つれづれな雑記帳

大学院での学びや、趣味の読書で感じたこと、生活の中で心に残ったことを書き連ねる雑記帳がわりです。

エンデの鏡のなかの鏡ー迷宮

 

こんにちは。

 

 

今日はミヒャエル・エンデ『鏡のなかの鏡ー迷宮』についてです。

 

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)

 

 

前にも書いた気がしますが、私はエンデが大好きです。

大学の図書館でホコリをかぶっていた全集を読了していることがちょっと自慢でもあります。

 

エンデといったら『モモ』『はてしない物語』『ジムボタンシリーズ』などの王道ファンタジーな児童書のイメージが強いですが、この本は30篇の短編集でかなりダーク?な作風になっています。

 

 

とりあえず一度読んでも全然理解できません。

 

シュルレアリスムと言っていいのかわからないのですが、ダリやマグリットの絵をそのまま文字にした感じです。

 

一つ一つのお話が何を言わんとしているのか正直よくわからないのですが、しかし最後の物語を読んだあとになぜか一番始めのお話に戻りたくなります。

 

読みながらぐるぐると連続した環の中にいるイメージを思い浮かべました。

まさに「鏡のなかの鏡、迷宮、いつまでも終わらないもの」という感じですかね。

 

 

恩田陸さんの『いのちのパレード』を読んだ時にも同じような気持ちになりました。

 

いのちのパレード (実業之日本社文庫)

いのちのパレード (実業之日本社文庫)

 

 

これもそれぞれ不可思議な世界観の物語が集まった短編集です。

それぞれ独立したお話ですが、本の中の世界観からなかなか抜け出せませんでした。

 

 

みなさんがどうかはわからないのですが、私の中では「パレード」という言葉から「いつまでもずらずら行列が続いて終わらない、連続するもの」というイメージがあります。

ということで、こちらも本のタイトルから受けた私のイメージ通りの読書体験でした。

 

 

ここまで書いてきて、この2冊の共通点を踏まえてみると、どちらも一冊の本として「連続性」を持っているということがいえるかと思います。

 

 

この連続性の意味するところが何なのかを考えた時に、本自体がその一冊として

 「物語同士が結びついていることで、読者が絶え間なくぐるぐると考え続ける」

ことを仕向けた機能を持っているのではないかなと思いました。

 

ふつう短編集を読む際には、一つ一つの物語について、このお話はこーだあーだと考えやすいのかなと思います。

 

ですがそこは一旦置いておいて、物語同士の繋がりに着目すると、本一冊として新たな意味合いを見出せるのではないでしょうか。

 

つまり短編集を、複数の物語が結びついた一つのシステムととらえるということですかね。

 

連続性という共通点からこんなことを考えてみました。

 

 

 

人に置き換えても同じことだと思います。

 

 

ある個人に焦点をあてるのではなく、人と人ととの結びつき自体に目を向けるとします。

するとその人が集団の中で担っている役割や機能が見えてきて、その人自体の見え方も違ってきたりするのかなと思います。

 

例えば、家庭の中で強気なお母さんと尻に引かれているお父さんに注目した時に、深読みせずに単に個人に注目すると「気が強い中年女性」「情けない弱気な中年男性」というような見え方だと思います。

 

しかし繋がりに注目してみると、高圧的なお母さんに対してお父さんが低姿勢をとることで家庭生活が安定している、という風にもとらえられます。

 

つまりお父さん単体として見れば「妻に尻に引かれている情けない弱気な中年男性」で終わってしまうけれど、家庭のシステムの中でみると「家庭生活を安定させる」重要な役割・機能を担っているというわけです。

そう捉えるとお父さんの見え方が大分違ってきますよね。

 

 

こういう考え方は心理学で家族療法の人たちがよくする考え方だったりするのですが、私の得意分野ではないので説明が下手で申し訳ないです。

 

 

ちょっと抽象的すぎて自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので、そろそろしめたいと思います。

 

 

ついでにエンデの物語の中で個人的に話のストーリーだけで一番面白く読めたのは『魔法のカクテル』です。

 

エンデ全集〈12〉魔法のカクテル

エンデ全集〈12〉魔法のカクテル

 

 

子ども向けのコメディタッチなファンタジーというんでしょうか?

あまり知られていませんが、純粋に面白いのでこちらも機会があれば紹介したいと思います。

 

それでは。

 

 

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芥川龍之介の侏儒の言葉

 

こんにちは。

 

今日は芥川龍之介侏儒の言葉について。

 

侏儒の言葉 (文春文庫)

侏儒の言葉 (文春文庫)

 

 

家裁のインターンに参加する機会があったので、せっかくだからとインターン前に家裁の調査官がでてくる伊坂幸太郎の『チルドレン』を読みました。

その中で出てきたのが『侏儒の言葉』。

気になったので本屋さんで探して読んでみました。

 

 

作者の箴言集で、世間に対する皮肉たっぷりの嫌味やら軽蔑的なつぶやきが並んでいる中で、たまにユーモアもあったりして、ふふっと笑えます。

合わせて、こんなに厭世的で他人を軽蔑するようなことを言ってるけど、心の中では本当は人間が好きだよなーと随所に感じさせる点もいいなと思いました。

 

 個人的に気になった言葉です。

 

 

人生は一箱のマッチに似ている

重大に扱うのは莫迦々々(ばかばか)しい。重大に扱わなければ危険である。

 

人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならない。雲の光、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、ーーあらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。

 

わたしは不幸にも「人間らしさ」に礼拝する勇気は持っていない。いや、むしろ屡「人間らしさ」に軽蔑を感じることは事実である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事実である。

 

百足、ちっとは足でも歩いて見ろ。

 蝶、ふん、ちっとは羽根でも飛んで見ろ。

 

 

と付箋をつけていたところを挙げてみましたが、調べてみたらこのあたりは侏儒の言葉の中でも名言として取り上げられることが多かったみたいです。

 

逆に自分の感性が世間とそんなにずれていないことがこんなところでわかりました。

 

 

難しい項目もありますが、天才ってこういうことを考えて生きているんだなということが垣間見えて色々と興味深いです。

 

 

今日はただ単にこういう本もありますという紹介なので、特に自分の考えなどは書きませんが、気になった方はご一読を。

解説が筒井康隆なので、もし手に取ったらそちらも読んでいただきたいです!

 

 

それでは。

 

 

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遠藤周作の沈黙

 

こんにちは。

 

このブログをどなたが読んでくださっているのかわからないのでほとんど自己満足ですが、ブログというツールがあるだけで何か文章を書こうというモチベーションに繋がってる気がします。

 

 

今日は遠藤周作の『沈黙』についてです。

 

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

 

遠藤周作を少しかじったのは大学2年生の今くらいの時期だったかと思います。

有名どころしか読んでいないので偉そうなことは書けないのですが…

 

沈黙を読み終わった後のずどーんと心にきた大打撃が大きすぎて、あの感じは本当によく覚えています。

 

内容は江戸時代の五島列島でのキリスト教弾圧のお話です。

隠れキリシタンに救いを与えるために命からがら島に潜入した若い宣教師が、自分のせいで次々に殉教していく信徒たちを前にして信仰を棄てることを迫られます。

 

宣教師の葛藤と、遠藤周作の思想が色濃く出ているキリスト像がはっきりとした言葉で示されていて、彼の核となっている部分がよく伝わってきます。

 

たまに重い腰をあげて純文学を読んでみても、難しい言葉の羅列に???となってしまうことが多いのですが、遠藤周作の文章はそういう意味では読みやすく感じました。

 

ただ世界観が強烈です。

泥臭くてずたずたで、どんよりじめじめ、真っ暗で寒くて、とあの世界観を表現しようとしても訥々としか言葉がでません。

 

ロールシャッハでいえば、無彩色反応とビスタで、特殊スコアでMORがついちゃうみたいな感じでしょうか。

 

読んでいてほっと息を抜ける場面が無く、ずっと息継ぎを我慢しているような、緊張感と息苦しさの状態が最初から最後まで続きます。

読んだことのある方には言いたいことが伝われば嬉しいです。

 

沈黙のテーマとしては

・神は沈黙しているのか?

・棄教は許されるのか?

ということが挙げられることが多いようです。

 

私自身は今の時点で作品の主題をどうこうを語れるほど深く読むことができていないのでここはさておきます。

 

自分が作品から一番強く受け取った印象は、これは遠藤周作の信仰の宣言文であるということです。

 

自分とイエスさまとの向き合い方を作品を通して伝えられているように感じました。

同時に「あなたはどう思いますか?考えてみてくださいね。」

というメッセージも込められているのかなと思ったり。

 

私は信仰しているものがあるわけではないので、神さまとの向き合い方と言われたら困ってしまいます。

ただ「神さま」という部分を今の自分の核となるようなものと置き換えてみて考えてみるのも、一つありだと思いました。

また、遠藤周作が日本の文化とキリスト教との間で悩んだように、自分にでもあてはまる2つのジレンマの中でどう折り合いをつけていくのかという議論をしていくことも、誰であっても人生のテーマになりうる意義あるものだと思いました。 

 

 

数年前に沈黙の映画が公開された時、父と母に誘われて公開初日に観に行きました。

 

 

 

映像になると、またショッキングですね。

特にキチジローは見ていられませんでした。

 

映画のあとにお寿司を食べに行く予定だったのに、3人沈んだ気持ちでそんな気分にもなれず、そのまま家に帰った記憶があります。

 

映画だとまた作品の印象が少し変わりました。

監督が外国の方で、あくまで外国の視点から日本のキリスト教を描いているからでしょうか。

 

 

 

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原田マハの楽園のカンヴァス

こんにちは。

 

毎日更新するのを目標としていたのですが、早速挫折していました。

お友達にブログみてるよ!と声を掛けてもらったのがうれしかったので、今日は頑張って更新してみます(笑)

 

今日は私の激おしの原田マハさんの『楽園のカンヴァス』についてです。

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

 

 

去年原田マハさんにだだはまりして、手当たり次第に読み漁ったのですが、とくに印象深かったのがこの一冊。

 

マハさんの小説はお仕事頑張る系のお話と、美術に関連した重めなお話とで、大きく二つのタイプが多いのかなと思います。

『星がひとつほしいとの祈り』などはまた違ったテイストですが、こちらも素敵な短編集です。

 

『楽園のカンヴァス』はアンリ・ルソーの「夢」をモチーフにした作品です。

有名コレクターに呼び出された2人のキュレーターは,ある一冊の古書をたよりに、夢に酷似した絵の真贋について勝負させられます。

 

美術界の権力闘争に巻き込まれながらキュレーター同士が争い合う現代パートと,古書から広がるルソーの生きた時代とを行ったりきたりします。

 

 

ルソーの人となりや、作品との向き合い方、そして絵画の裏に込められた思いの描き方が本当に丁寧で、そしていきいきとしていて。

かなり読み応えがあります。

 

ご本人がキュレーターをされていたので、その強みが一同に介された!!

という感じですね。

 

 

美術に疎い自分のような人でもこんな風に美術の世界に引き込んで、関心を向けさせる文章ってすごい力を持っているなと思いました。

影響を受けやすい私は、読み終わったあとにひっそり美術史ノートをつくりました。

 

 

こういう気持ちになると、ことばの力って本当に偉大だなと改めて感じます。

ひとつの文で誰かの人生を変えてしまうことだってありますもんね。

常日頃からことばを丁寧に使っていくことを意識して生活しようと思います。

2019年の目標がひとつ増えました~

 

 

話がそれましたが、

アンリ・ルソーは中学の夏休みの宿題で出された文化祭のポスターの参考にさせてもらったので、ひと夏のちょっとした思い出だったりします(笑)

いい塩梅でへたくそなのが逆にいい味を出しているのかもしれない…………

 

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表面的なことしかしらなかったので、この小説でルソーのことをもっと知ろうという扉を開いてもらえた感覚です。

このお話の続編?が「暗幕のゲルニカ」です。

 

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

 

 

こちらはピカソをテーマにしています。

マハさんの文章は合う合わないがあるとも聞きますが、はまるとどっぷりはまります。

試しに一度読んでみていただけたら嬉しいです。

 

それでは。

 

 

 

 

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今年読みたい本のメモ

 

こんにちは。

今日の仙台はだいぶ暖かかったので過ごしやすかったです。

 

今年読みたい本のメモを残しておいて、年末に見返せたらなと思います。

 

・リトルバイリトル

・ファーストラブ

・草の花

・孤島の鬼

・R帝国

・海の見える理髪店

・春の雪

・眠れなくなる宇宙のはなし

きらきらひかる

・完全版社会人大学人見知り学部卒業見込

・きれぎれ

虚数の情緒

・一瞬の光

村上春樹河合隼雄に会いに行く

すべてがFになる

サロメ

・地球星人

・サラバ

・浮世女房洒落日記

・バッタを倒しにアフリカへ

八咫烏シリーズ

 

 

とりあえずこのくらい

 

このごろ 島本理生が気になってます。

 

ファーストラヴ

ファーストラヴ

 

 

 

軽めのものばかりなので、今年は純文学も読んで行きたいのですが、何から読めばいいのかさっぱりです…

おすすめがあれば教えてください。

 

今日は手抜きの記事でした。

三浦しをんの天国旅行

こんにちは。

 

きのうは死に関する話題を書いたので、その名残で心中をテーマにした三浦しをんさんの短編集の『天国旅行』について書きたいと思います。

 

天国旅行 (新潮文庫)

天国旅行 (新潮文庫)

 

 

色んなテイストの死に関する短編が7つのせられています。

 

相手に寄り添う手段としての死、抗議・報復としての死、救いとしての死、愛の確証としての死、理想と現実の象徴しての死などなど。

色んな死に対する考え方や態度があるんだと気付かされます。

 

そしてここに書いたものはあくまで私が小説から読み取ったものなので、読む人によってはまた全く違った意味合いを見出すかもしれません。

小説の醍醐味はこういうところにあるんですかね。

 

全体を通して言えることは、死について「泣ける」「重い」「不気味」とかって一言で言い終えてしまう、そういう安易な書き方をしていないということです。

作者の死に対する向かい方が感じられました。

 

 

7つのお話しの中で一番印象に残ったのは「遺言」というお話しです。

 

全体的に暗い話が多い中で、この物語はほろりとさせる終わり方です。

ある老人が妻に向けた遺言、というよりかはもはや長編ラブレターです。

その中で二人の長年の歩みがつらつらと語られます。

 

どうやらこの物語の妻は、思いあまると死を望み、そこに愛している人を道連れにしようとする癖があるようです。

 

親に反対されて駆け落ちをした末の心中

夫の浮気が発覚した末の心中

人生のむなしさに襲われた末の心中

 

結局全て未遂で終わり、青酸カリの瓶を空けることも柿の木の枝に縄を掛けることも満足にできなくなるくらい年老いるまで、長い時間を共に生きてきました。

 

 

この話だけテイストが違うなとは感じつつ、どうしてなのか府に落ちていなかったのですが、解説で角田光代さんがきちんと言葉にしてくれていました。

 

他の物語の登場人物はみな、死後の世界に何か希望を抱きつつ、何かしらの意味づけをして行動しています。

一方この物語の主人公だけ死は死でしかない、という思想を持っているんですね。

生きているからこそ得られるものがある。

生きているからこそ死のうとした行為に対して何か意味を見いだせる。

 

そういう姿勢だってあるよなとはっとさせられました。

 

そして作者は死の意味を通して逆説的に生の意味を伝えているようにも感じます。

結局生きることと死ぬことは、切ってもきれないものだと実感しました。

 

結末が曖昧にぼやかされているお話が多く、読み手の受けとり方次第で描かれている死に対する印象がかなり変わるかと思います。

 

というわけで死について考えるうってつけの一冊!

一度手にとってみてほしいです。

そして感想を聞いてみたいところ。

 

 

三浦しをんさんの短編というと『きみはポラリス』もヒット作ですよね。

 

きみはポラリス (新潮文庫)

きみはポラリス (新潮文庫)

 

 

あちらは人には言えないような、秘密の恋をテーマにしていたと記憶しています。

天国旅行と似たようなテイストの一冊で、二冊合わせて読むと作者のメッセージをより受け取りやすいかなと思います。

 

それとどちらも表紙が素敵です。

これだけでお部屋に置いておきたくなります。

デザインは青木陵子さんという方のようですね。

こういう絵がかけたら楽しいだろうな。

 

 

 

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死について考えること

こんにちは。

 

今日は「死」についての話題です。

 

自分の研究テーマに大きく関わってくるので、死生観に関する文献や講演会などを聞く機会がすごく多くなってきました。

それらを通して自分が感じていることを書きなぐってみます。

 

みなさんは「死」ときいてどんな印象を受けますか?

別れ、悲しい、怖い、無、よくわからない、暗い、どちらかというネガティブなイメージの人が多いでしょうか?

それとも、人生のゴール、救い、自然なもの、別の世界への入り口、なんていうポジティブなイメージもあるかもしれません。

 

日本は文化的に死をタブー視する傾向が強いと言われています。

それは風土や宗教的な背景など様々な要因によるものと考えられます。

 

確かに経験的にも自分自身、死にできるだけ触れたくないなーという感情や、実際に死に関するコンテンツから距離を置くといった行動をとっていたこともあるように思います。

世代的には上になればなるほど、死=忌み嫌うもの、と考える方が多い傾向にあるようです。

それでも最近は少しずつ死に対してオープンになってきたのかな?

にしても死を考える機会が少なすぎるというのが実感です。

 

 

これらを踏まえた上で、やはり死を考えることは私たちの人生を豊かにするためにとっても大切なことだと感じています。

 

「死」を考えるということは、自分の人生の区切りをある程度意識することにも繋がります。

 

つまり人生の有限性に気づくということです。

 

自分も含め若いうちは特に、大きな病気や事故に遭っていない限り、死なんてよくわからないし、実感が湧かないし…と考えるのが普通でしょう。

けれども絶対にいつかは訪れるものです。

 

死を意識することは、これからの人生でやれることはなんだろうと、将来について考える意欲や、できることをやりきろう!という現在の生活への活力にも繋がるかと思います。

そして、死が訪れるなら過去のつらかったことに囚われすぎに、残された時間を大切に生きようという気持ちも強まるかもしれません。

 

ここで前の記事に書いた私の研究テーマである時間的展望ともリンクしてくるわけです。

 

a12k25.hatenablog.com

 

 そして死と向き合うための準備という側面も欠かせません。

 

身近な人が亡くなった時、否定的な感情を抱くよりは肯定的に考えられる方が良いのは当たり前です。

 

しかしいくら日頃から死について考えていたって、大切な人が亡くなれば動揺するでしょうし、全く悲しくないというのはありえないと思います。

(宗教的な信仰を持っている場合にはまた話が違ってくるかもしれないので、この限りではありませんが…)

 

ただ普段から色んな人の死生観について見たり聞いたり、死について自分でも考えることをしておくことで、いつかその人の死を「すとん」と受け入れるための「お守り」のようなものを自分の中に貯えておける気がします。

もちろん自分自身の死と向き合う時にもそのお守りは使えるはずです。

 

今回の話をまとめると、死を考えることは

①自分の人生をよりよくすること

②死と向き合う準備

という2つの側面から良いことがあります。

きっと他にもメリットはたくさんあるかと思います。

 

死生観などについて何か読んでみたいと思った方は、柳田邦男さんあたりが読みやすいかと思います。

柳田國男ではないのでご注意を(笑)

ご参考までに。

 

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)

 
「死の医学」への日記 (新潮文庫)

「死の医学」への日記 (新潮文庫)

 

 

朝から院生室にいたらお友達がリフレッシュにとお茶をたててくれました。

こういう気遣いがさすが臨床心理のコースだな〜!

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それではみなさんは良い休日を。

 

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