SEVENTEEN TOUR 'FOLLOW' TO JAPAN 感想
<参加ライブ>
11/23 ベルーナドーム(埼玉)
12/9 京セラドーム(大阪)
12/16 PayPayドーム(福岡)
12/17 PayPayドーム(福岡)
※他、11/30 名古屋のライブビューイング
ツアーグッズに書かれている「Follow the Light」を見て、「輝く彼らを追いかける旅」だと思って参加したけど、ツアー4箇所(埼玉、大阪各1公演、福岡2公演)を見て感じたのは、メンバー自身も「光」を追いかけているんだなということ。
しかも貪欲に。時に狂信的に見えるほど。
ソウルコンの後、韓国の記事で彼らを「イカロス」に例える記事を読んだ。
(勉強も兼ねて記事の翻訳してみるといいよと韓国語の先生にアドバイスいただいたので、宿題の一貫に訳したので、文章も追ってあげてみます)
その直後は「まあ言われてみたら雲とか、空から落ちるモチーフのVCRあったな~」くらいのもんだったけど、実際に彼らのステージを浴びてその本意をつかめた気がする。
イカロスのストーリーの結末は太陽に近づきすぎて羽を固めた蝋がとけ、落下してしまうバッドエンドだったけど、SEVENTEENは決して堕ちない。
13人一緒に向かっているからこそ誰かが上りすぎたら下から引き戻し、落ちそうになったら誰かが持ち上げる。
だからきっとこれからもずっと大丈夫。そんな気もした。
グループとして満身創痍な部分が多かった2023年。
それでも彼らは光に向かって走り続けた。腕や足をもがれても。どんなに切り刻まれても進み続けた。
まさにホシくんのパフォーマンスはそれを体現しているようで、彼の本能によって手足が動かされているような…なんというか殺気を纏っていたようだった。FFでいうところの「バーサク」状態と言いますか…。FF6のティナのトランス状態?(わかる方いらっしゃったらありがとう…)
意識がない状態でも音が鳴ったら手足がちぎれても踊り続けるような狂気。
だから彼のパフォーマンスは魅惑的なんだろうな。
福岡での最終日。体感席だったこの日が自分的にはステージに一番近い席だった。
それゆえスピーカーからも近く音が大きく、音楽とパフォーマンスを全身で浴びるように見ていた。
その日はエスクプスに続いてジョンハンも欠場していたこともあり、より満身創痍な状態。日本でのライブは音響や舞台装置のトラブルも多かったし。しかし、それでいてそれの空白を埋めようと11人11様のエネルギーが尋常ではなかった。
決して完璧に整っていない(※)、そのギザギザなエネルギーの固まりを見て心から美しいなと思った。
※パフォーマンスはそれはそれは整っています!完全に!
歪んでいて、美しい。
空白も。過剰なエネルギーも。
今持てるすべての力でもって見せるその姿こそ「ライブ」だなと。
光を貪欲に求めるからこそ生まれる輝き。
欠けている今をすべて正解にするステージ。
私自身、推しメンバーのジョンハンがいなかったことの寂しさもあるし、生のエスクプスのパフォーマンスが見れなかった心残りはある。それでも「今」のSEVENTEENが届けてくれた完璧なショーは一生忘れないと思う。
どうか健康で、どうか末長く。
光を渇望し続ける13人の姿をこれからも見届けさせてください。
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追記。各公演直後の覚書。
11/23 ベルーナドーム(埼玉)
生SEVENTEEN最高
13人(1人概念)のシルエットだけでモンドセレクション最高金賞
パクス間奏の指ハートジョンハン、ありがとうございます
Anyone、ありがとうございます(Anyone狂い)
12/9 京セラドーム(大阪)
ジョシュアのネイティブ"CINNAMOROLL"
ウジくんのポムポムプリン帽
バーノンのロックスターぶり
シナモンの歌真似スングァン
ウォヌの低音に触発されて低音でメントする本日の毒ハニ。
最後に毒設定忘れてぽわぽわの「気をつけてかえってねえ〜⤴︎☺︎✨」
12/16 PayPayドーム(福岡)
奇跡の機材解放席
ジョシュアのキュルキュル度が限界突破
ジスジュンのチークかわちい
バーノンの覚醒止まらず with耳当て
ウジウォヌの博多弁
12/17 PayPayドーム(福岡)
サウンド体感席音がデカくて嬉しい
「今朝雪を見たよ。みんなもみたのー?僕たち一緒にみたんだねー☺️」と頸椎を突いてくるドギョム
明太子ごはんを最後まで作りたかったジュンことヒントマン
ビルボードの件についての個人的所感
ビルボードの件は、いたちごっこになるのは自然の摂理だよな~と思う。2020年代にラジオのプレイ数の重きが多いの!?という驚きはあるけど(アメリカの人、そんなにラジオ聞くの?)、ラジオ局に金払って曲流すとかは日本のパワープレイとかも同じ要領だから、ビルボードだけが悪どいしてるわけでもないし。
ただの民間企業のランキングだしね。そもそも、明確な集計基準を示さず出される順位自体の信憑性ってどうなんでしょう? そしてそのランキングや賞自体に権威が宿ったら、その時点でもう純粋なものではなくなるとも思う。
Dynamite以降の新規はそのおかげで知ったんだろ!とか言われても「まあそうかもね」ってだけで「じゃあ私も頑張る!」という心持ちににはなれない自分。
推し方は十人十色ですが、私のスタイルとしては「やってあげる」と思い始めたら試合終了…のルールを採用してるので、聞きたいから聞くし、買いたいから買って、見たいから見る。それ以上でも以下でもない。
投票したいからする!ランク上げたいから枚数積む!は健康的な欲求だと思うけど「一位にして「あげたい」から頑張る」は思考としては危険な気がするので冷静さを取り戻して推し活楽しんで欲しいな。
なんで危険と思うかは、何かのきっかけで「あんなに私が○○してあげたのに!」という怒りや憎しみに転じかねないから。そしてその実例をいっぱい見てきたから。※界隈限らず
どこかで見た、「韓国の推し活はスポーツチームを応援するようなスタイル」っていうのがしっくりきた。それを他の文化圏の人も真似するようになったんだろうな。
富豪でもない私は、これからも自分が楽しむために作品を享受するのみです。押忍。
【Music】Agust D / Dear My friend レビュー
(レビューとは名ばかりの、私と友だちの思い出話です。明るい展開じゃないので、気持ち弱ってる方は回れ〜右!ピッピッ!)
彼女とは小学校3年生の時にクラスが一緒になってから友だちになった。
なんで仲良くなったのかは覚えていない。
気づいたら学校で、彼女の家で、地元のそこかしこで毎日のように遊んでいた。
彼女は絵を描くのが好きだった。
とはいえ上手なタッチではなかったけど、10歳くらいで漫画として起承転結させていたし、
その発想力は「才能」そのものだったと思う。
彼女からはいろんな初めてを教えてもらった。
カプチーノなる飲み物を飲んだのは彼女の家でだった。
母子家庭だった彼女の家にはお手伝いさんのおばさんがいつもいた。いつもそのおばさんがおやつを出してくれた。
彼女のお母さんは銀座でお店をやっていたこともあり、身につけているものはいつも小綺麗で、ランドセルだっにち本革の、赤や黒じゃない、子どもの目から見ても高級そうなものだった。
彼女のうちにあったたくさんの漫画やゲームは、私の血や肉にもなった。
少女マンガを音読して笑ったり、ゲームのエンディングが夢オチで怒ったり、変な替え歌したり。
彼女と一緒に遊ぶとき、もう二人仲のいい友人がいて、4人で遊ぶことも多かった。
賢かったあの子
絵の上手のあいつ
才能に溢れた彼女
そして何も持っていない私
ある時期、彼女たちと一緒に新聞係をしていた。学級新聞の手前、いつものノリでふざけすぎると怒られる。
でも私は彼女たちの絵と物語をどうしても載せたかった。
彼女たちに存分にふざけてもらえるよう、真面目で面白くない「いい子」の記事を私が書くことで学級新聞の体裁を保ちながら、私たちは好きなものを作っていた。
小学校を卒業し、彼女は私立の中学へと進学した。それでも彼女の家族(その頃には引っ越しして、継父(仮)も同居していた)が留守にするとき、双方の親の了承のもと、彼女のうちに泊まりに行った。夕飯にはピザを頼んだり、彼女の家の近くにある美味しいパスタ屋さんに子どもだけでいった。大冒険の気分だった。
そんな私もそれぞれの場所で新たな居場所ができていき、高校生になるころには疎遠になっていた。一度隣の県に引っ越すという話は聞いたが、遊びに行くことはなくなった。
高校ではみんなバラバラになったものの、あの子やあいつとは時々遊んでいたけれど、彼女とはいつしか連絡が取れなくなった。
私はその後大学も卒業し、社会人になり、転職もした。気づいたら、あの学級新聞を作っていたときと同じような作業を仕事でしていた。
彼女のことはずーっと気になっていた。元気かな?何してるかな?また遊びたいな、と。
良く2人でやったゲーム。面白かったが苦労して到達したエンディングがまさかの夢オチで、「安易な夢オチ、ダメ。絶対」と2人の幼心に刻まれることになる。
その頃、mixiというSNSが流行った。mixiが日課になって行ったある日ふとこの中に彼女がいる気がした。名前や趣味をもとに検索したが見つからず、手がなくなったと落ち込んだとき、と母校の名前で検索した。
私たちの世代のスレッドを謎の人物が立てていた。彼女だった。
すぐに連絡し、彼女と地元で再会した。
茶色くて猫っ毛の髪はロングになっていて、細身の身体と気怠るさも相まってジャニスジョプリンみたいだな、と思った。
数年越しの再会を果たしたとき彼女の第一声は「ハグしていい?」。
こちらは幼少期から住み続けてる地元の駅前だから恥ずかしかったけど、断る理由が見つからずハグをした。
そのあと散歩した。
彼女が以前住んでいたマンションにも行った。母と二人で暮らしていたマンション。
着いたらそこは更地になっていた。
そっかー…と彼女はつぶやいて、「一本吸っていい?」とタバコ吸いながらな、その更地をしばらく眺めていた。
その後の会話で知ったのは、母の内縁の夫との3人暮らしはいろいろあったらしい。そこから逃げるように母娘で引っ越したが、その時期に離れて暮らしていた最愛の実父を亡くし、精神のバランスを崩したと話た。だからあの母と暮らし、お手伝いさんが世話してくれて、友だちとたくさん遊んだあの家は特別だったと。
そして帰る間際。当時みんなで駆け回っていた隣町の大きな公園、そのベンチで彼女はポロっとつぶやいた。
「ずっとここにいたら何か変わったのかな」
そこからまた交流があり、彼女の家に行ったり、他の友人を交えて遊ぶ機会も持てるようになった。切れかけたていた縁が再びつながる。私にとってはそれが凄く嬉しかった。
彼女の家に行った日、彼女の母に久しぶりに会った。キレイで若々しく、そして頼もしいお母さんで、3人でご飯を食べながらたくさん思い出話をした。
食後、彼女の部屋で会話をした。間接照明で薄暗い部屋には彼女の好きなもので飾られていた。その中に見慣れたスーパーファミコンがあった。スト2のカセットが刺さっていたと思う。「結局スーファミが1番面白いゲームだよ」とケラケラ笑っていた。
そのころ彼女は(非合法の草)を吸っていたようで、会話の流れで自然とカミングアウトされ、いま吸っていいかと聞かれた。
わたしはその類のものが好きではなく(そんなものに頼って気分の上げ下げ操ろうとするなよ、と思ってる。いまでも)、自分の身体がその煙を吸うことへの警戒心もあったので、もう帰るから帰ってからにして〜とくだけた口調で断り、帰宅した。
その後もいつものメンツで何度かご飯に行ったりした。魔法の植物に抵抗感を示さなかった子とはまた別のグループで遊びに行ったりもしていたらしい。
そうやって彼女と遊ぶことがまた日常になったある日の朝。朝に弱い私は、まだ半分寝ているような状態で出勤の準備をしていた。そんなとき彼女の番号から着信があった。
私より朝が弱く、午前中に起きるヤツではないので、なんとなく嫌な予感がして通話ボタンを押した。
彼女の母からだった。
昨日、彼女が亡くなったという連絡だった。
母が帰宅したときには自宅で亡くなっていた。式は明日。そんな話を淡々と聞いた。現実感がないまま、仲のいい他の2人にメールでその連絡を送って仕事へ行った。悲しみが生まれたのはそのずっと後だった。
棺に横たわる彼女を見たときからわたしはずっとムカツいている。今もし彼女に対面したら割と新鮮なテンションで怒れるくらい。
あんたのそんな最期を見送るために、
わたしはインターネットの箱にかじりついて
あんたを探したんじゃないんだよ。
最期の一歩を踏み出すその瞬間、
私たちとの時間を思い出して躊躇って欲しかった。問い詰めたい。あんたにとってはそんな軽い思い出だったのかよ、と。
私にとってはこんなに大事な、大切な記憶なのに。
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【CD】BTS / Run BTSレビュー
「Run BTS」がだーーーい好き!
アンソロジーアルバム「Proof」に収録された新曲「Run BTS」。
発表されたとき、「Yet to Come」「For youth」より圧倒的にずっと聴いていた。
一言でまとめると
「ヘヴィ・ロッキン・エイジアン・ランナウェイベイビー」
初期の「HIPHOPをやろう!」としていた頃の楽曲を彷彿とさせつつも、
当時とはメンバーの表現力、技術力が確実に上昇していることもあり、
「あの頃やろうとしていたけどフレッシュさゆえやりきれなかったアプローチを、
今のスキルとキャラでやってみた」という印象を受けた。
特に育ちの良さが漂っちゃうJINくんと、いまでこそ耽美的な魅力を確立したJIMINちゃんのキャラや声は当時のカラーにハマるにはかなり難しかったのかなと思うことがあったけど
彼らが10年かけて磨き上げた自分自身の強みが存分に生かされた、
2022年式のBTS HIP HOPチューンになっているように思う。
Chapter2ではソロ活動にも本格的に取り組むという彼ら。
さらにそれぞれの強みが生かされた作品を目にすることができるだろうし、
その経験値を持ち寄って生まれる7人のシナジーを想像するだけでゾクゾクするなあ。
“後天的”ラッパーを確立させた「表現力への渇望」
この曲、ユンギ(SUGA)パートのボースティング(ラップ表現における自己賛美)も最高なのですが、ホビ(j-hope)のフロウがキレキレ。マンブルっぽい、ルードなラップがかっこいい。
RMとユンギが先天的ラッパーとすると、グループに参加することになってからラップを始めた人彼はいわば後天的ラッパーともいえる。
そんな彼も、最初は「テクニックとしてラップができるメンバー」だったかもしれないけど、
今は自分のアティチュードを持った確固たるラッパーになったんだな、と感じさせられた。
そしてそんな「Run BTS」のリリースから1ヶ月。
j-hopeがラッパーとしてもこれほどの実力をつけるに至るには
<より良いものを作ること/より良いパフォーマンスをすること>
への渇望が彼の並外れた努力の原動力になっていたのかもしれない…とその後に発表されたソロ作品のリード曲「MORE」で気づくことになる・・・。つづく?
【CD】BTS/Yet To Come 極私的視点レビュー
BTS (방탄소년단) 'Yet To Come (The Most Beautiful Moment)' @ ‘Proof’ Live 20220613 - YouTube
BTS/「Yet To Come」Music Video
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頂きの下に眠るYouthの亡骸
現在に至るまで、世界にはどれだけのボーイズ/ガールズグループが存在していたのだろう。
アイドルと呼ばれるその人たちは「若さ」を消費され、摩耗し、他人が勝手に区切った賞味期限を迎えると偶像としての役目を終える。
その後のセカンドキャリアで青春期と同様、またはそれ以上の成功を収めたアーティストはさほど多くない。
今や世界的アイドルとなったBTSが立つ場所は、過去に消費された「若さの亡骸」でできた山の頂上なのかもしれない。
BTS (방탄소년단) ‘Proof’ Live 20220613 - YouTube
ゲストのアンダーソン・パークが楽しげにドラムを叩いているところにつられて笑っちゃうライブ映像。いやドラムの演奏も歌もとても良いから!未聴の方は見てほしい…!
⭐︎
BTSが2022年6月10日に発表した新曲「Yet To Come」は、同年6月13日ーーデビュー9周年を迎える日ーーを際してリリースされたアンソロジーアルバム『Proof』のタイトル曲の一つ。
コードもメロディもとても普遍的。そこに2022年式のビートと7人の声(全員個性的ですよね…)というスパイスが足されると、聴き心地が良いだけでなく、芯が通る感じ? (コシがあるといいますか…背骨が通るといいますか…)
余談ですけど、卒業式の合唱とかに合いそう。ラップできる子がいたらより良いし、いなかったらポエトリーリーディングとかでやろう!誰か!
「僕は 僕はさ」が非常に…良いですよね……。
失われゆくYouthへの鎮魂歌
閑話休題。
特筆したい歌詞は楽曲を締めるこのフレーズ
You & I, Best Moment is Yet to come
(君と僕の最高の瞬間はまだこれから)
彼らの決意表明であるのと同時に、普遍的な青春賛歌としても胸をうたれるものがある。
人も動物も何事にも「最盛期」のレッテルは第三者によって勝手に貼られる。アイドルに限らず、森羅万象若さが必要以上に尊ばれ、若さを失うこと=価値がないものと思わされてる節がある。(例えばペットショップに並ぶ生き物)
時は巻き戻せない。だからこそ若さは尊い。
ただ、それを失っていくことは悪なのか。時間と引き換えに蓄えた経験、刻まれた知恵が放つ光は、若さのソレより劣るのだろうか?
決してそんなことはない。それを体現しているのがデビューから9年、あの頃とは違う輝きを身につけたBTSのメンバーに他ならない。
(個人的には日本国内でこの道ーー「若さ」を手放してもアイドルでいられることを証明したのはSMAPだと思っている)
この曲が誕生したことでBTSメンバーの魂が救われたかもしれない。そして彼らがこの歌を歌うことで救われたARMYも多いだろう。失われゆく若さへの前向きなレクイエムとして。
年齢を重ねていった先々で、彼らが見せてくれるであろう音楽が今からとても楽しみです。
おまけ:ある年齢以上の人が「まだこれから」と聞いて連想するもの
映画「水曜日が消えた」 感想ログ
(2022.7頃にnoteであげたものを引っ越しさせました)
2020年6月19日に封切りされた「水曜日が消えた」。上映期間中、おそらく5回ほど?みて、咀嚼しまくった状況で思うことを書き留めておこうかと思います。ネタバレふんだんにするので、気になる方はページをお戻りください!
中村倫也と私
そもそも、「美食探偵 明智五郎」と「不協和音」での演技や、自粛期間中にアップされていたYouTube動画「中村さん家の自宅から」やツイッターにあがる謎の漫画で虜になりました。在宅ワークという環境も相まって、huluで過去作品を垂れ流して仕事したり。
おかげでコロナ禍の不自由な毎日も、楽しく過ごさせてもらえたなぁ。(もともと在宅ワークは苦ではない性格なのもあるけど)
消えた日常
2020年のコロナ禍で、それまでの私たちが過ごしていた日常はすっかり失われていた。「水曜日が消えた」が公開されていた6月は、その失われた日常の真っ最中だったとも言える。(現に感染拡大の影響で公開が延期になっていた作品だった)
そして主人公の「火曜日」もまた、それまでの日常を失っていた。
幼少期の事故をきっかけに曜日ごとに切り替わる7つの人格を所有する青年。その中の一人である“水曜日”が消え、今までは火曜日にしか目覚めなかった“僕”が水曜日の時間も手にして、新たな出会いや経験をするお話。
解離性人格障害、多重人格。
漢字にするとシリアスさが増しがちなテーマをVFXを活用した映像美と、音楽、そして役者陣の演技で、ファンシーだけどミステリアスに落とし込まれていたのがすごく新鮮だった。伏線もきっちり回収されるし、エンディングもメッセージも「美しい」作品だった。
“火曜日”を見届けたい
私はこの作品を、2020年6月から8月上旬まで2ヶ月の間に計5回ほど劇場で見た。
友人や家族にも引かれた。自分でも流石にやりすぎかなぁと思うくらい見た。
こんなに同じ映画を短期間で繰り返し見るのも初めてだった。
(好きなバンドのライブだって最大でも1つのツアーで3回観る程度だったのに)
なんでこんなにリピートしたか。
1つは、「販促が上手い」。2つ目の理由としては、見事な伏線が張り巡らされた作品としての巧みさ。
そしてなにより幼なじみ一ノ瀬のセリフにもあったように
「火曜日たちのそばにいて理解したかったから」。
この気持ちで観ている人はきっと私だけではないはず。
「僕たちって気持ち悪い?」
「僕たちってホラー? サイコスリラーか…」
火曜日はこう問うていたけど、彼らの過ごす日常を少しでも理解して、そして分かち合うためにスクリーン越しに見守りたかったんだろうな、と。
火曜日たちの名前
最後までぼやかされていた彼らの名前は「斎藤数馬」だった。
物語終盤に手術の同意書のサインだけで確認できるその名前に、深読みしすぎかと思うけど、ハッとさせられた。
個人的な解釈として、脳の海馬=記憶を司る部分で人格形成の主たる部分(、、だったかと思う)、それが多数ある、、というのが由縁なのかなと。
それと同時に名付けで使う「馬」には「仲間」という意味もあるみたいで、物語内のご両親は「多くの仲間に恵まれますように」って意味でつけたのかな。そして自分の中にいるいろいろな自分とも最後は仲間になる=仲間は自分=仲間はそばにいる、と考えると、その名前が最後に明らかになるのは、なかなか素敵な着地だなとも思った。
2020年春からの日常
映画を見終わり、久しぶりに来た渋谷でお昼を食べようと公園通りを歩いていたとき、得体の知れない違和感を抱いた。
去年の今頃とは確実に違う人混み。
真新しいPARCO。
低空飛行をする航空機。
さらに増えたドラッグストア。
無くなったコンビニ。
コロナ禍以降初めて来た渋谷は、学生の頃から慣れ親しんだ場所とは思えないほど新鮮だった。
水曜日を初めて生きた火曜日も、こんな感じだったのかもな。
「幸せになれよ…!」
劇中、幼なじみの一ノ瀬が度々火曜日の髪をわしゃわしゃっとしながら「幸せになれよ…!」と呟く場面が好きだ。
星ガ丘ワンダーランド
双葉荘の友人
でも感じたけど、中村さんが演じると「この人のドラマの後の人生、幸せであれ…!!」と思わせる力がすごい。
見ている人間の心に母性を灯すスイッチを持っている。そしてラストの表情を見るに、今回の火曜日くんは間違いなくさらに幸せに生きられているはず。きっと。
私たちは思ったより脆い日常を、思ったよりも強靭に生きているのかもしれない。
【CD】ミイラズ流Lo-Fiヒップホップ/The Mirraz「Last Straw」
※以前noteで書いていた記事を引っ越しさせました。
1年ぶりのフルアルバム、「Last Straw」が突然のリリース!
The Mirraz「Last Straw」2020.10.24 リリース。全15曲収録。
▶︎iTunes Store配信リンク
https://music.apple.com/jp/album/1535887421?app=itunes
▶︎Apple MUSIC 配信リンク
https://music.apple.com/jp/album/1535887421?mt=1&app=music&at=10l7qr
ミイラズ濃度100%の“Lo-Fi HIPHOP”
「新しい生活様式」の名の下で、自宅にいることが多くなった私たちが楽しむ作品として最善なものとして届けられた最新アルバムは、濃度100%、どこを切ってもミイラズのLo-Fi HIPHOP。
※Lo-Fi HIP HOPとは
https://www.arban-mag.com/article/54726
「新しい生活様式」だから活きる楽曲
ライブではなく自宅で1人、屋外であってもイヤホン越しに1人で。楽曲と1対1で向き合い、楽しむことで最も力を発揮するアルバムなのではないでしょうか。
ただ、1人で楽しめる作品としてであれば、テーマに沿った既存曲、またはリアレンジを施した既存曲集でもファンとしては十分嬉しいものの、そこを全曲(しかも15曲も)書き下ろすとか…ミイラズ、恐ろしい子…!
タイトルについての個人的な思い出
The Last Straw —— 最後の藁。
私自身がこの言葉を知ったのは「青の炎」という小説でした。
作中で冷静かつ印象的に主人公の心情と状況が描かれている場面で目にしたときから、ずっとことあるごとに浮かんでいた慣用句。
20年近く前に何故か刺さったその言葉を、今大好きなミイラズのアルバム・タイトルとして再会するなんて、まったく予想してなかったな。だからめちゃくちゃ驚いたし、動揺して即刻iPhoneでApple Music開いたけど、解禁は24時から…というオチでした。とほほー(cv 脳みそ夫)
余談 小説「青の炎」につきまして
ちなみに「青の炎」は主人公の秀一を嵐の二宮和也が、ヒロインの紀子を松浦亜弥が演じて映画化されてます。
ただ、原作厨としては小説イズ ジャスティス。何度も読んで、毎回同じ場所で感極まる…など、思い入れが強いので、そのうち別で書きます。書き出すと長くなるから。
「青の炎」貴志祐介
作品の舞台が湘南・江ノ電沿線なのですが、畠山さんが江ノ電通学していたのを知ったとき、心の中では「秀一やん…」と呟いたこともあります。(秀一はロードレーサーでチャリ通してるけど)
で、今回タイトルを見る限り、畠山さんはほぼ秀一です。もはやニノより秀一。
仕事では去年鎌倉散歩した時に買った鵠沼スヌーピーファイルを使ってます。機密書類も隠れるぜ。
最終回は見届けたい
閑話休題。アルバムの話に戻ります。
好きな曲・歌詞とかは野暮になるので割愛しますが、かねてより"好きな作家・好きなアーティストの最終回、最後の作品を見届けないと死ねないと公言してるマン"なので「最終回」はずっと頷いてました。BPMに合わせて。
友だち・家族はもちろん、なんなら地球の最後も見届けたいので、50億年とか生きられるなら頑張りたいとすら思ってます。
だからミイラズの最終回だって、アーティスト畠山承平の最後の作品だって見届けないと死ねないのです。まだまだ足りない。100歳の畠山翁(はたけやまのおきな)がどんな曲作るか気になるので長生きしてください。細く…長く…細い必要はないけども出来るだけ長く!!お願いします!!
長生きのため、毎晩のミロで鉄分補給しています!!