ライ麦畑で倒れ伏す 2nd Season

水平線に恋をして、また船に乗りたい元内航船員のブログ

Mastodonアカウント作りました

元々はTwitterイーロン・マスクの手に移ってから念のために作っていたのですが、なんとなく告知しそびれていたら遂にMastodonへのリンクがNGワードになってしまったのでここで告知します。

 

https://mstdn.jp/@DomSofan

 

2023/2/6 追記

サーバ引っ越しました

https://fedibird.com/@DomSofan

【改稿】自衛隊に大型病院船はいらない

本記事は、2019/2/15日に執筆したものを同年3/6の報道を受け、大幅に加筆修正したものです。

 

 

そうだ、病院船作ろう

コロナウィルス感染拡大に伴い、自衛隊に病院船を配備する議論が高まっている。

遂には超党派の「病院船・災害時多目的支援船建造推進議連」が35,000トン、500床の病床と感染症対応の個室、更にはヘリとホバークラフトまで搭載した「海に浮かぶ大学病院」としての病院船建造案を提案した。

mainichi.jp

実は、この種の議論は今に始まったことではない。阪神大震災東日本大震災の直後などにも度々色々な所で声が上がり、実際に政府が検討を行ったこともある。

www.bousai.go.jp
それなのになぜ実現しないかというと、既存船舶で代替可能、平時に持て余しがちで費用対効果が低くなる、などの理由ががネックになっている。

総合型病院船というのはその性質上、高度な医療機器を搭載することが多く、しかも大規模災害でもない限りは稼働しないため、維持コストが高いわりに有効活用がし難い、という欠点があるのだ。

 

災害時多目的船に関する検討会報告書(全体版)

 

現に、大規模な病院船を保有している軍隊は米軍ぐらいである。

 

f:id:Sofan:20090411171117j:plain

米軍が保有するマーシー級病院船「コンフォート」。1000床の病床に加え、12室の手術室やCT撮影装置、超音波検査装置などを備えている。自衛隊がこのような病院船を保有するのはコスト的に困難だ(Wikimedia Commonsより引用)

おそらく、今回の議連が提案したものはマーシー級の発展させたイメージなのだろう。

ふわふわしたアイデアからの一点豪華主義

今回の議連案を一言で言うと、「今までの政府検討を踏まえていない、ハードありきの思い付き」という評価になる。

我が国において、海上プラットフォームにおいて、医療機能があまり重視されてこなかったのは事実だ。
現に、上記リンクにある内閣府検討会もその点の反省を踏まえて行われている。
しかし、今回の議連案はそこでなされた議論を一切無視して、「とにかくあらゆる機能を持たせてどんな災害にも対応できる病院船を作ろう」という発想ありきでなされた感が否めない。

確かに、災害における船舶からの医療支援には様々なメリットがある。

まず第一に機動性があり、海上であればいつでも被災地に向かい支援を行えること。
次に、他のプラットフォームに比べ、積載量や空間が広く取れるため、被災して機能不全、あるいは限定された医療しか提供できなくなった医療機関の代替になりうること。
また、岸壁に接岸したり、海上に長期遊弋できるため、長期間の支援が提供できること、などが挙げられる。

それらのメリットを踏まえた上で、議連の病院船構想を検討してみる。

想定している支援機能を詰め込みすぎている

今回の構想では、通常の総合的な病院機能に加え、感染症対応の個室なども用意している。病院機能についても、「海に浮かぶ大学病院」をイメージしているとのことなので、高度かつ多岐にわたる機能を用意するつもりなのだろう。

だが、災害時の医療支援には急性期と慢性期ではアプローチや提供する支援の内容が異なる。急性期医療の場合、亜急性期~慢性期の処置に繋げるための迅速かつ臨機応変な対応が求められるそのため、急性期医療では救急医のような急性期医療専門のスタッフが症状の悪化を食い止め、亜急性期以後の医療施設に「後走」するための人員・設備が求められる。現在、外国海軍が保有する病院船は基本的にこのためのものである。

一方、亜急性期から慢性期にかけての医療は、回復や社会復帰に向けての一定程度長期かつ総合的、包括的な医療を提供することが求められる。被災して機能を発揮できなくなった医療施設から、無事な医療施設への移送が整うまでの一時的な中継点としての海上プラットフォームを利用する有用性はあるかもしれないが、その場合は長期派遣可能な要員や医療ニーズの変化への機動的な対応ができる要員が必要になる。

更に、今回のCOVID-19のような新興感染症対応、CRBN災害ではまた異なった対応や支援が必要となる。その場合、本案のような限定された感染症対応機能の病院船では対応しきれないのではないか。

動かす人間はいるのか?

この場合の「動かす人間」とは病院船の運航要員ではなく、病院機能を発揮するための医療スタッフのことである。

2011年の東日本大震災では、被災地に多数のDMATやJMATが派遣された。彼等は平時は医療機関で勤務している医療スタッフであり、有事発生の際にチームを編成し派遣されるようになっているのだが、被災地域が広域にわたることもあり、必要な人員確保にかなり苦労したと聞く。

大規模な病院船となれば、必要となる医療スタッフの数も多くなるはずだが、彼等の確保をどうするのかについて、本案では全く触れられていない。まずは、DMATやJMATとは別*1の人員確保体制の設立なくしては病院船構想など画餅に過ぎない。

ちなみに、米海軍のマーシー級病院船では、平時には海軍病院などで勤務している指定されたスタッフが有事に召集されることとなっているが、自衛隊病院ではそのような人員的余裕があるのだろうか。見た目だけ派手な病院船構想をぶち上げる前に、そのような体制作りを進めていくことが必要なのではないか。

大は小を兼ねない

今回構想されている病院船は35,000トン程度を想定しているようだが、そうするとおそらく船体サイズは全長250~300m、喫水は10mを超えると思われる。これだけのサイズの船となると、接岸できる港は限られるし、災害時には津波のがれき類で水深が浅くなり、入港すらままならない事態も考えられる。
実際、東日本大震災発災直後には、それよりもはるかにサイズの小さい内航船ですら入港を断念する事例も起きている。

そのことも考慮してか、ヘリとホバークラフトを搭載するらしいが、どちらも悪天候には弱く、ホバークラフトは上陸するためには傾斜地が必要となる。個人的には、ホバークラフトよりは、船舶が横付けできるレセス、デッキサイドやウェルデッキに接続する患者用エレベータなどを用意したほうが有用ではないかと感じる。

平時はどうするのか?

これだけの大きな船を維持するにはそれなりのコストや訓練が必要となるが、平時にはこの船をどのように活用するかの構想は判然としない。これだけ豪華な船ならば、海外での災害時支援などにも使えそうだが、それならば、コンテナキット化された医療モジュールと医療要員を搭載した輸送艦や「いずも」型DDHでも充分機能を果たせるし、そもそも国外での災害支援派遣自体、そう多くあるものではない。いざ造ってみたはいいが、結局持て余してしまい、費用対効果の低い船になってしまうのではないか。

まとめ

ここまで、病院船・災害時多目的支援船建造推進議連の病院船構想について長々と批判してきたが、本案の最大の問題は、まずハードありきでコンセプトが固められてないことにある。

有事・災害時医療における海上プラットフォーム整備というのは、陸海空を総合したグランドデザインを構想し、その上で船舶の長所を活かすにはどのような施策を行えばいいのか、何を整備をすべきなのか、そのための体制整備に必要なものは何で、用意するものは何か。それが物事の順序というものであり、そのお膳立てをするのが国会議員本来の仕事ではないのか。

そういった大所高所からの視点もなく、政府が検討した過去の知見を活用したような姿勢の見られない案は、畢竟ツッコミどころ満載の代物になってしまうし、仮に実現したとしても、「仏作って魂入れず」といったものになりかねない。

ここからは個人的な意見なのだが、自衛隊に大型の病院船を保有させるよりは、500~3,000総トン級の小型の病院船を複数建造してそれを厚労省や、新たに外郭団体などを設置して、平時は離島や過疎地の巡回医療に利用するような運用にしたほうが有効なのではないだろうか。
実際に、規模ははるかに小さいが、済生会が「済生丸」という病院船を所有し、瀬戸内海の離島で巡回検診及び診療を行っている実績がある。

www.okayamasaiseikai.or.jp

数万トンもある大型船の場合、全長や喫水の関係で接岸できる港は限られるが、上記くらいのサイズならばそれほど港や埠頭を選ばず接岸できる。大規模な病床が必要であれば、事前にコンテナモジュール化した病床を用意しておいて、有事にはそれらを海自の輸送艦や民間船に搭載する運用でもよい。

長距離フェリー事業者に補助金を出して、今後の新造船には病院船に転用可能な設計にしておくという手もある。

コンテナ化した医療モジュールやヘリポートモジュールといった設備を充実させ、有事には民間含めた既存船舶にそれを搭載して病院船として運用するといった方法だってある。

ともかく、今までの病院船構想がことごとく検討段階で終わっているのは、1隻で何でもできる、「動く総合病院」を保有することに拘りすぎていることが原因にあるように感じる。今後は「自衛隊保有する」とか、「1隻の専用船で全ての病院機能を賄う」といったことに拘らない発想が必要ではないだろうか。

*1:陸上やドクターヘリでの活動人員の確保に支障を来さないため

池袋暴走事故の厳罰署名は交通安全に寄与しないどころか有害だ

池袋の暴走事故で厳罰を求める署名が30万筆近く集まっているらしい。

www3.nhk.or.jp

一瞬にして家族を奪われてしまった遺族の心痛は察するに余りある。しかし、私はこれらの行いは交通安全に寄与しないばかりか、却って悪影響であると考える。

事故の「加害者」の糾弾は安全を遠ざける

交通事故とは事故発生のメカニズムは異なるので単純な比較はできないのだが、一般に航空事故では死傷者が発生した重大事故でも、操縦者の責任を追及することはない。その姿勢は、運輸安全委員会が公表している報告書の冒頭に「事故の防止及び被害の軽減に寄与することを目的として行われたものであり、事故の責任を問うために行われたものではない。」という文言が必ず掲げられていることからもわかる。

安全マネジメントの考え方では、事故を引き起こした直接の責任がある者、――ここではあえて「加害者」と呼ぼう――を糾弾したり刑事罰を問うことをすべきではない、とされている。
理由は二つある。一つには、責任追及をして刑事罰を加えるようなことをすると、当事者が事実を隠蔽しようとするおそれがあること、もう一つには、特定の個人への責任追及に集中するあまり、事故原因の究明や更なる事故の防止・被害の軽減といった面が疎かにされてしまい、安全マネジメント活動そのものを阻害してしまうからだ。

ヒューマンエラーは原因ではなく結果

今回の事故は運転者のアクセルとブレーキの踏み間違いによるヒューマンエラーによって引き起こされた、と推測されている。そして多くの人はそれが原因であると思っている。しかし、それは大きな間違いである。ヒューマンエラーはあくまで結果であって原因ではない。

エラーというものは、環境・個人の心身状態・マンマシンインターフェイスの設計・組織要因など様々なものによって形作られ、引き起こされるものである。そのため、エラーの発生原因の特定は事故原因の特定と同等か、それ以上に労力を払われ、注意を向けられるべきものだ。

なのにどうして、世の人々はヒューマンエラーを単なる事故原因として捉え、あまつさえそれを「加害者」の単なる不注意、怠惰、無能として片づけてしまい、なぜヒューマンエラーが起きたのかを考えようとしないのか?その答えは「基本帰属エラー」と呼ばれる人間心理の根源にある。

たとえば、よく交通事故の報道で「加害者」が「慌てていて確認を怠った」とか、「気が付いてブレーキを踏んだが間に合わなかった」という供述をしているのをよく見かける。それを目にした人々はそれを「加害者」の不注意や能力不足だと思うだろう。それこそが基本帰属エラーであり、人間の基本的な性質なのだ。

実際には慌てていたり、危険に気が付くのが遅れたのには何らかの理由や状況に原因がある。「加害者」自身がそういった説明をするとしばしば「言い訳」と称されて顧みられないことが多いが、実際の事故原因は「加害者」の個人的素質と状況の狭間に潜んでいる。

非難は巡り、悲劇は繰り返す

先ほど述べた通り、我々は基本帰属エラーにより、状況ではなく個人を非難しがちである。ではなぜ、我々はそんな過ちを犯してしまうのだろうか?その答えの一部は他者に対する信頼にある。

大半の人々は「自分には自由な意思があり、正常な判断力がある。おそらく自分以外の人もそうだろう」と考えている。ある意味でそれは正しいし、事実そうだから社会というのは成り立っている。そういった考えが根底にあるので、事故の原因要素のうち、人間の行為が最も回避しやすいものだとほとんどの人は考える。他の要因と比べて、人間の行為が最も制約を受けていないものだと見られているのである。日常の些細な失敗や事故が起きたときの再発防止策が「もっと注意しましょう」や「よく確認しましょう」という呼びかけになりがちなのはそのためだ。

そうやって、人為的エラーというものはある程度の意志や判断力があれば防止できるもの、と見なされているから、重大な事故が発生するとそれに関連した行為を行った個人は非難に晒され、時に様々な制裁や罰を受ける。しかし、これらはエラーを誘発する要因には何も影響をもたらさず、解決にはならない。そのため再びエラーはなくならず、再び事故が起きる。すると人々は従来の非難が軽視されていると考え、より強い非難と制裁、罰が必要だと考える。しかし、それらには効果がなく、再びエラーは引き起こされる…… これがまさに今池袋で起きた暴走事故と、その後に続く「高齢者による踏み間違い事故」と称される事故の構図である。こうして、効果なき非難はぐるぐると巡り、悲劇的な事故は繰り返されるのだ。

今回の事故の被害者遺族は「厳罰が再発防止につながる」という思いで署名を呼びかけたとのことである。だが今まで述べたように、「加害者」個人を厳罰に処したところで決して本当の事故の原因は解決しないし、交通安全に何ら寄与しない。むしろ、小市民的義憤に押し流されて事故原因の本質を追及することが忘れ去られる上に、厳罰を恐れる事故当事者が隠蔽に走るあまり、ひき逃げを起こしたり、逃走しようとして更なる事故を起こすリスクを誘発しかねず、有害というほかない。彼は自身の思いとは逆に、交通安全を妨げる行いをしているとしか思えない。

本当に目指すべきは、「人間はしばしば愚かしい振る舞いを行い、ミスをし、パニックに陥る」という観点に立ち返り、人的要素と状況的要素の双方から科学的アプローチによって安全マネジメントを行うことである。それ以外に、さらなる悲劇を防ぐ方法はない。

船員生活に役立ちそうな動画リストを作ってみたよ

YouTube自衛隊ライフハックチャンネルを見てたら、結構船員生活に役立ちそうな動画が多かったので、ついでに自分がロープワークや船体整備の参考に見てる動画も集めて、船員生活に役立ちそうな再生リストを作ってみた。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLN-ifbtICQHCCm5pxCpdlgx-4OxYLZKQJ

これからも順次追加する予定。
みんなも良さそうな動画見つけたら教えてね。

船員と酒

昨年末に商船三井客船の「にっぽん丸」がグアム出港時に桟橋と衝突事故を起こした。
船長の呼気からアルコールが検出され、飲酒状態での操船が疑われている。

 

www.sankei.com

それに関連して、海上保安庁が2017年までの5年間で船舶事故を起こした10,592隻のうち、53隻の船員に飲酒したことが確認されたと発表した。割合にすると0.5%である。*1
集計方法などが異なるので一概に比較はできないが、交通事故における飲酒事故の構成比率と近い数字である。

 

www.nikkei.com

船乗りと酒はある意味で切っても切り離せない存在だ。乗船生活は色々と制約が多く、どうしてもストレスが溜まってしまう。その割には案外と暇を持て余す。となると、嗜好品を求めるのが人間の性というものだ。
酒は船乗りにとっては日頃のストレスを発散させ、無聊を慰めてくれるものなのだ。

と言うと、そんなものは言い訳だ、そもそも乗り物を動かす職場にも拘わらず酒を持ち込むこと自体けしからん、と仰る生真面目な人もいるかもしれない。しかし、船が他の乗り物と決定的に異なるのは、乗組員が一年の大半をそこで生活を送る場でもある、ということだ。問題なのは飲酒そのものではなく、あくまでも酒気帯びの状態で職務に就くことである。要は節度を持って飲酒すれば問題ないのだ。

とはいえ、そのあたりの加減を上手くできない人がいるのもしばしばである。事実、俺も二日酔いでまだ酒の匂いが残る状態で当直に出てくる船員を何度も見たことがある。

思うに、そういった人はストレス発散や暇の潰し方があまり上手ではなく、ついつい酒に頼ってしまうのではないかと思う。

そうならないためにも、これから船員を志す人や、船乗り学校の学生さんたちには、今のうちにインドアでできる趣味などを見つけておいてほしいと思う。

最後に、冒頭にあげた「にっぽん丸」の事故だが、船長の飲酒を事故の主因と考えるのはまだ早計だと思うよ。
基本的に操船は船長だけではするものではないし、入出港時には他の航海士も船橋にいるし、水先案内人だっているんだから、あまりにもおかしな操船してたら普通は誰かが気付いて指摘するからね。

*1:https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/insyu/info.html#kensuの「2.飲酒運転による交通事故の発生状況」より

ゆく年くる年 on the sea

今年もいよいよ暮れてゆく。

陸の上は年末年始の準備に忙しいが、海の上も同様に年越しの準備に余念がない。

船というのは基本的に土日祝日、盆暮れ正月は関係ないので、たとえ正月といえども休めるとは限らないのだが、船内はそれでも年越しを迎えるために居住区の大掃除に、マストやブリッジ内のしめ縄の飾り付けにと、乗員総出で仕事にかかる。

休みなら大したことはないのだが、航海や荷役があるとその合間を縫ってやらなければならないのでなかなか慌ただしい。

 

晦日の夜に荷役を終えて出港するときは独特の感慨が押し寄せてくる。
普段なら大小の船で混雑する東京湾周辺の航路もガラガラで、休みの船を羨ましく感じたり、すれ違う船に同情したりする一方、「まあ、俺たちが仕事するぶんみんなが快適に新年を迎えられるならいいかな」と考えたりもする。

冬は電力に燃料にと、石油の消費が増える。そのためにタンカーはどうしても忙しくなる。一般消費者向けの自動車燃料や灯油を運ぶ白油タンカーは特にそうだ。

日々の生活の裏側で、そのようにして夜に日を継ぎ、家族や友人と離れて今この瞬間も海の上で物流を支える船員たちがいることを知ってもらえば幸いである。

もう2018年も残り1時間を切った。2019年は陸上の人々にとっても、海上の人々にとっても幸多からんことを。

陸に揚がったパパはなにしてんだろうね

俺が幼少の頃、建設会社のCMで「昼間のパパ」というものがあった。

忌野清志郎が歌う「昼間のパパはちょっと違う 昼間のパパは光ってる」という歌詞の歌に乗せて、社員の働くさまが流れる内容のCMだ。

 

youtu.be

youtu.be

なるほど確かに、家が商売をしているのでもない限り、親がどういった職業に就いているかは知っていても、どんな様子で仕事をしているのかはわからない。仕事モードの親というのは、子供からすれば全く謎である。

逆に、職場の同僚から見れば、オフでのその人の様子はよくわからないものである。雑談で家族や家庭の話をすることはあっても、なかなか想像はしがたい。はたして家に帰ったらこの人はどんな風に振舞うのであろうか、子供や孫の前では普段の姿からは想像もつかないような表情を見せるのか、それとも寝てばっかりのぐうたら親父なのか、職場でも家でも変わらずこの調子なのか……

船に乗って、ともに働く船員を見ていると、ふとそんなことを考えることがある。

なんてったって、昼間どころか、一年の三分の二以上は家にいないのだ。家族からすれば、陸の勤め人以上に謎が多い存在である。
たまに帰ってくると思えば最低ひと月くらいはずっと家にいるわけで、子供からすれば友達の父ちゃんとは違うなんだかよくわかんない人である。現に、乗船中に子供が生まれて下船後に初めて会ったら「しらないおじさん」として接されたという話は今でも聞く。

 若い世代は殊勝な人が多いようで、降りたら家族サービスに励んでいるようだが、子供がある程度手を離れた、おっちゃんおじいちゃん船員になるとよくわからない。それなりに家族サービスしているのか、それとも日がな一日寝てたりパチンコ行ったり酒飲んだりの生活を送っているだろうか。独身の俺には全く想像がつかない。

でも、この人たちにも家族がいて、陸の暮らしがあるんだよなあ、万が一俺が結婚することになったら、どんな風に過ごすんだろうなあ、なんてことを下船する船員を見送るたびに考える。

ただ一つ言えることは、船上での暮らしというのは知らず知らずのうちにストレスが溜まっていくものだし、下船休暇は船員にとっては羽を伸ばせる数少ないひと時だということだ。

船に港が必要なように、船員にとっても「港」になる場所は必要なのである。