今断薬するなら、、、
明日から断薬するなら、
失敗したら、
それは、戦争のカルマが関わっていると、他の人の恐怖を背負っていると断定できる。
もし、成功したなら、それは、自分のカルマと家族や家系のカルマがセラピーによって、解消されたおかげ。
確率は、未知数。
全ては、自己責任。
やってみるか、やらないか。
仕事から帰ってきてからも余裕が出てきた。
何かこう、自分の内側からエネルギーを感じている。
というのは、一昨日、ある心理カウンセラーからセラピーを受けた影響だと思う。
その心理カウンセラー曰く、
自分の母親と自分に心理的な癒着があったとのこと。
成長してはいけないと、無意識にビリーフがかかっていたみたい。
本来なら父親が、その癒着を切り離す役割みたいだけど、それが機能しなかったらしい。
反抗期自体、記憶にないしね。
セラピーから、数日が経ち、心理面で、変化を感じている。
それは、さっきも言ったけど、内側から怒りのようなエネルギーを感じている。
人生で初めての力強いエネルギー。
こんな感情があったことに嬉しさを感じつつ、日々を生き抜くパワーとして、これからやっていけるなと思っています。
このパワー、ずっと在り続けたい。
そして、また、精神や心理といった、目に見えない何かを信じ、興味を深めたい気持ちになり、やはり、カウンセラーになりたいと改めて、思うような、素晴らしいセラピーでした。
そのカウンセラーに感謝します。
ありがとうございました。
みなさんは、お元気ですか?
みなさん、お久しぶりです。
最近は、仕事でいっぱいいっぱいでして。
残業は、そんなにしていないのに、疲れ果てています。
頭は、回らないしね。
特に何かを書くつもりはなかったし、考えが思いつかないのだけれども、
みなさんは、どうお過ごしですか?
と、聞きたくなったのです。
アフォメーションを有効に使う。
お久しぶりです。
最近は、仕事が忙しく、ブログを更新できていなかったです。
自分のブログを楽しみにしてくれている人たちに申し訳なかったです。
さて、本題にある通り、今週の自分の目標と致しまして、『アフォメーションを有効に使う』と掲げています。
アフォメーションとは、自分の解釈では、自分を肯定的に捉える言葉を心の中で、唱えるという事だと思っています。
自分は、正直に言うと、今、仕事が辛いです。
そういう時に、心の中で、
『セラピーを受ける為にお金を貯める』と唱えています。
本当は、やりがいを持って、仕事が出来れば、一番良いのですが。
自分の今の目標は、
病を治す
ことですので、その為には、セラピーを受けて、心を軽くする必要がある訳です。
できない、したくない、なのに、ダメだ、
といった否定的な言葉を唱えると、その否定的な思考が現実になってしまうといった概念があると、ある本で学びました。
その本とは、
『こうして、思考は現実になる パム・グラウト[著] 桜田直美[訳]』です。
自分は、その本に出会う前は、そういった類の、ワークや、信仰などを信じていませんでした。
でも、その本を読んで、今まで、蓄積されてきた歪んだ思考が、肯定的になることで、心が軽くなる一助となっている気がします。
みなさんは、どのような目標を持って、今週を迎えていますか?
怒りを感じない人は趣味を持たないのではないか?
ふと思った。
自分って、怒らない。
イライラもしない。
深い落ち込みもない。
一人でいると、普通に安定感があるのだが、
人と一緒にいると、影響を受けてしまっているように思える。
エンパスの類かもしれない。
エンパスにも色々な種類がある。
最近、感じる部分でいうと、感情系のエンパスだ。
人の感情をもろに、ダイレクトに受け取ってしまう人のことである。
最近、趣味であった映画、アニメ、漫画等に関心がなくなった。
音楽に関しても、クラシックしか聴かなくなった。
自分の中で、何かが変化したようだ。
しかし、自己否定感や、自己卑下など、
ネガティブ思考は、これといって、ない。
良い意味で、怒りを感じない。
ただ、怒りを感じている人が近くにいると、ただ動揺してしまう。
これも、HSPの類かなと思う。
結局、何が言いたいのかというと、
生きづらいな〜と、単純に思ってしまう今日この頃で、
自分には、やはり、個が向いているように感じる。
悟るとは?
※少し内容が怖いです。
悟るとは、
さとる
さをとる
さの次は、
し
死
悟りの体験とは、死の体験かもしれない。
仏教をつくった、ブッダも、修行をして、死を体験したのかもしれない。
ただ、自分は、悟った、悟っている、悟れていると、語る人は、悟れていない可能性が高いかもしれない。
なぜなら、悟るとは、死、そのもので、
口に出すのも怖ろしいものだったりするのだから、
軽々しく、口には、出せないのかなとも思う。
悟りとは、圧倒的な主観的体感なのだから、
誰も確証は、とれないのだけれども。
そうではないか、そうではないのではないかといった推測に過ぎない。
ただ、もし、ブッダのように、悟れている人が、この世にいるとしたら、
公には、表社会には、出てこないだろうなとも、思える。
自分は、そのような体験は、したことがないからわからないが。