハガキを右手に取る。左手で鍵を取り、ダウンコートの左側のポケットの中に入れる。iPhoneのmusicを開き、アーティストからスピッツを選び、スクロールして惑星のかけらを流し始める。家の電気を全て消し、鍵とハガキがあることを手と目で確認し、玄関に向かう。ドアを開けて、頬の肌で寒さをはかりながら、「鍵をかけるのを忘れない」と心でつぶやき、「い」のところでガチャっと鍵をかけた。
ああ死にたいな。嘘、死にたくない。すぐ否定する。そうしないと死んじゃう気がするからね。私は生きたいです。でもこんなに死にたい、生きたい思って他の人は生きてるのかな、これだけ考えていたら死に近づいちゃうか。あんまり死にたいって考えないようにしたいけど、気づいたら思っちゃうんだよ。いやーやめやめ、私は生きたい生きたい。もういつものカーブミラーのところまで歩いていた。世界に集中しないでここまで来てしまった。怠けた。ネガティブは怠けを持ってくるから、ちゃんと見ないで平気になるから困りものだ。飛行機雲が伸びていて、方角はどっちからどっちだ。コンパスを開くのはめんどくさい。このカーブミラーのある通りと平行でいい。天気は晴れ。今通り過ぎた車はメタリックグレーの軽自動車、スズキ、ナンバーは覚えないでもいいよね。ラーメン屋の駐車場にはタクシーが1台止まっていた。大通りは渡らずに右に曲がる。ハニーハニーの声は好きだ。歩道の横を車が通過して行くけれど、全然見なかった。見ているけど、見たと認識はできなかった。この坂は下り坂だ。信号の関係で車道の車がぐっと少なくなった。そのせいで軍手が落ちているのが見えた。写真を撮りたいけど、撮ってるのが誰かに見られそうだから諦めた。私の見ているものがそのまま残ればいいのに。でも残ってるけど。脳にはあって、私がボケた時に今日見た全部の車のことをいきなり話始めたらどうしよう。
マクドナルドを過ぎたら、空車の表示の立体駐車場の入り口だ。いつブザーが鳴るかわからないからここは注意する必要がある。無事に駐車場が終わると、落ち葉が見える。冬。冬は好き。寒いけど。曇りがちなのもいい。曇りがいい。唐揚げの匂いがする。揚げ物は危険だから最近全然作ってない。唐揚げは外食に任せよう。喫茶店が見えて来た。喫茶店じゃなかった。何回も間違える。ここは美容院。床屋と美容院の違いはなんだっけ、またこの前もウィキペディアで調べなかった。怠け者だ。今日こそ調べる、でもメモがない。忘れるかもしれない。花いっぱい運動で植えられた新しいパンジーはこの前のパンジーと一緒か変わったかわからない。一緒だったらいい。変わったってことになるのは私にとって都合がいいから意地悪だ。支離滅裂かどうか聞きたいけど、でもこれは誰にいうことでもなくて頭の中だから、これを全部書いたらバレてしまうけれど、みんなの頭の中はもっと理路整然なのか。見せてほしい。でも狂ってるとはっきりと確認するのは、そうなりたくないな。ごまかせるうちはやけくそになりたくない。郵便局についた。

 

 

 

 

嘘800の話は、なんだろこれ、お札みたいなものです。たまに湧いてくる、嫌ってくれ逃げてくれいなくなってくれいなくなってくれという気持ちいっぱいで、お札をはるように書くんですよ。今日はTwitterでもそういうのばっか書いた。

 

そういえば最近いきなりめちゃくちゃIggy Popを好きになりました。シンプルでかっこいいです。苦手意識を持っていたからこんなに好きになると思ってなかったから驚いてます。こういうことがあると、嫌いなものや苦手なものもいつか好きになるかもしれないから、今嫌いなのは悪いことじゃないなと思えます。嫌うのってなんだか悪いきがするんだけど、遠慮しなくていいよね。

 

今日あったことで書くことがもう一つある。図星な言葉できつくなっちゃって、泣いた。「動物をかわいがる」ってていでおもちゃにしている全てのそういうのを心底軽蔑している、という言葉でした。友達がリツイートしていました。泣いて神様か世界に許してもらい、いいんだよと言ってもらいたいような、ずるい気持ちで泣きました。でも、軽蔑されるとホッとしてもいる。そうだよ、私は最悪なんだよ、バレててよかったとも思うんです。

私は猫を好きなんだけど、私の猫を好きという心は、すごい気持ち悪いことなんだよ。私は餌と住居を支配しているから、つまり命を支配しているのに近くて、猫より上の立場になりやすい。つまり猫は奴隷です。奴隷を好きって怖いよ。で、猫はそれに抗える力があるのか分からないから、猫が私が困ることをしたりすると、その時は対等になれるんじゃないかと思う。私は猫に嫌なことされると安心する。猫が私を奴隷にするときもあってほしい。そして、私の気持ちや意向とは関係なく自由に生きてほしい。

でも、猫は下だ、動物だって強く思ってる時もあったりする。歪んだ関係なの。猫についてこんなことを時たま真剣に考えていたのをこうやってバラして、大丈夫かな。大丈夫じゃないかもしれない。

 

 

ずっとブログを書きませんでした。そしてその間も毎日罪も重ねました。書きたくなかったというより、むしろ書きたかったです。でも書かなかった。そういうもんです。恥ずかしい。

年も明けちゃった。めでたいことに、年末年始には何も終わらせない、何も始めないというモットーは今年も守れました。アホらしいけどホッとしています。

今日は絶対ブログを書くぞと思っていました。それは、ブログを書きたいのに書かないことへの罪悪感が限界まで大きくなったのと、東京から帰って来て実家にいると無性に悲しみに襲われてくるんで、魔除けのように言葉を垂れ流しておきたいからです。

 

罪については、明日以降、詳細を編集で付け加えていく。iPhoneにメモってるのと、写真を見ると思い出せるから、なるべく再現します。

 

2016/12/29の罪

ブログを書かなかった。

2016/12/30の罪

ブログを書かなかった。

2016/12/31の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/1の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/2の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/3の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/4の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/5の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/6の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/7の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/8の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/9の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/10の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/11の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/12の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/13の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/14の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/15の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/16の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/17の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/18の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/19の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/20の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/21の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/22の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/23の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/24の罪

ブログを書かなかった。

2017/1/25の罪

意地悪な言葉をたくさん書いた。

 

告解8 憧れと軽蔑を伴う聖域

12/27はSMAPデヴィッド・ボウイのことを考えながら書類の整理をしたり、デヴィッド・ボウイカレンダーの作業をしました。デヴィッド・ボウイカレンダーとは、やや挫折しているところもありますが、何とか365日全てをデヴィッドに関連する記念日にし、私が毎日デヴィッドについて考えるきっかけにしようという目論見で作っています。作っているとシングルの発売日とかがわからないものもちょこちょこあって、そのせいか、私の誕生日にあるシングルが発売されているのが、とてもとても嬉しくなってます。その曲をこれから依怙贔屓しまくります。

 

12/28は年賀状の宛名書きをやっとすべて終わらせて投函しました。遅い。ごめんなさい。

夜はTHE YELLOW MONKEYのメカラ ウロコ・27のLIVEビューイングのために映画館に行きました。会場間違えていて、モギリの人に、大変です!と言われました。あはは。ドジかましたけれど、ライブは無事に見ることができたし、幸せいっぱいです。

 

帰り道、性と犯罪と精神について考えていました。

大学生の頃の私は「音楽を聴くことの感動や快楽が一番気持ちよく、それで十分すぎるほど満たされるので、セックスはいらないとさえ思う」みたいなことを、よく言っていたんです。

何でセックスと比較しようとしたり、まるで一般的にはセックスが最上かもしれないですがね!みたいな言い草を使っていたのか、ただその事実だけ見て恥ずかしいです。

 

THE YELLOW MONKEYの歌詞には娼婦、ヴァギナ、ゲイのような性に関する直接的な言葉も多いです。差別になるような言葉もあります。反社会的な行動の言葉もあります。

 

私は子供の頃、おそらく今でも、性や犯罪に対して、憧れと軽蔑を伴いながら、どうしても無視できない欲望のような感情があります。性欲とは違う気がしますし、犯罪に手を染めたいとも思っていないけれど。知らないものを知りたいとか、もしかしたら何かとてもすごいものや美しいものがあるんじゃないかという、好奇心なんですかね。

 

THE YELLOW MONKEYの歌詞は私に憧れと軽蔑を同時に強く誘起されるものです。また歌詞のシチュエーションが全然私にとって現実的ではないし、悲劇のような印象のものが多いので、実際に同じことをしたいとは全然思わない。それがいいです。

 

 

この続き明日書きます。眠い。

 

 

2016/12/27の罪

ブログを書かなかった。この罪多いな

年賀状の宛名を書かない

一人でリビングにいたのに、リビンフの2つある電気を両方使っていた。弟に怒られました。

猫が吐いて、10分後に片付ける、と思っていたら先に母が来て見つけて片付けてくれた。ずるいことをした。

 

2016/12/28の罪

2週間コンタクトレンズを1日多く使った。

タクシーの運転手さんに聞かれた職業、年齢、今日の用事、すべて嘘をついた。

帰り道、前を歩いていた男の人を不審者じゃないかと思って、話し相手もいないのに電話をしているフリをして大きな声を出して歩いた。

 

告解7 SMAPにはめちゃくちゃ幸せになってほしい

SMAPの解散で、予想よりもずっとずっとずっとショックを受けています。SMAP×SMAPの最終回を見ながらずっとエグエグしていました。ベタベタした仲の良さはないけれど、ここぞと言う時の団結力みたいなものがある人たちだと勝手に思っていたし、私にとってはそう言う仲の方が羨ましかったです。苦楽を共にした仲間という感じがして。しかも、今日の映像を見る限り、2015年まで、とても楽しそうにしていた。こう言うのを見ると、苦しくなりますね。

 

解散に関してとてもとても悲惨な空気が漂っているのに、ちゃんと5人で笑って歌って踊っていました。言い訳も謝罪も悪口も何も言わなかった。でも誤魔化しはないようにみえました。歌声だってあのままだ。少しかたい空気だとか、悲しさや後悔や申し訳なさ、納得できない気持ちのようなものも隠していなかった。それなのに終始シャキッとして立派でした。すごかったな。

SMAPはファンとSMAPのことが大好き、と書いているファンの人がいて、たぶんそうだろうなと私も感じました。

 

私はそんなにSMAPを語れるほど、SMAPのことは知らないですけど、自分のせいで不幸な人が出ることを喜ぶような人間はあまりいないと決めつけているので、SMAPのことを思うとSMAPのファンの人(思い浮かべている友達が数人いますが)には幸せになってほしいです。

 

今年、デヴィッド・ボウイやプリンスが死んでまだまだ悲しい塊が体の中にあるのですが、SMAPは生きているので、生きているからね。

最低限の慰めみたいになっているけれど、好きな人が生きているということは嬉しいし幸せなことだって、デヴィッドのことで痛痛痛痛感した1年でした。死んだらおしまいなんてことはないの。死んでも相手について新しく知ることはできるし、知らないことはたくさんあり、関係は続くんですけど、それでも同じ地球上での空気のやり取りのようなものは絶対にできないんだろうなというのを脳が分かってしまって、どこまで行っても少し寂しさがついて回る。

今年はいちいち大きな事件がありましたが、じゃあデヴィッドならどんな反応をするんだろうとか知りたくても、もう頭の中のデヴィッドだけなんですよ。多分全然裏切られないの。頭の中のデヴィッドはどこまでも私にとって都合がいい存在なんです。それは生きていてもそういう点はあるんですが、強烈に裏切られる可能性がある。好きな人が私の思い通りにならないのも最高なことです。

 

生きている限り何があるかわからないし、だから、だからって接続詞で結ぶと変なことを言うけど、SMAPには絶対に幸せになってほしいです。めちゃくちゃ幸せになってほしい。

私も幸せになるし、みんな幸せになります。

なる!

 

2016/12/26の罪

SMAPのことでずっと泣いた。

猫に水をあげるときに手を滑らせてかけてしまった。寒いのにごめん。

年賀状の宛名を書くのをサボった。

告解6 16時間寝た

メリークリスマス!!メリー!!

昨日のクリスマスイブは恋人へのクリスマスプレゼントで失敗をして、とても落ち込んでいました。恋人はいいよと言ってくれたけど・・・。

めちゃくちゃ悩んだり考えたりして、いいものを選べたと思っていたんです。私が選んだものそのものをあげられたら上手くいったはずと思いたい・・・。結局ミスが続いて、頓珍漢なものを送り、単なる嫌がらせのようになったのでショックです。

はあ・・・。

 

あげたかったもの

・可愛くて、質の良い、でも落ち着いた色のセーター

・最近恋人がエレキギターを買ったので、音を変えて楽しめるようなエフェクター

あげたもの

・サイズの合わないセーター

・それ一つだけだとあまり遊べないようなエフェクター

ブースターと呼ばれるもので、何かと合わせるといいらしいのですが。

・あげたエフェクターには合わないタイプのアダプター(そのせいでコンセントから白煙が出てあわや火事に・・・)

 

恋人からは、発色が美しく上質な赤色のベレー帽を贈られました。嬉しい。それで英会話もせずに寝て16時間寝て、気持ちが落ち着きました。少し。

母からは赤を基調としたロングネックレスをもらいました。私は来年本厄なのですが、長い赤いものを身につけるといいらしいそうです。ありがとうです。

 

起きたら19時近くになっていたので、慌てて洗面所のタイル磨きをしました。少しは働いた気になりたかった。明日はもう少し大掃除をしたいです。

 

2016/12/24の罪

恋人へのプレゼントのことで落ち込んで英会話もせず、ブログも書かずさっさと寝た。

せっかく恋人や友達が慰めてくれたのに凹んだままだった。

 

2016/12/25の罪

1日の大半を寝て過ごした。

母と障子と襖の張り替えをしようと約束していたのに破ってしまった。