まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

9/4 北東北落穂拾い駅巡り(八戸線・大湊線・奥羽本線)

三陸遠征最終日は北東北の未訪問駅を中心に巡ります。

廿六日町消防屯所

十一日町消防屯所

二十八日町消防屯所

列車に乗る前に本八戸を散策。古い建物は少ないですが、戦前に建てられた消防屯所が3軒残っています。

陸中八木駅

 

本八戸6:13発久慈行き425D(キハE130-505+キハE130-502)で陸中八木へ。JRでは最後まで腕木式信号機が残っていたことで知られる駅です。駅舎は平成20年3月改築で、震災による津波では浸水被害を受けました。乗ってきた425Dと交換した陸中八木7:39発八戸行き4326D(キハE132-505+キハE131-505)はなぜか24分もの間停車するダイヤが組まれています。

下北駅

八戸で9:33発快速しもきた大湊行き3225D(キハ100‐202+キハ100‐201)に乗り換えて下北へ。駅前食堂で昼食。

野辺地駅

下北11:52発快速しもきた野辺地行き3230D(キハ100‐201+キハ100‐202)で野辺地へ。青い森鉄道線大湊線の分岐駅で、国鉄主要駅の雰囲気を色濃く残しています。駅そば店で夕食用に弁当を買いました。

津軽湯の沢

野辺地12:55発青森行き577M(青い森701‐5+青い森700‐5)、青森14:01発普通弘前行き658M(クハ700‐12+クモハ701‐12+クハ700‐16+クモハ701‐16)、弘前14:46発普通秋田行き1660M(クハ700‐33+クモハ701‐33)で津軽湯の沢へ。この駅もYahooで記事にしているので是非ご覧ください。

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浪岡駅

津軽湯の沢15:46発普通弘前行き1663M(クモハ701‐21+クハ700‐21)、弘前16:15発普通青森行き665M(クモハ701‐1+サハ700‐1+クハ700‐1)で浪岡へ。平成17年4月1日に青森市と合併した旧:南津軽郡浪岡町の玄関口で、特急「つがる」も停車します。平成21年11月8日改築の駅舎は地域交流センター「あぴねす」との合築です。

JA青森浪岡支店

駅近くの農協が年季の入ったいい感じの建物でした。

バス

駅から少し歩いた浪岡バス停から17:03発弘南バスに乗り、青森空港

JAL

青森空港18:30発JAL2158便で伊丹空港へ飛び、伊丹空港からは廃止が決まった阪急バス空港宝塚線で宝塚に帰りました。

9/3 秋口の三陸鉄道リアス線・JR八戸線駅巡り

一の渡駅

三陸遠征四日目は北リアス線八戸線の駅を巡りました。宮古5:00発久慈行き101D(36‐202)で出発し、一の渡へ。前後をトンネルに挟まれた深い山間の駅で、駅周辺に人家は少なく、秘境駅のような雰囲気が漂います。

佐羽根駅

一の渡6:09発久慈行き103D(36‐716+36-R3)で佐羽根へ。熊でも出そうな深い山間の駅で、駅から人家は見えないものの、田代川の対岸に集落があります。ホーム上には動物の人形が置かれています。

山口団地駅

佐羽根6:23発宮古行き102D(36‐208)で山口団地へ。平成22年10月16日に開業した駅で、その名の通り団地の中に駅があります。市営住宅の敷地を通らなければ駅の外に出られません。

島越駅

山口団地6:59発久慈行き105D(36‐208)で島越へ。この駅についてYahooで記事にしているので是非ご覧ください。

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陸中宇部駅

島越8:33発久慈行き1107D(36-706+36-705)で陸中宇部へ。昭和29年11月3日の合併で久慈市となった旧:九戸郡宇部村の駅で、鉄建公団線の駅らしい雰囲気を色濃く残しています。

陸中野田駅

歩いて陸中野田へ。九戸郡野田村の玄関口で、「道の駅のだ」が併設されています。野田村の中心にある上に道の駅併設ということもあって、かなり賑わっていました。

野田玉川駅

陸中野田10:52発宮古行き110D(36‐705)で野田玉川へ。この駅も記事にしているので是非ご覧ください。

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久慈駅

野田玉川12:04発久慈行き5111D(36‐704+36-702)で久慈へ。三陸鉄道リアス線とJR八戸線の接続駅で、北三陸の中心都市・久慈市の代表駅です。

駅前デパート

駅前に建つ駅前デパートは「あまちゃん」に北三陸観光協会として登場した建物。老朽化で解体というニュースを見てから何年も経つ気がしますが、まだ残っています。中の階段を上ってみると、すっかり廃墟化しており、廊下で燕が死んでいました。

平内駅

ここから八戸線の駅を巡ります。久慈13:03発八戸線八戸行き446D(キハE132-501+キハE131-501)で平内へ。南部もぐりで有名な岩手県立種市高校の最寄り駅で、学生の利用が多いです。ホーム上に待合所があるだけでなく、道を挟んだところに締め切り可能な広めの待合室があるのが利用の多さを感じさせます。

種市駅

歩いて種市へ。九戸郡洋野町の玄関口で、令和5年3月18日に無人化される前日まではみどりの窓口がありました。駅舎は準主要駅らしい立派なものだけに、無人化でがらんとして寂しげです。九戸郡洋野町は平成18年1月1日に九戸郡種市町と大野町が合併して誕生した町です。

陸中中野駅

種市15:23発久慈行き445D(キハE131-501+キハE132-501)で陸中中野へ。昭和30年2月11日の合併で種市町となった旧:九戸郡中野村の名を今に伝える駅で、海沿いの高台にあるものの、防風林に遮られて海は見えません。

本八戸駅

陸中中野17:25発八戸行き454D(キハE132-503+キハE131-503)で本八戸へ。この日はスマイルホテル八戸に宿泊。前回泊った駅前のホテルセレクトインが潰れてしまったために駅から少し歩かねばなりませんでした。

9/2 秋口の三陸鉄道リアス線駅巡り その2

陸中山田

三陸遠征三日目、この日は陸中山田以北の駅を巡りました。宮古5:00発釜石行き2D(36‐712+36-701)で陸中山田へ。下閉伊郡山田町の玄関口で、津波被害から再建された駅舎はオランダ島と風車を模したデザインです。

払川駅

陸中山田6:02発宮古行き1D(36‐701)で払川へ。平成31年3月23日、三陸鉄道移管時に開業した新しい駅です。震災からの復興に際し、駅周辺地区での人口が増加したことが駅設置に繋がったそうで、三陸鉄道の積極的な姿勢が感じられます。

豊間根

払川6:29発釜石行き4D(36‐714)で豊間根へ。乗ってきた列車の発車時、駅の先の線路上で牡鹿が草を食んでいましたが、列車の音に気付いたのか、茂みに消えていきました。豊間根駅はJR時代の平成18年10月改築。構内には交換設備を撤去した痕跡があります。

津軽石駅

豊間根7:06発久慈行き1003D(36‐706+36-705)で津軽石へ。この駅についてはヤフーの方で記事にしてあります。

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八木沢・宮古短大駅

津軽石8:08発宮古行き5D(36‐712)で八木沢・宮古短大へ。払川と同じく平成31年3月23日の三陸鉄道移管時に開業した駅で、岩手県立大学宮古短大部の最寄り駅です。ホームには地元住民によって花の植木鉢が飾られていました。

磯鶏駅

歩いて磯鶏(そけい)へ。駅前の公園には蒸気機関車9625が保存されています。

十府ヶ浦海岸駅

磯鶏9:11発久慈行き1007D(36‐714)で十府ヶ浦海岸へ。平成29年3月25日に開業した新しい駅で、復興事業で整備された米田高台団地の最寄り駅です。駅前に人家はなく、秘境駅とまでは行かないものの寂しい雰囲気です。

普代駅

十府ヶ浦海岸10:56発宮古行き110D(36‐706)で普代へ。途中、野田玉川で団体列車とすれ違いました。普代駅は昭和50年7月20日久慈線の終点として開業。下閉伊郡普代村の玄関口で、道の駅「青の国ふだい」が併設されています。

ふれあい交流センター(旧:下閉伊郡普代村役場)

農協普代支所

普代の洋館

普代の洋館

駅から普代川を渡った対岸の市街地には古い建物が多く残っていました。場所が場所だけに建築クラスタも来ないのでしょう。ネットでは見たことない物件ばかりです。

田老駅

普代12:53発盛行き5112D(36-704+36-714)で新田老へ。令和2年5月18日に開業した駅で、宮古市田老総合事務所の3階にホームがあるといった造りです。

田老駅

歩いて田老へ。新田老駅開業までは長らく旧:下閉伊郡田老町の玄関口でしたが、田老町の中心からは少し離れています。震災による移転もあって駅前に人家は一軒もありません。震災以前は田老観光物産センターとの合築駅舎がありました。

岩泉小本駅

田老14:09発久慈行き113D(36‐712)で岩泉小本へ。平成27年12月23日に「小本」から改称された駅で、下閉伊郡岩泉町の玄関口ですが、内陸にある岩泉町の中心からは大きく離れています。岩泉線は岩泉から先延伸して当駅までを結ぶはずでしたが、果たすことなく廃止されました。改称と同時に完成した駅舎は「小本津波防災センター」との合築です。

摂待駅

岩泉小本15:14発宮古行き114D(36‐713+36-705)で摂待へ。 摂待川沿いの集落にある駅で、築堤上のホームからは国道45号を走るバスが遠くのカーブを曲がって峠を越えていく様子が見えました。

堀内駅

摂待15:39発久慈行き115D(36‐202)で堀内(ほりない)へ。NHK連続テレビ小説あまちゃん」に「袖ヶ浜駅」として登場したことで一躍有名になった駅で、目の前には太平洋が広がっています。

田野畑駅

堀内16:40発宮古行き116D(36‐712)で田野畑へ。下閉伊郡田野畑村の玄関口ですが、村の中心からは大きく離れています。駅舎は店舗として使用されているそうですが、訪問時は閉鎖されていました。

白井海岸駅

田野畑17:22発久慈行き117D(36‐208)で白井海岸へ。この駅についてもYahooで記事にしているのでご覧ください。

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宮古駅

白井海岸18:02発宮古行き118D(36‐202)で宮古へ。この日も宮古に泊りました。

9/1 秋口の三陸鉄道リアス線駅巡り その1

盛駅

三陸遠征二日目は盛~岩手船越間の各駅を巡りました。宿から盛駅まで歩き、フリーきっぷを買って出発です。

恋し浜駅

盛5:43発宮古行き201D(36‐R1+36-715)で恋し浜へ。昭和60年10月15日に「小石浜」として開業、平成21年7月20日に改称された駅です。待合室に大量のホタテ絵馬が奉納されている様子は圧巻。高台にあるので、ホームからの景色もなかなか絶景です。

陸前赤崎駅

恋し浜6:16発盛行き202D(36‐713)で陸前赤崎へ。震災からの復旧時に移転した駅で、待合室には復旧工事や試運転列車の写真が飾られています。

甫嶺駅

陸前赤崎6:51発久慈行き203D(36‐713)で甫嶺(ほれい)へ。難読駅名として知られる駅で、震災では築堤やレールが被害を受けたものの、ホームや待合室の損傷は軽微で、昭和48年7月1日開業時のものが引き続き使用されています。

綾里駅

甫嶺7:14発盛行き204D(36‐715+36-R1)で綾里(りょうり)へ。昭和45年3月1日、国鉄盛線の終点として開業した駅で、三陸鉄道への転換時に観光センター「銀河」との合築駅舎が建てられました。観光センターは令和5年3月21日で営業終了し無人化、駅舎も3月31日で閉鎖されて立ち入れなくなっていました。立派な建物だけに勿体ない限りです。

唐丹駅

綾里8:17発久慈行き5205D(36‐715)で唐丹(とうに)へ。築堤上にある交換可能駅で、昭和59年4月1日開業時の雰囲気を色濃く残しています。岩手県議選が近いこともあって、選挙カーが行ったり来たりしていました。

三陸

三陸

唐丹9:46発盛行き5210D(36‐105+36-101)で三陸へ。平成13年11月25日に大船渡市に編入された旧:気仙郡三陸町の玄関口です。駅舎には三陸町観光センターが併設されて窓口もありましたが、令和5年3月20日で終了し、無人化されています。

吉浜駅

三陸10:29発宮古行き2207D(36‐711)で吉浜へ。昭和48年7月1日に盛線の終点として開業、昭和59年4月1日の三陸鉄道南リアス線開業までは終点だった駅です。大船渡市出張所が入居する「きっぴんセンター」との合築駅舎は顔のようなデザインで、「キット、ずっとプロジェクト」により桜の花が描かれています。駅舎内の出張所は岩手県知事選の投票所になっていました。

釜石駅

吉浜11:40発宮古行き2209D(36‐101+36-105)に乗車し、17分の停車時間で釜石駅を撮影。釜石線との接続駅で、かつてはこの先もJR山田線でしたが、平成31年3月23日の復旧に合わせて三陸鉄道に移管されています。

織笠駅

引き続き宮古行き2013Dに乗り、織笠へ。平成31年3月23日の復旧に合わせて移転した駅で、新海誠監督の映画『すずめの戸締まり』にも登場しています。

吉里吉里

織笠13:11発釜石行き12D(36‐704)で吉里吉里(きりきり)へ。難読駅名として知られる駅で、震災後に木造駅舎が解体されました。井上ひさし吉里吉里人』に登場する吉里吉里村は岩手・宮城県境の油島有壁辺りにあるかのように描かれているので、当地がモデルというよりは名前だけ借りているといった方が正しいでしょう。

浪板海岸

海を見ながら駅間を浪板海岸まで歩きます。震災から10年以上が経ちますが、高台への集落移転等もあって、空き地のままの場所が目立ちます。

浪板海岸

浪板海岸駅もまた津波で被害を受けた駅で、ホームや待合室も復旧に際して再建されたものです。駅前には津波到達地の碑があります。

岩手船越

浪板海岸14:38発宮古行き15D(36‐704)で岩手船越へ。本州最東端の駅で、船越半島の付け根に位置しています。駅舎はJR時代の平成15年3月改築。盛岡支社管内ではよく見かけるログハウス風簡易駅舎です。

平田駅

岩手船越15:03発盛行き5014D(36‐716)で平田(へいた)へ。釜石市街南部にある築堤上の高架駅で、ホームからは釜石大観音が見えます。

大槌駅

平田16:06発宮古行き2213D(36‐R1)で大槌へ。上閉伊郡大槌町の玄関口で、平成31年2月1日竣工の駅舎は「ひょうたん島」を模したデザインです。これは大槌湾内の蓬莱島が「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われていることにちなんだものです。

両石駅

大槌17:17発釜石行き16D(36‐712)で両石へ。高台にあるために津波被害を免れた駅ですが、復興に際して駅前の土地が嵩上げされたために高台という印象は薄くなりました。震災前の写真と見比べると集落との高低差が縮まったのがよくわかります。

鵜住居

歩いて恋ノ峠を越えて鵜住居へ。釜石市北部・鵜住居地区にある駅で、駅舎はなく、駅前に物産館と公民館があります。震災以前は地下通路でホームに接続していましたが、復旧に際して構内踏切に変更されています。

宮古駅

鵜住居18:16発宮古行き19D(36‐712)で宮古へ。この日はホテルビッグウェーブに宿泊しました。

8/31 涌谷駅を訪問&BRTで気仙沼・盛へ

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どうもお久しぶりです。転職やらYahoo!の記事を優先していたこともあって、更新が止まっておりました。駆け足な記事にはなると思いますが、去年の8月末以降の旅行記を書いていきたいと思います。

8/31~9/4の5日間、三陸地方の駅を巡りました。

涌谷駅

梅田モータープールを21:10発JAMJAM EXPRESS362便で出発し、仙台へ。夜行バスの中で腹痛と吐き気を覚え地獄でしたが、降りてからは少しマシになりました。

仙台9:48発小牛田行き2531M(クモハ701-1508)と小牛田10:40発柳津行き2927D(キハ110‐123)で涌谷へ。遠田郡涌谷町の玄関口で、駅舎は平成25(2013)年3月25日完成。

DE10 1549

205系M19編成

ホームで同業者がカメラを構えていたので、何かネタが来るのだろうと待っていたらDE10牽引の205系M19編成配給回送がやってきました。小牛田行きの列車と交換して石巻方面へ発車していきました。

遠田郡涌谷町役場

涌谷町役場を撮影。昭和35年11月落成の年季の入った役場です。

前谷地駅

 

涌谷11:44発女川行き1633D(キハ111‐220+キハ112‐220)で前谷地へ。BRTへの乗換えまで時間があるので周辺を散策。

石巻市河南総合支所(旧:桃生郡河南町役場)

前谷地駅は平成17年4月1日に石巻市と合併した旧:桃生郡河南町の玄関口で、駅の近くに河南総合支所も建っています。昭和39年に河南町役場として建てられたもので、老朽化が進むことから建て替え・移転が検討されています。

気仙沼線BRT

前谷地12:30発気仙沼線BRT気仙沼行き1939K(宮城200か22‐87)で気仙沼へ。BRTは法的にはバスなので駅巡りの対象から外しているのですが、機会があればBRTの停留所も巡ってみたいものです。

内湾入口(八日町)

気仙沼15:10発大船渡線BRT快速陸前高田行き3343F(岩手200か17‐65)で内湾入口(八日町)へ。BRTへの転換時に設置された停留所で、気仙沼市役所裏手の山に設置されています。専用道補修工事のため訪問時は一般道上を迂回運行していました。

気仙沼市役所本庁舎

高台に建つ気仙沼市役所は複数の建物から成り、そのほとんどが老朽化しています。本庁舎は昭和35年4月築の鉄筋コンクリート造地上三階地下一階建て。隣接して同年築のプレハブの東分庁舎・第2東分庁舎があり、裏手に昭和49年9月築のプレハブの第3庁舎があります。向かいのワン・テン庁舎のみ平成11年4月築と新しいです。

気仙沼市役所第2庁舎(旧:気仙沼尋常高等小学校)

そのさらに裏手の第2庁舎は明治42年気仙沼尋常高等小学校として建てられたもので、築114年。現在、令和8~9年度供用開始を目指して新庁舎の建設計画が進められています。

気仙沼ハリストス正教会

大原海産物店

気仙沼の看板建築

三事堂ささ木

気仙沼カトリック教会

男山本店

産婦人科

市役所周辺の気仙沼市街東側を散策。津波により多くの建物が失われたものの、津波を乗り越えて残った建物や再建された建物も多いです。

盛駅

内湾入口16:05発大船渡線BRT盛行き1347F(岩手200か1822)で盛へ。大船渡線の終点かつ三陸鉄道リアス線の起点で、岩手開発鉄道も乗り入れています。

岩手開発鉄道盛駅

旧:気仙銀行盛支店

保原屋本店

旧:盛ハリストス正教会

岩手開発観光

旧:佐々木医院

盛市街を散策。これまた質の高い近代建築の残る街ですが、空き家になっているものも多く、今後が心配になります。

中華料理「龍華」の唐揚げカレー(1100円)で夕食。あまりのデカ盛りに隣の席の老夫婦が驚いていました。

食後に地ノ森まで歩き、つつみ旅館に宿泊。

 

8/23 残暑の越後線・弥彦線・信越本線駅巡り

この日も引き続き越後線弥彦線信越本線の駅を巡りました

出雲崎

柏崎5:32発吉田行き121M(クモハE128-103)で出発し、出雲崎へ。三島郡出雲崎町の玄関口で役場も近いですが、本来の港町・出雲崎からは離れた内陸部に位置しています。良寛堂を模した駅舎は昭和56年11月改築で、令和3年3月12日まではみどりの窓口も設置されていました。大正元年12月28日開業時の所在地は三島郡西越村で、昭和32年6月30日に出雲崎町と合併して三島郡出雲町となり、即日改称で出雲崎町となりました。

小木ノ城

出雲崎6:27発柏崎行き122M(クモハE129-120)で小木ノ城へ。地元の請願により昭和33年6月25日に開業した駅で、駅前には当時の郵政大臣田中角榮揮毫の竣工記念碑が建っています。ホーム上にコンクリート造の待合室があり、ベンチは簡素な造りの増築部にのみ置かれています。駅名の由来は近くの城跡。

矢作駅

小木ノ城6:59発東三条行き125M(モハE129-7)と吉田8:06発弥彦行き264M(クモハE129-107)で矢作へ。西蒲原郡弥彦村役場の最寄り駅で、近くには日本一の大鳥居もあります。昭和59年3月31日改築の駅舎は彌彦神社をイメージして柱が朱色に塗られています。駅周辺は明治34年11月1日の合併まで西蒲原郡矢作村でした。

燕駅

矢作8:25発吉田行き265M(クモハE128-107)と吉田8:57発東三条行き229M(クモハE128-115)で燕へ。洋食器の生産で有名な燕市の代表駅ですが、今年3月18日に無人化されています。いくら隣に新幹線駅があるとはいえ、こんな大きな駅を無人化してしまうのはいかがなものでしょうか。昭和43年3月26日改築の駅舎は主要駅らしく大きなもので、その広さが余計に寂しいです。駅裏にはかつて新潟交通電車線の駅がありました。

日本基督教団 燕教会

燕も歩いてみたい街ではありますが、暑いので駅近くの燕教会とその周辺だけを撮影。燕教会はヴォーリズ事務所の設計で、昭和5年に建てられ、39年と45年に増築されています。

西燕駅

燕10:08発弥彦行き228M(クモハE129-115)で西燕へ。昭和29年12月25日に開業した駅で、駅舎の建物財産標には昭和30年3月20日の日付があります。駅舎はモルタルの古いもので、駅前より一段高いところに建っています。

北三条駅

西燕10:30発東三条行き231M(クモハE128-107)で北三条へ。「北」とつくものの三条市の中心部に最も近い駅で、平成9年9月15日に高架化されています。ホームは一本でこじんまりとした印象の高架駅です。

石黒医院旧館

旧:渡辺医院

旧:小出医院

旧:外山虎松商店

駅南側は三条市中心市街で、近代建築も多く残っています。せっかく昼時なので散策の途中にラーメンを食べようと予定していましたが、臨時休業で食べ損ねました。

燕三条

北三条12:13発吉田行き232M(クモハE129-107)で燕三条へ。三条市燕市に跨る上越新幹線との乗換駅で、書類上の所在地は三条市です。弥彦線ホームは1面1線で、利用者の多さの割に無人駅扱いです。

東三条駅

燕三条12:43発東三条行き235M(クモハE128-115)で東三条へ。信越本線弥彦線の分岐駅で、三条市の代表駅です。新幹線停車駅の燕三条を差し置いて三条市内で最も利用者の多い駅で、燕三条からは無くなってしまったみどりの窓口も残っています。駅舎は昭和34年1月26日改築で、平成28年4月15日に三条凧合戦の六角凧をモチーフに改装されています。明治30年11月27日に北越鉄道の終点「一ノ木戸」として開業、越後鉄道(現:弥彦線)乗入れ翌年の大正15年8月15日に改称されました。弥彦線はかつて越後長沢まで伸びていたものの昭和60年4月1日に廃止されています。

田上駅

東三条13:06発普通新潟行き445M(クモハE129-19)で田上へ。南蒲原郡田上町の町名を名乗る駅ですが、役場へは羽生田駅の方が近いです。昭和60年12月3日改築の駅舎内には駅そばを食べることができる「田上駅あじさい売店」があり、小さな無人駅には珍しい駅そばのある駅として知られています。昭和18年9月22日に田上信号場として開業、昭和21年6月5日に仮駅として旅客扱いを開始し、昭和24年5月28日に駅に昇格しました。

保内駅

田上13:41発普通長岡行き440M(クモハE128-15)で保内へ。植木の生産が盛んな三条市保内地区にある駅で、駅舎は平成12年2月29日改築。昭和18年9月20日に保内信号場として開業、昭和24年8月1日に駅に昇格しました。開業時の所在地は南蒲原郡大崎村で、明治34年11月1日の合併までは南蒲原郡保内村でした。大崎村は昭和29年11月1日に三条市編入されています。

矢代田駅

保内14:09発普通内野行き447M(クモハE129-127)で矢代田へ。平成17年3月21日に新潟市編入された旧:中蒲原郡小須戸町の駅で、みどりの窓口も設置されています。駅舎は平成20年6月14日に橋上化。駅周辺は明治34年11月1日の合併で小須戸町となるまでは中蒲原郡矢代田村でした。

加茂駅

矢代田14:35発普通長岡行き442M(モハE129-3)で加茂へ。加茂市の代表駅で、特急「しらゆき」が停車し、みどりの窓口も設置されています。駅舎は昭和34年1月改築で、待合室内にはセルフレジによる無人のキオスクがあります。かつては駅舎内に医院も入居していました。昭和60年3月31日までは駅裏に蒲原鉄道の駅がありました。

羽生田駅

加茂15:13発普通新潟行き449M(クモハE129-15)で羽生田へ。南蒲原郡田上町役場の最寄り駅で、平成20年2月に個性的なデザインの駅舎に改築されています。令和3年1月31日にみどりの窓口が廃止され、今年3月17日に無人化されました。駅周辺は明治34年11月1日の合併で田上村となるまでは南蒲原郡羽生田村でした。

押切駅

羽生田15:43発普通長岡行き444M(クモハE128-16)で押切へ。平成17年4月1日に長岡市編入された旧:南蒲原郡中之島町の駅ですが、長岡市見附市との境界近くにあり、町の中心からは大きく離れていました。駅舎は平成7年3月16日改築。駅周辺は明治34年11月1日の合併までは南蒲原郡神通村で、今でも農協支店名に異表記の「上通」の地名が残っています。駅名の由来は駅がある池之島に隣接する押切新田。

三条駅

押切16:25発普通新潟行き453M(クモハE128-3)で三条へ。三条市街の東南部に位置し、どちらかと言うと「南三条」を名乗った方が良さそうな立地の駅で、風格ある木造駅舎が残っています。市名を名乗るものの、代表駅としての地位は東三条駅に奪われ、駅前も閑散として町外れのような雰囲気です。

北条駅

3分遅れの三条17:06発普通長岡行き446M(クモハE128-15)と長岡17:37発普通直江津行き1344M(クモハE128-134)で北条(きたじょう)へ。毛利氏がかつて拠点とした北条城址の最寄り駅で、駅舎は平成3年12月改築。大江広元の子・毛利季光を祖とする毛利氏はかつて越後を拠点としており、後に中国地方の雄となる安芸毛利氏は越後毛利氏から分かれた一族です。駅舎内には越後毛利氏の説明が貼られていました。駅周辺は昭和46年5月1日の柏崎市編入まで刈羽郡北条町でした。

北条18:35発普通長岡行き1343M(クモハE129-132)で長岡へ。予定では越後広田も降りるはずでしたが行程に無駄が多く、あまりの湿度に嫌気がさしたので涼しい季節に来た時に回すことにしました。長岡駅大手口21:25発Willer EXPRESS SY3691E便で関西に帰りました。

8/22 残暑の越後線・信越本線・弥彦線駅巡り

8/22~23の二日間、新潟の駅を巡りました。一日目は越後線を中心に、列車のない時間帯は信越本線弥彦線の駅へ。

柏崎駅

前夜22:10に大阪駅前桜橋口高架下を出た越後交通0101便が柏崎駅前に着いたのは定刻より6分早い午前6時。柏崎駅柏崎市の代表駅で、昭和42年10月6日完成の駅舎は横に長い二階建て。駅前にはブルボンの本社があります。明治30年8月1日に鉢崎(現:米山)から伸びてきた北越鉄道の終点として開業、当時の所在地は刈羽郡枇杷島村で、昭和3年12月1日に刈羽郡柏崎町に編入され、昭和15年7月1日の市制施行で柏崎市となりました。

刈羽

柏崎6:29発東三条行き125M(クモハE128-1)で刈羽へ。柏崎刈羽原発の所在する刈羽郡刈羽村の玄関口ですが、駅前は閑散としています。駅舎は昭和59年3月31日改築。駅前にあるバス待合室は中越地震で傾いたこともあったそうですが、修復の上で引き続き使用されています。

西中通

刈羽6:53発柏崎行き122M(クモハE129-134)で西中通へ。昭和29年4月1日に柏崎市編入された旧:刈羽郡西中通村の名を今に残す駅で、駅舎は昭和59年3月30日改築。大正元年11月12日開業時は「荒浜」を名乗っており、大正4年7月1日に所在地名に合わせて改称されました。

荒浜駅

西中通7:35発吉田行き129M(クモハE128-134)で荒浜へ。平成19年7月16日の中越沖地震で被害を受けて平成20年3月25日に再建された駅で、駅舎だけでなくホームも新駅のように新しいです。大正4年6月15日に「新荒浜」として開業、一か月と経たない7月1日には改称されて二代目の荒浜駅となりました。当時の所在地は刈羽郡荒浜村で、昭和29年4月1日に柏崎市編入されています。

前川駅

荒浜7:54発柏崎行き128M(クモハE129-102)で柏崎へ戻り、8:31発普通長岡行き1327M(クモハE129-23)で前川へ。長岡市郊外の田園と住宅が混在する地帯にある駅で、ホーム間は駅構外の地下通路で結ばれています。昭和38年9月29日に前川信号場として開業、翌39年8月15日に駅に昇格しました。駅のある上前島は明治の町村制で古志郡前川村となり、明治34年11月1日の合併で古志郡上組村となり、宮内町への改称を経て昭和29年3月1日に長岡市編入されています。

南吉田駅

前川10:06発普通直江津行き1330M(クモハE128-121)で柏崎へ戻り、10:46発吉田行き141M(クモハE128-102)で南吉田へ。燕市役所の最寄り駅で、周辺には住宅が多いものの駅自体はひっそりとしています。昭和40年6月10日開業時の所在地は西蒲原郡吉田町で、平成18年3月20日の合併で燕市となりました。

粟生津

炎天下を30分ほど歩いて粟生津(あおうづ)へ。昭和29年11月3日に吉田町に編入された旧:西蒲原郡粟生津村の駅で、駅舎は昭和45年12月11日改築。島式ホームの駅舎側を撤去して棒線化されています。駅前には「農協踏切」という名の踏切がありました。

桐原駅

 

粟生津12:39発柏崎行き140M(クモハE129-102)で桐原へ。米どころ越後らしい田園地帯を眼前に望むことができる駅で、駅舎は昭和59年3月31日改築。旧駅舎時代の昭和49年8月27日には女子高生を人質とした立てこもり事件の舞台となっていますが、現在の平穏な様子からは想像もつきません。

弥彦駅

桐原13:02発新潟行き147M(クモハE128-134)と吉田13:38発弥彦行き234M(クモハE129-107)で弥彦へ。越後国一之宮彌彦神社の最寄り駅で、西蒲原郡弥彦村の玄関口です。大正5年10月16日に越後鉄道の駅として開業。その際建てられた駅舎は社殿風のどっしりとしたもので、待合室も広く、参拝駅らしい佇まいです。

西山駅

弥彦15:11発吉田行き273M(クモハE128-107)と吉田15:44発柏崎行き148M(クモハE129-103)で越後線に戻り、西山へ。平成17年5月1日に柏崎市編入された旧:刈羽郡西山町の玄関口で、駅舎は平成4年12月25日改築。西山町は田中角榮の出身地として知られています。大正元年11月12日開業時の所在地は刈羽郡二田村で、昭和34年4月10日の分割合併で西山町となりました。

小島谷

西山17:42発東三条行き161M(クモハE128-103)で小島谷(おじまや)へ。平成18年1月1日に長岡市編入された旧:三島郡和島村の駅で、駅前には越後鉄道の創業者・久須美秀三郎の胸像があります。大正2年4月30日に越後鉄道の「与板」として開業、当時の所在地は三島郡島田村で、明治34年11月1日の合併までは三島郡小島谷村でした。大正4年10月1日に旧村名の「小島谷」に改称、その6日後の10月7日には与板町に長岡鉄道の「与板」駅が開業しています。

小島谷18:28発柏崎行き1662M(クモハE129-7)で柏崎へ戻り、田辺食堂で夕食を食べてからホテルニューグリーン柏崎に泊まりました。