童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年5月5日

今日はしっかり仕事をしてしまった。
元々休日出勤が決まっていたので分かっていたことなのだが、それでも思ったよりしっかり働いてしまった。
しかも、そろそろ始めなきゃならんと思っていた検討を進めた結果、色々と追加で考えたり調べなければならない項目が出てきて割とウンザリしている。
疲労感は大きい。

正気を保つために何か美味しいものでも食べようと思って、帰りにショッピングモールの回転寿司屋に寄った。
連休中ということもあって、20時過ぎでもかなりの人手だったけれど、家族連れがほとんど。
カウンター席にサクッと入って食べてきた。
3000円くらいで自分の機嫌が取れるのだから、安いものだと思う。

悪い癖だと思うのだが、レストランや電車など公共のスペースに行った時に、近くの席のグループのことがどうしても気になってしまう。

今日も寿司屋で、隣のカウンターに座っていた4人組の家族連れが気になってしまった。
おそらくお母さんと小学生くらいの男の子と中学生くらいの女の子、そして高校生くらいの女の子の4人組。
普通に考えれば、母親と3人の子供だと思うのだが、会話の雰囲気から言って親子関係にあるのは男子小学生と女子中学生。
残りの女子高校生は、どうやら違うらしかった。
連休中だし従姉妹とかか、と思ったのだけど、にしては席の座り方がおかしかった。
女子高校生、男子小学生、母、女子中学生の順で座っているのだ。
普通、歳の近い従姉妹が遊びに来ているとかだったら、女子どうしで並びたくなるのでは?
途中、男の子がトイレに行きたいと言って母親が連れていく場面があったのだが、その時も女子たちの間に会話はなし。
実際二つ分席が離れているので会話はしづらかったろうけれど、二人ともスマホをずっといじっていた。
唯一、女子中学生が頼んだソフトクリームが到着した時、顔を合わせて慎ましく微笑み合ったくらい。
心理的にも物理的にもギャップのあるこの感じ、一体何なのだろう…

そういう時、勝手に想像が進んでしまう。
最近再婚した夫婦の連れ子どうしだったのではないか?
下二人の子どもは母親の連れ子、女子高校生は父親の連れ子。
再婚してまだ日が浅いので、微妙に距離がある。
言われてみれば、あまり顔も似ていない。
お母さんの声は酒焼けっぽくも聞こえるので、水商売で知り合った口かも。
お父さんは自営業で、だからGW中も仕事していて参加できないのかも。
などと、考えようと思う前にもう考えてしまっている。

こういう話を職場の同僚などにすると、皆そんなことはないというか、そもそも他人の席なんて気にしたことがないと言われる。
どうやら特殊らしいと分かってからは気を付けているのだけど、一人でどこかに行ったりすると止めることができない。
別に答え合わせがしたいわけでもなく、ただ、気になってそういうことを考えてしまうだけ。
だから大目に見てほしい、とは思っている。

2024年5月4日

休日らしい休日を過ごした。
髪を切ったり、不動産屋に貼ってある物件情報を覗いたり、前から気になっていた店でランチを食べたり、服を買いに行ったり。
料理するのも億劫だったので、スーパーで買ったブリを塩焼きにしたら、後はお惣菜とサラダで済ませてしまった。
そして仕上げに、Netflixでマイリストに入れっぱなしだった「MONDAYS」を観た。


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前に、名画座へ他の作品目当てで行った時に併映されていて、興味は引かれたものの時間の都合で鑑賞を見送った作品だった。
CMプランニング会社の社畜たちが、とにかく地獄のような1週間を繰り返すタイムループもの。
全編通してほぼほぼオフィスのシーンのみで、密室劇に近い構成になっている。
それでも脚本の面白さで飽きさせず、最後まで楽しく観ることができた。
1時間半弱という短さもサクッと観られてちょうど良い。

ただ、劇場で観るべきだったかと言われると、少し微妙な感じもある。
この手の場面が変わらないループものは、とにかく動きや場面転換が足りない分、大きな画面が無駄になってしまう。
折角のフルスクリーンなのに、世界が狭く見えてしまって、物足りないことがある。
15年くらい前に「キサラギ」と言う映画があった。
脚本の巧さで人気に火が付き、当時そこそこヒットした作品だったと思う。
自分も映画館に観に行って、確かに面白い内容だとは思ったものの、あれは完全な密室劇。
部屋に入れられた男たちの秘密が、会話の中で徐々に明かされていく。
12人の怒れる男たち」とまさに同じスタイル。
ずっと変わらないセットに、正直映画館で観なくても良かったなと思ってしまった。

などと言いつつ、僕自身は実際に劇場で観ていないので何とも言えない。
同じオフィスではあるものの、ループのテンポがとても良いし、流れによって目的が大きく変わって新たな視点が加わるので、新鮮さが保たれていた。
それに、景色が変わらない閉塞感そのものが、タイムループの緊張感を盛り上げる効果も持っている。
案外、劇場で観てもそんなに気にならなかったかも知れない。
ただとにかく、時間の短さも含めて、配信向きの作品であることは間違いないし、テレビの画面で観てもちゃんと面白いと言うのは、それはそれで価値あることだと思う。

2024年5月3日

最近コンビニで、森永乳業ピノクリーミーチョコミントが売られている。
先日BBQの時にお土産で差し入れた時に食べて結構ハマって、今日も二箱買ってしまった。

www.pinoice.com

世の中で流行る前から、チョコミント味は結構好きで食べていた。
否定派からは歯磨き粉の味がするとよく言われるけれども、歯磨き粉も美味しいと感じる僕にとって、それの何がいけないのか良く分からない。
そもそも歯磨きの時に口当たりを良くして爽快感を与えるためにあの味になっているわけだから、その味のお菓子は美味しいに決まっている、と思っている。

多分最初に食べたチョコミントは、サーティワンアイスクリームだったと思う。
その衝撃が大きかったせいなのか、いまだにサーティワンに行くと必ずチョコミントは選んでしまうし、多分このチョコミントが一番好きだと思う。
それ以降も、気になるチョコミント味のアイスは定期的に試している。
ジャイアントコーンチョコミント味、セブンイレブンチョコミント氷、ブラックサンダーチョコミントアイス…
僕の場合、チョコよりもミント部分の方が重要度が高いので、ガツンとミントが来るものにハマりがちだ。
ただ、仕方のないこととは言え、これらのフレーバーは大体季節もの。
定番として通年売られるようになることはほぼない。
だから、もう二度と食えないかも知れないという意識が働いて、シーズン中コンビニに行くたびに買う羽目になる。
その意味でも、いつ行っても間違いなく美味しいチョコミントが食べられるサーティワンは、本当に素晴らしい。

そして、チョコミント好きは、何かと集まっては情報交換をしがちだ。
先日も、とある職場の同僚が海外出張のお土産にチョコミント味のオレオを買ってきていた。
聞いてみると、彼もチョコミントが好きとのこと。
ピノの差し入れも、彼がBBQメンバーに居たから買って行った部分が大きかった。
他にも、後輩がやはりチョコミント好きで、去年のブラックサンダーは彼が教えてくれて試したのがきっかけだった。
夏場はチョコミントアイスが多く売り出す季節で、旬と言って良い。
ピノもそこそこ楽しみつつ、また新たな商品が出たらきっと試してしまうだろうし、試さなくても仲間たちが情報を入れてくれるに違いない。

2024年5月2日

明日からGW後半と言うことで、どこも混雑してしまうだろう…と言うことでそうなる前に映画館に行ってきた。
目当ては「リンダはチキンが食べたい!」
独特のタッチで描かれるフレンチアニメーション。
SNS等で話題になって気にはなっていたものの、なかなか観に行く時間が取れなかった。


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アニメーションとして、とても優れていた。
絵葉書から飛び出してきたようなビビッドカラーのキャラクターたちが、生き生きと自由に駆け回る。
基本的には、主人公リンダとシングルマザーの母ポレットが、パパの思い出の料理パプリカチキンを作ろうと引き起こすドタバタコメディ。
けれど、追いかけっこあり、すれ違いあり、カーチェイスあり、何とガンアクション(?)まである。
アニメーションを楽しくさせる要素の欲張りセットのような作品になっていた。

ストーリーそのものをどう感じるか、と言われると、少し規範意識や遵法心が邪魔をして素直に楽しめない部分があったのは否めない。
でも、様々な事象がカオティックに起きていく展開にはドキドキさせられて、飽きる瞬間はまるでなかった。
そして、非常に個人的には物語になってしまいそうな本作だけれども、ちゃんと後ろの社会背景が透けて見えるのが良い。
そもそも、主人公たちがパプリカチキンを作りたくても作れない最大の原因は、街で起きているストライキにある。
つまり、街はリンダよりも先にとっくに怒っているのだ。
社会の抱える大きな怒りと、リンダたち個人の抱える小さな怒り。
それらが同じ地平の上にあって繋がっていることが、感覚的に解る作りになっていたと思う。
リンダとポレットが暮らすアパートメントも、多民族で構成されて、お年寄りだったり幼い弟の面倒を見ている少女だったりが身を寄せ合っている。
その中にあって、パプリカチキンよろしく、全てを鍋に入れて火にかけたような大騒ぎが起こる。
それぞれが象徴する社会問題が、無意識的にも想起されてくる。

ただし、本作はこのカオスに特に良い答えを与えない。
パプリカチキンは出来上がったかも知れないが、おそらくそんなに美味しいものではなかったはず。
リンダもポレットも、他のみんなも、ストライキだって、特に変わらないし成長も多分ない。
考えてみれば、我々の世界はもっと混沌として色々な出来事が次から次へと起こっているが、そこで生きている人間は、自分も含めて簡単には変わらない。
ある意味で、超リアリスティックな物語だったんじゃないか。
カタルシスは特になかったかも知れないけれど、でも皆そうじゃんって言う。
荒唐無稽なようで凄くシニカルに写実していて、まさに西洋的な作品だったと思う。

2024年5月1日

年度が変わると必ずやらねばならないこと、というのが幾つかある。
その内の一つが、コンプライアンスやハラスメントに関する講習会の受講だ。
最近はもう動画や資料がサーバーにアップされて、それを各自ブラウザで視聴して小テストを受けて誓約書を提出、と言うのが主流になっている。
正直、適当に聞いていても、テストは常識の範囲内で正答可能。
他の作業の片手間に動画を流して、簡単に済ませてしまう人も多いだろう。

この講習にどれほどの効果があるのかは定かでないが、僕自身は、結構面白い内容もあるよなと思っている。
今回特に感心したのは、障碍を持った方々への対応についてまとめた動画。
障碍の種類によって代表的な対応の仕方を紹介し、ハード面で対応が難しい場合の合理的配慮の提供が如何なるものか、結構勉強になるなと思ってしまった。
ハラスメント講習なんかも、毎年度内容は同じだけれど、聞きながら前年度に起こったあれこれが思い出されて、自分の中で整理されていくのが良い。
正直、ハラスメントは、潜在的にはかなり多いと感じている。
自分も、被害者側でも加害者側でも、反省すべきことが幾つもあったと思う。
そう言うことを考える時間は、1年に1度くらい必要だろう。

それにしても、ハラスメントを働く人間の多くは、きっとこの講習を受けても自分のこととは思わないのだろう。
つい最近も、とある後輩が、某プロジェクトで一緒になった方からハラスメントめいた対応をされていた。
その方が余りにも動かないため、気を利かせるつもりで準備を進めていたところ、勝手に進めるなという叱責を受けたと言う。
しかし、後輩は準備状況を逐一連絡・共有していたし、コメントを求めていたにも関わらず、それはほぼ無視だったそうだ。
挙げ句の果てに、後輩をCcに入れた状態で、別のメンバーに後輩の扱いに困っている旨のメールを送信していた。

後輩自身は、特に本業ではないところでの話だし、そのプロジェクトが仮に上手くいかなくてもダメージは少ない(直接の評価には響かない)こともあって、怒りながらもいっそ面白がっているように見えた。
とは言え、やられていること自体は、まさにハラスメント講習会で問題とされていることそのもの。
その人物も同じ組織に属している以上は、僕と同じ講習を受けるはずだが、その時に一体どう思うのだろうか。
きっと何も思わないのだろうという確信はあるものの、どうして思わないで済むのか、正直良く理解できない。

2024年4月30日

昨夜、中学校の頃の友人たちとオンライン飲み会があった。
僕は諸事情あって呑めなかったので厳密には飲み会ではなかったが、それでも繋いで話していた。
定期的に飲み会をしているメンバーだったので、特に懐かしいという感じでもなかったけれど、お互いの近況を確認してそれなりに話は盛り上がったと思う。

その中で特に盛り上がった話題が、メンバーの一人に恋人ができたという話だった。
彼とは長い付き合いだけれども、記憶する限り恋人がいたという話は聞いたことがなかった。
付き合いが途絶えていた時期もあるので、僕の知らないところではそれなりに合ったのかも知れないが、少なくとも彼がそれを話題に挙げたことはなかった。
重い持病があって時折手術を受けていたり、少し不安定な仕事をしていたりすることもあって、どちらかと言うと内向的と言うか、進んで恋人を見つけようとするタイプにも見えなかった。
それが、昨日の夜は自ら「彼女ができた」と報告して、割と惚気ている印象だった。

他人の恋路を肴にしたくて仕方がない他のメンバーが、根掘り葉掘り聞いていた。
何でもお相手は、10個近く歳が上の同僚らしい。
ふとしたきっかけでお互いの趣味が合うことが分かって食事に行くようになり、次第に会う頻度が高くなって、今では頻繁に互いの家を行き来しているそうだ。
微笑ましいなと素直に嬉しく聞いていたのだけれど、途中で他のメンバーが不満を漏らし始めた。
きっかけは、彼がした「どっちが告白したの?」という質問だった。
答えは「別に告白はしていない」というもので、それがどうも不満だったらしい。
彼曰く、確認していないのになぜ付き合っていると言えるのか、ということだった。

確かに一理あるとは思ったが、僕は、当事者の二人がそれで満足しているなら別に良いのでは、と言うようなことを述べた。
が、全く腑に落ちていないようだった。
どころか、そういうことが気になってアレコレ聞いてしまうのだけれども、こういうことは今の時代ハラスメントになるのだろうか、などと世の中を嘆いていた。
多様性を認めていかないといけないもんな…と呟いている姿がすっかりオジサンで、何だか印象に残っている。
確かに不満を漏らした彼は教職に就いているので、その辺りは敏感であるべきだろう。
そんなことを呟いている時点で既に信号は黄色に変わっている気もしたが、昔からの付き合いの飲み会だったので強く窘めることはしなかった。

ただ、今回のことは、結構大事な問題を孕んでいたような気がする。
おそらく、付き合い始めた彼のパートナーが同世代か少し下くらいだったとしたら、僕も、(そうは言わないまでも)ちゃんと告白しておかないと相手に失礼だと思っただろう。
しかし、今回相手はかなり年上の40代後半。
おそらく、結婚して子供を産んで…というような将来設計を想定しているような感じではない。
一緒にいてほっとできる相手を見付けて、これからの人生を一緒に歩いていければ、と思っている感じがする。
だから僕も凄く良いなと思ったし、微笑ましく思ったのだった。
不満を漏らした彼は、体育科の教員になって同業の女性と早々に結婚、現在3児の父になっている。
彼にとっての恋愛観はせいぜい30代前半くらいで止まっていて、いまだ家族形成とセットになっている可能性がある。
その立場からすれば、そんなフワフワした恋人関係は理解の外だろう。
日向を歩く彼にとっては、酷く不実なものに映ったかも知れない。

僕としては、誰に何を言われようと、本人たちが幸せな道を歩いてもらいたいと思っている。
こちらも30代後半まで童貞を謳歌して好き放題生きているので、家族5人を支える彼からすれば不真面目極まりないことだろう。
でも、人間には誰しも自分の幸福を追求する権利があって、僕の場合のそれは、彼の持っているものと違っている。
彼には、その違いを認められる教員であって欲しいと思っているので、一度はそういう話を真面目にするべきなのかも知れない。

2024年4月28日

連休前半、とりあえず実家に帰って両親の顔を見てきた。
長年自宅介護だった祖母が特養に入所して、もう1月半くらいになるだろうか。
ようやく自分の時間を取り戻し始めて、両親の顔色は悪くなかった。
前に帰った時、オススメの漫画を置いて帰ったのだが、それも二人とも読めたようだった。

それ以上に大きく変化したと感じたのは、庭の様子。
つい先日までは、雑草も庭木も手入れをする時間がなくて伸ばしっぱなし。
隣家に大きくはみ出しているのを見かねて、無理やり僕が刈り入れをしたりしたこともあった。
それが、今回見てみるとあらかた綺麗に整えられていて、ようやくそういうことをする余裕が生まれたのだと少し嬉しかった。
とは言え、やはり二人とも如実に老いてきている。
色々なものへの反応速度が遅くなっているし、心配になるような持病もそれぞれ抱えている。
このまま車を運転させていて良いものか…とか、色々思うところはあったけれど、かと言って実家に戻って支えていく覚悟もなく、中途半端さに軽く自己嫌悪しながら一人暮らしの部屋へ帰ってきた。

それにしても、実家に戻ると何だか食べ過ぎてしまう。
理由はだいたい分かっていて、これまでの習慣から、母の作った料理をどうしても残せないのだ。
母は、好き嫌いや食べ物を残すことを酷く嫌う人で、子どもの頃からかなり厳しく言われていた記憶がある。
朝食の時なんかは、食べないのならば学校になんか行かなくても良い、と言われていた。
当時、父と再婚したばかりだった母の言うことは、僕にとって絶対だった。
そのように強く意識していたかは定かでないが、この人に見捨てられたら生きていけない、位に思っていたと思う。
おかげさまで目立った好き嫌いもなく健康な体になっているので感謝しかないけれど、いまだにその感覚が抜けない。
お腹いっぱいでも、体調が悪くても、母に振る舞われたものはとにかく食べてしまう。
結果、実家から戻る頃は大体胃腸の調子が悪くなっていて、1食くらい抜いて調整する羽目になることが多い。

両親がこの先老いていって、いよいよ放ってはおけなくなった時、再び同居する未来もあり得るだろうか。
かつては一緒に住んでいたのだから無理ということはないだろうが、一人暮らしもそれなりに長くなってきて、両親に限らず誰かと同居することのハードルは上がってきている。
何より、一人暮らしの粗食に慣れきった胃腸が保たないかも知れない。
世の中の誰かと同居して暮らしている皆さんへの尊敬が、日に日に増している。