二等車に乗る男【内田百閒】

内田百閒先生、二等には乗らず。 

 かつて長距離列車には一等車から三等車までの運賃の違う車両があった。

言わずもがな一等は広々として、寝台列車であっても寝る場所以外に物を読み書きしても余るスペースがあったそうだ。

三等は大変狭く「夜通し固い座席で突っ張ったままでいなければならない」とある。

 

 今みたいに新幹線なんてものが無かったため、長距離を移動しようが今の普通列車よりもやや遅いくらいのものに乗るしかなかったのだろう。長時間拘束されるという性質上、車両の質の善し悪しはイコールで天国と地獄の境目であったのだろうと思う。

 

百閒の書いた随筆にこういうくだりがある。

 

私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。

そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。

しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔つきは嫌いである。

<阿呆列車/内田百閒/筑摩文庫刊/P.7>

 

手痛い言葉だなぁ。

僕は二等に乗る男である。一等に乗る器量も三等に乗る忍耐力もない。

人生って割り切るか楽しむかのどちらかであった方が面白くなると思う。

 

「移動でしかないなら三等に、旅行ならば一等に乗らなければ」

 

って話。