福業時代
一つの会社でサラリーマン生活を全うする終身雇用制が当たり前ではなくなりつつある。年金ももらえるかどうかわからない。健康保険料もどんどん高くなる。
お金の不安を煽る話が増えた。
そのリスクヘッジとして副業が注目されている。複数の収入源があれば安心というわけだ。だけど本当に安心なのかな?
お金が資産(ストック)になってしまったのはいつからだろう。なんでお金を貯めるのかというとお金がなきゃ生きていけないからだ。
じゃぁいったい幾らのお金が必要なんだと言われてもわからない。手にしたお金に見合った消費生活している限りわからない。
だいたいお金を稼ぐために人生の大半の時間を使ってりゃお金に頼るしかないのは当たり前。サラリーマンだろうが自営業だろうが、お金のために働くという価値観に支配されているなら同じだ。
つまりお金のために副業したって安心なんか得られないってことや。
本当に必要なのは「副業」じゃなくて「福業」 つまりお金のためじゃなくて人を幸せにするため。結果として自分が幸せになるため。
週休3日制はどうかな?
週に1回平日に仕事を休む。
そのかわり給料は7割くらいでいい。
この日は休むのじゃなくて身近な人や社会や地球のために働く。小商いで小金稼ぐもヨシ、ボランティアもヨシだ。
本当の豊かさって何なのかをちゃんと考えなきゃならない時代。
それが福業時代だ。
第4回甲州道中鳥の旅〜三度目の正直
2年ぶり3回目の甲州道中"鳥の旅"(215km)を走った。
第1回大会は最長距離への初チャレンジ。
途中、脚を痛めて八王子(180kmくらい)でリタイア。
第2回大会はリベンジ。
なんとか完走。
この回まではスタートタイムが22時、23時、24時と選べた。フィニッシュタイムは22時の一本だけなので制限タイムは46時間〜48時間と幅がある。当然の事ながら完走したいから制限タイムの長い22時スタートを迷わず選択。結果は46時間7分で完走。
実は昨年の第3回大会からスタートタイムは24時の一本。なので制限タイムは46時間。つまり昨年のペースじゃ7分オーバーでDNFってことや。
直近の月間走行距離はどうかというと。
1月 71km、2月 61km、3月 48km、4月 84km、5月 34km。
6月も低調だったけど大会2週間前に夏休みの宿題みたいに45km走、1週間前に30km走をやったくらい。
制限時間も短いし、走り込んでないし、こんなんで完走できるのだろうか?
4月に出資関係のある会社へ出向した。経験の薄い分野の仕事の管理職になって4月、5月、6月は四苦八苦の毎日。職場の人間関係にも馴染めず何度か心が壊れそうになった。
メンタル結構自信あった筈なのになぁ。もし完走できなかったら更に自信無くすかも。でも完走できたら生まれ変わるかも。だけど完走にこだわって身体壊して月曜日会社休むことになったらまずいしなぁ。
そんな複雑特な思いと不安を抱いたまま3回目の鳥の旅が始った。
【6月28日】
どうしても出席しなければならない会議があり仕事は休めず。新宿19:35発の高速バスで下諏訪へ向かう。3時間程なので少しでも寝れるといいんだけど30分ほどしか寝れず。
スタート地点の下諏訪大社に到着。
これまでの"鳥の旅"や"風の旅"で出逢った懐かしい人達との再会。近頃はFacebookで繋がってるので会ってなくとも近況を知ってたりするけど、やっぱりリアルに会って顔の表情を見て話したり握手するのが良い。独り旅ではないんだと思うとリラックスした気持ちになる。
スタッフもランナーも共に旅の仲間だ。
【6月29日0:00】スタート:下諏訪大社秋宮
いつものことだがスタートしていきなり走り出す人はいない。
蒸気機関車のようにゆっくりと動き出す。暗闇の中へヘッドランプに照らされら隊列が吸い込まれていく。
ペースが上がってくると先頭と最後尾の距離が徐々に広がっていく。初っ端どの集団についていくかって、その後のペースに多少なりとも影響があるように思う。いつもは真ん中くらいだけど、今回は制限時間も気になるし、もし完走するなら月曜日のことを考えて早くフィニッシュしたいので先頭集団について行くことにした。そうは言っても走力の違いがあるので段々とばらけてくる。気がつけば独りで走っていた。
夜は景色がないので走りに集中できる。3回目ともなると見覚えのある場所が結構あって気持ち的に楽だ。だからと言って過信せず、ちょっとでも自信がない時は地図を見る。過去に痛いロストもあったから。
やがて夜が明け始める。
薄明の旧道を淡々と走る。
小鳥や鶏の鳴き声が聴こえる。
【6月29日5:10】CP1:台ヶ原宿ふれあい休憩所(41km)
CP1から間もなく古道の入口に到着。
いつもと変わらぬ景色だ。
しかし更に先へ進むと何やら見慣れないものが。
なんと太陽光パネルだ。なんと無粋な。せっかくの古道の雰囲気が台無し。かなり残念な気持ち。
古道の出口側はいつもと変わらぬ景色でホッとした。日本人は、古いものやそういうものを含めた周囲の景観をもっと大切にした方がいいと思う。
台ヶ原から先、旧道に入ったり出たりする。
前回のブログでも書いたが、新道(国道)はクルマの道、旧道は人の道。
やっぱ旧道は気持ちいい。
旧道沿いの宿場町の保存のレベルは様々だ。水路が残ってるところは保存が良い方だろう。今どきの考えだと、人が落ちたら危ないとかでコンクリートの蓋で覆ってしまう。昔は、水は蛇口をひねって出てくるものではない。人の暮らしは水路を流れる水と共にあったと思う。清らかな水の音を聴きながら昔の面影を想像してみる。
歴史を感じさせる古家を眺めるのもまた良し。維持は大変だろうけどいつまでも保存してくれるといいな。
旧道を走ってると農家のおばさんが「頑張って!」と言って何やら手渡してくれた。
ブルーベリーだ!
一粒一粒、感謝しながら食べる。
山間を抜けると、目の前にびっしりと家が立ち並ぶ大きな市街地を一望する場所に辿り着く。甲府盆地だ。心が躍る。江戸時代にタイムスリップしてここからの景色を見てみたいもんだ。
これまでの2回は甲府市内はあまりの暑さにバテてしまったが、今回は曇りのせいかそんなに暑くなくて助かった。
【6月29日 IN10:54 OUT11:49】第1エイド:石和(スパランドホテル内藤)(75km)
石和エイド到着。前回と場所が変わったけどお風呂がある点は同じだ。どうせまたすぐに汗かくんだけど、一旦汗を流しウェアを着替えると気持ちをリセットできる。エイドでフルーツやナッツをいただいてから早速風呂に入ってリフレッシュ。昨年は2時間20分滞在したけど今年は制限時間が気になるので1時間弱で出発。
長距離を走ったら身体を休めることは大事なんだけど、一旦長く休むと次に走り出した時に脚が棒のようになって思うように走れない。脚が棒なら棒をどう使って前に進むかを考えればいい。昨年のGWに“風の旅”を走った時に一緒だった三ノ宮さんに超長距離の走り方を聞いたら“コンパス走り”というのを教えてもらった。コンパスの脚は曲がらない二本の棒だ。それを人間だとしてどうやって前へ進むか? そんなことを思い出しながら脚を動かしてると徐々に走れるようになってきた。脚の筋肉を使わずアキレス腱の伸張反射と腰や上半身を上手く使って走る。一本歯下駄で走るのと同じ要領だ。
笛吹を過ぎると勝沼まで延々と登り坂が続く。過去2回は日差しが強く気温も高くてかなりしんどかった記憶があるんだけど、今回は曇り空でそんなに暑くない。ほぼ脚を止めずに前へ進む。
勝沼が近づくと道の両側に葡萄園が立ち並ぶ。黄緑色した葡萄の房がたわわに実る。収穫はいつ頃なんだろう。
【6月29日14:13】CP2:栢尾古戦場址(近藤勇像)(87.5km)
勝沼を過ぎて間もなくCP2に到着。甲府盆地を抜け景色が変わる。山が迫ってきた。国道を離れ旧道に入る。
いよいよ笹子峠だ。
最初の急坂を過ぎると緩やかになる。走って走れないこともないが走ったところで歩くのに毛が生えた程度のペースにしかならない。体力を消耗するだけなので歩き通すことにした。
峠道をひたすら歩いて登る。山の中は空気が美味しいし、木々の緑に癒されるのでさほど疲れない。そして古道の入り口に差し掛かる。
舗装路を進むこともできるがもちろんトレイルを進む。
プチトレランを楽しむ。
古道を登り詰めると一旦舗装路に出る。
右手に笹子トンネルが見える。トンネルを抜けて峠を越えることもできるが、本物の峠はトンネルの上の方にある。舗装路を横切り再びトレイルに入る。
霞みがかった森はとても幻想的だ。映画のシナリオみたいに霧に包まれている間にタイムスリップして江戸時代へ・・・などと有らぬことを妄想しながら峠へ向かう。
ようやく峠に着いた。反対側へ下れば第2エイドが待っている。
トレイルを下ると再び舗装路に出る。右手にトンネルがある。さっき見たトンネルの反対側だ。つづら折りのロードをしばらく降りると「矢立の杉」の入り口がある。
樹齢千年を超えるそうだ。何度見ても圧倒される。直接手の平で触れてパワーを授かりところだが、残念ながら柵があって近づけない。
「矢立の杉」の後、ロードには戻らずそのまま谷筋のトレイルを下る。
ほぼ一直線で傾斜も緩い。トレイルは柔らかくて脚に優しいせいか100kmも走って来たことを忘れるくらい気持ちよく走れる。
トレイルを抜け再びロードを走ると間もなく待ちに待った第2エイドだ。
【6月29日 IN17:14 OUT17:52】第2エイド:黒野田(103km)
笹子峠を無事越えてみんな安堵してかエイド内は明るく和やかだ。しかし103km走ったってまだハーフだ。これからが超長距離ランニングの真骨頂なのだ。兎にも角にも腹ごしらえ。
名物カレーライスを大盛りでいただく。美味い!
超長距離ランニングでは「食べる能力」が極めて重要なのだ。食べなきゃエネルギーが枯渇してどんなに走力があったって脚を動かすことができない。
初めて「鳥の旅」を走った時、途中で食欲を喪失した。どうやら長時間汗をかいてミネラルを失ったらしい。コンビニで行き当たりばったりに食べてるとカロリーは補給できるかもしれないけど、ビタミンやミネラルはちゃんと補給できてるかどうかわからない。食べたものを消化してエネルギーとして利用するためにはビタミンやミネラルが必要なのだ。この時は足首を痛めて八王子でリタイヤしたけど、それだけが原因ではなくてカロリーやミネラルの補給を含めた身体全体のバランスの乱れもあったと思う。
2回目に走った時は、ラン仲間のアドバイスがあってビタミンやミネラルを安定的に摂取するためにサプリメントを導入した。本当にそれが効いたのかどうか定かでは無いが、2回目の“鳥の旅”では食欲を失うこともなく、最後まで脚も動いて無事完走。それ以降、超長距離を走る時には必ずビタミンとミネラルを摂取するようにしてる。(ブラシーボかもしれないが)
再び旅へ戻る。
しっかりと腹ごしらえして第2エイドを後にする。
大月へ向かって下り基調が続く。下りは楽だけど走りが雑になって脚を痛めやすいので要注意だ。速く走ることよりも丁寧に走ることを心掛ける。
途中で陽が沈み夜になる。ところどころ旧道に入ると真っ暗で車通りもほとんど無い。寂しいけどホッとする。車がビュンビュン行き交う国道を走るのはストレスだから。
大月を過ぎ、猿橋に着く。(21:17)
観光名所なんだけど夜に訪れる人は鳥の旅ランナーくらいだろう。
誰もいない猿橋を独りわたる。
下鳥沢から国道を離れ犬目宿へ旧道の坂道を延々と登り坂だ。もちろん歩き通す。
途中、小雨が降り出す。夜だから景色も見えず、車もめったに通らない。雨音と足音だけの単調な時間。急に睡魔に襲われる。そりゃそうだ。金曜日の朝6時に起きて、仕事して、バス乗って、0時から走って、朝を迎え、走って、また夜が来て、今ここにいる。走り始めてから22時間ほどだけど、起きてる時間は40時間にもなる。
(走れ)メロスを超えたかも・・・
眠くてうつらうつらしながら歩いていると、暗闇の中に人の声が聴こえる。幻覚か?
ヘアピンカーブを曲がると灯りが見える。こんな時間に何やってんだろう。近づくと手を振る人。着いてみるとまさかの私設エイドだ。何にも知らされてないので喜びが倍増、いやこのロケーションだから10倍増だ。
一言で表現するならサプライズ・エイド!
人と話すことだけで癒されるんだけど、ここでいただいた温かくて甘いカフェラテに最高に癒されてモチベーション急上昇。嬉し過ぎて写真撮るの忘れてしまった。
元気もらって出発。間も無く犬目宿に入る。
【6月29日23:06】CP3:犬目宿場址(130km)
小雨と霧に包まれて宿場の街並みはほとんど見えず。先を急ぐ。
犬目宿を抜けてすぐ車道をそれて細い道に入る。道が段々と細くなり、ついには草茫々のトレイルにぶち当たる。先は真っ暗で道なのかどうかもわからない。独りだし山の中でロストしたらヤバいので引き返し車道を進む。ここは別の機会にもう一度トレースしたい。
その後も人気の無い寂しい旧道が続く。コンビニには下鳥沢から旧道に入ってずっと無い。上野原でようやくコンビニに入る。
コンビニは旅ランのオアシスだ。働き方改革の流れもあってコンビニ24時間営業が問題になってるけど、こんな時にはほんとありがたい。
ようやく相模湖の入り口まで来た。ところどころ国道から外れて旧道に入るが、暗いし複雑なのでロストしないよう地図を何度も確認しながら進む。
【6月30日 3:42】CP4:小原宿(154km)
小原宿の少し先の美女谷で左の小道に入る。難所小仏峠へと続く旧道である。
第1回の時は、寝不足のせいか思考停止状態で国道をまっすぐ進み大垂水峠まで行くという大ロストをやらかしてしまった。同じ誤ちは犯さない。
小仏峠へと続くトレイルを登り始めた頃に夜が明ける。せっかくのトレイルが真っ暗じゃもったいないのでちょうど良かった。
小仏峠に到着。小休止したいところだが雨が降ってるので先を急ぐ。
峠を下ると第3エイドだ。
【6月30日 IN6:05 OUT7:45】第3エイド: 裏高尾(梅の郷まちの広場)(162km)
エイド到着。ここまで来ると東京へ来たのも同然な気がして安堵する。とは言え交通量が多くて快適とは言えないロードがこの後53kmも続くので楽ではない。温かいうどんやフルーツをいただいたところで少し仮眠をとる。2回目の時はここで1時間程度仮眠した。今回も1時間のつもりだったが30分ほどでハッとして目が醒める。ここで二度寝したら寝過ごしてしまいそうなので、仮眠を切り上げ出発することにした。たったの30分でも睡眠をとると心身がリカバリーする。
交通量の多い国道を進む。信号が多いので速く走っても、遅く走っても変わらない。次の交差点を、信号が青に変わるタイミングで止まらずに通過できるようペースを微調整しながら走る。
エイドを出てしばらくするとどうもパワーが出ない。腹に力が入らない。エイド出るときにうどん食べたのにまたお腹に何か入れたい気分。100マイル走って脂肪燃焼し尽くして糖質補給しないとエネルギーが得られないのかな?
とにかくお腹に何か入れようと八王子でコンビニに入る。
2度目の朝ごはんを食べて再出発。
【6月30日10:42】CP5:日野宿本陣(154km)
相変わらずパワーが出ずペースは上がらないが、とにかく前進あるのみだ。
立日橋で多摩川を渡る。昔の人は船で渡ったのだろうがその頃の多摩川はどんな風に見えたのだろうな。
国立、府中、調布と進むがやはりパワーが出ずペースが上がらない。完走は間違いないだろうけどいったい何時に日本橋に着くのだろうかとちょっと心配になったりする。
ちんたら走ってたら第4エイドの手前で呼び声がする。なんとラン友の新川さんが家族連れて応援に駆けつけてくれた。FBの投稿見て走ってる位置のあたりを付けて車で逆走して見つけてくれた。近くのコンビニに入って休憩がてらひとしきり話して再出発。気分転換できたせいか、ここから第4エイドまでは不思議と調子良く走れた。やっぱメンタルは大事。
【6月30日 IN14:14 OUT14:34】第4エイド:調布(193km)
第4エイド到着。
椅子に座ってると女性スタッフが飲み物やフルーツを持って来てくれて至れり尽くせり。
極楽じゃぁ〜。
193kmも走ったご褒美だな。
こんな写真まで撮ってくれて男冥利に尽きる。
パワーアップしてエイドを後にする。
お陰でここから新宿までは信号機以外は脚を止めず、走りに集中できた。
雨の新宿に到着。(17:01)
傘をさして歩く大勢の人の隙間を縫うように進む。自分はかなり異様な姿だと思うが、特に注目されるわけでもない。都会では一人一人の存在は人混みに掻き消されてしまうのだろうか。
皇居のお堀沿いの歩道をよろよろと走る。ほとんど歩くようなスピードだ。後ろから皇居ランナーが颯爽と走り抜ける。まさか200km以上走ってここにいることなんて誰も想像できないだろうなと思うと、ペースは遅くても自分が誇らしい。自分独りの凱旋パレード、心の凱旋だ。
そしてついに日本橋に到着。
前回は夜だったけど今回はまだ明るい。前回より2時間遅い出発だったけど、前回より早く着いたということだ。2回目だけど感慨深い。
日本橋を後にゴールの浜町公園へ向かう。
【6月30日19:04】ゴール:日本橋浜町公園(215km)
フィニッシュ!
なんだか前回よりも全然元気。
記録は43時間4分。
100kmにも満たない月間走行距離でほんとうに完走できるのか? なんて心配しながらスタートしたけど前回より3時間短縮。
つまり月間走行距離なんて関係無いってことだ。超長距離ランは“走力”ではなく、“総力”で走るもの。 走り方、休み方、食べ方、心の持ち方、ルートファインディングなど・・・
“総力”なら年齢や性別も関係ない。
だから面白いのだ。
あらためてそう思う。
これぞ三度目の正直なのだ。
Burning Run Air
ある日のこと、韓国留学中の娘から、済州島で開催されるBurning Run Airという聞いたこともないランニングイベントのお誘いがあった。レースじゃなくてFUN RUNイベント。それもたったの8km。
ランニングなんかやりそうになかった娘が何故か韓国で走り始めた。ソウルのランニングクラブで走ってるらしい。ランニング的には物足りないが、娘と二人旅なんて初めてで最後かもしれないので誘いに乗ることにした。
4月26日
成田から直行便で済州空港へ。雲の上に見える山は漢拏山(ハルラサン、かんなさん)という済州島にある韓国最高峰(1947m)の山だ。
成田から2時間半ほど、あっという間に済州島に着く。ソウルから国内線で来た娘と空港で合流。
空港からタクシーで1時間弱。北東の城山へ向かう。
ホテルにチェックインしてまずは遅い昼ごはん。小ぶりのアワビや貝の入った鍋。韓国らしい海鮮鍋。マシイッソヨ。
食事の後、タクシーを飛ばして近くの海岸へ行く。最近人気のスポットらしい。
あいにくの曇り空で、なおかつ寒い。それでもいい感じの海岸。「韓国の湘南」と勝手に命名。
寒いのでCafeに入る。
窓から見る海が素敵。
海岸には海を眺めるCafeがたくさん立ち並ぶ。去年の12月にソウルに行ったときもCafeがたくさんあった。韓国は空前のCafeブーム。日本よりCafe密度高い。
ホテルに戻るころには陽が暮れて夜になる。
夕飯に出掛ける。
韓国で刺身を食べるのは20何年かぶり。実は会社入ってすぐ鉄鋼関係の仕事で何度も韓国を訪れたことがある。その時はよく食べた。日本ではマグロのトロみたいに脂がのった刺身が旨いのだが韓国の刺身は淡白。辛味噌のせてサンチュに巻いて食べたりする。
4月27日
一夜明けて6時起床。ランニングイベントは午後なので午前中に近くの城山日出峰へ。
麓から見ると急峻な岩山。登るのが大変そうに見えるけど往復50分らしい。よく整備された遊歩道を歩くとだんだんと傾斜がきつくなる。しっかりとした階段があるので山登りって感じでもないが。ほどなく山頂に着く。
なかなかの絶景。山頂は火山のカルデラの縁にある。お鉢は緑の草原になってる。外から見た山の荒々しさと火口の大きさからしてかなり激烈な噴火だったのだろう。
下山道は登山道とは別にある。
急峻な斜面も立派な階段があって楽々と下山。
下山後は磯の方へ降りてみる。
侵食が進んで独特な地形。磯もなかなか良い。
その後、城山日出峰を見上げるcafeで朝食。
イベントは14時から受付で15時スタートなので近くの食堂でゆっくりお昼ごはんをいただく。
へジャンクというスープ。「胃腸を醒ます」という意味らしい。しかし、走る前に山登ったり、cafe行ったり、韓国料理食べたりで走りにきたの忘れそう・・・
ようやくイベントのスタート時間がやってきた。
海外で走るの初めて。
もちろんワラーチで。
他にワラーチの人は・・・いない。
日本と違って関心も薄いようで声を掛けられることもない。ちょっと寂しい。でも声掛けられても何言ってるかわかんないのでそれはそれで良かったかも。
そしてスタート!
タイムの計測もないのでダッシュする人もなく、超ゆるゆるで走り出す。
朝登った日出峰を見ながら広々とした歩道を走る。
距離短いので水とエナジードリンクしかないけど一応エイドもある。
娘のソウルのラン仲間も参加していて写真を撮ってくれた。
韓国の人は集合写真が大好き。
たったの8kmだからゆっくり走ってもあっという間にフィニッシュ。
娘にすれば8kmとてチャレンジ。最後までしっかり走って偉い!(親バカ)
夜は娘のラン仲間と一緒に打ち上げ。
昔は仕事で韓国に来て仲良くしてもらったの思い出す。当時は韓国の人が日本語を話してくれたので会話に不自由なかったけど、今回は娘の通訳頼み。皆さん娘より歳上のサラリーマンだけど娘が何ら不自由なく楽しそうにハングルで会話してるのを見て安心した。
料理は鮑、海老、蟹が山盛り入った贅沢な海鮮鍋。
マシイッスムニダ。
4月28日
イベントは終わったけど旅は続く。
朝から近くの牛島(ウド)へ船で渡る。
15分くらいで牛島上陸。
港にはレンタルサイクル屋さんが立ち並ぶ。電動自転車だ。
ライセンスは要らないようなので借りることにする。2時間ほどで牛島を一周できるらしい。
海岸沿いの道は車も少なくサイクリングロードのようで走りやすい。
ペダルを踏むと電動アシストで加速する。最初はちょっとびっくり。しばらく走ると慣れてきた。坂道も力要らずで楽チン。
白砂のビーチだが砂じゃなくて貝殻みたい。
高台から城山日出峰を望む。
一周終わって城山へ戻り昼食。済州島名産の黒豚のオギョプサルをいただく。サンギョプサルは3枚バラだけど「オ(五)」とは皮とカルビの2層が加わる。サンギョプサルより少し上等。
ハサミでジョキジョキ。
しっかりと火を倒しても柔らかくて美味しい。
マシイッソヨ!
この後、済州空港までタクシーで戻る。空港で娘と別れ成田へ。
こうして娘との二人旅が終わる。
たいして走ってないけど、走ってなかったらこんな機会もなかったと思うと走れることにあらためて感謝!
もうひとつの暮らし
今日、畑に行くと、3月17日に種芋を植え付けたジャガイモの芽が出たところで何者かが土を掘り返して芋を食い荒らしていた。
鳥か、小動物か?
10年以上ここで野菜作ってきたけどこんなことは初めてだ。同じ畑のおばさんに話すと、他の畝でもそうらしい。
そう言えば、最近、周辺の耕作放棄地が次々と宅地に変わってる。人口が減ってるというのに。
人間の住処が増えることは人間以外の生き物の住処が減ることを意味する。
耕作放棄地というのは、暮らしの場を失った生き物にとっては砂漠の中のオアシスみたいなものなのかもしれない。だから僅かに残されたオアシスに生き物は集中する。そして市街地の耕作放棄地を借りて無農薬で細々と家庭菜園やってる我々の暮らしとコンフリクトする。
これはあくまで僕の想像。
人間には見えていないもうひとつの暮らし。
生き物達の暮らしがあるって想像してみた。
ジャガイモを食べたい君には申し訳ないけど、防虫ネット張らせていただきました。
耕さない田んぼ(その3)
【4月6日】
3月16日の種蒔きから3週間。
苗はどうなってんだろう?
こんな感じでした。
成長にムラがあるのは場所によって温度に差があるからだそうです。
苗作りは温度管理が肝なのだ。
もうちょい近くで見るとこんな感じ。
2葉が出たとこくらい。
ちなみ稲に葉数の数え方は以下。
豊作への道 vol.10 「稲の葉数の数え方」 ( ガーデニング ) - 地獄先生がいく - Yahoo!ブログ
一株を引っこ抜いてみた。
やっぱり2葉だ。
根もしっかりの伸びている。
2葉が展開すれば水田出しできるんだけど、成長の遅い苗もあるので、もう少しハウス内で育苗することにする。
2葉〜3.5葉で水田出し。
4.5〜5.5葉で田植え。
苗のローラー掛けというのをやった。
ペンキ塗りなんかに使うローラーで苗を押さえつける。ポキって折れちゃうかと思いきや全然平気。
いじめると強い苗が育つらしい。
麦踏みと同じ原理。
人間も過保護はあかん。
耕さない田んぼ(その2)
3月16日は種蒔きでした。同じ地球の仕事大学のマイ田んぼで体験済みなので作業はだいたいわかる。その前に3月2日に選別して浸水した種籾はその後どうなったかだ。
12〜13℃で10日間くらい浸水。
発芽抑制物質のアブシジン酸を除去するためだそうだ。野菜の種と同じだ。この仕組みのおかげで植物はその場ですぐに発芽せず、場所や時期をずらして発芽して種(しゅ)を保存することができる。動物みたいに自分で歩けないからね。
浸水の後は20℃で2〜3日催芽処理。
合わせて12〜13日くらい。
この間の温度が管理が大切なんだけど付き添って面倒みるわけにもいかず、スタッフの萩谷さんにお任せでした。萩谷さんに感謝!
催芽後の籾はこんな感じ。
(爪伸びすぎやf^_^;)
先端のすぐ下の膨らんだところから芽と根が出て来る。芽や根がでる直前のこの状態を「鳩胸」といって播種の最適期なのだ。中には少し芽が出ちゃった籾もあるけど大丈夫。
さていよいよ種蒔き。
苗箱を用意します。
このままだと土が漏れちゃうので小さな穴があいた薄いプラスチックシートを敷きます。
次に培土を入れます。
培土の表面を平らにするためスクレーパーでなぞります。
催芽した種籾は一箱あたり76g(約2000粒)
数えた人がいるのかな?
これを培土の上に均一に手蒔きします。
これがなかなか難しい。どうしてもムラができる。性格の出る作業。自分は元来ええ加減だから高いところからパラパラと落とす。
その後に水をやります。
苗箱を並べてジョウロで均一に水を掛ける。
水やりの次は種籾の上に覆土を重ねます。
角材で苗箱の高さの面で平らにします。
こうして苗箱が出来上がる。
できた苗箱を20箱づつ積み上げる。
この山が6つ。120箱。面積にして6反分。
面積何倍やろ。
山が完成したらシートを被せます。
遮光と保温を兼ねてます。
ここからの温度管理を大変。
土が温度が25℃を超えないよう、10℃を下回らないようビニールハウス内の気温を調節する。
一日に何度かビニールハウスの開け閉めをしなきゃならないので週末ファーマーにはちょっと無理。なのでまたしてもスタッフの萩谷さんにお任せ。萩谷さんに感謝!
土の温度を管理するため接触式の温度計をセットしてます。
これで種蒔き完了。
これから先、稲はどんな風に成長していくのか楽しみ。
次回は3月30日。
乞うご期待!
耕さない田んぼ(その1)
昨年、生まれて初めて米作りを経験した。
なんと言っても米は日本人の主食。
いつからだろう?
「食える」が「お金を稼げる」ことを意味するようになったのは・・・
主食を作れるって「食える」の原点だと思う。
たった1畝のちっぽけな区間で、たったの23kgしか採れなかったけど、それでもお米を自分で作れたってことは意義深い。
本気で米作りを学びたい。
そんなわけで、今年は本格的に勉強するため、地球の仕事大学の「耕さない田んぼ学部」を受講することにした。
3月2日はその第一回目でした。
講師は五十嵐先生、鳥井先生のお2人。
五十嵐先生については↓
鳥井先生については↓
お二人共、数少ない、そして貴重な自然農の稲作の伝承者であり実践者だ。
何故、耕さないないのか?
耕さないことで田んぼが多様な生き物の住処となるからだ。田んぼが、プランクトン、イトミミズ、昆虫、鳥などの生き物と多様な植物が持ちつ持たれつ(食物連鎖)の一大生態系となる。その生態系を活かして稲を育てるのが「耕さない田んぼ」だ。
生態系がまずあって、お米はそこからの授かりもの。
つまりは人間も生態系の一部ということだ。
農薬も肥料も人為だから加えない。
その必要が無い。
基本的な考え方は、故岩澤信夫氏の冬期湛水・不耕起移植栽培に基づく。
しかしながら、稲にとって最適な条件は田んぼによって異なる。近頃ありがちな「誰でもできる無農薬の米作り」みたいなマニュアル(方法論)の無い世界。教えてもらったことを鵜呑みにせず、何故そうなるのかをよく観察し、その田んぼに適した育て方を見出すのだ。
例えば、農薬で雑草を殺すのでは無く、雑草が芽吹かない条件を用意するなど。言うは易し、行うは難しだけど。
自己紹介タイムの後、実習の場となる田んぼを見に行く。
谷津田だ。
谷津田については↓
谷津田は昔から水源地であり、様々な生き物や植物の生息地だったのだ。
「耕さない田んぼ」をやるためには水が自由に使えることが条件となる。平地の田んぼは農家さんが水源を共同管理してるので自由に使えない。なので平地ではなく山間部の谷津田になる。谷津田は、場所的に不便だし、小面積なので生産性が低い。真っ先に休耕田になる。そんな谷津田を「耕さない田んぼ」として再生することは、水源地と生態系の復活に繋がり社会的意義も大きい。
まぁそんなことはさておいて
谷津田の景色は気持ちがいい。
部屋に戻って稲作の歴史を学ぶワーク。
縄文から弥生時代へ移る頃に九州で始まった稲作が徐々に東北へ広がっていく。気が遠くなるような年月を重ね、その土地や気候に適した稲が選抜されて反当たりの収量は徐々に増えていくが、自然任せの極めて緩やかな変化だったろう。
畜糞や人糞などの有機肥料を使い出したのは江戸時代から。この頃の収量でも反あたり3俵しかない。
農薬、化学肥料、機械化などが普及したのは第二次世界大戦後。生産性が急速に高まり1985年には反当たり8俵へ。バイオテクノロジーでさらに収率が上がっていくのだろうか?
マネー資本主義経済偏重の時代の中で、生産性を追求すればするほど、田んぼは生態系からどんどん分離していき、そして生態系を壊す。
「農」とは、生態系の繋がりの中で人間が生きて行くために必要な資源を得ることだったはず。
では農薬も肥料も使わない「耕さない田んぼ」は江戸時代以前の収量に逆戻りかというとそんなことはない。8俵くらいとれる田んぼもあるというからびっくり。これは品種改良の成果だろう。その代表格が誰もが知ってるコシヒカリ(1956年品種登録)だ。
それにしても、
8俵とれたら充分じゃねぇの?
だって田んぼはどんどん減ってる。米の年間消費量のピークは1963年だ。田んぼを減らして収量を上げるくらいなら、収量増やさなくてもいいから田んぼが増えた方がいい。
生態系あっての人間なんだから。
国民皆農で休耕田を復活せよ!
農に関わればみんな健康になって医療保険も老齢年金も健全化するだろう。
さて、歴史を学んだ後は、種籾の選別についてだ。
種籾の比重にはバラツキがある。そして重い籾の方が軽い籾より成長力が高い。重い籾と軽い籾が隣り合わせだと重い籾が栄養分を独り占めして軽い籾の成長がさらに悪くなる。重い籾と軽い籾を選別してそれぞれがバランス良く成長した方が全体の収量は上がるというわけだ。
農協やホームセンターで売ってる種籾は比重1.13で選別されている。それを前提に比重1.15で重い籾と軽い籾に選別する。
どうやって選別する?
塩水だ。水に塩を混ぜてかき混ぜると比重液ができる。
どうやって比重を測る?
比重計があればいいが一般的なものじゃないのでわざわざ買うのも面倒。そこで登場するのがなんと生卵だ。塩水に生卵を浮かべて水面より上の部分と水面との境界の円が500円玉の大きさなら比重1.15。円が大き過ぎるなら水を加える。小さ過ぎるなら塩を加える。生卵だったらすぐに手に入るし使い終わったら食べられる(笑)
比重液ができたら網袋に入れた種籾を袋ごと沈める。浮いた籾を掬い取って別の網袋に入れる。
この後、種蒔きに備えて水に10〜20日ほど浸しておくのだが、これについてはその理屈も合わせて種蒔きの時に書くことにする。
今回のまとめ。
100の田んぼがあれば100のやり方がある。
それは生き物や植物が教えてくれる。
答えはその田んぼにある。
何度も試行錯誤してそれを見つける。
それが「耕さない田んぼ」
To be continue.