お久しぶりです

こっそり更新してみます。
今日は家でのんびりしてるので。


いきなりですが、この春からは予備校生になります。
この一年(もないんですが…)改めて努力しなおそうと思います。
失敗だらけの人生でもいいと思ってるし、勉強もきらいじゃないので、悔しかったり悲しかったりはないんですが…
ただ少し寂しい。


ここ何週間か、平均して2日に1日は外出していたのですが、夕方とか夜とか、友達と別れて家に帰ってくるといつも、寂しくなる。
特に最寄り駅から家までの山道、桜並木があとほんのちょっとで咲きそうで咲いてないところを歩くとき、切なくなります。はやく咲いてくれないかなー


最初は合格した友達に取り残されるのが寂しいのかなと思ってたのですが、昨日受験後はじめて学校に行ってみて、やっと気がつきました。
学校を離れるのが寂しいんだって。


その寂しさはきっと、多くの卒業生が感じてることなんだろうなぁ。
でも大学に行く人は大学への期待と不安でその寂しさが随分と和らぐんでしょうね。


卒業式のときにはあまり感じなかったのに。
何もかも落ち着いて、春からの新しい生活を待つ身になってみて初めて分かりました。
やっぱり学校が好きだったんだな。
ずっと後輩とか先生とか、同級生とかと一緒にいたかった。


まぁ結局のところ、環境が大きく変わるときに多くの人が感じるアレですね(^^;


予備校がはじまったらちゃんと勉強して、新しい友達もつくって、それなりに楽しくやっていきます笑
一緒のクラスの友達も多いので、ちょっと嬉しいです。


落ちたときには、今年は学校行かないかなぁと思っていましたが、行事の時とかにはやっぱり行こうかなと思いました。
一年中24時間態勢で勉強するわけにもいきませんし。


昨日まではかなり遊んでたので、4月も始まった今、そろそろ勉強でも再開します。
化学が苦手なので、誰かアドバイスくれないかなぁ。



というわけで、半年以上ぶりにブログを更新してみたので、たまたまこのブログが更新されてるのを発見してしまった人(そんな暇な人いないかな汗)はコメントをしてみましょう!
よろしくお願いします〜^^

夏がもうすぐそこに…

僕は夏が大好きです。


蝉の声。背の高い雑草。カブトムシの匂い。雨の日の土の湿った匂い。暑くて汗かいちゃうのに不思議と爽やかな感覚。家の中に侵入してくるありさん(笑)


夏はいいな〜


そんなわけでもうすぐ1学期も終わって夏休み。この夏休みは勉強ですね〜
最近、とても勉強が楽しいです。前から嫌いではなかったけれど、勉強だけじゃつまらないと思っていました。でも今はこれから半年くらいは勉強だけっていうのもそれはそれで楽しいな、と思ってたりします。


生徒会の任期も終わったし、行事はもうあまりたくさんは残ってないんですが、もう十分学校生活を楽しんだと感じています。最後の学校行事の体育祭での応援団でも幹部とかやろうかなと思ってたんですが、特に僕がみんなの役に立てるような気もしなかったので、結局一応援団員として気楽に楽しませてもらうことにしました。なんだかんだで行事の責任者したりするのも疲れましたし…あとは野球部の応援、生徒会打ち上げ、剣道部追い出し会、正副会長会議、体育祭打ち上げで勉強以外の予定は終わりです。


生徒会は楽しかったな〜
この一年間、仕事をしていないとか大変そうに見えないとか言われ続けたわりに実際にはしんどいことも結構あったのですが、その分、一年間無事終わった!ていう達成感は十分に感じています。そして何より、友達、後輩との一日一日、一瞬一瞬を積み重ねてこれた。その時間は、思い出は、間違いなく一生の宝物になると確信していますし、それこそが生徒会をやってきた意味だと思っています。


それにしても学校生活は残り少ない。一日一日を大切にこれからの日々も過ごしていこうと思います。

twitterはじめました。

いきおいではじめました。
予想以上に友達がたくさん参加していて驚きました。
FaceBookにしろmixiにしろわりと早い段階で参加してきた僕にとって少し敗北感を感じた瞬間でした。


でも、FaceBookmixitwitterも正直そんなに楽しくないんですよね。
僕の場合、少しでも人とつながっていたいからこういうsns的なものに参加しています。


僕はパソコンとどうしても相性が悪くて、長時間パソコンの前で座ってるとしんどくなってきます。ネットもないならないで構わないと思っています。ネットはたしかに便利ではありますが、ここまで日常生活にネットが浸透してくるとたまにストレスです。それじゃあネットをやらなかったらいいじゃないかと言われそうですが、ネットを日常的に使う社会の中で生きる上でそういうものに手を出さずにいると乗り遅れそうな気がするんです。本当のところはどうなんでしょうね。


最近読んだ雑誌にはFaceBookをつくった若い大金持ちのことが書いていましたが、そういうものがはやる時代なんでしょうか。僕はネットのことを考えるとき、人が一日中パソコンの前で座ってひたすらキーボドをたたいて足腰は弱って手だけ発達して、それでも社会は動いて、つまり人は場所を移動することなく(したがって他人と顔を合わせることもなく)一生をすごすSF映画みたいなシーンがたまに頭をよぎります。もちろんこれは短絡的な見方ですし現実的にそのような世界になる可能性はありませんが、そういう側面もあるんじゃないかなと思ったりしています。


ネットは本来情報収集や共有のためだけに使うべきだと考えていましたが、高校生になってからブログをはじめたり、いろいろなことを知って、そして昨日もtwitterを始めたりして、ネットとのつきあい方についていまさらながらもっとよく考えたいなと思いました。しかし、一応受験生なので、そんなことをよく考えるのはあと1年ほどあとにして、今はとにかく一日一定時間以上ネットをしないようにということだけを目指すようにしましょう。

受験勉強

最近生徒会長の引き継ぎノートを書き始めたんですよ。そしたらこれがはかどる、はかどる。この調子だと5月中に書き終えてしまいそうです。そしてそれもこれもすべて僕が早く後輩に引き継ぎたいと思っているからなんですね、きっと。もう十分楽しませてもらいました。そして次期生徒会の人材はこれ以上ないほどそろっています。たいした能力のない僕がいまだ生徒会長でいる理由なんてひとつも見つかりません。生徒会長にはきまった仕事は特にないかわりに考えないといけないことがちょっと多いので一日一日が少しだけ大変です。そんなわけではやく引き継ぎたいです。


こんな風に書くと後ろ向きに聞こえるかもしれませんね。でも後輩に引き継ぎたいと思うことは本当に消極的なことでしょうか。僕は生徒会長の任期をはやく終えたいというよりはむしろ後輩に引き継ぎたいのです。つまり、任期を終えるという消極的行為よりも後輩に引き継ぐという積極的行為を望んでいるのです。その点から僕はあくまで自分は前向きでいると思っています。なんだか言葉遊びみたいですけど。


さて、ここまで書いておきながら実は引き継ぎのことはまた後日書こうと思っているのでわりとどうでもよかったです。そしてここからが今回の記事の本題です。


引き継ぎノートを書くのは手書きではなくもちろんパソコンです。つまり僕は最近よくパソコンを使っています。パソコンを使ったら用件以外のこともしてしまうというのが世の常です。しかし僕は一応受験生です。ということで最近は英語のサイトを極力見るようにしているのですが、高校生に真に必要とされている時間は結局はこういう時間ではないのか、ということを思いました。


受験勉強は無駄だなんて少しも思っていません。しかし、現代の大学合格最短ルート追求型受験勉強はあまり好ましくないのではないかと思います。塾に行って模試などの点数を取ることにしか目標を見いださず、本も読まない、自分の興味のあることを高校範囲を逸脱して学ぼうとしない、という姿勢は本来学生のあるべき姿ではないのではないのでしょうか。もっとも僕もそのような学生のうちの一人であるだけでなく、最低限の受験勉強すら満足にできていないくらいですから何も言う資格はないのですが…


本来は受験勉強で得た知識をもとに自分の勉強を進めていくのが理想ではないでしょうか。英語を例にとると、日頃勉強している知識をもとに、海外の本を読む、外国人と話す、海外のサイトを見る、など日常に活かされていくのが、勉強の本来のあり方だと思います。


受験ではそのように受験勉強以外の回り道をしている人が不利になってしまいますよね。回り道をしている人は長い目でみればその回り道は無駄にはなりませんが、大学の合否だけで考えるとどうしても損をしてしまう。だから大学受験の制度は変わるべきだ、と言いきってしまえないのが難しいところです。

4月なのに…

寒かったり暑かったりよくわからない天気です。
周りの人で風邪をひいたり喉を痛めたりしている人が多いなと思ったら、僕も風邪をひいてしましました。
体調管理には気をつけないと…


今日は昼前まで布団に入りながら考え事をしていました。
どうしてこうも考えることがみんな違うんだろう、と。


当たり前のことですが、人が100人いれば100通りの世界の見え方、真実があってひとつとして同じものはありません。そして成長して個人の考えに基づいていろいろな行動を実行していくとき、どうしても他人と避けられない衝突(必ずしも意見の対立という意味に限りません)が生じてしまうんですね。僕はいままで無意識にその衝突を回避しようとしていたような気がします。でも本当はその他人との衝突や摩擦とどう折り合いをつけるのか、また、文字通り10人10色だということを理解しているか、ということの方がきっと重要なんです。


「人は大きくなって物事がだんだんよく見えてくるようになると皆異なる道を歩み、同じ道は歩むことができない」っていうのは龍馬伝武市半平太の台詞です。龍馬伝は本当におもしろくて、僕は毎週見ているんですが、特に好きなのが武市半平太です。武市は自分の信念をどこまでも貫き人間の強さを教えてくれます。しかし同時に自分の信念を貫こうとするあまり人間として大切なことがいくつか見えなくなっているというところに人間の弱さも表れています。この強さと弱さの二面性は真に人間らしいものだと思います。


自分の信念を貫く上で他人の信念が邪魔になることも多いにありますよね。そのときにどうするか、というところにその人の真価が問われるのではないでしょうか。


考えが衝突し合うこの現実社会で僕が大切だと思うのは「小学校教育」です。なぜ、小学校教育なのかというと、その時期に人として大切なことを徹底して子供に教えるべきだからです。フロイトのいうところの「超自我」(うろ覚えなので間違っているかもしれませんが…)、つまり家庭や学校での道徳教育の結果その人に植え付けられた絶対的な道徳観に基づいて人は行動する、ということですが、この絶対的な道徳観さえしっかりしていれば多少の考え方の相違など問題にはならないのではないでしょうか。凶悪犯罪など起こりようがありません。「やむにやまれず」人を傷つけることなんてありえないでしょう。そして、絶対的な道徳観は小学生のときが一番吸収しやすいような気がするので、「小学校教育」が大切だと思う訳です。


僕はいま高校生ですが、遅ればせながら、自分がいままで絶対的に信じてきた価値観に少しでもプラスできるものがないか日々探索しています。

価値観

人の価値観ってなんなんでしょうね。
その人の根本にある無根拠に揺らがないもののことなのか、logicを積み重ねた結果導きだされるその人なりの物事の認識の仕方なのか、そのどっちでもない何かなのか。


数学ができるようになりたいです。
自分に欠けてるものなんて言い出したら無限にでてきますが、普段の生活の中でとくに困っているのは思考における論理性のなさですね。
なんでも最後は感情的に把握してしまう。
数学をもっと勉強して(もちろん他の方法もあると思いますが)論理性を身につけないと将来困るだろうなというのは僕の中ではほぼ確信です。


そこで価値観の話に戻ってみると、僕はひとの価値観は理由なしにその人が信じてるいるものだと思っていました。
だめなものはだめ、例を出すと、人を殺してはいけないことに理由なんていらない、という考え方でした。
でもそういうのって通用しないですね。
この例だと死刑はどうなのかということになりますし、価値観というのはある程度論理的に説明しようとする試みなしにはあり得ないんだということに気がつきました。


論理的思考が得意な人は、そういう訓練を積んできたということですから、本当に尊敬してしまいます。

3月も終わりですね…

はやいですね。
もう4月ですね。


4月ってわくわくしますね、出会いの季節だから。
僕、わくわくしたら、いいこと思いつたりするんです。


今日もひとついいアイデアが浮かびました。
名付けて「(いい名前募集中)」!
僕のネーミングセンスのなさは実証済みなので。


僕の思いついたことを簡単に説明しますと、なんとかオリンピックなどの対外的活動で活躍した人や校内で活躍した人にあるお題で文章を書いてもらってそれを文集にしようという考えです。
具体的には…
「全学年級長にきく あなたのクラスの雰囲気」
「科学オリンピック受賞者たちの対談 これからの日本の科学教育について」
「生徒会役員による生徒会四方山話」
「(部活で成績を残してる人に聞く)あなたにとって部活とは」 
先生のコラムとか混ぜたりして。


これ、どうでしょう?
なんだかおもしろくないですか。


ちなみに、文集といえば、土曜講座にきてもらったOBへのアンケートの冊子は前回準備が間に合わなくてできなかったので、世代交代間際の次回頑張って第1号を発行します。


以上、今日思いついたいいアイデアでした。