道ありき (前川正さんの祈り)

その日二人は、初めて口づけを交わした。

「お誕生日のお祝いですよ」

彼にいわれて、わたしは驚いた。

「これがお祝だったの。すばらしいお祝ね」

彼は静かに、若草の上にひざまずいて、二人の為に祈ってくれた。

「父なる神様。わたしたちはご存じのとおり、共に病身の身でございます。しかし、この短い生涯を、 真実に、真剣に生き通すことができますようにお守りください。どうか最後の日に至るまで、神とお互いとに真実であり得ますように、お導きください」

二人はいつしか涙ぐんでいた。わたしは彼の真実な愛に心打たれて涙ぐんだのだが、彼は自分の命短いことを思って、いつの日にか残されるであろうわたしの身を思って涙ぐんだのであろうか。

「一生懸命生きましょうね」そう言った彼の言葉が、いまも聞こえてくるような気がする。


なんと美しい祈りでしょうか。
三浦綾子さんをクリスチャンへ導いた前川正氏。
最後の日に至るまで、神とお互いとに真実でありますように。
「道ありき」何度よんだことでしょうか。



 

道ありき―青春編 (新潮文庫)

道ありき―青春編 (新潮文庫)

 

 

マタイの福音書2章

エス様が産まれてから、博士たちがベツレヘムに導かれ、幼子イエスを初めて礼拝し、黄金・乳香・没薬を贈り物としてささげた。主の使いがヨセフの夢に現れ、エジプトへ逃げるように言った。ヘロデが死ぬまでイエス様たちはエジプトに住み、ヘロデの死とともに再びヨセフの夢に主の使いが現れてイスラエルへ呼び戻した。そしてガラリヤ地方へ立ちのき、ナザレという町に住んだ。

この2章の中に、旧約聖書の預言の成就または引用が4カ所書かれています。
2-6 ミカ書5:2の引用。メシアはユダの地ベツレヘムで生まれる。

2-15 ホセ書2:1 わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。
2-18 エレ31:15 バビロン捕囚へ連れていかれる子どもに泣き叫ぶ母親・ラケル
2-23 これは預言者たちを通して、「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。

このように、聖書は全体を通して、旧約聖書での預言が新約を通して成就しているという構成になっています。

そして、救い主のイエスは2度(初臨と再臨)この世に現れることが預言されています。そして、初臨の預言は全部成就しています。ということは、再臨の預言も全て成就すると考えることができます。

またマタイ2章は、イエスの出生から幼子イエスをめぐる神と闇の戦いが繰り広げられています。
ヘロデ王は自分が王なのに、預言通りに王が生まれたとの噂に恐れて、博士たちにイエスのありかを調べさせて、その後に殺そうとした。
しかし博士たちはイエスを参拝し、たくさんの贈り物をささげ、ヘロデの元に戻らなかった。
エスを殺そうとしたヘロデに対し、主の使いは父ヨセフの夢に現れ、エジプトに逃げるように伝えた。(博士たちのたくさんの贈り物がイエス様たちの旅費であり生活費となるように、あらかじめ神が供えた)

主イエスを通し、神を信じるものは幸いです。最終的な勝利は

マタイの福音書 1章

 マタイの福音書 1章

新約聖書には4つの福音書があります。
最初に登場するのがマタイの福音書です。
マタイの福音書は、ユダヤ人にイエスキリストが救い主であることを気づいてもらうために書かれました。だから、最初に系図が出てくる訳です。

日本人の私たちには、なんのこっちゃ、誰やねん、単なるカタカナの羅列ですが、ユダヤ人には意味があるのでしょう。
書き出しが、アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリスト系図。となっています。
アブラハムの子孫とは、イエスが救い主であることを
ダビデの子孫とは、イエスが王であることを示しています。

アブラハムからダビデまでの代が全部で14代、ダビデからバビロン移住までが14代、バビロン移住からキリストまでが14代になります。
14代 14代 14代  14代といえば、高木酒造の十四代 おいしいですね(><)
 

 

 それからマタイ1章では、
ヨセフの夢に主の使いが現れて、婚約者のマリアが妊娠をした
のは聖霊の働きによるものであるからと告げられます。
突然に身に覚えもないのに、婚約者が妊娠している!!
そんなことが起こったらどうでしょうか?
この処女降誕も、旧約聖書に預言者イザヤを通して預言されていました。
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」【イザヤ書7-14)
このように、旧約聖書で預言されていることが、新約聖書で成就される箇所が沢山でてきます。そういう意味で、旧約聖書新約聖書は繋がっているのです。

興味を持たれた方は
マタイの福音書 1 - ハーベスト・タイム・メッセージステーション 

こちらをお聴きください。

聖書は全て信じるに値する!ということがお分かりいただけると思います。

With GOD everything is POSSIBLE.

神にはなんでもできる!

 

 





初めに

最初に手にする聖書の多くは、新約聖書ではないでしょうか。
私の場合も、ある研修で<ご自由にどうぞ>と頂いたギデオン聖書でした。
そして開いたページは【マタイの福音書】で、あのカタカナの羅列に撃沈・・・・


そんな私も、洗礼に導かれて6年ちょっと・・・・
聖書通読も何度か達成して、それなりに聖書の世界観とかわかったつもりになってます。

お仕事柄、お客様とかにも伝道できる機会にも恵まれるのですが、そのチャンスが来た時に簡潔明瞭にイエス様をお伝えできるようにと祈り続けております。

そこでこのブログを活用して①自分の為に②聖書に興味を持ってもらうために
始めてみました。

クリスチャンの方も、そうでない方も、よろしくお願いします。