こんばんは。のりちゃんです。
この春、次男が入園しました。
その中で社会の仕組みがもたらす障壁を身をもって実感しましたので
本日はそのお話をさせていただきます。
障害の社会モデルとは
障害は社会のルールや仕組みなどと個人の持つ能力の相互的作用により作られるもので
個人が持つ属性では無いという考え方です。障害は人ではなく社会にある。
そのため、社会にはそれを取り除く社会的責務があるというのが障害の社会モデルの基本的な考え方です。
約10年前長男がまだ未満児だった頃、私は困っていました。
できるだけ送迎を車椅子ユーザーの夫に任せず、自分がしなければ、
先生にご迷惑をお掛けしてしまう!とプレッシャーを感じていたからです。
ですが、コロナ禍を経てシステムに変更が出たことで
随分生きやすくなったと感じました。
それは一体、どんな点だったのでしょうか?
コロナ前の送迎スタイルとその困難は?
長男が2歳だった頃、まだ新型コロナウィルスが蔓延するなんて未来を
予測する人はいませんでした。
当時長男の園の未満児クラスでは、
保護者が子どものお支度を全て整えるスタイルでした。
お部屋まで一緒に入り、外靴を所定の場所に入れて
お布団がある日は押し入れにお布団を入れ、
手を洗い、コップとタオルはフックにかけ
トイレにおむつを補充し、連絡帳をかごに提出、
ロッカーに鞄をかけて、お着替えを補充、集金の類は先生に手渡し。
そのすべてを子どもと一緒にすべての保護者が行うため、
お部屋は混乱し、
車椅子では段差があり混乱したお部屋の中でお支度をさせるのは難しく、
先生方と考えた結果、車椅子ユーザーの夫が送迎する際には
入り口で引き渡しとなりました。
「いいんですよー。ケースバイケースなんで私たち、やれることはやります。
お熱の親御さんの時は車まで行きますし同じことですから。」
先生たちにそう仰っていただいても、
なかなか、「そうですか!お願いしまーす!」と気楽には言えず、
なんとか夫が送迎しなくて済むように、自分で調整を付けるクセがついてしまい
それが私の中で小さなプレッシャーになっていました。
コロナ後の送迎スタイルによる変化は?
コロナ禍を経て次男の入園となり
初日の送迎、入ろうとすると
「おうちの方はここまでで大丈夫ですよ。」
と先生。
はて?
「コロナで変わったんですか?!」
「そうなんですよ。今は保護者の方はここまでで大丈夫なんです。」
そのまま次男と鞄を先生にお願いし、私は手を振り園を後にしました。
これまでは、申し出て特別に配慮をお願いして、
申し訳なさを感じながらお願いしてきた対応が
コロナ禍を経て、すべての家庭に等しくその対応になったことで
障壁となるものが消えたではありませんか。
夫に送迎を任せることが、苦ではなくなったのです。
(転職したため時間的に難しいですが)
でもそれ、先生が大変じゃないの?!実はいいことだらけ?
でもその対応では先生たちも大変なのでは?
と周りを見渡してみました。
これまで保護者がお部屋に入り、朝やお迎えラッシュの時間帯は大混乱でした。
わからないことを保護者がその辺にいる先生を掴まえて聞くことで、
泣いてる子や喧嘩を始めた子への対応が遅れたり、
あちこちで保護者同士が話し出したり、
置き場がよくわからない保護者が違う場所に違うものを置いてしまったり、
たまにパパやおばあちゃんが送迎に来るとわからなくて
また先生の手がとられ…
季節物の持ち物があれば、その置き場や支度で保護者も先生もわちゃわちゃ…
そうするうちに鍵を閉め忘れた保護者がいたりして
園児がちょこちょこ廊下に出てしまうこともあったりなかったりと大混乱。
それが
園児の引き受け/引渡し/支度/保護者対応を1人の先生がガッツリと担うことで
他の先生はクラス全体に目が行き届き、保育室の混乱もなくなり、保護者対応に追われることもなくなり
保護者も聞きたいことを誰に聞けばいいかがわかりやすくなり
引渡しやお迎えがスムーズになり
子どもたちも安心して先生の目の届く中で遊べるようになっていました。
この変化は先生も保護者も子どもたちにもメリットがあったように感じられました。
きっと、保護者が間違ってものを違う場所に入れてしまうことなどでの
業務のストレスも大幅に改善したのでは無いでしょうか?
保育室に入らないから、普段の様子や
仲良しの子が誰か、どの子が何ちゃんなのか、どの子がどなたのお子さんか、
なかなかわかりづらいですが
行事に行けばおいおいとわかることだし、子どもたちが安全安心ならOKです。
何より、私はすごく心が軽くなりました。
仕組みが変われば障壁は障壁ではなくなる
今回、私にとって障壁となっていたのは、
「ひとと違うやり方をお願いしなければならない仕組み」でした。
他の人たちにはそれで支障がなかったため、そうなっていました。
自分たちだけ違うやり方で、ひとの手を煩わせなければならない。
お願いしなければならない。
そのことは大変プレッシャーで私にとっての心理的障壁となり
立ちはだかっていました。
時にはそれは夫婦関係にも影響を与えました。
ですがコロナ禍を経て
システム自体が変わり、私たちにもできる方法が標準化されたことで
あのプレッシャーから解放されたのです。
壁として目の前に立ちはだかっていたものが、立っている私の足元がグッと底上げされた瞬間、
いとも簡単に壁ではなくなっていった様に、
私は驚くと同時に、感謝と、そして
「なんだ、こんな簡単なことなのに、こんなに苦しまなきゃいけなかったのか…」
と、下唇を噛みました。
ルールや仕組み、社会システムが自分たちに合わない。
ただそれだけのことなのに、
少し時代が違う、ただそれだけのことなのに、
障壁は生まれ、誰かが悲しんだり苦しんだりするのだなと考えさせられました。
そしてこの変更が、私たちにはポジティブだったとしても
別の誰かにとってはネガティブなものである可能性も
頭の隅に入れておきたいなと、思うのでした。
みなさんは実生活の中で、社会システムとの齟齬により
障壁を感じた場面はありますか?またそれが解消されたことはありますか?
もしよければ公式LINEにて教えてください。
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