禁欲をぶっ飛ばしたら

自分の金銭感覚が、自分自身を疲弊させることがあるのかもしれない。そう思うようになったのは二年ほど前からであって、それ以前は考えもしませんでした。倹約=正義。お金を使う=悪。そんな風に信じて生きてきた気がします。

 

改めて振り返ってみると、少なくとも高校生の頃には、自分のお金の使い道について、自ら厳しい視線を向けていたと思います。毎月、母親からお小遣いをもらっていたのですが、確か必ず常備していたのが「ニキビ対策の洗顔フォーム」。それと、「ニキビの塗り薬」。10代後半でしたし、顔に次々とできるニキビが気になって仕方がありませんでした。何の前触れもなく、とてつもなく大きなのが鼻の下とかに出来上がると、すごく気が滅入りました。というか恥ずかしかったです。そういうわけで、「これは絶対に買っていいもの!」と思っていましたし、躊躇しませんでした。

 

その一方で、当時から大好きだったハードロック・ヘビーメタルの雑誌やCDは、僕にとって贅沢品でした。特にCDは、たとえば1970年代の洋楽であれば、1枚1500円くらいで買えました。それでも、買うかどうか、すごく迷っていたのを覚えています。

 

それで、だいたいの場合、すぐには買わなかった。それでどうしたのかと言いますと、一晩寝かせるのです。今日は欲しいと思っているけど、明日もそう思うか分からない。だから、今日はひとまず家に帰る。それで明日、学校の帰りに寄ったとき、まだ欲しかったら買おう。その時に、まだ棚に並んでいたら、買おう。こんな風に考えていました。

 

ただ、万事この調子だった、というわけでもありません。おそらく、単価が1000円を超えそうな出費になるときに、このように考えていたと思います。その証拠に、好きな漫画の単行本の購入に、何のためらいもありませんでした。

 

なぜ、そんなにお金の使い道に神経質になっていたのかと言えば、たぶん「罪悪感」があったからだと思います。これは分かる人には分かるでしょうし、分からない人には意味不明なことだと思われます。ですが、ある年齢に達するまでに、おそらくは育った環境を背景に、好きなことに(高い)お金を自分が費やすことに「罪悪感」を覚えるようになる人がいるのだと思います。僕もその一人でした。

 

そして、そのまま社会人になりました。毎月のお小遣いとは桁違いの収入を、給料として毎月手に入れるようになりましたが、雑誌一冊買いません。彼女とデートをすれば何でも全額支払っていましたが、自分だけのためにはお金を使いません。

 

これ、お金がたまっていく分には良いのですが、根本的な問題が棚上げにされていることに、長年気づきませんでした。本当に、とても長い間。「自分のためにお金を使うこと=罪悪」ということは、「自分はお金をかけられていい存在ではない」という認識だった、ということです。自分は、お金と引き換えに、その対価としての何かを受け取ることが許されていない。この考え方は、要するに自分を低く見積もっているということなのです。

 

何冊かの本を通して、そのことを理解してからは、以前に比べればですが、ずいぶん自分に優しく、お金を使うようになったと思います。散財というか、破滅的なお金の使い方はしないけれど、「ふとした気持ち」を大切にして、「そうかそうか、このチーズが食べたいのか。いいよ。一番安いやつじゃないけど、いいよ。買ってごらん。」こんなことを本気で心の中で唱えながら、何と言いましょうか、内なる自分を安心させようとしているのです。

 

 

さて、その一方で、お金をかけないと幸せを感じられないのか、というと、そういうわけでもありません。ふと空を見上げたときに、遠くまで雲ひとつなかったりすると、澄み渡った空に出会えたことが嬉しいです。一枚入魂で一所懸命にロックミュージシャンの絵を描く時間も、幸せです。

 

大切なのは、まずは自分が自分に優しくあれることではないかと思います。どのような自分であったとしても。そのシンボルとして、思い切ってお金を一度使ってみても、意外と大丈夫なのだと気づけると、不思議と心が軽やかになります。別に、100万円使うわけじゃなくて、1000円とかで十分かもしれません。僕みたいに自分を扱っていた人は。純粋に、自分の子供みたいな気持ちを満たしてみる。願いを叶えてやる。ちょっとした一歩に見えるかもしれませんが、大きな一歩です。

 

 

自分を爆発させる

とても久しぶりに、ロックミュージシャンの絵を描きました。架空のギタリストですが、ギターの構え方や、指板の押さえ方、それにピックの持ち方は、実際の写真を何枚か参考にして、少し練習してから描きました。

 

どんな描き方にしようか、と少し考えましたが、ドットを打つ手法にしました。「点描」と呼ぶそうです。一年ほど前にも、この点描という描き方で絵を描いたことがあったのですが、描き方はともかくとして、絵の内容の方に納得がいかずに、やめてしまっていました。単純な話で、「その絵(人物)を描くことは楽しいのか?」という問いに対する僕の答えが「いいえ」だったのです。点描ですから、数えきれないほどの点を画用紙の上に打ちます。苦になる作業ではありませんが、それなりの時間とエネルギーを投入します。なのに、楽しいとは言えないものを描いているなんて。そういうわけで、しばらく絵を描いていませんでした。

 

誤解しないで頂きたいのですが、約一年間、まったく絵を描かなかったわけではありません。基本的に「絵を描く」という行為は好きなので、少しは描きました。でも、これはどう表現したらいいのか・・・「その絵を描いている」という事実自体で嬉しいとか、興奮するとか、そういう次元には入れずにいたのです。

 

ですが、金曜日の夜に、ふと思い立ったのです。それはとても急なことだったのですが、これでもかってくらい、「自分を爆発させる」と決めたのです。これはつまるところ、とにかく馬鹿正直になる、ということです。自分に対して。打算を取っ払い、将来を忘れて、役に立たないかもしれない事柄で、自分の頭をいっぱいにする。いっぱいにするために、その事柄を見て、聴いて、体感する。ひょっとしたら、バカみたいに見えるかもしれない。もしかして、かっこ悪いかもしれない。だけど、そういった心配もちょっと脇に置いておいて、「自分を爆発させる」のです。「正しいかどうか」「有用かどうか」「お金になるかどうか」といった心配はしなくていい。うわーーっ!と、全力で「自分を爆発させる」のです。それが可能になると思われることは、片っ端から手をつけてみる。

 

気がついたら、ロックミュージシャンの絵を描き始めていました。上手か否かはさておき、描きたいように描いてみることにしました。まだ仕上がっていないので、この絵がどのように展開していくのかはわかりません。でも、一年前と確実に違うのは、描いていて楽しいということです。なぜ楽しいのだろう?・・・それは、ひとつには、ロックミュージシャンの絵を、ギタリストの絵を描いているからでしょう。僕はハードロックやヘビーメタルという音楽が好きですから、それを演奏するミュージシャンのことも大好きです。だから、たとえ架空のギタリストであっても、そのような存在を描くことはシンプルに楽しい。そして、今もうひとつ感じていることがあります。それは、「実験している」ということ。今回も、点描という方法で、たくさんの点を打ちながら絵を描いているのですが、以前は「上手に描きたい」という気持ちが邪魔をして、「色々試してみる」ことが出来ませんでした。それは僕に不自由さを与えていたと思います。だって、失敗を許していないのですから。だけど、今日は違いました。「こんな雰囲気を出してみたい。どうしたら出せるだろう?そうだ、試しにここにドットを集中させてみよう。」こんな風に、考える自由を与えて、心が感じるままにペンを動かせるから、楽しいと思えたのだと思います。

 

もしかしたら、心にとって、「上手かどうか」「何の役に立つのか」といったことはあまり重要ではないのかもしれません。「好きか嫌いか」「楽しいか楽しくないか」という実に子供じみた基準で、やるかやらないかを決める存在なのかもしれません。

 

「爆発」という表現は、ちょっと穏やかではないようにも思いました。だけど、自分の気持ちに素直になって行動する、という、僕にとっては少し勇気も必要で、やや革命的な方針転換は、それこそ「爆発」だったのでしょう。

 

「自分を爆発させる」。今日のように、明日も。そうすることで、やったことのなかったこと、見たことのなかったこと、感じたことのなかったこと。そんな物事を、出来事を、迎えに行けたらと思います。

僕の本棚

日曜大工、という言葉がありますが、僕は休日に大工さんの真似事をするのが好きです。もうそれは本当に、模倣の域を出ない、「大工さんごっこ」のようなものなのですが、これが楽しくて、好きなんです。

 

例えば、本棚を作ったことがあります。これは必要に迫られて作りました。『ジョジョの奇妙な冒険』(文庫版)を次から次へと購入して、楽しく読んでいたのは良かったのですが、置き場が無くて困ってしまいました。僕は慎重な姿勢も持っていますが、それは臆病だったり、心配性な性格がそうさせるだけで、先々のことをきっちり考えて、ポイントを押さえながら計画的に物事を進めていくのは苦手だと思います。そういうわけで、漫画を買い込んだのは良かったのですが、これを整理して収納する、本棚がどうしても必要になったのです。近所で本棚の材料になる木製の板を何枚か購入し、そしてその材料を切ったり組み立てたりするのに必要な工具を揃えました。「揃えました」、というと少し大袈裟かもしれません。釘や金槌、あと、L 字金具を買っただけです。本は結構重いので、強度をもたせるために L 字金具も必要だと思いました。

 

僕は中学生の頃に、「技術」(だったかな)という授業で本立てを作ったことがあったのですが、設計をミスして部材同士の寸法が合わず、おかしな物体を完成させてしまった寂しい思い出がありましたから、「今度こそは!」と事前にしっかり大きさを計算して、木製の板に黒い線を引いて、そこを注意深くノコギリで切っていきました。「大工さんごっこ」ですから、プロの方にお見せしたら色々とご指導を受けてしまうような切り方だったと思います。実際、切り終えた木の板を見てみると、ひとつひとつ形が歪んでいて、尖った部分をサンドペーパーで磨いて丸みをつけると、部材同士が全然ぴったりと合わなくなっていました。しかし、もうここまで来たら突っ走るしかありません。たぶん。「また失敗したかな・・・。」と思いながらも、カンカンカンと小気味の良い音を立てながら釘を打ち込んでいき、徐々に本棚の形に仕上げていきます。そして、出来上がった本棚は、まさに「手作り」と言いますか、見るからに不細工な代物だったのです。

 

しかし、そこに漫画を並べていったところ、奇跡的なことが起きました。50冊が、ぴったり収まったのです。もう、ぴったり。強度は十分で、50冊もの本を頼もしく支えてくれました。あれからもう一年以上経ちますが、この不細工な本棚はびくともしません。

 

「大工さんごっこ」の果てに生まれた、『ジョジョの奇妙な冒険』を収納するための本棚を、僕は大変気に入りました。不細工な代物、と言いましたが、丹精込めて作ったものなので、僕にとっては自慢の本棚です。

 

とまあ、これはあくまでも僕個人が自分のために使うものですから、このように自然な愛情を感じながら評価すればいいのですが、これが他人のために作るもの、となると話は少し変わってきます。まずは自分自身がそれなりに納得いくものに仕上げることは大切だと思いますが、これが「ごっこ」ではなくて「仕事」という状況設定になる場合、また少し新たな視線も必要になってくるのでしょう。でも、それは誰かに頼ったらいいんじゃないかな、と思います。

 

まずは、自分が納得いくようにやってみる。そして、何かの形に仕上げてみる。それに愛着を持つ。個人が自力でたどり着くのは、そこまでで十分ではないだろうか、と僕は思います。その先へは、きっと他力が連れて行ってくれる。ケチをつけられた、と感じるのは当たり前だし、それはそう感じても構わないと思います。その上で、その意見をきっかけに何らかの変化を加えてみる。言われた通りでなくてもいいから。そうした過程を経たら、きっと自分の想像の外側へ飛び出せると思います。きっと。

会社のパソコン、「置いてきた」

最近は頻繁に会社パソコンを持ち帰っていたのですが、今日は思い切って「置いてきた」。レイアップは苦手なんですが、今日ばかりは決意して、置いてきました。というのも、会社のパソコンがなかなかの重量で、以前はリュックに入れて持ち帰っていたのですが、体の比較的高い位置に重たいものを背負っていたからでしょう、腰が痛くなってきたのです。

 

僕はもともと腰痛持ちで、同じ姿勢を続けることがかなり苦手です。一度、強めに腰を痛めたことがあって、整形外科の先生から「本格的なおじさんになる前に、腰回りを鍛えておいた方がいい」と、ありがたい忠告を頂きました。それで、もうかれこれ丸4年、いわゆる体幹の部分を鍛え続けています。それにもかかわらず、パソコンを携えた通勤・帰宅に耐えられなかったんですね。

 

さて、会社のパソコンを持ち帰るのは、自宅でも仕事をしたい事情があったからなので、その仕事も含めて会社に置いてきたことに、少し罪悪感もあります。けれど、確かに腰は痛いんだけれど、ただただ単純に、「家で仕事したくない!」という気持ちもあったんじゃないかな、と感じ始めています。腰痛は、言い訳だった、というか。

 

それで思いました。「自分に対して、言い訳は必要なのか?」と。表向きの理由を用意しておくのは、そんなに悪いことじゃないと思うのですが、何も自分に対してまで言い訳を作り出す必要はなかっただろうに、とも思うのです。だって、自分をいたわることの何が悪い?「今のうちに、ちゃんとケアしておかないと長期的に考えたらマイナスな結果につながる」とかいう理屈すら(自分に対しては)不要なのではなかろうか。

 

表向きの理由「腰が痛い。だから今日はパソコン持って帰らない。」

心の声「なんだか今日はパソコン持って帰りたくない。」

 

自分に対しては、後者(心の声)に応えたことだけで、十分な気がします。

 

善悪の判断というか、判定は、時に難しいです。だって、常に「善」なものってなんだろう。常に「悪」なものってなんだろう。誰かのためにハードワークすることは、その誰かを助けるだろうし、そういう意味では「善」なのだけど、ハードワークを積み重ねて体を壊したら、それはやっぱり「悪」だと思うのです。自分の体にとって。ポテトチップスは美味しいし、食べたら幸せな気持ちになるから「善」なのだけど、100gくらい食べたら胃が辛くなってくる。そんな食べ方したら、「悪」になってしまう。自分の体にとって。

 

単純すぎる話かもしれませんが、今自分が行っていることは、自分の体にとって、果たして「善」なのか。それとも「悪」なのか。あるいは自分の心とか気持ちにとって、「善」なのか、「悪」なのか。自分の置かれている状態が変われば、昨日は「善」だったものが「悪」になり得るし、その逆もまた然りだと思うのです。

 

色々と事情はあるけれど、自分の心身を大事にする選択であるならば、堂々と選んでいけたらと思いますし、周りの人にもそうしてほしいと思います。その際に、他人への説明は必要かもしれないけれど、自分への説明は、しなくていいと思うのです。

 

今日はパソコンを「置いてきた」。だって、その方が心が晴れやかなんだもの。

漫画にまつわる思い出

小学1年生のとき、本屋で手に取った漫画を親に買ってもらいました。今でも覚えています。あれは『ドラゴンボール』でした。表紙に描かれた孫悟空がとてもかっこよくて、思わず手が伸びたんです。TVアニメでは見たことがあったけれど、そもそも漫画というものを読んだことがなかった。それで実際に読んでみて、当時の僕には理解しにくい概念が色々あって誤読もしていたけれど、そんなこと本人は気づいていませんし、とにかく楽しく読んでいました。僕が漫画というものに出会った場所は、あの小さな本屋さんだったのです。

 

あまりに昔の話なので、その漫画をどれくらい読みふけっていたかは思い出せません。だけど、この『ドラゴンボール』をきっかけに、祖父母の家にあった漫画にも興味を示すようになりました。小学校の3、4年生の頃、『うる星やつら』を何冊も何冊も読み続けた結果、突然発熱したのを覚えています。 37.5℃くらいだったかな。『らんま1/2』は祖父母の家に無かったけれど、お小遣いで買ったり、母親に買ってもらったりして、最終的に全巻揃いました。

 

なお、『銀河鉄道999』の第1巻を、母が突然買い与えてくれたのですが、これは小学生時代の僕には読めませんでした。宇宙空間に女の人が投げ出されて断末魔の悲鳴を上げる描写が怖すぎたのです。

 

さて、ふとしたことがきっかけで、僕は漫画を「読む」ことに加えて「描く」ことにも関心を抱くようになります。たぶん、これ自体はそんなに珍しい変化ではないですよね。あれも7歳頃のことだったように思います。当時の僕は、母と一緒に、自宅からは少し離れた場所で時間を過ごすことがありました。その場所で僕は、名前も知らない、2歳くらい年上の男の子に出会いました。そのお兄ちゃんは、僕が持っていた『ドラゴンボール』を見ながら、孫悟空の絵を描いてみせてくれたのですが、これが衝撃的に上手だった。

 

その日を境に、僕は時間を見つけては孫悟空の絵を描くようになりました。あのお兄ちゃんのようには描けないのだけれど、無意識に「あのお兄ちゃんが描いたような」孫悟空を目指していたと思います。なかなか上手に描けず、「う〜ん」と思いながら、また描いて、を繰り返していました。そんな子供でした。

 

たとえば小学校のテストでも、問題を解き終わって時間が余ったら、答案用紙の裏に絵を描いていました。いつもテスト用紙の裏に絵を描いていたからか、名前を書き忘れても紙の裏側を見た先生が僕のだと特定してくれたこともありました。

 

それから月日が流れて、小学6年生くらいになっていた僕は、そのお兄ちゃんが描いてくれた絵を自宅で偶然見つけます。ですが、これが思いのほか下手くそで(お兄ちゃん、ごめんなさい)。あれは結構びっくりしましたし、少し戸惑いました。だけど、その「下手くそな」孫悟空の絵には、イキイキとした躍動感が宿っていたように思う。それも同時に感じていました。

 

初めて漫画を買ってもらった本屋さんの場所は、今でも覚えています。僕が高校生の頃は、そこで音楽雑誌の立ち読みなどをしていました。残念ながら、数年後にそこは本屋さんではなくなり、食品を売るお店に変わってしまいました。だけど、人の記憶というのはとても力強いですね。今でもその本屋さんを思い出せます。現実には、僕がその本屋さんを再び訪れることは出来ないのだけれど、今でもあの本屋さんは、そこに存在しているように感じることもあります。とは言え、実際にあのバス通りまで出かけて、かつて本屋さんがあった場所の前に立ったら、逆に喪失感に襲われるかもしれないのですが。

 

僕が7歳くらいの頃に出会い、絵を描くきっかけを与えてくれたお兄ちゃんのことも、僕は覚えています。名前は知りませんし、会ったのも一度きりです。だけど、中指と薬指の無い右手で器用に鉛筆を持ち、目の前で絵を描いたお兄ちゃんのことを、僕はずっと忘れないのではないかと思います。

 

人間にとって大切なものは、・・・というか、人間の心を形作るのは、少しずつ積み重ねていく思い出なのかもしれません。たとえ忘れ去られる思い出が大半であったとしても。僕らは10年も前のことを細かくは覚えていません。昨日のことでさえ、おぼろげな部分は結構あります。だけど、その「昨日」に至るまでの何千何万という日々は、どうやら全部繋がっていて、その連なりの中に確かに存在していた感情や体験が、僕らの体の中に存在しているように思います。「心の中に、黙って宿っている」とでも言うべきなのでしょうか。そのように、結構忘れられているのに、確かに存在する思い出たちの連なりが、あるいは思い出たちの重なりが、今日の僕らを作っているように思うのです。今、ここで、パソコンの画面を眺めながら生きているのは、そのような選択をしようと思えた日々があったからだろうと思うのです。もう死んでしまいたい、と思うような日も、あるいはそのような時期も、あったにせよ。

 

で、明日以降はどうなるのだろう。これからどんな思い出を積み重ねていくんだろう。それがどんな自分に繋がっていくんだろう。とか思うのですが、なんとなく「良い自分」に繋がってほしいとは思います。だけど、その「良い自分」を定義するのも何だか難しいわけで。ただ、子供の頃に比べて、大人になってからは無視し続けたことがあったな、と思います。それは、自分の「ふとした気持ち」を大切にすることです。気づかないうちに、ずいぶん我慢していました。残念ながら、僕は自分で期待していたよりも弱い人間だったようで。だから我慢ばかりを強いるのではなくて、少し自分の「ふとした気持ち」に耳を傾けることを覚えました。そうしたら、数年前よりは、気持ちが楽になったと思います。未来の自分はわからないけれど、「気持ちが楽になった」自分が積み重ねていく思い出に、期待したいな、と思っています。

 

オリジナルであること

中学生になってすぐ、スピッツの歌を好んで聴くようになりました。きっかけのひとつは、家の中で『空も飛べるはず』が流れていたことです。 ボーカルの草野マサムネさんは声も綺麗だし、歌自体、とても聴き心地がよかった。だからか、「良い歌」だと感じました。それからすぐに、今度は歌番組で『チェリー』のプロモーション・ビデオを目にして、これがトドメになり、当時12歳の僕は完全にスピッツが好きになってしまいました。

 

それから二年ほどの間、ほかのアーティストの曲を聴くこともあったけれど、僕が聴く音楽の中心には、いつもスピッツの楽曲があったのです。彼らの色んな曲を聴いたし、アルバムやシングルをお小遣いで買いました。時には、「う〜ん、この曲はそんなに好きじゃないなぁ・・・。」と思うものにも出会いましたが、振り返ってみて、たぶん、八割から九割の曲のことは好きだったと思います。

 

だけど、今では誰がそう言ったかも覚えていないのですが、でもとにかくスピッツのことを周囲の誰かに「コピー 」と呼ばれたことがあって、その時は結構ショックだったことを覚えています。あ、もしかしたら、ビートルズか何かのコピーと指摘されたのだったかもしれません。

 

そのように指摘されても、僕としてはスピッツの姿や、その曲の数々が「コピー元」とはうまく結びつかなくて、だから今ひとつ納得できない部分もあったのですが、いずれにしても、「コピー」と称されたのは辛かった。

 

そんなことも思い出しつつ、「オリジナルであること」について最近、考えてみたのです。完全に、非の打ち所がない「オリジナル」って、どういうことだろう、と。

 

たとえば、1960年代に登場したレッド・ツェッペリンというイギリス出身のバンドがあります。彼らの音楽は、そのバンドとしての姿も含めて、1980年代に最盛期を迎えるハードロック・ヘビーメタルという音楽ジャンルに不可欠な要素だとか、曲としての形式を、早くも完成させていたように思うのです。そういう意味で、彼らはとてもオリジナルな存在だったと思うし、実際そうだと思うのです。あまりに斬新すぎて、イノベーションとしては破壊的だったかもしれないくらいに。

 

だけど、彼らの音楽を「我々の音楽を奪った」と考える方々もいるようです。その「我々の音楽」とは、ブルースです。ブルース自体はアフリカ系アメリカ人の間で生まれたそうですが、レッド・ツェッペリンの楽曲は、ブルースを早回し(早送り)したもの、と表現できるそうなのです。本人たちにそのような意図があったのかは分かりませんが、そのように捉えることは可能なのでしょうね。

 

僕は父親の影響もあって、小学生の間は邦楽よりもフュージョンという音楽(T-Squareとか)を聴く機会が圧倒的に多く、そのせいか、スピッツの歌の数々はとっても新鮮でした。当時はそんなこと考えもしなかったけれど、彼らの歌やバンドとしての存在は、僕にとって十分に「オリジナル」でしたし、創造性に溢れたものでした。少なくとも、それに出会った瞬間、僕の心は歓喜で満たされて、目が釘付けになっていましたから。

 

世間から広く「オリジナル」と認めてもらうのは、非常に難しいのかもしれませんが、幾ばくかの人々にゾクゾクするような刺激を与え、喜びをもたらし、思わず立ち止まらせてしまう。そのようなパフォーマンスを披露しているのなら、それは「オリジナル」と呼んでも差し支え無いんじゃないかなぁ、と僕は思います。

 

ところで、「◯◯を弾いてみた」というタイトルでYouTubeに投稿されている動画を拝見することがあるのですが、一人ひとり、違っていて面白いです。それは技能上の制約とか、演奏している個々人の好みの違いが反映されているのかもしれませんが、結果として僕らが目にする彼らの演奏はそれぞれに結構「オリジナル」だと思います。「コピー元」から外れている部分とかが。

 

そういう意味では、「オリジナル」であるっていうのは、他に比べて優れているというよりも、「ずれている」という場合もあるのかもしれませんね。

はじめに

『個人的な文集 -壱-』というタイトルで、ブログを書いてみることにしました。

 

こうして実際に書き始める前に、「それで、何を書こう?」という問いが浮かび上がってきたのですが、それに対する答えをなかなか導き出せませんでした。というのも、これといって得意な分野を持っているわけではありません。少なくとも、「文章」という形式で、誰かの役に立てる気がしなかったのです。だから、そんな自分がブログという場を利用して何かを表現しようとすることの意義が、よく分からなかった。

 

そういうわけで、「書きたいな」と思ってから、こうやってキーボードを叩き始めるまでに数日かかってしまいました。その数日の間、ほとんどは働きながら過ごしていたけれど、その合間に本を読み、ネット記事を読み、そしてYouTubeを聴いていました。すると、これはちょっと不思議だったのですが、本から受け取る筆者の言葉や、動画から聞こえてくる話し手のメッセージが、何となくではあったけれど、「こういう風にやってみたらいいんじゃない?」と教えてくれているような気がしたのです。

 

せっかくだから、この流れに乗ってみることにしました。今日は雨がしとしとと降る一日で、何かを始めるのにぴったり、とは言い難いかもしれません。だけど、誰も知らないところで、慎ましく、とても個人的に始めるものだし、「ま、いいか」と思っています。

 

このブログを読んでくれた方に、良い風が届きますように。