Rochesterで数理政治学を学ぶ

アメリカ政治学博士課程留学サンプル

ミーティング記録⑤ Professor Brandice Canes-Wrone

今期最後のゲストスピーカーBrandice Canes-Wrone教授は主に大統領研究で知られているアメリ政治学者で、最近PrincetonからStanfordに移籍された。最近はもっぱら実証研究をされているが、Stanford GSB出身という事もありかつては理論研究もしていて、その中で有名なPandering(大衆迎合政策)に関する論文は、何を隠そう私の2nd-year paperのテーマである。自分の研究テーマのパイオニアと直接お話できる機会など今後の人生何度得られるか分からない機会なので、迷う事なく朝食・ミーティングセットに申し込んだ。

自分の研究に対する反応は、好感触だったと思う。対面で批判的な事を言うビジターはあまりいないので額面通り受け取るわけにはいかないが、かと言って内心100%批判的にもかかわらずそれを隠し通すというのも逆に難しいと思うので、評価してもらえている確率を50%から60%くらいにはBayesian Updateできたと言えるだろう。

それ以外の話で面白かったのは、経済学では論文の中身と同じくらい著者が誰であるかが論文のパブリッシュに重要であるという噂があり、政治学ではどうなのかと聴いてみたところ、「シニア教授はむしろ差別される傾向にある」という予想と逆の答えが返ってきた。とはいえご自身はキャリアを重ねるにつれR&Rになる確率が上がったという正反対の事も仰っていたのでどちらが正しいのか分からないが、未だにデスクリジェクトされる事もあるそうなので、少なくとも大物だからと言って必ずしも特別扱いしてもらえるわけではなさそうである。ベテランと若手が同じ土俵で論文の質を競えるのだとしたら、嬉しいニュースである。

あとは自分は政治制度の中でも執政制度に特に関心があるので、先生がStanfordで教えられている大統領に特化した授業(学部生向け)についても伺った。その中のトピックである大統領の単独行動に関してはWilliam Howell著のPower without Persuasionがあまりに有名だが、この本は大統領の単独行動の有効性を誇張し過ぎているきらいがあり、近年は単に有権者に対するPosition takingに過ぎないのではないかと主張する研究もあるそうである。いずれにせよ、サブスタンスには「確立した知見」が少ないので、メソッドよりも教えるのが難しい(情報過多で混乱しないよう教科書ベースで学習するのが望ましい学部生相手にはとりわけ)という事を改めて感じた。

今回のミーティングは概ね成功と言ってよいのではないかと思う。ちなみに今までは普段のカジュアルな格好で朝食やミーティングに参加していた(し先輩方もそうだった)が、今回からはビジネスカジュアルな格好で参加する事にした。やはり身なりをきちんとしていた方が相手からも丁寧に扱ってもらえる気がするし、自分自身の身も引き締まるので就活の練習になると思う。学会でのネットワーキングの難しさを思い知った今、ビジターとのネットワーキングがいかにやりやすく貴重な機会であるかも痛感したので、今後も積極的に活用したい。

2024年春学期振り返り

今期は数理政治学を履修、経済数学とミクロ経済学を聴講しつつ、もっぱら2nd-year Paperに取り組んでいた。指導教官の一人から「ほとんどの2nd-year Paperを超える論文だと思う」と言って頂けたので、それなりに有意義な学期にできたのではないかと思う。「MPSAに申し込むべきか悩んだ」という投稿を以前にしたが、MPSAを完成目標として2nd-year Paperを進めた事で通常は8月末の締切のところ4月末に一応の完成を迎える事ができ、プレゼンもそれなりに手応えを感じる事ができたので、MPSA参加は正解だったと思う。本来2年生は学部から学会渡航費が支給されないのだが、指導教官の先生方が研究費から費用を出して下さったので最小限の自己負担で済んだ。論文自体も先生方のフィードバック無しには完成しなかったのは明白だし、金銭的支援までして下さって先生方には頭が上がらない。3年生になれば学部から渡航費が支給されるようになるので、今度は来年のMPSAに報告するのを目標に、この夏から3rd-year Paperを進めていきたいと思う。

Models of Domestic Institutions

基本的にはGehlbachのFormal Models of Domestic Politics 1-7章を解説しつつ、関連論文を学生が報告するという授業だった。修士課程の時にシカゴ大学で著者本人による同様の授業を受けていたので、正直内容に関してはほぼ復習だった。にもかかわらずこの授業を受けてよかったと思うのは、論文報告の前にスライドを添削してくださったので、理論研究報告のスライド作りが上達したためである。またMPSA前には一授業丸々割いて私のプレゼンを改善するための検討会まで開いて下さり、MPSAでの報告がうまくいったのはこの授業のお陰である。授業を通じて指導教官の一人であるDan Alexander先生との関係を深められたのも良かったと思う。

Mathematical Economics

測度論的確率論の授業である。事前にミクロ経済学専攻の先輩から「この授業では必要以上の内容をやるかもしれない」という忠告を受けていたが、それは的中していたように思う。ミクロ経済学者や計量経済学者といったPure Theoristは測度論を本格的に勉強しないといけないかもしれないが、Applied TheoristはStokey, Lucas, & Prescott Recursive Methods in Economic Dynamics 7章などを読んで基本的な用語を知ってさえいれば、あまり困らないのではないかと感じた。とはいえ今後経済理論の論文を読む機会が増え重要性を実感する可能性もあるので、その場合はその時に改めて勉強したいと思う。

Modern Value Theory II

ミクロ経済学コアの後半で、学期の前半が上級の非協力ゲーム理論、後半が協力ゲーム理論とメカニズムデザインを扱った。上級の非協力ゲーム理論については昨年度政治学部でも受けたので復習の内容も多かったが、新しい内容を学ぶ事もできた。具体的には、Supermodular Games、One-Shot Deviation Principleの証明、連続区間でのMixed Strategyあたりは初見だった。また先学期Real Analysisを既習である事が前提なので、政治学部の授業に比べてReal Analysisを多用したより数学的な解説が多かったように思う。

この授業を通じて気が付いたのは、初級・中級・上級ゲーム理論の内容の違いと、それに対応した使う数学の範囲の違いである。初級ゲーム理論は非常にシンプルな「図を書けば解けるゲーム」しか扱わないのに対し、中級ゲーム理論ではゲームの数学的定式化を通じてより複雑なゲームも扱う事ができるようになる。だが、依然として均衡が存在する事が分かっているような「典型的なゲーム」しか扱わない。上級ゲーム理論ではどのようなゲームであれば均衡が存在するかを明らかにする事で、「一般のゲーム」を扱う事ができるようになる。この内容面での違いが、「初級では確率や数列の計算くらいしかしないが、中級では図に書きづらいような連続区間も出てくるので微積分が必要になり、上級では均衡存在の証明にReal Analysisが必要になる」という形で、使用する数学の範囲に表れる。

この事を意識すると、通常上級で扱うような発展的トピック(例えばMarkov Perfect Equilibriumや均衡の精緻化など)でも、Real Analysisを使わずに議論できるなら中級の授業で紹介しても構わないし、逆に上級の授業では中級の授業でやるような基本的内容をスキップして、Real Analysisを使わないと議論できない内容に特化する事で、重複を避け効率的な授業が可能になる。このように中級と上級の区分を見直すと、政治学部で昨年度秋学期に受けた上級ゲーム理論の授業は少しだけReal Analysisに触れた程度なので本質的には中上級くらいのレベルであり、昨年度春学期に受けたAdvanced Formal Methods in Political Economyこそが上級ゲーム理論と呼ぶにふさわしい授業だった事が分かる。

話をミクロ経済学の授業に戻すと、後半の協力ゲーム理論については政治学ではあまり使われない(経済学でも近年ではあまり教えられていないらしい)のでざっくりと聞いていただけだが、メカニズムデザインのパートは面白かった。特に、抽象的な状況を考えているとギバード=サタースウェイトの定理(そしてその兄弟分であるアローの不可能性定理)が示す「望ましい社会的選択のルールは独裁制しかない」という悲しい結果に打ちひしがれる事になるのだが、仮定を足して具体的な状況を考えてやると意外にもポジティブな結果が出てくるという逆転が面白かった。具体例としては、中位投票者の理想的な政策が採用されるのはゲーム理論に基づく実証的な予測であるだけでなく、メカニズムデザインの観点からは耐戦略性(選好を偽る事で得をしない)を満たす規範的に望ましいルールでもあるのである。中位投票者ルールも独裁制もたった一人の意見を優先している事には変わりないが、偏った意見を優先しない事を保証している点で、中位投票者ルールの方が随分マシなルールだろう。メカニズムデザインは経済学ではマーケットデザイン(オークションやマッチング)という形で花開いているが、この例を見ると政治学でも有意義な応用ができる予感がする。この夏に色々と調べてみようと思う。

Jean Tirole講演

Jean Tiroleがロチェスターにやってきた。Tirole教授は規制政策に関する業績で2014年にノーベル経済学賞を受賞しており、今回も「デジタル時代のプライバシー」と題した企業や政府によるデータ利用への規制についての講演だった。規制を行うのは政府なので、(とりわけ権威主義体制における)政府自身のデータ利用をどう制限するかという問題に興味があったのだが、これについて決定的な解答は無いようだった。

一般向けの講演なので、一つの研究について詳しく解説するのではなくTirole教授がこれまで行ってきた様々な研究を概観していくというスタイルであり、そのため必ずしもテーマに沿った一貫した内容というわけではなかったが、"Moral licensing"に関する話は面白かった。これは、倫理的に望ましい振る舞いをする事で社会的に望ましい自己イメージが形成され、それ以降倫理に反した行為をする社会的コストがかえって減少してしまうという議論である。例としては、オバマ大統領(当時)への支持を表明する事が、かえって人種差別的ともとれる発言を増やしたという研究があるようである。これは心理学由来の知見なのだが、これを初めて数理的に分析した研究をTirole教授らが最近発表したようである。

今回の一般向け講演でTirole教授の本領を見る事ができたとは言えず、贅沢を言えば理論セミナーという形で話を聴いてみたかったが、ノーベル経済学賞受賞者の講演を聴いたのは初めてだった(シカゴ大学セミナーでRoger Myerson教授が質問しているのは見た事があるが本人の講演を聴いた事はない・京大で山中伸弥教授の授業を一度だけ聴いた事はあるが経済学ではない)ので、良い記念にはなったと思う。

ロチェスター大学に来て2年が経ち、ノーベル賞受賞者とまではいかずとも第一線の研究者が毎週のようにセミナーに訪れる環境に慣れてきてしまった気がするが、ロチェスターを卒業すれば、アメリカのトップスクールに就職しない限りそのような環境は二度と得られないので、このありがたい環境を最大限活かすためセミナーへの参加・ビジターとのネットワーキングを積極的に行っていきたいと改めて感じた。と言いながら、Tirole教授とネットワーキングできるだけの勇気と業績は残念ながら自分にはまだなかった。

これくらい大きなスクリーンを使っていつか授業してみたいものである

初MPSA

今回は初めてMPSAに参加した感想を書きたいと思う。MPSA中の時間の過ごし方は大きく3つ(数理政治学セクションへの参加、ネットワーキング、シカゴ観光)である。

数理政治学セクション

開催地であるPalmer House a Holton Hotelの第一印象は、「スクリーンが小さい…」である。ホテル開催の学会は学会割で安くホテルに泊まれたり空き時間に部屋に戻って休憩できたりとメリットも多いのだが、大学の教室にあるような大きなスクリーンがないので、オーディエンスはこじんまりしたスクリーンを凝視する事を求められる。

そういうわけで聴き手としては中々に骨が折れたが、その結果としてプレゼンの巧拙がより浮き彫りとなる環境だったと思う。「プレゼンのスライドは文字を少なめに」というのは常套句だが、スクリーンが小さい今回の場合、文字をビッシリ詰めるタイプのスライドはプレゼンター本人のカンペ以上の何物でもなく、聴き手の理解の促進という役割は放棄していた。またスライドの中で今どこを話しているかを示さずに喋り続けいつの間にかスライドも進むという、いわば「プレゼンとスライドが平行線を辿っている」プレゼンが散見され、この事も聴き手の苦労を増していた。

見やすいスライドを作るのは大前提としてクリアしていたつもりだが、上記の聴き手としての経験からプレゼンとスライドがinteractiveである事が良いプレゼンの条件だという事を実感したので、自分のプレゼンではスライドのどこを話しているか手なりポインターなりでいつも以上に指し示し、聴き手を置いてけぼりにしない事を心掛けた。その甲斐あってかは分からないが、私が参加したセッションの中では最多の3つの質問が寄せられた。質問が湧くくらいには内容が伝わったという事なので、この点は一つ良いシグナルだと思う。

自分がプレゼンした部屋

反省点としては、スライドを見がちになってしまった事である。事前に先生から「暗記するくらい練習しろ」と釘をさされており、実際覚えるほど練習はしていたのだが、やはり多くの人を目の前にすると、不安からついスライドを見てしまう回数が増えた。これは回数をこなして慣れていくしかないだろう。

今「多くの人を目の前に」と言ったが、恐らく20~30人はいたように思う。というのも、一つ前のセッションのプレゼンターとDiscussantを有名な研究者が占めており(有名な研究者のプレゼンには有名なDiscussantを用意できるように、有名な研究者は特定のセッションに固められている傾向がある)、その流れでそれなりに人が残ったのだと考えられる。普通学生が発表しているような若手中心のセッションでそのような数の人は集まらないはずなので、幸運な枠を割り当ててもらえたと思う。

ちなみにこれは2日目に気が付いたのだが、MPSAはオンライン参加を可能にするために全セッションがZoom配信されている。したがって、PCでZoomにアクセスすれば手許でスライドを見る事ができるのだ。これは周りで誰一人やっていなかったので気が付くのが少々遅れてしまったが、この裏技(?)に気が付いて以降一気にストレスが激減した。今後MPSAに参加する方の参考になれば幸いである。

もう一つ気が付いた事として、本当はあまり良くないと思うがProposalを出した論文と報告する論文が違う人も意外と多くいた。研究当初と論文完成時で中身がそれなりに変わるのは珍しくないため、どこからが新しい研究かを厳密に定義するのは難しい。またProposalを審査する人と論文を読んでくれるDiscussantは違う人なので、論文が変わっても誰も気にしない。したがって報告するセクションのテーマと大きく乖離しない限りは論文の変更も許容されるという事なのだろう。

今回対面で参加してみた感想としては、結局Zoomでスライドを見るのでは、プレゼンを見る側の観点からすると現地で参加する意義は薄いが、オンラインでのプレゼンはあまりengagingではないので就活に向けたアピールとしては弱く、プレゼンをする側という観点からはやはり対面の方が良いと感じた。

ネットワーキング

学会の主目的は就活を見据えたネットワーキングであり、それはプレゼンで顔を売る事と、ミーティングで知り合いを増やす事の2要素から成る。前者の目的は果たせたが、今回はまだ誰にも自分に興味を持ってもらえる自信がなかったので、ミーティングを通じて本格的にネットワーキングに繰り出す事はしなかった。代わりに、そのような学生のためにMPSA主催者がメンターと数人の大学院生をマッチングしてくれるイベントに申し込んだ。

メンターはDavid Fosterさんという、Berkeley PhDで現在はLSEポスドク、今年の秋からFlorida State UniversityでAssistant Professorになられる数理政治学者&アメリ政治学者である。主に数理政治学の就活事情やパブリケーション事情について伺ったが、やはり数理政治学のジョブマーケットは厳しく、Fosterさんは結局数理政治学での就活を諦め実証研究をJob Market Paperとしてアメリ政治学で就活する事を選ばれたそうである。FosterさんはJOPに単著が1本、若手同士の共著でもう1本(いずれも理論研究)というトップスクールに就職してもおかしくない業績を持っておられるが、それだけ数理政治学のジョブマーケットは他分野と比べて厳しいという事だろう。ロチェスターの先輩でFosterさん以上の業績を持つにもかかわらずアカデミア就職が叶わなかった人がいるので予想はしていたが、実際の経験者から話を聴く事で過酷な現実をより実感する事ができた。

あとは数理政治学のジャーナルの序列について、自分の認識では他の分野と同様APSR、AJPS、JOPが続いた後に、QJPS、PSRMがサブフィールドトップ的な位置づけで、最後にJournal of Theoretical PoliticsやJournal of Political Institutions and Political Economyが来るという認識だったのだが、Fosterさんも同じ認識である事を確認できた。

Fosterさんはとても気さくな方で、素晴らしいメンターと引き合わせてくれたMPSAに感謝である。実は自分の報告後に日本人の先生(明治大学の加藤言人先生)が話しかけてくださり、アメリカにいながら日本にも少しだけネットワークを広げる事ができた。NYUの学生さん(Joohyun Sonさん)にもプレゼンを褒めて頂き、別の会場で会った時もまた話しかけてもらえたので、顔を覚えてもらえたようである。

またこれはネットワーキングというよりNetwork Preservingと言うべきだが、先月ロチェスターに帰還訪問していたロチェスターの先輩(ブログにミーティング記録を書き忘れてしまったのでここに簡潔に書くと、Zuheir DesaiさんというOhio State UniversityのAssistant Professorで、近年最も成功している卒業生の一人である。物腰は柔らかいが意見は鋭く、ドラフトも丁寧に読んでコメントを下さり、憧れの先輩の一人になった。)に挨拶して存在を覚えてもらえている事を確認できた。ところで自分はシカゴ大学修士課程卒なのだが、当時はパンデミック中だったために全課程をオンラインで終えた。修士課程時代の指導教官であるKonstantin Sonin先生や少しだけ仲良くなったTAのKisoo Kimさんにようやく対面で挨拶する事ができ、自分の存在を覚えていてもらえたのも嬉しかった。

今回は本格的にネットワーキングに繰り出す事はしなかったが、次回は覚悟を決めてネットワーキングにも取り組みたい。1つ上の先輩は、昨年卒業した先輩が紹介してくれたお陰でトップスクールで活躍するさらに上の先輩達と繋がる事ができたらしく、先生や先輩に紹介してもらうというのも有効な手段だろう。

シカゴ観光

観光と言っても自分が行きたい所と言えば、厳密に言うと母校であるシカゴ大学くらいである。所属していたのはわずか一年なので母校という感覚はないが、仮にも自分が卒業した大学に行ったことがないというのも滑稽な話なので、今回キャンパスに行ってみた。ちょうどその日が日食のタイミングと重なったので、若干辺りが薄暗くなるという感動の瞬間をシカゴ大学の皆さんと共有した。

日食を見上げる皆さんの図

シカゴ大学の近くにはオバマ元大統領の行きつけだった老舗の定食屋さんがあり、シカゴ飯のラストはそこで締め括った。

この大統領席に座ると観光客であるのがバレバレ

また私は野球の事は全く分からないのだが、元野球少女の妻に連れられて大谷翔平の試合も見に行った。大谷翔平率いるドジャースシカゴ・カブスに惨敗してしまったが、大谷選手はヒットを連発していたので妻は満足げだった。

2ベースヒットを打つ直前の大谷選手

こうして見ると、意外とシカゴもエンジョイできたのではないかと思う。

 

今回は日米通じて初めての学会報告であり、悪くない学会デビューになったと思う。初回なので試しに全日程参加してみたが、自分がプレゼンをする日だけ現地にいれば十分であり、学会割があるとはいえホテル代も安くはないので(またシカゴでやりたい事・食べたい物は網羅してしまった感もあるので)、今後は自分がプレゼンする日だけ参加しネットワーキングもその日に詰め込むというのでもいいかもしれない。

人生初学会報告を記念して

指導教官選び(改訂版)

昨年も指導教官の選び方について投稿したが、その後の経験を踏まえてより考えがまとまったと思うので、改訂版を投稿したいと思う。

以下は、指導教官をお願いする先生を選ぶ上で私が重要だと考える要素である。

①指導熱心であること

②オープンに議論ができること

③研究関心の近さ

④指導学生のPlacement

 

まず①「指導熱心である」というのは、論文のドラフトへのコメントを依頼した際に、丁寧にドラフトを読んだ上でコメントを下さるという「質」の側面と、特別忙しい事情が無い限り早めに対応して下さるという「速さ」の側面を意味する。まず「質」についてだが、他大学の先生にコメントをお願いする際には学会のDiscussantを除き丁寧にドラフトを読んでもらえる事は期待しない方がよく、したがって綿密なフィードバックを期待できるのは自分の大学の先生だけであるため、「ざっと目を通して印象を述べる」という他大学の先生に期待する対応しかして下さらないのであれば、指導教官をお願いする意義が乏しいからである。

「速さ」については、対応を先延ばしにされると研究の進捗に支障をきたすため、なるべく早く対応して下さる先生を選びたい。私の経験上「1週間後くらいにミーティングして頂けますか」と依頼すれば、繁忙期でない限りは快諾してくださるケースが多いと思う。ただし注意点としては、「対面で約束を取り付けること」である。ドラフトを添えてまずはメールでミーティングをお願いするが、メールの対応がマメでない先生も多いので、すぐに返信がない場合は直近のオフィスアワーに顔を出してお願いする。決まったオフィスアワーを設けていない先生もいるので(それはメールの返信がマメな先生だけに許される方式の気もするが、現実にはそうでない先生もいるので)、その場合はワークショップの後などに話しかければいい。メールの対応はマメでなくても指導熱心な先生もいらっしゃるので、仮にメールを無視されても気にせず対面でアプローチするメンタリティを持ちたい。ただし夏休みはオフィスアワーやワークショップがなく対面でアプローチするという手段がとれないため、夏休みに研究を進捗させる為にはメールでもアポが取れる先生を選ぶ方が良いと思う。

次に②「オープンに議論ができる」というのは、一方的に先生の意見を押し付けてくるのではなく、きちんとこちらの意見も聴いて下さったうえで双方向的なやりとりが可能である事を意味する。自らの研究の責任は自分にあるため、仮に指導教官と意見が食い違ったとしても、最後は自分の考えを信じねばならない。したがってきちんと納得しない限りは先生の意見を研究に反映する事は出来ないので、先生の意見に対して反対意見を述べねばならない局面も出てくる。その際こちらの意見を踏まえて納得できる理由を言って下さらずただ助言に従うよう求めてくるのであれば、学生の学びには繋がらないだろう。初学者である学部生ならまだしも、大学院生はあと数年で自立した研究者にならねばならないので、盲目的に先生に従うべきではない。一方通行の指導ではなく、双方向的な議論ができる先生に教わるのが、自らの成長にとって重要な事だと思う。

③「研究関心の近さ」は改めて言うまでもないと思うが、研究関心が近い先生ほど精度の高いフィードバックが期待できるため、関心の近い先生を選ぶのは当然ながら重要である。

④「指導学生のPlacement」については、良い研究者になれるかは結局自分次第というのは勿論なのだが、就職に成功した指導学生が何人もいる先生と全くいない先生とでは、期待値として自分の就職の成功率が高いのはやはり前者なので、指導学生のPlacementが良い先生に教わるに越した事はないと思う。

まずは研究関心が近い先生全員にアプローチしてみて、上記の全てを考慮しながらDissertation Committeeのメンバーや2nd-year paperで教わる先生を考えればいいと思うが、その中で正指導教官を決める際には、特に①②の2点を重視すべきではないだろうか。というのも、①については、正指導教官は最も頻繁にやり取りをする先生なので、きちんと対応して下さらない方が正指導教官だと大変な苦労を強いられる事になるし、②については、正指導教官がOKを出す事が大学に論文を認めてもらう上で重要なので、副指導教官と意見が食い違っても正指導教官との合意形成さえできていれば論文を完成させる事は可能だと思うが、その逆は難しいと考えられるからである。正指導教官選びにおいて③④も二次的には重要だと思うが、①②の方が優先度は高いと思う。

私はもうすぐ2nd-year paperの指導教官(正副1人ずつ)を決めねばならない時期に差し掛かっており、これらを踏まえて後悔の無い決断をしたい。

後日談:無事に指導教官をお願いする先生を2人に絞り込むことができ、①②の観点からはどちらも素晴らしい先生なのでどちらを正指導教官にすべきか悩ましかったのだが、一人はシニアの先生、もう一人は若手の先生で、若手の先生から「正指導教官はシニアの先生が良いよ」とアドバイスを頂いたので、それに従う事にした。その意図としては、若手の先生は副指導教官であっても熱心に指導して下さる先生が多いのに対し、シニアの先生は正指導教官か副指導教官かで指導への熱が変わる傾向があるため、教わりたいシニアの先生がいる場合は正指導教官として教わる方が良いから、という事のようである。

リベラルな聴講か履修か

今期は数理政治学ミクロ経済学・経済数学の授業を受けている。数理政治学は履修、ミクロ経済学・経済数学は聴講にしたのだが、「履修にするか聴講にするか」という問題は結構悩ましい問題だと思う。もちろん必要最低単位は取らなければならないので、それ以外に受けたい数科目をどうすべきかという話なのだが、最近気が付いたのは「履修してコミットした方が多く学びが得られる」という一般的なイメージは必ずしも正しくないという事である。

というのも、私のように「興味に従って自発的に学習している時ほど結局真面目に勉強している」というタイプの人(研究者には多いかもしれない)には、課題によって学習を強制されると自発的な学習意欲が削がれて勉強が楽しくなくなり、パフォーマンスも低下するという事態が発生するからである。思えば私は、学部生の時は朝8時~夜10時の開館中ほとんどを図書館で過ごし、それも平日休日見境なく図書館に入り浸るという受験生の鑑のような狂気じみた生活を送っていたのだが、それは私がストイックだからではなくて(客観的に見て私のストイック度は平均的だと思う)、課題としてではなく自発的に色々な参考書を読み、半分趣味として学習していたから可能だったのである。またギャップイヤーの時には、聴講にもかかわらず計量経済学の期末試験を受けるという奇行に走り結果的に上位数%の成績を取ったが、それも聴講という自発的な学習が成せる技で、義務であればそこまでの積極性・パフォーマンスは発揮できないのが自分という人間である。そのため、「聴講にする事で自らの自発的学習意欲が刺激され、履修するよりも多くの学びを得られる」という可能性は全く否定できない。

他方、大学院の課題はとても時間がかかる大変なものが多いので、いくらやる気に満ちた聴講モンスターと言えど、義務でなければやらずに済ませてしまう可能性が高い。したがって、履修して課題にコミットする事で得られる学びも無視できず、常に聴講が最適解とも言えないところである。結論としては、嫌々であれ課題をこなす事で得られる学びと、課題をスキップして得られた時間を授業の復習や参考書を読むのに使う事で得られる学びを、各科目ごとに天秤にかけて判断するしかないだろう。

私の場合で言えば、特に悩ましかったのは経済数学を履修するか聴講するかという問題だった。数理政治学者にとって数学というのは「どう応用するか」に興味があるものでそれ自体にあまり興味はないので、聴講にしてもそれほど自発的学習意欲が駆り立てられるわけではなく、むしろ課題を解く事で概念の定義や性質に慣れ親しむ事ができるので、数学は履修した方が一般論としてはいいと思う。実際先学期のReal Analysisは数理政治学者にとっても重要であり、履修して課題にたくさん時間を割いたのは極めて有意義だったと感じている。一方今期の測度論的確率論は、これまであまり応用例に出会った事がないので十分なモチベーションがなく、ロチェスターミクロ経済学専攻の先輩からも「測度論的確率論の授業は必要以上の内容をやる事になるかもしれない」というアドバイスを頂いたので、先学期のように課題にコミットするのは躊躇われた。結局聴講という選択肢が正しかったのか現段階では分からないが、数学にそこまで時間を割かないぶん数理政治学ミクロ経済学の勉強や2nd-year Paperが順調に進捗しているので、機会費用を考えると少なくとも非常に悪い選択ではなかったと感じている。

もうすぐ春学期の折り返し地点である。測度論的確率論の授業は前半に理論、後半にDynamic ProgrammingやDynamic Gameへの応用を扱うので、前半は正直あまり測度論のご利益が感じられなかったのだが、後半を受けてみると測度論の有用性が分かるのかもしれない。思えば、数年前に今井耕介先生が講演会で「教科書の前半に応用、後半に理論を持ってきているのがこだわりです」と仰っていたのだが、そちらの方が学習のモチベーションが高まるのは間違いない。他方計量と違って数理は「細かい事が分かっていなくてもとりあえず分析を体験して楽しさを実感する」という事ができないので、数理については理論と応用の順番を逆転させるのは難しいかもしれない。とはいえ理論を学習する前に最初の1,2回はモチベーションを高めるために応用を先見せしたり、あるいは理論の合間に応用を小出しにしていく形式の方が、授業の進行として良いのではないだろうか。

話は逸れたが、聴講中心の今期がロチェスターでのこれまで2年間で最も楽しく勉強できている学期である事は間違いない。聴講の有用性を証明するためにも、「最も生産的な学期でもあった」と振り返る事ができるよう、今期の後半を一生懸命楽しんでいきたい。

ミーティング記録④ Professor Avidit Acharya

今週のPolitical Economy Seminarの講演者であるAvidit Acharya教授はStanfordの数理政治学者で、かつてロチェスターでも教鞭をとられていた方である。講演内容は「選挙キャンペーンの予算を2人の候補者が戦略的に消費した時、最適な消費スケジュールはどのようなものか」という論文についてだった。一見非常に複雑なDynamic gameだが、いくつかの仮定の下でこの問題はキャンペーン開始時のStaticな最適化問題に単純化(つまりDynamic→Static、Game theory→Decision theoryと二重に単純化)する事ができ、その下で出される答えは「各候補者の残り予算に対する消費の比率が毎期候補者間で同じになるように消費していく」というものである。選挙研究で言う中位投票者への収束のような対称性のある解であり、答え自体は直観的に納得のいくものである。ただ複雑な問いをあまりにも単純化する事に成功しているので、それらの仮定がどれだけ制約的なものでないかがこの論文の評価の分かれ目だと思われるが、実はこの論文は既にJournal of the European Economic Associationというトップジャーナルにアクセプトされているので、素晴らしい論文なのだと思う。

プレゼンは非常に早口かつ質問も正確に即答していたので、とても頭の回転の速い方だと感じた。聴いている側は相当な集中力を要するため後半になるにつれて質問が減っていったが…。学会で行う短時間のプレゼンなら早口もいいが、1時間以上行うセミナーでのプレゼンは聴き手の集中力がもたないので速度は抑え、かといってゆっくり過ぎて子守唄のようになっても聴き手が寝てしまうので、絶妙なスピードでのプレゼンが重要だと感じた。ちなみに自分は「何か絶対に質問しよう」と前のめりに話を聞いていたので、最後に2つ質問する事ができた。以前の投稿で立てた「セミナーに興味があり参加すると決めた以上は、事前に論文に目を通した上で参加しなるべく質問もする」という方針を実行する事ができたので、その点は一歩前進である。

セミナー後にはミーティングをさせて頂いた。今回の先生は事前に論文に目を通せなかったという事で口頭で論文の要旨を説明したが、すぐに内容を理解し「そのアイディアは良いと思う」と言ってくださった上で、参照すべき関連文献を一つ教えてくれた。頭の回転が速すぎて表情もあまり変化せず考えている事が読めないというタイプの方だったので、その好反応をどれくらい本気にしていいのかは分からないが、セミナー中ベテラン教授の質問にも切り捨てるような口調で即答していた所を見るとあまり忖度はしないタイプでもある気がしたので、一応額面通り受け取らせて頂きたい。自分も先生のペースに乗せられて早口だったので10分程度と非常に短時間だったが、緊張感あるミーティングだった。数理政治学者が多くセミナーに訪れるロチェスターという環境を最大限活用するため、たとえ毎回のミーティングから得られる情報自体はそれほど多くなくても(もちろん指導学生でもない相手にわずかでも時間を割いてくださる事に感謝しつつ)、こうしたミーティングを地道に続けていきたいと思う。

2023年秋学期振り返り

Introduction to Mathematical Economics

前半はCarothers (2000) Real AnalysisのPart1を教科書としてOpen/Closed Sets, Continuous Functions, Connectedness, Completeness, Compactnessといった位相数学の概念を学び、後半はConvexity/Separating Hyperplane Theorem, Correspondences/Theorem of the Maximum/Fixed Point Theory, Infinite Dimensional Spaces/Dynamic Programming, Function Spacesといったトピックを学習した。

修士課程まで経済数学を学習してこなかった自分にとって、Math Campを通じて短期間で速習するのではなく、通常の授業を通じてじっくりと経済数学を学習できる機会は非常にありがたかった。また、中間試験・期末試験ともにクラスで同率1位の成績を取る事ができ、経済学部生相手に自分の数学力が通用すると分かった事は自信に繋がった。経済学部生はミクロ・マクロ・計量というヘビーなコア科目と並行して経済数学の授業をこなしていた一方(自分なら確実にパンクするような大変さである)、自分はこの科目を今期のメインと位置付け優先的に時間を割いていたのでハンデがあった事は重々承知しているのだが、政治学部生と経済学部生の間の超えられない数学力の壁を感じ劣等感を抱えていた自分にとって、経済学部生とハンデつきであれ同じ土俵で戦えたことは、理論研究者を目指す資格を得るという点で大きな意味があった。また、この授業ではTAの方から学期の最初に証明の書き方についての指導があり、毎回の課題の採点でも他の授業では考えられないほど丁寧な添削を行って下さったため、証明の書き方への意識が向上した点も大きな収穫である。

肝心の内容への理解度については、前半は「授業・教科書・課題」の内容がクリアに対応していたため勉強がしやすく、授業に出て教科書で復習しながら課題を解くだけで何も考えなくても自然と学習が捗ったのだが、後半になると教科書がなくなり課題も必ずしも授業内容を満遍なくカバーするわけではなくなったため、ただ課題を解くだけでは授業内容を理解しているとは言えない状況になってしまった。期末試験はそれなりに満遍なく出題されたため復習の機会は得られたものの、課題や試験で触れられなかったため理解できないままにしてしまっているトピックも正直それなりに存在する。それらのトピックも今後論文を読んでいる際に登場したら、それを機会に復習する事にしたい。

今後教える側に回った時への教訓を述べるとすれば、TAになったら今回の授業と同様証明の書き方について指導を行いたい(理論研究者にならない場合証明の書き方自体は直接的に重要でないかもしれないが、言葉のみの議論ではついごまかしがちな論理展開を、言葉と数式の両方を用いながら一つ一つ丁寧に積み重ねて文章を書くという経験は論理的な文章を書けるようになるために重要だと思うので、実証研究者志望の学生にとっても役立つはずである。教員になったらそこまで手が回るかは分からないので、採点業務が主な仕事であるTAのうちにそのような指導ができたらいいなと思う)という事と、教員になったら「授業・教科書・課題」の3要素をクリアに対応させ、学生が自然と理解を深められるような授業にしたいと思う。今期のメインと位置付けた授業だけあって、内容・形式共に学びの多い授業だった。

 

U.S. Political Behavior

制度論と並んでアメリ政治学の2本柱である、行動論の授業である。自分にとってこの授業に対するモチベーションは、合理的な行動を仮定してもそれほど問題ない政治家や官僚と違って、どのようにモデリングすべきかいつも悩ましい有権者の事を理解したいというものだった。そのようなモチベーションで臨んだものの、やはりほぼ全てがインフォーマルな議論である行動論に興味を持続させるのは中々難しかった。その結果、自分の報告回については「有権者は明確な選好を持つか」や「選挙においてアカウンタビリティを問う事ができるか」といった関心の強いテーマを選択する事で誰よりも入念な報告ができたと自負する一方、それ以外の回については議論への参加が少なくなってしまった事が反省点である。

理論であれ実証であれ、研究を議論する際には実体的な議論と方法論的な議論が存在し、理論・実証共に数学的フレームワークに沿って行われる方法論的な議論については両者のスタイルにそれほど違いがあるわけではないと思うのだが、実体的な議論に関しては、理論と実証とでスタイルが大きく異なると思う。理論は数式を共通理解のベースとしてそこにどう変更を加えるかという形で議論するため議論が拡散する可能性は低い一方、実証の議論は様々な可能性を高い自由度で検討するブレインストーミング的な性格が強い。理論研究者にはありがちかもしれないが、自分はなるべくTrivialな意見は言いたくないという思いが強く、他の人の意見をふまえて面白い意見を言おうとアイディアを練っているうちに議論が終了してしまうという事が多かった。インフォーマルな議論はいわゆる正反合のプロセスを辿るのが難しく正、正'、正''...といった展開になってしまいがちで、頭の回転が速い人なら即興で反と合を繰り出し建設的な議論へと導く事ができるのだろうが、思考が遅く文章を書きながら考えを整理したいタイプの自分には、瞬発力が求められる実証の議論は難しいものに感じた。だからこそ事前にじっくりアイディアを練って議論に参加すべきだったのだが、興味が湧くトピックが少なくそれも限定的になってしまったのが残念である。

授業形式について感じた事は、やはり「議論にスライドはあった方がいい」という事である。この授業では報告時にスライドやレジュメを配布する義務はなかったので自分以外は全員口頭で済ませていたのだが、スライドがあった方が議論が追いやすいのはもちろん、各文献に最低一つは必ずDiscussion Questionを付けなければならないという意識が芽生える(実際、口頭の報告だとざっくりと「どう思いますか?」とDiscussion Questionを聴き手に丸投げする人もいた)し、文献間の関係や各回の全体像もスライドを用意する過程で見えてくる。したがってスライドを用意する事は、聴き手を補助し有意義な議論を促進するだけでなく報告者自身の考えを整理する事にも役立つので、義務はなくてもスライドは作るべきと考えその流れを作りたかったのだが、人望の無い自分は誰にも影響を与える事ができなかった…。また先学期の授業で課されていた「毎回の授業前に提出する1ページの予習ペーパー」も恋しくなった。サブスタンスの授業はその分野が専門ではない学生も受けるので、強い興味がなければ予習を簡略に済ませてしまうのは当然の反応だが、それでも全ての文献に対して何か一つでもアイディアを捻りだしそれぞれに数行のコメントを書くという作業は、サブスタンスの授業の予習としてベストなものだと思う。スライドの作成にせよ予習ペーパーの執筆にせよ、義務化しなければやらない人が殆どだと思うが、ほんの少しのもう一手間で予習の質が格段に向上するなら、教員がそれらをナッジとして課す事が望ましいと思う。

 

今期は授業が少ないぶん2nd-year Paperを進捗させようと思っていたが、実際にはVisitorとして来られた外部の先生も含めて、色々な先生からコメントを集めるという作業に終始した。だが冬休みが1か月あるので、冬休み中にそれらを全て反映させMPSAに提出しても恥ずかしくない程度まで一応完成させるのが目標である。来期は2年目の終わりという事で、いよいよ「学生」も終わりに近づいてくる。経済学部生に比べて1年遅れで経済数学やミクロのコアを受講している自分はようやく来期に教科書的な学習を完成させ、論文ベースのインプットに移行・より高いレベルの理論研究に着手できる準備を整えるという重要な学期になる。「数理政治学を研究している」と胸を張って言えるような理論への体系的理解を得る事が、来期の目標である。

MPSA初採択

Midwest Political Science Association(MPSA)という、AJPSの発行元でありAPSAに次いでアメリカで2番目に大きな政治学会に論文(単著)が初採択された。これまで日本でも学会報告の経験はなかったので、今回が初学会報告という事になる。つい2か月前の投稿で「そこまで焦って大きな学会に参加を始めずともよいのではないかと思う」と言っていたにもかかわらず白々しくMPSAに応募したのには、3つ理由がある。

まずきっかけとなったのは、とある先生からその研究の意義を全面的に否定されたという出来事である。しかしそこで述べられた理由は私にとって同意できないものであり、既に他の先生2人から好意的なフィードバックを頂けていた事もあって、「それなら外部の人にも意見を聞いてみたい」と考え、これがMPSA応募を検討する最初のきっかけとなった。MPSAやAPSAの応募では論文本体ではなくAbstractをProposalという形で提出し、学会直近の期日までに論文本体を提出するという流れなのだが、もし研究の細部ではなく研究それ自体が取るに足らないものなのであれば、AbstractもRejectされて然るべきである。だがAbstractがAcceptされたという事は、少なくとも研究自体に関しては、数理政治学セクションのChairであるPrincetonのGerman Gieczewski先生に面白そうだと思ってもらう事ができた事を意味する。冒頭の先生のコメントを受けてこの研究を継続すべきか、この研究はお蔵入りにして新しい研究を始めるべきか悩んでいたが(とはいうものの9割方続ける気でいたが)、この研究を完成させるべきだという確信を得る事ができた。

次に、この研究を春までに完成させるというコミットメントをしたかったという理由がある。この研究は実は2nd-year paperであり、本来の締切は来年の夏休み終了時なのだが、さらにその翌年春に締切を控える3rd-year paperに次の夏休みから早めに取り組み始めたいため、2nd-year paperは今年度の春学期終了時までに完成させようとかねてから計画していた。加えて、3rd-year paperに意識が移りこの研究への熱が冷めてしまわないうちに早くジャーナル投稿にこぎつけたいと考えており、来年夏休みにはジャーナル投稿を始めたいと考えた時、4月に開催されるMPSAは完成目標としてベストタイミングであった。

最後に、この研究を学会で報告するチャンスは次のMPSAが最初で最後だろうと思っていたという理由がある。というのも、次々回のMPSAとAPSAは3rd-year paperで応募したいと考えているので、次回のMPSAとAPSAがこの研究を報告する数少ないチャンスなのだが、先輩たちを見ているとMPSAよりもAPSAの方が高学年になってから採択されている傾向があり、現在の自分の実力で狙うのであればMPSAの方が現実的だと感じていたからである。またレベルだけでなく相性についても、APSAよりもMPSAの方が数理政治学セッションの過去のパネルが自分の研究関心にフィットしており、近い研究関心を持つ研究者と交流するチャンスとしてMPSAの方がより魅力的に映っていた。したがって、次回のMPSAがレベル・相性の両面で本命だった。

2か月前の投稿では、学会は就活の側面が大きいため2年生のうちから焦って参加を始める必要はないと考えていたのだが、このように①自分の大学の先生との間で意見が割れた時に外部の人の意見を聞いてみたいという理由、②自分が理想とする完成時期へのコミットメントデバイス、③その後の研究との兼ね合いで直近の学会がその研究を報告できる数少ない機会、といった様々な要素を勘案して今回は報告するメリットが大きいという結論に至り、応募を決めた。とはいえ本当にAcceptされるとはあまり思っていなかったので嬉しい気持ちがある反面、まだ十分な実力が無い段階でJob Marketに片足を踏み入れてしまう事への怖さもある。今回のMPSA応募が成功だったかという最終的な総括は、学会報告を経てまた4月に行いたいと思う。

ミーティング記録③ Professor Ian Turner

Ian Turner先生はFormal TheoryとAmerican Politicsを専攻するYaleの助教授で、主に官僚制とMoney Politicsの研究をしている方である。Turner先生は自分と近い研究関心を持つ研究者のお一人で何本も論文を読んだ事もあったので、VisitorとしてRochesterに1週間滞在するという情報を聞きつけ、ここぞとばかりにミーティングを申し込んだ。

うちの学部は、Visitorが滞在中に教授たちとのディナーとランチ、大学院生との朝食の機会を設けるのが恒例である。今回私は初めて朝食に申し込んだのだが、非常に良い時間を過ごす事ができた。朝食はVisitorと3人の大学院生とで行われるので、1対1ミーティングよりも一生懸命話さなければならないというプレッシャーが弱く、そこまで入念に準備していかずとも自然と会話を楽しむ事ができた。今回参加した大学院生の中では圧倒的に自分が近い研究関心を持っていたため、1時間半(あっという間に過ぎた!)の朝食中大半は先生か自分が喋っている時間だったが、だからといってもし2人だけで話していたら、ここまで話は盛り上がらなかったと思う。数人の会話という弱いプレッシャーのなか自発的に発言するのと、1対1の会話という強いプレッシャーのなか半ば強制的に発言するのとでは、話している量は大差なくとも精神的余裕が全く異なる。数人の会話の方が他の人の話を咀嚼してから発言する余裕があるので、かえって深い話ができるような気がした。今後も研究関心の近い先生との朝食の機会には、積極的に申し込んでいこうと思う。

その翌日1対1ミーティングに臨んだのだが、前日に既に面識を持っていたのは大きかった。初対面での1対1ミーティングはほとんど面接のようなもので極度の緊張が伴うが、リラックスした雰囲気で1度話しているぶん、あまり緊張せずにミーティングを楽しむことができた。会食→ミーティングというのはこれから鉄板の流れになると思う。

ミーティングの内容については、自分の研究に事前にざっと目を通して頂いた上で追加的に参照すべき文献を紹介してもらい、それらとの違いをより強調するようにというコメントを頂いたのと、以前読んで強い関心を持っていた先生の研究に関して質問(それに近いアプローチの研究を自分でもやろうと考えているため重要な質問)をする事ができた。以前の投稿がモチベーションとなって自分の中で恒例にしようとしている「良い数理政治学の論文とはどのような論文だと思いますか」という質問もミーティングの最後にしたが、これには「問いに答えるのに必要な中で最もシンプルなモデルを作る事で、どの要素が重要かを明らかにしている論文」という回答が返ってきた。これには完全に同意なのだが、一方で単純すぎるように「見える」論文はあまり評価されない傾向も感じているというジレンマを伝えてみた所、「経験上無意味にモデルを難しくする事を要求してくる査読者は少なく、意味のあるExtensionを提案してくれる事が多い」との事だった。これは本当なら非常に嬉しい知らせで、自分としてはなるべくシンプルなモデルを追究するという方針を変える事無く、有意義なExtensionを行う事で「難しい研究に取り組んでいるように見せる」という非本質的な(しかし数理政治学者として高いスキルを持っているという事を見せるためには就活上無視できないであろう)要求にも答える事ができる。現在アクティブに研究しており研究関心も近い先生の経験談なので、信頼できるアドバイスだった。

朝食・ミーティングの総括としては、「ネットワーキング」というと何を話せば良いか分からないし内向的な自分は苦手意識があったのだが、今回のように研究関心が近い方が相手であれば、自分が興味のある話をしていればいいので何を話せばいいか困る事はないし、気負わずに楽しめる事が分かった。研究関心がそれほど近くない相手とそれなりに盛り上がる話をできるようになるのも、就活でのFly-outの事などを考えると重要な事だと思うが、中身の薄い話をした所で印象には残らないので、強い印象を残し次に会った時に認識してもらえている相手を増やすというネットワーキングの目的からすると、研究関心が近く深い話ができる相手との人脈を構築していく事の方がより重要だと思う。そのためまずは研究関心の近い方を相手に成功体験を積み重ねる事でネットワーキングへの苦手意識を払拭した後、可能な限り少しずつそれ以外の人とも会話を楽しめるようにしていきたいと思う。

今回の朝食・ミーティングが成功したのは先生と研究関心が近かったのも重要だが、先生の人柄がとても良かったのにも助けられた。予定上少ししか聴く事ができなかったが講演でのプレゼンも非常に上手だった(スライドは文字で埋めすぎず適度な余白があり、数式にも色を用いるなど見やすかった・話し方も早口すぎず抑揚もあり聴きやすかった)ので、Turner先生はロールモデルの一人になった。次にお会いした時に自分を認識してもらえるほど印象を残せていたのなら、今回のネットワーキングは本当の意味で成功した事になる。