【読書めも】サピエンス全史を読んで

5ヶ月分の隙間時間を用いて、大著「サピエンス全史」(イギリス版)を読了しました。

 

率直な感想:

 

初めて歴史が「面白い」と思いました。

 

僕は受験で使う歴史が嫌いすぎて、世界史・日本史を避けるために理系になったと言っても過言ではありません。

 

カタカナと漢字の羅列を無限に覚えていく苦痛。

得た知識(呪文)を現実世界のどこに応用したらいいかが見えない喪失感と虚無感。

そもそもの物語としての面白さも受験の文脈で失われて、知的好奇心が消失。

 

以上の不満を全て満たしてくれた本です。読了して2週間経った今でもその余韻に浸っており、自分の感動と学びを記録したくて仕方ないです。

 

とは言いつつも、この人類の200万年の歴史を記述する300ページに及ぶ大著を歴史をほぼ知らないいち大学生がいきなり語るのは甚だ恐縮ですので、今回は主に

 

「サピエンス全史のどこが面白いのか」

 

について自分の感想をまとめられたらなと思います。

 

①過去の出来事の、現在との深~い繋がりが明示的に語られる

 

まずはここです。「現在を理解するために歴史を学ぶんだよ」みたいな話は耳に胼胝ができるほど聴きましたが、本当の意味で両者の繋がりを深いレベルで語ることは難しい。

 

本の中では、コロンブスの航海やナポレオンのエジプト遠征が例として挙げられたが、その背後にあるimperialismscienceのタックル(15: the marriage of science and empire)が、西洋が現在の科学における地位を築くことができた所以であると書かれました。

 

西洋はもともと科学を発展させるのにあたり実利的なアドバンテージ(金がある、遺伝子が優秀など)を持っていたわけでもないですが、imperialismの出現が他地域に比べ早かった。

 

そこで、Imperialismscienceも、「我々にはまだわからないことがいっぱい」ということを認めるところから始まり、前者は未知な領域の占領、後者は未知な知識の獲得が目的であるため、科学者を遠征隊に載せる形でタックルを組むことが発想として当たり前でした。実際、エジプト遠征隊には学者が165名おり、そのおかげでegyptologyという全く新しい学術領域が確立され、宗教、言語そして植生についての新しい知見を得られました。

 

なるほど、だから科学のゆりかごはインドでも中国でもなくヨーロッパなのか!

そこでつながっていたか!

と、非常にピンっときました。

歴史が現在に繋がるのってまさにこういうことだなと。

 

そして、この本のすごいことが、歴史上の大きな出来事のほぼ全てを網羅しつつも、cognitive revolutionによるintersubjectivityの実現やadmitting ignoranceなど、実に少数の概念で源流を解釈できている点だと思います。

 

全てが現在にシームレスに繋がる瞬間に得られる快感が絶えません。

 

②的を射るメタファ

On going..

 

③ふつう考えないけど言われると「まさにそう」と唸らせるアナロジー

On going..

【医療施設実習】介護老人保健施設に1週間行って思ったこと

うちの医学部には、1年生の夏休みの1週間を取り上げて、医療施設に実習に行かせるEEP1(Early Exposure Program)があります。

正直に言うと、だるかった。

他にやりたいことがあるのになぜ今。しかも病院じゃなくて老健(志望理由をちゃんと書かず第1-5希望全落ちした自分が悪かったが^^;)。

まあ、せっかくいくんだから、費やした学費と時間にふさわしい学びを得て帰ろうと、コンサルの気持ちに切り換えて行ったら、思いのほか収穫が多かった。

*以下、先方に提出したレポートを改修したものなので、真面目な内容になっています。


6日間に渡る実習は、僕の人生観を変えたほどの衝撃を与えてくれた。

まず、高齢者の方々とのコミュニケーションは、その具体的な内容以上の意味をもたらした。一番印象深い、2 階の女性利用者様 Y さんとの触れ合いをここで紹介したい。

 

(機会あればまた3階の利用者Kさんについて書きます)

 

最初に Y さんと目があった時に、Y さんは僕を手招いた。僕はそれに従って行ったが、いきなり手首をがっしりと掴まれた。

「家に返してくれ」

と、Y さんは細い目で僕を見つめ、悲しい声で僕に訴えかけた。

どういうことかわからず、僕は Y さんをデイケアの利用者だと思って、「まだですよ」「午後になると家族が迎えにくるよ」ととりあえずなだめてみたが、Y さんは反応することなく、「帰りたい」との一点張りだった。

「どこに帰りたいですか」「実家はどこですか」「家族はいらっしゃいますか」などと問うたが、「わからない」と。

事態の不自然さに気づいた僕は、通りかかりの職員に助けを求 めたところ、Y さんが重度な認知症であることがわかり、「帰りたい」という言葉自体に意味はなく、ただの不安の表れだと教わった。トイレにいても、「トイ レに行きたい」と言ってしまうほどだったとのこと。軽く話題を逸らす程度の 話だけして、なるべく関わらないようにした方がいいとも言われた。

僕は掴まれた手首に残された赤い跡を見て、そうするしかないかなと思った。

 

しかし、何かできることはないかとの同情や悔しさと、Y さんそして認知症に対する純粋な好奇心から、僕はその次の日も Y さんと会話した。

先日学んだユマニチュード (仏:humanitude) を用いつつ、身の上について色々とお話した。 帰りたい「欲求」を嘘で一旦満たし、3 桁の数字を覚えさせてみたが、Y さんは それを一分足らずにもう忘れてしまった。

話は五分ごとにループして行った。Y さんの感情もループしていた。

最初はお強請りするように、次は怒り気味に、最後は悲しさと寂しさに襲われ、うつ伏せになって涙を流した。

全てが Y さん の勘違いとかではなく、本気にそう思っているように思えた。

 

僕にはもうどうしようもなかった。見えている世界が違った。しかし、Y さんが 底知れぬ精神的苦痛を味わっていることだけは明白に感じ取れた。どこに、い つ、どうやって帰るかはわからない、ただただ帰りたい。まさに「認知の奴隷」 だと思えた。Y さんが見ているであろう景色をイメージするだけで、気が狂うような絶望を感じた。

 

 

僕は認知症の厳しい現実を目の当たりにした。

「見える世界が違う」ことほど解消しがたギャップはない。

全ての介護、特に認知症の介護の核心には心への寄り添いがあるとユマニチュードでは説明されるが、現場の職員たちが様々な仕事に忙殺されているのを見ていると、利用者と「おしゃべりする」ことはもは や贅沢としか言えない。

また、施設長との話で、認知症は今の所完全に予防・ 治療されることはできない、進行を遅らせることしかできないことがわかった。

 

どうすればいいのか。考えられる方法はいくつかある:

  1. 認知症を予防する方法を見つける
  2. 認知症を完全に治す方法を見つける
  3. 職員の負担を増やすことなく、認知症の患者が心安らかに過ごせる方法を見つける

 

1 と 2 については、これから勉強していく。

 

3 について、3 つのアプローチが考えられる:

  1. 職員のルーティン(定例打ち合わせ、清掃、書類管理、排泄介助、入浴介助など)の効率化を図る
  2. 職員の数と質を上げる
  3. VR 等のテクノロジーを用いて認知症の患者に安心感を与える

 

1は正直、改善の余地がほぼ見当たらない。さすがだなと思った。必要最小限の人的リソースをフル活用していた印象がある。

それでも改善できる箇所はいくつか考えられるが (自動脱衣、自動お茶出しなど) 、もともと少ないヒューマンインタラクションを剥奪してしまうと本末転倒なので、なかなか難しい。

かし、工数とコストの面では2より優れているため、管理者層における需要は高いだろう。

 

2については、入浴介助の時に職員の方にこう言われた。

「入浴介助はパイプライン処理のようで、A がこの仕事を終えたら次はあれだな、と B が察してすぐに 動けると仕事は早い。しかし訓練が必要で、人手不足の中ではまず質より量たから仕方ないよね」と。

介護の仕事がハードなために国内のなり手が減り、それで海外からなり手を「輸入する」という国の方針が近年物議を醸しているが、 現場を見ると必至のことだと思わざるを得ない。

ただ、数を確保しつつ、新しいなり手の教育を全て現場に任せっきりにするのではなく、計画的で組織的な研修などの教育を国や自治体などがサポートする体制を整備することが必要で、さもなければ数があるだけで質は低く、返って現場に迷惑をかけることになる。

また、②は①の裏返しでもある。必要最小限の「必要」には、どうやら「おしゃべりする」ことは入っていないようだ。

ユマニチュードを重視しているにも関わらず、実践を現場に任せっきりの管理者層のやり方には賛同しかねる。

本当にユマニチュードを実装したいのであれば、①と②に加えて、職員の工数管理・インセンティブ・評価システムなどの経営サイドの見直しも不可欠だろう。

 

3について、後々調べたところ、ある英ベンチャーが認知症患者を対象に、懐かしの風景などをコンテンツに含んだ VR サービスを提供していることを知った。

1と2ではあくまで患者とのヒューマンインタラクションを絶対視したが、そのインタラクション自体がかなりストレスになる(10代の我々が3時間の「フリートーク」でもかなり精神的にやられた。家族もだんだん会いに来なくたるらしいから察しがつく)ため、結局のところ1と2が解決策として不完全な可能性がある。

もし3がヒューマンインタラクション同等あるいはそれ以上の効果をもたらしてくれるのであれば、介護の現場に導入 しない理由はないだろう。

 

以上、僕は主に認知症にフォーカスしたが、心の満足度を上げる困難は比較的健康な高齢者の場合にも通じる。

デイケアの利用者ならまだ家庭というコミュニティの温もりを感じることが多いが、入所者の場合だとそれすらない。同じテーブルの利用者同士でも滅多に話さない。スマホはもちろんのこと、テレビも見ない。本も読まない。ただただ座って、虚ろな目でどこかを眺めている時間が圧倒的に長い。若い僕と違って、実際高齢者はそれでいいと思っているかもしれないが、話しかけるとみんな大体嬉しいから恐らく違う。

馴染みのあるコミュニティから切り離され、新しいコミュニティにも馴染む気配も気力もなさそうだが、コミュニケーションは欲しい。そのジレンマを抱えたまま最後の時間を過ごすのは、少なくとも僕は嫌だ。

2 階が幼稚園で 1 階が老人ホームになっている施設もあるらしいが、そのような WIN-WIN なコミュニケーションの場を設 ける努力はこれからの社会にとって不可欠だろう。

 

僕はいわゆる「お医者さん」になるので、介護老人保健施設で働く可能性は小さい。もしかしたらこれが人生で最初かつ最後の体験かもしれない。

しかし、意味はあった。

QOL の向上にとって、身体機能の維持・向上以上に、心に寄り添え、「人間として生きる喜び」を日々の生活で実感させることの重要性を、そし てのその難しさを、実体験を通じて学ぶことができたからだ。

将来医療に携わる人間として、これ以上の収穫はないだろう。

 

最後に、この機会を提供してくださった学校と関係者の皆様に感謝を申し上げたい。

(実習内容が済むと早めに切り上げてくれた担当者にも感謝です)

【統計】感度、特異度、尤度比とベイズの定理

感度、特異度、尤度比とベイズの定理

*わかりやすい図あったので載せときます

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fig 0

 

頭痛の鑑別診断について勉強していた時に、「LR+: 9」とかが出てきたから、尤度比(LR: Liabilit Ratio)とその周辺知識についてまとめてみました。

 

尤度比は簡単に言うと、Aさんに症状Bが見られる時に、どれくらいの確かさでAさんが病気Cにかかっているかをわかりやすく示す指標です。それを理解するためには、まず感度と特異度について学ぶ必要があります。

 「この顔だと彼女ができるLR+は0.3くらいかな」みたいな使い方ができるので理解して損はないです。

感度と特異度について

 

前提として、陽性(positive)は「事象が起きる」ことを言い、陰性はその逆を言います。一般的に、エイズ陽性と言われると、エイズにかかっていることになるが、例えば事象を「病気Aが見つからない」こととすると、陽性は「病気Aなし」、陰性は「病気Aあり」となるので注意しましょう。

 

感度(sensitivity):全ての陽性要素に対して、本当の陽性要素を探知する精度

 sensitivity = true positives / (true positives + false negatives) ー①

特異度(specificity):全ての陰性要素に対して、陰性要素を探知する精度

specificity = ture negatives / (ture negatives + false positive) ー②

 

 例えば、事象を「成績がいい」ことにし、「勉強時間が長い」という検出法の感度を考えましょう。

サンプル数を10とします。8人の勉強時間が長かったから、「成績がいい人は8人いる」と結論づけました。明らかにおかしいですね。その8人の中に、長い時間ボーと勉強している人がいれば、その人は必ずしも成績がいいとは限らないよね。その人のことを疑陽性(false positive)と言います。また、長い時間真面目に勉強して、実際いい成績取る人たちのことを真陽性(true positive)と言います。

さらに、「勉強時間が長くない」人たちの中にも、1人は勉強時間を実際より短く申告し、実は「成績がいい」人がいるでしょう。この人たちが偽陰性(false negative)に当たります。嫌ですね笑。

 

例えば陽性の8人の中で、本当に成績がいい人が6人(つまりよくない人が2人)いるとすると、式①より、

sensitivity = 6 / (2 + 6) = 0.75

つまり、この検出法の感度は0.75で、陽性だとわかった要素の75%が真に陽性だということがわかります。

 

また、陰性の2人の中で、本当に成績がよくない人が1人だけ(つまりいい人も1人)いるとすると、式②より、

specificity = 1 / (1 + 1) = 0.5

つまり、この検出法の感度は0.5で、陰性だとわかった要素の50%が真に陰性だということがわかります。 

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fig 1

尤度比について

LR (likelihood ratio)+  = sensitivity/ (1 - specificity)

事象あり群で、なし群に比べて陽性結果がどれくらい得られやすいか

>1: ちゃんと正しく陽性を検出できているね

 

LR- = (1 - sensitivity) / specificity

事象なし群で、あり群に比べて陰性結果がどれくらい得られやすいか

1: ちゃんと正しく陰性を排除できてるね

 

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fig 2

 

 

確率とオッズについて

確率:事象あり/(事象あり+事象なし)

オッズ:事象あり/事象なし *1との大小関係が重要

 

ベイズの定理

事後オッズ=尤度比x事前オッズ ????

 

参考文献

入門医療統計学 森實敏夫 東京図書

wikipedia

 

自己紹介&ブログの内容

初めまして、YoNです。

いま慶応医学部に通いつつ、医療IT系ベンチャーにて週12時間ほど技術/企画インターンをしています。

日本の高校に入るまでは武漢・上海・深センを転々とした華人2世。

 

僕は基本的に知的好奇心のために生きているため、ほぼ全てに「へー、おもろっ」と思っちゃいますが、長続きしないため専門性をなかなか獲得できず悩んでいます。

(楽しいから別にいいけどね笑)

最近は趣味で神経情報科学、統計、プログラミング、セキュリティ、UI/UXなどに手を出しています。

 

さて、

僕は成長のために日々色々なことにチャレンジし、たくさんの気づきを得るが、PDCAのCとAができていないことを最近痛感しています。

せっかくの収穫を本当の意味で次に繋げるために、僕は様々な人(自分含め)、本、事象との関わりで得たインサイトをこのブログで綴って行きます。

具体的には、

  • 医学部の生活
  • 医療人のキャリア
  • 医療とテクノロジー
  • 経営・マネジメント
  • 華人・華僑

など、書きたいと思ったことを書いていきます。

 

僕の拙い文章を読んで、読者の皆さんが少しでも知的興奮できれば幸いです。