なんかかんか

なんか書きます、不定期です。

“潔癖症”の話

どうも、初手おかしな話から始まるブログです。

タイトル通り潔癖症の話をしたくてしたためてます。

今回の話題は「潔癖症なのに自分の部屋が汚いのは平気なのはおかしい!」という疑問に対して、

「他人が触ったのがダメ、自分はオーケー」という反論についての話です。

自分はわずかに潔癖寄りのニュートラルです、事実はともかく“ファッション潔癖症”って言われるタイプの人間ですね。

なので、どちらの言い分もわかるのですが何故か違和感を感じるのも事実…

という事で、違和感の正体を寝る間を惜しんで考えていました。寝れるなら寝てるレベルの優先度で。

まず、潔癖症というのは“汚い”ものが嫌うんですね、まあ知的生命体なので当然なんですが。

しかしながら、その嫌悪は本当に“汚さ”に対して向いているかと言えば…それはわかりません。

例えば電車に乗っていて、吊り革があるとします。

その吊り革は清掃されてから誰も握ってないかもしれないし、手のひらに肛門が付いていて、アイアンマンの熱線の如く排泄する人が握ったかもしれない。

…妖怪“手肛門”のくだりはいらないなって書きながら思いました。純粋に汚いって事にします。

つまりシュレディンガーの吊り革」とでも言うべき状態なんですよ、そして潔癖症じゃない人は別にどうでもいいから握る。

ということは、潔癖症の人は未知を恐れているという事になります。自分も死ぬ事自体は怖くないんですが、死んだ後どうなるんだろうって考えると縮み上がるぐらい怖くなります。

急ですが、とあるクリエイターの方が「リスクとリターン」という話をしていました。リスクとリターンが釣り合ったゲームは面白い、みたいな話です。

それと同じで、潔癖症の人はリスクである「汚いかもしれない吊り革を握る」という行為と「電車内で多少は楽に過ごせる」というリターンが釣り合ってないから行動に踏み切らない、とも言えるんではないでしょうか。

次にですが、反論のヤツについてです。

正直、自分は自分の触ったものでも汚くて嫌になる事もあります。なので食後は速攻で箸と箸置きだけは洗います、他の食器は別にいい。

だから、この反論はよくわかりません、個人差はあると思います。

なので早速次、どうして自室が汚くても平気なのか。という事です。これも個人差はあると思います、ダメな人もいるでしょうね。

やっと本題的な事なんですが、“汚い”ってどんな状況がイメージされますか?ちょっと読む手を止めて想像してみてください。

あっ、刃牙の家みたいな汚さはノーカンで。あくまで内装でお願いします。

だいたい2分割されるんじゃないかなあ、と思います。「ホコリやヤニのような蓄積タイプ」「ゴミ屋敷みたいな生活圏の消滅タイプ」

「読者様に想像までさせて何が言いたいんだ、今からお前の家に落書きしに行ってやる」とお思いの方もいると思います。頼むから刃牙の家にしないでください

「部屋が汚い」というのは、ほとんど後者のゴミ屋敷タイプだと思います。

このゴミ屋敷タイプというのは物が散乱してる状態を指しますよね、つまり潔癖症の人からすれば“別に汚くない”んですよ。たぶん。

潔癖症の人が嫌うのはあくまでも汚いもの。物が多くても別に汚い訳じゃないですよね。

なので、潔癖症の人が指す汚さは“バイオ的な汚さ”で、潔癖症ではない人が指す汚さは“メンタル的な汚さ”だと言えるんじゃないでしょうか。

こういった日本語特有の認識の違いから、特に答えのない論争が起きたと考えます。こんな些細なすれ違いの連続で戦争が始まるんでしょうね。

以上、深夜テンションのニュートラルの妄言でした。

ガチの潔癖症の人がいればご意見お聞かせ願います。