はじめの一歩

ようやく一歩目を踏み出すことができた。

次の一歩、どこに向かえば良いかはまだわからない。踏み出すことだけは決めた。

どこにつながるかもわからないけどどこかにはつながるだろう。次が誰なのかもいつなのかもわからない。それでも誰かが続いてくれるといいな。

次の誰かのためになると良い。

 

2019年11月 執筆開始

2020年4月 大枠執筆完了

2020年6月末 投稿

7月中旬 大幅改訂指示

9月末 再投稿

10月頭 中規模改訂指示

10月末 再投稿

11月頭 小規模改訂指示

11月中旬 査読者承認

11月末 小規模改訂指示

11月末 再投稿

12月頭 受理

12月末 校正

2021年1月中旬 出版

今のドアを開けると7月の埼玉とは思えないほど涼しかった。涼しいを通り越して寒い。暑がりの私が言うのだから本当に寒いのだ。

 

私の実家でこんな気温の日に冷房を入れることなんて今まで一度たりともなかった。

 

そしてまだ、この部屋に入ってから感じた違和感はある。そう、匂いだった。どこかで嗅いだことがあるな、と思ったが、それもそのはずだった。

そのためにここへ帰ってきたのだから。

 

その君は前と変わらぬように見えた。

家を出てから私の匂いが変わってしまったのであろう、私を私と認識しなくなり、何者かもわからぬ者から自らを守ろうとする虚勢も今はどこへも響かない。

赤の抜けた耳は柔らかく、しかし私の手を拒まない。

身体を覆う白い毛は柔らかかった。ただ寝ているだけ。

冷たいと感じるのはこの家に似合わない強く効きすぎた冷房のせいだろう。

そういえば最近、皮膚の調子が悪い。

なぜ口を閉じていないの。

 

滑り台の下

ラヂオ体操

集う子供ら

白い片割れ

開かない瞼

 

鮮明に思い出せるよ。

隙間

拒絶は理解とは最も離れた行為で、向上を与えない。

 

数年前の私はただ拒絶のみをしていた。自身の感情を知ることもせず、理解してしまうと追いついてくる混沌に恐怖した。まだ近くないことはわかってはいたが、自分の在る狭い狭い世界が崩れてしまわぬように、感情に蓋をしようとしていた。

 

ヒビだらけの狭い狭い殻が壊れないように。それだけが当時の私ができたことだった。ドロドロとした中身はとっくに零れ落ちてしまっていて、守るものはなかったはずだった。殻を守ること、それだけが残された道だと信じていた。

 

まともな思考が可能であったならば他の道を探すことができていただろう。自身よりも中身のほどんど残っていない殻を慈しんで守っていた私は、殻の外から射し込む光に目を背けていた。

 

会話をすればよかったのか、誰かに頼ればよかったのか。当てなき道をさまよい周りに尋ねることもせず地面ばかりを眺めていたからこうなったのか。

 

結局殻も守り切れなかった。殻から出る時が来て、出てしまえば私の生存に必要なものではなかったことを知った。なくてもいいものを守るために身を削り力を注いでいた。そうして守っていたからはどこかへ流れて行ってしまった。

殻を守ったのは私で、殻を壊したのも私だ。外から殻を壊そうとしていた棘は本当に殻を壊そうとしていたのかどうかはわからない。内側にあった棘すら見えていなかった。

 

無くてもいいものだった殻も大切なものに違いはなかった。ヒビを入れた何かも、守った私も、壊した私もすべて許せるはずもない。誰かが呪いと言っていた。解ける日が来るのだろうか。

 

またいつかヒビが入るのかもしれないと思うから、棘のあるものに近づきたくない。そして拒絶は続いてゆく。

帰り路

最終バスの中は異国の言葉で溢れている。音楽で疲れを和らげる人、誰かと機械を通して会話をする人、目を閉じて車体の動きに身を任せる人、それぞれの方法でそれぞれの帰路を過ごしている。私はというと、通路を挟んで右隣に座っている若者の動向に気を配っていた。刺激しないように、目にも触れないように、ここに在ることすら気にならないように、静かに、耳へ流れこむ音楽にだけ集中しようとしていた。

 

この土地へ来て1週間が過ぎたところで、心身ともに疲弊していた。初めの週ということもあって未だ慣れない仕事を終わらせることができなかった私が悪いのだけれど、気がつくと最終バスの時間が近づいていた。このバスを逃すと1時間半の暗い帰り道が待っている。焦りながらも区切りをつけて停留所まで走り、幸運にも最終より1つ前のバスをちょうど捕まえることができた。

 

座れたことに安心して一息ついたところで、私の後ろから若者がバスに乗車してきた。何やら声を発している。耳にイヤホンをはめているので彼の言葉がわからなかったが、気分が良くて周りと話をしたいという感じではない。むしろその対極のようだ。それぞれ過ごす乗客たちも彼に意識を向けていることはわかった。しかし誰もそれを前面に押し出したりはしない。彼は周りを見渡しているくらいで、特別おかしなことをしているわけではない。しかし明らかに普通ではなかった。

私の近くの座席に座ってもまだ周りを見渡していた。何かを探すというよりは、乗客たちをじっと観察するかのような、あまり快くない視線を送っていた。

 

何が彼をそうさせているのかは分からない。アルコールの匂いもしないし、視線がフラフラ漂う感じでもない。気にくわない何かがあって自分の中に留めることができないでいてなんでもないからぶつける対象を探しているように見えた。時折何か言葉を発していて、言葉の意味は分からないけれど私は怯える事しかできない。

少しすると近くにいた中年男性と口論を始めた。その男性が厳しい口調で注意をしていたように聞こえた。私が優しく諭すことができれば、とも思うけれど自分の生まれた場所でさえ同じように怯えるのだろうから、この考えはあまり意味を持たない。自覚して自分を嫌になるのにも慣れた。

 

耳に流れるメロディーは穏やかだけど、私の鼓動を緩めるには不十分だった。どうせなら激しい曲にしてしまって気を紛らわせよう。別の曲を流す。激しいけれど楽しそうなメロディー。こちらに来るまでの飛行機の中で見た映画のサントラで、映画の中では主人公がメロディーに合わせてスキップをしていた。状況に合わないからこそ耳に入れたくなる。私もスキップをしたくなってきた。バス停から家までの間に小さな公園があったし、そこを抜けてみようか。どうせ夜だしあまり人もいないだろう。夜の公園は少し怖いけれど、ただの道をスキップするよりか良い気がする。

 

数分後、例の彼は降りていった。降りる直前まで男性と口論をしていたようで、私でもわかるくらい簡単な汚い言葉を大声で吐き、去っていった。彼が下りた後の車内はみんながホッとしたのか少し穏やかな空気に感じた。

 

ああはなりたくないな…。自分の考えに自分で驚いてしまう。何様だろうか。何もできていないくせに。生まれた国を出るというだけで意気揚々としていた自分を恨めしく思う。

望んでいた生活はこんなものだったのだろうか。こんなことなら自分の国にとどまっていた方が普通に幸せに暮らせたんじゃないか。友達と通ったカフェのアップルパイが食べたい。お母さんはどうやって部屋の掃除をしていたっけ。同級生の皆は元気でやっているのかな。おしゃべりってどうするんだっけ。

彼がいなくなってホッとしてしまったけれど、私こそ此処にいてはいけないように思えた。ころころと変わる感情に、自分で自分の姿がよくわからなくなってしまう。

 

とはいえ、自分の感情をそのまま出していいわけはない。そんなこと言っても私は自分の感情さえもよくわからなくなっていているから、ただ押し殺すだけ。感情を外に出すか中に秘めるかはあまり違いがないように思えた。これが人間なのだろうか。しつけられた犬や猫のようだ。

 

彼と私では内包しているものは同じだったのかもしれない。包み紙が違うだけ。彼は穴が開いてしまっていて漏れて出てきていた。私の包みもくしゃくしゃになっているから、もうしばらくしたら中身が漏れてしまう。中には大したものは入っていないから問題はないかもしれないけれど、自分のものだといくら量がなくても勿体無い。早いところ綻んだところをどうにかしないといけない。

 

以前に新しい環境に移ったときも3日から1週間ほどで最も感情が沈んでいた。今回もそうなのだろう。はじめから飛ばすと碌なことがない。

まだ始めの週だから会社での立ち位置も定まっていない。まだまだ自分を出せないし周りも自分を出していない。あまりにも周りを気にしすぎてしまう性格は、損だ。とりあえず焦らず自分の仕事を終わらせられるようにならないと。気を張りすぎないように、周りを少しずつ気に出来るようになろう。

 

明日は休みだし、少しゆっくりとしていい朝ご飯でも食べに行こう。カメラを持って。気持ちを記録できますように。さっきの彼にもいい休日が訪れますように。

港町

港町が好きだ。辺りに響くエンジンの音、潮とガソリンの混じった体に染みつくような匂い、遠い水平線の近くに輝く波と船。心を穏やかにさせてくれるもので溢れている港が好きだ。

 

私の生まれた街には海がない。だから当然港もなかった。あそこにあるのは家ばかり。だからだろうか、同年代の友達も数えきれないくらいいたし、同じ学校の同級生も当時から全員は覚えていなかった。大きな街へもすぐに行くことができて不自由はしていなかった。だけど、どこへ歩いても人がいた。一人になれる場所が欲しかった。

 

坂道が好きというと珍しいねと返されることが多いけれど、港町が好きな私は坂道も好きだ。海の近くには坂道が多い。生まれた街には海がない代わりに坂道はたくさんあった。多くの人は傾斜が苦手というけれど、それは歩く時の身体の疲労が苦手なのだろう。坂の下から見上げた時に迫りくる街の景色も、坂道から見下ろすと目の前に広がる船と海の重なる景色も、どちらも好きだ。そんな私にとっては両脚の疲労など取るに足らないものである。

 

生まれた街は海のない街ではあったけれど、川は在った。特に河原が広い大きな川が好きで、河原からずっと広がっていく草原を見て黄昏を独り占めしたりしていた。冷たい風が海を想い出させてくれる。匂いは海とはかけ離れていたけれど、それでも眼前に広がる空はこの育ち切った社会を少しの間だけ忘れさせてくれた。この街に住む人々はわざわざ河原を訪れたりなどしない。

 

高校は自宅からそれほど離れていなかったので自転車で通っていた。まっすぐ伸びる大きな道路を通れば急がなくとも30分程度で到着する。毎朝毎朝大量の自動車が大きな道路を流れ、必要以上のモノを運んでいく。あまりこの道を通りたくはなかった。排気ガスか、自分の横を急ぐ車たちが感じさせる圧迫感か、そう感じさせる原因ははっきりとはしていない。できるだけ住宅地の中か河原を通っていた。大きな道路を避けると少しだけ気分が落ち着く自分がいた。河原と坂道を通りたいがために回り道をして自転車を漕ぐことも稀ではなかった。

私の通った高校は高台の上にあった。門をくぐった後は坂道になっていて、みんなゆっくりと上っていく。裏手の門の中には坂道が好きな私でも自転車で上るのが苦しくなるほどの傾斜が待ち構えている。朝起きてから鬱蒼としていても、この坂を上った後には、疲れのおかげでどうでもよく思えてくる。他の坂のようにみんな嫌がってはいたけれど、私は少なからず感謝していた。

 

親元を離れ移り住んだ街には坂が無い。生まれた街とは違い、少し足を延ばせば海があるけれど、この場所は港町ではなく、所謂都会だ。街の中心付近に住んでいるだけあって人々が嫌がる傾斜は排除されてしまっているし、道路も碁盤の目状に広がっていて面白味がない。大学へは歩いて5分なので、毎朝自転車に乗っていた貴重な30分も失われてしまった。ここでもどこへ行っても人がいて、逃げ場がない。空もとても狭く、水中にいた方が上手く呼吸ができる気がする。

 

***

辿り着いたこの街には港がある。さらに言うと港しかない。道路すらない。木で造られた橋のように見える小路が人々のつながりを支えている。実際に支えているのは明らかに船だが、この小路によってこの街は成り立っている。この街には道路がないから私の好きな坂道がない。高台の上に登るにも、木造の小路から延びる階段で上る。これはこれで嫌いになれない。地球の裏側のこの小さな港は、穏やかな心で溢れていた。

 

長い間共に旅をした仲間たちはまた海へ出た。小さくなっていくエンジンの音を聞きながらゆっくりと瞼を閉じた。

海辺の町

コンテナの隙間から小さな街並みが見えた。

 

街は夕暮れに照らされて輝いていた。元々原色が強かったと記憶していたのだが、金色のフィルターを通したかと思うほどに、輝いていた。

 

見惚れてビールを飲んでいたら、周りの仲間がスマートフォンに景色を収め始めた。美しいと思ったのは私だけではなかったようだ。

 

気がつくと街の夕暮れ色は薄くなり、段々と元の姿を取り戻していた。これはこれでいい街だよなぁ、と何の意味もなく思う。

 

すると夕暮れの街の脇役だった空が輝きだした。日中から今日は珍しく雲があまりないとは思っていたけれど、晴天は夕方に最も映える。

 

街並みの奥に広がる海は暗く、水平線近くに広がる疎らな雲は薄い紅色を放っている。赤色は徐々に太陽の色を経て、上空の空色に溶けていく。色の変遷で空全体が虹となっていた。

 

空は普段から様相は変わっていないはず。だが雲の量が少ないからにしても、こんな姿は見たことがなかった。空は普段からこうなのだろう。私の住んできた場所は海がない場所だったし、周りが建物に囲まれていた。旅行で海を訪れても、こんな風に空は見上げていなかった。

 

この街も、明日離れるのか。カメラを忘れて良かった。