Topaztan’s blog

映画やドラマの感想や考察をつづっています

光る君へ 第15回まで レビュー

 現在放映中の大河ドラマ『光る君へ』、視聴率は最近10%ほどながら、Xなどを見る限り視聴している人は平安時代好きを中心に好評なようです。考証の倉本一宏先生も、ドラマのような紫式部道長の恋愛関係はあり得ません、でもドラマはドラマとしてお楽しみくださいと宣言した上で、積極的に平安時代の情報を発信しておられ、それも視聴者への大きなサポートになっていると感じます。他にも最近は各種研究家が大河に好意的に絡めて情報発信しており、平安時代という意外に一般的に馴染みのない時代の理解の助けになっていると思います。

 

 かく言う私もそこそこの平安時代好きなもので、初回を観た時にこりゃ傑作だあ!!という手ごたえを感じ、嬉しくてたまりませんでした。初回に、まひろ(紫式部)の母が藤原道兼に殺されるというスーパー虚構をぶっ込まれたのは確かに度肝を抜かれましたが、それ以外の点では現代とは色々異なる文化や考え方をなんとか表現していこうとする意気込みも感じ、好印象。その後何回かはワクワクが抑えられない日々でした。

 ところがしばらく視聴するうちに、あれ…?と思うポイントが増えていき、いつしか観るのがちょっとつらいレベルにすらなってしまいました。回によって多少違いはありますが、最初の数話のようにウキウキして観るぞ!という感じではなく…。じゃあ観なければいいという話ですが、でも全くつまらない訳ではなく、面白ポイントも色々あり、観続けないというのももったいないなあと。なにしろ平安時代、しかも源平合戦など末期でなく道長あたりの時代がドラマの舞台になることは滅多にないので、あっ、あの人物があの人物と喋ってる!とか、あのエピソードの実写が見られるとは!とか、それだけで嬉しくなってしまうのも確かです。

 そこで自分なりに、どこが面白く、どこが引っかかるのか整理してみました。

1.面白い点

◼️当時の社会構造を描こうとしている

 大河ドラマでは歴史上の有名人が主人公になる場合、下層階級を含めた経済社会の全体的な状況について描れないことがよくあります。あたかも社会の上層だけで社会が完結しているような感じで、彼らの飲み食いするもの、着るものはどのように調達されているのか、また勤め人にはどのように給与が支給されるのか…などに気を配って描写されることは少なかったと思います。

 しかし本ドラマは、宮中に仕えた紫式部や最高権力者にのぼりつめる藤原道長が中心であるにも関わらず、そのあたりを意識的に描こうとする取り組みが強く感じられました。

 たとえば平安中期には貨幣経済は衰退しており、給与は布や米などの支給、市では物々交換がなされていましたが、それが随所でさりげなく描かれています。また漢詩の会の後では、出席者の貴公子の肩に衣装がかけられていることで、平安時代に詳しい人ならピンとくる、衣装で支給された「かづけもの」が授けられたことが描写されます。

 上層以外の世界の広がりということで言えば、従者の乙丸、百舌鳥彦、乳母のいとなど、まひろや道長に関わる平民の登場人物がいきいきと魅力的に描かれていることも特徴でしょう。なかんずく散楽のメンバーである直秀とまひろ・道長が深く関わっており、それが物語のキーポイントになっています。今後何らかの役割を果たしそうな、まひろから文字を習う民の子供なども登場し、なんとか、貴族層である主人公クラスの人々と庶民層を交わらせたいという意気込みを感じます。

◼️宮廷の権力構造を描こうとしている

 詮子と円融天皇のやりとりで、早くから「国母」の概念を伝えたり、また入内すれば娘といえど父よりも立場が上になることを描いたりなど、現代人に馴染みがなく、感覚的にも理解しづらい権力関係をわかりやすく描こうとしてることに好感を持ちました。「国母」たる詮子の権力性を入念に描き、かつ詮子の権力への執着を、父や兄との対立と結びつけ、権力がなければ自分や息子が彼らから排斥され命も奪われかねないと危惧する母心に繋げた創作も興味深いです。これは国母になる彰子へ繋げていく重要な要素なのでしょう。詮子は特に兼家と対立的であったという史料は見当たりませんが、彰子は道長としばしば対立し彼のやり方に怒ったことが史料に残されています。それを遡って投影したのかもしれません。

 また娘の入内→皇子を産む→その皇子が東宮へ→天皇に というラインが一族の繁栄につながること、また貴族間においては、血筋がよく裕福な姫の婿になることが重要であること、などが繰り返し述べられ、現代においてはかなり個人的なものになっている婚姻や男女の愛といったものが非常に政治的であることを印象付けています。

 他にも、

 ・貴族の場合は正月に決定される除目で官職を得る。官職を得られないと1年間碌が得られず厳しい状態になる。

・正式ルート以外にも上級貴族に取り入ることで正式な官職以外で碌を得る可能性がある。

 などの基礎情報も上手に伝えられていると思います。

◼️歴史上の有名な逸話や源氏物語枕草子などのモチーフを散りばめていて、多少知ってる一般視聴者も楽しめる

 世の中で意外に多そうな「ちょっとは平安時代を知ってる」層が、「あ、これ、知ってる知ってる!」と思える小ネタを色々仕込んでいるのも大きな特徴です。

 「雀の子を犬君が逃がしつる」や、女三の宮と猫、雨夜の品定めなど、多少源氏物語に親しんでる人なら知っているような逸話の要素を各所に散りばめて、それらの人々に楽しめるようになっています。「源氏物語」を原文はもちろん現代語訳でも読み通した人は少ないでしょうが、漫画「あさきゆめみし」など様々なコンテンツで描かれたりしていますので、間接的になんとなく内容を知ってる、印象的なエピソードは知ってるという人は多いと思われます。また高校の古文で源氏物語に触れた人も多いでしょう。籠で飼われた雀や紐で繋がれた猫が逃げるのは、慣習によって押さえ付けられても溢れ出るまひろや倫子の生命力のメタファーとも見え、作劇的にも興味深かったです。

 

 またもう少し踏み込んだ知識を持っている人たち、一般的な歴史好きへの「これ知ってる!」サービスにもこと欠きません。「奇行をする花山天皇」「一条天皇の高御座に生首」などのエピソード、また枕草子二十二段「生ひさきなく、まめやかに」で清少納言が世間一般の結婚の幸せを夢みる女性がバカみたいだといい宮仕えを称賛するシーン…などが描写され、あれが実写化された!という楽しみを与えています。ことに定子と清少納言の関係は枕草子から色々ピックアップして映像化されており、次回は有名な香炉峰の雪のシーンもありそうです。

◼️あまり知られていない話も踏まえ、全体的にイースターエッグ探しの楽しみを提供

 上記のような「よく知られている・ある程度知られている」逸話以外にも、細かな史料・物語の要素が巧妙に散りばめられています。それゆえ平安時代に詳しい層にこそ、「よくぞこれを入れ込んでくれた」的なマニアックな満足感を提供するものとなっており、それが本ドラマが平安時代に詳しい層にも受けている要因かと思われます。

 

 たとえば左大臣家が初めて現れる夜の土御門邸のシーンにも、様々な物語や史料の要素が詰まっています。穆子が雅信に、新しい装束が届いたのでお召しになりますか?と訊きますが、これはのちに穆子が婿の道長に、夏冬ごとに夜と昼の装束を一揃いづつ、終生贈り続けた逸話(栄花物語)を想起させる描写です。穆子が道長を気に入って、あんな青二才の道長など…と婿取を渋っていた雅信に強力にプッシュした栄花物語の逸話は有名ですね。ちなみに彼女は婿の道綱に対しても、娘が亡くなった後も同様の援助をしたとされています(道綱は倫子の妹の中の君を正室とするも出産で彼女は死亡。生まれた息子は道長の養子となり、道綱は道長の側近の源頼光の娘を正室に)

 これは夫の装束の調達が北の方の大事な役割であることを示すと同時に、彼女のまめやかでしっかりした性格も示されてるのでしょう。夫の装束を北の方が用意する大切さは、まひろの母が為時の衣装を用意するシーンでも描かれます。

 またそれに対し雅信が、今は倫子の琴を聴いていたい、と応えたのは、娘を溺愛しているさまと、『郢曲相承次第』(宇多源氏の歌謡相承系譜)で雅信が「音楽堪能、一代之名匠也」と言われるほど音楽の名手だったことを表してると思われます。

 倫子が琴を弾いているのは、枕草子にも書かれている、当時の姫君の嗜みの一貫です。後に村上天皇の女御となる芳子に対して、父師尹が課していた教養が、書道と琴の練習、『古今集』の全巻を暗記することでした。これは定子がサロンで古今集の暗唱テストを課した際に話した逸話として枕草子に書かれています。古今集の暗唱については倫子のサロンで赤染衛門が先生としてされていましたね。

 

 第14話でも、淡路守から献上された鯛を道隆一家が堪能するシーンがありますが、そこにもその種の仕込みがあります。道隆がやや唐突に、(このように献上するということは)下国の淡路から、より上国に任じて欲しいのだろうという話がなされますが、それは紫式部の父為時が長徳二年の除目で淡路守に任ぜられたが、三日後に道長が参内して俄かに上国の越前守に任命され直した件を踏まえている、あるいはそれを今後描く布石かと思われます。

 

 また私は漢詩には詳しくないのですが、漢詩も積極的に描写されていて詳しい人がインターネット上で色々解説しており、そのあたりも「詳しい人向け」へのサービスのように見受けられます。漢詩を学ぶことが貴族男性の必須の教養であったこと、女性は漢詩の素養は求められていなかったことが描写され、その上で高階貴子・紫式部清少納言(そしておそらくは定子)が漢詩に堪能であることの異質さが際立たせられています。

◼️「平安時代らしさ」を醸し出す人物たち

 上記のこと以外にも、平安時代らしいと感じさせる人物たちの登場がまたドラマの「それらしさ」を増します。兼家・雅信・頼忠の個性豊かな重鎮貴族の演じぶりもドラマに雰囲気と重みを与えていましたが、他にも以下の人物たちがとりわけ時代を感じさせるものがありました。

 

安倍晴明

 本ドラマの大きな魅力のひとつは、なんといっても安倍晴明の描かれ方でしょう。かなりフィクショナルにも関わらず説得力を持って描かれており、違和感がないどころか、実際の晴明の雰囲気を、ひょっとしたらいくばくかでも再現しているかも…と思わせるものがあります。

 ドラマ晴明は史実よりもかなり若い年齢に見えますが(史実では花山天皇即位の永観2年(984年)時点で63歳)、中年のややくたびれた感じの人物造形で、今までエンタメで描かれてきた青年的な晴明に比べてその意味でも新鮮です。夜に天体観測をするために日中はやつれて不機嫌気味、権力者の後ろぐらい相談にも乗ればオフィシャルな相談にも乗る、何かの重要な物事の実行日を占って決める、など、超自然的な存在というよりも現実社会を生きる生身の人間としての晴明を描いていて、目が離せません。このドラマ第一話の初めに登場したのが、大勢の陰陽寮の役人(?)たちと天体観測をする晴明というのもなかなか象徴的です。

 従者の須麻流も、セリフは少ないながら大きな存在感を持って晴明の傍に侍していて印象的です。眼差しや表情で時には視聴者の感情を代弁し、時には共犯的な感情を示し、他のエンタメでよく親友として描かれる源博雅とはまた違うバディ感を醸しだしています。また彼は、花山天皇退位の折の、牛車が通り過ぎたことを告げたという有名な式神の報告(大鏡)の役割も担っており、超自然的存在と見える「式神」が生身の人間に置き換えられてることも、上述の「人間・安倍晴明」の描写と合致します。

 

 それではこのドラマの晴明は完全に世俗的かというと、そうでもありません。星を読んで予言したりするなどの神秘性も持ち合わせていますし、兼家が晴明の言葉を密かに怖がることも描写されており、現代人の視聴者が見ても「敵に回したらなんだか超自然的な怖いことが起きそう」という感じを受ける存在に。金を積まれれば動くこともあり、兼家らと丁々発止のレスバトルをする様子は、一歩間違えば宮廷を泳ぎ回るだけの単なる政治屋にも見えてしまいますが、そうではなく異世界と交信できる存在ともと思わせられ、そのバランスが絶妙です。平安時代という、呪術と宗教と合理性の糸が複雑に織りなす世界を体現する存在として、このドラマ随一でしょう。

 もっとも、これまでのドラマの描写では晴明は天皇か右大臣家のためにしか働いていないような感じですが、古記録では兼家の属する九条流(藤原師輔の子孫)との関係よりも、むしろ実資の属する小野宮流と近しかったことが読み取れます。『小右記』では実資の元に晴明が頻繁に出入りして私的に奉仕し、妻の出産や子供が病気になった時の祓えなどを勤めていたことが記されています。花山天皇にも色々奉仕活動をしていますが、一条天皇期に入ると晴明は天皇道長に大変重用されるようになり、彰子の入内の日を占ったり道長に期日の吉凶の件で助言したりしています。一条天皇期の様子を遡らせて兼家らとの関係に反映させているのかもしれません。

 

藤原実資

 ロバート秋山氏がキャスティングされた時、どんな実資になるのか見当もつきませんでしたが、蓋を開けてみるとピッタリな感じで驚きました。ふくよかな体型で平安貴族の装束が似合い、絵巻物で描かれる貴公子はこういう感じだったのかなと思わせます(貴族は外をそれほど出歩かないのでもう少し色白だとは思いますが)。また有能ゆえに融通が効かなそうな頑固な雰囲気、時には正論を吐くも、上位者の前では内心閉口しつつ一応その場は合わせることもあり…などが、小右記などから伺える実資を彷彿とさせます。

 もっとも他のキャストで女性に人気という設定の男性キャラクターがみな今風の痩せてヒョロリとした体型の人ばかりなので、ドラマ内で整合性取れてないな…とは思いますが、彼の存在が平安時代のリアルの風を吹き込んでるのは重要と感じます。

 ドラマ内でもよく日記を執筆している姿が描写され、小右記の執筆が視覚化されているのも歴史好きには嬉しいサービスです。くどくど愚痴ると、聞かされるのにうんざりした奥方に日記に書けば?と言われるというのも面白い趣向です。

 

2.引っかかる点

 

 さて2で述べたように、平安時代について少し知ってる層・深く知ってる層にもそれぞれ楽しめる史料や物語の引用の目配せを配し、また当時の社会を庶民も含めて全体として描こうとすることに大変好感を持ちました。上記のことはまた、現代社会と隔絶した当時の人々の行動原理や社会背景への理解を促し、登場人物の言動について納得性を高めるという効果にも繋がります。

 ですがそういった工夫が随所にあるにも関わらず、物語単体で見るとおかしなところが目立つ、というのが、話の進行に従って気になりだしました。物語への没入感を妨げる「これって不自然じゃね?」「なんでこういう展開なのかよくわからない」という点が増えてきたのです。それは平安時代の知識に関することもあれば、人間一般の言動としてというのもあります。また「わかってる人がわかってればいい」的な説明不足も目立ってきました。

 つまり言い方を悪くすると、知的スノビズムを刺激する情報を大いに提供するけれども、それに引き比べて物語のリアリティやわかりやすさに対する工夫への熱量は感じられない、ということです。

 

1)リアリティの欠如・不自然な描写

◼️顔を見せすぎな女性たち〜平安時代といえば女性は顔を見せないという「常識」に逆らう描写

 平安時代にどんなに疎くても、「高貴な女性は顔を恋人や夫以外の異性に見せない、御簾で仕切ったり扇や何かの布で顔を隠す」という原則を知っている人は多いと思います。しかしまひろを初め、作中の貴族女性は驚くほど顔を見せまくりです。街中を、市女笠を従者に持たせるか、もしくは一人で軽くかづきを掲げて、顔をみせて歩き回るまひろ。男性陣の前に完全にあらわになった桟敷で打毬の見物をする姫君方…いくら映像映えのためとあっても、当時の慣習としてありえなくないか?という違和感が拭えない表現が多すぎです。

 それを言うならお歯黒や平安的化粧は??などと言う人がいると思いますが、それらは「わかってるけどお約束としてやらないしそこまで求めない」、という認識を、大方の視聴者も制作者も持っていることであり、また実現可能性としても低いものであります。お歯黒や平安風の化粧をドラマで視聴者に違和感ない、美しいものとして実行するのはかなり難しいのではないでしょうか。『平清盛』でお歯黒やいわゆる麿メイクがなされたのは話題になりましたが、貴族階級の陰湿な感じを演出する目的のメイクが多いように見えました。美しく見せたい人物ならば、たとえ公卿や皇族といえど普通のメイクにされていたのです(例: 以仁王)。

 それに比べて御簾で仕切るなどで顔を見せ合わないやり方は、映像表現としてそんなに難易度は高くありませんし、やらない意味がよくわかりません。そして、じゃあこの世界では女性が顔を見せるかどうかが重要なマターではない、全く問題にならないという価値観で統一されているのか、というと、そうでもないのがまた認識を混乱させます。一貫して男女間で御簾を全く使わない、市女笠もかぶらない、というなら、かえって整合性があるというものですが、場合によっては使うし、なんなら重要な小道具として登場することもあるのです。ききょうやさわは市女笠を被り虫垂れぎぬを下げていますし、初めて倫子を訪う道長が御簾を掲げて部屋に入るシーンは、御簾が二人の隔ての象徴的であるように描かれています。

 御簾はこのドラマ世界では、女性と男性を遮るものというよりは、天皇とそれ以外の男性を隔てることを可視化するものとして主に機能しているようです。たとえば天皇が大臣たちと会う時は、必ず御簾で隔てられます。花山天皇が御簾越しに安倍晴明と話していて、晴明の言葉に思わず御簾から走り出てくるシーンがありますが、これは御簾という重要な身分の隔てもかなぐり捨てるくらい花山天皇が動揺したという演出でしょう。

◼️物語に都合のいい駒としての庶民

 上記で社会構造を描こうとしており、庶民が生き生きと描かれていてキーパーソンである、ということを述べましたが、そうは言っても庶民は結構都合のいいように使われてるなという印象もあります。

 たとえば直秀。散楽のメンバーであり、幼い頃から通って見ていたまひろに好意を持った男です。彼は神出鬼没に出現してまひろと三郎の情報をそれぞれに与えて間をとりもつことに尽力し、最後は右大臣家を揶揄した芝居を作ったかどでとらえられ、鳥野辺で仲間と共に処刑。視聴者の涙を誘いました。しかし彼の行動は、冷静に考えてみると不思議なことだらけです。

 まず、自分が好きな女性が好きな別の男性とのとりもち役をかってでる男っているのだろうか?ということ。平安時代の文学にそのような人物が出てきたということは管見の限り知りません。

 そして彼がなぜ、どのような点でまひろを好きになったのかもよくわかりません。彼は貴族階級への憎しみがあるわけで、貧しいといえどまひろは庶民ではなく、かなり隔絶した存在です。にも関わらず好きになり、あまつさえ右大臣家の子息へのあんまり将来性なさそうな恋を応援。なんだか少女漫画でたまにでてくる、主人公の女性の恋を応援してくれるかっこいい登場人物(自分もほのかに好きだけど身を引く)のようです。あんまり現実味がありません。

 そして彼の死にまつわることも色々疑問があります。金を握らせて手荒なことをするなと道長レベルの上級貴族に命じられた結果が、流罪判決→でもやっぱり鳥野辺で処刑 になるののも不可思議な感じです。流罪は普通流刑先まで送り戻ってこないよう監視するという結構費用のかかる刑罰であり、一定の身分以上に適用されるものです。手荒なことはするなであれば、たとえば鞭打ち10回のところを半分にするとか、手の骨折るのを指を一本切るくらいにするとかにするというのが自然な解釈で、道長もまあそう考えたんかじゃないかなと見えますが、なぜ検非違使が流刑→やっぱり処刑 にしたのか謎です(道長への反感という意見もありましたが、上級貴族の命に反抗するのはかなり危険な気もします)

 処刑するつもりのメンバーを鳥野辺に運ぶという意味もよく分からず。アクセスといい、河原で処刑が手っ取り早いのでは?河原といえば、まひろと道長が幼い頃から会ってた河原に全く死体がなく市民の憩いの場みたいな描写もかなり違和感ありましたが、河原は当時は死体を捨てる場所であり、デートスポットではなかったはずです(貴族が川遊びすることはありますが、そのような場所は庶民が出入りできないようなエリアでしたでしょう)。

 そして誰しもツッコミたくなる、素手で墓掘りシーン。まひろと道長の穢れを気にしないほどの強い気持ちと二人の絆の演出のため、なのはわかります。しかし畑などの柔らかい土にちょっとした大きさのものを埋めるのだって素手では大変なのに、草ぼうぼうの普通の硬い地面に数人分の遺体が入る穴を二人で、しかも土仕事などしたことない貴族の若者が掘るのは、大変非現実的。そして手でまひろの着物についた土を払う道長という演出もありましたが、いやその土のついた手で払ってもあんまり意味なくね?と。ものすごく大量の土がついてるならまだしも、軽く汚れてる程度だったので、かえって土ついちゃうがな…とヒヤヒヤ。

 それらの不自然な話は、物語の要請上生じたものであると考えるとわかりやすいです。

 Start: まひろと道長の間に特別な絆を作りたい

 &まひろと道長に庶民へのシンパシー感情持たせたい

 →庶民の娯楽である散楽を2人して幼い頃から見てる設定で、なんかそこでつながり持たせよう

 →まひろと道長がスムーズに付き合うには色々障壁があるので、お助けマンとして散楽メンバーの直秀を使おう

 →まひろと道長が庶民のために頑張ろうと決意する契機にするため、直秀にショッキングな死を与えよう・それには道長が罪悪感を持たせるような理由を作ろう

 →ビジュアル的にも二人の絆を強調するため、二人で直秀の墓を掘らせよう

  

 などという段取りがあったように見えてしまうのです。直秀はそういう物語に都合のいい駒として使われた感があります。(なお、彼がいきなり打毬の会に誘われてちゃんとこなしてるのも不自然です。そういうのは、日常的に乗馬とプレーの訓練ができる有閑階級だからこそできることであって、散楽メンバーにはそのような経験が積めるとは思えません。彼はもしかしたら没落貴族なのかもですが、そのような匂わせもなく、また彼の貴族に立ち混じられることの違和感も表明されないです)

 

 またまひろが仮名を教える庶民の少女の扱いも、かなり「都合いい」展開だなと思いました。

 まひろの市での呼びかけで興味を持った少女は、わざわざまひろの家に行って文字を学びます。結構長く通ったらしく、上達して褒められています。しかしいつしか来なくなってしまい心配していたら、たまたま発見した家で家業の畑仕事を手伝っており、父親はまひろに対して余計なことをするな、貴族のお遊びに付き合うほど暇じゃないと怒ります。

 私はまず、庶民であれくらいの子供はもう労働力としてあてにされているだろうから、呑気にまひろの家に通うのは難しいのでは思いました。しばらくして案の定親が怒るのですが、タイミング遅すぎだろうと。一回行ったら、どこでフラフラしていたんだと怒られて2回目はないのが普通だと思います。それを引き延ばしたのは、ある程度交流があって文字を習うことに成功した、とする方が、その少女の悲劇性(能力はあるのに家庭や社会環境で伸ばせない)を高めるためかと。全体にこのドラマでは、こうした方がドラマチックだと判断されて不自然なシチュエーションでも強行されるシーンが多く感じます。

 

2)用語や登場人物の説明不足によるわかりにくさ

◼️用語説明などが手薄でかなり不親切設計

 平安時代ならではの用語や文化をちゃんと描こうとしているのは見どころではありますが、一方でその説明がかなり不足してるなあという印象も強く持っています。

 たとえば「妾(しょう)」。

 私が見落としてるかもですが、この言葉は蜻蛉日記の作者道綱の母が登場した時に、ナレーションで「しょう、つまり嫡妻以外の妻のひとり」と説明されたきりです。これを視聴者印象深く覚え続けられれるかどうか、結構難しいところだと思います。そもそも「妾」という漢字すら表示されないので、わかりにくい。それがしばらく経って、まひろが道長と関係を持った後、私を北の方ではなく「しょう」にするのかと問うシーンで出てきますが、そのような重要ワードはも字幕で出すなりする必要があると思います。

◼️婚姻形態についての説明不足・矛盾

 先に挙げた「妾」とも関係しますが、婚姻形態についてかなり混乱させる描写が目立ちます。

 婿取りに関しては、しきりに金と血筋の良い女のところに婿取られるのが良いという考え方が、ドラマのセリフで出てきます。確かにそれは当時のあり方にそぐわしい発言なのですが、その一方で、父親が失職し経済的に窮乏したという設定のまひろに「金持ちの婿が来てくれれば養ってもらえる」ということを父も為宣も信じてるのが、なんとも矛盾しています。

 金回り・血筋・父親の権力 のいずれかがあれば、全部揃ってなくても婿側にメリットがあるので婿取りできる可能性はありますが、まひろは全てにおいて詰んでいます。金持ちな男が万一まひろに懸想することがあるとして、その場合は男が婿取られるのではなく、単に通うだけか、せいぜい「召人」(めしうど)としてその男の屋敷なりに住まわせるになるだけでしょう。そういう立場であればまひろも裕福な男に「養われる」可能性がありますが、婿取りという形態を望むのはなかなか無理があります。

 またまひろが「北の方」にしてくれるのかと11話で道長に言うのも、上記の理由から不自然なことです。婿取り自体が厳しいのに加えて、上流貴族の子息と中流貴族の娘という身分差があるからです。まひろの前の世代は、高階貴子や藤原時姫、道綱母など出自は中流貴族でも上流貴族の妻になったり、場合によっては嫡妻になったりした例があります。道綱母は10世紀中頃に正式な結婚手続きを経て兼家の妻になり、しばらくは先に結婚していた同じ中流貴族の娘の時姫と、どちらが北の方ともつかぬ状態でした(結局時姫が嫡妻になりました)。その道綱母にしろ時姫にしろ、実家がかなり太いという条件があるのは見逃せません。

  

 北の方〜はまひろは本気で言ってるのではないという意見もありましたが、正直色々型破りなまひろがそう思ってる確証もありません。それに婿取る、北の方になる、ことの難しさについ、私が上でしたような説明を何もしていないドラマで、そこまで視聴者に読み取ることを期待するのは大変不親切です。

 

3) 女性描写の違和感

◼️現代人まひろ

 まあこれは過去の大河でもあったことですが、主人公まひろがなんとも現代風なところです。いったいどこでそのような考え方をインストールしたかよくわからない、現代人的な発想の言動をよくしているからです。かぐや姫の解釈で見せた、みかどなど何するものぞという発想、貴族が政をよくすることで平民を幸せにするという考え、平民に教育を施すことで自衛する力を与える…それらは正直、当時の価値観としてはなかなか出てこないものでした。

 これらの考えは源氏物語にも紫式部日記にも、紫式部集にも出てきません。庶民に対する感慨のようなものは、源氏物語の「夕顔」で、裕福でない夕顔の邸に泊まった光源氏が、庶民の立てる物音を聴いて驚くシーンがありますが、それくらいです。

 もしドラマ内で、彼女の考えに影響を与える人物なり考え方なりが提示されればまだしもですが、そんなこともありません。よく観ると、どうも漢文を通じて良い政について父が学び、まひろも聞き知ってるような口ぶりが出てきますが、具体例はありません。

 ききょうが庶民を軽蔑する風を見せますが、こちらは枕草子にそのような記述があるのでまあそうだろうなと思いますが、ドラマでは現代人まひろの優しさ引き立てるために描写されてるような気がします。

◼️愚かな姫君たちと賢い姫君の対比…しかし漢詩の素養などは本人の意識の問題か?

 まひろ(やききょう)と対比される形で、しばしば愚かな姫君が登場します。倫子サロンの姫たち、さわ…倫子は愚かではないけれど、漢文がわからないし文章読むも苦手という設定。ドラマ内の描写だけでは、そのような姫君たちの素養のなさ的なものが、もっぱら本人の資質のように見えます。つまり努力を嫌う怠け者で夢見がちの姫君(マジョリティ)対、しっかりした意識を持ち努力家のまひろやききょうという対比に見えてしまうのです。

 しかし彼女たちの個人的資質ももちろんありますが、バックグラウンドも大きな要因としてあることを忘れてはなりません。ドラマ内で出てくる賢い女性、特に漢文にも通じた女性は、まひろ、ききょう、高階貴子、赤染衛門道綱母(ドラマ内で漢文の素養は示されませんでしたが)、がいますが、いずれも父親が学者であるのです。今風にいうなら、彼女らはそのような特殊な文化資本があったために、充分学ぶ機会があったということでしょう。

 また高階貴子の漢文の素養があるのは、世代的な「働く女性」としての側面もあります。彼女の世代までは、女性も宮中で重要な実務を担う女官になることが可能で、彼女はまさに内侍として円融天皇に仕え、漢才を愛でられ殿上の詩宴に招かれたりもしました。しかしその後は貴族の女性が出仕すること自体がはしたないことのように思われるようになり、紫式部紫式部日記で宮仕することへの当惑などを綴っていますし、清少納言は逆にそれに抗う考え方を枕草子で述べています。当時は、女性は漢文などを学んで男性に伍して働くのではなく、良い婿を取ることを願って家にいることが良いのだ、という規範が浸透し始めている時期であるという社会的な背景説明なしに、なんだか勉強好きなまひろやききょうは他の女性よりしっかりしてるなあという印象をドラマでは作っています。いわゆる主人公アゲの一種のように感じます。

◼️「働く女性」も手放しでは礼賛されていない

 では本ドラマで「愚かな姫君」ではない、漢文などを嗜む「働く女性」が無条件に礼賛されているかというと、そうでもありません。枕草子二十二段、実はそのまま描かれてるわけではなく、ききょうはやや疑問符のつく描かれ方がされています。宮中に出仕したい理由はききょうは今でいう自己実現のためであり、「子供を夫におっつけてしまおう」と言っており母としての勤めを放棄しているような、ややわがままな感じなのです。実際の二十二段は、確かに結婚に夢見て引きこもる女性を批判していますが、子供がどうとかは語っておらず、むしろ宮中出仕は妻として家を取り仕切るのに役立つという書き方で、別に自己実現のためではありません。

 全体的に女性陣がどうもまひろの引き立て役であるのが多いのが気になります。

◼️シスターフッドへの懐疑的眼差し

 ドラマでは様々な女性同士の関係が描かれますが、心からの絆というのは、定子と清少納言というビッグネーム以外はいまだ描かれていません。

・まひろと倫子

 ちょっと場違いな、ワンランクもツーランクも上のお嬢さん方のつどう倫子サロンに出入りするようになったまひろに対して、色々気配りをしてくれる倫子。御堂関白記で描かれる、フットワーク軽く色々世話をする倫子の片鱗を感じさせる描写です。まひろも姉のように倫子を慕います。

 しかし倫子が道長に恋したところから雲行きが怪しくなり。男性が絡むことで女の友情が壊れるというのもなんかなあ…という感じがしました。

倫子と紫式部については、寛弘5年9月9日、紫式部に「老いをぬぐい去る」という「菊の着せ綿」が倫子から贈られた件で、倫子と式部が対立し嫌味を言う仲だったとしてそこから広げたのかもしれませんが、わざわざ仲良しになってからと言う展開がなんとも意地悪な感じです。

・まひろとさわ

 倫子とまひろの「男が絡むことで女の友情の危うさ」みたいなのは、まひろとさわでもリフレインされます。男性なしで終生生きていこう、気の合う女性たちで暮らしていけたら、という願望を女性が語る言葉を近年よく目にしますが、まひろとさわも、まさにそのような話をして盛り上がります。

 ところが本作では、さわが恋した相手がまひろを好きで…という三角関係的展開になり、さわ激怒。好きな人が自分の親友を好きで傷ついたという筋立て自体、なんだか少女漫画味のある展開でその古めかしさも気になりますが、2回も続けてそのような構図を書いたことで、女の友情なんぞ男を挟めばすぐ壊れるシロモノなんだよ、という考え方が強く感じられ、かなり古臭く感じます。しかもそれを、昨今よくネットでも話題になる「老後は女同士でシェアハウスしたいね」的な話の次に置くことで、大変意地悪な目線を感じます。そんなこと言うなんて現実をわかってない、甘っちょろいよと言わんばかりで。

 この後仲直りするのかもしれませんが、わざわざそんな展開挟まんでも…とは思いました。あとさわがあまりにもすぐにまひろの価値観に馴染みまくって仲良くなるのも結構インスタントやなぁという印象です(ある程度物理的には恵まれてそうな衣装で、父や義理の家族に疎まれてたとはいえ家事まではやってなさそうなのにあっさりまひろと家事してたり)

 

 そもそもまひろには姉がいて大変仲がよかったし、友人たちに物語見せていたりするのを完全にいないことにされているのも非常に不思議というか、このドラマのテイストをよくあらわしてると思います。紫式部は判明していることが乏しく、描くべき関連人物がたくさんいすぎて省きたくなるような人物ではありません。にもかかわらず、そういう女性同士の友情関係をバッサリ切って、さわという架空の女性を、男を巡って仲違いするという話を作ってまで入れているだけというのは、脚本家のスタンスをよく表してると思います。今でいうシスターフッド的なものはあまり描きたくないし、描くにしても懐疑的なものを挟まざるを得ないという感じです。

 

4)その他作劇上の違和感

 

 他にも細々とした気になるポイントがあります。以下列挙

・完全フィクションなことで連続してエモーショナルに盛り上げる作劇

 まひろの母を道兼が殺害、それについて責任感感じたまひろ号泣、まひろと道長が若くして結ばれる、秀直処刑二人で泣きながら埋葬…と、かなり連続して物語の山場が完全フィクションであるのが気になりました。それらで登場人物が大泣きしたりするシーン見ても「まあ言うてもフィクションだしなあ」という気持ちが拭えず、醒めた気持ちに。確かに、たとえ史料に書かれてることでも完全再現は不可能ですし、大河なんて全てのシーンがフィクションなんだと言われればそうなのですが、それにしても史実や逸話類に全くかすりもしないことで盛り上がれ!とされても、かなりうまい作劇じゃないとのめり込めず。そしてそのような、フィクションであることを忘れさせるような作り込まれたうまい作劇や演出かと言われると、私としては、うーん…という感じでした。

・あとで逆のことをする人物になることをショッキングにするための「布石」があからさま

 主に道長について、史料に描かれる道長とは逆の言動をさせており、のちに「あの道長が若い頃と正反対のことをするようになってしまった!」というショッキングな展開になることを仕込んでるように見えます。娘をたくさん入内させて栄華を誇ったにもかかわらず、入内は女性を幸せにしないと言ったり。

 あまり知られてないことですが、道長は後年検非違使庁を牛耳って、文句が出ています。検非違使について真面目に考え取り組む道長像は、もしかしたら後年ひっくり返されるかもしれません。

・詮子についての脚色の強さ

 詮子については、一般的な歴史好きには、道長を強力に後押しし一条天皇にプッシュした姉として知られています。なぜそこまで道長を推したのか、強い理由づけが必要と脚本家は感じたのか、かなり強めな脚色を行っており、そこが結構気になりました。

 たとえば道長以外の兄弟とうまくいっていないことを何かと描写しており、第一回ですでに父と道長以外の兄を一緒にして自分を道具のように見ている、道長だけに心許せるというような描写をしています。まあそれは全くなかったとも言い切れないのでそういう演出なのだなあと思いましたが、道隆が詮子を邪魔者にしたとするに至っては、かなり厳しい解釈なのではないかと思いました。

 詮子は一条天皇元服後、定子入内の翌年に病が悪化して出家しますが、道隆が詮子を天皇に発言力を行使できる立場を模索した道隆等の思惑で「女院」が創出されたという指摘があります。また詮子は道兼の粟田山荘に行啓しそこに道隆も臨席しており、仲の良さが伺えます。詮子は道長を強力に推したのは甥の伊周に比してであって、道長の他の兄弟と比してではないところに注意が必要です。

 兄弟と仲が悪かった、定子に悪感情を持っていた…このような脚色はどこからきたのか考えていましたが、個人的にはWikipediaの詮子の記述がかなりそれらしく感じました。

 Wikipediaでは兄一家を没落に追い込んだ、という表現がなされており、中関白家と詮子をかなり対立的に描いています。私が読んだ幾つかの本ではそこまで書いてるものはなかったので、Wikipediaが一体どこのソースを使ってそう書いたのか気になります。

・主人公サイドウォッシュされる道長と対比的に悪く描かれる中関白家

 上にも書きましたが、御堂関白記から伺える道長よりもかなり清廉に(今の所)描かれる道長に対して、中関白家はどうも史料や逸話以上に悪く描かれる傾向にあります。

 まひろアゲ描写といい、主人公サイドの人間は素晴らしく描かれ、ライバル的な立場の人間は下げて描かれるというのは、これ、男性主人公の大河でやったら非難轟轟だと思うのですが…なぜか光る君へではあんまり批判されません。

・あまり現実的でない家屋

 また家屋の作り方撮り方も、もう少し工夫が欲しいなあというところも。たとえばまひろと道長の逢瀬はスケスケの廃屋ですが、そこに突っ立って会話する二人のシーンが多く、屋内で突っ立ってというのはなあと。もっともあれだけ屋根も壁もスカスカの空間なら、床には厚く土埃や枯葉などが積もってるでしょうから、座る気になれないだろうなとも。

 スケスケ空間といえばまひろの家もかなり開放的です。あんな状態でしかも庭に川の水引いてるとなれば、湿気が相当ひどいはずなのに、剥き出しの巻物が積んであるのを見ると、紙が痛まないかひやひやします。川から庭に水を引くのを遣水といって当時の作庭にあったものですが、それにしてもなあと思いました。そりゃ為時の装束もカビるというもの。

 

 

 以上です。色々気になる点はありますが、上にも書いたようになかなか王朝文化華やかなりし時がドラマ化されることもないですし、演者さんたちの熱演もありますので、見続けようと思います。

 

 

 

 

<了>

2/3『オデッサ』感想(ネタバレ・やや辛口)

 2/3(土)森ノ宮ピロティホールで上演された『Odessa』(三谷幸喜脚本)を観に行った。客席は大盛況で、よく笑いも起こっていた。

 私は最後列で観ていてオペラグラスも忘れてしまったため表情がほとんどわからなかったが、セリフまわしや演出で充分理解できたし笑えるところもたくさんあった。だが正直なところ、思ったほどはのれなかったな…という感想を一方で持った。

 ちなみに自分は舞台版『笑の大学』(1996年初演)や『巌流島』(1996年)などの放映を観てから三谷脚本が好きになり、映画も『12人の優しい日本人』(1991年)『ラヂオの時間』(1997年)などを面白く見た人間で、一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年)も大変楽しく拝見したクチである。柿澤さん出演の『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』もテレビで拝見し、映像の使い方含めてよくできているなあと思った。なので逆に期待値高めにしすぎたかなという側面があるとも思うが、取り急ぎ感想を述べてみる。一番気になったのは「差別」の扱い方で、それ以外にも色々思うところがあった。

 

ネタバレ注意!!!!

 

<良かった点>

 

◼️役者さんたちの頑張り

 

 英語・日本語標準語・鹿児島弁が飛び交う中で、皆さんとても頑張っておられたと思う。その厳しい条件下において自然なケミストリーがあったのは素晴らしい。とりわけ、2つの言葉が「ネイティブ」である宮澤さん、迫田さんに比べて、1つの言葉しか「ネイティブ」ではない柿澤さんの苦労はいかばかりか。そのような中で膨大なセリフ量で休憩なしハケることなしの1時間45分間、絶妙な掛け合いで魅せていてすごかった。

 

◼️古畑任三郎のような鮮やかな推理劇

 

 この部分はほんと、往年の古畑任三郎を思わせる巧みな展開で、脚本家はやはりミステリーを描くのがとても好きで得意なのだなと思わされた。名探偵すじおくんがどんどんのめり込んで推理していく興奮ぶりもおもしろかわいく、一緒に興奮してしまった。柿澤さんはシャーロックの時といい、探偵役が似合う。そこ、普通は警察が気づかないかな?というところは、田舎の警察が連続殺人事件でてんやわんやであるというエクスキューズで納得。

 もっとも迫田さんが連続殺人の犯人だろうというのは、自分はその話題が出てすぐ気がついてしまった。田舎の警察がてんやわんやの原因が、ある連続殺人、ということだけが提示されており、どうにもそこだけ目立ってしまっている。もう何個か事件や事故を混ぜた方がミスリードが効いたと思う。

 でもヨーグルトの消費期限切れでハッとさせるのは見事だった。これはボヘミアの醜聞』の「火事だ!」のオマージュ、あるいはそこからヒントを得たものじゃないかと思う。全く同じにしてしまうと捻りがないし、そもそもファイア!でびっくりするのは英語ができなくても起きる反応だし、じゃあ現代人がドキッとして素に戻ってしまうのは…と考えた場合、食べ物の消費期限はうまいと思う。

 

<うーむだった点>

 

◼️ 「犬と中国人入るべからず」

 

 一番問題に感じたのは「犬と中国人入るべからず」のシーン。これはこれは上海租界のパブリックガーデンに貼られたという逸話で有名なフレーズ

Dogs and Chinese Not Admitted

からヒントを得たのだと思う。(これ自体は史実ではないことが判明しているが、人口に膾炙している)

 だがこの表現では中国、陶器を示すChinaという言葉は出てこない。英語で身を立てようというすじおがそのあたりを見誤ることは考えられず、不自然さを感じた。またいくら90年代でも、露骨に〜人お断りという言葉を掲げたらその〜人から抗議されてるだろう。中国人に間違えられないように日本語の歌を歌っていた、というのも、まずアメリカでアジア人差別するような人々が中国語と日本語を聞き分けられるとは思えないので全く効果があると思えず、警官側はそれを指摘するのが普通だと思う。

 

 そしてこれは、植民地支配下での差別と切っても切れないフレーズであるのが問題だ。日本も西欧と同じく、いやそれ以上に苛烈な植民地支配をしたわけで、中国人を差別した側だった過去を考えれば無邪気に使えるフレーズではないはずである。

 そしてプールでの中国人差別表現(と見えたもの)に抗議せず自分が日本人であれば大丈夫だろうとする振る舞いも、あまり褒められたものではない。先にも述べたことと関係するが、中国人排斥にはピンポイントで中国人ではなくアジア人全体への排斥が潜んでいることが多い。アジア人といえば中国人という認識は欧米でよく見るし、ニイハオと話しかけられたという経験をした人も多い。それに対して自分は中国人「なんぞに」間違えられたと怒ったり、自分は日本人だと返したり、では日本人なら素晴らしいと言われたと喜ぶなどのSNSでの投稿もよく見かける。内なる中国人差別心が炙り出されている光景だ。『オデッサ』では中国人差別に胸を痛めてるのでそのようなあからさまさはないが、どこか「世界から見るとアジアの中でも日本は違う扱いだろう」という、日本人によく見られる心性と近しいものを感じる。

 

 ちなみに一般的に、欧米でのアジア人差別に対しては、日本以外のアジア人、中国や韓国の人は連帯して戦おうという姿勢を見せることが、日本人に比べて多い気がする。たとえば日本人女性をバカにしたCMを作ったドイツの企業に対していち早く抗議したのは韓国人男性だった。アジア人として連帯しなければ、強烈なアジア人蔑視に対抗できないと多くの人が気づいているためだろう。  

 この舞台の年代は90年代だが、近年は暴力的なアジア人へのヘイトクライムが多発しており、その意味でも「細かい差別はあるが、露骨でひどいアジア人差別はない、すぐそう思ってしまうのは考えすぎ」というメッセージを発するこのエピソードは適切ではないと思った。

 

◼️よく見聞きする差別の事例が羅列されるが…

 

 「〜へ入るな」的な露骨な差別はないにしろ、名前を呼びやすい英語の名前に変えられる、アメリカで生まれ育ってもアジア系の見た目だと結局どこ出身?と執拗に訊かれる…などのアジア人に対するマイクロアグレッションが劇中で語られる。

 しかしそれらは、残念ながら正直よく見聞きする話ではある。非白人が欧米圏で「本当の出身国はどこだ」「自分の国に帰ったら」と言われやすいのもよくあることだ。たとえばプエルトリコ系のオカシオ・コルテス議員が「国に帰れ」と罵倒されたと告発した事件も記憶に新しい。

 だがそのようなアメリカにおける差別、は特に何かに繋がることなく、外国で差別を受けていて自分のルーツに自信を持てない日系人が日本人とのやり取りを通して日本への愛に目覚める、というストーリーのフックになっているだけである。

 

 個人的には、上記のマイクロアグレッションは日本でも外国的ルーツの人、あるいは外国的な見た目の人が受けやすいものだと思うが、例えばそのようなことへ観客の思いを致させるような広がりはない。差別について受ける側にしろする側にしろ、自分ごととして考えるヒントとしての情報が質量共に弱いのだ。

 三谷氏は常々、自分の作品について芸術性や政治性を求めない的なことを繰り返し語っていて、深くは求めないでくださいよというエクスキューズを発してる。ファンも少しそれっぽいスパイスがあれば充分で、それ以上のメッセージ性は野暮だという感じのことを言ってる人たちが多い気がする。だが否応なしに社会性、政治性を帯びるテーマを扱っているならば、もっと掘り下げて欲しいと思う観客が出てくるのは当たり前であると思う。

 

◼️外国で中途半端な生き方をしている日本人について

 

 君は何も成し遂げていない、と犯人に言われて少しへこむすじお君だが、そのように何をしたいのか自分でも決めきれずとりあえず外国で働いてみるか、という若い日本人は、911以前にはよくいたと思う。今も結構いるのかもしれない。だがそのような若者の生き方を現代において批判するというのは、どういう意味があるのかよくわからない。

 そもそも英語力を活かして働きたいが自分よりうまいやつはたくさんいるし先行きが見えない、というのは、4年もたてば否応なしに本人が一番わかるはずである。言われてハッとするというのがなんとも不自然な感じがした。

 外国で10年以上中途半端な感じで働いている、ならまだ逆にその言葉に反応するリアリティがある。自分自身よくわかっていて、他人から言われることへの苛立ちだ。外国にはしばしば、語学力に自信満々でそこらの観光客や駐在的な日本人を見下しつつ、特に何者にもなれていない鬱屈を抱える、なんて日本人が結構いる。それは外国にいても日本にいても、その人自身の在り方の問題であってそのような描写をするなら問題提起にも意味はあると思うが、やり直しききそうな若者にああいう言い方をするのは、自分自身が中途半端であった恨みをぶつけたようにしか見えない(実際、なんであいつに言われなきゃならないんだ的なセリフがあるが)

 

 

◼️既視感のある笑いの取り方

 

 本作では、お互いの言葉を全く知らない人間同士の間を取り持つ通訳が、片方の窮地を救うためにわざと間違った訳を伝える。いわば意図的な「誤訳」の連続があり、それがいつばれるかスリルを生むわけだが、実はこの「誤訳(間違った解釈)で危機を乗り越えようとするおかしみとスリル」というパターンは、脚本家が好むシチュエーションでもある。

 『笑の大学』では、検閲官の指示をわざと「誤訳」して、コメディを書くなという圧力の危機を乗り越えようとした。お国のためにをお肉のためにと言い換えたり。観客はその思いつきの妙と、それが通るかどうかに手に汗握ったものだ。今回の、嘘の通訳はいつバレるか手に汗握るのに通じる。尋問する側が「誤訳」する方のペースにのまれて、自分の方が楽しんではしゃいでしまう…というのも『笑の大学』で見た光景だ。

 『ザ・マジックアワー』(2008年)では、殺し屋の芝居を役者仲間としてると思い込んで、本物のマフィアの前で奇天烈な言動をする村田の行動を、備後が巧みに「誤訳」してマフィアに伝える。たとえば「カット」という言葉を映画用語ではなく村田の渾名であると「誤訳」したが、やはりそれがどこまで通じるのか手に汗握らせた。

 なので、あ…この笑い、三谷作品でよく見たなあ…という既視感が常に付き纏った。私は買ってないのだが、パンフレットによると『笑の大学』を意識した作品だという。だから意識的に今までのパターンを踏襲した作劇なのだが、バージョンアップしたという感じを受けなかったのが残念だった。確かに蕎麦作りの真似にのめり込んではしゃいでしまうシーンは、日系という自分のアイデンティティを肯定するきっかけの一つであり物語の重要な要素だが、ちょっと無理がないか…とも思った。

 

◼️雨に濡れた犬

 

 あと結構気になったのが「雨の日に捨てられた仔犬のような」を、けなげで庇護したい欲を駆り立てられる若い男性の表現として使ってることだ。

 この表現は果たして英語ネイティブが使う表現なのだろうか?というのが疑問だった。雨に濡れた犬、という表現では英語圏ではまずにおいがイメージされると思う。独特のにおい、場合によってはくさい感じの。そこがと引っかかって入り込めなかった。

 日本語で言うところの、「雨の日に捨てられた仔犬のような」感じを柿澤さんが時折醸し出すのは確かだと思うけど。

 

◼️下ネタが多い

 

 アルマジロのおしっことか、犬のおしっこのポーズとか、痔の手術とか、シモ系で笑いを取るのが目立ってた。まあこれは気にならない人もいると思うけど、私は苦手だった。

 たとえば床に這いつくばってることを正当化するために、苦し紛れに「コンタクトを落としたんです」とか言うとか、色々やりようがあったかと。メガネかけてるじゃない!と指摘されて更に慌てて…とか。

 

 

 

…以上である。とにかく役者さんたちはとても素敵でケミストリーがあったのは繰り返し述べたい。別の演劇でもこの座組で観たいものだと思った。

 

<了>

光る君へ 第二話感想 〜 親世代と子世代の葛藤

(『意匠図案の栞』6(秋田県内務部、明治36.)国立国会図書館デジタルコレクションより )

 

 第二話も引き続き面白かったです!

 平安時代のイントロダクションも引き続き行いつつ、登場人物のキャラ立てを行っていきそれを今後の展開に結びつけるという、隙のない作り。

 そして今回のテーマは「未熟な子供世代と成熟した親世代の葛藤」だったかと思います。それがどう変化するのか楽しみ。

 一方でどうかなあと思う点も色々。前回に引き続きの点もあれば、今回問題点が浮かび上がったものも。

 以下に述べていきます。

 

 

1.平安時代イントロダクションの続き

◼️国母という概念の登場

 円融天皇の口から「国母」(天皇の母)という言葉が出ました。

 再び愛を受けたい詮子をたしなめ斥けるための冷たい言葉「女としてではなく母として生きよ」の文脈でしたが、後に詮子はその国母としての力を強力に行使していき、それは彰子にも受け継がれます(『小右記』では「国母専朝」と非難まで)。おそらく一般視聴者には馴染みのない、しかし今後の展開の鍵を握る概念をここで出してきたのは上手いなと思いました。

 では、そもそも国母が大きな権力を持つものだという概念は、当時成立していたのでしょうか?詮子以前にも国母として強力な力を持った存在として、たとえば村上天皇の生母の穏子がよく知られています。穏子もまた憲平親王(村上天皇)擁立に大きく関わるなど、皇統や朝廷の人事に深く関わっており、女院の先駆的存在ともみなされています。

「すでに九世紀の検討から高位に登る権能を保持した 皇太后等の地位にある国母が、天皇の政治を実質的に支えて」いたと服藤早苗氏は述べていますが(「産養と王権 : 誕生儀礼皇位継承埼玉学園大学紀要. 人間学部篇、2003)、それを踏まえると円融天皇の言葉はある意味励ましであったとも言えます。

 もっともこの時点では中宮の遵子が皇子を産む可能性もあり、そうなるとどちらの皇子が天皇になるかは未知数で、詮子が国母になれるとは断言できないわけですが…

 

◼️入内すれば娘といえど親の目上の存在になる

 詮子を雲の上の存在になったと言う時姫や、娘と対面しても詮子は畳の上で上座で兼家は臣下的に床に座っているシーンなどで、上記のことが表されていました。また詮子が兼家の意見を聞かず独自の判断を押し通すことも同様です。これは国母となった彰子が父親の言うなりではなく鋭く対立することもあったことの布石のようにも見えます。平安時代を知らなければ、入内しても娘は父親の支配下にあり主体的な判断をしなかったように思われるでしょう。ドラマでどこまで描かれるかわかりませんが、一般的には才気煥発な定子に比べておとなしめで深窓の姫君的なイメージを持たれている彰子が、国母として大きく成長していく姿をぜひとも描いてほしいものだと思います。

 

2.親世代と子世代の対比と葛藤

 

 また今回は世界観の解説以外にも、まひろ・道兼・東宮などの子供世代の未熟さ、父や父的な人物との関係性の微妙さとそれゆえの悲しみが際立つ回でもありました。

 まひろは母を殺された件について、生活の糧を得るために父が下手人を知りながらうやむやにしたことをいまだに恨み、真相究明を求めますが、為時からも、また擬似父的である宣孝からも強くたしなめられます。まひろはそのようなつらい現実から逃れ、自分ではない誰かになれる代筆業に心の慰めと自由さを見出します。しかしそれも父に止められてしまいます。

 道兼は父からの承認を求めてずっと足掻いていましたが、やっと父と2人で遠乗りして親しく語らう時が来た…と思いきや、過去の罪を知っていたと暴露され、天皇に毒をもるという汚れ仕事を否応なしに押し付けられます。

 まひろも道兼も、父との関係が思うようにいかず、父の思惑は自分の思惑と掛け離れたところにあります。まひろが、子を思う親の気持ち歌った歌を読んでもの思いにふける様子を写し出したのは、今回の親子というテーマを強く印象づけるためのものではないでしょうか。ちなみにまひろが読んでいた歌「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」は、紫式部の曾祖父である藤原兼輔の歌で、源氏物語でもっとも引用されている歌だそうです。心は闇にあらねども | 小倉山荘(ブランドサイト) | 京都せんべい おかき専門店 長岡京 小倉山荘)

 

 父との関係がギクシャクしているのは詮子もそうです。兼家は詮子と円融天皇の間の皇子を東三条に引き取って人質にするという恐ろしいことを言い出し詮子はギョッとしますが、我が子を守るために、自分の女のプライドの話にして父の提案を退けます(後に天皇の冷たい態度から父の言う通りに親子共に東三条邸に下がりますが)。また東宮は、実父冷泉天皇が亡くなっており、ドラマ内では為時に対して擬似父親のような親近感を持ってる様子が描かれますが、その為時は兼家のスパイとして送り込まれたために辛抱して仕えてるだけであり、本当の心はすれ違っています。どの親子、擬似親子も、うまくいっていません。この親子関係を子世代が超克していくことが、今後のテーマになっていくのでしょうか。

 

3.どうかなあと思った点

◼️いくらなんでも一人で出歩きすぎなまひろ

 第一話では9歳くらいの幼い子供だったまひろですが、第二話では15歳になり妙齢のお姫様に。しかしそれにしては、あまりにも無防備にひとり歩きすぎかと。

 いくら衣をかついでいても目立ちますし、さらわれたり衣服を奪われたりする可能性高すぎです。

 代筆のアルバイトは男としてやってるのですから、いっそ男装して出かけるようにしたら…でもそうしたら三郎と再会するシーンがややこしくなるか。

 また庶民に身をやつしてる設定らしく、市中を歩く時のかつぎが普段着てる袿よりランクが下っぽい麻の着物ですが、両方とも黄色で、色合い的にぱっと見あまり区別がつきません。そこははっきり色を分けるべきだったのではないでしょうか。

 

◼️東宮円融天皇の関係の説明が不親切ー皇統の複雑さを説明しきれてない

 多分、ドラマだけで特に知識のない人は、東宮って円融天皇の息子じゃないの??と疑問に思うと思います。詮子の子がなぜ唯一の円融天皇の子供なのか…?

 そもそも円融天皇の先代の天皇は、円融の兄の冷泉天皇。そして東宮冷泉天皇の息子で、かつ兼家の兄、伊尹の娘が産んだ皇子という立場。なかなか複雑です。兄から弟へという即位の順番、弟の後継に兄の子供が立てられ…などの、父子相続が確立していない時代の皇統の概念も、一般に理解しづらいと思います。

 また先代冷泉天皇には兼家も娘(超子)を入内させており、東宮の異母弟にあたる皇子たち(後に三条天皇になる居貞親王を含む)を産んでいます。兼家は円融天皇の子供の外祖父でもありますが、冷泉天皇の皇子たちの外祖父でもあり、円融系ではなく冷泉系を支持する可能性もあった(倉本一宏『一条天皇』より)わけです。

 そのあたりの入り組んだ関係をもう少し説明してくれるとわかりやすいなあと。

 

◼️唐突な「イエ」概念の登場

 前回の、自分の手を下した道兼のまひろ母殺人事件は視聴者にとって大変衝撃的でしたが、第二回の兼家の説明で、いくら身分が高くても、というか高いからこそ許されない大事件であることが明かされました。

 まひろ母殺人について、当時の「穢れ」概念を理解しない作劇だという批判が第一回で起きました。今回の兼家の解説(?)も、確かに当時の穢れ概念とは違う感じではあります。しかし「あってはならないことであり、揉み消しには相当の代償が必要」ということが、貴族は直接殺人に手を下さない「オキテ」があるのだという言葉でなされたことで、一応現代人にわかりやすく伝わったかと思います。

 自分はむしろ、当時の穢れ概念が正確に描写されなかったことよりも、殺人事件にまつわる話として「家名を汚した」という、中世的なイエ概念を持ち出した言葉にびっくりしました。イエというと、現代人の我々は父から嫡男へと代々相続する中世以降の家を想像してしまいますが、当時はそのような概念が未成立でした。藤原北家、などの「家」という言葉はあるものの、内実はそのような中世以降の家と違っており、古代的なウジ概念で理解する必要があります。なので兼家は急に中世的な発言しだしたなあ…とびっくりしたわけです。

 

◼️ステレオタイプな「陰湿な陰口を言いかわす女性の集団」描写

 

 女房たちが扇の下で、キサキの寵愛をめぐる下世話な噂話をする描写、少し引っかかりを覚えました。

 いやまあそういうことする人も多かったでしょうが、あまりにも従来的なイメージ通りと言いますか。まひろなどとの対比をしたいのでしょうが、給湯室でキャピキャピくだらない噂話するOLのような描写と言いましょうか。紫式部日記でも確かに先輩女房たちに陰口を叩かれて大変ショックを受ける描写がありますが、そのようなことは女房ばかりではなかったはずです。たとえば天皇のキサキへの寵愛をめぐる陰口といえば、『大鏡』で藤原公任が、東三条殿の前を通る時に、立后されていない詮子をさして「この女御は、いつか后にはたちにたまふらむ」と揶揄したと伝えられますし、『宇治拾遺物語』では村上天皇の御代に、重明親王の子息の外見や振る舞いが変わっていたので、「青常の君」と公達が仇名をつけて嘲笑っていたことが伝えられています。

 宮中の陰口描写では、公達の振る舞いは描写せず女の集団は陰湿な陰口が好きというステレオタイプの描写のみをするのは、いささか古いドラマの描写のように感じました。

 

**********

 

 第一話第二話とテンポよく話が進み、これからも期待できそうな感じです。今後も楽しみに観ていこうと思います。

 

 

参考文献

倉本一宏『一条天皇』(吉川弘文館、2003年)

呉座勇一『日本中世への招待』(朝日新聞出版)、2020年)

林保治、増古和子『新編 日本古典文学全集50・宇治拾遺物語』(小学館、1996年)

服藤早苗『藤原彰子』(吉川弘文館、2019年)

 

 

<了>

光る君へ 第一話感想 〜 平安時代の社会・経済をわかりやすく描く〜

 面白かったです!!!

 サクサクとスピーディーな展開、一つ一つ意味を持たせたセリフや描写の積み重ねなど、脚本家の手腕の手堅さを味わう45分間でした。皆が言うように、雀の子を犬君が逃がしつるの元ネタ的なのも入っており、源氏物語ファンへの目配せも怠りありません。

 

 そりゃ、おっとそれはどうかなというものもあれこれありました。しかし全体にドラマの叙述にさほど破綻がないために、それらの疑問点を視聴中は強く感じさせないという効果が。そのあたりが上手くないと、そういう細々とした違和感が前面に出てきてしまいますよね。

 

 自分が一番感心したのは、第一回ということで、この世界の仕組みや価値観が矢継ぎ早に紹介されており、イントロダクションとしてかなり優秀だったことです。視聴者の多くが平安時代に詳しくない状態だと思いますが、それでも観ていれば自然にどんな世界か伝わってきたのではないでしょうか。

1.当時の身分社会・貧富の差の視覚化

 

 まず、建物や調度や食べ物で、まひろの家と兼家の家の差を繰り返し描き出してるのが印象的でした。実際は、まあここまで紫式部の実家はボロボロじゃなかったんじゃないの…?とも思いますが、劇的に対比させることで、同じ貴族とはいえど、そして大きくは同じ藤原氏といえど、ここまで差のあるものだということを強調しているのでしょう。貴族ではない道兼の家司の方が、貴族の為時より態度が大きく衣装もちゃんとしていました。

 衣装といえば為時の普段着の衣装が、萎えた、ほとんど色味のない、無地の狩衣であったことも、貧富の差を視覚的に表していました。素材も絹ではなさそうな(麻かな?)。兼家一家はもちろん、正月にやってきた宣孝の衣装が、紋様のある、華やかでパリッといた絹地のものであったのとも対比的でした。官位を得て如才ない宣孝と、除目に何年も外れ、正妻の実家も裕福ではない為時の経済状態がよくわかります。同時に、枕草子で描かれた宣孝の派手好みも示されています。

 

2.経済活動の解説

 大河ドラマでは、登場人物たちの経済活動が一体どうなってるのか、つまり収入はどうやって得ているのか、着るもの食べるものはどうやって調達してるのか…がかよくわからない時があります。というかそういうケースが多いように感じます。しかし本ドラマは、1回目でかなりしっかりそのあたりを解説しているなと思いました。

 

・貴族の場合は正月に決定される除目で官職を得る。官職を得られないと1年間碌が得られず厳しい状態になる。

・正式ルート以外にも上級貴族に取り入ることで正式な官職以外で碌を得る可能性がある。

・基本的に物々交換社会であり貨幣経済ではない。

・貴族の夫の生活の豊かさは妻の実家に依存してる面が大きい。

・正妻は夫の衣装を用意・管理するつとめがある。

 

 それらは、平安時代をかじった人なら、「なーんだそんなこと、知ってるよ」となるかもしれません。しかし平安時代については、「知らない」人が大半ですし、そういう「知らない」人に自然にわかるようになっているのは

 また貴族でも家が貧しくなると下人たちがどんどん去ってしまうというのもリアリティがありました。

 

 あと私自身が興味あるので気になるだけかもしれませんが、「衣服」についてかなり言及されてるなというのが新鮮でした。裁縫については、貴族でも妻が夫の着るものを縫う、という習慣がありましたが、裁縫が不得意で、手伝えるような女房もいない人は外注もありだったようです。『蜻蛉日記』で有名な藤原道隆綱母(兼家の妻のひとり)は裁縫が大変得意だったそうですが、兼家の新しい女から「これ仕立ててください」と生地を送ってこられて怒り心頭…というエピソードがあったりします。まひろの母親も、縫物頑張らなきゃ的なセリフがありましたが、貧乏で無官の為時のために縫う衣装がたくさんあるとも思えず、なにか報酬のモノと引き換えに縫物を請け負っていたものと思われます。源氏物語』でも、紫の上も裁縫が得意であり、また縫物が物語の随所で効果的に用いられていますが、作者の母親が縫物が得意だったという設定はなかなか良いのではないでしょうか。

 

3.娘を入内させることが生命線であった貴族社会

 貴族社会でのしあがるためには天皇に娘を入内させること、その娘が子をなすことが何より大事なのだ、ということも、繰り返し描かれて印象づけられます。兼家はかわいい孫娘を見てもまずその美しさや入内のことを口にしますし、兼道は入内させる娘を得るための結婚を焦ります。

 詮子がその重圧に悩み、父親や兄たちのプレッシャーを疎んじていたのも印象的でした。兄たちと違ってのんびり穏やかで優しい三郎に、お前とだけ内心を打ち明けた話ができる…的なことを語ってて、史実として詮子が道長をかわいがったことへの理由づけとしてこう来たか!!と膝を打ちました。

 詮子が道長贔屓だったことがこの先の歴史を大きく動かすのですから、彼女がなぜそんなに道長が好きだったのか??という疑問に、貴族の権力闘争の背景を交えて早々に答えを出しておくのは正解だなと。ただ後述しますが、道長がそのように穏やかで、怒ることを好まない性格であったという設定は微妙に感じましたが(若い頃から結構乱暴な逸話あり)。それとも彼の性格がどんどんダークに変わっていくという流れなのでしょうか…

 

4.ちはや殺人事件について

 道兼の暴力性、すぐカッとなる瞬間湯沸かし器的性格、家庭内で軽んじられてるコンプレックスからか、自分の威信が傷つけられたかどうかに極度に敏感な性格、世間一般の常識(時姫の言葉に代表される)に逆らう考え方、などの描写が積み重ねられ、最終的に例のまひろの母殺害に結びつきます。なのでドラマの中での整合性という意味では違和感はありませんでした。まあそういうことしかねんヤツやなあ、と。平安貴族が結構暴力的だったこと、目下の者には特に酷かったことを考えると、全くあり得ない話でもないなと。

 

 ですが今後の史料的な色々を考えると(紫式部の娘が道兼の息子と結婚した説あり)、またそもそも、主人公に直接関係ある重要人物同士に殺人という特大フィクションをぶち込むことで生まれる様々なひずみを考えると、いいのかその展開で!??という気持ちもありました。目の前で母親を殺されたという経験をし、しかもそれが自分が仕える相手の親戚だったという因果がもし存在したとして、それが源氏物語にしろ紫式部日記にしろ紫式部集にしろ影を落としてないっていうのはどうかなあ…?とも。

 賛否両論色々あるのはよくわかりました。

 

 彼が返り血を浴びたまま帰宅したことに結構非難が集まったようですが、一応下人に衣装を脱がせて証拠隠蔽図ってますし、顔の血だけでは殺人とまでは断定できないだろう…と道兼は踏んだのかなと思いました。往来ではなくひと目のないところで、下級貴族の妻らしい女を殺したところで、大問題にもなるまいとも思ったのでしょう。

 血という点では、宮中で乱闘事件なんてのもありますし、殴り合ったら拳に血ぐらい着くんじゃないでしょうかね?そういう感じで喧嘩で済ませようとしたのかなとも。

 実際に貴公子が自分で手を下して殺人事件を起こしたら大問題で、そのあたりの「穢」の扱いが気になる人には非常に気になるシーンだったようですが、当時の人もかなり臨機応変というか自分に都合よく「穢」の問題の扱いを変えていたことが記録にありますし、そこまで目くじら立てるほどの描写ではなかったかと思います。「フツーの」貴族が、衆人環視の中で殺人事件を起こして平気であちこちに出入りしているという描写があったら、そりゃおかしいですが、この物語の中の道兼は突出した乱暴者という扱いで、しかも事件の目撃者は、彼の下人と相手の娘と下人のみ。証人としてほぼ価値のない者が少数いたところで、屁でもないのでしょう。

 

5.超自然の事柄について

 穢だけでなく、吉兆/凶兆など、物事に超自然的な因果関係や意味を見出し重要視する当時の人々の心性は、現代人にはなかなか理解し難い考え方です。だからこそしっかり描写しないといけない、という意見もよくわかります。しかしよく見るとそのようなことについて、実はドラマ内で様々に描かれているのです。

 

 ドラマ冒頭で登場するのが、陰陽寮で天体観測する安倍晴明であるところは意味深です。超自然的なものに対する当時の人の意識を大事にしていますよ、という制作側の宣言とも受け取れます。しかし一方で、観測結果に対し不吉なのではと恐れる部下たちに対して晴明は、「雨だ」と現実的な予言(?)のみ口にします。超自然のことを大事に扱いつつ現実的な判断を下す…という塩梅が、このドラマでのスタンスなのだと示してると思われます。安倍晴明は第一回を通してかなり現れます。その姿は、兼家に色々具体的な策謀を依頼されるという、かなり現実の生臭い権力闘争に関わる姿です。

 詮子入内の日の晴明宅落雷事件についての人々の反応も様々です。不吉な兆しだとする人々、それを祓うためにも何か晴明宅に何か手当した方がいいのではとする人、天変地異でもあるまいに大袈裟な…とする人。ちなみに大袈裟なは兼家ですが、不吉な印などは自分の都合のために無視する兼家の態度は、後年の一条天皇即位式の生首事件を彷彿とさせます。そして円融天皇自身、安倍晴明にこれからも働いてほしいからと手当を出すように指示。不吉さとかなんとかよりも、臣下のモチベーションアップの方に重心を置いた考え方です。兼家と駆け引きをし政治的意欲の強かった円融天皇らしいとも見えます。

 

 

6.個人的に疑問だったり引っかかったりした件

 さて、いろいろ良かった点・納得できた点を書いてきましたが、気になった点も幾つかありました。

河原は死体捨て場ではなかったのか…?デートスポット的に描写されてたが(まあ道端にもあって然るべきだが)

・兼家の肩を時姫が揉んでたけど、按摩や指圧ってその頃あったのだろうか??かなり現代的な感じを受けた。あと男女共に顔を突き合わせての家族団欒シーンも結構現代的というか。全体に現代風ホームドラマの文法にのっとってる感じは受けた。確かに御簾越しにとかしてるとまどろっこしいのはわかるが…

道がせまっっ!!小路でも12m、大路は24mなので、洛内だとしたら狭すぎる感じ。

 まひろの家の近くは郊外だとして、平安京の紹介画面ではCGで広い道を示して欲しかったなあ

道長のキャラを暴力が嫌いな平和な性格にしてるけど、23歳にしてすでに下級貴族を拉致し脅す事件起こしてるし、他にも色々暴力的なことをやらかしてることが小右記に載ってるのに、どう整合性をつけるのか!?一条天皇にすら色々嫌がらせしてるし、道長が争いを好まない平和な性格というのは…?

 道長が散楽を楽しむシーンは、少右記に記載されている、長和二年の六月の暴行事件、すなわち祇園御霊会の行列に参加していた散楽人たちが、左大臣藤原道長の指示を受けた従者たちから衣裳が破損してしまうほどの暴行を受ける事件と対比させる伏線かもしれない。あんなに穏やかで庶民の娯楽や風刺を楽しんでいた道長がこんなになってしまって…という。

・名前に馴染みがない人が多いと思うのだが、名前表記をもう少し付けて欲しかった。

 たとえば「詮子」が円融天皇に入内したことを知ってる人も「あきこ」と言われると??な人が多いと思う。そのあたり、鎌倉殿ではわざとらしいくらい画面を止めて名前を出してたけど、それくらいしないと混乱する人出てくるのでは。

衣装がカビ臭くなるレベルの湿気を防げない家で、書物は一体どうなってたのか…!!巻物とかが無造作にふきさらしの建物に置かれててヒヤヒヤした。

 

 などなど。

 

 でも総じて、馴染みのない時代をわかってもらおう、親しみを持ってもらおうという努力が感じられたし、権力闘争もしっかり描きそうなので、今後の展開がとても楽しみです。

 

<了>

寿福寺紀行〜実朝五輪塔参拝記

 今年10月に、念願の実朝様の五輪塔(寿福寺)にお参りしてきました!その様子をレポしたいと思います。

1.寿福寺と実朝

 実朝・政子の五輪塔があることで有名な寿福寺は、源義朝の旧邸があった土地に建てられたものです。頼朝は鎌倉入りした時に、はじめそこに邸宅を構えようとしましたが、岡崎義実が頼朝の菩提を弔う寺を建てていたのと土地が狭かったので計画が変更されました。その土地を、頼朝没の翌年、正治二年(1202年)二月に北条政子の祈願により栄西に寄進して、寺院を建立したのが寿福寺の始まりです。その後義朝の旧邸や政所を壊した建材が寄進されたりして徐々に堂宇を拡張していきました。

 寿福寺は幕府の仏事の中心の場ではなかったようですが、政子や実朝の信仰を集め、実朝もたびたび参詣しています。たとえば建暦二年(1212年)には寿福寺に赴いた実朝は、栄西から仏舎利三粒を受け取っています(吾妻鏡より)。

 寿福寺の建物は1247年の火災で完全に消失してしまったので、実朝様が参拝した堂宇は残っていません。その後焼失と再建を繰り返しましたが、現在あるのは外門・山門・仏殿・方丈で、鎌倉時代栄西像、古写本喫茶養生記などを所有しています。

 

 実朝・政子の墓と伝えられる五輪塔は、背後の源氏山の山腹にある墓地にあります。実際には彼らの墓であるというのは大変疑わしく、その様式から鎌倉末期ー南北朝のもので、墓ではなく供養塔であろうという見解が『鎌倉市史』で述べられています(鎌倉市史編纂委員会 編『鎌倉市史』[第1] (考古編),鎌倉市,1959)

 

 では、実朝の体が実際に葬られた墓はどこか?という問題がありますが、吾妻鏡には殺害の翌日、1月28日に勝長寿院の傍に葬られたとあるのでそれが確かなのでしょう(首がなかったために髪と共に)。勝長寿院は頼朝が父義朝の菩提を弔うために現在の大御堂ヶ谷の場所に1184年に建立を開始した寺院で、後に鶴岡八幡宮永福寺と共に三大寺院と呼ばれる大きな伽藍になりました。実朝もたびたび参詣したり歌をそこで詠んだりしています。実朝の死後は政子によって追悼のための五仏堂が建てられたり、法華堂が建てられたり、三回忌、十三回忌が営まれたりしており、実朝の墓所としてオフィシャルな場所だったことが伺えます。勝長寿院は17世紀あたりには衰微し現在は廃寺となっており、あった場所は住宅街になっていて石碑のみが残っています。

2.寿福寺への道

 

 まず、JR鎌倉駅西口を出ます。時計塔のある広場に出ます。そこから線路沿いの細い道を通っていき、踏切で左へ。(東口からも行けます)

 最初に行き当たる道を右にずーーっと進みます。住宅街という感じで、おしゃれなカフェなどの店がちらほら。ここは今小路という名称ですが、それは江戸時代以降のことで、鎌倉時代は武蔵大路と言われた路の一部だそうです。

 

◾️巽神社

 

 途中、道路右脇に巽神社という由緒ありそうな神社を発見。

 明神造の石鳥居。とても低かったのですが、それは古態を残してるのかなあ?

 残念なことに、墨で板に書かれた由緒が読めないーー!!鎌倉市さん、整備してくれないですかね…

 調べたところ、このような由緒の神社とわかりました。

 

・祭神: 奥津日子神・奥津日女神・火産霊神

・社殿: 現在の社殿は天保6年の建立で、大正の大震災で全壊、大正14年に修復。石鳥居は文政7年(1825年)

 (以上 鎌倉市史編纂委員会 編『鎌倉市史』4,鎌倉市,1959年)

延暦二十年(801年)に坂上田村麿が葛原ヶ岡に勧請したのが起こりで、その後永承四年(1049年)に源頼義がこの地に遷したということです。 寿福寺の巽(東南)にあるのでこの名が あるといいます。むかしは寿福寺の鎮守だったそうですが、貞享年間(17世紀後半)の浄光明寺玉泉院の管理下になりするところとなったとのことです。

 

 神社のつくりは、屋根は瓦の入母屋造で平入り、両脇に屋根が張り出してます。この様式は神社であんまり見たことがありません。そして何より高床になってないので、全体にお寺っぽい雰囲気が。こじんまりとしていますが不思議な雰囲気の神社です。(後で調べたところ、やはり仏教建築の影響が強いそうです(川副博, 川副武胤 著『鎌倉 : その風土と歴史探訪』,読売新聞社,1975)

 

 また『相馬の歴史』によれば、この神社の向かいに相馬師常邸が父の千葉常胤邸の北に隣接してあったということです。(松本敬信 著『相馬の歴史』,東洋書院,1980)。師常邸の場所が巽神社だとする本もあり、要するにこの近辺、今小路より東の一帯が師常邸だったのだろうと思われます。

 

◾️八坂神社

 

 さらに進むと、道路左脇に寿福寺が見えてきました。その手前にも小さな神社がありました。社務所もあり、近所の子どもたちが境内でボール遊びしてたりして、地域で愛されてる神社という感じ

 こちらは由緒書きが読めました。ところどころ旧仮名が使われてるので、戦前とかに建てられたのかな。

 

・祭神: 素戔嗚尊 桓武天皇 葛原親王 高望王

・建九三年、相馬次郎師常の邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。その後現在の地に奉遷(?)する。世に相馬天王と称するのはこの故である。

 神幸式は五日、十二日の両日に行われていたが今では十二日のみとなった。中世 御神幸の神輿荒ぶるを以て、

 享和元年、慶応元年に社殿の改築が行われた。明治六年 村社に列格される。

 

 葛原親王桓武天皇の息子で、高望王葛原親王の息子で桓武平氏の祖です。千葉氏は桓武平氏の流れなので、祭神がこのようになったのでしょう。

 『新版鎌倉名所記』によれば、相馬師常が勧請して、巽荒神の場所にあった自分の邸に祀ったのが起りという、由緒書と同じ話と、師常の死後、谷村人がその霊を神とあがめ邸趾に何を建て、相馬天王と称えて村の鎮守としたという2種類の話をあげています。

沢寿郎 著『新版鎌倉名所記』,かまくら春秋社,1974年)

 

このあたりの御家人の屋敷の位置の推定地図はこちら。

貴志正造 編著『全訳吾妻鏡』別巻(新人物往来社,1979)

 

 

3.いよいよ寿福寺

 

 寿福寺です!!門の前は少し広場みたいになっていて、実朝様をしのぶ石碑がありました。古そうに見えましたが、生誕八百年記念で鎌倉同人会が1992年にたてたものだそうです。

 門をくぐると、京都のお寺(光悦寺とか高桐院とか)でよく見る感じの、石畳が真ん中にあって左右に木がある素敵空間が。

 正面の御堂には入れず、遠くから。

 そこから左手に進むと、墓地への道が始まります。

 

 本当は実朝や政子の五輪塔までまっすぐ進む道があったらしいのですが、危険になったためぐるっと大きく迂回する道を通る必要があります。

 民家を横に見ながら歩いて行き突き当たりを右に、山の斜面に作られた墓地へ。

 

 さらに突き当たってT字路に。右か左か特に標識ないのですが、ネットで調べて右に進みました。左手にたくさんのやぐらがあります。

 

 行けども行けどもそれらしきやぐらがなく…やぐらは山の岩をくり抜いて作ったものなので、冷気が漂ってくるので結構怖い。本当は有名な人のお墓もあるらしいんですが、じっくり見る気力が湧かず、ひたすら実朝様のやぐらを求めて歩きました。

 

 あ、ありました!!!

 まずは政子さんのやぐらと五輪塔

 そして実朝様のやぐらと五輪塔!!!!

 感無量です。綺麗な桃色の百合が供えられていました。(お花持ってきたかったけど、誰かが片付ける必要あるので迷うところ)

 何だかホッとしたというか、安心したというか、怖い感じは一切せず、実朝様が狩衣姿で立ってニコニコ迎えてくれたような気すらしました。よくきたね、調査進んでる?て話しかけてくれたような。ハイ、頑張って実朝様の調査進めております!

 

 帰りもウキウキした気分で帰りました。若干道に迷ったのですが、何人かやってきたのでその人たちのおかげで下る道を見つけられました。

 

 寿福寺から鶴岡八幡宮まで近いので歩いていきました。実朝がいた頃の大倉御所は八幡宮のすぐそばにあったので、寿福寺までは近かったんだなあと実感しました。また行きたいです!!

 

<了>

 

「実朝まつり」に行ってきた!

(大聖山金剛寺の実朝像(当記事の写真は筆者撮影))

 2023年11月23日(木)、秦野市で開催された実朝まつりに行ってきました!諸事情あって一部分しか参加できませんでしたが、とても楽しかったです。

1.実朝まつり概要

 

 源実朝を敬い後世に伝えるとともに、源実朝公御首塚がある東地区を盛り上げようと1987年から毎年行われている催し「実朝まつり」。コロナ禍の影響で2019年を最後に中止となっていたが、4年ぶりに復活することになりました。

(出典

11月23日「第36回実朝まつり」@秦野市田原ふるさと公園 – 神奈川・東京多摩のご近所情報 – レアリア)

 

実朝まつり | はだの旬だより-秦野市観光協会

 

・式典=境内で9時20分〜10時

 法要・献茶・献吟など。

・キッチンカー・模擬店=中丸広場で10時〜15時。キッチンカー10台出店。

・展示=源実朝金剛寺所蔵品展示(金剛寺境内阿弥陀堂内・10時〜14時30分)

・催し=野点(境内・10時30分〜14時30分)、西田原太鼓保存会(10時15分〜10時30分・11時55分〜12時10分)、東小学校鼓笛隊演奏(10時30分〜11時)、稚児武者行列(往路・11時〜11時20分)、さんさの会踊り(11時20分〜11時45分)、稚児武者行列(復路・11時45分〜11時55分)、民謡踊り(13時10分〜13時40分)、東田原太鼓蓮(13時40分〜13時55分)、神輿パレード・東太鼓連(13時55分〜14時30分)

・各種ブース=中丸広場で10時から14時30分(交通防犯コーナー・東体育協会コーナー・民生児童委員コーナー・社会を明るくする運動コーナー・1日交番コーナー・秦野市消防団コーナー・郵便局コーナー・福祉施設コーナー・若木保育園コーナー・特産品コーナー・実朝まつり写真展)。

 

アクセス: 小田急線秦野駅から『バス』【秦23】「くず葉台経由藤棚行き」
または【秦26】「くず葉台経由神奈川病院循環秦野駅行き」で約15分、「中庭」下車、それぞれ徒歩約5分ほど

 

2.実朝まつり紀行

 

1)秦野駅から

 小田急線秦野駅着。かなり大きな駅でびっくり。

 南口北口どっちに行けばいいのか分からず、駅員さんにバスの番号を告げて教えてもらいました。

 階段を降りていくと、ちょうどバスがあったので乗り込むと発車。

 しばらくしたら、山の方へ向かう細いくねくね道を行く。ポツポツと「実朝まつり」ののぼりが道端に翻り始め、気分を盛り上げます。(写真ののぼりはお祭り会場近くのもの)

 15分ほどするとバス停「中庭」に到着。バス停から左手すぐが金剛寺、右手に行けば実朝様の首塚のある公園。わかりやすいです。

 

2)大聖山金剛寺〜実朝生前からゆかりのあるところ〜

 

 まず金剛寺にお参り。丘陵のふもとにあるお寺です。割とあたらしめのお堂です。

 

 金剛寺については、 『金剛寺由緒書』や『大聖山金剛禅寺縁起並ニ沿革』、『新編相模国風土記稿』などで詳しく創建のあたりが書かれていますが、微妙に異なっています。

 

 『金剛寺由緒書』

 元々あった寺の建立年は不明。建保年間に、実朝が帰依していた浄妙寺の住職道樹禅師が中興し開祖に。承久元年正月二十七日に実朝が殺され、三浦介常春が首を当寺に持参して道樹禅師が埋葬。実朝の法号にちなんで金剛寺と改める。建長二年に波多野忠経が石造の五輪塔に変える

 

『大聖山金剛禅寺縁起並ニ沿革』

 建保六年一月二十八日、実朝が頼朝の念持仏であり源家守護の地蔵菩薩像を、戦乱の多い鎌倉から遠ざけて安置するためにこの地の大山寺を選び、波多野忠経に運ばせた。大聖山金剛寺と名を改める。承久元年実朝暗殺の後、首を取得した三浦介の武常春がここに首を運んで葬る。三月九日には実朝法華堂の阿弥陀三尊(頼朝が白河で得た)を、特に尊崇していたとのことで政子の命にて移し、入仏供養と転読が行われた。実朝死後32年経った建長二年に波多野忠経が金剛寺塔堂を修復拡大し大伽藍をたて三十三回忌、道樹禅師十三回忌取越を行い、また実朝の木の五輪塔を石の五輪塔に換えたとのこと。

 

(出典 『秦野市史』第1巻 (古代・中世寺社史料) 本編(秦野市、1985年)

 

『新編相模国風土記稿』

 大聖山と号す。承久元年実朝が討たれた時、武常春が首を持参し、退耕行勇を導師として葬り、これをもって行勇を開山とし実朝を開基とする。

 

(出典 間宮士信 等編『新編相模国風土記稿』第3輯 大住・愛甲・高座郡(鳥跡蟹行社,明17-21)

 

 金剛寺という名は、実朝の死後彼の法名にちなんでという説と、実朝生前からそういう名前だったの二種類の説が伝わっています。由緒書や縁起の「道樹禅師」は行勇のことのようです。また縁起書で実朝の法華堂から政子の命で当寺に移された阿弥陀三尊像は、元々頼朝のものでそれが実朝に引き継がれたという書き方ですが、後で述べるように、様式の点から実朝死後の作と現在では推定されています。

 

 また小野寺八千枝『槐門遺芳』(飯尾謙蔵,昭13)によれば、金剛寺は長らく荒廃していたのを、大正8年の実朝公七百年歳の折に村民有志で奉斎会を起こし修繕→大正12年関東大震災で倒壊してまた再建 という経緯を辿ったそうです。(もっとも明治初期には仮の小学校として数百人の児童を本堂に収容していたと言います) 秦野市史 第4巻 (近代史料 1)(秦野市、1985年)

 

 本堂では本尊と、実朝様好きには有名な!!あの実朝様の木造が鎮座していました。

 思ったよりずっとこぢんまりして、かわいらしい。そして彩色は失われていますが、キリリとして高貴な青年といった感じが伝わってきます。

 上の方にはお釈迦様が。

 

 お坊さんに伺ったところ、お釈迦様は室町時代くらいの作で、もともとあった仏像は江戸に遷され、それは空襲で焼けてしまったとのこと。その時は詳しく伺えなかったのですが、先に挙げた『縁起書』を見ると、江戸のお寺は恵日山金剛寺のようです。創建から130年ほどたったとき(筆者註 応歴年間とあるが暦応の間違いか)、江戸下野入道心佛が江戸小日向郷金杉村(現文京区)へ地蔵尊などを伴って移して金剛寺と名付けたとのこと。文京区は昭和19〜20年の大空襲で区内の大半が焼失しており、空襲で焼けてしまったというお話と合致します。元の地蔵尊を見てみたかったなあ。

 

 掛軸が展示してある部屋に行きました。

昔の境内地図などがありました。鎌倉右大臣の歌の掛軸も。

 一旦外にでて阿弥陀堂に。

 「実朝念持仏」との由緒が伝承される木造阿弥陀三尊立像が公開。

 中尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代中期の阿弥陀如来立像の形式に倣った室町時代後期から江戸時代初頭の作とみられ、ある時点で補われたものと推定。両脇侍の観音・勢至菩薩立像は、鎌倉幕府三代将軍源実朝の没後間もない頃に御家人波多野氏らを中心に供養のために造立されたものと推定されています。2022年に市の重要文化財に指定されています。

(出典:秦野市HP

https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1662439356690/index.html)

 

 由緒書や縁起書では、頼朝が尊崇していたのを実朝が引き継いで念持仏とした、という記述でしたが、秦野市HPでは実朝様没後まもなく制作されたとされていますね。

 こちらも調べてみましたが、菩薩像の特徴が承久三年以降の快慶作品に見られる特徴や快慶工房の次世代の行快から採用される形式が見られたりするなどするという指摘があり(大澤慶子「鎌倉・教恩寺阿弥陀三尊像と快慶」成城美学美術史, 118-96, 2010) 、それらの特徴から実朝死後の作と推定されたものと思われます。

 

 両脇侍の観音・勢至菩薩立像は、たおやかな雰囲気で体をゆるくひねった姿。衣のドレープも動的でいきいきしており、優雅です。

 

 御堂には実朝の木造五輪塔(実物は鎌倉国宝館)の復元物や、廃仏毀釈を逃れるために金剛寺に遷された仏像も公開されていました。

 

3)首塚

 

 金剛寺を出て、道路を挟んで向こう側の小道を進み、畑の中を通り過ぎると…

 実朝様の首塚のある公園へ。

 やっとお会いできました!!!

 「武常晴は三浦氏が公暁を討ち取るために差し向けた家臣の中の一人で、公暁との戦いの中、偶然に実朝の御首を手に入れました。その後、何らかの理由により首を主人である三浦氏のところへ持ち帰らず、当時三浦氏と仲の悪かった波多野氏を頼り埋葬したと伝えられています。

 その後、波多野忠綱が実朝の厚い帰依を受けていた僧、退耕行勇を招いて御首塚の近くに金剛寺を建て供養しました。その際、木造であった御首塚五輪塔を石造に代えたと云われています。なお、首塚を飾っていたと伝えられる五輪木塔は、現在、鎌倉国宝館に収蔵されています。」

(秦野市HPより)

 

源実朝公御首塚 | 秦野市役所

 

 実朝まつりということで、たくさんお供えがあります。さっきまで紅白の幕がありました。おめでたい感じ。

 

 先に引用した『槐門遺芳』,(昭13.)によれば、当時は畑の中の杜の中にあり、あたりは暗く、側には楠、苔むしていたそうです。今の明るさとはだいぶ違いそうですね。

 

 公園内には、植物にちなんだ実朝様の歌がたくさん。

 

園内のパネルを見ますと、実朝公八百回忌の際に作った植物園とのことです。

  

 また首塚のそばには、2000年の発掘調査で波多野氏に関わると見られる鎌倉時代の城主の館跡が発見されたそうです。

 発掘詳細や首塚との位置関係はこちらのリンクが詳しいです。

https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000002351/simple/2014akitokubetsuten.pdf

 

 高台になっているところで出店やキッチンカーがぐるりと並んでいて、そこで実朝まんじゅうを売ってました…が!売り切れ!!残念!!!

 市民の踊りがあったり、金魚掬いやりんご飴などがあったりして、近隣の方がたくさん集まっていて、地元で愛されてるお祭りという感じでした。

 

 公園内にある農産物直売センターへ。そこで念願の実朝漬と、秦野市産の青パパイヤを使った福神漬を購入。実朝漬はピリ辛福神漬はさっぱりしてて、両方ともとても美味しかった!!

 今回は家の事情で午後少ししか参加できなかったけども、次は全部参加したいです。

 

<了>

クリス・ヘムズワースとロキの関係まとめ

サマリー: ヘムズワースはダークワールド公開後しばらくしてから、ダークワールド含めそれまでのソー出演作品、特にダークワールドへの批判を口にするようになり、ファイギに死にかけている気分であるとか手錠をかけられている気分と伝え、ソーの方向性に大きな変換が図られた。またロキが何回も舞い戻ってくる展開を嫌っており、戻ってきて欲しいとは思わない言葉を繰り返している。バトルロイヤルでも気に入っているのはロキとのやりとりではない。その一方でロキを演じるヒドルストン個人に悪感情がないことを繰り返している。

 

 最近、マーベルのソーシリーズ第5作目に関するニュースが取り沙汰されるようになりました。その前作は20227/8公開の『ソー: ラブ&サンダー』で、色々な意味で「新しい」ソー映画であることが喧伝されていました。これはまた初めて「ロキがいない」ソー映画でもあり、ほんの少し締め殺されるシーンが回想で出てきましたが、役としてはロキは出てきません。

 

 しかし巷では直前まで、ロキがサプライズで出演するのでは!?という期待の声が多く聞こえてきました。というのも、本作の監督タイカ・ワイティティが監督した『マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017)(以下『バトルロイヤル』)では、ソーとロキの絆が重要なテーマになっており、ワイティティはロキというキャラクターが好きなのではないかという考えが一部ファンダムに存在していたのです。そしてソー役のクリス・ヘムズワースは、ロキ役のトム・ヒドルストンと、かつて大変仲の良いプロモーションをしていたことでも有名で、2人の親密そうなツーショット写真や動画がいまだにネットに出回っています。

 予告映像が解禁された時には、ゼウスのパワーで全裸になったソーの背中に、R.I.P Lokiと読める文字やロキの兜らしきタトゥーが見られ、ロキ登場への期待がいやがおうにも高まりました。

 

  そのような空気の中、「実はロキが出演するのではないか」という疑問に応えるようなインタビュークリップがアップされました。

 しかしそこにあったのは、ヘムズワースやタイカ・ワイティティ監督が、ロキが死んだということを冗談混じりに何度も強調する姿でした。

 

2022622日 Chris Hemsworth And Taika Waititi Comically Mock Tom Hiddleston's Absence From Thor: Love And Thunder: ‘He's Obviously Dead To Us'(Cinema Blend)

 

https://www.cinemablend.com/interviews/chris-hemsworth-and-taika-waititi-comically-mock-tom-hiddlestons-absence-from-thor-love-and-thunder-hes-obviously-dead-to-us

 

(以下引用)

Chris Hemsworth: He didn't want to be involved. He said 'I hate all of you, and in particular me,' and I was like, 'That's a shame. And that’s it. I mean, how many times can we kill him? Three? Four?

 

Chris Hemsworth: We love Tom. We love Tom. Yeah. But he's dead. Not him, but the character of Loki.
Taika Waititi: No, no he's just dead to us.
Chris Hemsworth: He's obviously dead to us, as far as friendship goes.

 

(以下拙訳)

ヘムズワース「彼はもう関わりたくないんだ。みんな大嫌いだ、特に君がって言われたよ、残念ながらね。だって、我々は何度彼を殺せばいいんだろう?3回、4回?」

ヘムズワース「我々はトムが大好きだ。トムが大好きだ。でも彼は死んだんだ。トムがじゃなくロキというキャラクターがね。」

ワイティティ「そう、そう、我々にとって彼は死んでるんだ。

ヘムズワース「彼は明らかに我々にとって死んでるんだ。友情に関する限り()

 

 ヘムズワースが特にその話題を主導しており、死んだとか殺したとかいう言葉を3回も繰り返しています。

 海外の反応を見ますと、多くの人は、単なる冗談、親しみの表現とみなしました。一方で少数ながら、2人がロキやトム・ヒドルストンをバカにしている、面白くない冗談で失礼だ、というようなネガティヴな反応もあります(mockという表現を使った記事もありました)

 

 さて、この「単なる冗談」という見方は果たして妥当なものでしょうか?

 ヘムズワースもワイティティも、ロキやヒドルストンを愛してて、ちょっと捻くれたオモシロ表現をしたと言えるのでしょうか?

 このクリップだけをみる限り、そう捉えることはできそうです。たとえソー役のヘムズワースが「ロキを何回殺せばいいんだ?」という言い方をしたのに引っ掛かりを覚えないとしても(ソーは映画で一回もロキを殺したことはありません。) またアベンジャーズの俳優たちはよくインタビュー類でわざと相手をくさすような軽口を面白おかしく叩き合っており、その一環のように見えます。

 

 しかし今までの各種インタビューやプロモーションの経緯をつぶさに見ますと、一筋縄ではいかない事情が見えてきます。

 実はヘムズワースは、『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(2013)(以下『ダーク・ワールド』)公開後しばらくしてから、ロキというキャラクターに対する反感、およびソー12作め(特に2作目)への不満を口にするようになっており、『バトルロイヤル』公開以降はヒドルストンとも公の場で仲良しぶりを示すことはほとんどなくなりました。

 ロキ好きと一部で思われているワイティティ監督もロキに対する否定的な言葉を述べており、ロキというキャラが特段好きとは見えません。

 

 たとえばあの巨大なロキタトゥーは、タトゥーを入れるアイディアはワイティティ監督でしたが5倍の大きさにするというアイディアはケヴィン・ファイギのものだったと言います。

 

『ソー:ラブ&サンダー』ロキ追悼タトゥー、普通より「5倍大きく」とマーベル社長がお願いしていた|シネマトゥデイ

 

 あの突拍子もなく巨大なタトゥーでロキへの追悼の巨大さを感じた視聴者もいたと思いますが、それはワイティティやヘムズワースの発案ではなかったということです。

 

  このような経緯をみますと、先程のクリップの見え方も変わってきます。

 

 そこで以下に、これまでの関連する経緯を追ってみたいと思います。

 

1クリス・ヘムズワースのインタビューにおけるロキ観の変遷

 

ダークワールドまでの蜜月時代

 

 ハリウッドではほぼ無名の若手俳優だった状態でソーとロキに抜擢された、ソーシリーズでのヘムズワースとヒドルストンは、2作目のダークワールドのプレミアあたりまでは大変良好な関係を見せていました。インタビューでもお互いの役を重視する発言をしています。

 

「『マイティ・ソー/ダーク・ワールドクリス・ヘムズワースインタビュー映像」

シネマカフェ 2014124日公開

 

https://youtu.be/PCgCaUhKcjk

 

(以下引用)

(ロキとの関係について)今回ソーはなぜそんな風になってしまったのか、何が原因でここまでこじれてしまったのかを、面と向かってロキに問いただすことで、兄弟の仲を修復しようとする。自分にも非があったことを認めた上で、『お前もすべて周りのせいにするのはやめて自分が犯した罪ときちんと向き合うべきだ』と諭すんだ。それまで鬱積していた様々な問題をめぐって、兄弟が真っ向からぶつかり合うのは、演じていても楽しかった。前作よりさらに複雑でダイナミックな関係と言えるんじゃないかな」

 

 ヘムズワースはことほどさように、ロキという役柄についてリスペクトした発言をしていました。またよく2人で組んでインタビュー類を受けており、ボディタッチも多くいかにも親しげです。その中で、ソーとロキのファン同士はcompetitiveなのではというインタビューアーの質問に対し、ヘムズワースは否定し、自分はロキの一番のファンだとも述べて、ヒドルストンが照れるというシーンもありました。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LWRuWM-ubTs

 

 ちなみに、ロキは本当はダークワールドで本当に死ぬ予定で、試写の反応から急遽生きていることに変更になったという経緯があります。

 

https://theriver.jp/thor2-loki-changed/

 

(以下引用)

ヒドルストンによると、ロキを生かしておくという変更が加わったきっかけは、試写の観客からの反応だったようだ。

「スヴァルトヘイムでロキが死ぬ場面は、本当の死として(脚本に)書かれていました。クリス(・ヘムズワース)と僕は、そのつもりで演じていたんですよ。ロキは汚名を返上して兄とジェーンを救う、けれどもその過程で自分が犠牲になってしまうんだと。当初はそういう内容だったんですが、試写の観客にはそう受け取られなくて。ロキは絶対帰ってくる、あれは真実じゃないと言われたんですね。妙な話ですけど、ほぼ全員がそう思った。そこで(マーベルは)あれで終わりにはしないと決めたんです。」

 

ソー3作目での変化

 

 その風向きが変わってきたのは、ダークワールド公開後しばらくしてからです。2015年あたりからソー3作目が始動し始め、「マイティ・ソー3」にハルク登場が濃厚 : 映画ニュース - 映画.com  インタビューやプロモが流れ始めましたが、従来とやや毛色が違う映画になりそうな様子が見えてきました。

 

 2016121

『マイティ・ソー』第3弾は宇宙のロードムービー!?マーク・ラファロ語る|シネマトゥデイ

 

 これによると、脚本ができていない初期のディスカッション段階では、「ソーとハルクの宇宙のロードムービー」を目指しているとのことでした。2016718日の撮影が進行している時の記事でも、ワイティティ監督がロードムービーの要素があると認めています。

 

 2017921日『マイティ・ソー バトルロイヤル』クリス・ヘムズワースマーク・ラファロ メッセージ映像到着 の記事では、そのようなロードムービーが目指された経緯が語られていました。

 

『マイティ・ソー バトルロイヤル』クリス・ヘムズワース&マーク・ラファロ メッセージ映像到着 | Fan's Voice | ファンズボイス

 

 (以下引用)「制作陣がクリスに『マイティ・ソー』の3作目をやりたいかどうか、そしてどういう映画にしたいか聞いた時、彼は僕と一緒に仕事をしたいと、バナー/ハルクとソーが一緒になるのは素晴らしいだろうと言って、それが今作の始まりになったんだ。僕はとても興奮したよ」

 

 つまりダークワールド公開後2年ほどした2015年あたりでヘムズワースがラファロとの共演を望み、それが『バトルロイヤル』のきっかけになったと語っています。本作はヘムズワースが初めて深く関わるソー作品ですが、その際ロキではなくハルクをバディとして選んだわけです。実際の映画は、蓋を開ければ兄弟の物語が主眼でしたが、当初の構想では全く違ったものだったわけです。

 

 

 そして一方でヘムズワースは、ダークワールドなど以前のソー作品への批判を始めます。

 

2018820日 Chris Hemsworth Is Post-Hunk(GQ)

 

https://www.gq.com/story/chris-hemsworth-is-post-hunk-cover

 

(以下引用)

” The first one is good, the second one is meh,” Hemsworth says. “What masculinity was, the classic archetype—it just all starts to feel very familiar. I was so aware that we were right on the edge.” Where in the first two films he played his hero character straight, in the third iteration he injected more humanity and created a character truer to his own spirit.

 

(以下拙訳)

1作目はgood良い、2作目はmehまあまあ。」とヘムズワースは言う。「古典的な男性性とは何かを、よく考えるようになったんです。私は、我々が崖っぷちに立ってると気づきました。」前2作がヒーローをストレートに演じたのに対し、3作目はより人間的に、より自分自身のスピリットにより忠実なものにした。

 

 このバトルロイヤル以前のソー批判はその後もずっと続きます。

 

 2019418 Chris Hemsworth: I was exhausted and underwhelmed with Thor before 'Ragnarok' (exclusive)(yahoo!entertainment)

https://uk.movies.yahoo.com/chris-hemsworth-exhausted-underwhelmed-thor-ragnarok-exclusive-123201006.html

 

(以下引用)

“When we came into Ragnarok, I was sort of exhausted of what I’d been doing and a little sort of underwhelmed by what I was putting out there, you know?”

 

 “That was no fault of any director or writer, that was me personally. It felt like I’d put myself in a box with what the character could do. So on Ragnarok, it was about breaking all the rules, and kinda going ‘as soon as it feels familiar, do something different’,

 

think, tonally, we never quite landed on what that [film] should have been. I think it became a little too… I don’t want to say serious… but, as I was shooting it I desperately wanted to do something more fun with the character, and unexpected.”

 

(以下拙訳)

 「『バトルロイヤル』制作が始まった時点で私は今までの演技に疲れ切っていたし、自分が演じるソーに少しがっかりしてもいた。」

 

「それはディレクターやライターのせいではなく自分個人の問題だ。キャラクターができることに関して、自分自身を箱の中に押し込めてるような気がした。だからラグナロクでは、すべてのルールを破り、「親しみやすそうなことだと思ったらすぐに、何か違うことをやってみる」ということをした。」

 

「ダークワールドが目指していた雰囲気には到達できなかったと思っている。その雰囲気が重すぎたとは言いたくないが、演じていた時も、もっと楽しい、予想外のことをしたいと思っていた」

 

 (日本語記事:クリス・ヘムズワース、『マイティ・ソー バトルロイヤル』以前のソーに「辟易してがっかりしていた」と告白)

 

 ちょっと話は先になりますが、2022年のラブアンドサンダー公開前の、自分のキャリアを振り返る動画でも、ダークワールドを批判しています。ソー1については、自分にとっていかに重要な作品だったかやや唐突に述べますが、ダークワールドについては主要作品としてすらピックアップしておらず、不満があったことを言葉で述べるのみです。

 

2022614 Chris Hemsworth Breaks Down His Career, from 'Thor' to 'Spiderhead' (Vanity Fair)

 

https://youtu.be/laJBPb4RXNk?si=J-4l3j2q53AKhr3L

 

(以下引用)

"I wasn't stoked with what I'd done in Thor 2,"

 

" You know, I was a little disappointed in what I'd done. I didn't think I grew the character in any way and I didn't think I showed the audience something unexpected and different. When Ragnarok came along, out of my own frustration on what I'd done — and this isn't on any other director, this is my own performance — I really wanted to break the mold, and I said this to Taika."

 

「私はソー2でやったことにワクワクしていなかった。」

 

「私は自分がしたことに少しがっかりしていました。私はどんな方法でもキャラクターを育てたとは思わなかったし、観客に予期せぬ違うものを見せたとは思わなかった。ラグナロクの話が出たとき、私がしたことに対する私自身の欲求不満から ーそしてこれは監督にではなく、私自身のパフォーマンスについてなのだがー私は本当に型を破りたかったので、タイカにそう言った」

 

(日本語記事: クリス・ヘムズワース、『マイティ・ソー』第2作に失望 「飽きてしまった」と心境を吐露

(2022.06.16)(リアルサウンド)

https://realsound.jp/movie/2022/06/post-1054561.html

 

 そして2019年、エンドゲーム公開の前日に公開されたこの記事では、より深刻な形で、ラグナロク以前の作品におけるソーがいかにイヤだったかが語られています。これは201710月のエンドゲーム撮影中のインタビューとのことで、バトルロイヤル公開直前です。

 

 >自分は死にかけている

 >手錠をかけられている

 

ほとんど悲痛な心の叫びに見えます。

 

 2019425日 Avengers: Endgame—Is Thor’s New Look More Than Just a Joke? (Vanity Fair)

 

https://www.vanityfair.com/hollywood/2019/04/avengers-endgame-fat-thor-ptsd-jokes-controversy

 

(以下引用)

 Speaking with Vanity Fair on the set of Avengers: Endgame in October 2017, Hemsworth reflected back on his first few outings playing the self-serious, Shakespearean Thor that Kevin Feige and the Marvel team originally dreamed up. The actor said he was frustrated and bored. Like the depressed Thor in Endgame, Hemsworth was unable to be the hero he thought Marvel wanted him to be: ‘I feel like we came out of the gate strong with the first Thor, and then it got watered down a bit. I take responsibility for that. I’m not pointing fingers at writers or directors. But then it became predictable or overly earnest, self-important, and serious. Nothing that was unexpected.”

 

After critically mixed outings in Thor: The Dark World and Avengers: Age of Ultron, the crimson-caped Thor had lost his mojo. He sat out the next   Avengers team-up, Civil War, entirely while the plans for the third solo Thor movie got a major overhaul. At a meeting that some in Hollywood might consider unusual, Feige not only listened to his star’s concerns—he took notes. ‘I feel like I’m dying here,’ Hemsworth told Feige. ‘I feel like I have handcuffs on.’

 

‘It has to be funnier; it has to be unpredictable,’ the actor remembered saying. ‘Tonally, we’ve just got to wipe the table again.’ That reset for Thor—and a massive infusion of improvisational humor—came courtesy of Thor: Ragnarok director Taika Waititi, who helped transform Marvel’s most stately and straitlaced property into a zany, no-holds-barred adventure that gave Guardians of the Galaxy competition for the oddball crown. That film cheekily ripped the standard idea of Thor to shreds—cutting his hair and stripping him of his cape, his hammer, his home, his girlfriend, his friends. All of which was Hemsworth’s idea.

 

But by the time Endgame rolled around—and so many of his castmates were ready to say goodbye—Hemsworth was just getting started on this newer, funnier Thor. Sitting opposite from me, his greasy wig lank and his unkempt beard scraggly, Hemsworth said he was finally playing Thor as he was meant to, not as he was expected to. ¹  

 

(以下拙訳)

 201710月のアベンジャーズ:エンドゲームのセットでVanity Fairのインタビューを受けながらヘムズワースは、ケビン・ファイギとマーベルチームが最初に夢見ていた真面目なシェイクスピアのソーを演じた最初の数回の出演を振り返った。彼はイライラして退屈していたと語った。エンドゲームの落ち込んだソーのように、ヘムズワースはマーベルが望んでいたヒーローになることができなかった。

「私たちは最初のソーで力強い門出ができたような気がする。しかそそれはその後少し骨抜きになった。その責任は私にあるし、脚本家や監督を責めようとは思わない。しかし、その後、それは予測可能で、また過度に真面目で、重要で、深刻になった。予想外なことは何もなかった。」

 

 ソー:ダークワールドとアベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロンで批判が入り混じった後、真紅のマントのソーは魔力を失っていた。彼は次のアベンジャーズのチームアップであるシヴィル・ウォーを完全に欠席し、3作目のソー単独映画の計画は大幅な見直しを受けた。ハリウッドにしてはある種尋常ではない会議で、ファイギはスターの懸念に耳を傾けただけでなく、メモを取った。「ここで自分は死にかけているような気がする」とヘムズワースはファイギに語った。「手錠をかけているような気がする。」

 

「もっと面白くなければならない。予測不可能でなければならない」と彼は考え出した。「文字通り、私たちはもう一度テーブルを拭かなければならない。」ソーのリセットと即興ユーモアの大規模な注入は、ソーの好意によるものです。ラグナロク監督のタイカ・ワイティティは、マーベルの最も荘厳で窮屈な財産であるソーシリーズを、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの競争者に変え、滑稽で制限のない冒険に変えるのを助けた。その映画は、ソーに対するスタンダードなアイディアを引き刻み、髪を切り、マント、ハンマー、家、ガールフレンド、友人を剥ぎ取った。それはすべてヘムズワースのアイデアだった。

 

 しかし、エンドゲームが始まり、彼のキャストメイトの多くがさよならを言う準備ができていた頃には、ヘムズワースはこの新しくて面白いソーを始めたばかりだった。私の向かいに座って、彼の脂っこいかつらと手入れの行き届いていないひげがぼろぼろに座っているヘムズワースは、彼が期待されていたようにではなく、彼が意図していたようにソーを演じていると言った。

 

 

「ロキに戻ってきて欲しくない」と語り続けるヘムズワース

 

 映画作品だけでなく、彼はロキというキャラとの関係性についても侮蔑的に、もう今までのような関係を繰り返したくないという発言を始めます。

 

201799日 How Thor And Loki’s Relationship Has Changed In Ragnarok, According To Chris Hemsworth(Cinema Blend )

 

How Thor And Loki’s Relationship Has Changed In Ragnarok, According To Chris Hemsworth | Cinemablend

 

(以下引用)

You know, without giving too much away, it was one thing I said because I don't wanna repeat that relationship either. And I think, you know, Tom felt the same. All of us were like what hap- what can we do again here? And yeah, I'm sorry, I'm walking a fine line kinda what I can do. But I think, there's a bit of reversal as far as kind of, You know, in the first films, you know, a lot of the time you're seeing Thor kinda going, 'come back Loki,' and da-da-da-da. And, you know, I think there's a feeling from Thor now that's just like, 'you know what kid, do what you want.' You know, you can't hurt for trying, you know? 'You're a screw-up, so whatever. Do your thing.' So there's a bit of that, which is fun, but also something we haven't sort of played with as much, you know?

 

(以下拙訳)

 あまり多くを言わないけど、私が言いたいことはひとつ、その関係を繰り返したくないということ。トムも同じように感じてると思う。私たちは皆、ここでまた何ができるだろうか、という感じだった。すまないが、私は(訳註: 面白くなくなる?)紙一重の道を歩んできた。しかし最初の数作品で、ソーが「戻ってきてくれ、ロキとかなんとか」と言うのを皆さんはたくさん観てきたと思うけど、今度はそれとはちょっと逆になると思う。そしてソーは「お前は自分がどんなヤツか知ってるだろう、お前のやりたいようにしろ」というような感じのことを言うと思う。やってみて損はないって。「お前はめちゃくちゃだから、なんだっていい。自分のことをするがいい」それは楽しいことだし、私たちがあまり演じたことのないものでもある。

 

 >'come back Loki,' and da-da-da-da.

この表現に込められた感情かなりキツイものを私は感じます。

 

 そして2019411日の記事で、ロンドンでのファンミーティングでロキについての話題になった時、ロキがなん度も復活することについてウンザリしているような発言をしていたことが述べられます。

 

“Ahhh, he’s like the girlfriend you break up with and they don’t get the message. Like, ‘You’re dead, sorry, it’s over,’ and they’re coming round to hang the new drapes. The most poignant moments [of Thor’s movies] have been with Loki.”

 

「あああ、彼は別れたのにそれを認めようとしない元カノみたいなものなんだ。

『君は死んだんだ、悪い、終わったんだ』と言っても、やってきては新しいカーテンを部屋にかけにくるみたいにね。ソーの映画の中で最もpoignantなのはロキに関することだ」

 

Chris Hemsworth Won't Rule Out Loki's Return In Avengers: Endgame – We Got This Covered

 

 

そしてロキへのウンザリ感を、別な表現でもしていて、ソーという役柄ではなく自分だったらロキに我慢ならないことを仄めかしています。

 

2019424日 Avengers stars reveal one big downside to the job(News.com.AU

 

Avengers Endgame: Chris Hemsworth reveals he’s not too old for Marvel franchise | news.com.au — Australia’s leading news site

 

(以下引用)

Would Hemsworth bring back his troublesome onscreen brother if he could?

“No. Why would I do that?” he answers, blankly. “He fooled me time and time again. But on the personal side, I was with Tom since the beginning of this journey and I learned a lot from him.” Hemsworth pauses. “If you’re asking if Thor would bring him back, I think if he could have done he would have. But for me, I don’t know.”

 

(以下拙訳)

ヘムズワースはこの映画の中での困った弟を可能なら連れ戻しますか?

「いいや。なんで私がそうするんだ?」と彼は無表情に答えた。「彼は私を何回も騙した。でも個人的には、自分はトムとそもそもの初めから一緒に旅をしてきたし、彼から多くを学んだ」少し置いてから「もし君が、ソーなら彼を連れ戻すかって訊いてるなら、できるなら彼はそうしてただろうね。でも私なら、よくわからない」

 

 ロキが「私を」何回も騙したという表現が引っかかります。役と自分が一体化しているような発言ですね。

 同様の内容は日本の媒体でのインタビューでも語っており、彼の考えが強固であることがわかります。

 

「「消えたアベンジャーズの仲間を復活させるなら誰?ロキは?」『アベンジャーズ/エンドゲーム』クリス・ヘムズワースジェレミー・レナー特別インタビュー」(2019428日公開)

https://www.banger.jp/movie/8699/

 

(以下、引用)

-最後に、もしも『インフィニティ・ウォー』で消えたキャラクターを誰でも生き返らせることが出来るとすれば、クリスはやはりロキを選びますか?

クリス:なぜその必要があるんだ?

ジェレミー:同感(笑)。

クリス:ロキはソーを何度となく騙してきた。誰でも生き返らせることができるとしても、あいつを復活させるのはどうかな。

ジェレミー:この時点で生き返らせる価値なんてない。誰も望んでないし。

-ロキのファンがいますよ。

クリス:確かに、観客動員を増やすためには意味があるかもしれないね。ソーとロキはマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)でたくさんの経験をした。ソーが成長できたのは、ロキがいたからだ。トム(・ヒドルストン)とは1作目からの付き合いで、彼からたくさんの事を学んだし、友情を育んだ。たくさんのいい思い出があるよ。

 

 多分言いすぎたと思ったのでしょう。最後のパラグラフの後半では、それまでとがらっと変わってロキがいたからソーが成長できたとかトム・ヒドルストンから多くを学んだとか、リップサービスを始めています。しかしそれまでの流れでは、ロキとの共演をもはや望んでいないのは明らかです。そしてこのインタでも相変わらず「僕自身としては『マイティ・ソー バトルロイヤル』で打ち出したソーの新たなキャラクター像が気に入っていて、その続きを追求したいと思っていた。昔のソーには戻りたくないなあ、と述べています。

 

  そして冒頭で紹介した、2022年のタイカとの対談での「ロキは死んだ」発言。

 もう一度ご紹介しましょう。

 

ヘムズワース「彼はもう関わりたくないんだ。みんな大嫌いだ、特に君がって言われたよ、残念ながらね。だって、我々は何度彼を殺せばいいんだろう?3回、4回?」

ヘムズワース「我々はトムが大好きだ。トムが大好きだ。でも彼は死んだんだ。トムがじゃなくロキというキャラクターがね。」

ワイティティ「そう、そう、我々にとって彼は死んでるんだ。

ヘムズワース「彼は明らかに我々にとって死んでるんだ。友情に関する限り()

 

 これまでの流れを見たらもうわかりますよね。

 冗談とか照れ隠しじゃなくて、本当にロキは自分にとっては死んだ存在だと言ってるわけです。

 

 ちなみにワイティティ監督は、ロキをバトルロイヤルで殺すアイディアを持っていましたが、MCU側がインフィニティ・ウォーで殺す計画を持っていたので止められました。ワイティティもヘムズワースと話してそれまでのソーに飽き飽きしていると答えており、一部のファンダムで考えられているようにロキというキャラやソーとの関係性が特段好きというわけではなさそうです。ファンダムはソーとロキの関係性にクレイジーだという発言もしており、全体として見るとロキにあまり好意的ではない感じです。その点でも、ヘムズワースと気が合ったのでしょう。

 

 

2.プロモーションなどに見える関係性の変遷

 

 『ダーク・ワールド』のプロモまでは、多くの人の知るように2人は大変仲が良さそうに見えました。いつも隣り合ってふざけ合ったり、インタビューでも2人で受けたりしていました。2人はそもそもソー1作目の時に合宿めいたことをしており、その仲の良さがダークワールドのあたりまでは続いていたのです。今も2人の名前で検索して出てくる仲良さげな写真のほとんどは、この頃までのものです。

 

 そしてバトルロイヤル撮影中も、仲良くふざけるオフショットがありました。ブリスベンNYの街角で話し合うソーとロキのシーンを撮影していた様子を複数の人が撮影してアップしていましたが、2人が和やかに話したりヘムズワースがヒドルストンの衣装をチェックするところなどありました。また公式のオフショット動画でも、ヒドルストンにふざけかかるヘムズワースの姿もありました。撮影中に行われた、ソーとロキの服装での2人での病院慰問でも同様の様子でした。

 

2016911日公開 SUPERHEROES - FEATURING CHRIS HEMSWORTH AND TOM HIDDLESTON! (S3EP11))

 

https://youtu.be/JQJDM2f6A3g

 

 ところが『バトルロイヤル』公開前後のプロモで少しづつ変化が起きてきました。2人だけで一緒にプロモすることもほとんどなく、複数人でインタビューを受ける時も一緒ではありませんでした。意識的に一緒に並んで仲良くすることを避けているようで、ヒドルストン自身はヘムズワースのそのような変化に戸惑っているように見えます。

 唯一、中国向けのプロモのひとつで2人はかつてのように並んでプロモをし、冗談を言い合います。しかし以前とは少し空気が違う印象を受けます。

 https://youtu.be/ryvFI_JLZsk

 公開直前のコミコンでは2人は並びに座っていますが、ヘムズワーズ氏が肩を抱いたりふざけたりする相手はワイティティ監督の方です。

 https://youtu.be/PvU6dD59IyA

 記者会見ではもはや並んでもいません。

 https://youtu.be/yPjwgr4w6r0

 オーストラリアのテレビ番組での宣伝では、監督、ハルク役のマーク・ラファロとのみ一緒に出演しています。

 https://youtu.be/hUhpJ6zb8AE

こちらは2人も出演したバラエティ番組ですが(CBSトークバラエティ番組『レイト×2ショー with ジェームズ・コーデン』)、これはヘラやハルクなど主要人物全員が出演しており、ロキ抜きではできなかったと思われます。

 https://youtu.be/8atgsWFfDOg

 

 その傾向は『アベンジャーズ  インフィニティ・ウォー』以降でも続きました。もはやラグナロクの中国向けのプロモのように2人でインタビューを受けることもありません。

 もっともLAプレミアではレッドカーペットでツーショットを撮ったり並んで立ったりしたこともあります。

 また一回だけ、記者会見で離れて座っていたヒドルストン氏が質問に答えようとした時にからかうように手を差し伸べるジェスチャーをするシーンがありました。

 しかし全体としては、もう以前のような親しさは見せなくなりました。ロキという役柄を作品内で遠ざけるのと歩調を合わせるように、ロキを演じる俳優からも距離を急速にとっているわけです。それは自分自身の心理的なものもあるでしょうが、2人が役柄上深く結びついた仲であるという認識をプロモでの距離感で持たれたくないという意向の現れのようにも見えます。実際、そのように振る舞っても、マスコミからはロキを取り戻したいですか?などという質問がなされるのですから、ソーとロキが不可分だという認識を一般に持たれ続けるのを警戒するのは当然かもしれません。もっともそれを充分相手役に伝えてるか・伝わっているかは疑問ですが…

 

 

◼️2人が共演した作品のプロモーション以外での言及など

 

 インタビュー類を熱心に追っていない人々にとっても、そのようなプロモーションでの2人の関係性の変化は否応なしに目につくわけで、「不仲」説など、色々な憶測がネットでも取り沙汰されました。公には以前のような親しさがなく、屈託ないやりとりがないことは明らかだからです。

 

 しかし、個人としてヒドルストンを「嫌い」と受け取られることについては絶対に避けたいようで、ヘムズワースは2人に関係するプロモーションでもそれ以外でも、なるべくヒドルストン氏の名前を好意的な文脈で出すようにしています。

 

 たとえば『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』のプロモでトム・ホランドと共演したとき、わざとホランド氏の名前を間違えて「トム・ヒドルストン?」と言ったりしています。(2019611日公開)

 https://youtu.be/KzFdFyqbuIw

 ここは別にトム・ハーディーでもトム・ホランダーでも誰でもいいわけで、なんならトムの名前を出さないギャグでもいいわけですが、あえてこのギャグを演じました(誰の発案だかわかりませんが、嫌だったら拒否すればいいわけです)

 

 ソーシリーズ10周年の時は、Instagram2人が初共演した時の、出回っていないヒドルストンとのツーショット写真をアップし、ビッグプロジェクトに参加した若い俳優仲間としての思い出を述べました。(2021511)

 

https://www.instagram.com/p/COwRkk-prlg/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 

 また2021年には、ディズニープラスのアニメ『ワット・イフ?』シリーズでパーティーソーとヨトゥン ロキとして、声優として共演を果たし、ドラマシリーズ『ロキ』では、カエルのソーの叫び声を提供しました。

 

 

 この、ヒドルストンに対しては言葉上フォローをするがロキという役やダークワールドについては否定的態度を示す、という態度が一貫していることは、先に引用した2022年のラブアンドサンダー公開前の、自分のキャリアを振り返る動画でも明らかです。

 (ソー1については、自分にとっていかに重要な作品だったかやや唐突に述べますが、その後はロキについて言及していません。)

 

 

 

3、まとめ

 

ロキというキャラクターについてのヘムズワースの評価

 

 ヘムズワースはダークワールドからしばらくして以降、一貫して、ソー2作目までへの低評価、3昨目への好評価を下しています。特に2作目、ダークワールドへの拒絶感は相当なものです。

 そしてロキというキャラクターへの印象は「私を何度も騙す」「もう戻ってこなくていい」「ロキが死んで、戻ってきてくれなんていうのを繰り返したくない」「別れたのに相変わらず押しかけてくる元カノみたいなもの」と、さんざんです。

 とにかくロキには不愉快な印象が強いようで、自らが深く関与する作品ではロキの要素はなるべく取り除くようにしているように見えます。ロキへのソーの「情」「執着」的なものを描くMCUの脚本の傾向にしても、「戻ってきてくれなんていうのを繰り返したくない」という言葉に表れているように、不満を示しています。そのような執着はコミックで描かれてるものですが、ヘムズワースはそれを嫌っているようです。

 『アベンジャーズ  エンドゲーム 』のソーは、インフィニティ・ウォーまでのソーと相当異なるキャラクター作りがされており、ヘムズワースの意向がかなり反映されたようです。そのような中、エンドゲームでは『インフィニティ・ウォー』のようなロキへの執着がほとんど見られません。タイムスリップして地下牢のロキのそばを通っても避けるように通り過ぎるだけです。それはロキを想うあまり、辛くて見られなかったのだという解釈をする人もいましたが、上記の流れを踏まえると、単にもうソーはロキに対し過剰に「情」を示したくないというさまを表したものと捉えた方がすわりがよさそうです。

 

クリス・ヘムズワーストム・ヒドルストンの関係について

 

 ヘムズワースは一貫して、ヒドルストンについて折に触れて好きだとか尊敬しているとかのフォローを入れています。なので、ダークワールドの時までのプレミアなど公の場での仲良しぶりはもうないものの、少なくとも仲が悪いようにも見られたくないというヘムズワースの強い意向は、上記の言動通じて感じます。実際、公の場に一緒に姿を現すことはなくなっても、声優としての共演などは果たしています。

 もっともロキを全身全霊で演じていて思い入れも深いヒドルストン自体に、なにがしか感じている可能性もあります。しかしヒドルストンはこれまた一貫してソーへのリスペクトを貫く発言を続けており、最近のインタビューでもソーとの再会を望むような発言もしています。

 

 

その他: ファンダムの動向

 

 上記のように、注意深くインタビューやプロモを追って分析している人ならともかく、普通の人は、仲良し時代の動画や写真が流布してしまっているために、未だにそのような関係だと信じる人も多い状況です。

 またソーとロキの関係にロマンチックなものを見出す人々は、たとえ上記のような状況を知っていても、直視しない傾向にあります。ソーとロキがまた仲良く共演してほしいという希望を今も繰り返し述べている人も結構います。

 

 また「ロキの髪を追悼のために自分の髪に編み込んでいる」という噂が映画のスクショ付きで拡散される現象が時折起きるのも(ロキと共闘してるシーンでその黒っぽい編み込みがあるのでそれはデマなのですが)、そのような関係性に人気がある現れでしょう。

 

 それは映画雑誌などの影響も大きいでしょう。たとえば「スクリーン」20206月号では、「神兄弟徹底比較 クリス・ヘムズワース2人の関係が最初から今に至るまで全く変わらないかのような扱いで振り返り特集をしています。

 

 そのような中、上に述べたような、かなり何回も繰り返しているヘムズワースのソーやロキへの気持ちは、なかなかファンダムに届いていないようです。ソー5作目がもっと初期寄りの雰囲気にするという噂がたって、多くの人が歓迎したりロキとの再会を望む声をあげていますが、この数年間にわたって真逆のことを成し遂げようとしてきたヘムズワースは、そのようなファンダムの動きをどのように受け止めるでしょうか。

 

<了>

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