雨と傘と母の日

ここ最近家でぼーっと過ごしたりなんかしてると、昔のいろんな出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。蓋をされてすっかり忘れてた記憶が余りにも次々と浮かんでくるもんだから、そろそろ死期が近いんじゃないかとすら思ってしまうほど、たくさんのことを思い出すことが増えた。

 

何日か前、明日の雨予報に備えて傘を買った。

 

当たり前のことではあるけど、実家にいたときは傘が家にあるなんて普通のことで、自分で買った記憶はほとんどない。自分で買うことなんて外出中の急な雨のときくらいだったと思う。雨が降ってれば当然のように玄関にある傘を勝手に持ち出して、当然のように電車や駅のトイレに忘れて家に帰る。大袈裟に言ってる訳でも何でもなくて、人生で傘をどこかに忘れて帰ったことは通算100回を超えてると思う。

 

いくら自分が無くしても気付けば新しい傘が当たり前のように玄関には置いてあって、そのことについて特に考えたりもせず自分もいつの間にか大人になった。

 

最近思い出した出来事の一つで、一度だけお母さんに傘を買ってあげたことがあった。

 

それは小学校の低学年のときで、友達と隣町のスーパーまでムシキングドラゴンボールデータカードダスのどっちかをやりに行った日のこと。帰り道の途中友達が数日後に迫った母の日のためにプレゼントを買おうと言い出した。

 

お母さん想いな友達は幼いながらも立派に花屋さんで真っ赤なカーネーションを買っていた。その友達の姿を見てた自分は、ぼく(低学年まで一人称はぼくでした)も何か用意しないとまずいんじゃないかと、妙に焦ってとりあえず目に付いた100円ショップに入った。母の日のプレゼントなんかこれまで用意したことのなかった自分は結局何を買ったらいいのか最後まで分かんなくて、なぜだか青い100円の傘を選んだ。

 

帰りの電車では真っ赤なカーネーションの花を大事そうに抱えた友達と、何とも気恥ずかしい素振りで青い傘を手に持った自分が夕陽差し込む車窓に並んで映ってた。かどうかまでは覚えてないけどきっとそんな不揃いな二人ではあったと思う。

 

家に帰って、少し照れながら100円ショップのシールの貼られた青い傘をお母さんに無言で手渡すと、予想もしてなかった息子からのプレゼントに物凄く喜んでくれた。それと同時にちょっぴり泣いてたような気もする。気のせいなのか、その通りだったかは今となっては分からないし覚えてない。当時子どもだった自分はお母さんのリアクションの大きさに少し恥ずかしくなって戸惑った気がする。

 

プレゼントを渡したっきりそそくさと部屋へと戻って、スマブラだかパワプロくんをやり始めた。その最中にお母さんが晩御飯の支度をしながらちょうど帰ってきた父親に向かって嬉しそうに今日の出来事を話す声が聞こえてきた。自分はもっと照れ臭くなって、一人顔を真っ赤にしながらテレビゲームに半ば無理やり夢中になった。

 

それから1年か2年後、我が家もついに小さいながらも念願の一戸建てへと引っ越した。これまでの団地よりも少しだけ広くなった新しい玄関には、当然とも言えるような佇まいでお母さんにプレゼントした100円ショップの青い傘が傘立てを占拠するように大事に立てかけられてあった。その頃にはプレゼントしたことなんかすっかり忘れていたけど、だいぶ使い込まれてる傘の状態だけは見て取れた。

 

さらに時は経ち、高学年を迎える頃には自分もすっかり反抗期を迎えて、お母さんとの喧嘩が絶えない毎日を送っていた。手を出したことはさすがにないけど、この頃からたくさんの暴言を何年にも渡って浴びせ続けてしまったと思う。

 

そしてある日のこと。朝学校へ行く前に何かを話しかけられたことが気に食わなかった自分は、そのときたまたま視界に入った青い傘を思いっ切りへし折って、お母さんに投げ付けてしまった。自分は泣き崩れる声を背中で感じながらも無慈悲に家を飛び出して、何事もなかったかのように学校に向かった。そんな出来事なんかお構い無しに、後悔や反省する心すら微塵もなくその日一日を楽しく友達たちと過ごした。

 

夕方家に帰ると、壊れた青い傘はどこにも見当たらなくなってた。いつも聞こえてくるただいまの声もその日だけは聞こえてこなかった。それでもいつも通りお風呂は沸いてて、いつも通りご飯も用意されてる変わらない日常。そんなことは当たり前だと言わんばかりにおかわりまでして、満足そうに当時の自分は眠りについたのだと思う。そんな風な一日だったと、何となくぼんやり記憶している。

 

そんな出来事を、ついこの前何気なしにコンビニでビニール傘を買ったとき、突然に思い出した。というよりも思い出してしまった。安物とはいえ青く映えていたあのときの傘とは対照的な無機質なビニール傘をまじまじと見つめれば見つめるほど、当時の記憶が湯水の如く湧いて止まらなかった。

 

そんなこともあってか、アパートに帰ると部屋に自分一人な状況がいい歳にも関わらず妙に悲しくて寂しくて、何だか涙が出そうになってしまった。さすがに堪えたものの、我慢しなかったらしばらくはしくしく泣いていたかもしれない。

 

お母さんへの感謝と恋しさとあの日の後悔と自分への情けなさと、いろんな感情が混じり合って体中で渦巻いて、言葉にならない複雑な想いを抑えるのに必死だった。

 

この前のゴールデンウィーク中、しばらくぶりに実家に帰るとお母さんはいろいろと心配そうに昔と変わらないお節介を焼いてきて、現状の生活についての怒涛の質問攻めをしてきた。それに対して自分は相変わらずの素っ気無さで適当に返事をしていると、元気なら良かったよと安心した表情を浮かべてた。安心させれたならこっちも安心ではあるのだけど、どうしてもその表情がどこか寂しそうに見えて、それに気付いた自分はやはり感傷的な気持ちになってしまった。

 

この歳にもなると親の有り難みは年々強く増すばかりなのに、親孝行の一つもできていない自分にとても嫌気が差す。

 

母の日から一週間以上も過ぎてから昔の出来事を気まぐれに思い出してお母さんの知らないところで勝手にしみじみと感傷に耽り、にも関わらず言葉や行動には移せない自分の情け無さ。いい加減それも今年で終わりにしたい。終わりにできるように努めたい。口だけに終わることの多い自分だとしても、いつもより強く思うくらいの悪あがきはしたい。

 

次に帰るであろうお盆の休みには100円ショップなんかではなくて、せめて成城石井あたりで何か手土産でも買って、それでもやっぱり恥ずかしさには敵わず無言になってしまうかもしれないけど、またちゃんと面と向かって思い付きで買ってきた何かを渡せたらと思う。

二度と投げれない放課後のフォークボール

小学生のとき、放課後校庭に集まってカラーボールで野球をやるのがお決まりだった時期がある。

自分だけが地域の少年野球チームに入ってたのもあって、その中では主力選手的立ち位置に存在してた。と勝手に自負していたけどそうは思われてなかったかもしれない。

 

それはさておいて、いつものようにわいわいやってたら下校途中の少年野球の先輩が混ぜてくれよ〜ってバッターバックスに有無を言わせずに入ってきた。

その先輩は小4で入団して即レギュラーを務め、今やキャプテンで4番といった、地域ではスター的存在の人だった。運動会でも毎年大活躍。イケメンでモテまくってた。

先輩からしてみれば、後輩の自分をたまたま見かけたから、下校の道すがらバカスカ打ちまくってスカッとして帰るか〜程度の気持ちだったんだと思う。

 

ピッチャーは自分。背後で守備に就く友達らが戦況を見つめる。カラーボールを握る手に自然と力が入る。

自分だって先輩ほどの偉大なバッターに普段の遊び通り真っ直ぐ投げたって簡単にかっ飛ばされることは分かってる。かと言って変化球の握り方なんて一つも知らない。そこで付け焼き刃的とはいえ、秘策を思い付いた。

 

それがこのちばあきお先生の漫画プレイボールに出てくる「ナチュラルフォーク」だった。f:id:Shawshank_Andy3:20200412182410j:image
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ナチュラルフォーク」とは主人公の谷口が怪我で曲がったままの人差し指と親指の間にボールを挟むように握り、すぽっと抜くイメージで投げ込むことで自然とバッターの手元で沈むフォークボールのような軌道になるという、怪我の功名から生まれた決め球のこと。通常のフォークボールの握りとは違って、この投げ方なら誰でもすぐに真似できるんじゃないかと、このシーンを読んでからいつか来るべき大事な対戦のときのために忘れないでいておいた。本当に使うときが来るとは自分でも思わなかったけど。

 

余裕綽々な顔でバッターボックスに立つ先輩に渾身の、人生初のナチュラルフォークを投げ込む。スローボールに近い軌道を描いて、狙い通り先輩の手元で球が沈む。先輩は豪快に空振った勢いのあまり尻もちをついた。おかしいな、とぽかーんとした表情を浮かべる先輩。おーっという歓声が知らないうちに集まったギャラリーから湧く。

 

先輩はメンツを保つためにその後何度も対戦を挑んできたけど、全打席呆気なく三振に終わる。

自分も面白いように空振りが取れて、逆に怖くなってきた。先輩の反感を買わないよう、ドヤ顔やガッツポーズには注意して、こっちこそ何でだろう、というような不思議そうな表情を浮かべることに努めた。

 

先輩は何回も三振に打ち取られてようやく観念したのか、もう帰るわって言い出した。するとランドセルから図工か理科の授業で作ったラジコンを取り出して自分にくれた。やるじゃねえかっていう先輩なりのエールだったんだと思う。

 

ビニール袋に入ったラジコンを手にぶら下げながら夕方の田舎道を歩いて帰る。少しヒーローになった気分だった。

帰ってからラジコンを取り出して操作してみると全く動かない。そこでやっとゴミを差し出されたことに気付く。意気揚々とした帰り道の気分を返してくれって静かに思った。

 

あれから14年。つい先日、草野球に参加することがあって、何となくナチュラルフォークのことを思い出して試しに投げ込んでみるも、あっさり外野の頭を越される長打を食らう。何だよあのスローボールよ〜とバカにされる始末。

 

今ではすっかり棒球になってしまったナチュラルフォークも、あの放課後の時間だけは魔球であったことは確かで、学校のスターを凡人である自分が返り討ちにしたあの瞬間の風景と気温と時間の流れるスピードを、今でもぼんやりと覚えている。

 

その先輩は今警視庁に勤めて、既に結婚して子どもがいるらしい。最近聞いた風の噂。末長くお幸せに。

12/26以降の年末

※意味不明なことを言ってます。仕事納めで浮かれてます。しこたま飲んでます。

 

年末の雰囲気が昔から好きです。

自分の指す年末とはクリスマス後の12月26日〜大晦日にかけての期間。

もっとピンポイントに言うならば12月27日〜29日あたりが最高。

30日くらいからは大晦日の到来が現実味を帯びてきたかと思いきや訪れてもいない正月ムードにやや飲まれつつあるからそこがマイナス20点くらい。

26日からの年末はクリスマスの一大イベントが終わっていよいよ世の中が慌ただしくなり始めて、外はめっきり寒いのに一人一人がホッとした温かみを身に纏ってて、そのコントラストに飲まれて過ごすのが好き。どこか平和な気持ちになれるし、一年の全てを許されたような気がしてくる。

テレビも25日まではクリスマス特番、30日と31日は思っきし大晦日を意識した特番な印象だけど26日〜29日頃の番組は純粋に一年の集大成!って感じ。あのどストレートなお祭り感がいいよね。お笑いいっぱい見れて嬉しい。話変わるけど芸人が一番かっこいいんだということを誰かと熱く語り合いたい。

 

 

年末と聞いて思い出すのは年賀状の準備。中学生までは毎年出してたなあ。本当は今でも出したい気持ちはあるけど、この気持ちを分かってくれる人はいないので新年の挨拶はもっぱらLINE。現代にあえての年賀状の良さ。分かってくれますか。

 

 

少年時代の自分は年賀状をまとめて何十枚って書いて、その束をチャリンコの籠にぽーんと投げて、決まって必ず大晦日にポストに投函に行ってた。

晦日に年賀状出すと元旦には届かないって分かってるんだけどそれには理由があって、投函するって決めてるポストが家の近くの工業団地の真ん中にぽつーんとあるんだけど、そこに大晦日に行くとどこの工場も仕事納めしてて普段と打って変わって物凄く静かなんだよね。それが何か凄く好きで。普段の機械音も一切ないし、車がびゅんびゅん通ることもない。むしろ一台も通らない。ほぼ無音。滅亡した世界に一人取り残された俺!みたいな妄想しながら年賀状出しに行ってた。投函し終わったらシメはポストの横の自販機であったかいミルクティーを飲んでホッと一息つく。嘘みたいなくらい静かな工業団地の中心で一年をじーっと振り返る。毎年の恒例にするくらいの好きな時間だったなー。

 

 

年賀状の文化が自分自身から失われてからあのポストに行くことはなくなった。でも今たまたま郵便物を預かってるからついでだし明日久しぶりに行ってみようかなって思ってる。まさに凱旋。ノスタルジーにとことん浸れそうな予感。掃除も早めに済ませられたことだし、明日は思い出の地へ行ってこよう。

 

クイズ正解は一年後が始まるのを待ちながら[Champagne](現:[Alexandros])の12/26以降の年末ソングを聴いてる。

劣化版広瀬すずの話

学生時代、人よりも数多くのバイトを経験してきたと自分では勝手に思っている。

高校生の頃初めてやったスーパーのレジから始まりタダでライオンズの試合を観たいというスケベ心で始めた西武ドームのイベントスタッフ(実際は球場の外の業務に配属されてただ歓声が聞こえてくるだけだった)、ヤンキー上がりのチンパンジーみたいな輩しかいなかった引っ越し屋、きゃりーぱみゅぱみゅも来たことあるお洒落ぶったスーパー銭湯でのロウリュ師、ベルトコンベアから無限に流れてくるスプレー缶をひたすら8時間見張ってるだけの工場バイト、配送トラックの助手席にただ一日座ってるだけの駐禁対策要員、などなど。挙げたらキリないほど。

 

そんな中これらのバイトと掛け持ちして大学卒業までの長年継続してやってたのがコンビニのバイト。コンビニはバイトの中でも一番思い出深いと言っても過言ではない。

まず勤務し始めて一日でここは天国かと思った。なぜならとにかくゆるい!廃棄されるものはお弁当からホットスナック系からデザートから何から何まで自由に食べ放題だしパック系の飲み物も割と廃棄処分されるからこれも飲み放題。そして何より人が全く来ない!バイトの人同士ずーっとくっちゃべって終わり。

これは、、と思った自分は一番の親友をバイトに誘った。無事採用され、時間経たずして一緒に働くことが決まった。

 

ほぼ毎回親友と同じ日時のシフトに組み込んでもらって、働いた記憶よりも遊んでた記憶のが強いコンビニでのバイト。そんな平和なバイト先にお客さんとして現れる一人の女性がいた。

決まって毎回21時半頃に現れるその女性はお年寄りがほとんどを占める客層の中で唯一と言ってもいい若い女の子。何より一番重要なのが可愛い。そして少し広瀬すずに似てた。だからその子のことを親友と二人で「劣化版広瀬すず」ってあだ名をつけて毎回その子が来る度に話題にしてた。正直振り返ると最低すぎるあだ名だと思うから、これについての批判は誠意を持って受け止める次第でいる。

劣化版広瀬すず広瀬すずに似てるという計り知れないポテンシャルを発揮しながらも服装が目を疑うくらいださかった。主に中学生の間で横行しがちなアルファベットがいっぱい書いてあるTシャツに、靴は流通経路不明なピンクのダンロップのスニーカー。そしていつも肩にぶら下げてるのはアメリカ国旗の刺繍がでかでかとされたトートバッグ。相当使い込んでるのか、アメリカ国旗の真ん中の糸はほつれまくってた。その何とも言えないだささに自分と親友は、まあこんな田舎の廃れたコンビニに来るくらいだから、いくら可愛くてもセンスはたかが知れてるよな、みたいなことをほざいてた気がする。でも自分も親友もその可愛さを持ってしてブランド品に手を出さず、国旗が崩壊の一途を辿り始めるまで安物(であろう)のトートバッグを大事に使い続ける健気さにもうやられてしまっていた。

もう買い物のチョイスが可愛かった。店内をじっくり何周もした後にレジに持ってくる商品がアイスとカフェオレだったり、グミとゼリーだったり。そんなに長時間熟考してそれかい!みたいな。たまらんなーって二人でいつも話してた。きもいこと極まりないけど。買い物の組み合わせが神がかり的に可愛いせいでアルファベットのTシャツのだささを補って余りあるほどだった。普段のおじさんのお客さんに対しては早くレジ来いやって言う自分も劣化版広瀬すずに対しては永遠に商品を選ぶ様を見続けたいと本気で思うくらいだった。いつもレジで待ち構える自分の心の声は何持ってくんのかなー、来た来た、いやいちごオレとクッキーて!可愛いなもう!毎回こんな感じ。本当気持ちわりーと思う。

自分と親友が特にやられてしまったのが、劣化版広瀬すずが来店した直後に突然のどしゃ降りがきたときの話。劣化版広瀬すずは一旦買い物を中断して外を気にして、なかなか止まなそうな雨に困惑してるような様子だった。レジの自分と親友はどうすんだろーなーなんてこそこそ話をしてた矢先、劣化版広瀬すずが誰かに電話し始めた。間違いなく誰か迎えを呼んでるのだろう。自分も親友も何となく察して、これは彼氏確定だなって、二人であーあなんて言って絶望。

案の定しばらくしてお店の外に一台の車が走ってくるのが見えた。彼氏の登場か、、買い物を終えて退店し段々と姿が遠くなる劣化版広瀬すずを店内から目で追うと、迎えに来たのは彼氏なんかじゃなくておじいちゃんだった。いやおじいちゃん子だったのかよ!可愛すぎるだろまじで!いやーたまらん!

ちなみにこの劣化版広瀬すずさんとは一回も会話をしたことがない。終わり。

ラッキーボーイにはなれないけれど

西武の「中田祥」が小さく静かに輝いた夜。あの有名な日ハムの「中田翔」の間違いではなくて。

 

プロ12年目の中田祥多。通算出場試合数はたったの10試合で、ヒット数は未だ0。毎年戦力外の候補に挙がりながらもキャッチャーという特殊性のあるポジションであることも幸いしてなのか、ホームにどっしり構えるキャッチャーらしくしぶとくこの世界で根を張り続けてる。

 

神様はきっと見てる。腐らず頑張ってればいつか報われる。そんなことはクソ喰らえだって、「俺たち」は嫌になるほど痛感してる。綺麗事なんて成功者の特権でしかなくて、それでも成功者たちはこぞって日陰の人間に対して残酷にも綺麗事を当てはめようとしてくる。結果が全てで過程なんかは評価されないのが世の常。分かって欲しいけどそれがわがままであることは十分理解してる。でも認められたい。分かって欲しい。その分かって欲しい気持ちを全部ひっくるめて都合良く「人間味」だってことにして無理やり肯定してやり過ごす。逃げる。それでおしまい。消化できたとしても自己嫌悪は残る。

 

一生報われないかもしれないそんな世の中で、素直に純粋に真っ直ぐに爪痕を残そうとする美しさ。日陰だけにしか届かない小さい光。成功者はそんなの当たり前だってことにして片付けてしまうようなことでも、確実に勇気を貰う人は少なくない小さいけれど確かな光。中田祥多は今夜確実に「それ」だった。

 

4年ぶりの一軍スタメンマスクで、投壊状態の西武投手陣を手堅く引っ張って3失点までにまとめる好リード。

極め付けは8回表。ベテランらしい技術が光ったクロスプレーでの中田のタッチ。ホームに手を伸ばすランナーを先回りするように塞ぐタッチで同点を回避。コリジョンルールが適用された今だからこそ、お手本のようなプレーだったと思う。

 

裏の攻撃で回ってきた打席では言っちゃ悪いかもだけど、二軍の選手らしい変化球にまんまと泳がされた三振。ラッキーボーイになる選手っていうのはいいプレーをした直後にポーンと一本ヒットを打つことが多い。中田は惜しいファールもあったけど最終的には三振。ラッキーボーイになり切れない、いかにも日陰にいた男の打席だったのが、悔しさを前面に押し出しながらベンチに引き上げていく姿も相まって何だか愛おしく思えた。

 

キャッチャーってポジションは我慢のポジションだって誰かが言ってた。試合に勝てばピッチャーが褒められて、試合に負ければチームのまとめ役であるキャッチャーが責められる。大変な役目だと思う。中田祥多はキャッチャーという貢献度が測られにくいポジションで報われる「いつか」を腐らずに待ち続けた。正直今日がその「いつか」だったかは定かではないけど、少なくとも一ファンである自分の胸にはこんなにも響いた。

 

うだつの上がらない人生。無意味に生き延ばすだけの生活。毎日同じ時間に押し寄せる目覚まし時計。突破口を見出すことなんてとっくに諦めてた。諦めたんじゃなくて、中田祥多を見て諦めてた、って過去形に変わった。気分の浮き沈みが激しい自分はまたすぐにでも投げやりになるのかもしれないけど、数日間、数時間、数分だけでも一人の人間を前向きな気持ちにさせるのって物凄いことだと思う。

 

一人でも多くのファンが、観戦後電車に揺られながら、もしくは帰り道に立ち寄った飲み屋で、もしくは眠りにつく前に今日の試合を一人振り返る中で、今夜の中田祥多の目に見えにくい活躍を話題に挙げることを祈って。

人生初ヒッチハイク

書きたいことはたくさんあるのにここ最近ずっと無気力で何するにも気だるさを感じてしまって何事も手がつかないでいる。それでも取りかかってみようとはするものの完成までには至らず下書きだけが溜まっていく。。

とりあえず今回は繋ぎのような意味合いで昔の日記を当時の原文そのままにコピペして貼ってみる。文章の感じだとか今の自分と若干違って少しこっ恥ずかしさあるけどそれもノスタルジーな味わい深さ(?)があると信じて編集はしないでおく。

この文章は大学4年生の9月に人生で初めてヒッチハイクをしたときの記録。中学時代プロレスラーのTAJIRIさんという方の生き様に惹かれて、そしてTAJIRIさんがきっかけで沢木耕太郎さんの「深夜特急」という本に出会ってから旅だとか放浪に強く憧れを抱くようになった。海外に飛び出してみるだとか、もっとスケールの大きいことをしたくてもお金の問題がどうしてもつきまとってしまって、それでも居ても立っても居られなくなった結果サクッとヒッチハイクでもしてみるかという中途半端な選択に至った。中途半端な選択だとしても自分にとっては力強い一歩になったっていう自負があるし胸を張って言える。ちなみにTAJIRIさんも学生時代にヒッチハイクの経験がある。そのことも引き金となって、当日急に思い立って急に家を飛び出て気付いたらスケッチブックを道で掲げてた。我ながら凄い度胸。あの日は何か見えない力に操られてたのかもしれない。

あとどうでもいいこと言うと無事目的地に着いて一泊して迎えた日にちが9月9日なことにその日の朝気付いてNo.13(ELLEGARDEN)じゃん!ってテンション上がってその日ずっと聴いてたのを今思い出した。

 

 

9/8〜9/9 仙台ヒッチハイク

 


初めてのヒッチハイク!前から密かにやってみたくて、いよいよ実行。日本一周とかしてる人に比べたら仙台までなんてしょぼいだろうけど、忘れないためにここに記録として残しておく。

乗せていただいた車は3台、18時にスタートして着いたのは大体24時半。約6時間半で仙台駅に到着。

 


1台目の方はペンキ屋のお兄さん2人。

初めて車が止まってくれたときの達成感と感謝が混ざった気持ちは言葉に言い表せないほどのものだった。

助手席の方はなんと同い年で、運転していただいた方は兄と同い年の25歳!驚いた。

同い年にも関わらず立派に働かれていて、尚且つ見ず知らずの怪しい男を拾ってくれる器の大きさ。めちゃくちゃ優しい人だった。

 


2台目の方はレンタカー屋のおじさん。

ちょっと一休みしたいんだけど代わりに半分運転できる?ってことでまさかの途中から自分が運転。笑 でかい車運転するのは初めてだから緊張した。。

無口な人で会話はほとんどなくて、深夜の東北自動車道を沈黙の中ひたすら進む。

そしたらいきなりこの状況面白いからSNSに載せていいか?って言われて運転中の俺の写真を撮ってきたのは笑った。そしてすぐ無言の時間に戻る。

別れのときになって頑張れよって固い握手をしてくれたから本当は物凄く優しい方。確か赤坂?のニッポンレンタカーにお勤めされてるらしいので旅行の際にはぜひご利用してください。

 


3台目の方は税理士の女性の方。

車が全く立ち寄らない小さなPAに降りてしまったせいでかなり苦戦。今まで順調にきてたのに時間も気付いたら22時を回って焦り始める。

まじで死にかけて野宿を覚悟したとき、ひと気のない場所に相応しくない真っ赤なBMWが突然入ってくる。中からはミニチュアダックスを抱いた40代くらいの女性が出てきて、周りの茂みを散歩させ始めた。

あの人遅い時間にこんなとこで何してんだろう(向こうの台詞でもある)ってしばらく不思議そうに眺めてたけど、もうこの人しかいないと思って勇気を出し事情を伝えて乗せていただけないかお願いする。(急に半袖短パンにスケッチブックを抱えた謎の男に声掛けられたもんだからちょっと驚いてた。ごめんなさい。。)

そしたらこの方もちょうどドンピシャで仙台が目的地で、都内で仕事を終えたあと単身赴任中の旦那さんの家に向かってる途中とのこと。

私は乗せてあげても大丈夫なんだけど一応主人に電話で確認するねって言って、祈りながらしばらく待つ。

電話が終わってどうでした?って聞くと、旦那さんは物凄く心配してるとのこと。

そりゃ自分の奥さんが夜中見知らぬ男に声を掛けられたなんて報告を受けたら誰だってとてつもなく心配するよね。当然の話。

自分が勝手に始めたヒッチハイクな訳だし、迷惑だけはかけたくないのでお騒がせしてすいませんでしたと伝えて諦めようとしたとき、野宿なんか危ないから主人には内緒ねと、まさかの快く乗せていただけることに。。!

これは奇跡としか言いようがない。なぜなら後にも先にもこのPAを訪れた人はこの方のみ。

ちなみに犬を散歩させてたのは長旅でペットがストレスを感じないように気分転換を挟んだためだったらしい。それで本当に偶然このPAに寄ったとのこと。尚更奇跡すぎる。

この方は女神のような本当に優しい人だった。何回もしつこいくらい感謝した。人の温かみをダイレクトに感じて普通に泣いた。

話を聞いたところによると、この方も学生時代ヒッチハイクで北海道を一周した経験があるらしい。それで多少の理解があったのかな。何にせよこの方が女神のような人であることには変わりはない。

車の中ではずっとお話付き合ってくれて、知らないうちに初対面なことも忘れて悩みのような話もしてしまった。にも関わらずりくくんなら大丈夫よ〜と最後まで優しく聞いてくれた。また泣きそうになった。

いよいよ仙台駅周辺に着いて、交番はあっちにあるから何かあったら行きなね〜とか、コンビニはこの辺だよ〜とか何から何まで丁寧に教えてくれて、あっと言う間にお別れの時間。自分の姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。思わずキリがないと分かりながらも何度も振り返ってお辞儀をした。本当に感謝してもし切れない。一生忘れない出来事。

 


真夜中の仙台市内をふらふら散策して、ネットカフェに一泊してから念願だった猫島へ。

猫だらけで癒された。よく見ると建物も猫の形。

島から仙台に戻って、牛タン食べて帰りは新幹線で帰宅。

 


2日目の記録は雑だけど。でも2日目は本当島行っただけで特に何も起きてない。よかったら写真を見てください。

とっても思い出に残るいい旅だった🐈♨️

 


今回ありがたいことに乗せていただいた方々にはもう一度何かの形で会いたいな。さすがに連絡先とかは交換してないけど、縁があるならまたどこかで会えるはず。あと頑張ってって言ってくれてお茶買ってくれたおばさんのことも忘れない。99%ないけどもし自分がミュージシャンになってアルバムをリリースしたらスペシャルサンクスの欄に全員の名前を載せると思う。そのくらい本当に感謝してます。

 


終わり。

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鬱映画レビュー(邦画編)

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リリイ・シュシュのすべて(2001年) 監督:岩井俊二

 

鬱映画なんだけど人によってはただの鬱映画じゃない気がする。あと何となく日曜日の夜に見るのは避けた方がいいかも。というようなことを思いながら日曜日の夜にこの文を書いてる。

 

思春期特有の不安定さがたくさん詰まってて心がざわつく。ちゃんと青春できてた人にはただただ見るに耐えなくて響かないかもしれない。

 

綺麗な音楽と風景が物語と矛盾しててその違和感に心を蝕まれるんだけど、たまにそれらが不思議とリンクした瞬間が見えたような気がして、まるで台風一過の夕焼けのような、物凄く眩しくて美しい何かを目の当たりにしたときに限りなく近い気持ちになった。

 

初めて見たときは陰鬱な自分と通ずる部分を重ねて心が沈んだのだけど、同時にどこか救われたような気がした。見たら落ち込むと分かってても今でもたまに見返したくなる特別な映画。

 

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②告白(2010年) 監督:中島哲也

 

自分が映画好きになった原点。中学のとき見て衝撃受けた。原作から入ったんだけど、実写も負けず劣らず映像ならではのよさが光ってる。


ラストは本来恐怖するシーンなのに自分はなぜか泣けた。

多分森口先生の我が娘を奪われた行き場のないやるせなさと修哉の暴走した孤独感の末路にどこか共感したのと同時に、最後の一言で放たれたサイコな台詞から余りにもお洒落なセンスを見出せてしまったからだと思う。凄いものに出会うと感動してしまうあの感覚。それ程松たか子さんの表情と声色と相まって物凄くウィットに富んでた。

そんないくつかの感情が混じり合って訳分かんない初めて流す涙が出た。

 

あとこの映画、実はのん(能年玲奈)ちゃんがこっそりと脇役で出てる。

純情可憐なのんちゃんのイメージとは真逆で学級崩壊の一端となる生徒を演じてる。いじめの傍観者らしい悪に満ちた笑顔を所々で浮かべてておっかね〜ってなった。

 

個人的に物凄くおすすめの一本。苦手な人はとことん苦手な映画かもしれない。

 

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③ゆれる(2006年) 監督:西川美和

 

観終わってゆれるというタイトルに納得がいく。

ラストシーン、香川照之の浮かべた笑みはどっちの意味?それともさらに解釈のしようがあるのか。

自分は突然訪れた久しぶりの再会に思わず無意識的に、本能的に笑みがこぼれてしまっただけで、弟とは決別の選択をしたのだろうと思った。

 

人によって感じ方は多種多様なはず。他の人はどう感じたのか語り合いたくなるそんな映画。

とにかくラストが必見。香川照之が余りにも名演技すぎて震えた。

 

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ミスミソウ(2018年) 監督:内藤瑛亮

 

原作を読んだことがあったから気になって鑑賞。

 

真っ白な雪景色に不謹慎ながらも真っ赤な鮮血が不気味に美しく映える。


途中からあれ?って思って注意して見てたんだけどやっぱりそうだった、登場人物の目が全員淀んでる。でも春花と妙子が仲睦まじく教室ではしゃいでる回想シーンと妙子に過ぎ去りざまに頑張ってって手を振られたときの流美の目だけは希望を見出してこの世にちゃんと生きてる人の目だった。そこが割と印象に残った。


クラスの連中が春花に常軌を逸するまでのいじめをするのもそれぞれ訳ありなバックボーンがあるからなんだけど、だからと言ってそこまでするかね。。ちょっと現実離れしすぎててその辺は入り込めなかったかなあ。まあ映画だからいいんだけど、ツボが合わなかったというか何と言うか。でも行き過ぎてたけど一番理解できたのは南先生の気持ち。乱しながら中学校生活をやり直したいって訴えかける場面は胸が締め付けられた。


本当に終始ただただ胸糞悪くて、開始2分で観なきゃよかったって思ったけどラストの映画オリジナルシーンであ、やっぱり観てよかったかなって少し思っちゃった。自分はあの終わり方悪くないと思ってる。


主題歌が劇中のあるシーンで突然流れるんだけど、まるで物語のどんよりした重い空気を強引に切り裂くように、鍵盤を力強くぶっ叩くピアノの音が無理矢理感情を揺さぶってくる。ピアノの旋律に突然胸ぐらを掴まれてお前はどう感じる?って脅されながら問いかけられた気がした。終わってから妙にその歌が気になっちゃって歌詞を見たら思わず泣いた。主題歌の歌詞を調べるまでがこの映画の醍醐味だと思う。


あと全く関係ない話だけど中学校の頃の音楽コンクールでピアノを全く弾けない子が謎に伴奏者に選出されていつも静かなその子は言われるがままに受け入れちゃったことがあった。その結果案の定練習のとき全員分かり切ってるくせに弾けねえじゃねえかあははってバカにした笑いが起きた。結局早急にピアノを弾ける子が代役を務めて何事もなく終わったんだけど、映画を観てる途中この記憶が久し振りに蘇った。中学生くらいのときって多くの人が異質なものに理解を示せなかったり、何かしらの晒し上げる対象を見つけて自分の未熟さや至らなさを必死で隠してるんだろうな。