眠れない問題の原因の真実
なんども書いてきた眠れない問題の真実。
体が硬くなっていることが原因だったのです。
眠っている間に体が硬直化して、血流が悪くなって、このままだと血液循環が止まってしまう。
と、体がサインを出すことで起きざるを得なかったわけです。
それに気づいた。
体ってすごい。
寝る前にちゃんとヨガしよう。
やることが多いのは、必ずしも悪いことでは無い。
やることが多すぎて手がつけられない……。
と思うことはあるかも知れませんが。
成長するために仕えることだったりします。
タスクは終了すれば、消えて無くなります。
終われば次へ行ける。
つまり他のやることが、一つのタスクにプレッシャーを与え、処理速度を速める。
その効果が期待できるのです。
やる時は一つに集中すること。
タスクが一つだけ、または一つしか認知できないとしたら、どうでしょうか?
負担はゼロとは言いませんが、これを背負ったまま生きていくのは辛いことではありません。
終わらせなければいけない必要性を感じず、いつまで経っても進んでいない。
そんなことはないでしょうか?
もしどうしても達成できない事柄があれば、他のやるべきことに目を向けるべきかもしれません。
解決済の問題が増えていくのは、気持ちいいのです。
眠気は幻想か?
眠くて眠くて寝なければならないと思っていても、思考を続けたり、体を動かしていると、眠気が消えることがあります。
じゃあなんで眠くなったんでしょうね?!
体の発する声に騙されてはいけないのです。
不定期更新のお知らせ
こんにちは。
毎回毎度当ブログをご覧になっていただき、ありがとうございます。
さて、この3月から、生存疾走更新は不定期更新になります。
まぁ、今までもそうだったとも言えるのですが。
2013年10月19日の開始から、(基本)毎日更新を続けてまいりました。
停滞した年月もありました。
それによって、後の時間から書いていく時もありました。
特に昨年はキツかった。
2018年に、2016、2017年分の記事を書いてました。
意地ですね、これは。
ブログを書き、頭の中のものを吐き出して整理していく中で、わかってくることがあります。
自分の書きたいことを書きたいと思って書き切ってしまうと、その後書けなくなると。
感情が湧き上がって来て、メモやアイデアに記録して別の時刻に書こうとしてもうまく書けないことを。
そうであるから、毎日更新は必須ではない。
書きたい時に書くのがいいのではないか?
毎日更新のルールを課すより、日々思考して生きている中で、出て来た感情・感想を書いていくことが適切なのではないか?
そう考えたわけです。
新アカウントでの活動を始めます。
ネット上で稼いで生きていくとは、自分自身を名乗り、好きになってもらって、この人にお金を払いたい、となるような人物で在る必要があります。
そんな自分を立ち上げる。
新年の目標で掲げたことです。
今、その時が来ました。
(大分遅い気がしますが)
このブログは閉じません。
書きたいものが出て来た時に書いていきます。
新しい私がどれだけ活躍できるのか。非常に楽しみです。
終わりではありませんが、これまで当ブログにお付き合いいただきありがとうございます。
それでは、この世界のどこかで会いましょう。
何かをすることより、何もしていないことを恐れよ。
今日はタイトルのままですね。
こう言いつつ、何かをすることを恐れる人がいるのでしょうか?
多分いないですね。
みんな何もしないことを恐れているはずです。
何もしていない、何も為していない自分が嫌なはず。
振り返った過去に何もないことが嫌である。
なぜやってこなかったなんて思いたくない。
こんなはずじゃなかったなんて思いたくない。
だから何かをしなければならない。
その何かとは何か。
わからなくても。
”何か”が何であるかを考え続けるのです。
それを考えることなしに、自分の使命は見えてこない。
たとえ見つからなくても考え続ける。
考え続けることを目標にしたっていいのです。
忘れなかったなら、一歩進んだ。
目標を立てたのに、達成できないことはあります。
そっちの方が多いかもしれない。
達成できない理由として、行動することが取れなかったことが挙げられます。
必要な時に必要な行動が取れなかった。
物理的に取れないこともありますが、そもそも実行内容が頭に浮かんでこなかった、忘れていたことによって、行動を起こせなかったことはないでしょうか?
「あの時ああすべきだった」
後から思い返し、自分の行動が間違っていたことに気づきます。
こんな状態では、目標を達成するのは難しい。
目標達成の為の行動プログラムが体にインストールされていないのでは、目標に向かうはずもない。
どうするか。
どう考えるか。
行動するには思考を積み重ねる必要があると、過去に書きました。
その自分の思考を経たことで気づくこと。
それは、「24時間ずっとその目標の事を考えている」段階を踏む事です。
実際に目標が達成できるできないではなく、忘れずにずっと考え続けることができたか。
それが出来たらひとつ良しとする。
目標そのものはクリアできなくても、その前段階はクリアする。
高い壁を登るために、その前に踏み台を置き、その踏み台の上に乗るのです。
ベストでも完璧でもないですが、これができれば一歩成長したと言えるのではないでしょうか?
忘れないこと。考えること。
考え続けるとは、忘れないこと
支払いが、溜まっております。
なにかと。
まあ、焦ったってどうにもならないことです。
払えるようになるには、まだ半年かかるのではないだろうか?
という事実はありつつも。
忘れる、っていうのはおかしいでしょう。
考えたくないから、忘れる。っていうのは。
稼ぐ行動を取るために、考えなければいけないのに、忘れることで見えなくして、問題がないかのように扱うのは、おかしいのです。
支払いの現実をずっと考え続けないと、支払い可能の時はやってこない。
「すでに出来ているはず」の現実が、やって来ない。
今、最近2日の行動を振り返ってみました。
恐ろしいほどに無駄金と無駄使いが多い。
それだけ、考えていない事を意味します。
忘れては駄目だ。
自分がお金を使うより速い速度でお金を稼がないと、余裕は生まれない。
思考の残響と忘却曲線と
うまく行動出来た日と、そうでない日の違いが、よく考えているか考えていないかの差であると気づきました。
手帳に書き込みながら、やるべき事を見返した日と、そうでない日で、違いが発生している。
これは、やる事を確認した日は頭に内容が入っていてその行動を取ったのに対し、
確認していない日は、”その時”に発生した複数の欲望や可能性の中から行動を選択して、選択することに時間を取られ疲れ、その場の快楽を満たす行動を取ってしまっている、
ことで違いが発生しています。
考えている時は、やることが絞られている。
一つの思考に染まっている。
その思考が残っている。思考の残響が使えています。
これを使えばいいのか。
昔聞いた忘却曲線を思い出します。
けどこれとは、根っこは同じかもしれないけど違います。
忘却曲線が知識の定着についての理論であるのに対して、思考の残響は自分の中から出て来たものが後の時間にどう影響を及ぼすのかについての理論です。
言葉の目指す目的が違う。
1日の始めあたりに毎回考えなければいけないんですよね。
同じ事をやるのに毎回考える必要がある。
ここは省略できないのか。
ストレス発見。
わかった事。
やっぱりストレスはあった。
労働からの帰宅後感じるストレス。
その日ストレスを感じるのはいいけれど、土・日に影響を及ぼすのはダメです。
これはいけない。
これのせいで昨年の12月は非常に停滞しました。
で、対処法もわかっている。
わかっているのに、今日は疲れて眠いからやめておこうとして、やらずに眠る。
翌日思うように動けない。
疲れから解放されるために行った事が、疲れの解消につながっていない。
「今この時」楽をすることが、のちの時間の苦痛につながる。
これまでなんども経験して来た事をまた経験している。
そしてまた繰り返すだろう。
考えない限り、その場の快楽を優先する。
体は気づかなければいけません。
「今」自分が感じていることではなく、後の時間で心地良くなる自分が存在する事を。
老廃物を除去する為の行動が、老廃物のためにできなくなっていく。
精神老廃物 - 生存疾走更新
【重要事実発見!】私の幸せと、金銭の有無は、関係がなかった。
何故、何もしようとしなかったのか?
お金が必要であると、わかっていながら毎日何の行動もしない。
昨年そんな動きをしていました。
何故そんな動きをするのか。それは忘れるからだと書きました。
で、忘れなくても体が勝手に忘れると、今年書きました。
私の中に別の私がいる。
その私は、何もしなくても喜びを感じている。
ああそうか。
私は幸せなんですね。
既にずっと幸せだった。
生まれた時から。
だから何一つ努力する必要がない。
何もしないほうがいい。
今ある幸せが崩れるから。
お金があろうとなかろうと関係がない。
「心」と「お金」はなんら関係がない。
どれだけマイナスを抱えていても私の幸せは揺るがない。
こうであると、何の行動もしなかった理由がわかります。
既に幸せであり、その状態を維持しようとするからだと。
私は幸せを求める必要はない。
お金が必要であると理解し、行動を起こす自分を作っていきます。