外交における融和政策について

融和政策とは事を荒立てずに話し合いで解決していきましょう、という政策。戦略的忍耐などというもっともらしい言葉も旧民主党からは聞こえてきた事もある。この融和政策が外交においてどんな結果に繋がるか、最近の世界情勢からも伺い知ることができる。

(未だに絶大なる人気を誇る)オバマ前大統領の融和政策は、中国が南沙諸島に人工島を築き南シナ海を実効支配する事を許した。また北朝鮮核兵器の開発を完了し、トランプ大統領が圧倒的な軍事力で恫喝する迄、大陸間弾道ミサイルの開発を続けた。

しかしこれらはまだ許容範囲であろう。80年前にナチスドイツのヒトラーが無茶苦茶な事を始めたが、イギリスとフランスは第一次世界大戦のトラウマもあり融和政策を貫いた。その結果、第二次世界大戦が勃発しヨーロッパ中が火の海となった。チェコスロバキアに侵攻しても見て見ぬ振り、ポーランドに侵攻して初めて宣戦布告するも実際の行動はずっと後。この教訓は単純明瞭である。狂気の独裁国に対する融和政策は間違いでいずれ大きなしっぺ返しを食らうということだ。

相手が狂気であれば対応も分かりやすいが狡猾な独裁国であれば対応は数段難しくなる。敢えて狡猾といったが所謂共産主義(国)である。単なる融和とか強行政策ということでは対応できない。誰が味方で誰が敵なのかすら見失ってしまうからだ。これが現実の世の中、故にトランプ大統領が最低の大統領と称される所以だ。最高とは言い難いのも事実ではあるが。

宗教団体・宗教家の裁き方

 7月にはいってオーム真理教の麻原彰晃教祖含む13名の元教団幹部に対する死刑が執行された。この死刑執行に対してEU(方面)から批判の声が上がっている。また死刑囚を支援する団体や人権擁護団体からも同様に強い批判と疑問が投げかけられた。この機に乗じて政権批判と繋げるTwitterなども散見され、この後暫くはいろんな論争が続くことだろう。

 そもそも死刑制度というものは法で決められたものである以上、法に則り粛々と進められてよいものである。もちろん死刑囚13人それぞれに事情・背景があり、例えば「地下鉄サリン事件で唯一死者が出なかった車両を担当したから死刑はそぐわない」など、担当弁護士の思いはあるかもしれないが、最高裁の判決が出た以上それに従うことになんら問題はない。これが法であり、法治国家なのだ。

 

 しかし私に釈然としない点が一つだけある。それは彼ら、特に麻原師がこの死刑に納得していないという点である。彼の思いは「不浄な世を浄化することが自分の使命であり、その手段として殺人やテロも肯定される」というものだ。何を馬鹿な・・・、という批判を受けることを覚悟で言うが、もし仮に「この世が本当に不浄であり、彼の行動により世の中を浄化できる」のであれば、彼の行為はある意味肯定されて然るべきなのかもしれない。いわゆるこれが宗教に紐づいた「教義」というものだ。オーム真理教を含むこの世にあるカルト集団というものは似たり寄ったりで、この種の教義を持っている。彼らは「正義」の名の下に殺人やテロを行っているのである。

 歴史上宗教というものは多くの殺人を犯してきた。例えばアメリカ大陸で行われたインディアンの大虐殺はイエス・キリストの名によって正当化された(行われた)行為である。インカにおける大虐殺・略奪、アフリカの奴隷狩り、十字軍によるイスラム教徒征伐(虐殺)なども同じ。いわゆるキリスト教徒が異教徒に対して行う行為は全て正当化されるというもの。もちろん現在のキリスト教に継承されたものではないが、「キリストを信じる信仰によってのみ罪が許され、永遠の命が約束される」という考えが受け継がれていることは、過去の教義の名残りで「信じないものは異教徒」という考えなのであろう。

 

 ここでオームの話に戻る。オームの一連の裁判からメディアは「一連の事件を弟子のせいにして、最後はひたすら沈黙の砦の中に逃げ込んだ」と評した。否、彼は法廷で騒いで最初に退廷させられた時、

「私はあなた方に従う魂じゃない」

「これは裁判じゃない。劇場だ。」

と言ってのけている。また弟子への説法の中で

「(自分は)最終解脱(した)最高の存在である。」

「悪業を積んでいる者を成就者(=自分)が殺して天界に上昇させることは許される。自分に抗う人々を殺すのは殺人ではなく救済だ。」

これらの言葉から彼が正義の名の下に異教徒に対して殺人やテロを行っていたことが容易に判断できるというものだ。裁判でだんまりを決め込んだのは、彼の正義(教義)について誰も間違いを指摘せず、目の前に起こった殺人テロに対してのみ裁判が繰り広げられた所以である。彼から言わせればこれは異教徒からの攻撃・弾圧ぐらいにしか思っていなかったのかも知れない。

 オームの裁判は「殺人は悪」ということが前提に行われているが、ここに大きな間違いがある。正義の名の下に行われる殺人は悪ではないのだ。例えば、正当防衛で殺人することは悪ではない。裁判で死刑判決を受けた囚人に死刑を執行することは悪ではない。戦争において勝者が行う殺人は悪ではない。だからこそ、オームの裁判では、麻原師の教義の間違いをしっかりと語る必要があったのではないか。宗教用語(仏教用語?)でいうならば、破折する必要があった。この破折、つまり教義的な間違いを指摘することこそ、宗教を裁く場合に必要となる。つまり間違った教義に基づいて行う殺人・テロは悪なのである。

 

 それではオーム真理教の教義における間違いとはなんだったのか?

相対的な真理ではなく「絶対真理」に基づき論理展開を進め、間違いを明確化するということなのだが、そもそもの「絶対真理」とはなにか。仏教では「一切空」という考えがあるが、これは全ての物事には善悪のはない、というもの。

徒然なるままに-眠れない欧州線の機内にて

 1988年に初めてソウルを訪れた。街にはソウルオリンピック開催間際の活気があったが、市内を散策中に警察(機動隊)と学生のデモ隊との衝突に遭遇し、かつての日本もそうであったようにこれから成熟していく国であることを感じさせてくれた。宿泊したロッテホテルではロビーは日本人と韓国の若い女性のペアーで溢れていた。噂には聞いていたがキーセンツアーで来ている日本人と(貧困ゆえに?)田舎から出て来た若い女性たちがさも恋人同士のように振舞っていたことに非常に驚いた。また、海外に出て羽目を外す日本人のモラルの低さを恥ずかしく情けなく思ったのと同時に、これが韓国の首都で公然としかも日常的に繰り広げられているということに無情さも感じた。

 

 訪問の目的は観光もあったが、父の友人に会うことも目的の一つであった。彼は東大阪の町工場で数年働いて’87年に韓国に帰国したのだが、その町工場で私の父と知り合いよく自宅に食事に招いたりしていた。私も彼を京都観光に案内したりと、いわゆる家族ぐるみの付き合いともなっていた。ソウルに着いてまず彼の家に電話をして食事に誘う算段であったが、あいにく彼は留守のようでおまけに彼の家族は日本は勿論英語も全くという有様、こちらも韓国語は全く使えなかったので途方に暮れながらも、電話口で「ロッテホテル。○○(私の名前)。ロッテホテル。○○。」を連呼して電話を切ったのだが、その後彼からホテルにコンタクトがあり無事に再開を果たすことができた。彼とのコンタクトの場所はロッテホテルのロビー、やるせない気持ちになったのをいまでも思い出す。彼とは明洞にある彼オススメ(?)のサンゲタン屋で一緒に食事をした。

 

 最初の訪問から、いろいろな縁(成均館大学およびそのOB)がありソウルには年に1度は訪問することとなり大勢の韓国の友人ができた。また訪問するたびに徐々にホテルのロビーで見かける鼻の下を長くした日本人は少なくなり、2002年の最後の訪問では全くその姿を見かけることはなかった。その頃の韓国はMF Crisisと呼ばれた金融危機もあったようだが、確実に国は豊かになり友人の多くが高価な車(乗せてもらったのは大型SUVだった)に乗り、しばしばホテルと大学の間を往復してくれた。またある時は聖公会のミサ(礼拝?)に招かれたこともあったが、長老たちは私を快く受け入れ、日本に対して不満を聞くことはなかった。これは私にとって大きな驚きでもあった。今でこそ日韓問題は両国間の壁として両国民はそれを乗り越えられないでいるが、その当時はそんな壁の存在すら感じなかったものだ。

 

2002年以降は仕事の都合で韓国を訪問する機会がなくなったのだが、同時に韓国と日本の関係に大きな溝ができ始めたのもこの頃だったように思う。音信不通となった友人も多いのだが、日韓の関係がこれほど悪化した中で彼らはいま何を感じているのだろうか。今会ったとしたらあの時のように何のわだかまりもなく酒を組みかわせるだろうか。慰安婦問題など話題にすら出たことはなかったが、慰安婦像が至る所に設置されソウルの市バスにも少女像が座っている有様。事実がどうであったかを冷静に確認する動きもなく、ただただメディアを含む一部の勢力による日本を貶めるプロパガンダが蔓延している。いつになればこの闇は晴れるのだろう。

 

 一昨年は朴槿恵が弾劾で大統領の座を追われ、親北の文大統領が誕生した。裁判所や政府の奥深くに北の影響が現れ始め、国際世界が注目する中で国として約束したことも簡単に反故にし、この後に及んで北の支援としてお金まで出そうとしている。北のロケットマンは米国や日本に対して過激な発言をやめず、核と弾道ミサイルの開発に精を出している。北が核を使う可能性は未知数であるものの、これを放置すれば確実に闇マーケットに核が流れ世界は破滅へと導かれる。こんな状態は長く続けてはいけない。病を放置すれば世界が死に至るということだ。

徒然なるままに-トランプ大統領に思う

  「America First」を連呼しながら、トランプ氏はアメリカ大統領に就任した。就任前から、メキシコとの国境に壁を築くだとか、GMTOYOTAのメキシコ工場は認めない、TPPから離脱する、などなどTwitterの発信は半端ではなかった。まさにアメリカの国益の為なら何でもするという強い信念がうかがえる。確かに仕事のない国から一攫千金とは言わないまでも、多くの移民がアメリカに流入し、アメリカ人から仕事を奪ったことも事実、また麻薬なども一緒に持ち込まれているのだろう、治安の悪化にも一役買っている。賃金の低い国からの輸入品には国内生産品は太刀打ちできない。よって高い関税により国内産業を保護するというのも、America Firstの一環、考え方は極めてシンプルである。

 

 そして1月20日に大統領就任式があり、その後はTwitterで囁いた施策を大統領令として着実に進めている。TPP離脱、メキシコ国境の壁、どうやら本気らしい。マスコミは連日トランプ反対デモを映像として流し将来を悲観視する論評をはっていたが、ダウ平均は20,000ドルの大台を超え、米国経済はトランプへの期待に脹らみ始めている。実に皮肉なものである。そもそもマスコミは反トランプとは正面きって言わないけれども、演説や記者会見から負の要素を抽出し大きく取り上げて、自分たち米国民の選択の過ちを煽っているかのようだ。

 

確かにトランプ氏の女性を蔑む考え方やイスラム教徒全体への偏見、不法移民を含むマイノリティへの口撃には、アメリカ大統領としての資質・モラルに欠ける点があるのも事実(と思う)が、信念に基づく決断力やスピードは逆に大統領として申し分ない。また、トランプ政権の閣僚人事もなるほどと納得する点が多い。しかし、この先の株価の行く末がそうであるように未来は誰にもわからない。"神のみぞ知る"である。

 

仏教の教えに、「一切空」というものがある。"この世に善悪というものはない。人が作り・決めた全ての物事には正邪はない。" と言うものだ。そういう意味では戦争も、敵対するそれぞれの国の正義を掲げて残忍な殺戮を繰り返す。そして歴史がそうであるように敗戦国になった途端に正義は悪と評されるのであるが・・・。それでは正義というものは無いのか?、というとそういうわけでも無い。正義は利他の心、利他の考えで行った行動にあるというものだ。キリスト教の黄金律にもある「隣人を愛せ」という教えである。※イスラムの教えにもあるが少々複雑なのでここでは省略する。

 

言いたいこと(私の考え)は、トランプ政治の正邪を表面的に捉えても無駄であるということ。トランプ氏がどれほど利他の考えで政治を行おうとしているか、マスコミおよび米国民には判断して貰いたい。多くは、誰かの利益が誰かの不利益になる構造なのでこの判断は非常に難しいのだが、富や名声、権力欲といった利己心が無いことが大切で、そこを判断のポイントとして貰いたいのだ。この場合判断する側も、自分の利益・不利益を判断に加えてはならない。あえて私の判断を述べるなら、異質でモラルに欠ける欠点、常識の枠を超えた乱暴さはあるがは、財団を隠れ蓑に邪に近い振る舞いを行うヒラリーに比べてトランプは米国大統領に値する。

 

但し、これが米国が祝福される条件かどうかはわからない。そもそもアメリカは世界を視野に入れて判断・行動する宿命を持つはず。失敗はしたものの世界の共産化に抵抗したあの正義感は忘れないでほしい。世界の警察を放棄したと同時に実質イランの核開発を容認したことは、明らかに世界の寿命を短くする行為だ。アレッポで1日も早い戦争終結を待つ市民を見て見ぬ振りをすることも正義なのか? まだトランプ氏に世界に対するダイレクションは見えてこないが、ここにも頭を悩ませる大統領であって貰いたいものだ。

 

これからの米国が神の祝福を受けるのか。それとも神から見放された国となるのか。世界情勢と共にしっかりと見ていきたい。

働き方改革

  電通社員の自殺という悲劇はここにきて経営責任にまで発展し、少なからず国内の企業に影響を与えている事だろう。そもそも36協定の上限が月間80時間というのが異常だが、これが許される労使関係(組合の有無は知らないが・・・)も全く機能不全に陥っていると言わざるを得ない。或いは会社は報酬のみで社員に報いるという割り切った考えを双方が持っているということか。しかしこの問題の本質は長時間労働では無く、上司のパワーハラスメントであることは明白である。誰しも人格を否定され続ければ病気になる。そのようなマネジメントを許している会社(経営陣)に大いに問題がある。

 

  パワーハラスメントの問題については議論の余地はなくGuiltyということであろうが、この電通問題が現在政府が進めている働き方改革に拍車をかけていることは間違いない。ところでこの働き方改革、単純に長時間労働と言った問題では無く様々な問題が絡み合った複合問題であり、一筋縄ではいかないことは会社人であれば容易に想像ができる。政府はパンドラの箱を開けたと言っても過言ではない。どうか途中で投げ出さず最後まで取り組んでもらいたい。

 

  まず長時間労働問題の本質は、長時間労働を強いられること、或いは経済的理由で長時間労働せざるを得ないこと、前者は明確な命令がなくともそうせざるを得ない状況に追い込まれている例がほとんどで、後者は会社に貢献した社員が報われるのではなく単に長く働いた社員に多く支払われるという不条理を引き起こしている。ただし、両者ともに自ら望まない長時間労働で有り、継続して良い(効率的な)仕事ができるはずがない。ストレートに数字に現れるわけではないが会社の業績を押し下げている大きな要因である。また、今更言うまでも無いが、長時間労働は女性の社会進出を妨げ、少子化に拍車をかけている。

 

  長時間労働の原因は、仕事量と人員がバランスを欠いていること。企業は国際競争が激しくなる中で相当な効率化を求められてきたが、その中心になったのが人件費である。一方、人員減に対して仕事の効率を上げていかなければならないものの、システムやツールの導入にとどまり、抜本的な仕事の見直しがそれほど進んでいないこと。例えば大企業では、大勢の役員が連判した決裁書が回付されていたが、今は同じ形態でシステム化されただけ。欧米流の責任者一人の判断で物事を決める形態には程遠い。

 

  正規非正規問題は雇い止め制度とも密接に絡んでいる。企業はリスクを取れないゆえ非正規の採用を行わざるを得ないが、ここに金銭解決による雇い止め制度が導入されると、非正規の割合も欧米並みに減っていくに違いない。決して同一労働同一賃金の議論で終始させてもらいたくない。数年前に議論になったホワイトカラーエグゼンプション制度も骨抜きになってしまった経験がある。

 

  蛇足になるが、日本人の労働生産性は欧米と比べてかなり低くOECD加盟35ヶ国中の18位で、国民一人当たりのGDPは394万円で、同591万円の米国のほぼ2/3の水準になる。(※公益財団法人 日本生産性本部)どれだけ働けば豊かになるのか、日本はまだまだ発展途上の国である。

 

(追記)"36協定の上限が80時間と言うのが異常"と記載したものの、上場企業の7割が上限80時間という情報を得た。真偽は未確認であるが働き方改革実現会議検討委員の方の発言として確認したので正しい可能性は有そう。