こんな風に思ってるの、自分だけ??

オッサンの独り言。よしなしごと。

日本の根底に流れる問題

2年のごぶさたというのはけっこうすごいものですね。自分でも、なんでこんなに時間が過ぎていくのが早いのか?と驚くばかりです。これが40代か、と日々実感しています。

 

さてさて、世の中いろんなことがありすぎて、すごいです。舛添さんの件、ベッキーの件、はたまた熊本地震などの天災。

 

全く別々の件ですが、なんともいえない同じような違和感を感じたんです。

 

まず、舛添さんの件。政治資金を不正に使用したという件は、まさに「セコい」と言わざるを得ないです。辞職は、まあいいのだが、それに対する非難の向け方がなんかおかしいなと。

 

「私たちの血税を使った」

 

的な表現。

 

んで、あんた、一体いくらの税金払ってるの?

 

金額が問題じゃない。とおっしゃるでしょう。まあ、それはその通り。とはいえ、公用車を私的に利用したとか、ファーストクラスを使ったとか、まさにセコいとしかいいようがなく、巨悪ではない。この非難の理由は、『私だって乗ったことのないファーストクラスに、税金で乗りやがって』という嫉妬にすぎないと思うのですよ。

 

次は、ベッキー問題。まー、これも、今まで清純派で売ってきたベッキーが不倫?ということで批判を受けているようですが、あなたがベッキーの何を知っているというのか?友達なのか?関係者なのか?

 

不倫はよくない、という一般論はいいですが、これだって、じゃあ世界中の何%の人がしてるのか、っていえば、けっこうな割合の人が多かれ少なかれしてると思うんですよね。そこまで批判しないといけない問題?

 

熊本地震では、ボランティアをしている人たちに対して売名行為だ、的な批判が出ているというのを見て、いやー、これもまた、あんたは何をした?ですよ。

 

私も、「熊本地震に自分も寄付しました!みんなで頑張ろう!」的なフェイスブックなどの書き込みを見て、ああ、まあ、いいけどさ、別にそういうことはわざわざ言わなくてもよくないか?と思っちゃう人ではありますが、人がなにかいいことをしているのを、わざわざ批判しなくてもよくないか?

 

この3つ、全く別のように見えて、結局人のやり方にすぐケチをつけたがる悪い癖の人たちという共通点があるような気がしてならないわけですよ。

 

ネット民は口だけ出して実際にはなんにもしてない、っていうわけではないですが、どうも、いちいちケチだけつけるのはほんと、やめた方がいいと思うわけ。

 

それで、2年もだまってたのにこんなのをいきなり書きたくなっちゃったんだよ、おじさんは。。

 

そして半年

公私ともに忙しくなって結局ブログなど続けられん、となってから半年以上が経過しました。そもそも反応が多かったブログでもないんですが、言いたいことを吐き出す場が最近はないなあなどとも思っていました。一方で、それほど強い怒りを持つようなことであるとか、誰かに聞いてほしい!という意見があまりなかったのも確かでして。要は、ネタがなかったと(笑)。

 

ですが、昨今はまたネタが増えてまいりました。

 

まあ、最たるものは祐ちゃんでしょう。結局自作自演かよ。しかも河川敷でスマホを埋めてましたって。どんだけ分かりやすい証拠残してるんだか(笑)。不謹慎ですが、これで自殺でもすれば伝説になったんでしょうが、結局全部自分がやりました、と話してるとか。かっこ悪いことこの上ない。ま、犯罪なんてものは、かっこいいものではない、という良い例ではないでしょうか。

 

美味しんぼ騒動。これに関しては、なんでこんな騒動になってるのか全く持って理解不能。日本人の表現の自由についての理解の浅さに驚いています。あんな表現しちゃって、あらあら(失笑)、で終了ではないでしょうか。小学館だって一企業でしかないし、もしやりたいなら不買運動でもなんでもすればいいでしょう。それも表現の自由。世の中白か黒で判断できることばかりじゃないって、みんな分かってるでしょうに、なんでこういうところだけ「正しいのはこれだけ!」みたいにしたいのかな。それって、非常に危険な発想ですよ、どっちに触れても。いろんな意見がある、それを認めることが表現の自由ではないでしょうかね。

 

また書きたいこと思い出したらたまには書いてみたいと思います。

 

謝罪会見

一流ホテルでの食材偽装問題。

 

こういう問題が起こると「それでおいしいと思ったんだから、いいじゃん。どうせ味分かんないんだろ」的なことを言う人が必ずいるんですが、味分からないからこそ、ホテルの格を信じて、「これがおいしいってことなんだ」っていうのを確かめに行くわけじゃないですか。その信頼を裏切られるわけですから、やっぱりそれはいけないことなわけです。

 

で、謝ってるところをニュース画像として使うわけですが、ほんとにそこなのか?って思います。あの頭を下げたときに起こるものすごい数のカメラのシャッター音を聞いてると、いつも違和感を感じるんです。

 

最近あった土下座強制問題なんかもそうなんですが、勝ち負けというか、なんかそこにこだわってるような気がして。

 

謝らせる側は、とりあえず相手が謝ることによって、優越感に立ったような気持ちになる、謝った側は、とりあえず謝っておけば事が収まるような気持ちになる、そういう「お約束」をこなしてるだけな気もするし。

 

そういう意味ではリッツカールトンの「今後起こらないようにすることが重要」というのは、その通りだなと思うんです。

 

一度傷ついた信頼を取り戻すことは、大変なことです。謝ったことそのものではなく、今後真摯な態度をとり続けていくことが唯一の道ですからね。

 

 

経験は邪魔をする

最近何人かの人と同じような話をしました。ちょうど同じくらいの世代の人にはたぶん共感してもらえるんじゃないかと思ったのでシェアしてみます。

 
一緒に仕事をする人たち、特に若い人たちに多いのですが、どうも彼らの言うことに賛成できないというか、めんどくさいと感じることが多くなってきています。
 
若い人に対しての批判って、頭でっかちで理論ばっかりふりかざすとか、なにもできないのに口ばっかりとか、そういうのが多いと思うんですが、そんな感じはしないんです。とても優秀な人たちが多いし、鋭いこと言うし、アイデアも豊富で、すごいなーと思うことのほうが多いくらい。
 
でも、このめんどくさいと感じるのはなぜなのか。
 
それは、間違いなく、経験です。自分の経験と照らし合わせて、こういう問題が起こったときには、こういう解決方法が一番うまくいくという解答があるので、他の余計なことは考えずに直接解決に向かえる、ということです。他の人たちが、こういう方法も、ああいう方法も、といろいろアイデアを出していても、それはうまくいかない、こういう問題がある、というのを経験しているからです。
 
もちろん経験が邪魔をすることも多々あります。世界の環境は日々変わっていて、自分なりの解答が今現在も有効ではない場合も多いでしょう。でも、脳というのはやっぱり強力で、成功体験を繰り返したい、あるいは、失敗体験を避けて通りたい、という気持ちが出てくるのは仕方ないと思います。
 
若者から見たら、おっさんは頭が固いと思われるだろうな、と分かっているので、特に反論もせず黙々と仕事を続けるのが自分のスタイルになっているといっていいでしょう(笑)。
 
だから、ミーティングなどであまり発言もせず、何やってるかよく分からないおっさんが会社にいたとしても、それは能力がないのではなく(まあ、そういう人もいると思いますけど)、皆さんに嫌われないように静かに仕事を遂行している人なのだ、と思ってほしいです。

トレンドセッター

iOS 7の公開と、iPhone 5cと5sが発表され、またネット界、報道が盛り上がってます。日本ではドコモの参入と三つどもえの争いについての興味が大きいですが、その他では新しいものがないぞ、どうしたアップル?的な論調が多いようです。

 
新しいものがないという批判は、気持ちとしては分かるんですが、それは「報道価値があるか」という視点でしかないと思います。実際の世界の動きは必ずしも批判的ではないのだと思います。

そもそもフラットデザインがここのところ「きていた」とはいえ、様々な企業が揃ってアイコンをかえ始めたのはiOS 7の発表後。今回のカラフルな5cも、おそらくこぞって周辺機器が合わせたカラーで出てくることでしょう。
 
要は、みんな期待している。実際には「売れる」わけです。
 
アップルの動きは、常にこういうトレンドを作ってきました。iMacの登場で透明素材のカラフルな周辺機器が多数登場したこと、そもそもベージュだけだったPCのカラーを劇的に変えたこと、水滴のような立体的なロゴのトレンド、みんなアップルが先頭に立ってました。
 
それが良いか悪いかは別にして、これは事実起こってきたことです。そして、それが今後も起きる保証はないものの、多くの会社がまだアップルの動きに賭けている、ということでしょう。
 
それでもアップルに批判的なことをいいたいのだとしたら、それはやっぱり嫉妬にすぎないのではないかと思いますね。その嫉妬がいい方向に働いて、アップルを超えるもっとクールでイノベーティブな製品を作ってくれる会社がたくさんでてくることに私は期待します。