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5年計画〜1000万投資へ向けて〜

みなさん、こんにちは。

 

アーリーリタイアを達成するにあたり、計画を記します。

 

・年間250万を給与から投資へ入金

(月18万〜20万+ボーナス30万)

・VYM一本集中

・5年で1250万を投資原本にする

※配当金の再投資は除く。

 

以上です。

 

これを達成すれば、年3%で運用したとして、年間37.5万、月約3万の配当金収入が得られます。

 

10年後はわかりませんが、仮にもう5年続ければ、金融資産は3000万超え(アッパーマス層)射程圏内です。

 

10年後には40歳。

 

私は自分の価値観を他人のそれと照らし合わせたとき、結婚やパートナーといったことへの優先順位が相対的に低いとわかりました。

 

誤解を恐れずに言えば、「マイホーム」「マイカー」「結婚」「彼女」「子供」は贅沢品であると感じました。(あくまでも私にとって)

 

であれば、アーリーリタイアを目指して、この10年の給与を投資に全振りするのはアリではないか。

そう思いました。

 

人生に目標ができ、俄然張りあいが出てきたと感じます。

 

これからアーリーリタイア目指して、日々人生に邁進していきます。

 

 

【実家に帰ります】〜VYM高配当ETFに全集中〜

みなさん、こんにちは。

突然ですが、実家に帰ることにしました。

 

理由は一つ「お金を貯めること」

 

正確に言うと、給与の8割を高配当株購入に充てるためです。

家賃を含めた支出を最適化すべく、余計な思惑やプライドを捨て、実家に出戻ることにしました。

 

一人暮らしの経験はとても貴重なものでした。経験しないとわからなかった。

 

一番の収穫は、金銭感覚が正常に戻ったこと。

 

社会人になって気づかぬうちに狂っていた感覚が、本来の位置にチューニングされました。

 

今後は、投資への入金力を上げることに注力していきます。

 

具体的にはVYM一点集中。

 

今後ポートフォリオを組んでいくとは思いますが、まずは一年でどれだけ買い増せるか。

もちろん安いときに買うに越したことはないですが、

 

安く買う<長期的に保有する

 

がベストだと思っているので、毎月コンスタントに買い増して行く予定です。

 

現在31株保有、昨年5月に初めて5株購入してから、配当金は17ドルです。

これをこれから如何に積み増していけるか。楽しみです!

 

 

 

【はじめての転職で不安な方へ:知識編】周りと差がつくたった”2つ”のポイント ~楽天へ転職した僕のやり方~

Q.
はじめての転職をしたいけど、今の自分に転職できるかわからなくて不安。とりあえず英語や資格があればいいの・・・??準備するにも何をしていいかわかりません。

 

こんにちは、ホワイトチャンネル(@WHITEChannel3)です。

わたしは社会人5年目にして2回の転職を経験しているため、友人や後輩から「転職って何をすればいいの?」と聞かれることがよくあります。

わたしも初めて転職した3年目のころは身近に転職経験者がほぼおらず、手探り状態でとても不安でした。

今日は、主に

・社会人3年目~5年目の人(年齢25歳~27歳)
・私立文系出身の人
・現在営業職の人
・新卒で入った会社からはじめて転職する人
上記の人たちを想定して、はじめての転職に際して「必ず知っておいてほしいこと」をまとめました。
これを知っていれば他の人と大きな差がつきますよ!

少しでも参考になれば幸いです。

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 20代の転職で大切なこと①<年齢>

・「年齢によって戦略を変える」

はじめに、20代の転職で一番大切なことをお伝えします。

【年齢に応じて適切な戦略を練ること】です。

基本的に会社は、せっかく採用した人には長く勤めてほしいと考えています。

また、会社ごとに「この年齢層にはこういう役割をしてほしい」という像をもっています。

(これは会社によって異なります。会社によって、年齢層が違うためです)

そのため、自分の年齢で求められているスキルは何か?という視点が必要になってくるのです。

この点、よく覚えておいてほしいと思います。

・「第2新卒扱いは27歳まで」

社会人歴5年目くらいまでの人、つまり25歳~27歳くらいの人たちは「第2新卒」枠での転職が可能です。

基本的には社会人歴で判断してもらえる、最初で最後のチャンスです。

20代の転職でも年齢別に3段階あり、

〇23~25歳・・・第2新卒扱い。実績は求められない

〇26~27歳・・・ギリギリ第2新卒扱い。実績は+α程度あればOK。

〇28~29歳・・・「20代」という括りで育成枠がある会社ならギリギリOK。

といった具合です。(必ずしも28、29歳はダメとは限らないです)

それぞれの年代に応じて、求められるスキルや実績がちがってくるのです。

なので、自分が転職したいと思っている目標年齢に応じて、適切な戦略を立てる必要があります。(さらに言うと、入りたい業界によっても求められるスキルは変わってきますので、年齢×業界 で考えるのがベストです)

 20代の転職で大切なこと②<1つの実績>

・20代は管理職経験は必要ない

20代の転職では、これがあればイケる!というモノがあります。

「実績」です。1つでいいです。

20代においては何か1つ実績があれば、それが大きなアドバンテージとなります。

営業職なら、「売上〇〇%/目標対比を達成した」「営業成績〇〇位をとった」など、具体的な数字で示せるものが良いです。

20代では管理職経験を求められない、というのが大きなポイントです。(リーダー経験があれば十二分でしょう)

とにかく、プレーヤーとしてどれだけ力があるか。これを示せればOKです。

・ない人は今から作る

「実績なんかないよ」という人もいると思います。でも、それだと厳しいです。特に今より上(給与だったり、待遇だったり、社会的評価だったり)を目指すのであれば。

こればっかりは自分が今いる場所で、頑張るしかないです。

厳しいようですが、実はこれ、そんなに難しいことではありません。

「転職するときに言えるように”実績”を意識して行動する」だけで、大分言えることがあることに気づくはずだからです。

つまり、そんなに大層な実績をつくらなくても、

「私はこれこれこういうことを意識して働いています」

というマインドを言えればOKなんです。そして、このマインドを裏付ける実行動は、日常のささいなことで構いません。大小よりも、「ホントにやってきたことかそうでないか」の方が、言葉の重みに大きく影響します。

ですので、とにかく「自分のマインド&行動例」をセットで言えるようにしておけばOKです。

例を挙げれば

〇他の人と仕事をする上で心掛けていること

〇目標を達成するために心掛けていること

などについて、「自分のマインド(=自分なりの行動様式や工夫の仕方)&行動例」を言えるよう、いくつかパターン別に準備しておけば完璧です。

これなら、辞めるまでの間にもできそうな気がしませんか?

まとめ

20代の転職で大切なこと

*年齢に応じて適切な戦略を練る

*「1つの実績」をつくる

 

この2点だけ、意識してくださいね。

以上、如何でしたでしょうか。

転職することは、ちゃんと仕事をしていれば、決して難しいことではありません。

無理に英語や新しい資格も、取る必要はありません。

実際、私が転職した楽天は社内公用語が英語で、新卒で入る場合はTOEIC800点が必要ですが、私は入社時点で370点でした(笑)

TOEIC370点でも楽天には転職できます。

それよりも、「自分はこんな仕事をした」と胸を張って言えることが1つでもあれば、必ず評価してくれる会社はあります。

今転職を考えている方は、「今いる場所で何ができるか」を意識して、日々の仕事に取り組んでみてください。

転職の際にはその努力が必ず、実を結びます。

Do for Others.

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

p.s.

転職について質問があれば、コメントやTwitterのDM等、なんでもお問い合わせください! 

失敗の重要性を考察する ”失敗なき成功はベスト?”

こんにちは、ホワイトチャンネル(@WHITEChannel3)です。

4月からテレワークしていたわが社ですが、6月以降も継続することが決定しました。

また、給与も5月分は満額支給でしたが、6月は約1割カットとなる見込みです。

正直、居住環境にかなりの固定費をかけている私としては結構な痛手なのですが、保証された給与があるだけでも有難い話です。

なので、この対応に感謝こそすれ、不満など一切ありません。
むしろ、このタイミングで転職させていただいたことに心からの感謝の念を抱いています。

コロナ後といわず、採用していただいた分の10倍は恩返しできるよう頑張ります。これはやらねば自分として自分に胸を張れない。

そもそも将来的にフリーランスを目指している私にとって、本来固定給をいただけないなんて当たり前です。
お金をいただける仕事があるなんて、ありがたいです。

いかに自分で仕事をつくっていけるか。
人に働きかけていけるか。
この1点が、私の人生の勝負だと思います。

自分が色んな体験をして、人の心の機微がわかるようになる。
そんな人間を目指していきます。

さて、本日は「失敗の重要性を考察する 失敗なき成功はベスト?」と題して書いていきます。

 
きっかけは「沼」


引っ越してのころ、わたしは炊飯器調理ばかりしていました。
筋トレする人にとってはおなじみの通称「沼」

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※この沼は事前に食材をカットしています

こればかり食べていました。

作り方はいたってシンプル。
普通に炊飯器に米を入れて、水も入れて、その上に鶏肉や
野菜といった具材を入れて炊くだけ。
炊きあがり後、8時間保温し続けたら完成です。
もちろん、すぐ食べても全然OKです。

これのすごいところは、具材を一切カットする必要がないこと。
鶏むね肉を1枚そのまんま入れても、炊き上がれば簡単にほぐれます。

忙しい中では手間いらずの万能調理法です。

しかし、沼を食べ続けて2週間したある日、突然失敗したのです。
出来上がったごはんはまだ芯が残っており、ごはんと水分が完全に分離し、池のようになっていました。
正直、とても食べられたものではありません。(食べましたが)

そして翌日も、また失敗しました。

これまで毎日うまくいっていたのに、突然どうして?

失敗の原因

・無意識の行動

調べたところ、失敗の原因は「具材を入れてから混ぜたこと」でした。

混ぜると、熱の入り方にムラができる原因になるのだそうです。

また、2週間の間にだんだんと凝りはじめ、水以外に料理酒や醤油などの調味料を入れたのも良くなかったようです。

水よりも濃い液体があると、そちらの塩分を先に吸ってしまうため、お米に水がうまく吸収されないとのことでした。

自分としては「いろいろな具材を入れているだけ」でしたが、お米にとっては「野菜」と「調味料」は全くの別物だったということですね。

また、最初は入れるだけだった具材を「混ぜた」のも、意識していませんでしたが、確かに途中からやり始めたことでした。

 成功していることにも失敗の芽が潜んでいる?

今回は途中で失敗したことでその原因に気づけましたが、これまで1度も失敗していないけれど、よく考えてみればなぜ上手くいっているかわからない・・・なんてこと、探せば意外とあるのではないでしょうか。

・準備していない

例えば、準備せずにやっているけど、これまで大きな失敗もなくやれてきていること。

私の場合は、対人関係スキルでしょうか。

前回まで5回に渡り書いてきた上司(課長)との関係は失敗例ですが、逆に言えば、それまで他人との関係において大きく失敗したことはありませんでした。

しかし今思い返すと私がそう思っているだけで、人生において失敗してきたこともあったのでは?と思います。(私が気づいていないだけで、相手の方は大きなストレスを抱えていた、など)

これ、結構怖いことですよね。

・なんとなく始めて成功し続けていること

卑近な例ですが、わたしの場合は実家でのカメの水替えです。

水を替えるとき、排水溝に汚れた水を流すのですが、ある日突然めっちゃこぼしてしまったんですよね。

それまで100回以上やってきて1度も失敗しなかったのに。

その後しばらく、うまくいったり失敗したりを繰り返し、ある時、「自分の足の位置」「水を注ぐ位置」この2点が成否に影響していることに気づきました。

これ、最初の100回は何も意識しなくても成功し続けてたわけです。

だから、「これはもう完ぺき」と思っても無理ないですよね。

でも、ある日突然スランプに陥った。原因を突き止めるまでにはかなり時間がかかりました。

上記の私の例では無意識→失敗 となって原因が発覚したわけですが、これ、失敗していなかったらと思うと怖いですよね。

というか人間関係の失敗なんかは、社会人デビューしてから発覚するとか結構キツい。

それまで失敗してないからいきなり自分の行動様式を変えるのは中々難しいし、相手が上司や取引先となると死活問題になりかねません。

失敗は早ければ早いほど得

この経験から導きだされる結論は、「失敗は早ければ早いほど得」ということです。

よく言うことではありますが

「失敗は成功の元」

「うまくいかない方法を見つけただけだ」

まさにこの通りだと思います。

成功するためには、「なぜ成功しているのか」を理解することが大事とも言えます。

でも、普通成功していることの要因は特定が難しい。

そこで役立つのが「失敗」です。

失敗は、要因特定の有効な取っ掛かりとなります。であれば、失敗は早くした方が、成功へのPDCAを早く回せる。トータルでみれば得と言えます。

失敗を沢山したことは確実に「本物の成功」へ近づいている

わたしも仕事ではたくさん失敗してきました。4年間で2回の転職は、人によっては失敗の連続という人もいるかも知れません。

確かに、1社目では心身ともに限界に追い込まれたし、2社目でも上手く活躍することができませんでした。

でも、1社だけより2社、経験したことでわかったことはたくさんあります。

(もちろん、「勤め続ける経験」を引き換えに、です。勤め続ける中で見える世界があるのも、当然承知しています)

特に、わたしにとっては「会社に合わない」という性格が判明したのは大きな収穫でした。社会で長く生きていく上で、非常に大切な気づきでした。

途中、楽天のような、新卒の時には夢のようだった大企業にも勤めましたが、自分の望む人生はもっと違う世界だと気づけました。

これが、もしずっと1社目にいたら、本当の自分の夢とは違う「大企業に入れば幸せになれるのに…」と思い続けていたかもしれません。

こうなると、自分の本当の夢とは別の目標に対して努力する時間がかかるので、その分本当の夢の実現は遠のいてしまいます。

これは、時間が限られた人生において、大きな損失です。

私は「会社に合わない」ことに気づけたことで、大学生の頃には思ってもみなかった「独立」「起業」という道を模索し始めています。

だから、人生の中で「上手くいかないぁ」「いつになったら幸せになれるんだろう」なんて思うことって絶対みんなあると思うんですけど、だからこそ、そこでぜったいあきらめないでほしいなって思います。

実は、失敗が多ければ多いほど、「本物の成功」に近づいているからです。

あとがき

以上、わたしの失敗に対する価値観を書かせていただきました。

ブログをはじめてから、意識的にポジティブなメッセージを発信することが、何より自分にとって最高の意識付けになっていると感じます。

わたしもまだ始めたばかりで、夢への道を歩き始めたばかりですが、みなさんといっしょによりよい人生の実現目指して進んでいければと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

Do for Others.

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

【転職体験談】新卒で入った会社を2年5か月で辞めた話⑤ ~それでも見てくれている人はいる~

4話はこちら

 

こんにちは、ホワイトチャンネル(@WHITEChannel3)です。

規則正しい生活を是としている私ですが、維持するのはとても難しいと感じています。

要因はいくつかあり、

・つい例外を認めてしまう

・1日の中で楽しみ・疲れ・気分 を完結できない

・やるべきことを夜に予定している

これらがリズムを乱すきっかけと思います。

改善策は、

・例外を認めない

・1日ですべての気持ちを完結する 次の日に感情・仕事を回さない

・朝早くからフルスロットルで仕事する

で解決できると考えました。

となると重要なのは、早寝・早起き

やはりココがポイントだと思います。

せっかくの自粛期間中、身辺を整えてリズムを整える習慣をつけたいと思います。

 

では、5日目となりましたがとうとう転職体験談、完結です。

 

昨日までの記事は以下をどうぞ。

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送別会という名の「部長ヨイショ会」

辞めるまでの間、仕事の記憶は鮮明にありますが、同僚の人たちとの思い出はほとんどありません。

送別会もほかの人の歓迎会を兼ねてやってもらいましたが、ほぼ記憶にありません。

ただ、先輩が部長をひたすらヨイショしてたイメージが残っているだけです。

わたし、職場の飲み会が好きではありません。なぜかというと、

 

・飲み会は口実で、基本的にただ飲みたいだけである

・会社の金で飲める、など人の金で楽しめると思っている

・風通しの悪い社内では、結局上司のご機嫌をとるだけの場である

 

ことがほとんどだからです。

わたしは酒もたばこもやらないので、お酒を飲みたいだけの人の気持ちは全くわかりません。

というか、サラリーマンという辛いことに耐えるためにあるのがアルコール、という側面が大いにあると思っています。

アルコールは単純に体に毒なので、本能的に摂取したくなるなんてことはないと思うのです。あるとすれば、単に中毒化しているだけで。

また、お酒を飲まないと言いたいことが言えない、というのもわかりません。

大体、気が大きくなってすることなんて大抵ろくでもないことです。

わたし自身お酒に弱く、自分がそういう風な気分になることもあるので、それがイヤで余計飲みたくないと思っています。

自分で自分をコントロールできないことは、この世で唯一握っている飛行機の操縦感から手を放すようなもので、これ以上の不自由はないからです。

自分のことしか自分の意志でコントロールできるものはないのに、それすら自ら手放すなんて意味がさっぱり分かりません。

 

ということで、わたしの送別会も例にもれずそういったものでした。

心のこもってない送別会なんていらないし、自分も思ってもない人のための送別会に参加する意味はないと思ってます。

本当に想っていれば、送別会をやらなくても感謝の気持ちを伝える方法はいくらでもあります。


「それでも見てくれている人はいる」

辞める直前まで出張にいったり、引継ぎは1週間でバタバタだったりとしましたが、何とか無事に最終日まで勤めることができました。

わたしが一番心に残ったのは、別の部署の人たちからの寄せ書きです。

当初、わたしはその部署の人たちに厳しく当たられていました。しかし、仕事ぶりを認めてくれたのか、だんだん仲良くなっていき、最後の方はその人たちとコミュニケーションをとるのが息抜きになっていました。

特に、その部署にいた、仕事はできるがぶっきらぼうで、最初ニガテだった人から、「コイツ仕事できるよ。辞めるのもったいないな、残念だ」と言ってもらえたのは本当に嬉しかったです。

わたしは最初その人に怒られてばかりいたので、自分をそんな風に評価してくれていたと思うと、自分が頑張ってきたことは無駄ではなかったんだと報われた気持ちでした。

また、どんなに味方がいないように感じても、自分が自分に対して胸を張れる仕事をしていれば、必ず見てくれている人はいることも知りました。

その部署の人たちからもらったメッセージは、今でもわたしの宝物です。

あとがき

以上が、断片的ではありますが私の(1社目)退職体験談です。

思い入れがありすぎ、かなり感情的で読みにくい文章になってしまいました。

今でも当時の状況や感情はかなり正確に覚えているのですが、その時感じた気持ちって、自分が調子よい(と錯覚している)ときって、意外と忘れてしまうものなんですよね。

今、こうしてきちんと思い出せたことに一種の安堵感を覚えています。


前にも書きましたが、正直どうすればよかったのかは今でもわかりません。
ただ確実に言えることは、


「昼飯はしっかり食べろ」→体重5キロ減して健康を害したから
「上司より強いフィジカルをもて」→いつでもぶっ飛ばせるという謎の自信を纏え
「図々しさは大事」→気にしすぎるより気にさせろ
・チームや組織でうまく立ち回れる、立ち回れないは確実にある 

自分の特性をしっかり見極めることが大事

 

箇条書きですが上記の点はホントに大事だと思います。(testosteroneさんの影響大)

 

最終的にわたしは、同じ部署以外の人からはとても好かれていました。

一方同じ部署の人からは、かなり嫌われていました。

これは、組織だけでなく、私自身にもそうさせる何かしらの原因があるのだと思います。

今後の人生では、その点を意識して改善していきたいと思っています。

わたしのような人の特徴としては、(ネガティブポイントのみ)

・他人を気にしすぎて一歩踏み込んだ対応ができない人 

・視野が狭い人 

・あせって余裕をなくす人
・行動までに時間がかかる人

が挙げられるかと思います。

これらを意識するだけで、直属の上司や先輩とはうまくいく可能性は上がると思います。

 

また、会社という組織の特殊性も理解しておかねばなりません。

おそらく、高校や大学まではうまくやっていたのに、会社にはいってから上手くいかないと感じる人もいるかと思います。

その理由としてわたしが思うのは、

~動くモチベーションがお金になるかどうか、の違い~

という点です。

基本的に社会人は「メリットがあるか、ないか」で動きます。

だから、「それはうちの部署の責任じゃない」「それはオレの範疇じゃない」

などと責任のなすりつけ合いや、たらい回しが発生するのです。

特に、仕事で直接の利害関係が発生する部署の人たちはその傾向が顕著です。

辞めて2年経った今、思うこと

この経験を通じて学んだのは、「人の多様性」ということです。

わたしは、当時の会社の人とはまったく異なる価値観をもっていますが、だからといって彼らの価値観を否定する気持ちは一切ありません。

むしろ、賛成はできないけど大いに尊重しています。だからこそ、わたしは会社を辞めるという選択をしました。
人に合わせてもらうのではなく、所属組織とあわなければ、自分が退出すればいい、と思うように至ったからです

正直、どんなに大きな会社でもその組織の規模ってとても小さいです。その会社の常識は他の非常識、なんていくらでもあります。

だからこそ、たとえ今いる場所で自分が異物のように感じても、「必ずどこかに自分の居場所はある。」

ないはずないんです。だってこれだけ世の中には会社があるんだから。

なかったら海外に行ってもいいし、自分で創ってもいい。

当時は半ばヤケクソで至ったこの思考ですが、今は自分が精神的に自立する良いきっかけだったと思っています。

私も、なんとか辞めた後生き延びて、楽天、現在とどんどん自分に合う会社を見つけることができましたので、まちがいないです。

だからどんなに現状が厳しくても、あきらめずに自分の場所を探し続けてください。

いつ見つかるかはわかりませんが、必ずあります。

わたしも、もっと自分が楽しく生きられるよう、さらに探していきます。

 

自分が幸せになるためには、自分で動かなければなりません。

流石にこれは、当たり前ですよね。

自分の存在価値は、自分で創る。

そのために、生きてるうちはしっかり自分で自己主張して、がっつり、人生を楽しんで行きましょう!もちろん人への感謝は忘れずに。

Do for Others.

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

【転職体験談】新卒で入った会社を2年5か月で辞めた話④ ~退職表明からがまた大変~

3話はこちら

 

こんにちは、ホワイトチャンネル(@WHITEChannel3)です。

昨日、一部の県において緊急事態宣言が解除されましたね。

GW明け以降、体感ではありますが、やはり人出が多くなっているように感じます。

個人的には、ここ1週間の人出増加の影響がどれだけ感染者数に影響してくるか、が焦点だと思います。

たまに外の空気を吸うと、やはり人との交流は人間にとって不可欠だと感じます。

だからこそ、耐えるべき時はしっかり耐えて、来るべき″春”に向けて最高の準備をしていきたいです。

さて、今日も続きを書いていきます。

昨日までの記事は以下をどうぞ。

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辞めることが決まってからが大変「地獄の2ヶ月」

晴れて辞めることが決まった6月上旬。しかし、ここからが大変でした。

まず、わたしの最終出社日が全然決まりませんでした。

当初、私が想定していたのは8月末いっぱいでの退職。5月末に申し出ているのですから、実に3か月余裕があります。1ヶ月有給消化したとしても、2ヶ月あります。

ですので、普通にいけば6月中には十分決まりそうなものですが、、

7月上旬でも決まっていませんでした(笑)

当時、わたしは有給のほとんどが残っていたので、お盆休みで出勤日が少ない8月は丸々有給消化で過ごせる見通しでした。

なので、7月最終週のどこかで・・・と考えていたのですが、7月上旬でもまだ決まらない。

この頃、前述の大型案件の納品とも重なり、多忙を極めていたわたしは、もう怖いものなどなくなっていました。

そこで、入社して初めての反撃にでました。

課長をすっ飛ばし、絶対権力を握る部長へ直談判メールをしたのです。

内容はざっと以下。

 

「5月末に申し出た退職ですが、最終出社日はいつ決めるのでしょうか。

先日ちょっと待ってと言われてから3週間以上経ちますが、状況は進展していますでしょうか。

有給消化もありますので、わたしは7月最終週での退社とお伝えしていたはずですが、どうなっていますでしょうか。

お分かりの通り後任への引継ぎもございますので、至急ご対応ください。

よろしくお願いいたします。」

 

文面は極力丁寧にしましたが、普段波風の立たない部署が慌てるには十分のインパクトだったようで、速攻部長からわたしのメールを転送された課長以下の管理職が慌てているのがわたしまで伝わってきました。

ブラックな企業であればあるほど、最終出社日はうやむやにされがちです。こちらから主導権を握って決めていかないと、結局有給消化できないなど、こちらが泣きをみることになるので、強い気持ちをもって、毅然と対応することを強くオススメします。

この後、急遽別部署(地方)の若手が後任として異動してくることとなりました。

つまり、わたしが言わなければ何も進めていなかった、ということです。

この後任の方、私の2年ほど先輩で、地方で結婚されたばかりの方でした。

「結婚したてだから辞めないだろう」という見立てで白羽の矢が立った、と専らのうわさでした。

申し訳ない気もしますが、んな人に異動を3週間前に通達する会社やばいだろ。

東京には僕が辞める1週間前に来なきゃいけないので実質2週間で引継ぎ&引っ越しとか地獄ですよ。

3か月前から心積もりしていたわたしと違い、その人はガチで3週間前に初耳ですからね。

私が言ってから動き出すからこうなってると思うと、それまで何してたんだとしか言いようがないです。

毎日カウントする退職日までの日数

決まらない退職日も大変でしたが、仕事も過去イチで大変でした。

これは私が特殊だったかもしれません。

というのも、前述の大型案件について私は「この仕事だけはやり切って辞めよう」という想いが強く自分の中にあり、同時に私以外ではできない仕事でもあったのです。(担当者が私しかいないため)

しかし、この仕事を最初から最後までやり遂げたおかげで次の楽天、そして現在の仕事にも就けましたし、何よりお客様に心から感謝していただけたことが私の財産となっています。

心身ともに消耗しましたが、何とかやり切ってよかったです。

(といっても、やり切ってよかったかは人によってそれぞれです。わたしは何とかやり切れましたが、もうそこまで気力が残っていないということもいくらでもあると思います。どんな仕事でも、あなたの命より大事な仕事はありません。あなたの使命はあなたの命を守ることです。死んでもそこは引き下がってはいけないラインです。たった1つだけ約束してください。どうか、自分を守ってください。)

人生で「あの時は大変だったけど、やってよかったな」ということ、ありますよね。

この経験はそれにあたるものだと思います。

ただ、部活動の辛い合宿のような、終わった後100%心からスッキリして言える「やってよかったな」ではありません。

心身ともに(特にメンタル)とても危ないバランスで何とか平常を保ちながらの、非常に際どい期間でした。

また、フィジカルの辛さはその後休息することできちんと回復しますが、動悸や倦怠感などを伴うメンタルの不調は明らかな異常なのでその後休んでもそうそう簡単に回復しません。一度壊すと膨大な時間と休息が必要となります。何より完治が自分でもわからず、ふとした瞬間にフラッシュバックしたりします。

フィジカルとメンタルはとても密接に連携していて、自律神経の乱れは心身のダメージへ直結します。

何らかの不調を抱えている方は、とにかく心身のバランスを戻すべくできることをすべてしてください。

例えば、食事、睡眠、運動。というかこれがすべての基本です。

どれか一つでも欠けると自律神経は乱れます。

そうすると極端な体重の増減や朝起きられない等の不調、そして仕事面にも色濃く影響が出てきます。

とにかく、自律神経を整えることを最優先に意識して、自分を守ってください。

 

だいぶ脱線しましたが、本当に伝えたいことだったので書きました。

当時の私はというと、退職日まで、1か月前から毎日カウントしていく日々でした。

メンタル的には逆効果だったと思いますが、せずにはいられませんでした。

 

辞める時に絶対やってほしいこと

・退職を決めてからは強い気持ちで退職を断行すべし

先程も書きましたが、退職を決めてからは強い気持ちをもって辞めてください。

スッキリやめることが次へと走り出す推進力になります。決めたからには振り返らず、イヤな思い出があるならバッサリ切って、スッパリ辞めてやりましょう。

会社にとっては厄介なことですので、ダメな会社ほどスムーズに話が進みません。

「主導権はこっちにあるんだ」との強い気持ちで、しっかりとご自身の権利を主張し、退職を勝ち取ってください。

・ボーナスはもらうべし

ボーナスは必ずもらいましょう。対等な契約なのでせこいとか一切ありません。

特に、退職後に転職活動する際には貴重な資金となります。

もらえるものはもらう。この精神で行きましょう。

・必ず有給消化すべし

有給消化もボーナスと同じです。結局わたしは3日妥協したものの、新卒では異例のほぼ1ヶ月有給消化という形で退職できました。

(前例がない、との意味不明な理由で3日妥協したことすら悔しいですが)

※ちょっと話がずれますが、退職日を決めてからは基本的に休めないので、その点、会社に行くのがしんどいところまで追い込まれている人には心理的負担になるかも知れません。

5話につづく

 

さて、また随分長くなってしまいました。

明日で完結させます。

 

とにかく、メンタルの不調に陥っている人、孤独を感じている人、そんな人のためになればと思って書きました。

こういうとき、味方がいないように感じると思いますが、決してそんなことはありません。

あなたが生きていることが希望となります。

Do for Others.

今日も生きられたことに感謝です。

明日、またお会いしましょう! 

【転職体験談】新卒で入った会社を2年5か月で辞めた話③ ~「原因はオレか」「そうです」~

2話はこちら

 

こんにちは、ホワイトチャンネル(@WHITEChannel3)です。

昨日は久しぶりに紐解いた「名探偵コナン」の新一&蘭の恋エピソードにどっぷりハマっておりました。

私、小学1年生の頃からのファンなのですが、コナン、新一の年齢は当に過ぎ去ってしまいました。

次は毛利小五郎(37歳)の方が近いです。

人生は一度きり。恋愛にかける時間も大事ですが、大切な人と過ごす時間をつくっていきたいですね。

さて、本日も続きを書きます。

昨日までの記事は以下をどうぞ。

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思いとどまるも状況は変わらず、むしろ悪化

一度は思いとどまった退職ですが、その後状況は好転することはありませんでした。

「辞意を表明したから」という理由で疎外されることは一切ありませんでしたが、仕事量の調整もありませんでした。

当時、追い詰められていた理由としては

〇どんどん増える仕事量、将来も減る予感はなし(むしろ増えていく一方)

〇顧客への納期が間に合わず、社内調整をかける日々(終わりが見えない)

〇会社というコミュニティへの違和感(自分⇔それ以外の人、自分が異物である感覚)

などが挙げられますが、

どれか一つなら耐えられたかもしれませんね。

「仕事やプライベート、趣味など、(自分が生きる)色々な世界をもっておけ。」

と言われますが、仕事の中においても、複数の世界をもっておくとよいかも知れません。

何事もポートフォリオを組む(リスク分散する)ことが重要だと思います。

「得意先、増やすから。頑張って。」

2018年3月、わたしは担当する顧客が4社→10社に増えました。

これが大きなターニングポイントだと思います。

当初、わたしは新人にしては破格といってよい大口顧客を担当していました。

その後、その顧客をさらに開拓した私は、その顧客だけで仕事量が2倍になっていました。

開拓した大口顧客の新しい仕事は、新ブランドの立ち上げに関わる重要な仕事。

こちらに集中している時期でした。

そこで一気に追加されて6社。実はこの6社、別部署の先輩の得意先だったのです。

その先輩が、自身の多忙を理由に部長に泣きつき、あろうことか部署を越えてわたしにまわってきたのです。

正直、信じられませんでした。

今思うと、仕事があるのは普通、有難いことですよね。期待されているともとれますし、ここで結果を出せば評価されるチャンスとも言えます。

しかし、その会社でやっていくつもりが失われつつある人間にとって、それはただの重荷でしかなかったです。

これから会社には、こういう当時のわたしみたいなモチベーションになっている人が多くなると思います。

そんなとき、その人のモチベーションを図り間違えると、恐らくその人は十中八九辞めます。

これからの管理職には、そこを見極める能力が一層求められると思います。

呼び出された午前8時「じゃあ朝きてやれば」

2018年4月、わたしは課長に出勤1時間前の8時に呼び出されました。

内容は、「君の担当顧客からクレームがあった。君を表向きは担当を外し、窓口はオレがやるから、実務は引き続き全部頼むね」というものでした。

このとき、わたしにクレームの理由の説明はなく、弁解の余地も与えられませんでした。

さらに、当時の負荷状況を説明し、仕事量を調整してほしい旨を伝えたところ、

「じゃあ朝きてやれば。」の一言で片づけられました。

この時、わたしの課長に対する信頼は一切なくなりました。

ある日はじまった動悸、崩れゆくメンタルのバランス

 ちょうどこの頃を境に、職場で動悸がするようになりました。

それまでの人生、ありがたいことに家族や友人に恵まれ幸せに過ごしてきた私は、はじめそれが「動悸」だと気づきませんでした。

気づいたのは、課長がわたしの席の後ろを歩くときに、一気に心拍数が上がるのを感じたときです。

体が疲れやすかったりはしていましたが、とうとうフィジカルにも不調が表れはじめました。

一度気づくと、そこからは一気にエネルギーが消耗していったように思います。


きっかけは「午前3時」

 5月30日。真夜中午前3時、当時実家だったわたしは母親に揺り起こされました。

「どうしたの?」と寝ぼけた私。

「どうしたって、こっちのセリフよ。あんまり大声で叫ぶから、飛び起きてきちゃったんじゃない。大丈夫?」と母。

確かにそういわれると、汗びっしょりでなんだかぐったりしています。

夢も見ていて、仕事で納期調整をしているという内容も覚えていました。

しかし、叫んでいたことはまったく記憶にありません。

私は人生で初めて、記憶を失った経験をしました。

正直なところ、仕事の夢は1年前からほとんど毎日見るようになっていたので、もはや当たり前になっていました。

しかし、大声で叫んで、その記憶もないとなると…

「潮時だな」

率直にそう感じました。

辞意を表明「原因はオレか」「そうです」

 翌日、午前中仕事を休んだわたしは、午後出社後すぐに課長に「お話があります」と伝えました。

その際、「忙しいからあとで」と終業後に時間をとると伝えられました。

このとき、「こんどこそ正解だ。オレはぜったい辞める」と肚が決まりました。

面談。

 

「辞めます」

「原因はオレか」

「そうです」

「オレが異動してもダメか」

「辞めます」

 

このやりとりを本当にしました。

流石に今度はわたしの意志が堅いことを察知した課長は、「一旦持ち帰らせてくれ。部長と相談する」ということでその場は終わりました。

後日、部長との面談では

「本当に辞めるのか」

「辞めてどうするんだ」

「行きたい部署があれば検討するぞ」

等、けっこういろいろな引き留め文句を言われました。

しかし、残ったところで、今より状況が良くなることはない。

その確信があったわたしは、一切気持ちが揺らぐことはありませんでした。

辞めた後の人生に、強い希望を感じていました。

「なんでオレにやらせて昼飯くってんだおまえ」

 ちょっとストーリーから外れますが、辞めるという決断には、「小さなきっかけ」が積っていったことが大きく影響しています。

例えば、先輩からの一言。

「なんでオレにやらせて昼飯くってんだおまえ」

状況説明を省いていうのはずるいのかもしれませんが、私はある仕事を中断してお昼に行きました。

その部署では昼食も摂らないで仕事することを是とする人も多く、私も最初はそれに倣っていました。

しかし、その結果体重は5kg落ち、成人男性で53kgとなっていました。

そんな中ランチにいったら、先輩からの感情的な一言。

こういわれると、「昼食1時間休憩は雇用契約で保証されている権利だ」と言い返してやりたくなります。

こういう細かいところに、その会社の体質、本質は表れます。

そこに合わないとなると、その後その違和感は増幅こそすれ解消されることはありません。これは断言できます。

 

4話へつづく

 

また長くなってしまいました。

あと1,2回で終わると思います。

 

実は今回、こういう内容を書くことに躊躇していました。

正直、まだわたしは当時のことを消化しきれてはいませんし、会社や同僚に対して感謝の気持ちは持てていません。

そんな状態で書けば、見ての通り感情的な記事になる。

わたしは人の悪口を言わないことを人生において大切にしているので、そもそも書かなければ悪口を言わずに済む。

こう考えていました。

 

しかし、それでも、ありのままの自分をさらけ出す。

 

そうすることにも、何か意味があるんじゃないか。

 

そう思い、迷いながらではありますが書くことにしました。

数年後振り返ったとき、この記事を笑い飛ばせる自分になっていたいと思います。

 

そして、今のこの記事でも、誰かのためになればいい。

Do for Others.

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

【転職体験談】新卒で入った会社を2年5か月で辞めた話② ~この人たちみたいになりたくない~

1話はこちら

 

こんにちは、ホワイトチャンネル(@WHITEChannel3)です。

今日は会社で来期の予算の話がありました。

コロナで先が見えない中不安が大きく気持ちが凹んでいましたが、ふと「死なないならいっか」と思ったら一気に気持ちが軽くなりました。

まあ死ぬときは死んでしまうのかもしれませんが、それまでは生きるわけで。

であれば人生一度きり、楽しく生きてやろうじゃありませんか。

先日友人と話して思ったのですが、幸も不幸もとらえ方次第なんじゃないかと。

まさに今日、敬愛するtestosteroneさんが

 とつぶやかれていましたが

「辛さは主観なので本人が地獄と感じるならそこは誰がなんと言おうと地獄ですよ。」

この考え方、メンタル的に追い込まれ誰も味方がいないと感じる中、とても励まされたマインドでした。

そして今日あらたに気づいたのが、

「これって、どんなに幸せそうな場所でも本人が地獄ならそこは地獄ってことだよね。

ならば逆もあるのでは?(=どんなに地獄のような場所でも本人が幸せと感じるなら、そこは幸せという意味での天国ということだよね。)」

つまり、幸か不幸かは自分で決められるということ。

これってすごいことじゃないですか?

で、どうせだったら幸せと決めた方がいいんじゃないかと。そっちの方が楽しくないですか?

もちろん、自分が大変なときにこう思うのは並大抵ではありません。

ただそこで一呼吸おいて、一歩引いて、自分を眺めてみる。

そうすれば、自分のことを良い意味での他人事のように感じ、冷静かつポジティブに捉えることができる。

最近すごいなと思う人たち、例えば

朝倉未来 Mikuru Asakura - YouTube さん

は、自分を客観視する力がすごい。

わたしも常にとはいきませんができる限り心掛けていきたいです。

さて、前置きが長くなりましたが

今日は

www.white-channel.site

の続きを書いていきます。

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1度目の辞意表明 きっかけは「先輩の退職」

 2018年1月、新年早々わたしは前述の課長に「会社辞めます」と言いました。

シチュエーションとしては、週末土曜日(月に1度、土曜出勤がありました)の就業後。

ほかの人はほとんどいない中、「ちょっとお話があります。できれば会議室で」と耳打ちしました。

管理職はこういうことに慣れているのか、すでに何かを察した様子でややテンション下がり気味です。

まぁ、わざわざ課長を呼び出した手前引っ込みもつかないので「とりあえず」辞めますと辞意を表明しました。

ただ、この時わたしは辞めた後のことはノープラン。

ではなぜ言ったかと言えば、信頼していた1個上の先輩の退職を知ったからでした。

当時のわたしからすると、その先輩は卒なくこなすタイプで、職場のみんなと円滑にコミュニケーションをとれる人。

そんなバランサーを体現した人が辞めるという事実に、わたしはかなり揺らぎました。

流石、そんなわたしの決意の危うさを察した上司は、すかさず私の両親を話題にして「考え直さないか」と説得してきます。

正直、この引き留めは感謝しています。あの時辞めていたら本当にヤバかった。

結果、わたしは課長の言う通り両親に相談し、週明けあさイチで退職を撤回しました。

(この週末の休みに行ったB'zのLIVEでの絶望感は、まだ覚えています。)

週明け、部長&課長と焼き肉屋へ

辞意を撤回した週開けの月曜日、課長と部長に連れられ、わたしは上野の焼き肉屋へ。慰労の意味も込めてだったのだと思います。

そこで初めて両氏の仕事への考え方や、彼らも辞めることを何度も考えたことがあることを聞きました。

とくに、「完全会社人間」のように見えていた課長が2度も「辞める」と会社に言い、引き留められた結果勤め続けているという事実に衝撃を受けました。

あぁ、この人も同じ人間なんだと。少し人間としての温度を感じました。

と同時に、「これだけタフな、しかも家庭をもっている課長が辞めると2回も言ったことがある上で、勤め続けているという事実はヤバイな」とも思いました。

こんなにタフな人でも2回逃げ出そうとした場所に、オレはいられる気はしない。

当然いたくもない。

こう思いました。

純粋に生前本能というか。辞めて死ぬ以前にいたら死ぬ、と無意識に感じていたのかもしれません。

しかも、あの課長でさえ、「イヤだと思っているのに今も勤め続けている」ということです。

”今も”「イヤ」だと思い続けている、ということです。

「これはもう、アカン。」こう思いました。

 

そして、その後連れていかれたのは上野の韓国パブ。やっすい店です。

そこで乱れるダンディーな部長。それを盛り上げる課長。

嫌気がさしました。

僕は硬派とかじゃないですが、風俗とかいったことありません。

キャバクラも、社会人になってこの会社の先輩に連れられて以外、付き合いでしかいったことありません。

それが、大の大人が、日頃のうっ憤を晴らすか知らんがかっこ悪い。

まじでダサいし、こんな大人になりたくないと思いました。

今思うと、わたしが辞めた理由は

 

「ここにいる人たちみたいになりたくない」

 

これが最大の理由だったのだと思います。

とても不遜だし人間として褒められた心情ではないですが、やっぱりこの思いは変わりません。

彼らはこの飲み会でわたしと打ち解け、仲を深めたと思ったのかもしれませんが

結果としてこの日がわたしと彼らの溝を決定的に深くし、辞めることを早めた要因となったのは間違いないと思います。

 

3話へつづく

 

前書きからノッてしまい、結局1チャプターしか書けませんでした。

ごめんなさい。

しかし、私の思いがほとばしる生きた文章が書けたと思います。(分かりづらかったら申し訳ありません)

明日も、続きを書いていきます。

Do for Others.

今日も一日、お疲れ様でした。

明日も悔いなく、人生を生き切りましょう!