2人目

子供ができる

2人めの子供。

ただでさえ金がないのに大丈夫かいな・・・・・

少子化が叫ばれてる日本ってのもあって、やっぱ最低2人は生まないと国民の義務果たしてないっしょ(産めない理由のある人を卑下する意味ではなく、自分への問いかけとして)
という謎の愛国心があるのと、自分が一人っ子だったという事で、気持ちとしては2人いたほうがいいだろうなと思ってはいたのだけれど、


 結婚もそうだけれど、「やった方がいい事」と「自分がやりたい事」が全然違っていて、やった方がいい事に流されているのがなんとも虚しい。

もう手遅れだけど、お手本通りの道を、ただただ責任の重しを増やしながら進んでいるかんじ。

そこには目標もなく、理想もなく、ただ世間体やマスコミが無責任にバラまいている「幸せ」モドキしかない。


 良くはない。

 決して幸せでもない。


ただ、やった以上は責任を持つ。責任をとる。責任を果たす。


 ああ、それにしても金がない。

買い替え

 久しぶりに過去の履歴を見ているうち、D80を購入した頃の記事など発見してしまった。

 数万ショット切り続けてきたシャッターも、気づけば6年の付き合いになっていたようだ。
D80の発売は2006年というから、日進月歩のデジタル界隈で発売から8年も使い続けてきたわけで、
我ながらよくこれだけ使ってきたものだと感嘆する一方で、俺の乱暴な扱いに耐えて、これだけ長い間故障なく一緒にいてくれた相棒にちょっとばかりの感謝など覚えたりもする。


 ただ、最近は限界を感じる日も多い。
特に室内撮影での暗所耐性はかなり厳しい。
先日も少し撮ってみたのだが、等倍表示とはいえISO400でノイズが出るのはさすがに辛い。
現像ソフトでいつも誤魔化してはいるものの、やはり元のデータがザラザラなのは撮っていて嬉しくないわけで、いよいよ買い替えかと思っている。


 フルサイズは・・・あきらめた。
なんといってもレンズ資産がない。本体を買うならレンズも買わなければいけないが、
安いものでも十万を超えるフルサイズ機にレンズまで買うほどもうゆとりはない。
やはりここはD7100だろう。

 昨年、ローパスフィルタレスを売りに出たD7100だが、
7000当時から採用されているライブビュー、動画撮影、SDカードスロット×2等々、D80ユーザーからすれば憧れの機能満載だ。
しかも当然暗所性能も向上。 価格も発売から1年が経ち、大分こなれてきているところ、しかも今は決算期で値段もかなり落ちてきている。


 さて、この辺で散財するべきか・・・

ひとりごちる

 大の大人になりまして、「寂しい」なんて言葉が言えなくなってん十年・・・
いや、もともとそういう所は強情だから、昔から言ってなかったわな・・・・

 別にいつもという訳ではないけれど、とてつもない寂しさを感じたりする。それはもうたいそう昔の頃から。
まぁ躁鬱みたいなもんでしょう。
ただひとつタチの悪い事は、30を過ぎ、40も見えてくると、自分の中身に対しての「寂しさ」を強く感じてしまうこと。


 なにものにもなれなかった自分


       と


 誰にも慕われない自分。誰にも信用されない自分(事実かどうかはわからないけれど)


 その2つがグルグルとまわって、逃れられないスパイラルになる。
そう、昔ならばこういう気持ちがモノづくりの着火剤になったり、いろんな行動へに飛び出す踏み台になったのだけど、
あいにく今の俺には時間と金がない・・・
だからこの気持も意味をもたずに擦り切れてしまう。そうなるとますますダメな自分への否定へと流れていく。


 はやく自分を許せるようになりたいな・・・

漂泊

 2011年を最後に放置していたブログだけれど、なんとなしに帰還。
いや、きっと毒を吐く場所を失ったんだねこれは。

 ここ数年というもの会社の組織改編やら部署異動やらで振り回され、以前のような比較的のんびりした仕事が出来なくなった事、
それに子供が生まれたこともあって、時間的にも精神的にも余裕がなかった。
そんなこんなで、ブログとか、そういう気分ではなかったのかもしれない。


 このところのネットとのかかわり合いは、twitterがメインで、ほんのすこしだけLINEなどもやっている。Facebookは会社のお付き合いだね。
前の記事を書いていたころは、ミンカ・リーさんのイベント主宰などもやっていたけれど、ミンカさんが活動を休止してこのかた、そういったイベントごととも縁がなくなった。


 ただ、時間とネット空間を漂泊し、経年劣化をただ呆然と見つめる日々。
いつか「なりたくない」と思ったなにもない自分になっていくなってしまったそしてそこから変わろうともしていない。


 最近少し「人」を撮っている。育児に忙しい嫁の手前、秘密で撮っている。
説明して、分かってもらおうとかそういう気力はない。
この辺も昔、そう、小中学校時代の自分に戻ってしまったようだ。


 今の生活は、自分の決断の積み重ねでできている。だから誰を恨むこともしない。
ただ、今の自分を振り返った時、社会的にはまっとうに生きていたとしても、
主観での自分は最悪だ。


 もっと破天荒に生きればよかったのに、なにを怯えてここまで来てしまったのだ。

うつうつ…

閉ざされた環境と自分のダメさ加減に未来の展望を見いだせず、「死にたい」とか願う今日この頃、
結局、自分はひとりでないと生きていけないことを痛感する毎日。

…なんで“縁”なんかに甘えちまったんだろ…

「自信」がほしい
「自信」のために、なにかに打ち込む時間が欲しい

…時間も金も自信もない。
これじゃ高校までの俺に逆戻りだわ…


こんな自分、いらない。

生きてるよ

棚の中のクックゥ

 ああ、生きてるよ生きてるともさ。

色々憂鬱なこともあるさ、辛いこともあるさ。
まぁ、そういうフラストレーションが溜まったからここに戻ってきたのかもな・・・

 子供がうまれたり、クリムがおおきくなったり色々あるけれど、
まずはまずは生存報告まで。

そうさね。
なにもないのも寂しいし、うちの娘の写真でも貼ろうかね。


ではでは〜☆

誕生日

 ものすごくご無沙汰してました、かさいゆーぎです(・_・)/

色々書くべきことはあるんだろうけれど、今日は「ネコ」の話など・・・

 知ってる人は知っている通り、かさいゆーぎは出張の多い人なのだけれど、
そうなると嫁がいつも一人寂しい思いをする・・・
前々から言われてはいたのだけれど、4月のある日「もう限界!」と言われ
ネコをねだられましたw


 正直なところ、高校時代に九官鳥の世話をして以来ペットには縁がなく、
自分的には足手まといにしか感じなかったのだけれど、
嫁が望むならとペットショップをハシゴ、嫁がグッときた一匹をお迎えしました。

命名:クリム


 お店でみかけた時で生後4か月、ネコを飼っていた嫁から言わせると
4ヶ月というと、もう結構大きくなっているらしいのだけれど、
この子はまだまだ小さい子。聞けば生後すぐパルボという病気に罹ったそうで
その影響でほかの子よりも成長が遅れているのだとか・・・

 当たり前の話だけれど、飼う以上は死ぬまで責任を持つのが義務だからと
正直この子を飼うのには消極的だったのだけれど、
動物病院に単身駆け込んで、後遺症や再発の危険を確認した嫁の一生懸命さを見て、結局この子をお迎えすることになりました。


 そう、ペットショップではおとなしい子だったんだよ・・・w

 ぷにぷにの肉球、ふわふわの毛、家に帰ればお出迎えしてくれるし
遊んで遊んでと、物陰に隠れては「ニャッ♪」と呼ぶ可愛らしい子なんですが、

毎朝5時に俺や嫁を起こすことを仕事を思っているらしく
ベッドのまわりでニャイニャイと声をあげては大暴れ
おかげでふすまが・・・orz


 そんなクリムですが、12月14日はこの子の誕生日。
良い意味でもちょっと残念な意味でもペットフードしか食べない子なので
ケーキやお魚、お肉でお祝いとはいかないけれど、
先日ちょっとしたプレゼントを買ってあげました。

 駄菓子菓子! 俺は今、出張先orz


 クリムよ!週末まで待ってくれ!!絶対お祝いするからな!!←