四方山話

ハジの多スギル生涯を送ってきました

疾くこと勿れ

飽きたわけではなく、毎日アウトプットする程、ぐるぐる何かを考えているわけではなかっただけです。

焦らなくてもいいと思うよ。何事も。

課題の期限くらいだったらどうとでもなる。

うちのおじいちゃんじゃないけど、殺されるわけではないし。

なんか宇宙って広いし。

まあ、悪い意味で楽観的 な性格で、何度か痛い目に遭っているんだけど。

あと、多少急いだ方がいい時もあります。

トイレとか。

 

ハジの多スギル生涯を送ってきました

とても胸の張れる過程とは言えないけれど、まあ、そこそこの20年たすちょっとを送ってきました。

けれども、思い返すだけで赤面し、最寄りのバルコニーから、ええいと身を投げ出して今までを終わらせてしまいたくなるような記憶が多々ある。

高校1年生の夏なんかアブラゼミと一緒にミンミン泣いていた。

というのも、私は青春という晴れ舞台が起こした陽炎に惑わされ、うちの高校史に残る壮絶な大ハジをかいてしまったのだ。

何年か忘れたけど、猛暑が鬱陶しい夏。我々は出会ったばかりのクラスメイトとの修学旅行があった。

それはもう飛び跳ねて待ちわびるやつ、まだいまいち新しいコミュニティーの要領がつかめず、自信を持っておはなし出来る友達が少ないため不安な奴もいる。(もちろん私は後者だった)

それに、大変な事に行動するグループは男女混合なんていう、去年まで中学生だったシャイな男の子達には形成し辛い条件まで課されていたのだ。

けれども、幸い私のグループにいたキザで名の通るスギノ君が「あ、シオリちゃん、まだ相手が決まっていないなら、こちらへ来ない?」なんて噂に違えぬ平成のガキとは思えない大胆さで、何とか3名の女子グループとの邂逅を果たしたのだった。ありがとうスギノくん

しかし、この仲良し女子3人組の次女(それっぽい立ち位置)のアオイちゃん。こいつに、えげつない悪夢を見せられたのだ。

結論から話すと、「絶対ホームランを打つぞ!とドームに予告してから空振り三振したあとに、地面に寝っ転がってジタバタ大駄々をこねた」みたいな感じです。

本当は内容も書こうと思ったけど、恥ずかしくなってきたので書きません。怒るのも当然でしょう。でも書かないよ。

どうしても聞きたい人は、何とか僕を捕まえて拷問にでもかけてください。

小心モノなので、まあ、ファーストステップでベラベラ喋り出すと思うよ。多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説家凄くね?

私は中学生くらいからたまーに小説を読んでいます。

さくらももことか作家のエッセイから重々しいサスペンスまで読むんだけど、こういった好き放題に文章を書く機会を経て改めて、モノを書く難しさに気づいた。

その場を想像させてくれる描写とか特に素晴らしいし、言い換えとか真似したい。ただの大きなゲップを「季節の変わり目に開く、地獄の大門が開閉した音」なんて例えられません。

そういえば、元々この日記を始めたきっかけが私の唯一無二の小説家好き友達なんだけど、この前ある作家の例えをわざわざ自分で考えたかのように引用してTwitterでウケていたのが気に食わなかったので、意地悪くリプライで指摘してやったら、恥ずかしかったのかツイートを消してしまいました。

悪いことしたなぁ。まったく反省してないけど。

死にかけても面白いじいちゃん

割と最近私の祖父が入院した。竹を割ったような性格に外人みたいな感性を持ち、みんなに困惑と笑いを与えてくれていた。

そんな祖父の口癖が「命までは取られない!」だ。別に実感したこともないし、記憶をたどってみても多分一度も役に立っていないが確かに、それで死ぬわけじゃないし、なんでもやってみれば?といった考えは立派なのかもしれない。

そんなじいちゃんが信じられない事に、銀行帰り通り魔に鉄パイプでぶん殴られて意識不明になり病院送りにされたのだ!そう。大金を下ろしたために、命まで取られそうになったのである。(めっちゃおもしろい)

不謹慎な事態に、口癖をよく聞いていた親族は今もニヤニヤしながら病院まで様子を見にきている。

弟、染まる

この人、最近の悪口が「バラバラにして豚に食わすぞ」なんです。

まず豚なんてうちでは飼っていないし(そういう問題では無い)何より物騒すぎると前に親に怒られていた。ザマアミロ。

ところで、どこでそんな言い回しするようになったのだろうと調べていたら、Yourubeで活動しているとある配信者だった。

この人もこの人で、ブロードキャストでこんな事言っていいのかと思うのだけれど・・・。

弟はとても影響を受けやすいようで、Life is beautiful でも見せて心を平してもらおうと思う。

お前はナチスにはなれないんだ。

 

 

当時の啓蒙専制君主と可哀想なポーランド

18世にもなると近代的な思想が生まれてくる。彼らはかつての宗教的思想や王政など、極端に支配的な執政を改め、個人主義のような一人一人を尊重する考えを主張したのだ。

 中世の魔女狩りのような政治に影を見ていた私はまさにロシアのエカチュリーナ2世やプロイセンのフリードリヒ2世のような、神から与えられた虚構ともいえる権力ではなく、学問に熱中し現実的な視野を持った彼らから闇に射す光をみた。

ところが、そのような尊敬もある出来事と共に雲散霧消してしまう。

ポーランド分割である。

というのも、当時のプロイセンのフリードリヒ2世、オーストリアヨーゼフ2世、ロシアのエカチュリーナ2世みたいな強いヤツらに挟まれてビクビクしているポーランドを「みんなで分けちゃわん?」とニコニコ相談しながら実際に仲良く三等分し始めたのだ。

信じられないことに、彼等はみんな啓蒙思想の持ち主。

当時ポーランドの王朝であるヤケヴォー朝は消滅。

酷いろくでなし供である。