京都聖地巡礼の旅〜2日目〜前編
●移動する前の準備
巡礼者の朝は早い。まずは(以下略)
7時に起床した我々は、すぐさま身づくろいを開始。ゲストハウスの寝室は共同部屋であり、私たち以外のお客さんはまだ眠っている。着替えを済ました後静かに共同部屋へ向かうと、すでに私たちより早く起きていた人たちが出発の準備をしていた。
共同部屋は男女混合のため、大学生と思われる若い男女グループに交じりながらアラサー×2は整形を開始していく。こんな若い子たちにすっぴん晒す機会も珍しいなぁと、ぼんやり思った朝なのであった。
●出町ふたばの豆餅と鴨川デルタ
昨晩見つけられなかった義経と弁慶の像を見ながら、京阪線の清水五条駅に向かう。そして電車に乗って3駅、出町柳駅へと到着した。出町柳といえば京都大学の最寄り駅として有名だ。しかし我々は、頭の良さそうな学生さんたちの流れに逆らい反対方向へと向かっていく。なぜなら、朝ごはんが待っているからだ。
出町柳駅を出て徒歩5分。これを楽しみに京都に来たといっても過言ではないお店に到着した。
出町ふたばというこのお店、以前京都旅行に来た際に友人に紹介してもらったお店なのだが、豆餅が大層うまい。お世辞抜きでうまい。私が今まで食べてた豆大福は豆大福という名の別物だったのではないかと思うほどにうまい。
ここは大変な人気店ですぐに長蛇の列ができてしまうのだが、開店直後は朝早くということもありそこまで並ぶことはない。その穴場の時間を狙って我々はやってきたのだ。
予想通りそこまで待つことなく一人頭豆餅2つと桜餅1つを購入できた我々は、ホクホクしながら河川敷へと向かう。鴨川が眺められる絶好のベンチに座りながら、待ちに待った朝ご飯を食し始めた。
二人とも無言で食い続けた。ただ、食べることに集中するしかなかったのだ。それほどまでにおいしい。ここの豆餅を食べないことは人生の損だと思えるほどにおいしい。
具体的に言うと、まず餅がものすごく柔らかい。むにょーんてなるんですよ、むにょーんって。さらにもち米のいい香りがする。その辺のコンビニの豆大福なんかじゃあ絶対に味わえないもち米の香り。そんな餅の触感と香りを楽しんだ直後、やってくるのがこしあん。元々甘いこしあんに豆の塩味が加わってガツンとした甘さとなって舌を襲う。そしてそのままかみ砕くと、途端に感じるのが豆自体の味だ。なにがおいしいのかはっきり言えないがこの豆がうまい!すごい豆の味がするのに他を邪魔しない!
人間はおいしいものを食べるとバカになると聞くが、私も例に漏れず「なるほど、すごい、うまいな、なるほど」と同じ事ばかり繰り返すバカになってしまった。あと桜餅もめっちゃおいしかった。あやめ、この桜餅すき(バカ)
朝早く食べるにしては多い大福2つに桜餅1つは、10分もしないうちに胃袋の中へと治まっていった。いつの間にか空になった容器を見ながら「またこの大福を求め悶々とする日々が始まったか……」と思う。次の京都旅行はいつにしようかな?
食事を終えた我々は次の目的地へ行くため駅へと向かう……途中に実はもう一つ聖地があったりする。
森見登美彦先生の四畳半神話大系に度々出てくる鴨川デルタだ。まぁ京大を舞台にしている話なだけあって、出町柳全体が聖地状態ではあるのだが(先ほどの出町ふたばもアニメでは背景に写っていたらしい←覚えてない)。私はここのデルタでコンパしてるクソ野郎どもに一泡ふかせようとする話が大好きなので、出町柳に来るときはついつい眺めてしまうのだ。いつか四畳半神話体系のみの聖地巡礼に来てみたい。
●相槌稲荷神社
電車を乗り継ぎ東山駅へ。そこから歩いて数分の場所に相槌稲荷神社がある。
ここは「お偉いさんの依頼で刀を作ることになった三条宗近が成功祈願のお参りに来たら急にお稲荷さんが現れて『この相槌を使うがよいぞ』とラッキー☆アイテムの相槌を寄越してくれたので、それ使って刀作ったら子狐丸ができました(意訳)」という超太っ腹のお稲荷さんがいる神社である。
後述の粟田神社のほぼ目の前にあるこの神社、正直言ってすごく見つけにくい。住宅街のど真ん中にある。どれくらいわかりにくいかというと
(京都においては至る所で見られる)ごく普通のお稲荷さんと大して変わらないのだ。しかも鳥居の先に見えるのは普通の家だ。鳥居のみで終了かと思い立ち去ろうとした私を引き留めたザウリさんはこう言った。
「まだあるよ?」
まじでか。どこにだよ、と不審がる私を引き連れザウリさんはどんどん先に進んでいく。鳥居をこえて左に曲がり、明らかに民家の私有地っぽい場所を潜り抜ける。すると突然、お社が現れたのだ。
まじでか(2回目)
わかるか!絶対最初で引き返した人いたわ!
お正月明けだからだろうか、思っていたよりも綺麗にされていて地元の人に愛されていることがよくわかった。信仰とは無縁の現代社会においても、このような文化が残っているのはとても素晴らしいように思う。
びっくりするレベルで民家のど真ん中に鎮座しているので、参拝に来る際はお静かにお願いします。
●粟田神社と鍛治神社と小鍛冶
相槌稲荷神社から道路を挟んで反対側に、三条宗近・粟田口吉光に所縁のある粟田神社がある。我々が到着したとき、ここでちょうどおばさま方がラジオ体操していてなんだか面白かった。
大きな鳥居をくぐって先に進んでいくと再び鳥居が現れる。
ドンと構えるその姿に思わず「かっけ~~~!」と声が漏れる。しかし奥に見える嫌な予感は……やっぱり、結構急な階段だ。
前日に引き続きへぇこら息を切らしながらも登るアラサー。苦行。ほんと苦行。きっと藤四郎兄弟はサクサク登っていくんだろうな……それで一兄だけ置いてけぼりにされてたらかわいいと思う。
到着した粟田神社だが境内はかなり広く、また木が生い茂っていて少し薄暗く肌寒い。早朝ゆえの静けさも相まって、神聖な地の貫禄のようなものをを感じた。
さあ参拝を!と思って前を向いた途端、神社の雰囲気には合わないものが見えた。
なにこれめっちゃかわいい。
藤四郎ちゃんたちがやったの?なんなの?もうやだかわいすぎて耐えられない(語彙崩壊)
壊れかけながらも手水舎にたどり着くと、またもや気になるものを見つけた。
龍の口から水が出るなんてかっこよすぎだろう。しかも全自動だ。すごい。誰がやったんだ。鯰尾か?好きそうだもんな。
数あるトラップを潜り抜けようやく辿り着いた社殿は、非常に雄々しいお姿だった。
参拝をし、本日中に秋田藤四郎と骨喰藤四郎に会いに行くことを告げる。どうぞそれまで旅のご加護を……と祈った。まさかこのお願いが叶うなど思いもしなかったのだけれど。
どこかに刀が飾られていると聞いていたのだが、その時はすっかり忘れていて調べもしなかった。次こそは見つけに行こう。
またこの神社の中には多くの摂社がある。それらを順に回っている際、ザウリさんがぜひあやめさんに来て欲しかったと薦めてくれたのが、「出世恵美須神社」である。ここには義経が源氏再興を祈願した美須神様の像が祀られているそう。予想外の出会いに喜ぶ私。お祈りの効果がすでに現れていたのだろうか。
粟田神社と同じ敷地にあるのが三条宗近・粟田口吉光、それから鍛冶の神様(天目一箇神)を祀っている鍛冶神社がある。
ちょっとわかりづらい場所にあるので、粟田神社に来る際は見逃さないように注意していただきたい。
参拝を終えた我々は駅へと戻る。その途中に、一ヵ所だけ寄るところがあった。吉水園さんという和菓子屋さんだ。
ここには「小鍛冶」という三条宗近をイメージした焼菓子がある。形も刀の鍔を模っているという徹底ぶり。中ではあんみつなどもいただけるよう。先ほど大福を食べたばかりなのでさすがに頂くことはできなかったが、次の参拝の後には是非とも一服させていただこうと思う。
ここでは小鍛冶、季節の上生菓子、和三盆を購入した。
家に帰って食べたところ、どれもとてもおいしかった。特に小鍛冶は白あんの中に柚子が練り込まれており、甘味と香りのハーモニーがなんとも言えず食欲をそそる。1つなんてケチらず3つぐらい買って帰ればよかった……と後悔する食い気の塊であった。
●三条大橋
嵐山から一駅戻り京阪三条駅で下車。地下からの階段を上ってすぐ目に付くのが、三条大橋だ。
刀剣乱舞ではア○ルパールマップとして一時期話題になった場所。マップそのままの形をしているので、歩くだけでも結構楽しめる。
●高瀬川
●池田屋事変跡
京都聖地巡礼の旅〜1日目〜後編
●龍安寺と西源院の精進料理&湯豆腐
そして七草湯豆腐は……なんというか、でかい。2人前のはずなのに普通の土鍋で出てきた。食べきれるだろうか、という不安に駆られた。さっそく出汁醤油を大根おろしとしょうがなどの薬味が入った器に入れ、柔らかい絹豆腐を掬って入れてみる。そして箸を差し込み、一口ほおばる。
ふおおおおおおおおおおおお!!!
なにこれ~~~お豆腐めっちゃおいしい~~~!じゅんじゅわぁと出てくる汁と、口の中に入った瞬間消えていくお豆腐。醤油は出汁がきいているし、薬味の刺激が食欲をそそる。めっちゃうめ~~~と、美しい庭など完全無視でものすごい勢いで食べ始める花より団子な我々。食べきれないだろうと思っていた鍋は、あっという間に空になった(私に至っては汁を出汁醤油で味付けして啜っていた。おいしかった)
さて、時間もあまりないのでお寺のほうへと移動を開始する。龍安寺は世界文化遺産だけあってか、外国人観光客の姿が多く見られた。なおこのお寺で有名なのはこの枯山水。
●金閣寺
大量の観光客に混ざりながら「美しくなかったら燃やすわ~」などと不穏な話をしつつ向かう。金閣寺の主人公が娼婦の腹を踏みつけたであろう場所を通り抜け(ちなみにここ私の一番好きなシーン)、入園料を払う。するとなぜか御札が付いてきた。い、いらねぇ……こういう取扱いに困るものを安売りして……どうすればいいっていうの……と思っていたら近くに不要な場合の御札を入れる箱があった。まるでゴミ箱のようで笑ってしまった。
中国人団体客をかき分けながら先へと進んでいくと、ようやく念願の舎離殿の姿が現れる。
その後は義満の盆栽の松を見たり(結構でかかった)、お高めツアーの後ろをついて歩きちゃっかり説明を聞いたり、私と鶴川が休日に出掛けもせず金閣寺を眺めていた場所はここかなぁと物思いにふけるなど、満喫度はかなり高かった。
また金閣寺の中にあるお茶屋さんにて小休憩もする。
●本能寺跡と信長茶房
●五条大橋と松原橋
元俳優、元女優のご夫婦が営んでいるそのお店はとてもアットホームで、冷やかし客にも近い私たちを温かく受け入れてくれた。ちょこちょこ注文内容を忘れる気のいいママが「おまっとさんです~」と出してくれるおばんざいはどれもおいしい。無口でとっつきにくそうなお父さんは実はとても優しくて、「食べてる?」とちょいちょい顔を出しては気にしてくれる。偶然隣に座っていたご年配の女性の方は十年以上ここに通っている常連さんで、とっても素敵なお話を私たちにしてくれた(あと焼き銀杏くれた※写真参照)
京都聖地巡礼の旅〜1日目〜前編
●プロローグ
今回は京都国立博物館で特別展示される(私の推しの)宗三左文字を見に行くための旅行である。せっかく京都に行くのなら、各地にある聖地を回ろうと友人であるザウリさんを誘った。
前日の23:30に深夜バスに乗り込む。いつもより三千円ほど高いバスを選んでみたところ、三列フラットシートの快適さを知ってしまった。身体全然痛くない。7時間睡眠ばっちりすぎて超元気。もう二度と他のバスには乗れないだろう……人はこうやってダメになっていくのだ。
7時ごろに京都駅へ到着。
早朝にもかかわらずすでに多くの人がいた。さすが日本一の観光地京都である。私は一緒に回るザウリさんと合流し、バスの時刻まで時間を潰した。
●建勲神社
8時ちょうどにバスへ乗り込み目的地へ出発!
一番最初に行くのは宗三左文字の現在の実家にあたる建勲神社だ。既にテンションアゲアゲ状態で碌に判断力のない我々は、誤って遠回りのバスに乗り込んでしまう(バカ)でも気にしない!だって今から宗三くんのご実家に挨拶に行くのだもの!着ければなんでもいいわ!
バスに揺られること一時間強。ようやく目的地の名が私の耳に届いた。
微かに揺れる車からゆっくり降りると、途端に冷たい空気が頬を刺激してきた。ほぅっと真っ白な息を吐き出しながら辺りを見回すと、そこは閑静な住宅街だった。
京都駅の喧騒が嘘のように、とても静かだった。人はほとんどおらず、いても近所に住んでいるらしき人ばかり。目を凝らせば遠くにゴミを出している人が見える。そしてその近くには、参道の入り口なのだろう、「建勲神社」と書かれたとても大きな社号標があった。彼が確かにここにいたことの、証拠だ。
紫野は静かで落ち着いている素敵な場所だった。人々の生活の中に信仰があり、宗三くんはその中心の一つを担っているのだとよくわかる。今は違う場所にいるけれど、そこに預けられるまでの期間は、この土地で静かに穏やかに過ごせていたのだろう。それまでの彼の軌跡に思いを馳せて、涙が出そうだった。
(大きな社号標はゴミ置き場になっていたので写真は撮れませんでした)
感傷に浸りながら家々の間をゆっくりと歩いていると、右手側に大きな森が現れ、すぐに茶色の鳥居が見える。建勲神社の入り口だ。
ついに来たー!とテンションぶち上がりながら鳥居をくぐる。すると既に若い女性2人が眼レフ片手に写真を撮っていた。向こうもこちらの存在に気が付いたようで、気になりながらも無視を続けるオタク特有の距離感を双方で醸し出しつつ、我々は山に登り始める。
拝殿のある場所までは階段を登る必要があった。その数、実に百段。そして我々はデスクワークで鈍った身体を抱えるアラサー。動かぬ脚に必死に鞭打ちながらも登っていくと、境内図を見つけた。
広いな!?!?
我々が歩いてきたのは東参道のようだ。因みに今回一緒に旅をしたたザウリさんは三度目の参拝で、その際は北参道から登ったそう。そちらも中々にヘビィだったとのこと。さすが天下人の刀を所有する神社。格が違うわ。
そのまま拝殿へ向かって進んでいくと、通路左側に敦盛の石碑が現れた。
とりあえず、歌わないといけないよね?となった元鍋クラスタは、某歌を口ずさみながら境内へと向かう(ザウリさん半笑いだった)。そして開けた場所に出ると、目の前に大きな拝殿が現れた。
その日は見事な快晴だった。上に広がる青色と紅い紅い朱色のコントラスト。木々の間を通り抜ける冷たく澄んだ空気。風の音のみ聞こえる空間。なんだかよくわからないけれど、感極まって泣きそうになった。とにかく先に行かねばと手水で手と口を綺麗にしていざ参拝……の前に狛犬をご紹介。
信長を祭っている神社だけあってか、紋が織田家である。この狛犬は織田の印がついてるから狛犬界では歌舞伎者なのだろうか、など余計なことを考えてしまう。
そしてようやくの参拝。今回の旅の成功を祈るのと同時に、不躾に詮索することの許しを請う。さて、観察開始である。
拝殿の内側には織田信長公三十六功臣のうち、十八功臣の額が飾ってあった(とはいえ色が褪せすぎていてそのときは一体なんなのかよくわからなかったのだが)
拝殿の後ろにある神門は少し高い位置にあり、静かにこちらを見下ろしてくる。よくわからない威圧を感じた私は緊張のあまり語彙を喪失し、すげぇかっけーとしか表現できなかった。
次に、写真はないのだが手水舎の裏側にお社を見つけた。「船岡妙見社」というらしい。近くにある看板を読むと、玄武を祭っていることが書かれていた。玄武。四神のひとつ。やばい。偶然すごいところに来てしまった。やばい(再びの語彙喪失)
ふらふらしながらも、我々は旅の最初にこの神社を選んだ理由を求めて社務所へと向かった。
この御朱印張が欲しかったんですーーー!!!
ピンク!裏は桜!ありがとうございます!!!!!ありがとうございます!!!!!御朱印の字もとても力強くてかっこよかった。ようやくの御朱印張デビューに元気を取り戻した私は、軽い足取りで次の場所へと向かった。
※なお建勲神社の中には宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神を祀る末社義照稲荷神社もある。今回は時間の都合上寄ることはできなかったが、五穀豊饒や織物工芸などの生活基盤の神様がいる場所なので、次はぜひともお伺いさせていたきたい
●今宮神社とあぶり餅
建勲神社から徒歩15分ほどのところに今宮神社がある。
非常に大きな神社で、結婚式やお祭りなども行われているもよう。だが我々はそのことをよく知らなかった。なおここに来ることを決めた理由は後述の「あぶり餅」である。
朱色の美しい楼門を通り抜け、広い境内の中へ入る。いや〜マジで広い。京都の神社ってどこも広いんだな……うちの実家の寂れた神社たちとは大違いだ……としみじみ思うあやめである。
少し進むと中央に大きな拝殿があり、その中に三十六歌仙の絵が飾ってあった。
わぁ歌仙だ!と、ただの由来でしかないのわかっているものの微妙にテンションが上がる。オタクだからしょうがないと思う。
拝殿をこえ本社に行き、旅の無事と餅目的で来たことを謝罪する。その後探索がてら本社の左側を歩いているときだった。ザウリさんが「あれって……」となにかを指さしたのだ。
おおお織田ーーーーー!?!?!?
なぜか織田の家紋がある。どういうことだ???と慌ててぐぐる我々。どうやらここは『織田稲荷社』という、織田信長を祀っているところということが判明した。なんだと……ふらっと来たら信長がいたよ……偶然にしてはすごいな……憑りつかれたのかもしらん……と戦々恐々とする私であった。
至る所にこのようなハートマークがたくさんついていてかわいかった。ザウリさんに教えてもらったがこれはハートマークではなく「イノシシの目」だそうで、縁起のいい模様なのだとか。後に回る神社や寺にも同じくハートがたくさんあるのが確認できた。
一通り探索をした我々は社務所に御朱印をお願いする。ここの御朱印がすごくかわいらしい。2面で今宮祭りの傘の印だ。更に半紙にも今宮祭りの模様が入っている。今回お邪魔したところの中では断トツのかわいらしさだったので、御朱印巡りをする方はぜひ寄っていただきたいと思う。
さて、参拝の後はお待ちかねのあぶり餅である。あぶり餅は今宮神社の名物で、一口サイズにちぎった餅にきな粉をまぶし炭火であぶって白みそダレを絡めているらしい。日本最古の和菓子屋だそうで、ネット記事にたくさん特集が組まれているので来る前に調べておくとより楽しめると思う。
表参道には2軒のあぶり餅屋さんがあるが、今回は客引きのお姉さんの京都弁が非常にかわいらしかった「一和」さんにお邪魔した。外の椅子で食べることもできたが、その日はとても寒かったので、小さなお庭に面した温かいお部屋で食べることにした。
お茶を飲みながら待つこと数分、ようやく餅が出てきた。
なにこれやばいマジでウマい(何度目かわからない語彙喪失)一番最初に来るのはガツンとした焦げの強い香りと苦さ。だがすぐに白みそダレの甘味と塩味が追いかけてくる。ほぼ同時に白みそのもったりとした風味ときな粉の優しい味が広がっていき、とろりと柔らかい餅が歯に食い込んでくる。
「なにこれ!?」「めっちゃおいしい!」とバカみたいに同じ言葉を繰り返しながら、ものすごい勢いで食べ始める食い気の塊×2。結構な量に見えたのだが、5分もしないうちに皿は空になってしまった。
疲れが一気に吹き飛んだ我々は、小休憩の後に次の目的地へと向かうことにした。
●大徳寺の高桐院
今宮神社から少し下ったところに大徳寺という非常に大きなお寺がある。ここはかなり戦国武将たちと所縁のある地で、例えば秀吉と利休が大喧嘩して絶交した場所、利休のお墓、前田利家、織田信長、大友宗麟の菩提寺などなど、めっちゃたくさんあるのだ。
できることならば全ての場所を回ってみたいところではあったが、時間の関係上一ヵ所しか回れないので今回は「高桐院」のみお邪魔することにした。
「高桐院」は、歌仙兼定の持ち主である細川忠興が建てた寺である。中には忠興とその正室のガラシャの墓と、歴代の細川家の墓もある。今回は刀剣乱舞に重きを置いた聖地巡礼であったためここを選んだ。
竹林の中にひっそりと佇むお寺は静寂そのものだった。先ほど見てきた黒と金と朱色の空間とは全く異なり、木々と苔の緑の世界が広がっている。あまりの光景に私は言葉を失った。
石畳の上を一歩、一歩、ゆっくりと歩みを進めていく。なにか特別なものがあるわけではない。竹や紅葉などの木々の間に、びっしりと苔が生えているだけだ。それだけなのに、現実ではないような感覚に陥る。均整の取れた苔たちがこんなに美しいなんて私は知らなかった。
藁葺きの屋根にも苔が生えていた。ここに眠る彼らが生きていた時代と、なんら変わらないものがあるのだと実感し、胸が締め付けられる。息絶え絶えになりながらも、私たちは更に置くへと進んでいった。
入場料を払い中へと入ると、目の前にいくつもの木々や草が生い茂る日本庭園が見えた。
紅葉が多いようなので、秋には真っ赤な美しい世界になるのだろう。秋にもう一度来たいと思った。
ぎゃあああああああああああ!!!!!!!!