思いが止まらない。
今日は子供の日。ホントは、アパレッシーダの日。ブラジル中からアパレッシーダに人が集まる。何日もかけて、徒歩でアパレッシーダに向かう人もいる。
うちは、ハツミのおうちでシュハスコだった。
まだ、古典のことを考えていた。とにかく上手くなること。イベントよりも、継承していくことに重きをおきたいとか。資金集めを考えないといけない。
今、40歳。まだ時間はある。これから1年頑張ったら、上巻と舞踊曲の1巻は出来ると思う。あと3年したら、中巻と下巻、舞踊の2巻は出来るだろうか。
もし、カンピーナスに行けたら、その頃には新人賞に挑戦する人がいるかもしれない。3年後くらいには、世代交代も始まるかもしれない。
とにかく準備をしよう。コミュニケーションは下手だし、かなりやらかすけど、悪意がなければ分かってもらえることもあるだろう。とにかく貫こうと思う。
唄を動画に納める
昨日、息子に携帯を取られたから、昨日の分。
金曜日、こうぞう先生の唄のお稽古の日だ。早速、ビデオを作りたいと提案した。先生はユーチューブを知らず、どこに送るの?すぐに行くの?と怖々としながらも、どこか嬉しそうだった。そして、お稽古風景ということにしなさいと言った。
舞踊曲の第一巻、最初の曲は作田(ちくてん)と早作田(はいちくてん)だ。作田は、去年のコンクールでやった曲。早作田は全然分からず、こうぞう先生のとこに通い始めてから、すごく連絡して出来るようになった。
とりあえず、試し撮り。
こないだのコンクールで、合い弾きしてないことを指摘されたので、やり始めた。まだ慣れない。だから、多少ギクシャクしたり唄に集中出来てなかったりするけど、とりあえず最初から最後まで弾き通せた。
もっと完成度を上げたいので、また撮り直したいけど、アングルやビデオがどんな感じになるか、確認出来た。先生も気に入った様子で良かった。
ちゃんと練習していって、お稽古の度に一つずつ増やして行きたい。
子供が離れたらどうなる?
あと3年したら、息子は14歳。娘は11歳。私は43歳。
あと5年したら、息子は16歳。娘は13歳。私は45歳。
あと3-5年したら、子供たちは今のようには家族といてくれなくなるだろう。そしたら、今のように子供たちと家族を楽しめるのはあと3-5年。
そのあとは、旦那と自分だけ。旦那は?今でさえ、好きなことやりまくってる。魚に車...バイク旅もたまにだし、二人で何かをするなんて、ホントに少し。
それが、40歳を越えたら更に行動力アップ!らしいから、もう私は自由の身だろう。
もし、琴をやってなかったら、どうしてるだろうか。
今日、旦那に琴や古典を継承するのに、色々案が浮かんできて、じっとしてられない話をした。そしたら、それで生きていくの?と聞かれた。
...。
そう聞かれると、うん。とは言えない。そんなの分からない。そんなたいそうなことは考えてない。でも、本格的に足を突っ込んでいったら、責任が伴ってくるのは分かる。
でも、自分は教師とか師範とか、名誉も権力も興味はなくて、ただ、マツコ先生やこうぞう先生の古典音楽を残していきたいとか、琴の音色の素晴らしさをみんなにしってほしい、残してほしいとか、そういう想いを繋いでいきたいだけ。ぶっちゃけ、人前に出るのも仕切るのも苦手だし、責任は出来るだけ回避したい。でも、それ以上に二人の存在をその想いを後世に残したいと思う。
だから、出来るかどうか自信なんてないけど、アイデアとやる気だけは沸いてくる。
で、もし琴をやってなかったら、子供たちが手を離れたとき、自分はどうなってるだろうか。
日本語とアートくらいしかない。
日本語は、今まで色々やってきたけど、やっぱりその程度だと思う。嫌いじゃないけど、そんな情熱もない。とりあえず現状維持だと思う。
アートって言っても、鶴と切り絵くらい。あとはアクセサリー作りとか。今、一番やりたいのは切り絵。でも、中々進まない。ボチボチ、コツコツやって、楽しいけど、作品も増えて、SNSに写真をアップしていって、ほしいと言ってくれる人も出てくるかもしれない。でも、そのくらいで、それ以上は広がらないんじゃないかと思う。あくまで、個人の趣味。
アクセサリーは、自分が使わないし、そんなに。
カラオケ大会には参加できるかも。そしたら、シンみたいに上を狙って、目標はできるかもしれない。知り合いも増えるかも。遠くの大会に行くとか..
でも、すでに歌謡曲より民謡や古典の方が面白い。
たまに、バイクや車で旅に出る。でも、そういうのは本業があって、休みの合間に趣味として楽しむ感じ。
ボランティアとか?もしくは、他に仕事を始めるとか?おかんみたいに、やることがないと暇だからとか、何をしたらいいのか分からないからとかで、時間潰しに適当な仕事をして、時間を費やすのは嫌だなと思う。
そう思うと、あと3-5年は子供たちと家族を楽しむ。旅する。行きたいとこには行っておく。それが出来たら、自由に動けるようになって、かといって旦那の足手まといになるわけでもなく、自分の世界を生きられるようになりたい。
もし、古典や琴を続けていったら、それが生き甲斐になっていくかもしれない。居場所になっていくかもしれない。
あとは、出来ることをやって、自分の思いに正直に、流れに身を任せることかな、と思う。
未来を作っていける指導者
久しぶりにすえのうちに行った。こないだコンクールで会ったけど、ゆっくり話すのは久しぶりだった。
イベントは協力がなければやれないこと。これからは、寄付金を出さなければならないこと。から始まって、舞踊では教師免許を取ったら、恩師に30万円、師範免許を取ったら、恩師に50万円...だそうで、聞きながら目玉が飛び出た。みんなそんなことしてるの!?という驚きと同時に、私にはそれは無理だと思った。琴は、教師免許を取るのに申請料とか送料とかで2万円くらいだと聞いている。只でさえ後継者がいないのに、そんな負担があると知ったら、最初からやるひとなんていないと思う。
舞踊のさとるさんは、とても上手で有望なので、スポンサーがつくとな。だから、遠征も沖縄研修も支援でいける。
もうこれは、スポンサーがつくくらい上手になるしかないなと思った。あとは、協力券とかに頼らずに資金を作るために、勉強会形式のセミナーとミニショーと販売を組み合わせたイベントとかどうかな?と勝手に想像している。
とても勉強になった話があった。ある舞踊の先生たち。一昔前は150人もの生徒さんがいたらしい。それが、一人の先生はとても躍りが上手だけど、今は後継者がいない。もう一人の先生はあまり躍りが上手じゃないけど、6人の生徒さんを教師に育てあげて、つい最近ご自身の発表会をしたのだけど、先生は何もせず、全部教師になった生徒さんたちがやってくれたと。そして今現在も150人の生徒さんがいるそうな。
やっぱり、教師だとか師範だとか権力とか名声とかじゃなくて、人望だと思う。素敵な先生ならついていきたい。私も、恩とか義理とかじゃなくて、(それをしないということじゃなくて)マツコ先生やこうぞう先生の人柄が大好きで、お話が大好きで、一緒に過ごす時間が大好きだから、琴を古典を続けている。そして、だからこそ先生たちの思いに応えたいと思うようになったし、先生たちの大好きな古典音楽を琴を残していきたいという想いを繋いでいきたいと思っている。
自分は、コミュニケーション障害っぽいけれど(汗)、自分もそういう慕われる人格者に近づけたら...と思う。唄も技術も大事。でも、音楽を通して精神の向上を目指してるはずだから、精神性も大事。
私も、もう一人の先生のような未来を目指していうと思った。
中立でいること。自分を貫くこと。軸をはっきり持つこと。
昨日、クリスチャンと約束したので、今日の合同練習に参加するつもりで行ったら、今日はたのもし講だそうで、結局会議のみだった。
今日は、体調が優れないとマツコ先生はこなかった。だからなのか?始終和やかだった。涼子さんからコンクールとてもよかったと言われた。今まで冷たかった人達が、心を開いたというか、態度が受け入れ体制になったような気がする。
クリスチャンがいたからだとは想うけど、最後はうちなーぐち話題が満載だった。話にはついていけてなかったけど、なんだかずいぶん和んだというか、打ち解けたというか...
敵対視するんじゃなくて、今のこの中立の立場をうまく利用して、道を開いていった方がいいなと思った。クリスチャンみたいに、みんなに好かれること。そして、回りの目を気にせず、空気は読みながら、でも自分を貫くこと。
今日はじめて、クリスチャンの話を色々聞いた。彼は14歳から三線を始めて、古典だけ。今は免許なくても、三線も琴も教えるし、古武道も舞踊もやるし、うちなーぐちも勉強してるし、琉笛まで弾ける!もはや、歩く琉球なんじゃないかと思った。
彼はまっすぐ人の目を見る。そして、全てに一生懸命で丁寧だ。私も見習いたい。きっと、軸が通ってるんだろうなー。自分はそれがなくて、ついキョロキョロしちゃう。
何でもやってみること。理屈抜きに。
とにかくやろう、と思った。未来を見つけた気がした。
先生とささやかな乾杯
昨日のコンクールが終わって、今日は琴のお稽古の日だった。昨日は、全然出来なかったー!と思ったので、分からなかったけど、先生はやっぱりとても喜んでくれていた。ささやかだけど、とファンタオレンジとミルクで乾杯してくれた。そんなトコがやっぱり素敵だ。思わず涙が...。
1週間遅れていた生理が、コンクールの翌日来た。自覚はなかったのだけど、緊張していたらしい。昨日の実感も何もなかったのだけど、先生が祝ってくれて思わず泣いた。意識とは裏腹に思うとこがあったらしい。
私は、クリスチャンがやり直しになったせいで、私が有利になったのかと思ったけど、先生が言った。最初にクリスチャンのを聞いて、これは勝てないと思ったけど、次の私のを聞いてこれはいけると思ったと。
結果、妥協でも何でもなく、ちゃんと評価されたらしく、素直に嬉しい。
ぶっちゃけ、クリスチャンに勝ったら、ただ合格したんじゃなくて、自動的にすごくよかったことになる。二番だったら、妥協合格かもしれない。そしたら、当日来てなくて話に聞くだけでも、なんかすごい!と思ってもらえるかも。だから、まさかないとは思ったけど、クリスチャンに勝てたらすごいことだな、とは思ってた。
先生は、元気?をもらったと言ってくれた。良かった。ついでに、あの涼子先生ですら良かったと言ってくれたそうで、なんかすごいことだなと思った。
今更だけど、無事に弾き通せて良かったーー。
あまり期待されても困るし、プレッシャーも困るのだけど、とりあえず自分の目標として...
1.合い弾きができるようにする。
2.長母音がわかるように。
3.息を長く続けられるよう、腹筋?を鍛える
4.上巻をマスターする。
5.えみさんと、わらべ唄、天女の歌、月ぬ美しゃを創作する。
6.来年の三線の日とウチナンチュの日とかに参加する。
7.来年のコンクールで、独唱させてもらう。
8.地謡の練習を続ける。
沖縄古典音楽コンクール
沖縄古典音楽コンクール
今年は最高賞を受けた。本場沖縄では教本を見てはいけなくて、全部暗記だそうだ。ブラジルは古典に関しては教本を見てもいいことになったそうだ。ただでさえ難しいのに、暗記だったら...新人賞も取れるかどうか...
そして沖縄では、新人賞、優秀賞、最高賞それぞれの間に3年以上を空けないといけないそうだ。そのくらいの稽古を積まないと、というのはもっともだと思う。
でも、私はブラジルなので、当然のように毎年挑戦して、琴を始めて4年目で最高賞を受けた。だから、レベルは...だけど、そう言われないように、かなり真剣に練習をした。
最高賞は、私とカンポグランジのクリスチャンだけ。
本番前、緊張が高まっていた私に彼は言った。
「僕たちは、ずっと泉の水を飲み続けてる。ちゃんと先生とお稽古してるんでしょ?先生は泉。僕たちはちゃんと泉で満たしてるから、大丈夫だよ。」と。
そっかぁ、と思った。何か泣きそうになった。
結局、本番は練習のようには行かず、自分では全然納得いかなくて、恥ずかしかった。妥協して合格になるくらいなら、落としてもらって、来年再挑戦したいと思った。
でも、なぜか...一番で受かってしまった。妥協じゃないことが分かったので、まぁよかったけど、自分では何故こうなったか、よく分からなかった。
でも、先生も知ってる人も皆さん良かったと言ってくれた。それどころか、普段はあまり交流のない興陽会の先輩方が声をかけてくれて、ハグまでして喜んでくれた。
帰りの電車の中で、ビデオで聞いてちょっと納得した。私は、全然ダメだと思ったのが、観客側から聞くとそこまででもなくて、息継ぎとか、リズムとか
多少のことに目を瞑れば、ゆっくり丁寧に最後まで間違えず弾けていた。
ホッとしたけど、まだこれからだ。いよいよ後戻りもいい加減なこともできないなと思った。